お風呂から上がり、大浴場の前にある自動販売機でフルーツ牛乳を買っていたところを拉致された。このあと暇かどうかを問いただされて、暇だと答えたらあれよあれよという間に部屋へ連れ込まれただけなので、拉致というのもおかしい気はするが。
そういうわけで美空は現在、近衛木乃香と神楽坂明日菜の部屋でクッションを抱えて座っている状況だった。飲み物は持参のフルーツ牛乳。お茶請けは買い置きしてあったらしいクッキーである。
入学から二ヶ月も経っているので、仲良しグループごとの境目もそれなりに固まりつつある。実のところ美空は、木乃香とも明日菜とも異なるグループに属している。仲のいいクラスメイトという感じではあるが、部屋にお呼ばれしてお茶会に参加、というほどの関係ではない。少しばかり不思議な感じである。
お茶会の面子は部屋の住人である二人に、椎名桜子と美空自身をプラスした四人だ。美空を外して雪広あやかを足せば、初等部時代の同じクラスグループ、ということになる。
座卓をぐるりと囲むように座った四人の中で、最初に口を開いたのは明日菜だった。
「ごめんね。急に来てもらっちゃって」
決まりの悪そうな笑顔を見せる明日菜だが、大浴場の前で美空にこのあとの予定を問いただしてきたときの真剣さを考えるに、おそらくお茶会を開いたのは彼女だ。
「やー、まあどうせ暇だったからね。気にしなくてオッケー、オッケー」
実際には既にテスト週間に入っているので、暇であるはずなどないのだが美空も他の三人も、特に試験勉強をするつもりはない。
「そうそう、クッキーも美味しいし」
笑いながら答えた美空のあとに続くように、桜子もうなずく。彼女はすでにぽりぽりとクッキーをかじり始めていた。
「あ、それなあ。春香さんに教えてもらったお店で買うたんよ」
「そういえば散歩と食べ歩きが趣味って言ってたね。今度いろいろ教えてもらおーっと」
桜子は言いながらもクッキーをひょいひょい口に運んでいく。美空も一つ取って食べてみたが、なるほど、これは美味しい。しかし、飲み物がフルーツ牛乳では甘さのバランスが取れていない。これなら普通の牛乳の方が良く合うはずだと思う美空だった。
「それにしても、やっぱり三人部屋だと広いなー。ここを二人で使っているとは……」
きょろきょろと内装を見回した美空は、むむむと唸った。単純に広いということもそうだが、ロフトの存在はそれ以上に心惹かれるものがある。
「これが権力って奴だよねー」
あはははと桜子は明るく笑うが、学園長の孫である木乃香は「ウチのおじいちゃん、少し過保護なんよ」と恥ずかしそうだ。
「クラスの人数考えると一つはこういう部屋が出るんだから、クジ運が良かったとでも思っておけばいいじゃない」
前向きな視点を出したのは明日菜である。しかし、人間離れした強運の持ち主がすぐそこでクッキーを食べているので、それは本当に気分だけの話といえる。
その明日菜が、はっと我に返ったように動きを止めた。
「って、そうだった。おしゃべりもいいんだけど、今日は美空ちゃんに相談したいことがあったのよ」
「お、なになに。相談? シスター服に着替えてきた方がいい?」
初等部の頃からシスター見習いなどやっている美空だが、その手のお悩み相談を受けた覚えはほとんどない。美空は明るく快活な少女ではあるが、だからこそ悩みを相談する相手としては候補から外されてしまいがちなのだ。
「えっと、その、私ね。好きな人がいるのよ」
「ああー」
高畑先生か、と美空がうなずくと、明日菜は顔を真っ赤にして「な、なんで知ってるのよ!」とわめきだした。
なんでも何も、はた目にも分かりやすすぎる態度に自覚はないのだろうかと、美空は疑問に思う。あからさますぎるからみんな言わないだけで、クラスメイトの中では、感づいていない人の方が少ない。
明日菜はごほんごほんと咳払いをして、まだ耳を赤くしたままで言葉を続けた。
「ま、まあ、知ってるなら話が早いわ。だからその、瀬流彦先生と付き合ってる美空ちゃんにアドバイスとかもらえたらなーって……」
今度は美空が顔を真っ赤にする番だった。
「なっ、せるっ、つきっ、私がっ? ない、違うから。そんなんじゃないからっ」
日本語を忘れてしまったかのような美空のうろたえぶりに、明日菜が首をかしげる。
「え、嘘。そうなの? だって朝倉から仕入れた情報だと……」
ちらりと明日菜が視線をやった先で、桜子がなにやら小さなメモ用紙を取り出した。
「んーっと、これによると『美空さんと瀬流彦先生の関係? いやそんな、友達を売るみたいな真似はできないよ。え、肉まん三つお持ち帰りで追加? もう、そんなことしても駄目だってば。あ、そうそう、この肉まんは中々人気メニューでね、この間も瀬流彦先生が美空さんにおごらされてたんだよー。あの二人は昔から仲いいねえ。あ、口がすべっちゃった。秘密ね、秘密』……以上、取材時のテープレコーダーより書き起こし、だってさ!」
