# 来訪者編 第一話
## 旅立ちと来訪者
北山家の客間には、静かな緊張感が満ちていた。
理由は単純だ。期末試験が目前に迫っている。
広いテーブルの上には、それぞれの情報端末が並んでいる。
第一高校の生徒にとって、教科書やノートはすでに補助的な存在だ。試験範囲も参考資料も演習問題も、ほとんどが情報端末の中に収まっている。
司波達也は必要な資料だけを表示し、無駄なく問題を解いていた。
司波深雪は整理された画面を切り替えながら復習を進めている。
北山雫は必要な箇所だけを抽出し、淡々と確認していた。
光井ほのかは問題演習を進めながらも、時折達也へ視線を向けては慌てて戻している。
対照的に、千葉エリカと西城レオンハルト――レオの周囲は少々騒がしかった。
「レオ、そこ違うわよ」
「え、どこだ?」
「ここ。途中式が雑」
「答えが合ってりゃいいだろ」
「途中で間違えてたら意味ないでしょ」
エリカが容赦なく指摘し、レオが不満げに唸る。
吉田幹比古はそのやり取りに苦笑しながら画面を見直し、柴田美月は微笑ましそうに眺めつつも、自分の課題を着実に進めていた。
そして鷹山聖火はというと――。
彼の前にあるのは試験対策用の教材ではなかった。
古い魔法理論の論文。
海外の研究機関が公開している資料。
現代魔法とは異なる体系を扱った学術データ。
試験勉強とはまったく別の内容だった。
第一高校の試験程度なら、今さら慌てて勉強する必要はない。
だからこそ聖火は、自分が興味を持った分野を調べていた。
もっとも、その意識の半分は周囲へ向けられていたが。
誰がどこで躓くのか。
誰が誰を頼るのか。
誰が言葉にしない不安を抱えているのか。
人を見る癖は、なかなか抜けない。
「聖火」
達也の声が飛んだ。
「手が止まっている」
「考え事だよ」
「試験範囲についてか?」
「いや、論文の内容と人間観察」
「後者は不要だ」
「相変わらず厳しいな、達也」
聖火は苦笑しながら端末へ視線を戻した。
そのやり取りを聞いていた雫がぽつりと言う。
「聖火は、勉強より人を見る方が得意そう」
「否定はしないけど、雫ちゃんに言われると少し刺さるな」
「事実だから」
「手厳しいね」
雫は無表情のままだったが、どこか楽しんでいるようにも見えた。
やがて深雪が時計へ目を向ける。
「そろそろ休憩にいたしませんか?」
その言葉に真っ先に反応したのはレオだった。
「賛成!」
「あなた、勉強より休憩を待っていたでしょう」
「否定はしねえ」
エリカに睨まれても悪びれる様子はない。
ほのかが苦笑しながら箱を取り出した。
「私、ケーキを持ってきたんです」
「私も」
雫も別の箱を差し出す。
「えっ、雫ちゃんも?」
「せっかくだから」
「俺も一応」
聖火も小さな箱を取り出した。
エリカが呆れたように言う。
「ちょっと待って。ケーキ多くない?」
「いいじゃねえか。多い分には困らねえだろ」
レオの言葉に、一瞬だけ全員が沈黙した。
「レオらしい答えだな」
聖火は笑いながら立ち上がる。
「北山さん、台所を借りてもいいかな?」
雫が首を傾げた。
「何をするの?」
「切り分けて、お茶を淹れる」
「家の人に頼めばいい」
「人数が多いからね。俺がやった方が早い」
エリカが半眼になる。
「それ、手伝いっていうの?」
「たぶん」
「たぶんなんだ」
雫は少し考えた後、頷いた。
「分かった。案内する」
「ありがとう」
数分後。
聖火は人数分に取り分けたケーキと飲み物を運んできた。
深雪には香り高い紅茶。
達也には渋みを抑えた日本茶。
ほのかには少し甘めの紅茶。
雫には口当たりの柔らかな茶。
エリカには濃いめの紅茶。
レオには大きめのカップ。
幹比古には香草茶。
美月には優しい香りのハーブティー。
自然な動作で全員の前へ置かれていく。
エリカがじっと聖火を見た。
「……ねえ」
「何?」
「なんで全員分そんな自然に合わせられるのよ」
「観察の成果かな」
「怖い」
「ひどいな」
「褒めてないから」
レオが自分のカップを見下ろした。
「俺だけ量多くね?」
「足りないよりいいだろ」
「まあ、それはそうだ」
「納得するんだ」
エリカが呆れたように肩を落とした。
穏やかな休憩時間が流れる。
しかし、雫がカップを置いた瞬間、空気がわずかに変わった。
「話がある」
全員の視線が集まる。
「雫ちゃん?」
ほのかが不安そうに呼びかける。
雫はいつも通りだった。
だが聖火には分かった。
感情がないのではない。
表に出す量を選んでいるだけだ。
「私、三学期から留学することになった」
静寂が落ちた。
最初に声を上げたのはほのかだった。
「留学……?」
「うん」
「どこに?」
「USNA。バークレイ校」
ほのかの表情が揺れる。
「そんな……急に?」
「前から話はあった。正式に決まったのが最近」
「雫ちゃん……」
深雪が静かに微笑む。
「寂しくなりますね」
「うん。でも行ってくる」
短い言葉だった。
