3D彼女♂とレトロ彼氏♀ ~男女あべこべVTuber、中の人ごと好きになる~ 作:式守 芽衣
「電源タップ、足りなくないですか」
「あー、確かに。PCとレトロゲーの実機で2個使っちゃってるもんね」
「買い足しましょうか。ついでに結束バンドも欲しくて」
「じゃあ一緒に行く? ここの近くにホームセンターあったよね」
配信のない日の昼下がり。和太郎さんはコラボ告知の画像を作りに来ていた。
いつものソロ配信じゃない、コラボのための凝った作業は、さすがにスマホでは難しいらしい。
外に出る。
4月も終わりの風がぬるい。和太郎さんはボーダーのカットソーに肩紐のついたベージュのワイドパンツ、白いスニーカー。
裾が広くて、歩くたびにふわりと揺れる。
住宅街の路地を並んで歩く。和太郎さんの歩幅は意外と大きい。少し早歩きで、俺が半歩遅れる。
「ここ曲がるんだっけ」
「あ、はい。この先です」
ホームセンターの自動ドアが開く。
◇ ◇ ◇
電材コーナー。和太郎さんが電源タップを手に取って、差し込み口の数を数えている。
「6個口で足りる?」
「いや、10個口の方が——和太郎さ——」
口を押さえた。
声が、出かけた。店内に他の客がいる。今の、聞こえたかもしれない。
「……ッ」
和太郎さんがこちらを見た。一瞬の沈黙。
それから——ふっ、と口の端が上がった。
「危なかったね?
——昴さん。
あの喫茶店で一度だけ交わした、本名。それをさらっと使ってみせた。
いたずらっ子の笑みではない。室内の和太郎さんとも違う。外の世界で、さらりとリードする顔。
「……
絞り出した。それ以外の選択肢が見つからない。
「え~、アキラでいいのに」
——無理だ。下の名前は、無理。
「…………」
「あはは、昴さん固まってるし」
和太郎さんが電源タップを棚に戻して、結束バンドの棚に移った。こっちの動揺をよそに、買い物は続く。
それ以上、お互い名前の話はしなかった。レジを済ませて、外に出る。
◇ ◇ ◇
夕方の住宅街。ホームセンターの袋を提げて、行きと同じ道を戻る。
横並びで歩く。俺の右側に和太郎さん。信号待ちで隣に立つと、肩紐が視界に入る距離。
「そもそもさ」
和太郎さんが、歩きながら言った。
「『しょうわ・たろう』って呼ばれがちなんだよね、初見の人に」
「あー……確かに、素直に読むとそうなりますね」
「安直に決めた私が悪いんだけどさ。VTuber名って難しいよね。ひらがな・カタカナ多い方がいいとか、検索で引っかかりやすい名前がいいとか、後から色々知ってさ」
「何が正解かはわかんないですけどね……。紗雪も最初、似た名前の人がいて検索に埋もれて」
「あるある。あと難しい漢字つけて、コラボ相手が読めなくて気まずくなるやつ」
「SNSで名前変換できなくて、ファンアートのタグが表記揺れだらけとか」
「ね。——それでいくと紗雪ちゃんは覚えやすくていいよ。夜空紗雪。語感がいい」
「ありがとうございます。和太郎さんも、一回聞いたら忘れないですよ。
「でしょ? インパクトはあるんだよ。読みさえ間違えなければ」
二人で笑った。
さっきの気まずさが、どこかに流れていく。住宅街の道は人通りが少ない。こういう話ができるのは、この帰り道くらいだ。
「——あ、そういえばさ」
和太郎さんが、思い出したように言った。
「和太郎の苗字、昭って書いて、あきらって読むんだよね」
「……はい」
「外だと水野さんって呼んでくれてるけどさ。昭さんでよくない? 活動名だけど、苗字だし」
——昭さん。
あきら、さん。
(音が——同じじゃないですか)
和太郎さんの本名は、水野アキラ。
「昭さん」と呼ぶたびに、「アキラさん」と呼んでいるのと同じ音が口から出る。
