世界に魔法をばらすまで   作:チーズグレープ饅

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結界が厄介

 平日のスケジュールを大雑把に区切ると、学校、放課後、夜、ということになる。

 友人らしい友人が葉加瀬さんしか存在しない私だけれど、毎日放課後までべったりくっついているわけではない。私も葉加瀬さんも、一人でいることをそこまで苦に思わない性格であることが一因だろう。

 私は基本的に漫画と小説があれば幸せな人種だし、葉加瀬さんは研究(今のところはまだ勉強レベルだけど)が出来れば幸せな人だ。

 そういうわけで、一緒に図書館島へ行く日もあれば、お互い完全に別行動をとる日もある。小学生のうちからこんなにドライな付き合いで良いのだろうか。

 というか、私がいなかったら葉加瀬さんは教室で孤立していたような気がする。良くも悪くも、葉加瀬さんは頭が良すぎるのだ。孤立していることを意識もせずに、トランジスタラジオを自作している姿が目に浮かぶけれど。

 今日の葉加瀬さんは電気街になにやらのパーツを買いに行くとのことで、授業が終わるとまっすぐに帰っていった。

 こういう一人の日は大抵の場合、新古書店へでも足を向けて、立ち読みで時間を潰すのだけれど、気が向いたときは麻帆良学園都市を散策することにしている。

 街を歩いているとたまに、単車と同じくらいの速度で走る人とか、二階くらいの高さまでジャンプする人とか、異常な光景に出会うことがある。

 私はそういう現実離れした現象を見ることで、どうにかこの麻帆良が現実だと認識できないかと、涙ぐましい努力しているわけだ。本を読みたいから毎日はやらないけど。

 

 

 小学生の足で行ける範囲など、実のところそう広くはない。せいぜいが学校と駅、家を中心に半径二キロメートル四方というところだ。

 今度の誕生日に自転車を買ってくれるよう、両親に頼んでみようか。普段から我がまま一つ言わない良い子で通しているので、それくらいなら聞いてくれるかもしれない。

 とりあえずまだ一度も曲がったことのない角を適当に曲がって、はじめて通る道に入る。私にスケッチの趣味でもあればまた別の楽しみ方も出来るのだろうけれど、大抵は通学路周辺の裏道マップが少し増えるだけだ。

 ここ最近のヒットはネコ溜まりになっている路地を見つけたことと、百円で買える自動販売機を見つけたことだ。商品のラインナップは甚だ微妙だったが、将来的に綾瀬夕映と友人になれれば、役立つこともあるだろう。

 誰が飲んでるんだろう、ミートソース味のトマトジュースとか。

 気の向くままに右へ左へ曲がっていたら、良い具合に道が分からなくなってきた。世界樹を目印にすれば方角だけはいつでも分かるので、本格的に迷子になることはない。おかげで安心して探検できる。

 だいぶ歩いたからそろそろ休憩しようかと思っていたところ、都合の良いことに公園を見つけた。

 人影のない園内に入って、ベンチに腰を下ろすと、むはーと息を吐いた。前世の私だったら煙草で一服するところだ。健康と美容とお財布に悪いので、今は吸っていない。というか吸ったら大問題になる。年齢的に。

 ぼへっとした顔で空を見上げ、週刊連載漫画の展開予想(実際のところは読んだ記憶を思い出しているだけ)という不毛なことをやっていると、ランドセルを背負った女の子が公園に駆け込んできた。

 周りが見えていないのか、それとも私があまりにも風景と一体化していたからなのかは分からないが、その女の子は私に気づかないまま砂場へと飛び込んだ。そのままものすごい勢いで砂のお城とかを作り出してくれれば平和的だったのだけど、その女の子は地面をばしばし叩いたりしながら泣き出した。

