3D彼女♂とレトロ彼氏♀ ~男女あべこべVTuber、中の人ごと好きになる~ 作:式守 芽衣
「
配信3時間前だった。レトロゲーナイトのゲストが急病で欠席。穴が空いた。
「えっ、今日!?」
「うん。何やるかも決まってないんだけど、とりあえず来てくれると助かる」
アキラさんが配信部屋のドアの前で手を合わせている。断る理由はなかった。
「……わかりました」
「やったー! あ、ちなみに今回は対戦格闘ゲームね。あの、金髪の軍人とか手足が伸びるインド人が出てくるやつ」
「……あれですか」
「あれ。いいでしょ、盛り上がるし」
◇ ◇ ◇
『レトロゲーナイト、対戦スペシャル! 今日はゲスト欠席のため、急遽紗雪ちゃんに来てもらったぞ。よろしくな!』
『ピンチヒッターの、夜空紗雪だよぉ~。今日は、よろしくお願いしまぁす!』
配信が始まった。
『……え、タメ口?』
(……聞いてない)
『おう。遠慮してたら面白くないだろ? ガチでかかってこい』
コメント欄が流れた。『タメ口紗雪ちゃん新鮮~』『ぎこちないのかわいい』。
対戦が始まった。
『和太郎さん、それはちょっと……あ、えっと、ちょっとずるくない?』
『はっはっは! いいぞ、その調子だ。あと呼びタメでいいからな!』
一戦目。負けた。
『……もう一回』
『いいぜ。何度でもかかってこい』
二戦目。また負けた。三戦目の途中で、和太郎さんが飛び道具を連射し始めた。
『んがーっ! 飛び道具連打すんなぁ!』
声が、自分でも思ったより低く出た。
『おぉ、こりゃたまんねえなあ! 新しい扉開きそうだ! 紗雪ちゃん、もっとだ! むしろ罵ってくれ!』
『うわあ、ドン引き~』
コメント欄が爆笑していた。『和太郎キモいわw』『紗雪ちゃんの新しい一面』。
四戦目。和太郎さんが金髪の軍人で待ち始めた。しゃがんで、こっちが来るのを待っている。
『おらぁ、うだうだしてんじゃねえ! さっさとかかってこいやぁ!』
画面の中で金髪の軍人がしゃがんだまま動かない。露骨な挑発。
『ミエミエの誘いしてんじゃないのよーっ!』
飛び込んだ。対空技で落とされた。仕方なく距離をとってガードを固める。先に動いたほうの負けだ。
『いつまで守りに入ってんだよ! ガードばっか固めやがって!』
『そっちこそずっと待ってるだけじゃん! 全部こっちに来させる気でしょ!』
五戦目。手足が伸びるインド人で間合いをとる。遠距離からちくちく刺していく。
『逃げんな! 正面から向き合え!』
『正面から来られたら避けらんないだろ! こっちはリーチで勝負してんの!』
ボイチェンの音が割れ始めていた。叫ぶたびに、機械が追いつかなくなっている。甲高い電子音が混ざった声が、自分でもわかるくらい耳障りだった。
六戦目。緑色の獣人に変えた。近づいてきたら電気を流す。触れられない。壁。
『びりびりすんなぁ! 近づけないだろうが!』
『近づいてくるから悪いんでしょ! デリカシーって知ってる!?』
『そりゃこっちのセリフだぞぉ!?』
コメント欄が湧いていた。『イミフwww』『痴話喧嘩にすら見えてきたwww』。
七戦目。和太郎さんが白い道着の空手家に切り替えた。回転しながら突っ込んでくる蹴り技。画面の中でくるくると回る。
『うわ、何その技! くるくる回んな!!』
『男のロマンだぜ、竜巻はなぁ!』
回転蹴りが当たった。吹っ飛ばされた。
『そりゃないだろ! 次こそブチ倒す!』
『くっそ! 和太郎ぉぉお!!』
七戦目。お互いキャラを変えた。俺はチャイナ服の女性格闘家。和太郎さんが選んだのは、まわし一丁の大男だった。
突進してきた。掴まれた。
画面の中で、大男が俺のキャラを抱え込んだ。圧倒的な力で締め上げて、離さない。体力がみるみる削れていく。
——K.O.