「…………」
「昴さん?」
「水野さん、で。水野さんでお願いします」
「えー、なんでー」
和太郎さんは心底不思議そうな顔をしている。——本当に気づいていないのか、わかっててやっているのか。
どちらにしても、無理だ。
「水野さんで、大丈夫です」
「ふーん。まあ、いいけど」
肩をすくめて、ホームセンターの袋を持ち替えた。
しばらく、二人とも黙って歩いた。住宅街の道が夕日で少しだけ赤い。
「昴さんって普段の休みは何してるの? 配信がない日」
「……機材いじってるか、配信の編集してるか」
「仕事みたいじゃん」
「フリーランスなんで、あんまり境目がないっていうか」
「あー、わかる。私も忙しい時期入ると、休みの日も仕事のこと考えちゃうし」
何でもない会話。でも「配信の話」ではなくて、「お互いの生活の話」だった。
和太郎さんが不意に足を止めた。
「——あ、いい匂い」
立ち止まって、鼻をすんと鳴らした。
「春だねぇ」
——和太郎の間合いだった。女性の声なのに、息遣いと抑揚だけがあのおじさんになる。ボイチェンを通す前の、生身の和太郎。
和太郎さんはそれだけ言って、また歩き出した。
——言われてみれば、生垣のどこかから、甘い花の香りがする。何の花かはわからない。気づかなかった。
アパートの外階段を上がって、玄関の前。鍵を出す。
ドアを開けた。
「「ただいま」」
(——ん?)
二人して顔を見合わせた。和太郎さんは澄まし顔で小首を傾げている。
——何でもない。靴を脱いだ。
◇ ◇ ◇
数日後、和太郎の配信。
洞窟の中を小さな冒険家が走っている。
リビングのソファに座って、スマホで
壁の向こうの生声と、
『おいおいおい待て待て待て——あーーーっ!!』
冒険家が段差から落ちた。膝丈くらいの、段差とも呼べない窪み。それだけで画面が暗転する。
——ここだ。
和太郎さんのアバターの上に、ドット絵の「GAME OVER」がカタカタと一文字ずつ表示される。
最後の一文字が着地した瞬間、文字が爆発してばらばらに散った。チープな効果音がぽろん、と鳴る。
昨日の夜に作ったやつだ。
コメント欄が流れる。「なにこの演出www」「和太郎爆発www」——
壁の向こうで和太郎さんが笑いながら配信を続けている。配信の声に重なって、壁越しにアキラさんの笑い声も聞こえてくる。
——作ってよかった。
◇ ◇ ◇
配信が終わって、和太郎さんがリビングに出てきた。仕事帰りのオフィスカジュアルのまま、ブラウスの袖をまくっている。
「あれよかったよ〜!!! 受けてたね!」
「コメント欄、爆発のとこで一気に流れてましたね。リアクションもいい感じで」
「でしょ!? 草めっちゃ生えてた。ふふ、やったね」
和太郎さんがソファの向かいに座って、こちらを見た。
——少し間があった。
「ねえ、またこういうのお願いしてもいい?」
目が輝いていた。和太郎モードでもない。いたずらっ子の笑みでもない。見たことのない顔だった。
「……ぜひ。やりたいネタがあったら言ってください」
口元が緩んでいるのが自分でもわかった。
「いやー、ほんと私こういうの自分じゃ作れないからさ。頼れる人がいると助かるわ〜」
「……和太郎さんのアイデアが良かったので。作りがいがありました」
和太郎さんがソファの背もたれに体重を預けて、ふっと何かを思い出したように言った。
「紗雪ちゃんの配信ってさ、VRの背景がばーって変わって、ぐわーって動き回れるじゃん。あれすごいよね。ああいう場所ってどうやって探してるの?」
「えっと……公式Webで検索して、良さそうなのを——」
「え、見たい見たい」
