3D彼女♂とレトロ彼氏♀ ~男女あべこべVTuber、中の人ごと好きになる~ 作:式守 芽衣
平日の、夕方。
「ただいまー、繁忙期終わったー!」
扉が開いて、アキラさんが入ってきた。
ジャケットに白いシャツ、ネイビーのワイドパンツ。
両手をVの字、万歳のように上げている。
「お疲れさまです」
「やー、ほんとに、お疲れさまだったー」
「夕立、大丈夫でしたか?」
帰り道に少し降られたのか、ジャケットの肩のあたりが、薄く湿っていた。
「うん、ちょっと前にね、ザーッと。今はもうやんだ感じー」
「あー、なるほど」
アキラさんが、靴を脱いで、上がってきた。
「ちょっと、シャワー浴びて着替えてくるねー」
「あ、はい。いってらっしゃい」
アキラさんが、脱衣所の方に消えていった。
◇ ◇ ◇
シャワーの音が、薄く、聞こえてくる。
俺は、キッチンに立った。
冷蔵庫から、ひき肉と、卵と、玉ねぎ。
そぼろ丼にしようと、思っていた。
フライパンを、温める。
しばらくして、扉が開いて、アキラさんが、戻ってきた。
淡いベージュの半袖と七分丈のリラックスパンツ。髪は後ろで一つに束ね直している。
「あー、生き返ったー」
キッチンの方を、覗き込んできた。
「あれ、なんか、いい匂いー」
「あ、適当に、夕飯、作ってました」
「えーっ、ありがとー! ねえ、何々?」
「そぼろ丼、です」
「やったー、お腹ぺこぺこだったのー」
アキラさんが、テーブルに飛びついた。
二人で、食べる。
「うっま、あいかわらず!」
「ありがとうございます」
「これがいいの、これが」
アキラさんが、両手で丼を抱えるように持っていた。
食べ終わって、片付ける。
窓を開けると、部屋にぬるい風が流れ込んだ。
アスファルトの濡れた匂いが、しばらくしてから届く。
「あー、いい匂いー」
アキラさんが、ソファにぱたんと倒れ込んだ。
「夕立の後の、この匂い、好きなんだよねー」
「分かります」
「雨上がりの、アスファルトの匂い。夏だとさー、いい感じに温められて、もっと芳醇なんだよね」
「あー、確かに、夏のやつ。それにしても芳醇って」
おもわず吹き出してしまう。
「今もまあまあだけど、夏のはこう、もっと、ムワってなるのよ」
「まぁ、分かります」
冷蔵庫から缶を二本取り出して、ソファの脇のテーブルに置いた。
アキラさんが目を閉じたまま、片手だけで缶を取った。
ぷしゅ。
二人で、缶を一口。
アキラさんが、ふぅっと息を吐いた。
アキラさんが、ソファの背もたれに頭をもたれかけた。
あの朝の重さが、ふっと腹のあたりに戻ってきた気がした。
俺は、缶を一口追加した。
「あー、で、さ」
アキラさんが目を開けて、天井に視線を流した。
「ちょっと相談というか、提案があって」
「はい」
「あのね、今のさ、家賃の出し方ね」
「あー、はい」
「私の負担、安すぎでしょ? 昴さん、二重払いになるの、気使ってくれてるんだよね」
「いえ、そんな」
「ちゃんと出したいなって、思っててー」
「あー」
「あとさー、繁忙期もー、終わったし。一応、自分ちでも、また配信できるはできるんだけど」
「はい」
「機材、また向こうに持ち帰るの、めっちゃ大変じゃん?」
「あー、それは、確かに」
「で、向こうの更新時期も、ちょっと迫ってきてて」
「あ、なるほど」
「で、もし、昴さんさえよければ、なんだけどさ」
「はい」
「ちゃんと家賃も折半させてもらって、ルームシェアにさせて欲しいな……って思って」
……。
「あ、はい?」
「えーっと、メリットも、ちょっと整理してみたんだけどね」
アキラさんが、指を折り始めた。
「家賃、折半でしょ」
「家事も分担できるし」
「私の職場、ここの方が近いし、ここ防音もちゃんとしてるし。これは私だけのメリットで申し訳ないんだけどさ」
「あと、配信もさ、もう一緒にやるの当たり前になってきてるじゃない」
……俺は、何も言えなかった。
全部、その通りだった。
「で、男女のルームシェアってちょっと、世間的にどうなのかなって話もあるとは思うんだけど」
それは、そう。
「友達にね、ルームシェアやってる人いるんだよ。男女混合で。普通に大丈夫って」
