世界に魔法をばらすまで   作:チーズグレープ饅

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疾走する少女とへたれな糸目

 まだまだ寒い日が続く二月も、半ばを過ぎた。来週からは卒業式の練習とかが始まるらしい。クラス内では寄せ書きの台紙が回されているし、少しずつ初等部生活の終わりが近づいてきているのを感じる。

 大半がそのまま中等部に進学するとはいえ、他の学校へ行くという人だって決して少ないわけではない。麻帆良内に限っても、中学校は幾つもあるのだ。

 そうでなくとも、六年間変わらなかったクラスメイトと別れることになるのは確かだ。いつもは賑やかな初等部校舎が、どこか湿っぽい空気に包まれていると感じるのは、一等騒がしいはずの六年生が大人しくなっているせいかもしれない。

 クラスの中に親しい友人が葉加瀬さんしかいない私でさえ、少しばかりしんみりとした気分になっている。

 クラス内では浮き気味だった葉加瀬さんや私を、クラスメイト達はなんだかんだありながらも受け入れてくれていた。授業で分からないことがあれば「春香ちゃん教えてー」なんて言ってきたし、葉加瀬さんが新しい発明を披露すれば、一緒に驚いたり笑ったりしていた。

 振り返ってみれば、なかなか楽しい六年だったと思う。

「春香じゃん。やほー」

 湿っぽい空気など微塵も感じさせない、からっとした声に、私は振り向いた。

 ぶんぶんと手を振ってくる、黒いシスター服に身を包んだ女の子が、一瞬誰なのか分からず、私は眉を寄せた。

「お? そっか。この格好はじめてだっけ。私、私」

 女の子が口の部分を覆っていた布をぐいっとどかした。

「あ、春日さんか」

 考えてみれば、シスター服を着るような知り合いは彼女しかいない。いや、長谷川さんも着るかもしれないけれど、その格好でこんなところを歩いてはいないだろう。

「そゆこと。シスター・シャークティにお使い頼まれてさー。今から中等部の方まで行かなきゃいけないんだよね」

 着替える前に言ってくれればいいのにー、と春日さんはぼやいている。

 確かに、構内をシスター服で練り歩くのは、少し嫌かもしれない。宗教と縁の薄い生活をしていると、半分コスプレみたいなものだし。

「特にこのベールがさー、結構ぴっちりしてるから窮屈なわけよ」

 などと言いながら、春日さんはばさりとベールを取った。

「えぇっ、髪切っちゃったの?」

 ベールの下から現れたのは、後ろから見たら男の子と間違いかねないくらいのベリーショートである。私は思わず、驚いた声を上げてしまった。

 いや、いずれ髪を切るのだろうと知ってはいたけれど、この数年間ずっとセミロングな春日さんを見ていたから、なんとも違和感があるのだ。

「いやー、ちょっと気分を変えたかったからばっさり行ったんだけどさー。院長先生は泣くわ、シスター・シャークティは怒るわで大変だったよ」

「ばっさり行ったって、もしかして自分で切ったの?」

 春日さんはへへへ、と笑いながら答える。

「そうそう、こないだの土曜日にね。床に新聞紙をひいて、こうハサミで、てやっ、ってさ」

「そりゃ泣くし怒るだろうよ」

 後頭部のあたりに手を持っていって髪を切るジェスチャーをした春日さんに、私は嘆息する。

 髪質も良かったのに、もったいない。

「見つかった直後に美容院に引きずっていかれたからね。さらに家に帰ってから説教の上、高校卒業まで大人しくしてるって約束までさせられちゃった」

 ああ、卒業までおしとやかにする、っていう春日さんのパーソナリティと真っ向から衝突する約束事は、そういう経緯で決まったのか。でも、中等部からは寮生活になるから監視の目が届かないと思う。私の記憶においてもメッキは剥がれきっていたわけだし。

「別に髪くらい自分の好きに切っていいじゃんねえ」

「いやあ、今回ばかりはシスター達の味方するよ、私は」

 髪は女の命って言葉を知らんのか、春日さんは。たとえ知っていても思い立ったが吉日とばかりに、笑いながらばっさり行きそうだけど。

「もー、みんなして同じこと言うんだもんなあ」

「みんな、って?」

「クラスの友達とか、瀬流彦く……先生とかっ」

 そう言うと、春日さんは自分で窮屈だと評したベールを被りなおしてしまった。どうやら髪については各方面から散々言われたらしい。

 あまり触れて欲しくなさそうだったので、話題を変えることにする。

「あはは、短いのも似合ってるよ。それはそうと、先生ってどういうこと?」

 いつだったか春日さんに聞いた話から計算すると、瀬流彦さんは大学を今年卒業するはずなので、まだ先生ではないと思うのだけど。家庭教師でもしてもらっていたのか、それとも麻帆良中等部の教師として就職が決まったのを教えてもらったんだろうか。

