3D彼女♂とレトロ彼氏♀ ~男女あべこべVTuber、中の人ごと好きになる~ 作:式守 芽衣
ドアが閉まった音が、まだ耳の奥に残っていた。
ローテーブルのコップを、流しに運ぶ。二つ。
タブレットは片付けた。
(……静かだな)
静かなのに、昨夜までの賑やかさが、まだ耳の奥に残っていた。
——徹夜明けの疲れが、急に身体に落ちてくる。
冷蔵庫を開けかけて、やめた。
俺は、そのまま寝ることにした。
◇ ◇ ◇
数日が経った。
和太郎さんの配信日。夕方、スマホが震えた。
『今日、ちょっと早めに行っていい? コンビニでよければ晩ごはん買ってくけど。リクエストある?』
『全然いいですよ! パスタ系があれば、それでお願いします』
しばらくして、チャイムが鳴った。
「おじゃましまーす」
薄手のロング丈プルオーバーにレギンス。手にはコンビニの袋。パスタに、中華丼。いつものプリンと炭酸水。
「リクエスト通り、パスタね。季節の和風のやつ」
「ありがとうございます」
迷いのない足取りで、和太郎さんがリビングに上がった。
洗面所の歯ブラシは、二本並んだまま。戸棚の中のコップは、定位置にある。
(……前からあったっけ)
自分で買った記憶が、曖昧だった。歯ブラシの予備も、コップも、いつの間にか「そこにある」状態になっていた。
「
「あ、いえ。お茶、出しますね」
冷蔵庫からお茶を出す。コップを二つ並べるのは、もう手癖だった。
ソファに並んで、配信前の晩ごはんにした。
和太郎さんは中華丼の蓋を開けて、割り箸を割った。
ソファの上で胡座をかいて、かきこんでいる。
ロング丈のプルオーバーが膝まで被さって、すっぽり収まっていた。
タブレットで誰かのアーカイブを流しながら。
俺も和風パスタのフィルムを剥がした。大葉の匂いがふわっときた。
——そうだ。
「そういえば」
つい、口が動いていた。
「この前言ってた弟さんって、どんな感じの人なんですか」
和太郎さんが、ふと目を瞬かせた。
「あれ、覚えてたんだ」
お茶に視線を落とした。
「なんとなく気になって」
「ふーん」
和太郎さんは、少しだけ笑って、お茶を置いた。
「弟ねぇ。けっこう年離れててね、まだ大学生」
「あ、そうなんですね」
「今はあんまり会わないかな。受験のとき何週間かうちに泊まりに来てたけど、それっきり」
声の調子が、いつもより柔らかかった。和太郎の豪快さでもない、いたずらっ子のからかいでもない。——姉としての顔だった。
「最近ね、ゲーム配信にハマっちゃってて。自分もやりたいって——あ、VTuberじゃなくて顔出しの方ね。好きな配信者がいるらしくて」
「あ、顔出し」
「大学入ってから、そっち系にハマったみたいでね」
「そうなんですね」
「配信やりたいって言われたとき、無駄にドキッとしちゃってさ」
和太郎さんが、困ったように笑った。
「……わかります。身内にそれ言われたら焦りますよね」
話題が、自然に広がっていく。
「紗雪ちゃんとこ、最近コメント増えたよね。新しい人も来てない?」
「あ、わかります? 常連さんが話を振ってくれるおかげで、新規の人も書き込みやすくなったみたいで」
「いいねぇ。うちはね、古株がもう勝手に仕切ってくれてるから楽なんだけどさ」
「和太郎さんのところ、コメント欄の空気いいですよね。ツッコミの間とか絶妙で」
「あれは常連さんの芸だよ。私が育てたわけじゃない」
タブレットの画面が切り替わって、誰かのVR配信が映った。薄暗い西洋の城の中を歩いている。壁に蝋燭が並んでいた。
「あっ、これ。ムチで敵倒すやつに似てない?」
「ああ、階段で落とされるやつ」
「それそれ! 子供の頃めっちゃやってた。思い出すなぁ」
遠くを見るような目で、お茶をすすった。
(子どもの頃の和太郎さん、どんなだったんだろう)