「あと私、弟と一時期同居してたから、こういうの慣れてるんだよね」
——弟さんの話か。
「で——」
アキラさんが、天井からふっと視線をこちらに向けた。
「昴さんは、信頼できるから」
他の発話より、声の温度がひとつ低かった。
「……」
俺は何か言おうとして、缶を口に運んだ。
「えーっと、なんだろう。……ここまでさ、なんかいっぱい色々あったじゃない。それが信頼できるってことだと思ってる」
アキラさんが、また天井を向いて笑った。
「勘みたいなものなんだけどね」
「……」
「あ、それとね」
「はい」
「これは、大前提なんだけどさ」
アキラさんが、ふっと、こちらを見た。
「私、この生活、すごく楽しいんだよね」
「……」
「昴さんは、どう? 楽しい?」
……。
いろんな日のことが、ふっと、浮かんだ。
(確かに、楽しい)
「……楽しい、ですね」
「えへへ、よかった」
アキラさんが、嬉しそうに、缶を一口飲んだ。
「……それで、あの」
俺は、缶のフチに親指を当てた。
いつもより、するっと言葉が出た。
「ちょうど、自分も、契約の更新があって」
「えっ、ほんと?」
「はい。まだしばらくあるんですけど。ちょっと、考えてはいて」
「あー、なるほどねー」
アキラさんが、ソファに沈み込んだ姿勢のまま、缶を持ち直した。
「家賃折半になるなら、自分としても助かりますし。防音の設備、せっかく作ったので」
「うんうん」
「アキラさんが必要なら、続けてくださって、構いません」
「迷惑じゃない?」
「迷惑じゃないです」
反射みたいに、出た。
「……ありがと」
声の温度が、またひとつ落ちた。
俺は、缶を一気に飲んだ。
アキラさんが、缶を持ち上げた。
「じゃ、これで決まりだ」
「はい」
俺も、缶を持ち上げた。
軽く合わせる音がした。
「乾杯ー」
「乾杯です」
アキラさんが、ぐびっと飲んだ。
俺も飲んだ。
窓の外で、車が水たまりを跳ねる音がした。
「あー、なんかね、肩の荷が下りた感じー」
「お疲れさまでした」
「もう何回目よ、それ。何回も言わせるー」
くしゃっと笑った。
俺も、ちょっと、笑った。
「あ、なくなった」
空になった缶を振って、アキラさんがソファから立ち上がる。
「もう一本、いっとく?」
「あ、いただきます」
冷蔵庫が開く音。
戻ってきたアキラさんが、缶を二本、テーブルに置いた。
ソファに、さっきより深く沈み込む。
ぷしゅ。
「あー、染みるー」
頬が、ほんのり赤くなっている。
素足を、ソファの上に引き上げて、片膝を抱えた。
「最近の配信でさー、忙しいリスナー多いんだよねー」
「あー、はい」
「終電で帰ってきたー、とか、課題終わらなーい、とか」
「分かります」
「みんな大変だよねー、社会人もー、学生もー」
アキラさんが、缶を傾けた。
ふぅっと息を吐く。
「あとさ、最近いろんな配信観ててさー」
「はい」
「アイドル系のVTuberさんの挨拶、なんかすっごい好きなんだよね」
「可愛らしいですよね」
「そう。『こんあんみつ〜、私のあんみつちゃんたち、今日もぉ〜』みたいなさ。あれ、聞くと安心するんだよねー」
「ありますね」
「ほら、ね、こういうの」
アキラさんが、急にぴんと背筋を伸ばした。
頬の脇に手を添えて、にこっと笑う。
「『は〜い、こんあきら〜☆ アキラニストのみんな、今日もぉ〜、来てくれて、ありがとぉ〜!』」
ふふっ、と笑って。
「『あーっ、昴ちゃん! こんあきらありがとぉ〜』」
アキラさんが、こちらに向けて、ちっちゃいハートを作った。
目が、合った。
俺の喉が、一瞬、詰まった。
初めて聞くタイプの声だった。
「どう? 良い線いってるでしょ〜」
頬の脇から手を下ろして、缶をぐびっと飲んだ。
飲み込むのに、少し時間がかかった。
くしゃっと笑って、ソファに沈み込む。
「酔ってるなぁ、私~」
俺は、缶のフチを指で撫でた。
アキラさんが、昴ちゃん、と言った。
俺の名前なんだけど、俺じゃない、誰かを呼んでいるみたいだった。
(……)
「あー、そういえばさー」
アキラさんが、缶の縁を指で弾きながら、何かを思い出したように笑った。
「来週の配信さー、なんか面白いの探してるんだよねー」
「あー、ええと……」
頭を切り替えた。
