世界に魔法をばらすまで   作:チーズグレープ饅

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【番外】 甘いものとスパイスと、それからすてきなもの全部

 坂本春香の前から、半ば逃げ出すような形で去ってきた美空は、二百メートルほど走った辺りで速度を緩めた。

 最初のうちは、それなりにいつもどおりだったと思うけれど、最後辺りは自分らしくなかったかもしれないと、美空は考える。不審に思われなかっただろうか。

 今さら考えても仕方ないと頭を切り替えて、美空は中等部校舎へ向けて、普通に歩き出した。

 麻帆良中等部魔法生徒としての研修を受けてくること。

 初等部の卒業が近づいてきた今日、美空がシスター・シャークティに命じられたのは、それだけだった。いつもは真面目にやりなさいと細かくチェックしてくる教会の掃除も免除である。

 その代わりに、今から二時間ほど、耳にタコができるくらい聞かされた立派な魔法使いになるための心得だとか、魔法生徒として活動するときの問題解決手順だとか、そういうことをみっちりと詰め込まれるわけだ。

 面倒くさいという点では、美空にとってどちらもあまり変わらない。

 ただ、瀬流彦も同じように魔法先生としての研修を受ける可能性がある。中等部校舎になんて行ったら、ばったりと顔を会わせることになるかもしれない。会うの、嫌だなあ、と美空は思う。

『美空ちゃんは妹みたいなものですよ』

 先週の水曜日、瀬流彦が笑いながら言っていた台詞を思い返す。

 別に、それくらい美空にも分かっていた。

 バレンタインのチョコは毎年渡していたけれど、それ以外ではいつも無理やりおごらせたり、からかってくるのを蹴っ飛ばしたりしていた。向こうは大学生で、こっちは小学生。女の子として見てくれる要素があったとは思っていない。好きだなんて言ったことはないし、そもそも恋愛感情として好きなのかも、美空には分からない。

 けれど、それでも、源しずなだかいう美人な先生と並んで歩いているのを見たときは、なんだか無性に腹が立った。高畑先生から聞いていると、自分のことを話題にされたのを、妹みたいという一言で否定されたときは、……胸が痛かった。

 妹と言われて美空が連想するのは、自身の仮契約相手であるココネだ。美空と同じ施設で暮らし、シスター・シャークティに師事する、まさに妹弟子だが、魔法の技術は一年もしない内に追い抜かれた。

 適正の問題もあって、仮契約ではココネがマスター、美空が従者という形になりはした。だが、美空にとってココネはかわいい妹分である。

 美空がココネに向ける親愛の情。瀬流彦が自分に向けるものがそれと同じなのだと考えると、嫌だった。美空が欲しいのはそれではなく、もっと異なる関係だった。

 妹という言葉が問題外という言葉と同じに思えて、美空は瀬流彦に会うこともせずにその場を立ち去った。

「あー、もう、春香のせいだかんねっ」

 吹っ切るために髪を切ったのに、髪を切ったことを話題に出されると、瀬流彦のことを思い出してしまう。悪循環もいいところだった。

『うわ、美空ちゃん髪切ったのか。そこまで短いと、男の子みたいだなあ』

 つい昨日、瀬流彦に言われたことを反芻する。

 男の子みたい。

 だったら美空は、「妹みたい」から違うものになったのだろうか。なら、その方がいい。妹だと思われるくらいなら、男の子だと思われた方が、いい。

 頭ではそう思ったはずなのに、体は勝手に瀬流彦から逃げ出した。

 知らず、うつむき気味になって歩いていた美空の耳に、良く知った声が届いた。

「あ、いた! 美空ちゃーん」

 その声を自分が聞き間違えるはずもない。振り向きもせず、美空は駆け出した。

「っちょ、どうして逃げるの」

 瀬流彦の気配が、後方にある。向こうも美空と同じように、走っているようだ。

 美空が得意な魔法は大別して二つ。いたずらに使える魔法と、身体強化の魔法だ。走るのが好きな美空は、より速く走ることができる身体強化もまた好きだった。

 それでもやはり、大人と子どもではコンパスが違う。瀬流彦だって、身体強化の魔法は使えるのだ。

 美空の背後でごめんとか僕が悪かったとか言っている声が、少しずつ近くなってくる。じりじりと、距離が詰まるのを感じた。

 

 

