3D彼女♂とレトロ彼氏♀ ~男女あべこべVTuber、中の人ごと好きになる~   作:式守 芽衣

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第11話 焔の残り火

 翌朝。

 

 台所で、シンクの前に立っていた。

 昨日のコップが、二つ伏せて並んでいる。

 

 俺は、フィルターにコーヒーの粉を入れた。

 ヤカンが、ふつふつと立ち始めている。

 

「——おはよー!」

 

 廊下からアキラさんの声が、いつもより半拍だけ早く届いた。

 

 昨夜の、信じられないものでも見るような、あの目が、ふっと、よぎった。

 

「……おはようございます」

 

 Tシャツに短パン姿のアキラさんが、髪をくしゃっと束ね直しながら、台所に入ってきた。

 

「コーヒー、いま淹れる?」

 

「あ、はい。もうすぐ」

 

「私、トースト焼くねー」

 

 アキラさんが、冷蔵庫からマーガリンを出した。

 動きがいつもより、少しだけ滑らかだった。

 

「今日いい天気だねー」

 

 昨日の顔が、嘘のようだった。

 

「……ですね」

 

 マグカップを二つ並べた。

 俺のと、アキラさんのと。

 

 窓の外で、雀の声がふっと一回鳴いた。

 俺は、ドリッパーにゆっくりお湯を注いでいった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 翌日の夜。和太郎(わたろう)さんの配信日だった。

 アキラさんが、ヘッドセットを片手に「そろそろー」と配信部屋へ入っていった。

 

 俺は、リビングのソファに腰を下ろした。

 タブレットを開いて、和太郎さんの配信ページにアクセスする。

 

 ……。

 

 前回は、隣で観ていた配信。

 今日は、リビングで聴く側。

 

 配信開始の音が流れる。

 

『よっ、和太郎だ。今夜もよろしく頼むぜ』

 

 画面の中で、赤毛の冒険者が走り出している。

 馴染みのゲーム。

 馴染みのリスナー。

 

 ステージを一つクリアしたところで、コメント欄に、あの名前が流れた。

 

『パルサー:子供の頃、父親と一緒にやってました。

 和太郎さんの実況聞いてると、当時の感じ思い出します』

 

 半拍、和太郎の声が、消えた。

 

『——あー、いいよなぁ、それ。親子でゲームってさ』

 

 戻ってきた声が、ほんの少しだけ、早かった。

 

「ですよねー」「うちは親の理解が無かったな~」

 

 リスナーの相槌が、流れていく。

 タブレットの中で、和太郎が次のステージへ進んでいた。

 

 俺は、麦茶のコップを、置き直した。

 

◇ ◇ ◇

 

 平日の昼だった。

 

 俺は、ヘッドセットをかぶってVR空間に立っていた。

 今日のワールドは、夏のビーチ。

 

 遠くにパームツリーと、薄青い山が霞んでいる。

 水面が、きらきらと光っていた。

 

 紗雪のアバターは、水着衣装に着替えてある。

 膝下まで、水に浸かっていた。

 

「お、紗雪ちゃーん! 可愛い水着じゃーん!」

 

 その声で、振り返った。

 ちとせさんが、いた。

 

 水面に、大きな丸い皿が、ぷかぷかと浮かんでいた。

 その上に、マグロ、サーモン、エビ、ホタテ、いかが、隙間なく盛られている。

 

 皿の中央に、シュノーケルとダイビングマスクが刺さっていた。

 皿の下から、細い足が、四本生えている。

 

「……ちとせさん」

 

「ん?」

 

「それ、何のアバターですか」

 

「シュノーケル付き刺身盛りよー。夏でしょー」

 

「夏、関係ありますか?」

 

「あるよー、海だしー」

 

 ちとせさんの皿が、水面で、ゆらゆらと揺れている。

 

「最近、子供がさー、保育園で板前ごっこやってるんだってー」

 

「……板前ごっこ、ですか」

 

「卵焼き配る係らしいよー、なんか大将って呼ばれてるんだってー」

 

「……大将」

 

「気づいたらやってたんだって。私、板前なんて絶対教えてないんだけどー」

 

 刺身の皿が、ふっと震えた。

 

「で、紗雪ちゃんはー、最近どう?」

 

「……特には、まあ」

 

「ふーん」

 

 波が、ふっと足元を撫でていった。

 

「……あ、そうだ、ちとせさん」

 

「ん?」

 

「ちょっと聞いていいですか」

 

「うん、なになにー」

 

「……友人、うん、友人の隠し事とか、秘密とか、どう思います?」

 

