3D彼女♂とレトロ彼氏♀ ~男女あべこべVTuber、中の人ごと好きになる~ 作:式守 芽衣
二十時前。
仕事部屋で、PCの画面と向き合っていた。
急に入ったクライアントからの修正依頼。細かい直しが大量に来ている。
明日の昼までに上げたい。今夜は長丁場だ。
——隣の部屋からは、アキラさんの気配。
コラボの日に合わせて休出振替を入れていたらしく、早めから支度にかかっていた。
視界の隅で、スマホの通知が光った。
——【
「お、レトロゲーチャレンジか」
独り言が漏れた。
やることはやる。でも、音が欲しい。
PCの副モニターに、和太郎さんの配信を開いた。
◇ ◇ ◇
二十時。
『よう、みんな元気してたかぁ?』
配信が始まる。慣れた声。いつもの気配。
『今夜はレトロゲーチャレンジ、今回のゲストは——
『入ってますよー、和太郎さん』
画面の端に、少年のアバターがふわっと出てきた。
でも、声は——三十代のおっさん。和太郎さんに負けず劣らずの渋い声。
(……ギャップキャラ)
仲間内では、中身と外見の落差で愛されるVTuberだ。
——名前もそれに全振りしている。
副モニターのコメント欄が、加速した。
『レオきたー』
『みやぢー:今夜も楽しみにしてました〜』
『和太郎さんとレオの絡み久しぶり』
『レオくんはな、声こそ三十路だが、ゲームの腕前だけは十代なんだぜ』
『どういう意味っすかそれ!』
『褒めてる褒めてる。真っ直ぐだって意味だよ』
『和太郎さん、それ絶対褒めてないでしょ……』
コメント欄が流れる。
『和太郎さんのいじり安定w』
『腕前十代=レトロゲーは赤ちゃんってことじゃん』
『レオがすぐ引っかかるのが可愛い』
『みやぢー:和太郎さん、今日も絶好調ですね』
仕事の手を動かしながら、耳だけが配信についていく。
いつもの紗雪回では見えない、別のテンポが動いていた。
ゲストを立てて、軽くつつく。つつきすぎない。
リスナーが笑ってる空気を、絶妙な距離で転がしていく。
——手が止まっていた。
(……上手いな、アキラさん)
副モニターのコメント欄が、少し後から流れる。
俺は仕事の画面に指を戻した。
◇ ◇ ◇
ゲームが始まる。開始から数秒、レオが操作するロボットが、画面の端から飛んできた弾に撃ち抜かれて爆発した。
『あー! ここは飛んでねぇと!』
『えぇ、先言ってくださいよ和太郎さん!』
『先に言ったら学びがねぇだろうが』
『学べる前に死ぬやつでしょこれ!』
笑いが弾ける。
コメント欄も賑わった。
『レオ秒で死んだw』
『これ攻略本前提のやつだろw』
『みやぢー:レオくん頑張れ〜』
『師弟感ある』
仕事の手が、ゆっくり進む。
画面越しの配信が、部屋の空気を少しだけ軽くしてくれていた。
『いやー、和太郎さんのアドバイス細かいっすね』
『細かいんじゃねぇ。当たり前のことだ。昔のゲーム、理不尽の塊だったろ』
『ほんとに。でも和太郎さん、そこまで体で覚えてるの、マジでリスペクトっす』
『体で覚えろ。男なら、気合いで走れ』
『いや、男ならってw』
笑いが続く。
『みやぢー:和太郎さん、「男なら」は令和にはありません〜w』
『はあ? 精神論は時代関係ねぇだろ』
『みやぢー:それが一番アウトな言い訳ですw』
コメント欄が「はいアウトw」「みやぢーナイス」で盛り上がった。
数ステージ進んだところで、レオが、ふっと声のトーンを落とした。
◇ ◇ ◇
『いやー、しかし——和太郎さんのレトロゲー愛、マジで深いっすよね』
『いやいや、単に俺が古いだけだっての』
『そういう人いるにはいるっすけど、和太郎さんのって、子供の頃から体に染み込んでるタイプっしょ。普通に知識があるのとは違うっていうか』
——子供の頃から?
