アンジェリーナ=クドウ=シールズ。
リーナと名乗った金髪の少女は、その日のうちに一年A組の中心近くへ入り込んでいた。
それは、強引に輪へ割り込んだという意味ではない。
むしろ逆だった。
彼女は誰かに無理に近づくことはせず、誰かの言葉を遮ることもなく、必要以上に自分を大きく見せようともしなかった。
ただ、聞かれたことには明るく答えた。
分からないことには、少し困ったように笑った。
褒められれば素直に喜び、日本語の言い回しを教えられれば、楽しそうに繰り返した。
その一つ一つが自然で、華やかで、人目を引いた。
海外から来た金髪碧眼の美少女。
流暢な日本語。
明るい笑顔。
それだけで、十分に目立つ。
まして、その本人が人懐こく、初対面の相手にも柔らかく接するのだから、教室の空気が浮き立つのも当然だった。
休み時間になると、リーナの周囲には自然と人が集まった。
「リーナさん、日本は初めて?」
「旅行では何度か。でも、学校に通うのは初めてです」
「日本語すごく上手だよね」
「ありがとうございます。まだ勉強中ですけど」
「全然そんな感じしないよ」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
リーナは笑顔を崩さず、相手の目を見て答えていた。
見事な適応力だった。
少なくとも、普通の生徒にはそう見えただろう。
鷹山聖火も、表面上は同じように見ていた。
明るい留学生。
人当たりの良い少女。
初日から人気者になれるだけの魅力を持つ人物。
それは間違いない。
だが、聖火が見ていたのは、そこだけではなかった。
教室へ入ってきた時の歩幅。
教壇の前に立った時の重心。
質問を受ける時の視線。
周囲から注目されている中で、なお乱れない姿勢。
どれも綺麗だった。
綺麗すぎた。
見せるための動きではない。
礼儀作法として整えられたものとも少し違う。
もっと硬い。
もっと実用的だ。
聖火は端末へ視線を落としたまま、内心で小さく息を吐いた。
まだ断定するには早い。
ただ、ただの留学生として見るには、少しばかり整いすぎていた。
昼休みになった。
深雪は生徒会副会長として、リーナを食堂へ案内することになった。
同じ一年A組に編入された交換留学生であり、来日したばかりの相手を放っておく理由はない。
ほのかも自然にその隣へついた。
そして、なぜか聖火も少し後ろを歩いていた。
「聖火くんも来るの?」
ほのかが不思議そうに尋ねる。
「おまけで」
聖火は軽く答えた。
「おまけ?」
リーナが首を傾げる。
「うん。深雪ちゃんがリーナを案内する。ほのかちゃんがついてくる。俺はそのおまけ」
「それだけですか?」
深雪が穏やかに問いかける。
聖火は肩をすくめた。
「それだけなら平和なんだけどね」
ほのかが少しだけ目を瞬かせる。
深雪はすぐに察したようだった。
「リーナは目立つ方ですから、念のため聖火くんには近くにいていただいています」
「私、そんなに目立つかな?」
リーナが少し楽しそうに言う。
聖火は即答した。
「目立つと思いますよ、リーナさん」
「やっぱり?」
「はい。かなり」
「正直だね」
「嘘を言っても仕方ないので」
聖火は笑って返した。
「留学生に初日から変に絡んでくる勇気ある人が出ないとも限りませんからね。そういう時の壁役です」
「壁役?」
「はい。あまり目立たない壁です」
深雪が小さく笑った。
「聖火くんが目立たない壁というのは、少し無理があると思います」
「深雪ちゃん、そこは乗ってほしかった」
「申し訳ありません」
「謝られると、こっちが困るんだけど」
リーナはそのやり取りを聞いて、明るく笑った。
「皆さん、とても仲が良いんですね」
「そう見えますか?」
聖火が尋ねる。
「うん。見える」
「それなら、たぶん仲は良いんだと思います」
「たぶん?」
「人間関係は難しいので」
「面白い言い方」
「よく言われます」
軽口を交わしながら、四人は食堂へ向かった。
廊下には、昼食を取ろうとする生徒たちの流れができていた。
