3D彼女♂とレトロ彼氏♀ ~男女あべこべVTuber、中の人ごと好きになる~   作:式守 芽衣

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第12話 映しあってた

 マンションを出ると、夜の風が髪に触れた。

 

 五月の夜は、少しだけぬるい。

 

 アキラさんが、サンダルの先で軽くアスファルトを蹴った。

 こつっと、薄い音がした。

 

「あー、外、気持ちいいー」

 

 俺は、二歩遅れて隣に並んだ。

 

 耳の奥で、まだ薄く息の感触が残っていた。

 自分の心臓の音が、まだ少しだけ不規則だった。

 

「コンビニ、いつものとこでいい?」

 

「そうですね」

 

 夜の道に、二人の足音が薄く重なった。

 

 道の脇で、誰かの家の窓に、テレビの薄い光が見えていた。

 

 アキラさんの歩幅が、いつもよりほんの少しだけゆっくりだった。

 

「あのね」

 

 アキラさんが、視線を前に向けたまま口を開いた。

 

「パルサーさんのことなんだけど」

 

 一拍。

 

 声が、ほんの少しだけ低かった。

 

 しばらく、二人の足音だけが流れていた。

 

「あの人ね、最初はほんと、熱心だったんだよ」

 

「私が色々やるようになって、少しずつコメントが変わってきてね」

 

「ASMRとか手を出した辺りから、アンチコメントとかセクハラコメントも、増えてきて」

 

 俺の指が、ふっとこわばった。

 

 胸の奥で、何かが熱くなった気がした。

 

 ……。

 

 言葉が、すぐには出てこなかった。

 

 コンビニの明かりが、すぐそこに見えていた。

 

◇ ◇ ◇

 

 コンビニの自動ドアが、ピンポンと軽い音で開いた。

 白い照明が、目にふっと差した。

 

 冷蔵棚の前で、アキラさんが缶を二本、手に取った。

 レモンと、グレープフルーツ。

 

「いつもの! 何本か買っとこ」

 

「追加しておきましょうか」

 

 もう二本、棚から手に取った。

 

 お菓子の棚で、アキラさんがナッツとチップスを両手に持って、見比べていた。

 

「ナッツとチップス、どっち?」

 

「……どっちでも」

 

「じゃ、両方」

 

 ふっと笑った。

 

 レジで、ピッと軽い音がした。

 

 コンビニの袋を、俺が受け取った。

 ずっしりと重みが手に来た。

 

◇ ◇ ◇

 

 夜の道を、また二人で歩いた。

 コンビニ袋が、カサカサと薄く鳴った。

 

 空には、半分くらいの月が薄く浮かんでいた。

 

 しばらく、二人の足音だけが流れた。

 

「……」

 

「セクハラは、許せないですけど」

 

 一拍。

 

「あの人が、本当にレトロゲー好きだったのは、なんとなく伝わってきます」

 

 アキラさんの足が、ふっと遅くなった。

 俺の足も、自然に遅くなった。

 

「……うん」

 

 一拍。

 

「そう、だからこそ、裏切られたって、感じたんだろうなって」

 

 一拍。

 

 アキラさんが、ふっと息を吐いた。

 

「変わったのは、リスナーじゃなくて私だった」

 

 また、二人の足音だけが流れた。

 

「数字追って、自分の軸見失って、色々やりすぎて」

 

「どんどん疲弊してね」

 

「ある日ね、仕事で、結構大きなミスしちゃって」

 

「……」

 

 信号が赤になった。

 二人で、立ち止まった。

 

「もう、駄目だなって思って」

 

「焔れとろは、引退したんだ」

 

 信号が青に変わった。

 しばらく、歩く音だけが流れた。

 

「でね、半年くらい何もせず、休んでたの」

 

「でもやっぱり、レトロゲーを広めたいって思いは、変わらなくてさ」

 

「今度は無理のない範囲で、本当に好きなことだけ、少しずつやろうかなって」

 

 アキラさんの声が、少しだけ温かくなった。

 

