3D彼女♂とレトロ彼氏♀ ~男女あべこべVTuber、中の人ごと好きになる~   作:式守 芽衣

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第8話 熟成されたファミコン

 二十時前。

 

 仕事部屋で、PCの画面と向き合っていた。

 

 急に入ったクライアントからの修正依頼。細かい直しが大量に来ている。

 

 明日の昼までに上げたい。今夜は長丁場だ。

 

 ——隣の部屋からは、アキラさんの気配。

 

 コラボの日に合わせて休出振替を入れていたらしく、早めから支度にかかっていた。

 

 視界の隅で、スマホの通知が光った。

 

 ——【和太郎(わたろう)】配信入るぞー。今日ゲスト回な。

 

「お、レトロゲーチャレンジか」

 

 独り言が漏れた。

 

 やることはやる。でも、音が欲しい。

 

 PCの副モニターに、和太郎さんの配信を開いた。

 

◇ ◇ ◇

 

 二十時。

 

『よう、みんな元気してたかぁ?』

 

 配信が始まる。慣れた声。いつもの気配。

 

『今夜はレトロゲーチャレンジ、今回のゲストは——諸田原(しょたはら)レオくん、入ってるかぁ?』

 

『入ってますよー、和太郎さん』

 

 画面の端に、少年のアバターがふわっと出てきた。

 

 でも、声は——三十代のおっさん。和太郎さんに負けず劣らずの渋い声。

 

(……ギャップキャラ)

 

 仲間内では、中身と外見の落差で愛されるVTuberだ。

 ——名前もそれに全振りしている。

 

 副モニターのコメント欄が、加速した。

 

『レオきたー』

『みやぢー:今夜も楽しみにしてました〜』

『和太郎さんとレオの絡み久しぶり』

 

『レオくんはな、声こそ三十路だが、ゲームの腕前だけは十代なんだぜ』

 

『どういう意味っすかそれ!』

 

『褒めてる褒めてる。真っ直ぐだって意味だよ』

 

『和太郎さん、それ絶対褒めてないでしょ……』

 

 コメント欄が流れる。

 

『和太郎さんのいじり安定w』

『腕前十代=レトロゲーは赤ちゃんってことじゃん』

『レオがすぐ引っかかるのが可愛い』

『みやぢー:和太郎さん、今日も絶好調ですね』

 

 仕事の手を動かしながら、耳だけが配信についていく。

 

 いつもの紗雪回では見えない、別のテンポが動いていた。

 ゲストを立てて、軽くつつく。つつきすぎない。

 リスナーが笑ってる空気を、絶妙な距離で転がしていく。

 

 ——手が止まっていた。

 

(……上手いな、アキラさん)

 

 副モニターのコメント欄が、少し後から流れる。

 

 俺は仕事の画面に指を戻した。

 

◇ ◇ ◇

 

 ゲームが始まる。開始から数秒、レオが操作するロボットが、画面の端から飛んできた弾に撃ち抜かれて爆発した。

 

『あー! ここは飛んでねぇと!』

 

『えぇ、先言ってくださいよ和太郎さん!』

 

『先に言ったら学びがねぇだろうが』

 

『学べる前に死ぬやつでしょこれ!』

 

 笑いが弾ける。

 

 コメント欄も賑わった。

 

『レオ秒で死んだw』

『これ攻略本前提のやつだろw』

『みやぢー:レオくん頑張れ〜』

『師弟感ある』

 

 仕事の手が、ゆっくり進む。

 画面越しの配信が、部屋の空気を少しだけ軽くしてくれていた。

 

『いやー、和太郎さんのアドバイス細かいっすね』

 

『細かいんじゃねぇ。当たり前のことだ。昔のゲーム、理不尽の塊だったろ』

 

『ほんとに。でも和太郎さん、そこまで体で覚えてるの、マジでリスペクトっす』

 

『体で覚えろ。男なら、気合いで走れ』

 

『いや、男ならってw』

 

 笑いが続く。

 

『みやぢー:和太郎さん、「男なら」は令和にはありません〜w』

 

『はあ? 精神論は時代関係ねぇだろ』

 

『みやぢー:それが一番アウトな言い訳ですw』

 

 コメント欄が「はいアウトw」「みやぢーナイス」で盛り上がった。

 

 数ステージ進んだところで、レオが、ふっと声のトーンを落とした。

 

◇ ◇ ◇

 

『いやー、しかし——和太郎さんのレトロゲー愛、マジで深いっすよね』

 

『いやいや、単に俺が古いだけだっての』

 

『そういう人いるにはいるっすけど、和太郎さんのって、子供の頃から体に染み込んでるタイプっしょ。普通に知識があるのとは違うっていうか』

 

 ——子供の頃から?