横を通る生徒。
廊下の端で話す生徒。
急ぎ足で食堂へ向かう生徒。
そうした人の流れの中でも、リーナの歩幅はほとんど乱れなかった。
人を避ける時の重心移動も、自然に見えて正確すぎる。
肩がぶつからない距離を、最初から測っている。
死角になる曲がり角では、ほんの少しだけ速度が落ちた。
だが、足は止まらない。
視線だけが先に動き、通路の奥を確認してから、何事もないように進む。
聖火は、それを横目で見ていた。
やはり。
隠す気があるのか、ないのか分からない。
いや、違う。
これは、隠す隠さないの問題ではない。
本人にとって自然な動作なのだろう。
だからこそ、普通の生徒には違和感にならない。
姿勢が良い。
動きが綺麗。
堂々としている。
そう見えるだけだ。
食堂に着くと、昼時らしくすでに多くの生徒で賑わっていた。
席を探していると、少し離れた場所から声が飛んできた。
「達也さん!」
ほのかの声に反応して、司波達也がこちらを向いた。
その隣には、千葉エリカ、西城レオンハルト、吉田幹比古、柴田美月がいる。
達也たち一年E組にとって、リーナは同じ教室で授業を受ける相手ではない。
だが、交換留学生の噂はすでに校内中に広がっていた。
レオがリーナを見るなり、分かりやすく目を丸くした。
「おお、本当に金髪だ」
「レオ、第一声がそれ?」
エリカが呆れたように言う。
「いや、噂だけ聞いてたからよ」
「もっと他に言い方があるでしょ」
美月が困ったように笑う。
幹比古も苦笑していた。
深雪はリーナを伴い、達也たちの前に立つ。
「皆さん、紹介します。こちらが、今日から一年A組に編入された交換留学生のリーナです」
リーナは明るく笑った。
「アンジェリーナ=クドウ=シールズです。リーナって呼んでください」
深雪は続けて、達也を紹介する。
「こちらは私の兄、司波達也です」
リーナは達也へ視線を向けた。
その一瞬。
彼女の視線が、わずかに変わったことを聖火は見逃さなかった。
ただの挨拶ではない。
観察。
それも、かなり短く、かなり正確な観察だった。
「よろしく、達也」
リーナは気軽に手を振る。
達也は静かに会釈した。
「司波達也です」
その瞬間、深雪の周囲の空気がわずかに冷えた。
ほんのわずかだ。
普通の生徒なら気づかなかっただろう。
だが、聖火は気づいた。
ああ、そこは踏むんだ。
リーナに悪気はない。
日本とUSNAの距離感の違いもあるだろう。
そもそも彼女は、人との距離を詰めるのがうまい。
だが、深雪の前で達也を気軽に名前で呼ぶのは、なかなか勇気のいる行為だった。
達也は特に気にした様子を見せない。
深雪もすぐに微笑みを整えた。
「リーナは、とても日本語がお上手なのです」
「そうか」
達也の返答は短い。
リーナはその反応に、目を瞬かせた。
「うわ、本当に深雪の言ってた通りだ」
「何がだ」
「クール」
達也は何も答えなかった。
エリカがそこで吹き出す。
「初対面でそれ言う?」
「だって、本当にそう思ったんだもん」
リーナは悪びれずに笑う。
続いて、エリカたちとも挨拶を交わした。
「千葉エリカよ。よろしくね、リーナ」
「よろしく、エリカ」
「西城レオンハルト。レオでいいぜ」
「じゃあ、私もリーナで」
「吉田幹比古です。よろしく」
「よろしく、幹比古」
「柴田美月です」
「よろしくね、美月」
距離の詰め方が早い。
だが、不思議と不快感はない。
相手によって声の柔らかさを変え、笑顔の種類を変える。
エリカには少し快活に。
レオには親しみやすく。
幹比古には礼儀正しく。
美月には柔らかく。
上手い。
聖火は内心でそう思った。
上手すぎる。
昼食を取ることになり、全員が席へ着いた。
深雪はリーナの隣。
ほのかはその近く。
達也は深雪の斜め向かい。
聖火は自然な顔で、リーナと達也の双方を視界に収められる位置に腰を下ろした。
エリカがその様子を見て、半眼になる。
「あんた、位置取りが露骨じゃない?」
「何のこと?」
「絶対分かってやってるでしょ」
「食堂は混むからね。効率的な席選びは大事だよ」
