3D彼女♂とレトロ彼氏♀ ~男女あべこべVTuber、中の人ごと好きになる~   作:式守 芽衣

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第7話 目に焼き付いて

 『いぇーい——』

 

 腕を突き上げて、ぴょんと跳ねる。

 紗雪(さゆき)のアバターが、半回転しきらずに、背を向けて止まった。

 

 ——まだだ。

 

 ヘッドセットの中で、一度、息を整える。

 

 仕事はとっくに終わっている。

 机の上の時計は、二十時を少し過ぎていた。配信まで、あと一時間弱。

 

 スマホが、光った。和太郎(わたろう)さんからだ。

 

 ——【和太郎】今日は遅くなりそう。夕飯も済ませて帰るね。

 ——【和太郎】二十二時くらいに着くと思う~。

 

「お、余裕あるな」

 

 独り言が漏れた。

 

 今日は、紗雪のソロ配信の日。

 和太郎さんが帰ってくる前に、終わらせたい。

 

 ——本番で、決める。

 

 手首を振って、一度、力を抜いた。

 

 冷えたお茶を一口、喉を湿らせる。

 

 ボイチェンを通した声を、もう一度確認する。

 

「こんきちぃ〜」

 

 うん、可愛い。

 

 ——紗雪が、俺に宿った。

 

◇ ◇ ◇

 

 二十一時、配信開始。

 

『こんきちぃ〜! 夜空紗雪(よぞらさゆき)だよぉ〜』

 

 紗雪の挨拶。アバターの手がフリフリと動く。

 

『今日は一人で、まったりやっていくよぉ〜』

 

 コメントが流れ始めた。

 

『こんきちー』

『キレッキレ期待』

『最近の紗雪ちゃん可愛さ覚醒してない?』

 

(……やっぱり、そう思われてる)

 

 紗雪モードの、少し深いところで、そう思った。

 

 ここ最近、アバターの動きが、身体に馴染んできている。

 ふとした時に、手が、勝手に可愛いポーズを取ろうとしている。

 俺の方が、紗雪に引きずられている感覚があった。

 

 ——多分、気のせいじゃない。

 

『じゃあ〜、久しぶりに動いてみようかな〜』

 

 VR空間で、軽く手を振る。

 アバターの髪が、ふわりと揺れる。

 

『おー』『動いてる!』『相変わらずぬるぬる』

 

『実はね、最近、特訓してたんだよぉ』

 

『おお!』『何の特訓!?』『気になる!』

 

『ふふふ、見てのお楽しみ〜』

 

 少し、タメる。

 

『じゃあ、いっちゃうよ〜、せーのっ』

 

 心拍が、少し上がった。

 ——失敗したら、また恥ずかしいぞ。

 

 両手をぐっと握って、胸の前に引き寄せる。

 腰をちょっとひねって、顔を斜め上に向ける。

 

 肘を引いて、タメて——

 

『いぇーいっ!』

 

 勢いよく腕を突き上げて、ぴょんと跳ねる。

 アバターがくるっと半回転した。

 

 ——決まった。

 

『可愛ええぇ!!』

『すげえw前はできなかったのにw』

『紗雪ちゃんかっこいい!』『かわいい!』

 

『でしょ〜? 特訓したんだよぉ〜』

 

 以前、和太郎さんに教わって、できなかったやつだ。

 一人で、何十回も練習した。

 やっと身体が覚えた。

 

『他のポーズもあるよぉ。見たい?』

 

『見たい!』『全部見せて!』

 

 くるりと回って、手を頬に添える「えへへ」ポーズ。

 両手で顔の横にハートを作って、覗くように。

 

 片足を上げて、軽くジャンプ。

 最後に、腰を少しひねって、カメラに肩越しの流し目。

 

『さゆきち進化してる』

『ほんと可愛い』

『これでバ美肉ってんだから、可能性感じるなあ』

『言うな言うな』

 

 いつものメンバーが、楽しそうに返してくれる。

 

 ——やった。

 

 一人で何十回もやり直した。

 モニターに映る紗雪を、何度も見直した。

 身体が覚えるまで、繰り返した。

 

 紗雪モードの高揚が、頂点に近かった。

 

◇ ◇ ◇

 

 ——あ、時間過ぎてる。

 

 紗雪モードで喋っていると、時間の感覚が曖昧になる。

 