 

 俺の指が、キーボードの上で止まった。

 

 副モニターのコメント欄が流れていく。

 

『和太郎さんマジで本物だからw』

『渋さの説得力』

『みやぢー:和太郎さんは人間国宝』

 

 人間国宝。笑える。

 

 でも、俺は笑わなかった。

 

 ——アキラさんは、二十代。見た目通りの和太郎とは大きく歳が離れている。

 ——俺たちが子供だった頃、昭和レトロはもう過去のもの。自然に触れる機会は、普通ならない。

 

(……考えたこと、なかった)

 

 アキラさんが、なんで。

 ここまで熱量を持って、レトロゲームにハマったのか。

 

 気がつくと、机の端のマグカップが、空になっていた。

 

 立ち上がって、仕事部屋を出た。

 

 廊下に出た瞬間、壁の向こうから、くぐもった笑い声が聞こえた。

 

 キッチンに立つ。ポットに水を入れ、スイッチを押した。

 

 配信の音が、副モニターから遠くなった。スマホを取り出して、配信を開き直す。

 

 ——音が、重なっていた。

 

 スマホから漏れる、ボイチェン越しの和太郎さんの声。

 壁越しに届く、素のアキラさんの笑い声。

 

 壁の向こうの生身と、配信のアバター。同じ人間が、二つの場所で笑っている。

 

(……二人、いる)

 

 マグカップにインスタントコーヒーの粉を入れかけた手が、止まった。

 

 ——いや、一人なんだけど。

 

 二人でもあった。

 

 同居してから、ずっとこの構造の中で生活していたはずだった。

 それを、今さら耳が拾った。

 

 壁の向こうのアキラさんが、ひと段落したらしい。笑い声が落ち着いた。

 

 スマホの向こうでは、和太郎さんがレオのプレイを茶々入れながら転がしている。

 

 カップに粉を落とし、砂糖も落とす。

 

 ポットから、ことりと音がした。

 湯を注ぐ。湯気が上がった。

 

 ——一口、運んだ。

 

 苦い。

 

 予想と違う味に顔をしかめた。

 

 底に、砂糖が、溜まっていた。

 

 スプーンで軽くコーヒーを混ぜ、仕事部屋に、戻った。

 

◇ ◇ ◇

 

『じゃ、そろそろ締めだ。次回のレトロゲーチャレンジの告知〜』

 

 和太郎さんが、締めの前に、ぐっと伸びをした気配。

 

『来月、シルヴィ・ノワールさんが来てくれるぞー。クールビューティな女スパイVTuberだ。たまんねぇな!』

 

『あ、ノワールさんですか』

 

 レオの声に、ちょっとだけ覚えのある色が乗った。

 

『こないだ俺もコラボしてもらいました』

 

『おお、そうなんだ。ジャンル違うのによくやるなお前ら』

 

『なんか流れで。あの人、企画の度量広いんで』

 

『たしかに器でけぇよなぁ、あの人』

 

 コメント欄が流れる。

 

『次回ノワール!?』

『レオとノワール、絵面違いすぎw』

『意外とコラボしてんのな、あの二人』

『みやぢー:ノワールさんと和太郎さんの掛け合い、想像つかない〜w』

『みやぢー:でも和太郎さんが相手ならなんでも安心して観れます』

 

(……みやぢーさん、今日も場を回してるな)

 

 俺は、少し、笑った。

 

『みんな今日もありがとな! レオも来てくれてありがとよ!』

 

『お疲れっしたー』

 

 配信が、締まった。

 

◇ ◇ ◇

 

 副モニターの画面が、エンディングの静止画で止まった。

 

 ——すっ、と、何かが消えた。

 

 画面の中から和太郎さんが、いなくなった。

 暗転した配信画面に、チャンネルのロゴだけが残る。

 

 壁の向こうから、片付けをしている音がした。

 配信卓から離れた、素のアキラさんの気配。

 マイクに向かっていない、ただの人が、隣の部屋にいる音。

 

 ——画面の向こうの推しが消えて、壁の向こうの人間だけが、残った。

 

 仕事部屋の空気が、少しだけ静かになった。

 

 指は、動かなかった。

 

(アキラさんの、リアルの過去)

 

 一度も、聞いたことがなかった。

 

 推しの和太郎さんのルーツは、ファンとして追ってきた。配信での雑談から、なんとなくの輪郭は知っているつもりだった。

 

 でも、中の人の——アキラさんのルーツは、考えたこともなかった。

 

 「推し」と「中の人」。

 同居して、日常を共有するようになっても、そこだけは分けたままだった。

 