「はいはい」
エリカはそれ以上追及しなかった。
会話は終始和やかだった。
「リーナは、日本の学校は初めてなのですよね?」
深雪が尋ねる。
「うん。旅行で来たことはあるけど、学校に通うのは初めて」
「何か分からないことがあれば、遠慮なく聞いてください」
「ありがとう、深雪」
リーナは自然に深雪の名を呼んだ。
深雪も微笑む。
「ええ、リーナ」
ほのかが少し身を乗り出す。
「リーナ、日本語、本当にお上手ですね」
「ありがとう。まだ勉強中だけど」
「全然そんな感じしません」
「そう言ってもらえると嬉しい」
会話は明るい。
ほのかはすでに好印象を抱いているようだった。
深雪も、生徒会副会長としてだけでなく、一人の同級生としてリーナへ丁寧に接している。
エリカはリーナの快活さを面白がり、レオは素直に感心し、幹比古と美月も穏やかに会話へ加わっていた。
普通に見れば、ただの楽しい昼食風景だった。
だが、聖火が見ているのは別の部分だった。
リーナは会話の最中も周囲を確認している。
露骨ではない。
ほんのわずかな視線の動きだけだ。
入口。
配膳口。
人の流れ。
背後を通る生徒。
深雪と達也の位置関係。
そして、聖火自身の位置。
確認している。
新しい環境に慣れようとしているだけ、と言えなくもない。
だが、そういう視線ではない。
警戒と把握。
その両方が混ざっている。
聖火は静かに茶を口へ運んだ。
まだ、断定はしない。
その時、少し離れた席にいた男子生徒たちが、ちらちらとリーナの方を見ているのに気づいた。
一人が立ち上がりかける。
明らかに、声をかけるつもりだった。
聖火は何も言わなかった。
ただ、カップを置き、そちらへ視線を向けた。
それだけだった。
男子生徒は、動きを止めた。
聖火は軽く笑って会釈する。
男子生徒は気まずそうに視線を逸らし、何事もなかったように席へ戻った。
エリカが小声で言う。
「……本当に壁役してるじゃない」
「偶然だよ」
「嘘つき」
「ひどいな」
リーナはそのやり取りを聞いて、くすりと笑った。
「聖火は有名なんだね」
「悪い意味でね」
「そうなの?」
「ええ。俺についての噂は、あまり当てにしない方がいいですよ、リーナさん」
「でも、皆は聖火を信頼してるみたい」
リーナの言葉に、聖火は少しだけ目を細めた。
見ている。
やはり、周囲との関係を見ている。
聖火は穏やかに答えた。
「ありがたいことに、友人には恵まれています」
「それは素敵だね」
リーナは笑った。
その笑顔は明るい。
だが、彼女の重心は逃げやすい位置にある。
会話の相手を正面に置きすぎない。
背後を完全には塞がせない。
通路の流れを背で受けない。
警戒している。
本人が意識しているかどうかは別として、それが癖になっている。
昼休みが終わる頃、リーナはすっかりその場の空気に馴染んでいた。
「今日はありがとう、深雪」
「いいえ。お役に立てたなら何よりです」
「ほのかもありがとう」
「い、いえ。私なんて、ほとんどついてきただけですから」
「そんなことないよ。嬉しかった」
ほのかは少し頬を赤くした。
リーナは次に聖火へ視線を向ける。
「聖火もありがとう」
「俺は本当におまけですから」
「おまけにしては、ちゃんと仕事してたと思うけど」
「してたと思いますよ」
「自分で言うんだ」
「言います」
二人は軽く笑い合った。
その瞬間、聖火は改めて確信する。
この少女は、人との距離を縮めるのが上手い。
だが同時に、誰にも完全には踏み込ませていない。
リーナがふと首を傾げた。
「聖火ってさ」
「はい?」
「ずっと周りを見てるよね」
聖火は一拍置いてから、笑った。
「職業病かな」
「高校生なのに?」
「高校生だからですよ」
リーナは楽しそうに笑う。
「変な人」
「よく言われます」
「私も結構見てた?」
「かなり」
「やっぱり?」
互いに笑う。
だが、その笑顔の裏で探り合っていることも、二人とも理解していた。
リーナは明るい。
人懐っこい。
誰とでもすぐに打ち解ける。