「同じ声でバレてもなんだし、性別ごと変えちゃって」

 

「で、和太郎。いわゆる、転生ってやつね」

 

 VTuberが、別のキャラで再デビューすること。俗に「転生」と呼ばれている。

 

「声の方は聞いての通り、びっくりするくらい上手く出ちゃってさ」

 

 一拍。

 

「おじいちゃんの、おかげかも」

 

 ふっと笑った。

 

「いやー、『転生したら、昭和のおじさんだった』みたいな、ね」

 

 軽く、笑った。

 

 俺は、しばらく考えた。

 

「……つまり」

 

「焔れとろさんが、本来の動機を取り戻して、和太郎さんに転生した」

 

「ってことは」

 

「和太郎さんの中には、本当のれとろさんも、ちゃんと生きてるんですね」

 

 アキラさんが、ふっと、こっちを向いた。

 

 目が、ふっと揺れた。

 

「……」

 

「……うん」

 

「……うん、そうだね」

 

 声が、少しだけかすれていた。

 

「……ありがと」

 

 二人の足音だけが、しばらく流れた。

 

「あ、そういえばさ」

 

「紗雪ちゃんって、前世はある?」

 

「……いえ」

 

「紗雪が、初めてですね」

 

「そっかー」

 

 一拍。

 

「じゃあ、大事にしなね」

 

「私、紗雪ちゃんのこと、大好きだから」

 

 俺の足が、少しだけ乱れた。

 

「……はい」

 

 また、少し歩いた。

 アスファルトを踏む音が、二つ重なっていた。

 

「アンチコメも、たぶん」

 

「根っこにあったのは、レトロゲー愛だったんだよね」

 

「……」

 

「私が本来やりたいこと出来てる自分に戻ったら」

 

「あの人も、本来の純粋なファンとして戻ってきた」

 

「戻ってきたっていうのも変かな? 姿も声も違ってて、中身が同じだって気付かれてもいないのに」

 

 一拍。

 

「……きっとお互い、映し合ってたんでしょうね」

 

 アキラさんの足が止まった。

 俺も、自然に止まった。

 

 街灯の下で、二人の影が薄く伸びていた。

 

 夜の音が、ふっと聞こえてきた。

 遠くの車の音、葉ずれの音。

 

 アキラさんが、空を見上げた。

 

 笑わなかった。

 

 少し経って、また歩き出した。

 

 俺も、半歩遅れてついていった。

 

 マンションのエントランスが、見えてきた。

 

◇ ◇ ◇

 

 玄関のドアが、軽い音で開いた。

 コンビニ袋を、ローテーブルに置く。

 ガサっ、と、ビニールが薄く鳴った。

 

「ふー、話しちゃったね」

 

 アキラさんが、両手を上に伸ばした。

 Tシャツの裾が、少しめくれた。

 

「アキラさん」

 

「ん?」

 

「……話してくれて、ありがとうございます」

 

「……!」

 

 アキラさんが、ふっと顔をそむけた。

 

「ちょっと洗面所行ってくる〜」

 

 声が、少しだけ震えていた。

 

 アキラさんが、廊下の方へふらりと消えた。

 

 ——廊下のドアの、向こうから。

 

 グスッ、と小さな音が聞こえた。

 

 俺はコンビニ袋から二本だけ残して、缶をひとつずつ、冷蔵庫に入れていった。

 アルミの冷たさが、指先にしみた。

 

 しばらく、台所に立っていた。

 

 冷蔵庫の唸る音だけが、薄く続いていた。

 手のひらは、まだ缶の冷たさを覚えていた。

 

 水を流す音が聞こえた。

 しばらくして、また止まる。

 

 しん、とした。

 

 廊下のドアが、開く音。

 

「お待たせ」

 

 アキラさんが戻ってきた。

 髪を軽く、整え直していた。

 

 目が、少し赤かった。

 

 俺は、何も言わなかった。

 

「じゃ、飲み直そっか」

 

 声はもう、いつも通りだった。

 

◇ ◇ ◇

 

