3D彼女♂とレトロ彼氏♀ ~男女あべこべVTuber、中の人ごと好きになる~ 作:式守 芽衣
たこ焼きの上でかつお節が揺れている。
「
配信では千歳飴モチーフの和風ロリアバターなのに、VRだとたこ焼きになる人。
子持ちで、4歳の子どもが寝た後にVRに来ることが多い。
「すみません、ちょっとバタバタしてて……」
「いいよいいよ。来てくれた時に話せればさ」
「——あ、そういえば和太郎さんの配信たまに見てるんだけどさ、最近なんか楽しそうだよね」
端から見れば美少女とたこ焼きの女子トーク。片方はボイチェンの男だが。
「……うん、確かに最近調子良さそうですよねっ」
「でしょ? 前よりなんか、余裕がある感じ」
——理由は知っている。防音室で全力の声を出せるようになったこと。演出がリスナーに受けたこと。でもそれは言えない。
「まあいいことだよね〜。和太郎さんが楽しそうだと、こっちも嬉しいし」
ちとせさんはそれ以上踏み込まなかった。たこ焼きが少し揺れて、話題が変わる。
「そういえば、うちの子がさ〜、最近やっと自分で靴履けるようになったの」
「わぁ」
「でも左右逆なの。毎回。逆に器用じゃない?」
「……あはは、確かに」
「旦那も苦笑いしてるけど、本人が満足してるからいいかなって。まあなんやかんや、三人で平和にやってるよ〜」
「……いいですね」
「紗雪ちゃんは? 誰かいい人いないの?」
——こちらに微笑みかける、女性の顔がよぎった。
(……そういうのは)
「いないです」
「ふーん。まあ紗雪ちゃんモテそうだけどね〜」
「……えーっ、どうですかね」
ちとせさんはそれ以上聞かなかった。「あ、子ども起きたかも。またね〜!」とたこ焼きが手を振って、ログアウトしていった。
ヘッドセットを外した。
部屋が静かだった。
◇ ◇ ◇
翌日。
冷蔵庫を開けると、プリンがあった。俺が買ったものじゃない。玄関には和太郎さんのスリッパが揃えてある。
——いつからあったっけ。
今日は
「ねえ、今日の配信ワールドどうするの?」
「この前教えてもらった通りに。小さいのから回って、最後に——」
「元気なやつね。いいじゃん。楽しみ」
和太郎さんが笑った。俺は防音室に入って、ヘッドセットを被った。
配信を始める。
最初に小さなカフェのワールドに入った。狭い空間。暖色の照明。窓の外に雨が降っている。
『……ここ、落ち着きますね。見てくださいこの窓、雨の音がするんですよ』
次に、少し広い和風庭園。石畳と水の音。
『見て見て、この苔……すごくないですか? 近づくと模様が変わるんです』
コメントの反応がいい。「紗雪ちゃん今日楽しそう」「ワールド選びいいね」——
最後に、あの広場。色鮮やかで、空が広い。
——確かに違う。小さいワールドを経由したから、ここに着いた時の開放感が倍になっている。
配信が終わった。
◇ ◇ ◇
リビングに戻ると、和太郎さんがソファでスマホを置いた。
「よかったよ! あのワールドの順番、正解だったね。最後の広場に着いた時の紗雪ちゃんの声、全然違ってた」
「和太郎さんのアドバイスのおかげです。リスナーの反応も良かったです」
「ふふ。楽しんでもらえると嬉しいよね。——ねえ、ところでさ」
和太郎さんが、少しだけ前のめりになった。
「私もあれ被ってみたい」
「……え?」
「VR。あのヘッドセット。ずっと気になってたんだよね」
予備のHMDはある。仕事用と開発用で複数台持っている。
「……いいですけど、酔うかもしれないですよ」
「大丈夫大丈夫。ちょっとだけ」
ちょっとだけ、とこの人が言った時は、ちょっとだけで終わった試しがない。
紗雪のアカウントでログインした状態で、和太郎さんにHMDを渡す。装着を手伝った。ストラップ等を調整。
「見えます?」
「——うわっ。すごい」
目の前に鏡がある。鏡の中に紗雪が立っている。
「紗雪ちゃんが目の前にいる! マジで目の前にいる!」
「それ鏡です。和太郎さんが動くと——」
「動いてる! わー! 紗雪ちゃんになっちゃった〜!」
「……いい反応です。テンション上がりますよね」
「あはは、手がちっちゃい。かわいい」
「せっかくなんで、
「え、やるやる」
トラッカーを取り出す。
「トラッカーつけるんで、一回ヘッドセット外してもらって——」
「やだ。外したくない。紗雪ちゃんが消えちゃう」
「腰と足首にベルトで巻くんですけど……」
