3D彼女♂とレトロ彼氏♀ ~男女あべこべVTuber、中の人ごと好きになる~   作:式守 芽衣

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第17話 まだ、俺しか知らない

 隣の布団が空だった。

 

 枕がずれている。掛け布団が薄く畳まれている。出かけたらしい。

 

 スマホを見た。LINEが一件。

 

『今日早めに出るね。夜話す!』

 

 送信時刻、六時過ぎ。今は八時。二時間前にはもう出ていたことになる。

 

 ——夜話す。

 

 昨日の夜、布団の中で「こわいかも」と言ったアキラさんの声が、まだ残っている。

 

 ……大丈夫かな。

 

 大丈夫だろう。あの人はやると決めたらやる人だ。

 

 リビングに出た。テーブルの上には何もない。台所も片付いている。

 

 コーヒーを一人で淹れた。いつもは二つ並ぶマグカップが一つだけ。

 

 仕事用のPCを開いた。案件が二本溜まっている。手を動かした。動いた。頭も動く。

 

 ただ、時々スマホに目が行く。既読はつけた。返信は打たなかった。

 

 何を返せばいいかわからなかった。「頑張って」は違う。「待ってる」は重い。何も返さないのが、たぶん正解。

 

◇ ◇ ◇

 

 玄関のドアが開いたのは、夜の七時過ぎだった。

 

「ただいまー! 言えた! めっちゃ驚かれたよ!」

 

 声が廊下に響いた。テンションが高い。靴を脱ぐ音。荷物を置く音。ぱたぱたとスリッパが近づいてくる。

 

(すばる)さん昴さん、聞いて。上司の顔! まじで五秒くらい固まってた!」

 

「……うまくいったんだ」

 

「うまくいったっていうか、がっはっはやったら窓が震えてさ」

 

「……窓?」

 

「会議室の窓。びりって」

 

「……また、声が成長してる?」

 

 アキラさんがソファにどさっと座った。カーキのジャケットの襟が少し乱れている。

 

 髪がいつもより乱れている。走って帰ってきたのかもしれない。

 

「でね、上司の田所さんがさ、レトロゲーの切り口が詳しいと思ってたって言ってくれて——」

 

「……へぇ」

 

「あと田所さんが報酬ルートも調整してくれるって。ほんとありがたい」

 

「……面倒見いいんだな、その人」

 

「ね! 田所さんまじ頼りになるんだよ。あとね、田所さんが——」

 

 ……田所さん田所さん田所さん。肩が、少し強張った。

 

 別にいい。上司なんだから当然だ。面倒見てもらえるのはいいことだ。

 

 いいことなのに、なんか、引っかかる。

 

 そこで、ふいにこっちを見た。

 

「……何?」

 

「ん? 何が?」

 

「いや、今見てたでしょ」

 

「見てない見てない。えっと、田所さんがね——」

 

 話を続けた。でも三分後にまたこっちを見ていた。目が合うとそらす。

 

 ……何だろう。今日のアキラさん、なんかおかしい。

 

「——で、他のスタッフには内緒にしてくれるって。当日の動き方も田所さんが一緒に考えてくれるみたい」

 

「……よかった。全部うまく収まったんだ」

 

 よかった。本当にそう思う。うまくいって、よかった。

 

 ——「昴さん以外に和太郎(わたろう)のこと話すの、明日が初めてだ」

 

 あの夜の声が、耳の奥を掠めた。初めては、もう終わった。

 

 胸のあたりが少しだけ重い。なんでだろう。いいことのはずなのに。

 

「うん。昴さんのおかげ」

 

 ——不意打ちだった。上司の話をずっと聞いていたのに、急にこっちを向いた。

 

「昨日整理してくれなかったら、たぶんまだ悩んでたし」

 

「……俺は何もしてないよ」

 

「したよ」

 

 アキラさんが、まっすぐ見てきた。今度はそらさなかった。

 

「……ありがと」

 