『じゃあ、そろそろ時間だね。今日はここまで〜』

 

 配信を終えるボタンに手を伸ばす。

 

『さゆきち、またね〜』

『お疲れ〜』

『今日も可愛かった』

 

『おつきち〜、またね〜!』

 

 アバターが手を振る。

 

 配信終了ボタンを押した。

 

 紗雪のアバターが、視界から消える。

 

 俺は、ヘッドセットに手をかけた。

 

 ——そのとき、背後から声が降ってきた。

 

「すごいじゃん! かわいい〜!」

 

 ヘッドセットを外しかけた手が、止まった。

 

 ギギギ、と音がしそうな勢いで、俺は首だけ振り返った。

 

 仕事部屋の引き戸が開いていて、リビングにアキラさんが立っていた。

 ——いつから、そこにいたんだろう。

 

 ジャージ姿。髪の先が、まだ少し湿っている。

 思ったより早く帰れて、シャワーまで済ませたらしい。

 

 目を輝かせて、腕を組んで、にこにこしていた。

 

「み、て、たんです、か」

 

 声が、震えた。

 

「見てた見てた! ちょっと早く帰ってこられてさ。ポーズも様になっていいじゃん!」

 

 ——ッ。

 

 頬が、一瞬で熱くなった。

 

「声もいい感じ。まさに紗雪ちゃん! って感じ。あ、あと」

 

 アキラさんが、思い出したように、付け加えた。

 

「生声だとオネエっぽくなるんだね?」

 

 俺は、力が抜けたように、その場にへたり込んだ。

 

 床に、ずるずると、両手が滑り落ちた。

 

(……大丈夫、まだ致命傷だ)

 

「ちょっと紗雪ちゃーん、そんな恥ずかしがらないでって〜」

 

 アキラさんが、笑いながら部屋に入ってきた。

 

「ずっと練習してたんだね」

 

「……はい」

 

 顔が、上げられない。

 

「……ちょっと、アーカイブ出してもらっていい?」

 

 俺は、のろのろとPCの前に戻って、配信アーカイブを開いた。

 アキラさんが、マウスを奪って、再生バーを動かす。

 

 ガッツポーズの場面で、止まった。

 

「ここ。ここが特にさ——あれが、こんなに仕上がるんだ、って」

 

 画面の中で、紗雪が跳ねて、くるっと半回転している。

 

 俺は、口を、開いた。

 

「……この間、お手本で見せてもらったポーズと」

 

「うん」

 

「アキラさんが紗雪でVRに入った時の、あの時の動き」

 

「……え?」

 

「凄く、可愛くて。目に焼き付いてて——それを、目指しました」

 

 しばらく、アキラさんの声がしなかった。

 

 横目で見ると、アキラさんが口元のあたりを指の背で軽く押さえて、画面に目線を逃していた。

 

「……そっか」

 

 声が、少しこもっていた。

 

 一度、小さく咳払いをして——

 

「リスナーも楽しんでたしさ。私も、見てて楽しかったよ」

 

「……どっちを、ですか?」

 

「勿論配信!」

 

 少しだけ、早口だった。

 

 俺は、小さく頷いた。

 

 恥ずかしさと、何か別のものが、胸の奥でせめぎ合っていた。

 

「じゃ、落ち着いたら、リビング来て。晩酌しよ」

 

 アキラさんが、先に部屋を出ていった。

 

◇ ◇ ◇

 

 リビングに移動して、冷蔵庫から缶チューハイを二本取り出した。

 

「お疲れさまでした」

 

「お疲れ〜」

 

 ソファに並んで座る。

 

 アキラさんが、缶を掲げた。俺も、小さく掲げて返した。

 かつん、と、金属の音が鳴った。

 

 一口、飲む。

 レモンの香りと、舌を刺す細かい炭酸。

 

「ふぃ〜、生き返る〜」

 

 アキラさんが、ソファに深く身体を預けた。

 いつものアキラさんだった。

 

「今日のリスナー、みんな優しかったねぇ」

 

「……はい」

 

「いい常連、育ってきた感じするよ」

 

「……そうですね」

 

 しばらく、二人で、缶だけ傾けた。

 

 壁の時計が、静かに時を刻んでいた。

 

 今日は、これで十分だった。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 数日後の夜。

 

 仕事から帰ってきたアキラさんが、リビングの真ん中で——

 

