3D彼女♂とレトロ彼氏♀ ~男女あべこべVTuber、中の人ごと好きになる~ 作:式守 芽衣
2人の休みが、ようやく揃った日曜日。
起き抜けのリビングで、アキラさんがコーヒーを淹れていた。
「ねー、せっかく休み合ったしさ。今日の夕飯、なんか凝ったもの作らない?」
「凝ったもの、ですか」
「うん。餃子、どう? 包むの楽しいし」
「お、いいですね」
「二人なら、いっぱい包めるしさー」
——確かに餃子なんて、一人だと絶対に作らない。
「じゃあ俺、買い出し行ってきます。何が必要ですか?」
「メモ書くね、ちょっと待ってて」
アキラさんが、メモ用紙にすらすらと書いていく。
春キャベツ。ニラ。しょうが。にんにく。豚ひき肉。むきエビ。餃子の皮。
——なかなかに本格的だ。
「調理器具とつけだれは、こっちで仕込んどくね」
「お願いします」
「あ、あとさ」
アキラさんが、思い出したように声をかけてきた。
「買い出しの間、VR触っていい? またやってみたくって」
「あ、もちろん。セットアップは前のまま残ってるんで」
「オフラインのアプリなら自由に使っていいんだっけ?」
「いいですよ。好きに使ってください」
「やった」
「それじゃ、いってきます」
メモを受け取って、玄関で靴を履く。
——アキラさんの手が、軽く振られた。
◇ ◇ ◇
近所のスーパー。日曜の昼前で、そこそこ混んでいた。
カゴに春キャベツを入れる。ニラ。しょうが。にんにく。
豚ひき肉のパックを選んでいるとき、隣のおばさんがまったく同じパックを手に取って、裏のラベルをじっと睨んでいた。
——俺も同じことをやっていたことに気づいて、少しだけ可笑しかった。
エビ。餃子の皮。
レジを済ませて、外に出る。
日差しが思ったより強い。買い物袋が両手にずっしり来て、肩紐が指に食い込む。
春キャベツの葉の匂いと、ニラの青い香りがビニール越しに、鼻先で混ざった。
◇ ◇ ◇
「ただいまー」
返事が、ない。
代わりに、仕事部屋の方から声が聞こえた。
「……ふふっ」
「……だめだって、それ……」
——アキラさんの声だが、いつもと質が違う。配信のときの落ち着いた声でもない。もっと——なんだろう、無防備な。
買い物袋を玄関に下ろす。
靴を、脱ぐ。
仕事部屋の扉まで、足音を立てないように歩いた。
扉に、手をかける。
——ゆっくり、開けた。
仕事部屋の床に、アキラさんが横たわっていた。
VRヘッドセットを、被ったまま。
——ゴーグルで、顔の上半分は、隠れている。
でも、口元が完全にゆるんでいた。
頬が、笑いをこらえきれずに震えている。
半開きの唇の端から、ふっ、ふ、と、息が漏れる。
首は、横を向いたまま。
立てた片膝。靴下の白いつま先が、画面の中の何かに合わせて、リズムよく上下していた。
もう片方の脚は伸ばしたまま、両手は胸元で軽く組まれている。
ヘッドセットの黒いコードが、首筋から床へゆるく垂れていた。
……俺の手が、ドアノブの上で、止まった。
——待て。
これは——。
PCのモニターに目をやった。
見覚えのある、タイトル画面。
『添い寝ガールズVR』。
「ああっ!!?」
思わず、声が漏れた。
アキラさんの肩が、ビクッと跳ねた。
ヘッドセットを、ガバッと外した。
まだ半分VRの中にいるような、ぼんやりした目。
頬の赤みが引かないまま、こちらを見ている。
「……はぁ~。これ、すっごいね」
素の声だった。和太郎でもない、からかいでもない。ただ、感心したような。
「……アニメっぽいCGなのに全然、本物みたい。隣にいる感じ、するんだね」
耳の付け根が、熱い。
口が半開きのまま、止まった。
手が、宙で行き場をなくしていた。
——本物みたい、と言った。