 顔が、熱くなった。

 

(……やめてくれ)

 

「あ、そうだ。展示のアーカイブ、先に選んじゃわない?」

 

 話が切り替わった。ありがたい。

 

「POPとか物販はまだ先だけどさ、映像展示はDMにも書いてあったし、どの配信使うかは先に決められるじゃん」

 

「……確かに、それは会社の指示を待たなくてもできるな」

 

「でしょ? それに紗雪(さゆき)ちゃんが映ってる回もあるから、昴さんに見てもらわないと勝手に選べないし」

 

「……もちろん」

 

◇ ◇ ◇

 

 配信部屋のゲーミングノートで、和太郎チャンネルのアーカイブ一覧を開いた。

 

 ずらっと並ぶサムネイル。レトロゲーナイトのシリーズが時系列で並んでいる。

 

 初期のものはサムネがシンプルで、最近のものほど凝っている。

 

「どのあたりから見る?」

 

「古い方から流しながら、展示映えしそうなの拾っていこうよ」

 

 アキラさんが椅子に座って、俺は横から覗き込んだ。肩が近い。

 

 最初の数本を早送りで流していく。初期の配信は画質が粗くて、和太郎の声も少しぎこちない。

 

「うわ、初期のやつ声カッチカチだね」

 

「……最初はこんな感じだったんだな」

 

「いやー、恥ずかしい。でもこの頃の方がレトロゲームの解説は丁寧かも」

 

 しばらく流していると、コラボ回が増えてくる。紗雪が画面に映り始める。

 

「あ、ここから紗雪ちゃん登場だ」

 

 画面の中で、和太郎と紗雪が並んでいる。笑い合っている。過去の自分たちを、外から見ている。

 

「……この回、映像きれいだね。使えるかも」

 

「『紗雪ちゃんが映ってる回、使っていい?』って一応聞くけど」

 

「もちろん」

 

 アキラさんがメモを取りながら、選定リストを作り始めた。手際がいい。仕事でやってる人の手つきだった。

 

 上司に打ち明けて、会社のバックアップも得て。和太郎のことを知っているのは、もう俺だけじゃない。

 

 ……でも、れとろのことは。あの夜のアキラさんのことは——まだ、俺しか知らない。

 

(……何考えてんだ)

 

 自分の考えに、少し引いた。なんでそんなことを確認しようとするのか、わからない。

 

 わからないのに、そこだけが妙に鮮明だった。

 

 ——アーカイブ選定は、前回の配信にたどり着いた。

 

「あっ、格ゲー回!」

 

 対戦格闘ゲームスペシャル。ブラック紗雪が爆誕した回。

 

 再生を押した。

 

 画面の中で、紗雪がブチ切れていた。

 

『はぁ!? 今の当たってないでしょ!!!』

 

『いや当たってたね。リプレイ見るかぁあ? 見ようぜぇ紗雪ちゃん——』

 

 コメント欄が流れてくる。「ブラック紗雪降臨」「ボイチェン限界で草」。

 

「ぶふっ」

 

 アキラさんが吹き出した。

 

「やばい、私こんな煽り声出してたの?」

 

「……出してた」

 

「昴さんも相当だよ。ここ見て、『バ美肉隠すつもりすらなくなった』って」

 

「……やめてくれ」

 

「あはははは! やばいやばいやばい」

 

 アキラさんが笑いながら横に倒れてきた。肩にぶつかる。そのまま体重を預けてくる。

 

「ちょ、見て、このコメント。『痴話喧嘩にしか見えない』って」

 

「……」

 

「がっはっは! まあそうなんだけどさー!」

 

 笑いが止まらない。俺も笑った。画面の中の自分たちがまだ怒鳴り合っている。コメント欄が大喜びしている。

 

 十五分くらい、作業にならなかった。

 

 アキラさんが肩にもたれたまま、ようやく息をついた。

 

「……あーおかし。これ展示で流したら来場者引くかな」

 

「……引くと思う」

 