和太郎さんが、お茶のコップを両手で包んで、ふっと息をついた。
「なんかさー」
「はい?」
「自分ちみたいに落ち着くな、ここ」
——っ。
(……ああ、いや)
曖昧に笑い返して、お茶をすする。
——この部屋に越してきた日の、何もなかった景色がよぎった。
和太郎さんは何も気づかずに、画面を見ている。
「さ、そろそろ配信の準備しよっか」
立ち上がって、ぐっと伸びをした。
「——よっしゃ、今日もいくかぁ!」
和太郎の呼吸だった。
◇ ◇ ◇
配信が終わって、和太郎さんが帰っていった。
ドアが閉まった。
——静かだ。
ローテーブルのコップを、流しに運ぶ。
洗面所の歯ブラシが、二本並んでいる。
——どの動作にも、和太郎さんの痕跡があった。
(……いつのまに、こんなになったんだろう)
口から零れそうになった言葉を、飲み込んだ。
いつもの静けさのはずなのに、今日は落ち着かなかった。
◇ ◇ ◇
数日後。
「来月から繁忙期なんだよね」
配信前の準備をしながら、
ゲーミングノートを開いて、配信ソフトの設定を確認している。いつもの手つき。
「繁忙期、ですか」
和太郎さんの仕事。小さな会社で、展覧会グッズの企画と、ショップ運営をしているらしい。ちゃんと聞くのは初めてだった。
「繁忙期自体は毎年あるんだけどね。今年はちょっと任されること増えちゃって」
眉尻は下がっているのに、口元だけ少し嬉しそうだった。
「展覧会の開幕前がいっちばんヤバくて。グッズの納品とかショップ設営とか——土日も出なきゃいけないし」
「早くて20時退社かな。遅いと23時。流石にそこまでいったら翌日のことしか考えらんないけど」
「……きついですね」
「まあ仕方ないよ。配信はちょっとお休み増えるかも」
何でもないように言って、画面をスクロールしている。
「止めたくはないんだけどね。せっかく最近、調子いいし」
……和太郎さんの地力と、この防音室。その両方があって、今の調子がある。言葉にはしなかった。
「でもさすがに毎回は無理だから、今日リスナーに言おうと思って。しばらく不定期になりますって」
「——そうですか」
(和太郎さんの配信が、減る)
和太郎さんは配信ソフトに向き直ったまま、コーヒーに手を伸ばした。
「それにさ、最近あっちの部屋ほとんど寝に帰るだけだし。繁忙期はそういう日増えるから、ちょっとさみしいなって」
笑っていた。でも、目がどこか遠かった。
「よし、準備おっけー。行ってくるね」
和太郎さんが防音室に入った。
俺はタブレットで配信画面を開いた。
◇ ◇ ◇
20時。和太郎の配信が始まった。
『待たせたなっ! 昭和の良心、
おじさんの間合い。息遣いと抑揚だけで、喋りがおじさんになる。
コメント欄が流れ始める。いつもの常連に混じって——
『最近の和太郎さん声の通りやばくない?』
『わかる 先月あたりから明らかに変わった』
『環境変えた? 音がクリアになってる気がする』
——俺の耳が、反応した。
声を6割に殺していた和太郎さんが、防音室で全力を出せるようになった。
俺もずっと聞いていた、この変化を。
リスナーの耳が拾ってくれたのが、少し誇らしい。
コメント欄に、ちとせさんの名前が見えた。
『ちとせ:和太郎さん最近すごくいいよね~。なんか余裕がある感じ?』
——あのときVRで言ってた言葉と、同じだ。今度はコメント欄で、みんなの目の前で。
『おっ、ちとせちゃんありがとよ~。マイクの位置ちょっと変えたんだ。それだけだぜ?』
さらっと流して、話題が変わった。今日は90年代のハード周辺機器。
『今日はな、あの伝説のタワーの話するぞ。知ってるか?』
和太郎さんの声を聞きながら、これまでのことを、ぼんやり考えていた。
『CDユニットの上に本体載せて——』
——音声機材を貸したのが、最初だった。