「あー、隠し事ねぇ……私も友達どころか旦那にも言えないこと、いっぱいあるよ〜」

 

「……そうなんですか」

 

「夜中に冷蔵庫のプリン食べたりさー、毎月のVRアバター課金額とかさー」

 

 刺身の皿が、ぐるりと一回転した。

 

「でも浮気はないよ、それだけはダメダメ」

 

 俺は、コントローラーを軽く握り直した。

 

「あれは絶対ダメ。私もダメだし、相手にもさせないから」

 

「……ですね」

 

「で、なになに、何の話?」

 

「……知り合いに、なんか秘密ありそうな人がいて。どうしたらいいのかなって」

 

「ふーん」

 

 皿の中央のシュノーケルが、こっちを向いた。

 

「誰とは聞かないけどさー」

 

「……」

 

「聞いてほしそうなら、聞いてみたら〜?」

 

「……」

 

「相手が話したそうにしてるなら、聞くのも優しさだよー」

 

「……そうですね」

 

 VRの中で、波の音が、薄く流れていた。

 遠くを、誰かのイルカのアバターが、跳ねていった。

 

「で、その相手ってさー」

 

「いやちとせさん、聞かないって言ったじゃないですか」

 

「あはは、そっかー。残念ー」

 

 ちとせさんが、軽く笑った。

 

◇ ◇ ◇

 

 休前日の夜だった。

 

 アキラさんが「よっしゃ、いってくるぜ!」と、配信部屋へ入っていった。

 俺は、ソファに座って、タブレットを開いた。

 

 ……。

 

 配信が、始まる。

 

『よっ、和太郎だ。今夜もよろしくな』

 

 しばらく、ゲームの実況が流れていた。

 

 コメント欄に、あの名前が流れた。

 

『パルサー:このBGM、今聴いてもいいですね』

 

『だろー? これさ、サントラ持ってんだよ俺。ボロボロのカセットでさ』

 

「www」「カセットの時代」「いいなー」

 

 声は、いつも通りだった。

 いや。

 いつも通り、よりも、少しだけ軽かった。

 

 肩の上に乗っていた何かが、抜けたような動き方だった。

 

 俺は、タブレットの音声から、何かが抜けたのを聴き取った。

 

 ……。

 

 画面の中で、赤毛の冒険者が、また走り出している。

 

◇ ◇ ◇

 

 配信終了の挨拶が、聞こえた。

 

 しばらくして、配信部屋からアキラさんが出てきた。

 ヘッドセットを首にかけたまま、肩を回している。

 

「お疲れさまー」

 

「お疲れさまでした」

 

 アキラさんが、冷蔵庫を開けた。

 ガラスの瓶がぶつかる軽い音。

 

「紗雪ちゃんは今日配信なし?」

 

「ええ」

 

「じゃ、飲もっか〜」

 

「はい」

 

◇ ◇ ◇

 

 ローテーブルの上に、チューハイの缶が二本、並んだ。

 レモンの方をアキラさんが、グレープフルーツの方を俺が取った。

 

 軽くカチンと合わせて、一口飲む。

 

「いやー、休みの前の晩酌は最高だわー」

 

「ですね」

 

 アキラさんが、ソファの背に頭を預けた。

 

「明日、何かする予定ある?」

 

「特には。アキラさんは?」

 

「私もー。じゃ、適当にだらだらするねー」

 

 他愛のない掛け合いが、ふっと、一拍空いた。

 

 俺は缶を、一度テーブルに置いた。

 

 アキラさんの目を、見た。

 

「……アキラさん」

 

「ん?」

 

「ここのところ、気になってたんですが」

 

「うん?」

 

 一拍。

 

「……和太郎さんの配信、パルサーってリスナーが」

 

 アキラさんが、缶を持ち上げかけた手を、止めた。

 

「あー……」

 

 缶を一口含んでから、テーブルに置いた。

 

「……うん。聞かれたら、答えるつもりだった」

 

◇ ◇ ◇

 

 アキラさんが、ソファに座り直した。

 

 窓の外で、夜の音が薄く流れていた。

 

(ほむら)れとろ、ってVTuberが前いてね」

 

 ……。

 

 アキラさんの指が、缶のラベルの端を爪でめくっていた。

 

「炎とレトロゲーハードをイメージした衣装と髪でね、元気系の女の子で」

 

 爪先が、ほんの少し進んだ。

 

「そのファンネームが『れとろ民』」

 

(……あの、コメント。)

 

 俺は、缶の表面の冷たさが、急に手のひらに戻ってきた気がした。

 