 俺たちは、ソファに戻った。

 ローテーブルの上に、コンビニ袋から缶を二本、取り出す。

 

 レモンの方を、アキラさんに渡した。

 俺は、グレープフルーツの方を開けた。

 

 プシュッと軽い音がした。

 

 カチン。

 

 軽く、合わせた。

 

 一口飲むと、冷たい炭酸が舌の奥ではじけた。

 

 アキラさんが、ふっと息を吐いた。

 

「聞いてくれて、ありがと」

 

 短い言葉だった。それだけだったのに、なんだか元気をもらえた気がした。

 

「あ、そういえばさ」

 

 アキラさんが、缶をふっと傾けた。

 

「次は、紗雪ちゃん始めた理由、もっと詳しく聞かせてもらおうかなー」

 

「……和太郎さんがきっかけ、でした」

 

「それは前聞いた。それ以外も、絶対あるでしょー?」

 

「……機会があれば」

 

「えー、絶対だよー」

 

 ふっと笑った。

 

 アキラさんの柔らかい笑顔に、ほんの少し元気が戻っている気がした。

 

 お互いに何か、心の余裕の様なものが回復した。そんな感触。

 

 壁の時計が、また薄く鳴った。

 

 夜は、まだ続いていた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 数日後の、週末の夜だった。

 

 夕飯のスパゲッティの皿をシンクに置いた。二人分の白い皿に、ミートソースの跡が薄く残っている。

 

 開けたままの窓から、六月の生ぬるい風が流れてくる。

 

「そろそろ配信行ってくるねー」

 

 アキラさんが、リビングを横切った。

 

 Tシャツに短パン、髪をふわっと束ね直しながら配信部屋の方へ歩いていく。

 

「今日、楽しみだなー」

 

「コラボですもんね」

 

 アキラさんが、ふっと立ち止まった。

 

「コラボもなんだけどさ。パルサーさん、来てくれるかなー、って」

 

「ちょっと、緊張しちゃって」

 

「……大丈夫ですよ、きっと」

 

「そっか。うん、ありがと」

 

 笑って、配信部屋のドアが軽く閉まった。

 

 俺はリビングのソファに腰を下ろした。タブレットを開く。

 

 缶の炭酸水をローテーブルに置いて、プルタブを引いた。プシュ、と小さく鳴る。

 

 配信が始まった。

 

◇ ◇ ◇

 

『よっ、和太郎(わたろう)だ。今夜はレトロゲーチャレンジ、前回のレオに続いて——スパイ系VTuber、シルヴィ・ノワールさんが来てくれてるぞー』

 

 画面の左半分に、銀髪の女性アバターが現れた。

 

 黒を基調にした潜入スーツが身体の線にぴったり張り付いている。

 

 腰にそれらしい武装、手の甲に薄い手袋の刻印。軽くお辞儀をした。

 

『どうも、シルヴィ・ノワールです。よろしくお願いしまーす』

 

 声はクールビューティ系。ただ語尾がほんの少しだけ柔らかい。

 

 コメント欄が流れていく。

 

「銀髪きれい」「和太郎と絵面違いすぎw」「待ってた」「銀×黒映えるわ」

 

『いやー、スパイキャラだからな。潜入とか得意そうだろ? 期待してんぞー』

 

『えっ、ハードル上がってるじゃないですか! 設定と腕前は別なんですけど……』

 

『はっはっは。あらためて、今日のゲームは、これだ!』

 

 画面にレトロなタイトルロゴが浮かび上がった。

 潜入アクションの古典——スパイが敵の基地に侵入して、巨大兵器を破壊するやつ。

 

『あ、これ!』

 

『お前さんの設定にぴったりだろ? スパイには潜入アクション』

 

『えー、嬉しいー! でもこれ初めてなんだよね』

 

『そうなのか。じゃ軽く解説するな』

 

 和太郎さんが、ゲームの基本を簡単に語った。

 

 主人公がスパイで、敵に見つからず進むのが基本。

 見つかったらあの独特の警報音が鳴り、一気に不利になる——というシステム。

 

