3D彼女♂とレトロ彼氏♀ ~男女あべこべVTuber、中の人ごと好きになる~ 作:式守 芽衣
「……寝てないです」
「あ、よかったー。今日の
暗闇の中、アキラさんの声が近かった。開けた引き戸の向こうから、こっちを覗いているらしい。
「……まあまあ、ですかね」
「まあまあかー。私はけっこう良かったんだよねー。なんか今日サクサクいけちゃって」
「コメント欄、キレてるって盛り上がってましたよ」
「見てくれてたんだ。えへへ」
虫の声が、窓の外で鳴っていた。暗い天井を見ている。アキラさんの顔は見えない。
「ねえ、
「はい」
「昨日のさ」
心臓が、一つ跳ねた。
「ちょっと乱暴だったかなって。言い方」
「……」
「言ったこと自体は後悔してないんだけどね。ほんとのことだし。でも、振り回しちゃってるよね。ごめんね」
「いえ……」
「だからさ、ちゃんと話すね。ちゃんとっていうか、経緯? どうしてそうなったか、みたいなの」
布団の中で、指が握りこまれていた。
「最初からさ、ちょっといいなとは思ってたんだよね」
「……え」
「紗雪ちゃんと初めて話したとき、声が綺麗だなって。それはほんとにただの印象なんだけど」
アキラさんの声が、暗闇の中をゆっくり流れてくる。
「一緒に住み始めてさ、なんか、昴さんって気づいたら色々やってくれてるじゃん。コーヒーとか、洗い物とか」
「……それは、普通のことですよ」
「うん。でもさ。……あ、これだと都合のいい人みたいだね。違うの。なんだろ、昴さんといると自分のまんまでいられるっていうか。お互い秘密知ってるからってのもあるんだろうけど、それだけじゃなくて」
声が、少しだけ柔らかくなった。
「きっかけはさ、配信してる様子を生で見たとき」
「配信……」
「うん。すごく生き生きしてた。生声オネエとか言っちゃったけど」
(……あの時の)
顔が熱くなった。忘れてほしい。
アキラさんが、ふふっと笑った。暗闇の中で笑い声だけが揺れる。
「
天井を見ていた。目が、暗闇に慣れてきていた。でもアキラさんの顔は見えない。引き戸の向こうにいる。
「でもさ、決め手はあの話だった」
「あの話?」
「れとろの話。昴さんが言ってくれたじゃん。れとろは
あの夜のことだった。アキラさんが焔れとろの全部を話してくれた、あの晩の続き。
「あれ聞いたとき。ああ、この人だって思った」
アキラさんの声が止まった。虫の声だけが残った。
「……だから、昴さんのことも、知りたい」
「……」
「VTuber同士としてはさ、お互い知ってるじゃん。紗雪ちゃんのことも、和太郎のことも。でも、それだけじゃなくて。中の人のことも、全部」
暗闇の中で、アキラさんの声が少しだけ小さくなった。
「……私のことも、知ってほしい。欲張りなんだよ、私」
指先が、布団の端を握っていた。
知りたい。知ってほしい。
その言葉が、暗闇の中で反響していた。
◇ ◇ ◇
「……俺も、少し話していいですか」
「うん」
天井を見たまま、口を開いた。言葉が、ゆっくりしか出てこなかった。
「……ちょっと、行き詰まってた時期があって」
「うん」
「何もかも上手くいかなくて。仕事も、生活も。……それで、なんか、新しいことやりたくて」
アキラさんは、何も言わなかった。ただ聞いていた。
「そのとき、和太郎さんの配信を見つけたんです」
「……え」
「最初はただのリスナーでした。たまたま流れてきて、見てみたら、面白くて。レトロゲーを、すごく楽しそうにやってて」
「……」
「毎回見てました。仕事が終わって、ごはん食べて、和太郎さんの配信見て寝る。それだけで、なんとなく、大丈夫だったんです」
言葉が途切れた。少しだけ、間が空いた。
「そのうち、自分でも同じゲームやってみたりして。和太郎さんがやってたやつ」
「……」
「で、もうちょっと元気になってきたら、自分でも配信やってみたいなって思ったんです。特に何か伝えたいこととか、なかったんですけど」
「それで、美少女?」
「……なんか、ああいう技術がすごいなって思って。ボイチェンとか、トラッキングとか。せっかくやるなら、そういう挑戦してみたかったんです」
「昴さんらしいねぇ」
「まさか和太郎さんも逆だとは思ってなかったですけど」
「あっはっは。お互い様だよねぇ」
天井の暗闇に向かって、声を出した。
「……とにかく、同じステージに立てたら……って思ったんです。和太郎さんに、もらったものを。俺も、誰かに、渡せるんじゃないかって」
隣の部屋から、何も聞こえなかった。
息の音すら、なかった。
「……それで、紗雪を始めました」
長い沈黙だった。虫の声が、遠くで鳴っていた。
「……行き詰まってた、かぁ」
アキラさんが、静かに繰り返した。
「……聞かせてくれて、ありがと。こういう話聞けるの、嬉しい」
少しの間があった。
「……もっと、教えてね。いつか」
俺は天井を見ていた。話したいことが、まだ胸の奥にあった。でも言葉が、そこから先に進まなかった。
窓の外で、風が少しだけ鳴った。
暗闇の中に、アキラさんの呼吸が聞こえていた。
◇ ◇ ◇
アキラさんの配信用ヘッドホンのイヤーパッドがへたってきたので、買い出しに出た。
六月の終わり。曇り空の下、駅前の電気屋に向かう。アキラさんが半歩前を歩いている。