『さらに拡張ユニット突っ込んで——』
——防音室。終電。いろんな話をした。
『コンバーターまで噛ませる! もうね、見た目が完全にバカ。設計思想バラバラのものを積んでんだからな』
——これから、どうなるんだろう。
『でもな——動くんだよ、これが』
コメント欄が笑いで流れた。
『積めば積むほど愛着湧くやつ』
『このメーカーだからこそ成立する無茶w』
『だろぉ? 無茶なのにちゃんと噛み合ってるとさ、なんか愛しくなるんだよなぁ!』
——手が、止まった。
なんだろう。今の、妙に刺さった。
常連がツッコミを入れて、新規の人もコメントし始めて。
和太郎さんの声が、楽しそうだった。心底、楽しそうだった。
——配信の終盤。
『あ、そうだ。最後にちょっとお知らせがあるんだがよ——』
『何何!?』
『新企画?』
『和太郎さんのお知らせ楽しみ!』
コメント欄が沸く。
和太郎さんの声が——一瞬だけ、止まった。
俺も、息を止めていた。
『……あー、やっぱ次にすっか! 今日はこのまま終わるぞ!』
『えーっ』
『じらすねー和太郎さんw』
『次回予告! 気になる!』
『わはは、悪い悪い。んじゃ今日はここまでだ! みんなありがとな! また次の配信で会おうぜ。チャンネル登録、高評価よろしくな!』
配信が終わった。
防音室のドアが開いた。
「……言えなかった」
小さな声だった。さっきまであんな声を出していた人とは思えないくらい、肩が小さくすぼんでいた。
◇ ◇ ◇
冷たいお茶を出した。配信後の、いつもの。
「……あそこで言わなくてよかったと思いますよ。あの空気で言ったら、和太郎さんが一番つらいじゃないですか」
少し間があった。
「……ありがと」
和太郎さんがコップを受け取った。結露で指が濡れる。防音室は空調を切って配信するから、5月はもう暑い。
お茶を一口飲んでから、ぽつりと言った。
「盛り上がってるのにさ、水差せないじゃんね。声のこと言ってもらえて——嬉しかったし」
——さっきの配信のことだ。タブレット越しに、ずっと見ていた。
リスナーが音質を褒めるのも、ちとせさんが「いいよね」と言うのも、和太郎さんが嬉しそうに笑うのも。お知らせを飲み込んだ瞬間も。
全部、見ていた。
——何か、できることはないか。
和太郎さんのコップに、水滴がゆっくり伝っていく。
「毎回20時は無理でも、できる日はありますよ」
和太郎さんが顔を上げた。
「……え?」
「少し遅くなる日だけ、開始時間ずらすとか。来れる日だけでも使ってください」
「……でも、遅くなると帰るのしんどいし。紗雪ちゃんの配信もあるし」
「そこは上手く調整しましょう。紗雪の配信予定は多少融通も効くので大丈夫です」
「そうは言ってもなぁ……ん?……いっそ、ここから職場通った方が早い?」
——それだ。
「……あ、ごめん。今の、さすがに巻き込みすぎ――」
和太郎さんの言葉を遮るように言った。
「部屋は分けられますし、問題ないと思います」
——和太郎さんの目が、一瞬だけ大きくなった。
伸びかけた手が、行き場をなくしたみたいに宙で止まる。
「……え」
「繁忙期の間だけ、お試しで。そうしましょうか」
自分でも驚くくらい、自然に出た。配信と生活の問題を、最短距離で解決しただけだ。
——なのに、一瞬、何かが引っかかった。
思わず、目をそらした。
(……和太郎さんの配信が止まる方が、問題だ)
タブレットを引き寄せた。地図アプリを開く。
「職場、ここですよね」
「うん」
「和太郎さんの部屋が、ここ」
「うん」
「うち、この間なんですよ」
「……ほんとだ」
和太郎さんが身を乗り出して画面を覗き込んだ。肩が触れそうな距離。
俺が経路をタップすると、和太郎さんの指も画面に伸びてきて「ここ乗り換え」と駅をなぞった。指が交差する。