「おはようVTuber——!」

 

 両手を顔の横で開いて、首を軽く傾げ、キメ顔でポーズを取っていた。

 

 まだジャケットは脱いでない。

 ストッキングのままの足が、フローリングに吸い付いている。

 肩まで伸びた髪が、首の角度でふわっと流れた。

 

 俺は、仕事部屋から出てきた足を、止めた。

 引き戸に添えた指が、そのまま、固まった。

 

(……どういう状況だろ、これ)

 

「あ、(すばる)さん、お疲れー」

 

 アキラさんが、ポーズをそのまま、こちらへ視線だけ向けた。

 

「……おはVの画像、考えてたんだけどね」

 

 少し、間。

 

「色々考えてたら、こんがらがっちゃって。気づいたら、このポーズ決めてた」

 

(……なるほど?)

 

 いわゆる「おはV」。

 SNSでのおはよう投稿で個人Vがよく使うハッシュタグ。

 画像や短い動画に一言添えて、リスナーとの接点を保つ。地味だが重要なルーティンだ。

 

 アキラさんが、ふっと息をついて、ポーズを解いた。冷蔵庫へ向かう。

 

「——あ、お茶ない」

 

 やかんに水を入れて、火にかけた。

 

 俺も、ソファに腰を下ろす。

 

「もう一週間くらい、同じ画像でやっててさ。そろそろ変えたいんだよね」

 

「……ですよね。俺も、VRで撮り溜めた画像の使い回しです」

 

「あー、紗雪ちゃんはそういうストックいっぱいあるからいいよねー」

 

「楽ではあるんですけど。——リプ来ると嬉しいから、つい毎日投稿しちゃいます」

 

「あー、その気持ちわかる」

 

「思い切って、動画にしちゃう?」

 

「……動画、ですか?」

 

「そう、三十秒くらいの動画。流石に毎朝は無理だけど」

 

「……ですよね」

 

 動画のおはVは、構図、音声、タイミング。丁寧にやると1時間は溶ける。

 伝えられる事は多い。でも、手間が追いつかない。

 毎朝それをやるのは、個人Vの狂気の沙汰だ。

 

「普通に画像でもいいんじゃないですか」

 

「あー、うん。それでもいいんだけどね」

 

 やかんが、笛のような音を立て始めた。

 

 アキラさんが、火を止める。

 

 音が、すっと消えた。

 

 ポットに、茶葉をぽんと放り込む。甘い匂いが、ふわりと流れてきた。

 

「正直、これで配信にすぐ新規が来てくれる、とかはあんまりないんだけどさ」

 

「……それは確かに」

 

 コップを二つ、テーブルに置いた。

 ジャケットはいつの間にか背もたれにかけられていて、白いブラウスの袖が、無造作にまくられている。

 

「でも、画像でも全然伝わるのよ。『毎日生きてるぞ!』って見せられれば、それで充分」

 

「……ですよね」

 

「リスナーだけじゃなくて、他のV仲間ともSNSで繋がれるしさ。そこが一番大事かなって」

 

 声のトーンが、一段だけ落ちていた。

 

「……わかります」

 

「——ただまあ、動画だと声も動きも乗るから、もう一段リッチなんだよねぇ。せっかくなら、やれたらやってみたいけど」

 

「手間が、追いつかないですよね」

 

「そうそう」

 

 アキラさんが、少し笑った。

 

「——あ、そういえば、この前おはV経由で入ってくれた人いたんだよね。みやぢーさんって」

 

「……ああ、あの」

 

 最近、和太郎さんの配信コメント欄で、たまに見かける名前。

 

「これが地味に嬉しかったのもあるし、——ああいうのあると、もっとサービスしたくなっちゃうのよ」

 

 少し、間。

 

「——たまに、ちょっと怖い距離感の人もいるけどね」

 

「……怖い、ですか」

 

「まあ、今はそんなでもないけど。それより動画、上手い方法ないかなぁ」

 

 アキラさんが、コップを両手で包んだ。

 湯気を、ふっと目で追っている。

 

 コップに伸ばした俺の手が、一瞬だけ、宙で止まった。

 少し遅れて、口に運ぶ。渋みの奥に、かすかな甘みがあった。

 

 配信中の和太郎の声じゃない。静かな、アキラさんの温度。

 

(……この人は、こういうところがあるんだよな)

 