馬鹿にする声でも、引いた声でもなかった。
ここまで前のめりな感想が来るとは思わず、何も言えなかった。
アキラさんが、こっちの顔を見た。
二秒。
——満面の笑み。
「……お帰り、紗雪ちゃん」
声の間合いが変わっていた。低く、余裕のある和太郎の間合い。
——終わった、と思った。
◇ ◇ ◇
——「好きに使ってください」と、言ったのは俺だ。言い訳のしようがない。
「えっと、これは、その。——技術検証で」
「技術検証」
「そう! 技術検証なんです! フルトラの、あれです、女性モーションの参考に! 紗雪の配信クオリティアップのため!」
「ふーん」
アキラさんが、床から起き上がった。チェアに座り直して、足を組んで、こちらを見上げている。
完全に和太郎モードの構え。
「……四十二時間も、技術検証したのかぁ? 全キャライベントコンプリート済みだって?」
「!」
「素直に好きって言えば、いいだけじゃん」
素のアキラさんに戻り、ケラケラと笑う。
「……」
完全に、論破された。
成すすべもなく、がっくりとうなだれる。
「——でもさ、昴さん」
「……はい」
「私だったら黒髪三つ編みの子にするけどなー」
「……え?」
「メインヒロインじゃないけどさ、図書室のシーンのあの子。声がいいんだよね、声が」
アキラさんが、指先で宙をくるくる回しながら言った。何かを思い出しているような目。
「……アキラさん?」
「……いや、ね、ちょっと、ハマりそうだった。うん」
——和太郎モードが、完全に解けていた。
アキラさんが、ばつが悪そうに頬をぽりぽり掻いている。
二人して、口をつぐんだ。
二秒。
「……お腹すいた。餃子、作ろっか」
肩を、軽く、叩かれた。
◇ ◇ ◇
台所に、二人で立つ。
まな板もボウルも、もう用意されている。
つけだれの小皿が3種、テーブルに並んでいた。
アキラさんが、エビの殻を剥いている。春キャベツを千切る音。ニラの匂い。
さっきまでのやり取りが嘘みたいに、普通に、料理をしている。
具を混ぜ合わせて出来た餃子の種をテーブルに移動して、餃子を包む。
「肘、こっちに来てるよ」
「おっと、すみません」
肘を、引く。
皮を、左の手のひらに乗せる。具を、中央に置く。
縁を、寄せる。ひだを作る。
「……不器用だなー、紗雪ちゃん」
「こういうの、あんまり得意でなくて……」
「いいよ、形悪くても、味変わらないから」
アキラさんの皮が、皿に並んでいく。ひだの数が揃っている。
俺のは、半分くらいの速度。
——皮の縁を寄せようと、手元に集中していたとき。
アキラさんの肘が、ぶつかってきた。
布越しに。思ったより柔らかかった。
手が、止まる。
アキラさんの手も止まった。
「あ、ごめんごめん」
アキラさんが、軽く肘を引いた。
最後の一枚を、皿に置いた。
◇ ◇ ◇
焼き上がった餃子を二人で食べた。
「これもう、店超えたでしょ」
「超えてるかどうかはわからないですけど、うまいです」
「——でさ、紗雪ちゃん」
「はい」
「さっきのゲームさ、やっぱり推しは、ツインテールの子?」
アキラさんが、両手で髪を、両側にぐいっと持ち上げた。
「……」
「こんな感じ?」
……目を、逸らした。
「あ、やっぱり」
アキラさんが、くしゃっと笑って、髪を戻した。
食べ終わり、片付けを済ませてからお茶を淹れた。
ソファに座る。
アキラさんはカップを両手で包んで、テレビの天気予報をぼんやり見ている。
——何でもない時間。
俺は、右の肘を見た。
まだ、柔らかさが薄く残っている。
——四十二時間、画面の中の女の子たちは、隣で添い寝してくれた。
でも、肘はぶつからなかった。
——ふと、画面の中のツインテールの子の顔が、アキラさんに変わった気がした。
(――いやいやいや!)