「なんでだよ、おかしいのは私じゃないだろ。アニメじゃないんだから、三階から飛び降りて無傷とかありえないだろ。どうしてだよ、なんでおかしいって思わないんだよっ」

 顔は可愛いのに言葉が汚い。

 私はふと気づく。彼女はもしかして、長谷川千雨ではないだろうか。

 背格好を見る限り、私と(というよりは葉加瀬さんと)同年代。眼鏡はしていないけれど、あれは伊達だったはずだ。

 いや、それよりも何よりも、その台詞の中身が一番の根拠だ。

 前世の記憶によれば、認識阻害魔法だかなんだかいう、不思議なことを不思議だと思わなくする結界が、この麻帆良を覆っているらしかった。

 そして、長谷川千雨はそれが上手く作用しない、特異な体質の持ち主のはずだ。

 中学生の彼女はおかしなことを無視して、人と関わらないように生活していた。では、小学一年生の今の段階ではどうだろう。常識と照らし合わせて明らかに異常なことを指摘して、それを否定されるという理不尽な環境に置かれているのでは、ないだろうか。

 私は初等部一年生の、他の教室にこの少女が居なかったかを思い出そうと頭をめぐらせた。そうだよ、葉加瀬さんがいるのだから、他の原作メンバーもいるかもしれないとなぜ気づかなかったのだろう。いいんちょとか、無表情明日菜とか、そこら辺を歩いていても不思議じゃないのだ。

 ……駄目だ、まったく思い出せない。適当に学校に通っていたツケがこんなところで回ってくるとは思わなかった。

 あの子が長谷川千雨だという確信は持てなかったけれど、放っておくこともできない。

 程度は違えど、彼女は私と同じだ。普通の常識を持っていて、麻帆良という異常な環境に馴染めていない。同病相哀れむ、というと少し違うが、愚痴を聞く相手くらいにはなれるはずだ。

 私はベンチから立ち上がると、泣いている女の子に歩み寄って肩を叩いた。

「えーと、大丈夫? どこか痛いの?」

 がばっと顔を上げて、女の子はすごい形相で私をにらみつけた。

「な、なんだよ、どっから出てきたんだ」

 服の袖で乱暴に顔をぬぐうと、もう彼女は涙を流さなかった。泣いているところを他人に見せたくないのだと気づく。

「さっきからずっと、そこのベンチに」

 私は先ほどまで座っていたベンチを指差す。

 気まずい沈黙が流れた。いけない、アプローチを思い切り間違えた気がする。この女の子はとてもプライドが高い。信用していない人間に弱みを見せることを嫌い、信頼している人間には意地でも弱音を吐かないタイプだ。

「えーと、その、実はちょっと聞こえていたんだけど、三階から人が飛び降りた、とか」

 私がそう言うと、すっと女の子の目が細まった。警戒され切る前に、次の言葉を続ける。

「その人、怪我とかしなかった? 救急車とか、呼んだ方がいい?」

 私は「ごく常識的な」疑問を口にする。女の子の顔に、少しだけ赤みがさした。

「そう、そうだよな。そう思うよな普通。でも、そいつはくるって空中で回転して、すたって地面に飛び降りて、そのまますごい速度で走って行ったんだよ、信じられるか?」

 女の子は興奮して、早口でまくしたてた。

 そうだ、私がここを漫画の世界だと認識していなければきっと思っただろう疑問。それを彼女はためらわずに口にした。

 だから私は正直に答える。

「ごめん、信じられるかって聞かれたら、やっぱりそうか、って答えるよ」

「なんっ……だよ、それ」

 落胆したように、女の子が俯く。

「だって、おかしいって言っても誰もとりあってくれないし、それに似たようなのを何回も見たから」

 私が続けたのは、たぶん女の子が望んでいた言葉。自分と同じ「おかしい」を共有する言葉。でも、私はそれを否定する。

「もう、それが普通で良いかなーって思うことにした」

「はぁっ?」

 直前まで喜色を浮かべていた少女は、不満そうな叫び声を上げた。

「なんでだよ、おかしいもんはおかしいだろ」

「だって、バイクと同じ速さで走るのは変だって言ったら、それを言う私が変だって言われるんだもの。だったら『おかしいが普通』で『普通がおかしい』って思っておいた方が楽じゃないかな」