「……ああ、四月から女子中等部の先生なんだって。ふん、鼻の下伸ばしちゃってさあ」

 さらに不機嫌な感じの反応が返ってきてしまった。話題転換失敗。

 ええと、本当に鼻の下が伸びてたかどうかは置いておいて、だ。仲の良かったお兄さんが女子校の先生になるって、そんなに嫌なものだろうか。……あー、ちょっと嫌かもしれない。周り中が女の子なわけだし、瀬流彦さんの性格だと「これからは先生って呼ばなきゃ駄目だよ」とか言っていそうだ。あの糸目め、春日さんのほのかな憧れ的な何かをもうちょっと汲み取ってくれてもいいだろうに。

「はい、この話は終わり、終わり。んじゃ、私はお使いしなきゃだから、またね」

 びしっ、と手を挙げて別れを告げると、春日さんは物凄いスピードで中等部校舎の方へ走っていった。後ろに砂煙がたってるんだけど、あれってやっぱり魔力で強化してたりするんだろうか。スカートで全力疾走は、あんまりお勧めできないな。足が見える、足が。

 それにしても、迂闊だった。髪型を変えたら、褒めて欲しいよなあ、女の子だもん。しかもどうやら、瀬流彦さんまで髪を切ったのはもったいない的な発言をしたらしいし。そりゃあ機嫌も悪くなろうというものだ。

「あっ」

 一つの可能性に気づいて、声を上げる。

 そうか。春日さんが学園祭編で、神楽坂明日菜と高畑先生のデートの尾行に付き合っていたのは、好奇心以上に、自分と瀬流彦さんを重ねていたから、だったのだろうか。実のところ春日さんは、雪広さんと並ぶくらい、神楽坂明日菜の告白を応援していたのかもしれない。

 って、飛躍しすぎかな。何より、人の色恋を勘繰るのは、あまり褒められたことではない。勘繰るの大好きだけど。早乙女さんみたいなラブ臭レーダー、私にもついていたら良かったのに。

 

 

 ラブ臭と言えば、カモが作っていた好感度表。あれ、実際のところかなりの凶悪アイテムだ。超家の家系図に匹敵する。精度がどの程度のものかは分からないけれど、あれを実際に好意を持っている人間の前でちらつかせるという行動自体が、ほとんど悪魔の所業である。

 オコジョ妖精はケット・シーと並ぶ由緒正しい使い魔とか言われていたけど、むしろレッドキャップとかと並べるべきじゃないだろうか。いや、カモを一般的なオコジョ妖精と並べるのが間違っているのか。

 そんなことを考えながら駅に向かって歩いていると、ベンチに座ってたそがれている糸目を発見した。……いけない、春日さんの件で瀬流彦さんを見る目がちょっと厳しめになっている。

 春日さんからちょくちょく話を聞いてはいたけれど、直接会うのは何年か前に貧血で倒れたのを介抱してもらって以来だ。

 挨拶くらいした方がいいのだろうか。でも、ちらっと会話しただけの女子のことなど、普通に忘れている気もする。というか、私なら忘れる。

 三秒ほど悩んでから、さっくり無視して通り過ぎようとしたのだけれど、向こうから声をかけてきた。

「こんにちは。美空ちゃんの友達の、ええと……春香ちゃん、で合ってたっけ」

「はい、そうです。こんにちは、瀬流彦さん。いつぞやはお世話になりました」

 とりあえず当たり障りのない挨拶を返して、ぺこりと頭を下げた。

「相変わらず、礼儀正しい子だね。というか、よく覚えてたね。会ったのはもう、四年くらい前じゃなかったっけ」

 瀬流彦さんが、はははと笑う。少し苦笑が混じっていた気もする。

 そんなこと言ったら、瀬流彦さんこそ良く覚えていたものだ。特に小学二年生と六年生なんて、同じ人物だと見分けるのも大変だと思うのだけど。背の低い私でさえ、ここ数年で十五センチ以上は伸びている。

「記憶力には自身があるんです」

 これはそれなりに本当だ。暗記系の問題は得意である。

「それで、わざわざ私に声をかけたということは、何か用があるんですよね?」

「あ、そうそう。美空ちゃん、見なかった? 教会の方に行ってみたんだけど、誰もいなかったんだよね」

 まあ、そんなところだろう。はっきり言って、それ以外で瀬流彦さんが私に接触する理由なんて思いつかない。

「春日さんなら、さっき会いましたよ。初等部の講堂裏あたりです。シスター・シャークティに頼まれて、中等部までお使いだって言って走っていきましたけど」

 私が答えると、瀬流彦さんはベンチから立ち上がった。

「ありがとう。あの子が本気で走ってたら追いつける気がしないけど、とりあえず行ってみるよ」

「……何かあったんですか?」

 瀬流彦さんの表情は読みにくいけれど、少なくともベンチに座ってたそがれるくらいには、困っていたはずだ。

「なんだか、怒らせちゃったみたいでね。謝ろうと思って」

 とりあえず、春日さんが不機嫌になっているのを分かる程度には、心の機微が分かるらしい。私は瀬流彦さんの人物評価を少しだけ上方修正した。そうか、謝るつもりで会いに行ったのに、相手がいなかったら、そりゃあたそがれもする。