目が、真剣だった。配信のときとは違う、素の目。完全に、打ち合わせの顔だった。
「20時に出たら、20時半には着きますよね。配信を21時開始にずらすのはどうですか」
「……いける。できないよりずっといい」
「23時退社の日は配信なし。次の日もあるし、無理はしない」
「うん」
「じゃあ
「スケジュールが被らないように調整すれば問題ないです。紗雪の方は融通ききますから」
和太郎さんが、タブレットから顔を上げた。
「……迷惑じゃない?」
和太郎さんが、少しだけ声のトーンを落とした。冗談ではなくなっていた。
「効率の問題ですし。生活リズムは……こっちで合わせます」
「遅い日は無理せず、配信できる日だけ回しましょう。荷物も最低限でいいです。必要になったらその都度考えれば」
和太郎さんが、じっとこちらを見ていた。
……なんだろう、この顔。眉が少し下がって、口が半開きのまま止まっている。
指先が落ち着かなさそうに、タブレットの縁を行ったり来たりしていた。
驚いているのか、困っているのか、どちらとも読めなかった。
——ふっと、和らいだ。
少しだけ、はにかんだ。
「じゃあ、お試しルームメイト……毎日、わたさゆシークレットだね」
タブレットの地図が、まだ二人の間にある。職場と、うちと、水野さんの部屋が、一直線に並んでいる。
◇ ◇ ◇
お試しが決まった後も、何も変わらなかった。
いつものお茶。いつもの距離。和太郎さんはソファで足を投げ出して、さっきの地図をスクロールしている。
決まる前と、決まった後が、同じ景色だった。
「——あ、やば」
和太郎さんが急に顔を上げた。時計を見て立ち上がる。
「終電!」
バタバタと玄関に駆けていった。靴を引っかけて、ドアノブに手をかける。
「急いで帰って、明日着替えとか持ってくるね!」
「……はい」
「じゃ、明日な! うぉお!」
和太郎モードの声だった。
ドアが閉まった。
——と思ったら、開いた。和太郎さんが顔だけ覗かせる。
「……ありがと」
小さな声だった。和太郎じゃない、素の声。
ドアが、もう一度閉まった。
——静かだ。
ローテーブルにコップが二つ。タブレットが、まだ地図を映している。
玄関に、和太郎さんのスリッパが揃えてある。
タブレットの地図を閉じた。画面が暗くなる。
あの終電を逃した夜も、ドアが閉まって、こうなった。
「いない方が落ち着かない」と思った、あの夜も。
同じ静けさのはずだった。
——でも、違う。
この静けさは、何かが減った音じゃなかった。
◇ ◇ ◇
昼下がり、駅まで迎えに行った。
改札を出てきた
「紙袋、持ちますよ」
「——ありがと。これ重いから気をつけて」
紙袋を受け取った。ずっしり重い。何が入ってるかは、聞かないでおく。
◇ ◇ ◇
玄関のドアを開けた。
「おじゃましまーす」
「——じゃなくて」
一拍。
「これからしばらく、よろしくお願いします、でいいのかな?」
「……こちらこそ、よろしくお願いします」
俺の声は少しぎこちなかった。
和太郎さんが少しだけ笑って、靴を脱いだ。
◇ ◇ ◇
キャリーケースを開けながら、和太郎さんが中身を出していく。
着替えのポーチ。タオル類。仕事用のスーツ。
そして——
「……あれ」
出てきたのは、手のひらサイズの『ゲーム機タワー』だった。CDユニットの上に本体、その上に拡張ユニット、コンバーターまで。公式の再現ミニ版。
「……それが最低限なんですか」
「最低限だよ」
和太郎さんが真顔で言った。
「これ無いと落ち着かないし」
配信机の上に、慎重に置いた。
配信で熱弁してたやつだ。
キャラ作りでも配信ネタでもなく、本当に愛してる人の所作。
(……愛しくなるんだよなぁ、か)
昨夜の配信の言葉を受けたものが、今、机の上に置かれている。
◇ ◇ ◇
一段落してから、冷たいお茶を出した。