 今度、聞いてみようか。

 

 仕事の画面に指を戻したとき、部屋のドアが軽くノックされた。

 

「お疲れー。これ、プリン置いてくねー」

 

 アキラさんが、コンビニ袋からプリンを出して、机の端に並べた。後ろでひとつに束ねた髪が、動作に合わせて揺れる。指先が、一瞬だけ、プリンのカップに触れたまま止まる。

 

「仕事中ごめんね〜」

 

 キーボードから指を離して、アキラさんに視線を向けた。

 

「いえ。配信、面白かったです。良い気分転換になりました」

 

 アキラさんは、ふっと笑って、そのまま戻っていった。

 

 ドアが閉まる前に、「無理しないでねー」の声だけが落ちた。

 

 黒い機材ばかりの机の端で、プリンの黄色が、浮いていた。

 

 仕事の続きが、少しだけ早く進んだ気がした。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 休日の昼過ぎ。

 

 アキラさんの繁忙期はまだ続いていて、今日は珍しく休みの日。

 朝、「ちょっと、あっちの家戻ってくるねー」と言って出かけていた。

 

 俺の方は逆に、納期が重なって休日も仕事だった。

 

 午前中の仕事を片付けて、仕事部屋を出る。

 

(——あー、肩が固い)

 

 リビングの窓から、柔らかい日差しが差し込んでいた。

 戻ってきていたアキラさんが、お茶を淹れて待っていた。

 

 ——が、目に入ったのはお茶じゃない。

 

 テーブルの上に、ファミコンの本体が、どん、と鎮座していた。

 

 その横に、カートリッジが何本か。

 

「これね、今住んでる方の家から、持ってきちゃった」

 

 アキラさんが、カップを両手で包んでいる。少し得意げな顔。

 

「……持ってきた?」

 

「うん、しばらくこっちに置いておこっかなーって。匂い、嗅ぎたくてさー」

 

「……匂い?」

 

「そう。——これ、たまらないんだよねー」

 

 ファミコンのカートリッジを手に取って、両手で持って、鼻先に近づけた。

 

 目を閉じて、深く、吸い込む。

 

「……はぁ〜」

 

 満足そうな息。

 

「昴さんも、嗅いでみ?」

 

「え?」

 

 差し出されたカートリッジを、俺は受け取った。

 

 ラベルの色が、すっかり日に焼けている。角のプラスチックが、どこも少しずつ欠けていた。

 

 少し躊躇してから、鼻先に寄せる。

 

 古いプラスチックの匂い。

 ほんのり、埃。ほんのり、油。少しだけ、甘さ。

 

(——これが、いいのか?)

 

「……うーん、正直、よくわからない、かも?」

 

「えー、わからない?」

 

「匂いは、します。でも、これが『好き』までは、ちょっとわからないです」

 

「そっかー。昴さんはそうかもねー」

 

 アキラさんが、カートリッジを引き取って、また鼻先に戻した。

 

◇ ◇ ◇

 

「——そういえば」

 

「ん?」

 

「この前、コラボの時に、レオさん言ってたじゃないですか。『子供の頃から体に染み込んでる』って」

 

「あー、言ってたねー」

 

「なんで、そんなに詳しいんですか? レトロゲー」

 

 アキラさんが、鼻先から顔を上げた。

 

「んー」

 

「私さ、おじいちゃんっ子だったんだよね」

 

「——このファミコン、もともとおじいちゃんのやつなんだよ」

 

(……?)

 

「小さい頃、おじいちゃんの家に遊びに行くたびに、触ってたの。実家の近所でさ」

 

 アキラさんが、ふっと遠くを見た。

 

「おじいちゃんの家さ、ファミコンだけじゃないよ。スーファミも、メガドラも、PCエンジンも、ネオジオもあった」

 

「……ネオジオまで?」

 

「そう。マニアだったの、おじいちゃん。『これな、昔からあるんだぞ』って、色々教えてくれた」

 

 テーブルのカートリッジに、目を落とした。

 

「ずっとおじいちゃんちで使ってたやつでさ。カセット、ケース、説明書——全部、おじいちゃんの家の匂いがしてた」

 

「……」

 

「だから、ファミコンの匂いって、私の中では、おじいちゃんの家の匂いなんだよねー」

 

 アキラさんが、カートリッジを、優しくテーブルに戻した。

 

「『熟成されたファミコン』って、私が勝手に言ってるだけなんだけど」

 

「ワインか何かですか」

 

「似たようなもんだよ」

 

 少し、笑った。

 

(……考えたこと、なかった)

 

 昨日の、違和感の答え。

 