ボーダーのカットソーにデニムのワイドパンツ、白いスニーカー。髪をざっくりひとつに束ねている。
「ねー、ヘッドホンってさ、どれがいいの? 種類多くない?」
「アキラさんの場合、自分の声を聞きながら配信するんで、密閉型のほうが——」
「ん、ちょっと待って。密閉型と開放型で何が違うの?」
「密閉型は音漏れしないんで、マイクに被らないんですよ。開放型は音がいいけど漏れるので」
「へぇー。じゃあ密閉型にしよ」
電気屋のヘッドホンコーナーで、二人で棚を覗き込んだ。アキラさんが試聴用のヘッドホンを手に取って、耳に当てている。
「あ、アキラさん、それだとイヤーパッドの素材が合わないかもしれないです。こっちのほうが——」
「あ、ほんとだ。ありがと」
——アキラさん。
いつからだろう。外でも、名前を呼ぶのに迷わなくなっていた。
店を出て、コンビニに寄った。アキラさんが炭酸水を二本持ってレジに向かう。
「あ、俺の分もですか」
「
ぬるい風が吹いていた。住宅街の道を並んで歩く。コンビニ袋が膝のあたりで揺れていた。
「なんか、夏の匂いしてきたね」
◇ ◇ ◇
数日後。
夜。配信を終えて、それぞれの部屋に引っ込んだ。
お互いの部屋を隔てる引き戸は、もう閉めなくなっていた。ここ数日、夜になると開いている。どちらが開けるでもなく、ただ開いている。
「ねー、昴さん」
「はい」
「今日さー、会社の先輩がお弁当のおかず分けてくれたんだけど、唐揚げにレモンかけてあってさ。私レモン派じゃないのに」
「……大変でしたね」
「大変だった。でも美味しかった。悔しい」
暗闇の中で、アキラさんの笑い声が聞こえた。遠くの車の音と混ざって、天井に消えていく。
「あとさ、なんか最近、会社がちょっとバタバタしてるんだよね」
「何かあったんですか」
「んー、上の人たちが会議室にこもってることが増えてて。別の部署もなんか慌ただしいし。大きい仕事が来そうな雰囲気はあるんだけど、下っ端にはまだ何も降りてこないっていう」
「……そういう時期ってありますよね」
「ねー。まあ降りてきたら降りてきたで忙しくなるんだろうけどさ。今のうちにおはVストック作っとこうかなー」
何でもない話を、毎晩している。配信のこと。会社のこと。夕飯の残りのこと。
話題が尽きても、沈黙が気まずくない。暗闇に二人の呼吸が並んでいるだけで、それでいい夜が続いていた。
「……あの」
「ん?」
「この前の話の、続きなんですけど」
アキラさんが、少しだけ黙った。
「うん」
待っていた、という声だった。でも催促の音ではなかった。
「行き詰まってた時期のこと、もう少しだけ」
「うん。聞かせて」
天井を見たまま、口を開いた。
「……この部屋に越してきたとき、ちょうどどん底でした」
「うん」
「それにしてもさ、一人で2DKって思い切ったよね。何があったの?」
アキラさんが不思議そうに尋ねる。
「……人と一緒に住む予定だったんです。二人で住むつもりで、契約して、敷金も礼金も払って」
「……え、それって」
「でも、いろいろあって。結局、一人で住むことになりました」
言葉が、そこで一度止まった。暗闇の中で、自分の呼吸の音が聞こえた。
「……つまり?」
「……裏切られたんです、当時付き合ってた人に」
長い沈黙だった。
遠くの車の音すら、消えた気がした。
「……むーーーーーーーー」
暗闇の向こうから、低い声が聞こえた。
「……昴さん?」
暗闇の中に、ぼんやりと光が灯った。
引き戸の向こうから、アキラさんがスマホのライトを自分の顔の下から当てていた。不機嫌な目が、白い光に浮かび上がっている。
「ひっ——」
「告ってきた女に元カノの話する? 普通。デリカシーって知ってる!?」
「……って、この部屋のこと聞いたの私か。ごめん、藪蛇つっついた。」
こくこくと頷く。暗闇では伝わったかどうか、わからない。
「でもなぁ……そういう誠実で真面目なところも含めて、好きになっちゃったんだもんなぁ」
『好きになっちゃった』。二度目だった。あの夜と、同じ言葉。でも——重さが、違った。
「……ただ、もし、その、そうなったとして」
声が、自分でも驚くくらい小さかった。
「……ん? 『そうなったとして』? それって、希望あるってこと?」
「いや、あの、そういう意味じゃ——」
「ふふ。続けて?」
「……アキラさんはここで一緒に住むのは、イヤじゃないですか? 過去のこと、なんですが。これを隠しておくのは、それこそ裏切りのような気がして」
「え、気にするわけないじゃん。元カノと住む前に別れたんでしょ?」
アキラさんの声が、少しだけ柔らかくなった。
「……裏切り、ねぇ。昴さんらしいなぁ、そういうとこ」
「でもさあ、隠しといてよかったのにー」
アキラさんが、ふっと息を吐くように笑った。
「……」
「ま、いいか。それにしても物わかりのいい女だよねー私。いい物件じゃない?」
「……物件」
「あっはっは。でもほんとに」
暗闇の中で、アキラさんの声が少しだけ明るくなった。
「私としてはここで昴さんと住みたい。それでいいの」
「……あ、ついでに告白の返事もそのうちよろしくね。ついでに」
指先が、布団の端を握っていた。
返事は、まだ出なかった。でも、胸の奥で何かが、少しだけ動いた気がした。
窓の外で、風が鳴っていた。
暗闇の中に、いつもの夜が流れていた。