「だよねー。でも面白いのは間違いないんだよねぇ」

 

 まだ肩にいる。離れない。

 

 ……離れてくれ、とは言えなかった。

 

 アキラさんが息を整えた。目尻に涙が残っている。

 

 気を取り直して、また古い方のアーカイブに戻った。

 

 もっと古い配信に戻っていく。紗雪がまだいない頃。

 

 和太郎が一人でレトロゲームを遊んでいる回。

 

 ——ふいに、指が止まった。

 

 画面の中で、和太郎が高難易度のレトロゲームに挑んでいる。

 

 何度もゲームオーバーになりながら、笑って再挑戦している。

 

 『まあ気楽にいこうぜ、何度やられたっていい。人生なんとかなるもんだ』

 

 仕事で潰れかけていた深夜に、たまたま開いた配信。

 

 ゲームの話をしているだけだった。それだけなのに、胸の奥がじんとした。

 

 あの夜の自分が、画面の向こうにいる。

 

 ——そしてその画面のさらに向こうにいた人が、今、隣に座っている。

 

 指が動かなかった。

 

「……昴さん?」

 

「……ん?」

 

「止まってるけど。この回どうする?」

 

「……画質がちょっと」

 

「あー、確かに初期だもんね」

 

 アキラさんがスクロールした。次の配信に移った。

 

 指の先に、まだ残っている。

 

◇ ◇ ◇

 

 夜。布団が二枚並んでいる。いつもの配置。

 

 電気を消した。

 

「今日、めっちゃ疲れたー。でもいい疲れ」

 

「……お疲れさま」

 

「昴さんも遅くまでありがと。付き合ってくれて」

 

「……いつものことでしょ」

 

 暗闘の中で、笑う気配がした。

 

 しばらく、黙っていた。

 

「……ねぇ」

 

「うん」

 

「明日も続きやろうね」

 

「……うん」

 

 アキラさんの呼吸が、すぐに静かになった。今日は疲れていたらしい。すとんと眠った。

 

 天井を見ていた。

 

 配信越しに聴いていた時は、何も起きなかった。

 

 隣にいるようになって、同じ笑い方を何度も見て、それでも何も。

 

 今日、やっと指が止まった。

 

 隣から、寝息が聞こえている。アキラさんはすっきりした顔で眠っている。

 

 上司に言えて、会社のバックアップも得て、展示会に向けて動き始めた。全部、自分の力で。

 

 ……俺は、何をしてるんだろう。

 

 暗闇に目が慣れてきた。アキラさんの横顔が、うっすら見える。髪が頬にかかっている。

 

 手が動いた。指先が、その髪に触れる直前で止まった。

 

 ——やめた。何をしようとしたのか、自分でわからなくなった。

 

 あの配信を見ていた頃、この人のことを知っているのは俺だけだった。

 

 今はもう、そうじゃない。それは正しいことだ。正しいのに、胸のあたりが重い。

 

 手を引いた。指先が、まだ温い。触れてもいないのに。

 

 顔が、まだ熱い。だけど胸の奥が、冷たい。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 数日が経った。展示会の準備は着々と進んでいた。

 

 夜、玄関のドアが開いた。

 

「ただいまー! (すばる)さん昴さん、聞いてよ」

 

 靴を蹴るように脱ぐ音。スリッパがぱたぱた近づいてくる。

 

「会場の近くにあるレトロゲーショップ、ハイパーナゲットさんとのコラボが正式に決まった!」

 

「……おお」

 

「実機の貸し出しオッケー、買取販売コーナーも隣に出してくれるって。和太郎(わたろう)ブースの横に」

 

 アキラさんがソファにどさっと座った。カーキのブラウスの袖が肘までまくってある。

 

 額に汗が光っている。七月の帰り道は、もう暑い。

 

「で、今日それの最終打ち合わせ行ったんだけどさ」

 

「うん」

 