 アキラさんの指が、止まった。

 目がふっと、上にあがった。

 

「和太郎の前に、やってたの。私が」

 

 目の前のアキラさんの顔に、和太郎以外の知らない誰かが、薄く重なった気がした。

 

 ……。

 

 壁の時計の音が、聞こえていた。

 

 俺は、缶を持ったまま、息を浅く吐いた。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 壁の時計が、また、薄く鳴った。

 

 アキラさんの指が、缶のラベルの端にまた戻った。

 爪先が薄いラベルを、少しずつめくっていく。

 めくれた紙の端が、手のひらの熱で薄く湿っていた。

 

「……ちょっと長くなるんだけどさ」

 

 アキラさんが、ふっと肩の力を抜いた。

 ソファの背に、頭を半分預ける。

 

「最初はね、普通に、レトロゲー配信から始めたの」

 

 ラベルの端が、少しめくれて、缶の側面に立った。

 

「動機は、今の和太郎(わたろう)と一緒。レトロゲー、もっと色んな人に知ってもらいたかったの」

 

 俺は、缶を持ったまま、頷いた。

 頷いたつもりだったが、首の角度がたぶん、足りていなかった。

 

「おじいちゃんの影響ってのは、もう言ったよね。すっかりハマっててさ」

 

 アキラさんの目が、少し遠くを見た。

 

「あの、カートリッジ抜き差しする感じとか好きでさ」

 

「あとサターンのね、電源入れた時の、あの独特な起動音、知ってる?」

 

「……動画サイトで聴いたことはありますね」

 

「あれ聴いただけで、これから何時間も遊べるぞーって、ワクワクしてたんだよねー、子供の頃」

 

 ふっと、笑った。

 

「で、配信始めて、ちょっとずつでもファンが増えていって」

 

「『懐かしい』とか、『初めて見た、面白そう』とか、コメントもらうとすっごい嬉しくてさ」

 

「あ、伝わってる……って」

 

 缶を、一口。

 

「あ、それでね」

 

 視線がふっと、こっちに動いた。

 

「あのリスナーの人、パルサーさん」

 

「あの人ね、その頃から見てくれてた人で」

 

 一拍。

 

「すっごい、熱心なレトロゲー好きの人だったの」

 

「コメントもさ、めっちゃ細かくてさ」

 

「『このBGM、海外版だとアレンジ違うんですよね』とか」

 

「『この敵の出現パターン、後期ロムだと変わってます』とか」

 

 アキラさんが、ふっと笑った。

 今度の笑い方は、少し温かかった。

 

「ほんと好きなんだなー、この人、って思ってた」

 

 俺は、缶の表面を、指先で撫でた。

 

 (……やっぱり)

 

 冷たさが、さっきより薄かった。

 手のひらの熱が、缶に移っていた。

 

「でさ、もっと数字があれば、もっと多くの人にこれの良さを知ってもらえる、って」

 

「そう、思ってさ」

 

 一拍。

 

「ここが、間違いの始まりだったんだけどね」

 

「あ、数字を追うこと自体が、悪いわけじゃないからね」

 

「目的のためにちゃんと使えれば、必要なこと」

 

「ただ、私の場合は、追い方がおかしくなってただけ」

 

 しばらくの沈黙。

 冷蔵庫が、薄く唸る音を立てた。

 

「あ、ちなみにね」

 

 アキラさんが、ふっと、こっちを見た。

 

「当時のチャンネル、もうぜんぶ消してあるからね」

 

「サムネとか、私名義の素材とか、ぜんぶ消したの」

 

「探そうと思っても、たぶん出てこないと思う」

 

◇ ◇ ◇

 

「で、数字の話なんだけど」

 

「最新ゲームのコラボに出たり、流行り物追いかけたり、ほんと色々やったの」

 

 アキラさんの爪が、ラベルをまた進めた。

 めくれた紙が、半分くらい剥がれていた。

 

「新作の派手なホラゲーとか、流行ってるバトロワとか」

 

「相手のVTuberさんと、自分のチャンネルの色って合ってないなー、とか」

 

「薄々、わかってたんだけど」

 

 もう一口、缶を傾けた。

 

「再生数の伸びる方に、ぐーって、流れていって」

 

「気づいたら、最新タイトルの実況の方が再生回数で上に来てて」

 

「あれ? 私、何やってたんだっけ? ってなった時には、結構深く入ってた」

 

 しばらく、沈黙が流れた。

 アキラさんの指が、ラベルの上で、止まっている。

 

◇ ◇ ◇

 

「で、まあ」

 