『抱きしめて倒したwww』『マシンが悲鳴あげてるw』
『……っしゃあ!!』
和太郎さんの、腹の底から出る声。勝利の雄叫び。
コメント欄が走っていた。『ボイチェン限界で草』『さん付け消えたwww』『バ美肉隠すつもりすらなくなったwww』
『……くっそ。めちゃくちゃ悔しい。けど……楽しかった』
『これがブラックさゆきちか』『むしろこっちの方が好きまである』『歴代レトロゲーナイトで一番熱いんだがw』
『がっはっは! 今日はここまで! 紗雪ちゃん、ピンチヒッターありがとなー! みんなもおつかれー! また来てくれよなー!』
『……おつかれーっ! 次は、絶対勝つ!』
◇ ◇ ◇
ヘッドセットを外した。耳の裏が汗ばんでいた。Tシャツの背中が、べたりと貼りついている。
配信部屋を出ると、アキラさんが廊下に立っていた。同じように額に汗が浮いている。
目が合った。
手が、出ていた。
アキラさんの手が、俺の手を掴んだ。強く。無言で。
離すタイミングが、分からなかった。
数秒。手の中に、アキラさんの体温があった。
「……何やってんだろうね、私たち」
「ほんとだよ」
「……ぷっ」
「あっはっはっはっはは!!」
堰が切れたみたいに、止まらなくなった。廊下にしゃがみ込んで、壁に背中をつけて、二人で笑っていた。
「はー……」
アキラさんが目尻を拭いた。
「ブラック紗雪、伝説になっちゃったね」
「……黒歴史だ」
「でもさ、黒歴史も悪くないよ」
「……説得力ありすぎる」
アキラさんが、少しだけ静かに笑った。
「はー、シャワー先浴びてきていい?」
「いってらっしゃい」
シャワーの音が、浴室から聞こえていた。俺は廊下に座ったまま、天井を見ていた。
手のひらに、まだアキラさんの体温が残っていた。
◇ ◇ ◇
アキラさんがシャワーから出てきた。髪を拭きながら、俺のほうを見た。
「ねえ」
「ん?」
「今日さ、おふとん並べて寝ない?」
タオルで髪を拭く手が止まらないまま、なんでもないことみたいに言った。
返事が、出なかった。
アキラさんは待たなかった。もう自分の部屋に向かっている。
「修学旅行みたいなノリでさ、いろいろ話したいなって」
◇ ◇ ◇
隣の部屋から、何かが擦れる音がした。
引き戸ががたんと開いた。アキラさんが布団ごとこっちに滑り込んできた。
敷布団を敷いたまま、床の上をずりずりと引きずっている。
「よいしょ、よいしょ……」
俺の布団の隣まで来て、位置を整えた。枕と掛け布団は引き戸の向こうから手を伸ばして回収している。手慣れていた。
「よし」
掛け布団を広げて、枕を置いた。
「ねぇ、頭どっち向き?」
「……どっちでも」
「じゃあこっち。窓側だとカーテンの隙間から光入るかもだから」
俺は突っ立ったまま、並んだ布団を見下ろしていた。
「……手伝おうか?」
「大丈夫! もう完成!」
並んだ布団を見下ろして、満足そうに頷いた。
「へへ。おふとん並べた」
(……ほんとに来たなぁ)
アキラさんが髪の毛を片手でくいっと持ち上げた。
「あ、ツインテールにしとく?」
——いたずらっぽい顔でこちらを見つめてくる。
「……勘弁してください」
「あっはは! だよねー」
髪を下ろして、電気のスイッチに手を伸ばした。
「消すよー」
「はーい」
ぱちん。
真っ暗になった。
布団を二枚並べると、六畳の仕事部屋がだいぶ狭かった。
布団に入った。隣で、アキラさんも潜り込む音がした。
「修学旅行って、こういうのだよねー。消灯後にひそひそ喋るやつ」
「……まあ」
「
「自分から夜更かしはしなかったけど……友達に巻き込まれて結局朝まで起きてた気がする」
「あはは! やっぱりー。昴さんそういうとこあるよね」
「……どういうとこ」
「巻き込まれるの上手いとこ」
暗闇の中で、アキラさんが笑った。布団がかさかさと鳴った。
「私ねー、朝まで起きてた。友達と枕投げして先生に怒られて、でもまた喋って、気づいたら窓が白くなってたもん」
「……なんか目に浮かぶなぁ」
「青春の思い出ってやつ。ねえ、どこ行った? 修学旅行」
「横浜」
「へぇー、横浜。いいな。……あれ、昴さんってどこ出身?」
「……長野」
「え、知らなかった! 長野!? じゃあ修学旅行で東京とか行くタイプ?」
「まあ……首都圏ってだけで盛り上がってた」
「あはは! 私、京都。鹿にせんべい取られてさ——あ、それ奈良か」
「奈良も行ったんだ」
「だよねぇ。もう記憶ごちゃごちゃ。あ、でも生八つ橋は覚えてる。ニッキのやつ、めちゃくちゃ美味しかった」
「……わかる。あの皮の食感」
「でしょー!?」
くすくす笑う声が、暗闇の中で近い。
「いやー、それにしても今日の配信はマジでヤバかったなー!」
「……やばかった」
「あのさ、コメント欄見てた?」
「……それどころじゃなかった」
「だよねー。『ボイチェン限界で草』とか流れてたよ」
「……やっぱり」
「『バ美肉隠すつもりすらなくなった』ってのもあった」
「……うわ」
「あとね、『痴話喧嘩にしか見えない』ってやつ」
「……え」
「がっはっは! まあそうなんだけどさー」