防音室に戻って、デスクのPCを立ち上げた。検索画面を開く。英語のUIにワールドのサムネイルが並ぶ。
「へー、こんなのあるんだ」
和太郎さんが画面を覗き込んでいる。
「うぇー、英語ばっかだね……」
和太郎さんが、嫌いなものを食べた子供みたいな顔をしている。
「……フィルタかければ日本語のワールドも——」
「ちょっとマウス貸して」
手を伸ばしてきた。俺は椅子に座ったまま——和太郎さんが横から身体を入れて、マウスを握る。片手は俺の椅子の背もたれに置いて、体重を預けている。
——腕の中にいる、ような角度になってしまった。横顔が近い。
サムネイルを一つずつ、クリックしては戻し、クリックしては戻す。
「——あ、さっきのお返しとかじゃないんだけど。こういうのいくつかあるならさ、小さいのから回って、最後にドーンと広いとこ行く方が、リスナーは楽しんでくれるかも」
「……なるほど」
「あと、気になったとこで足止めて一言言うだけで全然違うよ。——勿論、紗雪ちゃん自身が楽しいのが一番大事だけどね!」
和太郎さんは完全に画面に集中していた。
——クリック音だけが響いている。
俺は返事をしそびれていた。さっきの子供みたいな渋い顔をしていた人が、今は楽しそうにサムネイルを選んでいる。
小さく鼻歌を歌っている。——さっき配信でやっていたゲームのBGMだ。
鼻歌に合わせて揺れる髪から、かすかに甘い匂いがした。
——和太郎さんが、いきなりこっちを向いた。急に目が合い、心臓が跳ねる。
「紗雪ちゃんはどういうとこが好き?」
横顔を見ていたのがばれたかと思った。
「……元気なところ、ですかね」
——え。俺、今なんて言った?
「元気なとこね。おっけー」
——違う。ワールドの話だ。
和太郎さんはもう画面に戻っていた。俺が言った「元気」を基準に、サムネイルをスクロールしていく。
訂正するタイミングを逃した。
「——あ、これ元気そう!」
色鮮やかな広場のような場所を指差した。
「……確かに」
知っているワールドだった。サムネイルだけで、空気感を当てている。
「いいじゃん。それでいこうよ」
和太郎さんが笑って、椅子から立ち上がった。
「——なんか暑いね、この部屋」
和太郎さんが防音室のドアを開けた。リビングの空気が流れ込んでくる。
「じゃあ私そろそろ帰るね。——またお願いね、演出のやつ」
「はい。和太郎さんの配信、もっと楽しくしていきましょう」
「紗雪ちゃんのもね」
◇ ◇ ◇
玄関のドアが閉まった。
静かだ。
——さっきの話を忘れないうちに。
ヘッドセットを被った。和太郎さんが選んだワールドをいくつか回ってみる。小さいのから大きいの。
——確かに違う。ワクワク感が。
もう少し回ってみようと思った時、通知音が鳴った。
<ちとせ さんがJoinしました>
「紗雪ちゃん、やっほやっほ〜。久しぶり!」
声が降ってきた。目の前に——たこ焼きがいた。
六個入りの、立派なたこ焼きパック。たこ焼きパックに細い手足が生えている。
声に合わせて六個のたこ焼きがばらばらに上下している。
「……あ、ちとせさん、やほ〜」
「ねぇねぇ!新しいアバター見て~」
たこ焼きパックが喋りながら寄ってくる。
「……見てます。何ですか? それ」
「たこ焼き!」
「……なぜ」
「おいしそうだったから~」
六個のたこ焼きの上で、かつお節がぶわっと舞った。
「紗雪ちゃん今日なにしてたの? 新しいワールド巡り?」
「ちょっと配信用に下見を……」
「えらいな〜。私なんてもう全然配信してないよ。VR楽しすぎて」
——和太郎さんがいた数分前の静けさが、もう遠い。
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