 アキラさんの指が、ラベルから、ふっと離れた。

 空中で、少し止まった。

 

「色々やってるうちにね」

 

「数字の伸び方を……なんていうのかな、優先する感じになってきて」

 

「流行りの最新ゲームばっかり、追いかけるようになって」

 

「お色気系にも、手を出してね」

 

「……ASMRとかも出したなー」

 

「……」

 

 窓の外で、何かの車が、遠くを通り過ぎる音がした。

 

「いやー、今思うと、ほんと、ね……」

 

 ふっ、と、笑った。

 その笑い方が、今までより少しだけ低かった。

 

「自分で、何やってんだろなー? って思いながら、止められなかったんだよね。当時は」

 

 アキラさんの指がラベルの上で、また止まった。

 

 壁の時計が、また、鳴った。

 

◇ ◇ ◇

 

(すばる)さんは、ASMRって知ってる?」

 

 アキラさんの目が、こっちを見た。

 

「……名前を聞いたことくらいは、ありますけど」

 

「実際は、わからないです」

 

「あ、そっかー」

 

 アキラさんが、缶をテーブルに置いた。

 コトン、と軽い音がした。

 

「ええっとね、ダミーヘッドのマイクとか使ってさ」

 

 両手で、何かの形を空中に描いている。

 頭くらいの大きさのものを、両手で挟むような格好だった。

 

「マイクの右と左で、別々に音を録れるやつ」

 

「人間の頭と、同じ位置にマイクが付いててさ」

 

「だから、囁くと、聴いてる人の耳の真横で囁いてるみたいに聞こえるの」

 

「……」

 

「ほら、こうやって——」

 

 アキラさんの顔が、すっと近づいてきた。

 

 俺は、息を止めた。

 

「マイクの、すぐ側で——」

 

 俺の耳の、すぐそばで声がふっと、低くなった。

 

「『おやすみなさい』とか、囁くわけ」

 

 囁き声が、息が耳にかかった。

 

 肩が、びくっと跳ねた。

 心臓がひとつ、強くハネた。

 

 時計の音が、聞こえなくなっていた。

 

◇ ◇ ◇

 

 アキラさんが、ふっと身を引いた。

 

「——みたいな、ね」

 

 缶を取って、一口。

 

「いやー、実際やってみると大変でさ」

 

 もう一口。

 

「私の頃は、マイクも安いやつだったし、防音もちゃんとしてなくて、ノイズとか拾っちゃってさ」

 

「クオリティも、微妙だったし」

 

「ファンの人が、優しさで頑張って褒めてくれてた感じ」

 

 ふっと、笑った。

 

「本気でやってる人たちは、ほんとすごいよ」

 

「機材も環境も、技術もぜんぶ別格でね」

 

「あの、息の質感とか間の取り方とか、ちゃんと届くの」

 

「聴いてると、ゾクゾクくるもん」

 

 俺は、缶を持ったまま、まだ息ができていなかった。

 

 (……充分、ゾクゾクしました)

 

「あー、まあでも」

 

 アキラさんが、缶のラベルを、また指で撫でた。

 めくれた紙がもう、ほとんど缶の側面で立っていた。

 

「ASMRに限らずさ、お色気路線とか、流行りのゲームとかもさ」

 

「結局、私の向き合い方が全部、中途半端だったんだよね」

 

「数字ばっかり見てて」

 

「……」

 

 ふっと、目線が、窓の外に流れた。

 

「……」

 

 戻ってきた声は、もう普通だった。

 

「あー、なんか、暑くなったね」

 

◇ ◇ ◇

 

 アキラさんが、缶を空にして、テーブルに置いた。

 めくれかけたラベルが、テーブルの天板に薄く触れていた。

 

「お酒もおつまみも切れちゃった。もうちょっと飲みたいかも。ね、コンビニ行かない?」

 

「……いいですよ、行きましょうか」

 

 俺は、缶を持ったまま立ち上がった。

 

 手のひらの中で、缶の中身が半分くらい、ちゃぷんと揺れた。

 

 台所のシンクに、缶を置いた。

 中で残った中身が、薄く底に動く音がした。

 

 サンダルに、足を入れる。

 

 アキラさんが、玄関の鍵に、手をかけた。

 

「あ、エコバッグ、いる?」

 

 肩越しに、こっちを振り返る。

 

「あ、いっか、コンビニの袋で」

 

 ひとりで、笑った。

 

「歩きながら、もうちょっと、続き話してもいい?」

 

 軽い音を立てて、ドアが開いた。

 

 夜の空気が、急に肌に当たった。

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