布団の上で手足が動く気配がした。暗闇だから見えないけど、たぶん身振りつきで喋っている。
「それはともかく
「……才能って言うのかなぁ、あれ」
「言うよ。ねえ、『歴代レトロゲーナイトで一番熱い』ってコメントあったの。あれマジだと思う」
「……あれは
「えー、謙遜すんなよー。紗雪ちゃんがぶつかってきてくれたから面白くなったんだよ」
「……」
「ブラック紗雪、定期企画にしない? 月一で」
「それは勘弁して」
「ケチだなー。……次やるとしたら何の対戦がいい?」
「……ブラック紗雪にならない程度の」
「落ち物パズルとかどう? 積むの得意でしょ、紗雪ちゃん」
「……得意かどうかはわかんないけど」
「じゃあ決まり! 落ち物パズル回!」
「強引だなあ」
しばらく、天井を見ていた。見えないけど。エアコンの風が頬に触れた。
「……でもさ」
「うん」
「楽しかったよね、今日」
「……うん。楽しかった」
「あの最後のさ、紗雪ちゃんの『悔しいけど楽しかった』ってやつ。あれめちゃくちゃよかった」
「……自分でも何言ってたかあんまり覚えてない」
「いひひ」
しばらく、黙っていた。エアコンの音だけが続いている。
暗闇に目が慣れてきていた。天井の輪郭がうっすら見える。
カーテンの端から、街灯の光がわずかに漏れている。
隣のアキラさんの布団の形が、ぼんやりと浮かんでいた。
暗闇の中で、声だけを聴いていた。
「……ねえ、さっきブラック紗雪は黒歴史って言ってたじゃん」
「……うん」
「私にもあるんだよね。見せたいやつ」
隣で、ごそごそと音がした。枕元を探っている。
「こないだスマホの写真整理してたら見つけてさ。消せなかったんだよね」
暗闇の中に、四角い光が灯った。
アキラさんが画面をこちらに向けた。
鮮やかなオレンジの髪が、画面の中で燃えるみたいに跳ねていた。大きな琥珀色の目。
レトロゲームのコントローラーを片手に、ピースサインで笑っている。
——焔れとろ。
「折角だから、見せとこうかなって」
スマホの光が、アキラさんの横顔を照らしていた。
画面の中のれとろと、光に浮かぶアキラさんの顔。
和太郎さんの声が、耳の奥に残っている。「がっはっは」と笑う、さっきまでの、あの声。
三つが、重なった。
――紗雪ちゃんが昴さんと重なって見えて。なんだろな。好きって思った。
あの夜のアキラさんの声が、耳の奥を掠めた。
「……綺麗だな」
口から出ていた。
「でしょー?」
アキラさんがスマホの画面に目を落とした。
「この子、可愛いんだよねぇ」
「……うん」
スマホの画面が消えた。
暗闇が戻ってきた。目の奥に、さっきの光が残っている。
れとろの笑顔と、アキラさんの横顔。耳の奥に、和太郎さんの声。重なったまま、離れなかった。
布団が小さく擦れた。
「……おやすみ」
アキラさんの声だった。小さくて、少しだけ掠れていた。
「……おやすみ」
目を閉じた。
◇ ◇ ◇
目が覚めた。
カーテンの隙間から白い光が差している。エアコンは止まっていた。部屋の空気が少しだけ温い。
隣の布団で、アキラさんが丸くなっている。掛け布団から肩が出ていた。枕が少しだけこちらにずれている。
天井を見ていた。昨日と同じ天井だった。
布団がもそっと動いた。
「んー……おはよー」
目を半分開けて、こっちを見ている。くしゃくしゃの髪。
「……おはよう」
アキラさんが、少しだけ目を細めた。何か言いかけて、やめた。
「コーヒー淹れるねー」
むくりと起き上がって、スリッパを引っかけた。ぱたぱたと廊下を歩いていく音が遠ざかった。
台所で、水を流す音がした。
俺は布団の上に座ったまま、しばらく動けなかった。
コーヒーの匂いが、廊下の向こうからゆっくり漂ってきた。
立ち上がった。
リビングのテーブルに、マグカップが二つ並んでいた。
「はい、ブラック」
「……ありがとう」
ソファに隣り合って座った。コーヒーを一口。苦い。いつもの朝だった。
アキラさんがスマホを開いた。コーヒーを飲みながら、昨夜の配信のお礼ポストについたリプを見ている。
「ふふ、ブラック紗雪でもちきりだよ……あ」
指が止まった。
「昨日のゲストさんからリプ来てる。『昨日はすみませんでした! もうすっかり元気です、あとDM送りました!』だって。よかったぁ、元気になったんだ」
「……DM?」
「ん? あー……通知来てなかった。最近多いんだよねこのバグ」
アキラさんが手早くスマホを操作している。DM一覧に切り替えたらしい。
「あ、ほんとだ。ゲストさんからのと……もう一通?」
「……」
「まぁどうせスパムかなんかでしょ」
軽い調子で、もう一通のほうを開いた。
「えーっと……ゲーム文化展示会への出展のご相談? 最新ゲームからレトロゲームまで幅広く……へぇー」
指がスクロールしていく。
「VTuberの方々にもご参加いただき……ふんふん……」
指が、止まった。
「……って、え!?」
「どうしました?」
ゆっくりと、画面をこちらに向けた。ゲーム文化展示会への参加のご相談。本文の末尾に、会社名と担当者名。
アキラさんのコーヒーを持つ手が、止まっていた。
「……これ、うちの会社なんだけど」