 走って、走って、美空は中等部校舎の裏手にある雑木林に突入した。人目の無い場所に到着してしまえば、美空の勝ちだ。

「来たれ」

 力ある言葉と共に召喚された靴型のアーティファクトが、美空の足を覆う。これでもう、誰も自分に追いつけない。

 一歩目でトップスピードに達し、二歩目で跳躍、三歩目からは既に、美空は木の枝の上を走っていた。

 自分の絶対的な有利を確信した美空は、そこではじめてちらりと後ろを振り返った。

 瀬流彦の息は既に上がっていた。雑木林にたどり着くまで、優に一キロは走っている。普段そこまで運動をしてはいないだろう瀬流彦が全力で走り続けるには、楽な距離とは言えない。

 それでも、瀬流彦は美空を追いかけるのをやめない。

 なんで追ってくるのだろう。なんで謝ってくるのだろう。どうせ、美空が何に怒っているのかも分かっていないくせに。

 美空は前に視線を戻して、さらに瀬流彦から距離をとろうと脚に力を込めた。

 次の枝に向かって跳んだ瞬間、ばふんと何も無い空中にとらわれた。

「なっ?」

 美空の眼前に展開されたのは、ただの防壁用魔法陣だ。本来、衝撃を緩和するために使うそれを、美空の進行妨害に使ったのだと理解する。

 空中で速度を殺された美空は、三メートル近い高さから落下した。美空は箒が無ければ飛べない。

 地面に、ぶつかる?

 美空は思わず目を閉じた。

「風よ!」

 瀬流彦の鋭い声と共に、風に包まれた美空の体が宙に浮いた。

「……あ」

 ふわり、と優しく着地した美空が目を開くと、肩で息をしている瀬流彦が立っていた。

「まっ……たく、さすがに、速いよ。……は、ふぅ。でも、追いついた」

 瀬流彦が、糸のように細い目をさらに細くして笑う。

 膝をついて座りこんでいる美空と視線を合わせるみたいにして、瀬流彦はしゃがんだ。

「ごめんね、美空ちゃん。全部、僕が悪い」

「何がっ……」

 何が悪いというのだろう。美空自身、もうぐちゃぐちゃになって何に怒っているのか分からないというのに、瀬流彦は何に謝るというのだろう。

「美空ちゃんが、なんで怒ってるのか、分かってあげられなくて、ごめん。いつの間にか怒らせちゃってたことに、気づいてあげられなくて、ごめん。ね」

 瀬流彦の大きな手が、美空の頭に載せられた。ゆっくりと優しく、なでられる。

 ぼろりと、涙がこぼれた。美空の胸の中に押しとどめられていた何かが、音を立てて決壊したような気がした。

「い、妹じゃ、ない」

 美空は搾り出すようにして声を上げた。

「男の子じゃ、ない。わた、私、女の子だよっ……」

 そこまでしか言えなかった。それ以上は言葉にならなかった。あとはもう、幼稚園の子どもに戻ったみたいに、わんわんと泣くことしかできなかった。

「……そっか、そうだね。男の子みたいだなんて言って、ごめん。美空ちゃんがこんなにかわいい女の子になってるって、気づいてあげられなくて、ごめんね」

 瀬流彦は、何度も謝りながら、美空の頭をなで続ける。

「う、あ……」

 言葉が出てこなくて、美空は泣きながら首を振った。

 もういいのだ。そんなに謝らなくてもいいのだ。美空が勝手に怒っただけなのだから。妹でも仕方ないのに、それで満足できなかっただけなのだから。こんなに美空を優しく扱うことなんて、せずとも良いのだ。

 けれど瀬流彦は、日が暮れてもずっと、美空が泣き止むまでずっと、隣にいてくれたのだった。

 

 

 この件を経て、美空と瀬流彦の関係が大きく変わったかと言えば、別にそんなことはない。

 瀬流彦は相変わらず、美空をからかうことをやめなかったし、美空はそれに対してキックという報復を欠かさなかった。ことある毎に、美空は瀬流彦に甘味をおごらせたし、瀬流彦は薄い財布にため息をつきながらもそれを受け入れた。

 ただ、一週間遅れで瀬流彦にチョコレートを渡した美空は、また髪を伸ばし始めた。

 瀬流彦も、誰かに美空のことをたずねられたときは「かわいい女の子ですよ」と返すようになった。

 それからまったくの余談として。

 魔法生徒の研修をすっぽかした美空はシスター・シャークティに。一般人の目に触れかねないところで魔法を使った瀬流彦は高畑先生と学園長に。それぞれこっぴどく説教されたのだった。




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