俺の指が、キーボードの上で止まった。
副モニターのコメント欄が流れていく。
『和太郎さんマジで本物だからw』
『渋さの説得力』
『みやぢー:和太郎さんは人間国宝』
人間国宝。笑える。
でも、俺は笑わなかった。
——アキラさんは、二十代。見た目通りの和太郎とは大きく歳が離れている。
——俺たちが子供だった頃、昭和レトロはもう過去のもの。自然に触れる機会は、普通ならない。
(……考えたこと、なかった)
アキラさんが、なんで。
ここまで熱量を持って、レトロゲームにハマったのか。
気がつくと、机の端のマグカップが、空になっていた。
立ち上がって、仕事部屋を出た。
廊下に出た瞬間、壁の向こうから、くぐもった笑い声が聞こえた。
キッチンに立つ。ポットに水を入れ、スイッチを押した。
配信の音が、副モニターから遠くなった。スマホを取り出して、配信を開き直す。
——音が、重なっていた。
スマホから漏れる、ボイチェン越しの和太郎さんの声。
壁越しに届く、素のアキラさんの笑い声。
壁の向こうの生身と、配信のアバター。同じ人間が、二つの場所で笑っている。
(……二人、いる)
マグカップにインスタントコーヒーの粉を入れかけた手が、止まった。
——いや、一人なんだけど。
二人でもあった。
同居してから、ずっとこの構造の中で生活していたはずだった。
それを、今さら耳が拾った。
壁の向こうのアキラさんが、ひと段落したらしい。笑い声が落ち着いた。
スマホの向こうでは、和太郎さんがレオのプレイを茶々入れながら転がしている。
カップに粉を落とし、砂糖も落とす。
ポットから、ことりと音がした。
湯を注ぐ。湯気が上がった。
——一口、運んだ。
苦い。
予想と違う味に顔をしかめた。
底に、砂糖が、溜まっていた。
スプーンで軽くコーヒーを混ぜ、仕事部屋に、戻った。
◇ ◇ ◇
『じゃ、そろそろ締めだ。次回のレトロゲーチャレンジの告知〜』
和太郎さんが、締めの前に、ぐっと伸びをした気配。
『来月、シルヴィ・ノワールさんが来てくれるぞー。クールビューティな女スパイVTuberだ。たまんねぇな!』
『あ、ノワールさんですか』
レオの声に、ちょっとだけ覚えのある色が乗った。
『こないだ俺もコラボしてもらいました』
『おお、そうなんだ。ジャンル違うのによくやるなお前ら』
『なんか流れで。あの人、企画の度量広いんで』
『たしかに器でけぇよなぁ、あの人』
コメント欄が流れる。
『次回ノワール!?』
『レオとノワール、絵面違いすぎw』
『意外とコラボしてんのな、あの二人』
『みやぢー:ノワールさんと和太郎さんの掛け合い、想像つかない〜w』
『みやぢー:でも和太郎さんが相手ならなんでも安心して観れます』
(……みやぢーさん、今日も場を回してるな)
俺は、少し、笑った。
『みんな今日もありがとな! レオも来てくれてありがとよ!』
『お疲れっしたー』
配信が、締まった。
◇ ◇ ◇
副モニターの画面が、エンディングの静止画で止まった。
——すっ、と、何かが消えた。
画面の中から和太郎さんが、いなくなった。
暗転した配信画面に、チャンネルのロゴだけが残る。
壁の向こうから、片付けをしている音がした。
配信卓から離れた、素のアキラさんの気配。
マイクに向かっていない、ただの人が、隣の部屋にいる音。
——画面の向こうの推しが消えて、壁の向こうの人間だけが、残った。