「先週の半ばくらいから、避けられてるんだよね」

 先週の半ばから? おかしい、タイミングが合わない。

 春日さんが髪の毛を切ったのは土曜日。つまり三日前なわけで、それでは瀬流彦さんに「新しい髪型を褒めてもらえなかったから」怒っているという私の予想とは合致しない。先週半ばから瀬流彦さんを避ける理由にならないのだ。

「つかぬことをお伺いしますけど、何を謝りにいくんですか?」

 さすがにこの質問は踏み込みすぎだろうか。ほとんど初対面の私に教えてくれるとは思えない。しかし、予想に反して瀬流彦さんは答えを返した。

「いや、それが僕にも良く分からないんだよ。いきなり『瀬流彦くんのバーカ、あほ!』ってメールが来ただけ。昨日なんとか見つけたときは髪がすっごく短くなってたし、顔を合わせるなり逃げ出すし、メールには返事しないしで……春香ちゃん、なにかアドバイスくれない?」

 な、情けない。小学生の女子に聞くことだろうか。大学生でしょう、あなた。

 それにしても、春日さんの行動は不可解だ。瀬流彦さんの言い分を百パーセント信じるわけではないけれど、少なくとも明確なきっかけになるような事件は無いように思える。

「瀬流彦さんは来年度から先生になると聞きましたけど『中等部に行ったら僕のことはちゃんと先生って呼ばなきゃ駄目だよ』って言い聞かせた、とかありませんよね?」

「あー、似たようなことは言ったかも。でも、去年の十二月くらいだよ。というか、今の僕の真似?」

 これでもない、か。うーん、なんだろう。先週の半ば、半ばか……。

「あ」

「あ?」

「チョコ、貰いました? 春日さんから」

 先週の水曜日は、バレンタインデーだ。あまりにも私にとって価値の無い日だから、すっかり忘れていた。女子校のバレンタインほど不毛なものもないと思う。

「そういえば、今年はもらってないな」

 今年は? 今年は、って言ったよ、この糸目。何それ、大事件じゃない。毎年チョコくれてた女の子が今年になっていきなりくれないとか、思いっきりフラグ折れてるじゃない。春日さんは髪を切ってるし、あー、あー、あーもう。ちょっとこの人、本当に先生になる気だろうか。いくらなんでも察しが悪すぎだ。朴念仁にもほどがある。

 ってか私も馬鹿だよ。もっと早く気づこうよ。春日さんの反応、いつもと違って微妙に変だったじゃない。いやもう、春日さんが髪を切るイベントは確定事項だと思ってたから理由までは気が回らなかったとか、言い訳になってしまうだろうか。言い訳だね、確実に。

「瀬流彦さん」

 にっこりと微笑む。額に青筋が浮かんでいたり、ごごごごご、って感じで背後にオーラとか出てたりするかもしれないけど、意地でもにっこりと微笑む。

「大学で彼女ができたんだか、どこの馬の骨とも分からぬ女の子からチョコをもらってでれでれしてたんだか知りませんけど、春日さんに思いっきりばれていますんで、とっとと会いに行って全力で土下座をかましてきてください」

「は」

「ああ、いえ、取り乱しました。すみません。彼女ができたのなら、しばらく春日さんの前に姿を現さないでください。現在特定の女性に好意を抱いていないのなら、春日さんのために、今すぐ、全速力で追いかけて、自身の非を全面的に認めた上で、なぜ怒っているのかの理由を聞いてみてください。おそらく、些細な誤解か何かです。お引止めしてすみませんでした」

「はあ」

 全然わかってなさそうな顔でうなずく瀬流彦さん。

「今すぐ、と私は言いました」

「りょ、了解!」

 言葉と共に駆け出す瀬流彦さん。あの人、本当に将来凄腕の結界魔法使いになるんだろうか。すくなくとも学園祭編では、かなり格好良さげな防御陣を展開していたのだけど。さりげなく龍宮真名の狙撃も乗り切って、超さんとネギの最終決戦まで生き残っていたし。

 とりあえず、私も完全に分かった訳じゃないけど、大枠は掴めた、と思う。

 バレンタイン当日、瀬流彦さんにチョコを渡しに行く春日さん。他の女の人と仲良さげな雰囲気になっている瀬流彦さん。それを思いっきり目撃してチョコも渡さず逃げ去る春日さん。と、たぶんそんな感じだと思う。

 髪をばっさり切るくらい、失恋を確信するような何がしかもあったと考えるべきだけど、それが何かまでは分からない。

 まあ、瀬流彦さんは中等部の方に向かって走って行ったから、お付き合いしている女性は、とりあえずいないのだろう。

 仲直りできるかどうかは、春日さんの素直さと、瀬流彦さんの真剣さにかかっているわけだけど……。

 うーん、冷静に考えてみると、今のはちょっと暴走だったかもしれない。

 これで春日さんが怒っている理由が全然違うものだったら(例えば瀬流彦さんが春日さんのプリンを食べた、とかだったら)この後、瀬流彦さんはとても面白いことになってしまうと思う。

 まあ、そのときは、私なんかに声をかけた、自分の不運を呪ってほしい。ごめんね、瀬流彦さん。




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