「ハイパーナゲットの店長さんがね、めちゃくちゃ和太郎チャンネル見てくれてて。『和太郎さんのレトロゲー愛はホンモノですね、ぜひご一緒したかった』って」

 

「……へぇ」

 

「で、私はにこにこしながら『ありがとうございます、和太郎さんにお伝えしますね』って返して」

 

「…………伝える相手、自分じゃん」

 

「自分なの! 帰社してからさ、報告書に『和太郎氏側との連携は円滑に進行中』って書いたの。和太郎氏側、私なんだけど!」

 

 笑った。声に出して笑った。

 

「あとね、田所さんが横で必死に真顔キープしてるの。だめだよ田所さん、目が笑ってるよって」

 

「……それは、きついな」

 

「きついの! 会議で誰かが和太郎さんの配信数字の話始めると、田所さんがこう——ちらっと目配せしてきてさ。目配せしないで! 余計こわい!」

 

 アキラさんが膝を抱えて笑っている。今日一日の疲れと興奮が全部まぜこぜになった顔だった。

 

 ——面白い。本当に面白い。

 

 でも、ハイパーナゲットとの折衝も、会議の立ち回りも、全部アキラさんが一人で回している。制作チームが素材を繋いでくれるし、権利関係は法務が見る。

 

 俺が選んだアーカイブリストは、ちゃんと採用された。でもそれは先週の話だ。もう、俺のやることは終わっている。

 

「あ、そうだ。今日配信で発表しちゃうから。重大発表って煽っちゃった」

 

「……今日?」

 

「うん。鉄は熱いうちに。見ててね」

 

 立ち上がって、配信部屋に向かっていった。ドアが閉まる。リビングに一人。

 

 麦茶のグラスに汗が滴っている。エアコンの風が、さっきアキラさんが座っていた場所を冷やしていく。

 

◇ ◇ ◇

 

 ノートPCで和太郎チャンネルを開いた。配信開始の通知が来ている。

 

 画面に和太郎のアバターが映った。レトロゲーナイトのいつものセット。がっはっはの笑い声。コメント欄がぽつぽつ動き始める。

 

 いつもの雑談。今日遊んだゲームの話。コメント欄のツッコミに和太郎が返す。

 

 ——さて。和太郎の声が一段落ちた。

 

『今日は皆さんにお知らせがありまして』

 

『!?』

『なになに』

『引退とかじゃないよね!?』

『みやぢー:ドキドキしますね〜何だろう』

 

『いやいや引退じゃねぇよ。むしろ逆だ。——八月に、秋葉原で開催されるゲーム文化展示会に参加することになったぜぇ!』

 

 コメント欄が一気に流れた。

 

『パルサー:えええええ!!行きます!!絶対行きます!!!』

『マジ!? おめでとう!!』

『レトロゲーナイト リアル版じゃん』

『みやぢー:和太郎さんの展示……人間国宝ついに国に認められた……?』

 

『国じゃねえって。しかもだ。秋葉原のレトロゲーショップ、ハイパーナゲットさんとのコラボも決定。実機触れるぞ。買取販売コーナーも横に出る』

 

『ガチすぎる』

『ハイパーナゲット知ってる!あの店すごいよ』

『みやぢー:実機プレイ可能って、令和に実機触れる機会ほんと貴重ですよ』

『パルサー:和太郎さんのブース、絶対混む!前の方で待機します!!』

 

 画面の中で、和太郎が嬉しそうに笑っている。

 

『あと、ブースでは過去のアーカイブ映像も展示する予定だ。これまでコラボしてくれたみんなの映像も映したいんで、個別に許可取りに行くからよろしくな』

 

『全コラボ回見返す準備できてます!!』

『みやぢー:和太郎さんのコラボ回、全部再生リスト入れてますよ〜』

 

 ——指が動いた。紗雪(さゆき)のアカウントで、コメント欄に打ち込んだ。

 

『夜空紗雪:和太郎さんおめでとう〜!楽しみにしてるね!』

 