和太郎さんがソファに座って、タワーを眺めている。
ポケットから合鍵を取り出した。午前中のうちに、合鍵屋に寄っておいた。
「そういえばこれ、渡しておきます。基本的に在宅ワークがほとんどですが、外に出ることもあるので」
差し出す手が、一瞬だけ止まった。
この部屋の鍵を誰かに渡すのは、初めてのことだった。
「あ、ありがと。ルームメイトだもんね」
和太郎さんが受け取って、バッグから何かを引っ張り出した。
——ファミコンカセットだった。
本物。手のひらサイズ。表面に色褪せたシール。角に穴が開いていて、ボールチェーンが通してある。
「……え、それ本物ですか」
「うん、本物。端子は生かしてあるから、ちゃんと動くよ」
「穴、開けたんですか」
「開けた。こないだ配信で実際に使ってたのも、これ」
誇らしげだった。
(……マジで)
「ちゃんと動くんだぜ? この鍵も、カセットも」
和太郎さんの生声が、ふっとおじさんになった。
「……いい、ですね」
他に、なんて言えばいいのかわからなかった。
——膝の高さでやられる、伝説的に弱い主人公の、本物の、今も現役の、カセットに、穴を。
和太郎さんが、合鍵を取り付けようとリングに指をかけた。硬くて、なかなか開かない。
「……あ、貸してください」
俺が代わりに押し開いて、合鍵を通した。カチリ、と小さく音が鳴った。
和太郎さんが両手で受け取った。
「——わあ」
そのまま目の前に掲げて、ゆらり、と揺らしてみせる。カセットが振り子みたいに揺れて、新しい鍵が光を拾った。
見たことのない顔だった。
歯を見せて笑っている。目尻が下がって、自分の宝物を誰かに見せたくてたまらない人の顔。
(……こういう顔、するんだ)
「はい、合流完了」
カセットと、他の何やらと、新しい鍵が、じゃらっと音を立てた。
新しい鍵だけが、やけにピカピカだった。
寝る場所の話になった。和太郎さんは防音室。配信のある日もない日も、ここで寝起きする。俺は仕事部屋かリビング。
昨日言った「部屋、分けられますし」が、現実の運用になっていた。
◇ ◇ ◇
夕方、二人で買い出しに出た。
和太郎さんの布団と、足りない生活用品。
ホームセンターの売り場。和太郎さんが、低反発の枕を手に取って重さを量っている。
「和太郎さ——」
言いかけて、止まった。
結局、こぼれた。
「
一拍。
振り向いた和太郎さんが、にんまりと笑った。
「配信外でも、なんなら配信でもその呼び方でいいよ〜。そういう名前だし〜」
(……配信で?)
「……ま、家の中では和太郎さんでもいいけどね?」
満足げに、枕をカゴに入れた。
帰り道、スーパーでパック寿司を二人分買った。お祝いだから、だそうだ。
◇ ◇ ◇
玄関のドアを開ける。
「ただいま〜」
——あのときの「ただいま」。
今度は、言葉で来ている。
「おかえりなさい」
出かける前のぎこちなさは、もう消えていた。
◇ ◇ ◇
寿司をテーブルに並べて、二人で食べた。
食べながら、明日からの配信の段取りを詰めた。
基本的に21時開始。紗雪は合間に差し込む。あとはその日の忙しさで適宜調整。
話もおちついたところで片付けて、お茶を出した。
和太郎さんがソファで足を投げ出している。俺はいつもの位置にいる。
——何度目かの、いつもの夜だった。
その夜、和太郎さんがあくびをしながら言った。
「明日から繁忙期かぁ。でも、配信もやるぞ〜」
穏やかに言った。大変だ、とは言わなかった。
俺は、何か返したかった。何も思いつかなかった。
ミニサイズのあのタワーが、机の上で静かに立っている。
電気を消しかけて、ふと玄関を見た。
靴箱の上に、合鍵のキーホルダーが置いてある。
自分の鍵と、並んでいた。
(……なんで、こんなに落ち着くんだろう)
仕事部屋の布団に入って、目を閉じた。