『へぇー、見つかると音鳴るんだ。面白い』

 

 ファミコンのドット絵が画面に立ち上がった。主人公が、潜入施設の入り口に立っている。

 

『よし、行ってみっか!』

 

 ノワールがコントローラーを握り直す音がマイク越しに聞こえた。

 

 数分後。

 

 ピロリッ。

 

 画面の中で、敵の頭上に見覚えのある記号が浮かんだ。

 

『あ、見つかった』

 

『あ、また見つかった』

 

『えっ、なんで……敵の視界範囲、意味不明なんだけど……』

 

『おい見つかりすぎだろ潜入できてねぇぞ!』

 

 和太郎さんの声に笑いが混じった。

 

『もっと壁沿いに進め! あと敵の動きのパターン覚えるんだ』

 

『えー、難しいよー。勘じゃダメ?』

 

『勘でいけるゲームじゃねぇんだよ!』

 

「www」「素出てるw」「ノワールさんかわいい」「勘プレイw」「!マーク量産」

 

『うぇーん! また! なにこの敵、視界360度じゃないの?』

 

『違う違う。ちゃんと範囲決まってるから。敵の動きのパターン覚えろって』

 

『覚えるの?! ちょっと待ってムリムリわかんないぃ……』

 

「シルヴィおもしろすぎ」「設定崩壊」「スパイ失格w」

 

 ふと、画面の隅に四角い箱のアイコンが見えた。

 

『あ、それ隠れる装備だ。拾っとけ~』

 

『え、隠れる?』

 

『箱だ、箱。被るんだよ』

 

『……箱? いや、なんでスパイが箱で隠れるの?』

 

『そこは突っ込むなー、これがこのゲームのロマンだから』

 

「箱は紳士のたしなみ」「歴代スパイの礼儀」「異論は認めない」

 

 ノワールの操作キャラが画面の中で箱を被った。四角い箱がふらふらと進んでいる。

 

『ナニコレww 箱が動いてる! 敵から見てどうなの? いけてる?』

 

『いけてるいけてる。ロマンだ、ロマン』

 

『ロマンで片付けるなー!』

 

 俺はふっと口の端を上げた。缶を一口飲んだ。炭酸が舌の奥ではじける。

 

 画面の中でノワールが箱のまま移動して、ようやく敵を一人やり過ごした。

 

『あ、いけた! 箱すごい!』

 

『だろ? だからロマンなんだよ』

 

 コメント欄が「箱の信仰」「入信しましたw」と流れていく。

 

 和太郎さんが、ふっと声のトーンを変えた。

 

『そういえばよ。ノワールの潜入スーツの意匠、いいねぇ。銀と黒の組み合わせが渋いんだよなぁ、この腕のラインとか』

 

『あー、ありがとうございます。デザイナーさんがこだわって作ってくれたんですよ』

 

 ノワールの銀髪が、画面の中で揺れた。長さがアキラさんと同じくらいで——色は違うのに、ふと、重なった。

 

 あの黒い潜入スーツを、アキラさんが着ている姿が。

 

 (……待て待て待て)

 

 炭酸が喉に刺さった。

 

◇ ◇ ◇

 

 配信がしばらく進んだ。

 

 ノワールがようやく一区画クリアした。

 

『やったー!』

 

『おう、やっと潜入っぽくなってきたな』

 

 コメント欄に見覚えのある名前が流れた。

 

「パルサー:このゲーム懐かしい! うちの兄が当時ハマってましたよ」

 

 和太郎さんの声がふっと優しくなった。

 

『お、パルサー! 来てくれてありがとな。相変わらずレトロゲー詳しいなぁ』

 

「パルサー:ノワールさん、頑張ってくださいー!」

 

『ありがとうございますー!』

 

 ノワールが軽く笑った。

 

『常連さんですか?』

 

『最近来てくれてるんだ。いいやつだよ』

 

 和太郎さんの声に余裕があった。普通の温かさだった。

 

◇ ◇ ◇

 