 ——アキラさんが、ここまで熱量を持って昭和レトロにハマった理由。

 

◇ ◇ ◇

 

 お茶のおかわりを淹れて、棚からクッキーの箱を出した。

 

 アキラさんがクッキーをかじりながら、ぽつりと言った。

 

「——そんでさ」

 

「おじいちゃんが生きてた頃、私がレトロゲーやってるとき、横でずっとアドバイスしてくれてたんだよね」

 

 少し、前のめりになっていた。

 

「私がプレイして、おじいちゃんが『ほらここ、ここで右に行くんだ』『このボスな、ここで動かなけりゃ安全だぞ』って。誰にもわからない面白さを、ずーっと、語りかけてくれた」

 

「……」

 

「で、私が和太郎でレトロゲーチャレンジやってる時——思い出すんだよねー、おじいちゃんのこと。同じこと、やってるなって」

 

「同じこと」

 

「——あとさ、最近、気づいたことがあって」

 

「はい」

 

「和太郎のデザインね。若い頃のおじいちゃんに、そっくりだったの」

 

「……そっくり?」

 

「待って、見せたげる」

 

 アキラさんが、スマホを取り出した。

 写真フォルダを遡っていく。

 

 指がスクロールする途中、一枚だけ目に入った。

 ソファで小さな子供が、赤いコントローラーを握っている。隣で白髪の男の人が、笑って手を添えていた。

 

「——これ」

 

 アキラさんが、指を止めた。

 

 古い写真だった。白黒に近い色合い。

 スーツを着た若い男の人が、まっすぐ立っている。

 

 目元。口元。少し癖のある髪。

 

 ——和太郎さんだ。

 

 カップを持つ手が、止まった。

 

「キャラデザ考えてる時、するする出てきたんだよ。出来上がってから、なんか気になって、アルバム引っ張り出してさ」

 

「……狙ってたんですか」

 

「全然。ほんと、無意識」

 

 アキラさんが、少しだけ笑った。

 スマホをテーブルに置いて——もう片方の手が、カートリッジに戻った。

 

 古いプラスチックの角を、親指で、ゆっくり撫でている。

 

 声は軽いのに、指先だけが、離れない。

 

◇ ◇ ◇

 

 しばらく、二人で、静かに飲んだ。

 

 アキラさんが、カップを両手で包みなおした。

 湯気が、ゆっくり立ちのぼる。

 

「——おじいちゃんと遊んでたのが楽しくてさ。レトロゲー好きになって、気づいたらVTuberやってた、みたいな感じ」

 

 一瞬だけ、視線が湯気の奥に逃げた。

 

 ——すぐに、戻ってきた。

 

 俺も、カップを両手で包みなおした。

 

「でさ、昴さん」

 

「はい」

 

「——前に紗雪ちゃん、DMで『あの一言に、救われた』って、言ってくれたじゃん」

 

「……あ、はい」

 

 ——高難易度のレトロゲームに、何度も挑みながら、和太郎さんが言ってくれた一言。

 

『まあ気楽にいこうぜ、何度やられたっていい。人生なんとかなるもんだ』

 

 今でも、昨日のことのように思い出せる。

 

「あれさ、——ほんとは、ちょっと泣いたんだよ、私」

 

 息が、詰まった。

 

「おじいちゃんのやってたこと、ちゃんと、届いたんだって。——そう、思えたから」

 

 カップを、両手で、テーブルにそっと降ろす。

 カートリッジに、アキラさんの指先が、もう一度だけ、触れた。

 

(——初めて会った、あの日。アキラさんは、そんな風に受け取ってくれていたのか)

 

 壁の時計が、静かに時を刻む音。

 

 アキラさんが、ふっと話題を変えた。

 

「——でさー」

 

「はい」

 

「紗雪ちゃんの方は、最新のVRでしょ?」

 

「そうですね」

 

「前にさ、紗雪ちゃんのアバター被らせてもらったじゃん。初めてVR触った時」

 

「……ああ、はい」

 

「あれさ、すっごく楽しかったんだよねー。今度また、紗雪ちゃんに隣で色々教えてもらいながら、改めてじっくり触ってみたいなーって」

 

「——全然いいですよ。今度、セットアップから教えますね。オフラインのアプリもいくつか入ってるんで、そっちは自由に使ってください」

 

「やったー!」

 

 アキラさんが、片手を上げた。

 

「……?」

 

「ほら」

 

 促されて、同じように手を上げる。

 

 アキラさんの手が、ぱん、と打ちつけてきた。

 

 ——一瞬だったが、あったかい。

 

 そればかりが頭に残り、自分のVRライブラリに何が入っているかなんて、完全に忘れていた。

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