「さっき紗雪ちゃんがつけてるの見てたから大丈夫。付けてもらっていい?」
「……じゃあ、つけますね。失礼します」
和太郎さんはHMDを被ったまま、鏡の中の紗雪に夢中だ。
腰にベルトを巻いた。ブラウスの上から。手が、少しだけ震えた。
足首に屈んでストラップを締める。和太郎さんは上で「あ、なんか足に何かついた」と笑っている。
「きつくないですか」
「大丈夫〜」
別のHMDを被って、別アカウントでログインした。和太郎さん……紗雪のアバターの横に立ち、鏡の前で調整操作。
「——すごい、足も動く」
鏡の中の紗雪が一歩踏み出した。和太郎さんの歩幅で。
「ちょっと気持ち悪い……いや待って、慣れる」
俺はパブリックアバターの初期状態で、和太郎さんが操る紗雪の隣に立った。
「ねえねえ、ポーズ取っていい?」
紗雪が、鏡の前でくるっと回った。
——前にカワイイポーズを教わった時と同じ動きだった。肘を内側に入れて、首を傾けて、片足を少し後ろに引く。
教わらなくても、この人の身体に染みついている。
「おお、動く動く! すごいこれ!」
鏡の中の紗雪が、片足に重心を預けて、首を傾けて、こちらに微笑んでいる。
俺がやったらぎこちなくなるポーズを、和太郎さんは何の意識もなくやっている。
本人は動くことに喜んでいるだけで、自分がどれだけ様になっているか気にしていない。
「ねえ、さっきの配信の場所行ってみたい!」
「いいですよ」
さっき配信で回ったワールドを、今度は二人で歩いた。
カフェのワールド。和太郎さんが——紗雪のアバターが、窓の外の雨を見上げた。
「すごい、配信で見てるのと全然違う。ここにいる感じがする……ここ、落ち着くね」
落ち着く……さっき俺が配信でも言ったこと。
和風庭園。石畳の上をゆっくり歩いている。俺が操作する時より、自然と歩幅が小さい。
最後の広場に着いた。くるりと振り返った。
「——すごい。ここ最高じゃん」
両手を広げて、色鮮やかな空の下で回っている。
——やっぱりうちのこ可愛い。
でも——それだけではない、気がした。
紗雪の動きが、いつもと違う。俺が動かす時は、意識してポーズを取る。可愛く見せようとする。
でも動いている和太郎さんは、何も意識していない。振り返る時の重心の移し方、手の開き方、首の傾け方。全部が自然で、全部が——
「ねえ、あっちにも行ってみていい?」
「……あ、はい。どうぞ」
「やった!」
紗雪が歩き出した。俺が動かす時とは違う、小さな歩幅で。
ワールドを三つ、四つ。新しい場所に着くたびに「わっ、綺麗~!」「えっ何ここ!?」と和太郎さんが声を上げる。
途中、VR酔いで「うっ」と立ち止まることもあったけど、少し休んで「もうちょっと」とまた歩き出す。
「ねえこの箱なに?」
「あ、それギミックで——触ると——」
紗雪の手が箱に触れた瞬間、中から光の粒がポンと弾けて飛び散った。
「きゃっ」
和太郎さんの声が聞こえた。ヘッドセットの外から。VRの中の紗雪は、両手で顔を覆っている。
——和太郎でもいたずらっ子でもない声だった。
「……びっくりした。ねえ今の何?」
「すみません、先に言えばよかった」
「いやいや。もう一回やって。心の準備するから」
ヘッドセットの外から聞こえる和太郎さんの笑い声。VRの中で聞こえる紗雪の笑い声。二つが、少しだけずれて重なった。
◇ ◇ ◇
——ひとしきり遊んだ後、和太郎さんがヘッドセットを外した。
「……さすがに酔いがきつくなってきた」
「初めてでこれだけ動けたの、すごいですよ」
「ふふ、楽しかった〜。またやりたい」
和太郎さんが目を瞬かせている。ヘッドセットを外した直後の、現実に焦点が戻りきっていない顔。
「——さて、そろそろ帰らないと」
和太郎さんがスマホを手に取った。画面を見て、止まった。
「…………え」
「どうしました?」
「終電……ない」
◇ ◇ ◇
終電が、なくなっていた。
スマホをもう一度覗き込んだ。最終は十五分前に出ている。
「……あー」
「……明日って仕事休み?」
「休みです」
「ほんっと申し訳ないんだけど、始発までいさせてもらってもいい? 何もしないから!」
「……はい!?」
両手をぶんぶんと胸の前で振っている。眉が下がって、目はまん丸。
「ほら、あの、ね? 何もしないからね!?」
(何を言っているんだ、この人は)
「——だってよ」
低い声だった。和太郎の声だった。
「