俺は、軽くかぶりを振った。
余計なものを喉に流し込むように、お茶を飲んだ。
◇ ◇ ◇
日曜の夜から、数日が経った。
アキラさんの繁忙期は最高潮で、俺もまた、忙しくなっていた。
徹夜明けの朝。
仕事部屋から出ると、アキラさんがキッチンでコーヒーを淹れていた。
淡いブルーのブラウスにグレーのスラックス。髪は後ろで一つに束ねている。
「おはよ〜。今日も徹夜だった?」
「あ、はい」
カウンターに寄りかかる。アキラさんはコーヒーポットを傾けていた。湯気がふわっと顔にかかる。
「お疲れさま。私、今日も終電だと思う。展示の準備、ヤマ場で」
開幕前は、いつもこの時期から終電だそうだ。
「あー、了解です。お互い、今日の配信はお休みですね」
「早く、ゆっくり配信してリスナーさんと喋りたいんだけどねぇ。社会人やりながらの個人勢VTuberって、辛いとこあるわー」
アキラさんが、ふっと息を吐いた。
「朝ツイは?」
「しばらく予約投稿で貯めといた〜。テンプレだけは死守してる」
「そうなりますよねぇ。予約投稿貯められるだけえらいです」
アキラさんが、ふふっと笑った。
「紗雪ちゃんも無理しないでね」
「はい。和太郎さんも無理なく」
「うんうん。——夕飯はお互い適当に済ますでいいよね」
「そうですね。——あの、落ち着いたら、また餃子、作りませんか」
「お、いいねぇ。包むの楽しかったし」
マグカップを差し出された。受け取る。
Tシャツが背中に張り付いている。窓を開けても、風は入ってこない。
「行ってきまーす」
玄関のドアが閉まる。
コーヒーを一口。まだ温かい。
◇ ◇ ◇
日付が変わる、少し前。
最後の納品が、ようやく、終わった。
画面の青白い光が、目の奥に刺さる。
二日連続の徹夜が、ようやく終わった。
机の隅にコーヒーが半分残っていて、すっかり冷めていた。
モニターの脇のコンビニのおにぎりの包装紙は、具材の名前がもう読めなくなっている。
奥には、VRヘッドセットが立てかけられたまま。黒い布にうっすら埃が乗っている。
(しばらく触れてないな)
仕事部屋の隅、敷きっぱなしの布団に倒れこむ。
◇ ◇ ◇
どれくらい経ったのか、わからない。
玄関の鍵が、遠くで回った気がする。
「ただいま」
小さな、声。
鞄を下ろす音、短い吐息、廊下を進む足音が続いた。
返事をしようとして、口が動かない。
仕事部屋の扉が、薄く開く気配がした。
「……寝てる」
囁き。
目の奥にぼんやりと光が滲む。
……気がしただけかもしれない。
扉は、閉まらなかった。
布の擦れる音。
何かが、すぐ近くの床に、沈み込む。
また瞼が落ちた。
◇ ◇ ◇
夢の中だった。
俺はVR空間の中にいた。
ツインテールの子が、膝の上に頭を預けてくる。
「お兄ちゃん〜。今日も一緒に寝よ~」
黒髪三つ編みの子が、後ろから抱きついてきた。
もうひとり、横から肩に。
「私も〜」「離れない〜」
全員が、群がってくる。
重い。
息ができない。
「お、紗雪ちゃん。俺も混ぜてくれよ」
和太郎の声。
いちばん重いのが、上から乗ってきた。
「うわっ、うわっ——」
◇ ◇ ◇
「う……?」
うっすら目を開ける。
窓のカーテン越しに、薄い青白い光が差している。
遠くで雀の声。
朝になっていた。
腹が重い。上に、何か乗っている。
恐る恐る視線を下に落とす。
黒い長い髪が顔の前にかかっている。
その下、俺の腹の上に頭を預けて、寝ている。
(——アキラさん?)
「へぁっ——!?」
反射的に、声が漏れた。
でも、アキラさんは、ぴくりともしない。
規則的な寝息が続いている。
心臓が、跳ねた。
動けない。
布団は自分のもの。でも、その上にアキラさんの頭。
Tシャツ越しに、確かな重さ。
すうすうと寝息が上がる。俺の腹がその分だけ、ゆっくり上下する。
和太郎さんでも、普段のアキラさんでもない、寝顔だった。
長い黒髪の隙間から、化粧をしていない素の顔がのぞいている。半開きの唇から漏れるすうすうという寝息に合わせて、まつ毛がかすかに震えた。
視線を、ゆっくり下に落とす。
力の抜けた片手が、俺の脇腹のあたりに伸びている。もう片方は、自分の頬の下に折りたたまれていた。
「……ぅん」
「……レトロん……みんな、ごめん……」
(……レトロゲー?)