 配信が後半に入った。ノワールが何度かのチャレンジの末にもう一区画進んで、時計を見ると配信開始から二時間ほど経っていた。

 

『よし、今日はこの辺でお開きにすっか』

 

『うんうん。長時間ありがとうございましたー』

 

『じゃあノワール、最後に何か告知があれば言ってくれ~』

 

 ノワールが、一拍置いた。

 

『あ、あります』

 

 声が、いつもより少しだけ低い。

 

『実はこのあと、SNSで重大発表があります』

 

「えっ」「なに」「気になる」「重大発表!?」

 コメントがざわついた。

 

『え、なに何? 俺聞いてないぞ?』

 

 和太郎さんが素で驚いた声を出した。

 

『ふふっ、見ててくださいね』

 

『ちょっと、教えろよー!』

 

『ふふふ、後でね』

 

「www」「ノワール意地悪」「タイムライン張る」「待機」

 

『よし、じゃ今日はここまでだ! みんな来てくれてありがとなー!』

 

『ありがとうございましたー! 楽しかったです!』

 

 配信が終わった。

 

◇ ◇ ◇

 

 タブレットの画面を閉じた。スマホを手に取る。

 

 SNSのアプリを開いて、タイムラインをスクロールした。

 

 ……あった。

 

 ノワールのアカウントから、長文スクショの画像。ほぼ同時刻に、レオからも同じ形式の画像。

 

「……」

 

 俺はソファの上で固まった。

 

 冷蔵庫が低く唸っている。窓の外から、遠い車の音が聞こえていた。

 

◇ ◇ ◇

 

 ぱたぱた、と廊下から足音が聞こえた。

 

「ねー、みたみた?!」

 

 アキラさんがリビングに勢いよく飛び込んできた。

 息が少し上がっていて、頬がうっすら紅い。

 

「私びっくりしてさー、配信のあとちょっと固まってたよ」

 

 ソファの隣にぺたんと座った。肩が軽く触れる。

 

「これね、これ」

 

 俺の手のスマホを覗き込んだ。

 

 二人で長文の画像を目で追った。

 

「『日頃応援いただいている皆様へ』」

 

 アキラさんが読み上げ始めた。

 

「『私事ですが——』」

 

「『諸田原(しょたはら)レオさんと、お付き合いをすることになりました』」

 

 俺が続きを読んだ。

 

「『今後とも、それぞれのVTuber活動は継続して参ります』」

 

「『応援、よろしくお願い申し上げます』」

 

 画像の最後に、両者の名前が並んでいた。

 

「はー」

 

 アキラさんが、ソファの背に頭を預けた。天井を見上げている。

 

「VTuber同士のカップルか〜」

 

「最近、珍しくなくなってきたよね」

 

「確かに。この手の報告、よく見るようになりましたよね」

 

 二人の間に、薄い沈黙が流れた。六月の夜の、湿った空気が動かない。

 

「あ、そういえばさ、ノワールさんって私よりだいぶ先輩なんだよね。けっこう長くやってるって聞いた」

 

 アキラさんが首を傾けた。

 

「……そうなんですか」

 

「うん。すごいよねー、長く続けてる人って」

 

 アキラさんが、ふっと、自分の手を見て、天井を見て、軽く息を吐いた。

 

「今日、このあと紗雪ちゃんの配信あるんだったよね」

 

「……ですね」

 

 俺は立ち上がった。

 

「ちょっと、準備しときます」

 

「うん。私お風呂入ってくるねー。お風呂にスマホ持ちこんでゆっくり見よっと」

 

 アキラさんがぱたぱたと廊下の方へ消えていった。

 

 俺は配信部屋のドアを開けた。

 

 椅子に座って、配信ソフトを開く。今日の配信メモを確認しようとして——手が止まった。

 

 何を話すんだっけ?

 

 いつもなら、ここで迷わない。

 

 雑談のネタ、リスナーへのお礼、今週のこと。全部、頭に入っているはずなのに。

 

 モニターの光が、指先を薄く照らしていた。

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