魔法科高校の劣等生 四葉の火の鳥   作:ペンギン豚

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少し短いですが、十文字先輩回です。


先輩とあんみつ

 

 

 

 

ホテルを出た瞬間、聖火は足を止めた。

 

 

 

横須賀の夜風が正面から吹きつける。

 

潮の香り。

 

警備車両の低い駆動音。

 

遠くで断続的に響くサイレン。

 

 

 

横浜騒乱の余波は、未だ街の空気に色濃く残っていた。

 

 

 

聖火は何気ない仕草で視線を巡らせる。

 

 

 

行き交う人々。

 

路肩に停車した車両。

 

向かいのビルの窓。

 

街灯が落とす影。

 

 

 

どれもが自然だった。

 

 

 

自然に見えるよう、配置されていた。

 

 

 

「……多いですね」

 

 

 

独り言のように呟いたその声に応えるように、街灯の下から一つの影が歩み出る。

 

 

 

十文字克人だった。

 

 

 

「十文字先輩」

 

 

 

聖火は驚かなかった。

 

 

 

ただ、わずかに呆れたような笑みを浮かべる。

 

 

 

「俺一人を見るのに、十五人も必要ですか?」

 

 

 

十文字は無表情のまま答えた。

 

 

 

「気づいていたか」

 

 

 

「ホテルに入る前に六人。正面に四人。向かいの建物に二人。車両に三人」

 

 

 

聖火は淡々と数える。

 

 

 

「合計十五人です」

 

 

 

「正確だな」

 

 

 

「一人だけ足音を消し切れていませんでした」

 

 

 

「そこか」

 

 

 

「そこです」

 

 

 

十文字は小さく息を吐いた。

 

 

 

だが、その眼差しは鋭いままだった。

 

 

 

「鷹山」

 

 

 

「はい」

 

 

 

「お前は、自分が今どう見られているか理解しているか」

 

 

 

「危険人物でしょうか」

 

 

 

「それで済めばまだいい」

 

 

 

聖火は肩をすくめた。

 

 

 

「俺は澪さんが近くに来ていると聞いたので、アフタヌーンティーを楽しんできただけですよ」

 

 

 

十文字は無言だった。

 

 

 

その沈黙だけで、信じていないことが分かる。

 

 

 

「……何ですか」

 

 

 

「それで通ると思っているのか」

 

 

 

「通らないとは思っています」

 

 

 

「なら、なぜ言う」

 

 

 

「話せる範囲で答えました」

 

 

 

十文字はしばらく聖火を見つめた。

 

 

 

それ以上は語らない。

 

 

 

その意思だけは明確だった。

 

 

 

「……五輪家の事情か」

 

 

 

「俺の口から話すことではありません」

 

 

 

十文字は追及しなかった。

 

 

 

無理に聞き出しても意味がないことを知っている。

 

 

 

「分かった。今は聞かん」

 

 

 

「ありがとうございます」

 

 

 

「だが鷹山」

 

 

 

「はい」

 

 

 

「十師族と関わる時は、自分の立場をもう少し意識しろ」

 

 

 

「俺は呼ばれただけです」

 

 

 

「呼ばれること自体が問題になる」

 

 

 

「交友関係まで管理されるんですか」

 

 

 

「相手と時期による」

 

 

 

十文字の声は低かった。

 

 

 

「五輪家の令嬢。戦略級魔法師。横浜騒乱直後の軍の動き。そして、お前」

 

 

 

「俺が混ざると急に怪しくなりますね」

 

 

 

「自覚があるなら少しは大人しくしろ」

 

 

 

「かなり大人しくアフタヌーンティーをしていましたが」

 

 

 

「まだその設定を続ける気か」

 

 

 

「今日はそれでお願いします」

 

 

 

「鷹山」

 

 

 

「はい」

 

 

 

「誤魔化し方が雑だ」

 

 

 

「十文字先輩相手に通用する誤魔化し方が思いつきませんでした」

 

 

 

「なら黙っていろ」

 

 

 

「それはそれで怒られませんか」

 

 

 

「怒る」

 

 

 

「理不尽ですね」

 

 

 

「自業自得だ」

 

 

 

十文字は短く言った。

 

 

 

「少し付き合え」

 

 

 

「はい?」

 

 

 

説明もなく歩き出す。

 

 

 

聖火は小さくため息をついた。

 

 

 

「俺、これでも五輪家からの帰りなんですが」

 

 

 

「知っている」

 

 

 

「なら説明くらいは」

 

 

 