——腹の底から声を出して、和太郎さんが言い放った。
でも現実は真逆だ。女性と、普通の男。
事案なのは、どっちかといえばこっちの方で——
「……っ、ふ」
笑ってしまった。
和太郎さんも笑っている。おじさんの声で、女の人の顔で。
「ね? だから大丈夫。——紗雪ちゃんじゃなきゃ、こんなことお願いできないし」
和太郎さんがこちらをじっと見ている。返事を待っている顔だった。
——あの声を出すとき、和太郎さんの指先が少しだけ握り込まれていたのを、見なかったことにした。
「……わかりました。じゃあ、夜食でも買ってきます?」
「おっ、いいじゃん。いこいこ!」
和太郎さんがくるりと玄関の方を向いた。さっきまでの低い声が嘘みたいに、肩の力が抜けていた。
始発は、五時十三分。あと五時間。
◇ ◇ ◇
戻ってきた頃には、夜風で頬が冷えていた。五月の深夜はまだ上着がいる。
会計は和太郎さんが引き取った。「お邪魔するんだから」だそうだ。
買ってきたお菓子をローテーブルに並べた。ポテチ、チョコ、グミ。
袋の底に、歯ブラシが残っていた。
「あ、それ洗面所置いていい?」
「……どうぞ」
和太郎さんが歯ブラシを持って洗面所に消えた。戻ってきたときにはもうポテチを開けている。
「せっかくだし、作業しよっか。BGM代わりに何か流す?」
「……じゃあ、誰かの配信アーカイブでも」
ソファに並んで腰を下ろして、ローテーブルにタブレットを立てかけた。他の個人VTuberのアーカイブを流す。
——三十分後。
俺たちはどちらも、作業を始めていなかった。
ふと立ち上がった拍子に、冷蔵庫からお茶を出していた。コップを二つ並べてから手が止まった。
(……配信でもないのに)
和太郎さんは画面から目を離さずにコップを受け取った。ありがと、と小さく言う声が、もう完全にだらけていた。
お互いソファに体重を預けて、タブレットの方を向いている。お互いの顔は見えない。
それだけで、なぜか声が出やすくなった。
「手だけのVTuberもいるんですね……右手ライトさん?」
「いるいる。この人ね、喋らないんだけど、手の動きが妙に達者で見てて飽きないんだよね」
「動きだけで……」
「うん。手だけぶんぶん振ったり、ピースしたり。何か伝わってくるんだよね」
「個人は何でもありだよ。商業みたいに売れなくてもいいし」
話題が飛ぶ。タブレットの画面が変わるたびに、別の話になる。
「弟がさ、ゲーム実況始めたいとか言い出してて」
「弟さんいるんですか」
「うん。けっこう年離れててね、まだ——あっ、ちょっと待って待って、見てこれ」
和太郎さんが急にタブレットを指差した。画面の中で、配信者がレトロゲーの隠し落とし穴に派手にハマっていた。
「あー、痛い痛い痛い。これ罠だってわかんないんだよなぁ」
「初見殺しですね……」
「私もこれ初見でやられたんだよね。同じとこで」
時計を見ていなかった。見なくていい夜だった。
——レトロゲーの話題になった。画面に映った配信者が、昔のRPGのBGMを口ずさんでいた。
「あー、これ懐かしい。おじいちゃんの家にあったやつだ」
和太郎さんの声が、一瞬だけ変わった。
「……おじいさん?」
「うん。おじいちゃんの影響でね、レトロゲーム」
それだけだった。すぐに画面に目を戻して、「あ、この人のゲーム選び面白い」と話題が移っていった。
——口を開きかけて、やめた。和太郎さんの横顔が、もうタブレットの方を向いていた。
◇ ◇ ◇
「あ、ちとせさん配信してる。珍しい」
タブレットの画面に、和風ロリアバターが映っていた。千歳飴モチーフの着物姿。配信中の
俺はスマホで紗雪のアカウントを開いて、コメントを打ち込んだ。
『こんばんは~。久々の配信ですね~』
画面の中のちとせさんが「あ、紗雪ちゃん来てくれた〜! ありがと〜」と手を振った。
隣で和太郎さんも、笑いながらスマホを操作している。
『おっ、元気してたか~』
「和太郎さんも来た〜! 今日豪華メンバーじゃん」
画面の中のちとせさんが嬉しそうに笑っている。
——和太郎さんと顔を見合わせた。
ちとせさんの画面の中では、二人は別々の場所からコメントしているはずの知り合いだ。
俺たちが今、同じソファでこれを見ながらコメントしていることなんて、想像もしていない。
「この前VRで会いましたよ」
「わーそうなんだ、元気だった?」
「たこ焼きでした」