『おっ紗雪ちゃんきた』

『みやぢー:紗雪ちゃんお久しぶりです〜』

 

 和太郎がコメントを拾った。

 

『おお紗雪ちゃん! ありがとな! また対戦しようぜ!』

 

『ブラック紗雪また期待してますw』

『格ゲー回の再来頼む!!』

『パルサー:格ゲー回じっくり見返して大笑いしました!!あれ絶対外さないで!!』

 

『そうだなぁ、紗雪ちゃん頼むよ! あの回外すのは俺も惜しい』

 

 ——打った。

 

『夜空紗雪:……わかりました(しぶしぶ)』

 

『しぶしぶ許可が出たw』

『紗雪ちゃん優しいw』

 

 コメント欄が流れていく。次の話題に移っている。和太郎が展示のコンセプトを語り始めている。

 

 指をキーボードから離した。

 

 「しぶしぶ」は嘘じゃない。格ゲー回、あれはあれで恥ずかしい。

 

 でも本当に言いたいことは、そんな言葉じゃなかった。

 

 コメント欄では、みやぢーさんが場を回している。

 

 パルサーが興奮して連投している。みんな自分の名前で祝福している。

 

 ——俺だけが、紗雪の名前で書いている。

 

◇ ◇ ◇

 

 配信部屋のドアが開いた。

 

「おつかれー! いい配信だった!」

 

 アキラさんがリビングに出て近づいてきた。頬が少し赤い。配信の興奮がまだ残っている。

 

「紗雪ちゃんコメントありがと!」

 

 ——至近距離で、満面の笑み。

 

 それだけ。理由は言わない。ただ嬉しそうだった。

 

(……反則だろ)

 

「反応すごかったね。パルサーさんが絶対行くって」

 

「ね! みやぢーさんも人間国宝って言ってくれてたし。あ——おなかすいた。ごはんどうしよっか?」

 

「冷蔵庫にそうめん茹でて入れてあるよ」

 

「えっ、最高。昴さん最高」

 

 台所に向かうアキラさんの背中を見ていた。冷蔵庫を開けて、器を出して、つゆを注いでいる。

 

 鼻歌がかすかに聞こえる。知らない曲だった。

 

 笑顔の宛先が、わからなかった。

 

 紗雪のコメントが嬉しかったのか。俺がそうめんを作っていたのが嬉しかったのか。

 

 たぶん、全部同じなんだ。この人の中では。

 

◇ ◇ ◇

 

 夜。布団が二枚並んでいる。いつもの配置。

 

 電気を消した。

 

「……ごめんねぇ、勢いで決まっちゃったかな。格ゲー回上映」

 

「……いや。和太郎さんのブースが盛り上がるなら本望だし」

 

「ん」

 

 しばらく黙っていた。アキラさんの呼吸が少しだけ浅い。考え事をしている時の呼吸だった。

 

「……なんか、速いね。いろいろ」

 

「……速い?」

 

「コラボも決まって、発表もして、チームも動き始めて。嬉しいんだけど、なんか——」

 

 言いかけて、やめた。

 

 そのまま、黙った。呼吸が深くなっていく。今日一日の疲れが、一気に来たらしい。

 

 ——先に、眠った。

 

 暗闘の中で、寝息だけが聞こえている。

 

 そのとき、指が触れた。

 

 アキラさんの手が、布団の隙間を越えて伸びてきていた。眠ったまま、俺の手を掴んでいる。

 

 指は少しだけ冷たくて、でも力がある。寝ている人の手だとは思えないくらい、しっかりと。

 

 ——振りほどけなかった。

 

 天井を見ていた。

 

 さっき紗雪として「しぶしぶ」を打った指が、今アキラさんの掌の中にある。

 

 

 配信では、紗雪の言葉で祝福した。帰ってきたアキラさんには「本望だし」と返した。

 

 全部嘘じゃない。全部が本当でもない。

 

 手の中の温度だけが、確かだった。

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