「着けば分かる」

 

 

 

「その台詞を言う人について行って、まともな場所だった記憶がないんですが」

 

 

 

「今回はまともだ」

 

 

 

「十文字先輩基準ですよね」

 

 

 

返事はなかった。

 

 

 

その沈黙が何より不安だった。

 

 

 

十分ほど歩いた先で、十文字は一軒の店の前で立ち止まった。

 

 

 

古い木造の甘味処。

 

 

 

白い暖簾。

 

磨き込まれた引き戸。

 

小さな品書き。

 

 

 

そこには達筆な文字で、

 

 

 

あんみつ

 

ぜんざい

 

抹茶

 

季節の上生菓子

 

 

 

と記されていた。

 

 

 

聖火は看板を見つめ、それから十文字を見上げる。

 

 

 

「十文字先輩」

 

 

 

「何だ」

 

 

 

「ここですか」

 

 

 

「そうだ」

 

 

 

「俺、さっきアフタヌーンティーをしてきたばかりなんですが」

 

 

 

「知っている」

 

 

 

「ではなぜ甘味処に」

 

 

 

「話をするには落ち着いた場所がいい」

 

 

 

「甘味処を選ぶとは思いませんでした」

 

 

 

「甘味処に失礼だぞ」

 

 

 

「そこを怒るんですか」

 

 

 

十文字は答えず、暖簾をくぐった。

 

 

 

店内に入ると、年配の女性店主が顔を上げる。

 

 

 

「あら、克人さん。いらっしゃい。今日はお連れさん?」

 

 

 

聖火は十文字を見た。

 

 

 

「常連ですか」

 

 

 

「たまに来る」

 

 

 

「たまに来る人への呼び方ではありませんでしたよ」

 

 

 

「席に着け」

 

 

 

「誤魔化しましたね」

 

 

 

返事はなかった。

 

 

 

二人は奥の席へ案内された。

 

 

 

店内は静かだった。

 

 

 

古い木の柱。

 

磨かれた机。

 

季節の掛け絵。

 

 

 

外の緊張感だけが、この場所から切り離されているようだった。

 

 

 

店主が水とおしぼりを置く。

 

 

 

「克人さんはいつものでいいかしら」

 

 

 

「ああ」

 

 

 

「お連れさんは?」

 

 

 

聖火は品書きを眺めた。

 

 

 

どれも魅力的だったが、やがて閉じる。

 

 

 

「熱いお茶だけお願いします」

 

 

 

「あら、遠慮しなくてもいいのに」

 

 

 

「ありがとうございます。少し前にいただいてきたばかりなので」

 

 

 

「そう。じゃあ熱いお茶を淹れるわね」

 

 

 

店主は微笑みながら奥へ下がった。

 

 

 

十文字が聖火を見る。

 

 

 

「……何ですか」

 

 

 

「アフタヌーンティーを楽しんできたのではなかったか」

 

 

 

「楽しみました」

 

 

 

「茶も飲んだだろう」

 

 

 

「飲みました」

 

 

 

「その後にまた茶を飲むのか」

 

 

 

「熱い日本茶は別です」

 

 

 

「茶は茶だ」

 

 

 

「紅茶と日本茶は別物です」

 

 

 

「そういう問題か」

 

 

 

「そういう問題です」

 

 

 

やがて十文字の前には抹茶とあんみつが置かれた。

 

 

 

聖火の前には湯気を立てる熱い茶。

 

 

 

聖火はあんみつを見つめる。

 

 

 

「十文字先輩」

 

 

 

「何だ」

 

 

 

「いつもの、というのはそれですか」

 

 

 

「そうだ」

 

 

 

「……あんみつ」

 

 

 

「何か問題があるか」

 

 

 

「いえ」

 

 

 

「ならその顔をやめろ」

 

 

 

「顔に出ていましたか」

 

 

 

「出ていた」

 

 

 

聖火は茶を一口飲み、姿勢を正した。

 

 

 

十文字もまた、あんみつに手をつける前に口を開く。

 

 

 

「鷹山」

 

 

 

「はい」

 

 

 

「お前は、自分の縁を軽く見すぎている」

 

 

 

空気が変わった。

 

 

 

柔らかな甘味処の空気の中で、その言葉だけが重く響く。

 

 

 

「縁、ですか」

 

 

 

「そうだ」

 

 

 

十文字は続けた。

 

 

 

「お前が助けた相手は、お前を忘れない」

 

 

 

「それは人によると思いますが」

 

 

 