仕事部屋の空気が、少しだけ静かになった。
指は、動かなかった。
(アキラさんの、リアルの過去)
一度も、聞いたことがなかった。
推しの和太郎さんのルーツは、ファンとして追ってきた。配信での雑談から、なんとなくの輪郭は知っているつもりだった。
でも、中の人の——アキラさんのルーツは、考えたこともなかった。
「推し」と「中の人」。
同居して、日常を共有するようになっても、そこだけは分けたままだった。
今度、聞いてみようか。
仕事の画面に指を戻したとき、部屋のドアが軽くノックされた。
「お疲れー。これ、プリン置いてくねー」
アキラさんが、コンビニ袋からプリンを出して、机の端に並べた。後ろでひとつに束ねた髪が、動作に合わせて揺れる。指先が、一瞬だけ、プリンのカップに触れたまま止まる。
「仕事中ごめんね〜」
キーボードから指を離して、アキラさんに視線を向けた。
「いえ。配信、面白かったです。良い気分転換になりました」
アキラさんは、ふっと笑って、そのまま戻っていった。
ドアが閉まる前に、「無理しないでねー」の声だけが落ちた。
黒い機材ばかりの机の端で、プリンの黄色が、浮いていた。
仕事の続きが、少しだけ早く進んだ気がした。
◇ ◇ ◇
休日の昼過ぎ。
アキラさんの繁忙期はまだ続いていて、今日は珍しく休みの日。
朝、「ちょっと、あっちの家戻ってくるねー」と言って出かけていた。
俺の方は逆に、納期が重なって休日も仕事だった。
午前中の仕事を片付けて、仕事部屋を出る。
(——あー、肩が固い)
リビングの窓から、柔らかい日差しが差し込んでいた。
戻ってきていたアキラさんが、お茶を淹れて待っていた。
——が、目に入ったのはお茶じゃない。
テーブルの上に、ファミコンの本体が、どん、と鎮座していた。
その横に、カートリッジが何本か。
「これね、今住んでる方の家から、持ってきちゃった」
アキラさんが、カップを両手で包んでいる。少し得意げな顔。
「……持ってきた?」
「うん、しばらくこっちに置いておこっかなーって。匂い、嗅ぎたくてさー」
「……匂い?」
「そう。——これ、たまらないんだよねー」
ファミコンのカートリッジを手に取って、両手で持って、鼻先に近づけた。
目を閉じて、深く、吸い込む。
「……はぁ〜」
満足そうな息。
「昴さんも、嗅いでみ?」
「え?」
差し出されたカートリッジを、俺は受け取った。
ラベルの色が、すっかり日に焼けている。角のプラスチックが、どこも少しずつ欠けていた。
少し躊躇してから、鼻先に寄せる。
古いプラスチックの匂い。
ほんのり、埃。ほんのり、油。少しだけ、甘さ。
(——これが、いいのか?)
「……うーん、正直、よくわからない、かも?」
「えー、わからない?」
「匂いは、します。でも、これが『好き』までは、ちょっとわからないです」
「そっかー。昴さんはそうかもねー」
アキラさんが、カートリッジを引き取って、また鼻先に戻した。
◇ ◇ ◇
「——そういえば」
「ん?」
「この前、コラボの時に、レオさん言ってたじゃないですか。『子供の頃から体に染み込んでる』って」
「あー、言ってたねー」
「なんで、そんなに詳しいんですか? レトロゲー」
アキラさんが、鼻先から顔を上げた。
「んー」
「私さ、おじいちゃんっ子だったんだよね」
「——このファミコン、もともとおじいちゃんのやつなんだよ」
(……?)