「たこ焼き!?」
「パックの。六個入りの。手足が生えてる」
「なにそれ!? いや全然想像つかないんだけど」
画面の和風ロリちとせさんは上品に喋っている。あのたこ焼きと同一人物だと思うと、深夜テンションも相まって笑いが止まらなくなった。
「あはは、VRの姿知ってると別物すぎるよね」
「かつお節が揺れてました」
「ぶふっ……いやだめ、想像したらだめ……かつお節がぁ……」
和太郎さんが腹を抱えている。
笑いが収まった頃、和太郎さんがタブレットの画面をぼんやり見たまま呟いた。
「ねえ、今のこの状況って何て言えばいいんだろうね」
「……リアルコラボ? ですかね」
「でもこれ配信じゃなくてシークレットだし」
「リアルシークレットコラボ……?」
「なっが。あと名前入れとこ。わたさゆで」
「わたさゆ……リアルシークレットコラボ」
「だから長いって。わたさゆシークレットでいいんじゃない」
——その名前が、妙にしっくりきた。
長い名前が、二人の間で削られていく。「リアル」が落ちた。「コラボ」も落ちた。
残ったのは二つだけだった。
「わたさゆシークレット。……いいですね」
「でしょ?」
和太郎さんが膝を抱えて、満足そうに笑った。
——笑いが、少しだけ引いた。
タブレットから配信の音だけが鳴っている。和太郎さんはもうこちらを見ていなくて、画面のちとせさんをぼんやり眺めていた。
この人には言えない。誰にも言えない。
言葉にしてしまうと、この時間が秘密になる。秘密になる、ということは——たぶん、もう普通じゃない。
和太郎さんが何を考えているのかはわからなかった。膝を抱えた姿勢のまま、ただ画面を見ている。
深夜の空気が、ほんの少しだけ静かになった。
◇ ◇ ◇
タブレットの音が、遠くなっていた。
お菓子の袋は空になっている。エアコンの微かな音。和太郎さんの声がゆるやかになって、返事が遠くなって——
意識が、落ちかけた。
——柔らかいものに頭が触れた。肩だった。シャンプーの匂いが、近すぎた。
「——っ」
跳ねるように身体を起こした。心臓がうるさい。
「す、すみません」
「いいよ別に。眠いなら寝なよ」
「あ、いえ、大丈夫です
——口から出ていた。
和太郎さんが、ぴたりと止まった。
俺の脳が、三秒遅れて理解した。
「あっ、いや、その」
「……ふふっ」
和太郎さんが、口元を押さえて笑っている。半分本気で面白がっている顔だった。
「やっと呼んでくれた」
「……いや、寝ぼけてただけで」
「ふーん?」
「本当です」
「やだ、覚えとく」
心臓がうるさい。完全に目が覚めた。
俺は——もう眠れなくなっていた。
仕方がないから、一緒にタブレットを見るふりをした。
◇ ◇ ◇
窓の外が、白くなっていた。
カーテンの隙間から差す光。タブレットもいつの間にか暗くなっていた。いつスリープしたんだったか——和太郎さんが消したのか、俺が消したのか、覚えていない。
隣で和太郎さんが伸びをした。
「うわー、徹夜しちゃった。久しぶり」
「俺もです……」
目の下が少しだけ重い。でも、嫌じゃなかった。
和太郎さんがソファから立ち上がった。
「お茶でも飲む?」
「あ、俺が——」
「いいから座ってて。昴さん寝かけてたじゃん」
和太郎さんが冷蔵庫を開けて、お茶を二つ出している。手慣れていた。
——うちの冷蔵庫なのに、俺より迷いがない。
「はい、お茶」
コップを受け取る。冷たい。少しだけ目が覚めた。
和太郎さんがローテーブルのお菓子の残骸を片付け始めている。これも手慣れていた。
——ちゃんと言わなきゃ。
「……和太郎さん」
「ん?」
「昨夜はすみませんでした」
「何が?」
「終電とか、色々」
和太郎さんの手が止まった。
こちらを見て、ふっと笑った。
「——楽しかったのに、なんで謝るの?」
「…………」
「私は楽しかったよ。わたさゆシークレット」
お菓子の袋をゴミ箱に入れて、手を払った。
「またやろうね」
玄関に向かう背中を見送った。
ドアが閉まった。
——静かだ。
ついさっきまで、この部屋には人の声があった。今はエアコンの微かな音が、天井から落ちてくる。
ローテーブルの上には、お茶のコップが二つ。
スリープしたままのタブレット。
ソファのクッションには、二人ぶんのへこみ。
洗面所には、二本の歯ブラシ。
——人がいた、ということだけが、部屋に残っていた。
昨夜の感触は、まだ消えていなかった。