「少なくとも、本気で助けた相手は忘れない」

 

 

 

「俺はそんな大層なことは」

 

 

 

「その認識が問題だ」

 

 

 

十文字は静かに言った。

 

 

 

「お前は、自分が与えた影響を軽く見すぎている」

 

 

 

聖火は湯呑みに視線を落とした。

 

 

 

立ち上る湯気を見つめながら、ぽつりと口を開く。

 

 

 

「先輩。俺はね」

 

 

 

十文字の目が細くなる。

 

 

 

「ただ、目の前にいる人を治療しているだけなんですよ」

 

 

 

その声に冗談はなかった。

 

 

 

「苦しんでいる人がいる。倒れている人がいる。助けられるかもしれない人がいる。だから手を伸ばす」

 

 

 

一拍置いて、聖火は続ける。

 

 

 

「それが、俺が人間でいるための方法なんです」

 

 

 

十文字は黙っていた。

 

 

 

「そして、俺がまだ人間だと証明するための、たった一つの方法でもある」

 

 

 

静かな店内に、その言葉だけが沈んだ。

 

 

 

十文字は目の前の後輩を見つめる。

 

 

 

礼儀正しく、飄々としていて、時に常識外れなことを平然とやってのける少年。

 

 

 

だが、その奥にあるものは決して少年らしいものではなかった。

 

 

 

「……鷹山」

 

 

 

聖火は顔を上げる。

 

 

 

穏やかな表情。

 

 

 

だが、その瞳だけが遠くを見ていた。

 

 

 

「だから俺は、必要な時に必要なことをしているだけです」

 

 

 

静かな声だった。

 

 

 

「それ以上でも、それ以下でもありません」

 

 

 

十文字はしばらく沈黙した。

 

 

 

そして、ゆっくりと言う。

 

 

 

「その言い方も問題だ」

 

 

 

「そうですか?」

 

 

 

「そうだ」

 

 

 

十文字は真っ直ぐに聖火を見据えた。

 

 

 

「お前は何でも『だけ』で済ませようとする」

 

 

 

倒れていた人を助けただけ。

 

呼ばれたから来ただけ。

 

茶を飲んだだけ。

 

必要なことをしただけ。

 

 

 

「だが周囲から見れば違う」

 

 

 

十文字の声は重かった。

 

 

 

「大きな結果を残しておきながら、自分では些細なことのように扱う。だから周囲は、お前の基準が分からなくなる」

 

 

 

聖火は黙って聞いていた。

 

 

 

「基準の分からない相手は警戒される」

 

 

 

十文字は言い切った。

 

 

 

「人間であることを証明したいなら、なおさら自分の行動を軽く扱うな」

 

 

 

聖火の瞳がわずかに揺れる。

 

 

 

「……厳しいですね」

 

 

 

「必要なことだ」

 

 

 

聖火は茶を飲み、小さく息を吐いた。

 

 

 

「肝に銘じます」

 

 

 

その返事は、今までになく真摯だった。

 

 

 

十文字はそれ以上何も言わず、ようやくあんみつに匙を入れる。

 

 

 

聖火はその様子を見て苦笑した。

 

 

 

「この話、あんみつを食べながらする内容ですか」

 

 

 

「場所を変えても内容は変わらん」

 

 

 

「それはそうですが」

 

 

 

「重い場所なら、お前はもっと誤魔化しただろう」

 

 

 

「否定できません」

 

 

 

「だからここにした」

 

 

 

聖火は少しだけ目を細めた。

 

 

 

十文字は甘味を食べに来ただけではない。

 

 

 

そのことがようやく分かった。

 

 

 

だが同時に――。

 

 

 

「それでも、あんみつは目的なんですね」

 

 

 

「当然だ」

 

 

 

十文字は即答した。

 

 

 

聖火は思わず笑った。

 

 

 

その夜、二人は甘味処を後にする。

 

 

 

横須賀の夜風は相変わらず冷たかった。

 

 

 

だが、店に入る前よりも少しだけ肩の力が抜けていることに、聖火は気づいていた。

 

 

 

横浜騒乱は終わった。

 

 

 

しかし、その余波はまだ続いている。

 

 

 

そして、その渦中にいる自分もまた、否応なく前へ進まなければならないのだろう。

 

 

 

そんなことを考えながら、聖火は十文字と並んで夜道を歩き出した。

 




少し聖火の心情を語ってみました。

このため治療に関しては制限をあまりかけていません。



ちなみに五輪家はばれても問題ないと判断したため尾行をわざと無視しています。
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