 コップを下ろした指に、少し、力が入った。

 俺は、コップをテーブルに置いた。

 

「……構図は、いつもの配信背景でいいですか?」

 

「うん?」

 

「それなら、喋って、前後をトリミングするだけで済みます」

 

 アキラさんが「え?」という顔をした。

 

「字幕とかは、やればできますけど、毎日だとチリツモで作業量が膨れ上がりますね」

 

「あー、そこまではやらないほうがいいね」

 

 アキラさんが、コップの縁を、指でなぞった。

 

「……あとは、そもそも何話そう、って問題もあるんだけどね」

 

 俺は、少し考えて——

 

「……それこそ、いつもの和太郎さんで充分じゃないですか」

 

 アキラさんが、一瞬、黙った。

 それから、口元を押さえて、小さく笑った。

 

「だよねー」

 

 ——削ぎ落としていった後に、残ったものがあった。

 

「収録の方法は、配信と同じ設定のまま。録画ボタン押して、三十秒くらい喋る。あとはトリミングして書き出すだけ」

 

 アキラさんが、こちらを見た。

 

「……それだけ?」

 

「それだけです」

 

 少し考えて、補足した。

 

「……配信と同じトラッキング、同じ声設定のままでいけるので。慣れれば毎朝五分くらいで一本」

 

「マジで」

 

◇ ◇ ◇

 

 俺は、PCの前に移動した。

 

 アキラさんが、後ろから覗き込んできた。

 コップを片手に、興味津々の顔で。

 

 配信用のOBSシーンを流用して、録画用のプロファイルを分ける。

 保存先と命名規則、よく使う操作のショートカット。

 

(……配信環境の整備だ。当然のことだ)

 

 作業は、十分ほどで終わった。

 

「できました」

 

「え、もう?」

 

 アキラさんが身を乗り出して、画面を覗き込む。

 

「ほんとに五分でいける?」

 

「試しにやってみますか」

 

 俺は、録画ボタンを押した。録画中の赤いインジケーターが点く。

 アキラさんが、コップを置いて——

 

『おう、みんなおはよう!』

 

 画面の中で、和太郎(わたろう)がポーズを取った。

 両手を顔の横で開いて、首を軽く傾げて。

 ストッキングのままの足で立つアキラさんと、画面の中の和太郎が、同じ形をしていた。

 

 十秒ほど回して、停止した。

 

 録画ファイルが保存される。

 トリミングソフトで、前後の余りをカット。書き出し。

 

 一連の作業は、三分もかからなかった。

 

 書き出し完了の、小さな通知音。

 アキラさんの目が、動画ファイルのアイコンから、しばらく動かなかった。

 

「……マジだ」

 

 アキラさんの声が、少し上ずった。

 

「神じゃん紗雪ちゃん。——っていうか、配信と同じでよかったんじゃん、私」

 

 ——語尾が、ふっと素に戻っていた。

 

「……まあ」

 

 マウスに置いた指が、意味もなく、軽く動いた。

 俺は、少し間を置いて、続けた。

 

「一旦はこんな感じで、どうですか」

 

 アキラさんが、コップを軽く掲げた。

 

「ほんと助かるわぁ。——みんなも、こういうの喜んでくれるといいなぁ」

 

 俺も、コップを掲げ返した。

 

「明日の朝、使ってみてくださいね」

 

「うん。起きたらやってみる」

 

 アキラさんが、コップを両手で包み直した。

 

 明日の朝、アキラさんがおはV動画を収録する姿が、頭の隅に浮かんだ。

 ——投稿したあとに、きっとまた、あのポーズを決めている。

 

 起きる時間が、少しだけ、楽しみだった。

 

◇ ◇ ◇

 

 窓の外から、遠い電車の音が、一度だけ、通り過ぎた。

 

 アキラさんが、ふと思い出したように顔を上げた。

 

「——そういえば。来週のレトロゲーチャレンジ、レオくんがゲストだよ」

 

 レトロゲーチャレンジは、和太郎さんの看板コラボ枠。

 ゲストがレトロゲームに挑戦して、和太郎さんがアドバイスを入れる人気企画だ。

 

「レオくん、ギャップ激しくて面白いですよね」

 

「うちらが言うか~?」

 

 アキラさんが、噴き出した。

 

 笑いがおさまって、コップに口をつける。

 ——口の端が、まだ少しだけ、上がっていた。

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