 私の言葉に、女の子は押し黙る。

 じっくり二分ほどの間のあと、女の子は何かを諦めたように顔を上げた。

「……分かった。お前は私が見てきた中でも飛びぬけて『おかしな』奴だ」

 私はにやりと笑った。

「お前じゃなくて、坂本春香だよ」

「ああ、私は長谷川千雨だ。よろしくな」

「うん、よろしく。『おかしな』長谷川さん」

 私と長谷川さんはお互いに子どもらしくない顔で笑いあった。

 考えてみれば当たり前なのだけど、「普通」は数で決まる。ここではむしろ、私や長谷川さんの方が普通じゃないのだ。

 そして、長谷川さんはそれを割り切ってしまえば、適応力は案外高い。私の記憶にある彼女は、状況証拠を重ね合わせて魔法の存在にたどり着き、それを自らの判断で納得していた。

 私のような「おかしい」ことを共有できる人間がいれば、彼女はきっと麻帆良で生活するのが格段に楽になるはずだ。もちろん、それは私にとっても同じである。

 自己紹介の後、いろいろ話を聞いてみるとどうやら同じ初等部校舎に通っているらしいので、私達はまた学校でと約束して別れた。

 

 

 私は帰路の途中、今日友人になったばかりの少女について考える。

 長谷川さんも、やはりどこか異質だ。あの理解力と論理的思考力は、小学一年生として十分に飛びぬけている。

 まあ、本当に普通の小学生だったら、まず私と語彙や思考の方向性が違いすぎて、そもそも会話がかみ合わないはずなのだ。それくらいに、私の小学生演技はなっていない。

 その異常に気づかない、気づけないのだから、長谷川さんもまた麻帆良の認識阻害結界を完全にレジスト出来ているわけではないということなのだろう。

 本当に、認識阻害魔法様々である。もしも結界が無かったら、私は親から化け物でも見るような目で見られていたかもしれない。お乳と排泄以外で泣かない赤ん坊とか、常識的に考えてありえない。

 ふと、引っかかりを覚えた。もっと早く気づいてしかるべき齟齬が、今そこにあった気がする。

 長谷川さんのレジスト能力? 違う、確かに幻覚系の魔法をレジストできない神楽坂明日菜と好対照だが、それは今のところ関係ない。

 親から化け物のように扱われる? 違う、それは異常な赤ん坊に対しては決しておかしな反応ではない。

 泣かない赤ん坊? 違う、転生して前世の記憶があるのだから当たり前だ。

 ……違う、けれど大分近い。

 何だ、何が引っかかったのだろう。

 私は歩くのも忘れて立ち止まり、考える。もっと根本的におかしなことがあるはず。それは、何だ。

 どれくらい経ったのか分からない。夕焼けに赤く染まっていた道が、薄暗くなってしまっていたことを考えたら、決して短い時間ではないはずだ。

 そして私は、気づいた。

『なんで私は転生なんて非現実的なことをこうも当たり前に受け入れているのか』

 いや、それも正しくない。私は結界によって、転生というおかしな事象を認識できなくなっている、といった方が正確だ。

 現実感が無いのもあたりまえだ。私はこの世界で生きている意味を考える、そもそもの原因から目を逸らしているのだから。たちが悪いのは、ここまで疑問の核心に近づいたはずなのに「それで何か問題があるか」と私が思ってしまっていることだ。

 一晩ぐっすり眠れば、この疑問にすら綺麗さっぱり整理をつけてしまいかねない。そんな小さい問題ではないはずなのに。

 私は道の脇に寄るとランドセルを下ろし、中からノートと筆箱を取り出した。文字として残してしまえば、こっちのものだ。

 ともすれば「別に良いか」と流しそうになる感情を理性で押さえつけて、私は気づいた疑問をノートに書き連ねていった。

 家に帰り着いたのはとっぷりと日が暮れきった後のことで、お母さんに怒られてしまった。まともに怒られたのは、生まれ変わってから初めてのことだった。


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