アキラさんが寝言を漏らした。
眉間に、わずかなしわが浮く。
すん、と、俺のTシャツのあたりで、小さく鼻を鳴らす音。
頭が、わずかにずれる。腹の上で、左に少しだけ重心が動く。
脇腹に置かれていた手が——
ふいに、力を取り戻して、俺の右手の指を、ぎゅっと握りこんできた。
息を止めた。
心臓は、もう跳ねるどころじゃない。
リズムを忘れて、勝手に走り出す。
布団の中で、自分の足の指が勝手に丸まった。
でも、腹の上の重さも、握られた手の感触も、消えない。
髪の毛から、シャンプーの薄い匂いがする。
アキラさんが、自分用に買ってきたやつ。
俺のとは違う、薄い甘さが、その奥に混じっている。
窓のカーテンの向こうで、青白い光が、ほんの少しだけ濃くなる。
空が明るんでいく速度の方が、俺の鼓動より、ずっと遅い。
何分が経ったのか、わからない。
肩が、布団の上で固まっていた。
動かしたら、たぶん、起きる。
動けなかった。
ただ息だけを繰り返した。
アキラさんが、また小さく寝返りを打った。頬が、俺の腹に擦り付けられる。
(……いつから?)
思い出せない。
窓の外がゆっくり明るんでいく。
四十二時間、添い寝してくれた、画面の中の女の子たちには、こんな重さはなかった。
息をゆっくり吐いた。
腹の上のアキラさんが、その分だけゆっくり沈んだ。
◇ ◇ ◇
「……ん」
アキラさんの瞼が震えた。
半開きの目で、俺の顔と、自分の状況を、視線でたどる。
二秒。
「——ぅえ!?」
飛び起きた。
「うわっ、うわっ、ごめんごめん! ごめん昴さん、なんで私ここで——」
布団から勢いよく離れる。頬が真っ赤。
「あの、ほんとに、ごめん! 昨日、終電で帰ってきて着替えてメイク落として——それで、昴さんの様子だけ見ようと思って——」
「……はい」
「ぜんぜん覚えてない、ほんとごめん」
深く頭を下げる。
俺は何も言えない。
「あの、私、シャワー浴びてくる! ほんとごめんね!」
アキラさんが配信部屋へ駆けていった。
ぱたん、と扉が閉まる。
俺は布団の中で、目を開けたまま動けないでいた。
配信部屋の方から、シャワーの音。
◇ ◇ ◇
しばらくして、シャワーの音が止まった。
配信部屋の扉が開く。いつもの足音。でも、いつもより少しだけ、慎重。
「あの、紗雪ちゃ——」
言いかけて、止まった。
「……昴さん」
「はい」
仕事部屋の扉の前に、アキラさんが立っている。
白いブラウスに着替えて、化粧もきちんと済ませている。
頬が、うっすら赤い。
鞄の口を、開けて、閉めて、また開けている。
「今朝、ほんとに、ごめんね」
「……いえ」
目が合わない。
アキラさんの視線は、俺の手元のあたりで止まって、すぐに玄関の方へ流れていく。
「あの、今日終わればさ、ちょっと、落ち着くから」
「あ、はい」
「落ち着いたら、その、ちょっと、相談したいことが、あって」
「相談、ですか」
「うん、急ぎじゃ、ないんだけど」
「はい、いつでも」
ファスナーを、もう一度、閉める。
ようやく、視線が、こっちを向いた。
「ありがと。——それじゃ、行ってきます」
アキラさんが、ふいに、テーブルの上のカートリッジを手に取った。
いつものように、鼻先に近づけて、軽く息を吸う。
……目元が、一瞬、迷った。
カートリッジをそっと戻す。
小さく、首を振った。
いつもより、少しだけ強く、玄関のドアが閉まった。
◇ ◇ ◇
仕事部屋に、ひとり。
昨夜、納品ごと飲み残したコーヒーが、まだ机の隅で冷えていた。
代わりに、新しく淹れた。
飲む先が、なかった。
布団の凹みは、まだ俺の腹のあたりに残っている。
手を置いた。
まだ、重さが残っている。
窓の外、雨の音。
(……これ、どうしたらいいんだろう)
ゆっくり、目を閉じた。