でも、缶のフチに置いた指は、しばらく動かなかった。
◇ ◇ ◇
同居が決まった翌週の、休みの日。
アキラさんが玄関の方で、ガサッと音を立てた。
「とりあえず、今日のはこれくらいー」
大きめの紙袋を二つ抱えたアキラさんが、廊下に入ってきた。
古いジャージにヘアバンド。額に薄く汗をかいている。
「お疲れさまです」
「あんまり一気に持ってきても、昴さんちが大変だしね」
「気にしないでください」
「引き払うまではまだ余裕あるし、少しずつリサイクル出したり、実家に送ったりして減らしてくから」
「分かりました」
アキラさんが、紙袋を廊下に置いて、額の汗を手の甲で拭った。
「じゃ、ちょっとずつ、片付けていきますかー」
「はい」
◇ ◇ ◇
紙袋といくつかの小箱を、部屋に分けていく。
配信部屋には衣類とCDの小箱、レトロゲーハードとカートリッジ。
リビング、キッチンには食器と日用品の袋。
アキラさんがCDの小箱を、配信部屋のクローゼットの上の方に押し込んだ。
「あ、これ重たいかも」
配信部屋を出てきたアキラさんが、別の箱を抱えた。
「俺やりますよ」
箱を、アキラさんから受け取る瞬間、
指先が軽く触れた。
「ごめん、ありがとー」
アキラさんが、何でもない顔で次の場所に向かった。
俺も、何でもない顔で、それを次の場所に運んだ。
手の甲に、汗が薄く乗っていた。
◇ ◇ ◇
アキラさんが、配信部屋の机の脇にスーファミを置いた。
「これ、ここでいい?」
「いいですよ」
木箱から、カートリッジを一本ずつ取り出して、本棚の空いている段に並べていく。
手が止まる。
グレーのプラスチックのカートリッジ。
アキラさんが、その背を指でゆっくり撫でた。
「……うちのスーファミ、ここでも生きるんだなぁ」
「ですね」
「ね、嬉しいねー」
くしゃっと笑って、次のカートリッジを取り出した。
◇ ◇ ◇
食器棚に、アキラさんの食器を入れていく。
白い茶碗。
俺のは、ちょっと欠けたグレーの茶碗。
二つが並んだ。
「あ、サイズちょうど良いね」
「そうですね」
「並ぶと、なんかいいねー」
アキラさんが、戸を閉めた。
戸の奥で、二人分の食器が揃っている。
◇ ◇ ◇
玄関に出た。
アキラさんが、紙袋から白いスニーカーを出した。
俺の革靴の隣に、置く。
……。
その瞬間、空気の匂いがほんの少しだけ変わった気がした。
「ま、よく考えたらさー、もうほとんど住んでたんだけどね、私」
「……確かに」
苦笑い。
「気分の問題なんだよなー、これ」
アキラさんが、玄関の電気をつけたり消したりした。
「ふふ」
「どうしました」
「いやー、なんかいいなって思って」
◇ ◇ ◇
片付けが一段落して、二人でDKに戻った。
冷蔵庫を開けると、冷たい麦茶のボトルがあった。
二つのコップに注いで、ソファのテーブルに置く。
アキラさんが、ソファに沈み込んだ。
「いやー、ほんとありがとう、昴さん」
くしゃっと笑って、麦茶をぐびっと飲んだ。
額の汗が、まだ薄く残っている。
「いえ」
「これからも、よろしく」
俺は、麦茶のコップを両手で持った。
冷たさが、手のひらにじわっと染みた。
「……はい」
アキラさんが、ふぅっと息を吐いて、目を閉じた。
窓の外で、午後の光が少しだけ傾いていた。
◇ ◇ ◇
夜になっていた。
夕飯は、適当に済ませた。
アキラさんが、ふっと時計を見上げた。
「あー、そろそろ配信の時間だわー」
「今日、和太郎ですか」
「うん。久しぶりに、ソロでゲームやろうかなって」
「了解です」
「昴さんは?」
「俺は、紗雪の次の配信準備しときます」
「お疲れさまー」
「あ、でも。そうだ、アキラさん」
「うん?」
「配信、最初から隣で観ててもいいですか?」
「ん?」
「配信ソフトの操作とか、和太郎さん凄くスムーズじゃないですか。あれ、参考にしたくって」
「あ、そういうこと。全然いいよ~」
◇ ◇ ◇
二人で、配信部屋に入った。
アキラさんが椅子に座って、ヘッドセットを耳にかけた。
俺はコップを片手に、隅の壁にもたれた。
モニタに、いつもの待機画面。
……。
いつぞや、紗雪のソロ配信をアキラさんが、後ろから見ていた朝を思い出した。