「小さい頃、おじいちゃんの家に遊びに行くたびに、触ってたの。実家の近所でさ」
アキラさんが、ふっと遠くを見た。
「おじいちゃんの家さ、ファミコンだけじゃないよ。スーファミも、メガドラも、PCエンジンも、ネオジオもあった」
「……ネオジオまで?」
「そう。マニアだったの、おじいちゃん。『これな、昔からあるんだぞ』って、色々教えてくれた」
テーブルのカートリッジに、目を落とした。
「ずっとおじいちゃんちで使ってたやつでさ。カセット、ケース、説明書——全部、おじいちゃんの家の匂いがしてた」
「……」
「だから、ファミコンの匂いって、私の中では、おじいちゃんの家の匂いなんだよねー」
アキラさんが、カートリッジを、優しくテーブルに戻した。
「『熟成されたファミコン』って、私が勝手に言ってるだけなんだけど」
「ワインか何かですか」
「似たようなもんだよ」
少し、笑った。
(……考えたこと、なかった)
昨日の、違和感の答え。
——アキラさんが、ここまで熱量を持って昭和レトロにハマった理由。
◇ ◇ ◇
お茶のおかわりを淹れて、棚からクッキーの箱を出した。
アキラさんがクッキーをかじりながら、ぽつりと言った。
「——そんでさ」
「おじいちゃんが生きてた頃、私がレトロゲーやってるとき、横でずっとアドバイスしてくれてたんだよね」
少し、前のめりになっていた。
「私がプレイして、おじいちゃんが『ほらここ、ここで右に行くんだ』『このボスな、ここで動かなけりゃ安全だぞ』って。誰にもわからない面白さを、ずーっと、語りかけてくれた」
「……」
「で、私が和太郎でレトロゲーチャレンジやってる時——思い出すんだよねー、おじいちゃんのこと。同じこと、やってるなって」
「同じこと」
「——あとさ、最近、気づいたことがあって」
「はい」
「和太郎のデザインね。若い頃のおじいちゃんに、そっくりだったの」
「……そっくり?」
「待って、見せたげる」
アキラさんが、スマホを取り出した。
写真フォルダを遡っていく。
指がスクロールする途中、一枚だけ目に入った。
ソファで小さな子供が、赤いコントローラーを握っている。隣で白髪の男の人が、笑って手を添えていた。
「——これ」
アキラさんが、指を止めた。
古い写真だった。白黒に近い色合い。
スーツを着た若い男の人が、まっすぐ立っている。
目元。口元。少し癖のある髪。
——和太郎さんだ。
カップを持つ手が、止まった。
「キャラデザ考えてる時、するする出てきたんだよ。出来上がってから、なんか気になって、アルバム引っ張り出してさ」
「……狙ってたんですか」
「全然。ほんと、無意識」
アキラさんが、少しだけ笑った。
スマホをテーブルに置いて——もう片方の手が、カートリッジに戻った。
古いプラスチックの角を、親指で、ゆっくり撫でている。
声は軽いのに、指先だけが、離れない。
◇ ◇ ◇
しばらく、二人で、静かに飲んだ。
アキラさんが、カップを両手で包みなおした。
湯気が、ゆっくり立ちのぼる。
「——おじいちゃんと遊んでたのが楽しくてさ。レトロゲー好きになって、気づいたらVTuberやってた、みたいな感じ」
一瞬だけ、視線が湯気の奥に逃げた。
——すぐに、戻ってきた。
俺も、カップを両手で包みなおした。
「でさ、昴さん」
「はい」
「——前に紗雪ちゃん、DMで『あの一言に、救われた』って、言ってくれたじゃん」
「……あ、はい」
——高難易度のレトロゲームに、何度も挑みながら、和太郎さんが言ってくれた一言。
『まあ気楽にいこうぜ、何度やられたっていい。人生なんとかなるもんだ』
今でも、昨日のことのように思い出せる。
「あれさ、——ほんとは、ちょっと泣いたんだよ、私」
息が、詰まった。
「おじいちゃんのやってたこと、ちゃんと、届いたんだって。——そう、思えたから」
カップを、両手で、テーブルにそっと降ろす。
カートリッジに、アキラさんの指先が、もう一度だけ、触れた。
(——初めて会った、あの日。アキラさんは、そんな風に受け取ってくれていたのか)
壁の時計が、静かに時を刻む音。
アキラさんが、ふっと話題を変えた。
「——でさー」
「はい」
「紗雪ちゃんの方は、最新のVRでしょ?」
「そうですね」
「前にさ、紗雪ちゃんのアバター被らせてもらったじゃん。初めてVR触った時」
「……ああ、はい」
「あれさ、すっごく楽しかったんだよねー。今度また、紗雪ちゃんに隣で色々教えてもらいながら、改めてじっくり触ってみたいなーって」
「——全然いいですよ。今度、セットアップから教えますね。オフラインのアプリもいくつか入ってるんで、そっちは自由に使ってください」
「やったー!」
アキラさんが、片手を上げた。
「……?」
「ほら」
促されて、同じように手を上げる。
アキラさんの手が、ぱん、と打ちつけてきた。
——一瞬だったが、あったかい。
そればかりが頭に残り、自分のVRライブラリに何が入っているかなんて、完全に忘れていた。