だが、無防備ではない。
むしろ、無防備に見せるのがうまい。
放課後。
深雪の案内が終わる頃には、リーナはすっかり校内の注目人物になっていた。
「今日は本当にありがとう。すごく助かった」
リーナが深雪へ礼を言う。
「どういたしまして。明日以降も、困ったことがあれば言ってください」
「うん。頼りにしてる」
「ええ」
「ほのかも、また話そうね」
「は、はい」
「聖火も」
リーナが聖火を見る。
「またね」
聖火は微笑んだ。
「はい。また明日、リーナさん」
リーナは手を振り、廊下を歩いていった。
その後ろ姿を、聖火は黙って見送る。
歩幅が一定。
曲がり角の前で、わずかに速度が落ちる。
死角へ入る直前、視線だけが先へ行く。
人とぶつからないように避けているのではない。
最初から、ぶつかる可能性のある場所へ入らない。
聖火は静かに息を吐いた。
一日見れば、十分だった。
その日の帰り道。
人通りが少なくなったところで、聖火は達也と並んで歩いていた。
深雪とほのかは少し前を歩いている。
エリカたちは別方向へ向かったため、周囲に聞かれる心配はない。
達也が先に口を開いた。
「何か分かったのか」
聖火は歩調を変えずに答えた。
「リーナさんってさ」
そこで一度、言葉を切る。
「多分、軍人だよな」
達也の表情は変わらない。
「そう見るか」
「うん」
聖火は頷いた。
「それも、達也くんみたいな特別枠じゃなくて、常勤の方」
達也がわずかに目を細める。
「分かるのか」
「一日見ればね」
聖火は淡々と言った。
「姿勢、歩幅、視線、反応、距離の取り方。全部が正しすぎる」
「正しすぎる?」
「うん」
聖火は前を見たまま続ける。
「モデルみたいに綺麗なんじゃない。礼儀作法で整えられた動きでもない。もっと硬い。もっと実用的だ」
達也は何も言わない。
聖火は続けた。
「あの歩幅の均等さ、視線の配り方、曲がり角の処理、背後を空けすぎない癖。あれは、日常生活で自然に身につくものじゃない」
「訓練か」
「軍のね」
聖火の声は冷静だった。
だが、その奥にはわずかな苦味があった。
「隠しているつもりなら、正直かなり甘い。同じ畑の人間なら、すぐ分かる」
達也は静かに聖火を見た。
「同じ畑、か」
「今さら隠すつもりはないよ」
聖火は肩をすくめた。
「俺も昔、似たような場所を歩いていたからね」
達也はそれ以上追及しなかった。
聖火も、それ以上は語らなかった。
少しだけ沈黙が落ちる。
やがて達也が言った。
「目的までは分からないか」
「まだね」
聖火は答える。
「でも、単なる交換留学生じゃないのは確かだと思う」
「USNA」
「うん」
聖火は短く頷いた。
「雫が行った先から、名前も伏せられていた交換相手が来る。しかも、その子は軍人の動きをしている」
「偶然とは考えにくいな」
「偶然だったら平和なんだけどね」
聖火はそう言って、少しだけ空を見た。
冬の空は低い。
冷たい風が、制服の裾を揺らした。
その時、前を歩いていた深雪が振り返る。
「お兄様、聖火くん。どうかなさいましたか?」
達也はいつも通り答えた。
「何でもない」
聖火も笑う。
「リーナさんの話をしてただけだよ」
深雪は微笑んだ。
「ええ。リーナはとても明るくて、素敵な方ですね」
「うん」
聖火は頷いた。
明るい。
人懐っこい。
誰とでも仲良くなれる。
それは間違いなく本当だ。
だが、その奥には別の顔がある。
訓練によって刻み込まれた硬さ。
命令を受ける者の姿勢。
そして聖火は、そういう子供を見るのが嫌いだった。
とても、嫌いだった。
「聖火」
達也が小さく呼ぶ。
聖火はすぐに表情を戻した。
「何でもないよ」
そう答えながらも、胸の奥には小さな火が残っていた。
まだ燃え上がるほどではない。
けれど、確かに火種は生まれていた。
新たな来訪者は、ただの交換留学生ではない。
それだけは、もう疑いようがなかった。
すいません。私の経験談が少し混ざっております。
本当にお店の人に言われたことがあります。
次回から改変が始まっていきます。