あの時、俺は気づいていなかった。
アキラさんが、こちらに軽く片手を上げた。
マウスのカーソルが、配信スタートのボタンに合わさる。
カチッと、軽い音。
『よっ、和太郎だ。今夜もよろしく頼むぜ』
画面の中で、鎧の騎士が走り出している。
『鎧、すぐ脱げるんだよなぁ、これ』
アキラさんが、コントローラーを握り直して、背を丸めた。
ヘッドセットの向こうの、楽しそうな声。
画面で、騎士が槍に貫かれ骨になる。
ゲームオーバーの効果音と、アキラさんのマウス操作が同時。
配信ソフトの演出表示が、画面の上にぱっと差し込まれる。
『はい、ファースト・ミスーっと』
切り替えも、コメントの拾いも迷いがない。
いつもと、同じ。
俺はしばらく、その光景を見ていた。
アキラさんが、ステージに戻ったキャラをまた走らせる。
『よっしゃ、突破! みんな、ちゃんと観てるか?』
観てる。
俺は、心の中で答えた。
コップを両手で持ち直した。
◇ ◇ ◇
画面の中で、鎧の騎士がジャンプして、槍を投げていた。
和太郎が、いつもの調子で実況している。
『なぁ、このゲームな、鎧、すぐ脱げるんだよなぁ』
『俺が子供の頃からずっとパンツなんだ。成長しねぇんだよなぁ、この騎士』
リスナーの「www」が画面を流れる。
和太郎は、慎重なステージを抜けて、橋の上に出ていた。
その時
コメント欄に、見慣れない名前が流れた。
『パルサー@れとろ民:初見です。このゲーム懐かしいですね』
ガタンッ。
……!?
アキラさんが、椅子から、立ち上がりかけていた。
目を見開いて、画面を見ていた。
信じられないものでも、見るような顔。
同時に画面で、鎧の騎士が、何かに被弾した。
鎧が、弾け飛んで、パンツ一丁になった。
和太郎の声が、一瞬、消えていた。
『あ、——ちょ、ちょっと待った。ボタン押し間違えたわ』
和太郎が、笑い始めた。
『あ、いやな、これな、パンツになるのが宿命なんだ。しょうがねぇんだよ』
『次行くぞ、次次次』
いつもより、ほんの少しだけ、早口だった。
リスナーの画面に、「www」「またパンツw」「鎧くん成長しないなー」が、流れていく。
……。
(……何が、あった?)
画面と、アキラさんの背中と、それから、和太郎の声と、
全部、見ていた。
◇ ◇ ◇
配信は、続いていた。
和太郎が、鎧の騎士をジャンプさせて、橋を渡り終えていた。
リスナーが、また「www」を流している。
俺は、視線を、画面に戻した。
……?
コメント欄の名前に、「パルサー」と表示されていた。
さっきの「@れとろ民」が消えていた。
いつ消えたのか、分からなかった。
『よし、次のステージだ』
和太郎の声が、続いていた。
いつも通りの、饒舌。
でも。
……。
◇ ◇ ◇
配信終了の挨拶が聞こえた。
『今日もありがとうな。また次回』
ボイチェン越しの声が、消える。
アキラさんが、ヘッドセットを外した。
……。
アキラさんが、デスクに座ったまま画面を見つめている。
画面に映っているのは、配信のコメントログ。
その中の「パルサー」だけが、表示の中に残っていた。
マウスホイール上の指が、止まっている。
動いていない。
「アキラさん」
声をかけた。
アキラさんの肩が、ふっと跳ねた。
「あ、——昴さん」
画面から、ぱっと視線を逸らした。
「お疲れさまでした」
「うん、お疲れさまー」
アキラさんが、椅子から立ち上がって笑った。
いつもの笑顔。
「……あの」
「うん?」
「なんか、いつもと違いました?」
言ってから、自分でも何を聞きたかったのか、分からなくなった。
「えー、別に、何もないよー?」
アキラさんが、首を軽く傾げた。
「ぜんぜん、大丈夫ー」
アキラさんが、ふっと笑った。
「ちょっと、シャワー浴びてくるねー。お疲れさま」
「お疲れさまでした」
アキラさんが、配信部屋を出ていった。
脱衣所の方で、扉が閉まる音がした。
俺は、隅に置いた、自分のコップを見た。
半分、麦茶が残っている。
画面の「パルサー」も、まだ表示されたまま。
俺は、扉をそっと閉じた。
仕事部屋に戻った。
窓の外で、夜の音が、薄く流れていた。
(……)
俺は、コップに麦茶を注ぎ足した。