だが、その中には確かな決意があった。
「まあ、雫なら向こうでも普通にやってそうだけどね」
エリカが言う。
「普通にはする」
「そこは頑張るじゃないの?」
「頑張るのは前提」
「相変わらずね」
エリカは苦笑した。
レオも腕を組む。
「バークレイって遠いんだよな」
「遠い」
「しばらく会えねえのか」
「通信はできる」
「そういう問題か?」
「そういう問題でもある」
レオは複雑そうな顔をした。
「まあ、元気ならいいけどよ」
幹比古も穏やかに続ける。
「雫なら良い経験になると思う」
「ありがとう」
美月も言葉を添えた。
「気をつけてくださいね」
「気をつける」
そして雫は隣のほのかを見る。
「ほのか」
「……うん」
「帰ってくる」
ほのかが顔を上げる。
「うん」
「だから、そんな顔しなくていい」
「そんな顔って……」
「泣きそうな顔」
「泣いてないよ」
「まだ」
思わずほのかが笑う。
その様子を見ながら、聖火は静かに茶を口にした。
離れる。
だが、切れるわけではない。
そのことを、この仲間たちは理解している。
「交換留学ということは、向こうからも誰か来るのか?」
達也が尋ねた。
「そのはず」
「そのはず?」
エリカが眉をひそめる。
「交換相手の名前も分からないの?」
「まだ聞いてない」
「普通は分かるもんじゃねえのか?」
レオも首を傾げる。
幹比古も同意した。
「少なくとも所属くらいは知らされそうだけど」
達也が静かに言った。
「手続きとしては不自然だな」
その一言で空気が引き締まる。
「お兄様は何か気になることが?」
深雪が尋ねる。
「まだ何も分からない。ただ、情報の出し方が曖昧すぎる」
聖火もカップを置いた。
「事務処理が遅れているだけならいいんだけどね」
エリカがじろりと見る。
「本当にそう思ってる?」
「そうだったら平和だなとは思ってる」
達也の懸念はもっともだった。
交換留学でありながら相手の情報が伏せられている。
そこには別の事情がある可能性もある。
USNA。
その名を聖火は胸の内で反芻した。
その時だった。
ふと、美月の視線を感じる。
顔を上げると、美月がこちらを見ていた。
いや、正確には聖火の向こう側を見ているようだった。
美月の瞳が揺れる。
聖火はすぐに理解した。
見えてしまったのだ。
ほんの一瞬。
美月には、聖火の背後に赤い羽が揺らめいたように見えた。
燃えるようでいて、不思議と温かな光。
美月は息を呑む。
「美月さん?」
声を掛けられ、美月は肩を震わせた。
「す、すみません」
「疲れてる?」
「いえ……」
言葉を探す美月に、聖火は穏やかに微笑んだ。
「無理に見なくていいよ」
「え?」
「見えるものが、全部見なきゃいけないものとは限らないから」
それだけ言って、何事もなかったように皿を整える。
美月は言葉を失った。
鷹山聖火は、自分が何を見たのか知っている。
そして、それがどれほど戸惑うものかも。
「柴田さん?」
幹比古が心配そうに声を掛ける。
「あ……ううん。大丈夫」
そう答えながらも、美月はもう一度聖火を見ることができなかった。
――それからの日々は慌ただしく過ぎていった。
期末試験。
送別会を兼ねたクリスマスパーティー。
そして新年の初詣。
仲間たちは雫との時間を惜しむように過ごし、それぞれの形で別れを受け入れていった。
やがて三学期が始まる。
雫の席は空いていた。
その空白は思った以上に大きかった。
そして今日。
USNAからの交換留学生がやって来る。
教室にはどこか落ち着かない空気が漂っていた。
やがて担任が教室へ入ってくる。
「すでに聞いていると思うが、今日からこのクラスに交換留学生が加わる」
ざわめきが止む。
「入ってください」
扉が開いた。
現れたのは金髪の少女だった。
整った顔立ち。
華やかな容姿。
そして洗練された立ち居振る舞い。
聖火はわずかに目を細める。
姿勢が良い。
歩幅も乱れがない。
だが、それだけで判断するには早すぎた。
少女は教壇の前に立ち、教室全体へ微笑みかける。
「はじめまして」
澄んだ声が響く。
「アンジェリーナ=クドウ=シールズです。リーナと呼んでください」
初対面の相手にも自然に親しみを抱かせるような、明るく人懐こい笑顔だった。
「短い間ですが、よろしくお願いします」
一年A組の生徒たちから歓迎の空気が広がる。
達也は静かにその様子を見ていた。
深雪も礼儀正しく微笑みを返している。
聖火もまた、新たなクラスメイトへ視線を向けた。
まだ何も分からない。
ただ一つ分かるのは――。
北山雫が旅立ったことで生まれた空席に、新たな来訪者が現れたということだけだった。
そして誰もまだ知らない。
この出会いが、穏やかな日常を大きく揺るがすことを。
嵐のような三学期が、始まろうとしていた。
変なところがあるかもしれませんが、本日はここまです。
来訪者編は独自解釈とオリジナル展開が多いと思いますので、頑張ってついてきてください。