朝倉和美は情報提供者の名前を漏らすような半端な仕事はしないが、そもそもこんな情報を持っている美空の友人など極々限られた範囲に絞られる。というか肉まん云々と言ってる辺り、美空の頭には一月ほど前から超包子でバイトをしている友人の名前しか浮かんでこない。
「は、春香ああああ!」
美空は悲痛な声を上げて、抱えていたクッションに顔をうずめた。
「つまり、話をまとめると」
明日菜が真面目くさった顔で口を開く。つい数分前まではきゃいきゃいと騒ぎながら、美空の話を根掘り葉掘り聞いていたとは思えない口調だ。
「瀬流彦先生とは元々同じ施設の出身で、一番身近な年上のお兄さんだった、と」
「すこしアスナと高畑先生の関係に似とるなあ」
「中等部に上がってからは先生と生徒だから以前みたいに気安く話しかけることはできなくなったけど、休日とかはたまに約束して一緒にでかけてたりする、と」
「うう……」
顔の下半分をクッションに埋めて、少しなみだ目になっている美空を前に、明日菜達三人は重々しくうなずいた。
「デートね」
「デートやなあ」
「デートだねっ」
「だから違うって!」
先ほどから何度と無く繰り返した台詞をもう一度叫ぶ美空。しかし、明日菜の視線は先ほどから変わらず、羨ましいなあと言わんばかりだ。
「美空ちゃんの言葉を信じて、付き合ってないってことにしてもさー」
ロマンスだよねえと目をきらきら輝かせている桜子の言葉を、にこにこ微笑んでいる木乃香が引き継ぐ。
「アスナとは先生への片思い同盟やんなあ」
顔を見合わせてうんうんとうなずきあう木乃香と桜子。彼女達の中では既に、美空から瀬流彦への恋心については確定事項らしい。
そうなのだろうかと自問して、そうなのかもしれないと美空はうなずく。逃げ足だけは自信のあった自分が、雑木林の中で瀬流彦に追いつかれてしまったあの日から。いや、もしかしたらもっと前から、美空の中にはそういう気持ちがあったのかもしれない。
けれど、それをこの場で認めるつもりなど、美空には毛頭なかった。からかったり、いたずらを仕掛けたりするのは好きだが、その逆は美空の趣味ではない。
「わ、私のことはもう大体聞いたっしょ。桜子とかこのかにはそういう話ないの? アスナにアドバイスしてあげればいいじゃんっ」
苦し紛れに話題を逸らすと、桜子がうーんと首をかしげた。
「ずっと女子校だったから、そーいうのってあんまり無いんだよねー」
「ウチもそうやなあ。おじいちゃんがたまにお見合いの話を持ってくるけど、少しも実感わかんし……」
木乃香の台詞に、明日菜が不思議そうな顔をする。
「あれ、でもこのか、こっちに来る前は共学だったんじゃないの?」
京都からの転校生である木乃香は、笑いながら首を振った。
「ウチ、山奥に住んどったからほとんど家庭教師やったんよ。それに、身近におる人で一番格好良かったんは女の子やったしなあ」
京都での暮らしを思い出したのか、木乃香は少し寂しそうに目を細めた。
「へー。でもそれ、どっちかっていうと女子校でこそありがちなパターンだと思うけど。ほら、いいんちょとか、その内『お姉さまー』って呼ばれそうな雰囲気してるし」
美空は同じ魔法生徒である知り合いの真似をしてシナを作った。桜子が同意するようにうなずく。
「おー、ありそう、ありそう。円もそういうファンつきそうだなあ。声とか格好いいし」
どんどんずれていく話題に、明日菜は最初難しい顔をしていたが、ふっと一度笑うと、進んで話題をずらしはじめた。
「ちょっと待ちなさいよあんた達。そういう方向でいくなら千雨ちゃんもかなり人気出ると思うわよ。面倒見いいから」
「あ、それわかるー!」
龍宮真名が、いや長瀬楓がと、四人は笑いながら言い合う。話の中身に多少の差異はあれど、だいたいどこの部屋でもこうやって馬鹿話をして盛り上がっている間に、夜が更けていくのだった。
テスト勉強をしている人の方がクラス全体で見ると少数派という辺りに、A組らしさがあると言えなくもない。
翌日の朝、普段よりも一本早い電車で登校してきた明日菜は、通学路を歩きながら、ぱんっと頬を叩いて自分に活をいれた。
「どうしたん? 急に気合い入れたりして」
付き合わされて早く出てくることになった木乃香は、不思議そうな顔をする。
「昨日はなんだか、途中から話がずれてうやむやになっちゃったけど、やっぱり美空ちゃんから学ぶところはあると思うのよ」
きりっと表情を引き締めて、明日菜は顔を上げる。
「妹じゃ嫌だって気持ち、私もわかるもん。昔ちょっと面倒を見てた子のままじゃ、駄目なんだ、って思う」
手をぐっと握りしめて決意を新たにする明日菜。
「今のままでいいなんて満足するのは、違う。勇気を出して、一歩でも踏み出さなきゃ」
木乃香が関心したように、ぱちぱちと拍手をする。
「おー、なんや今日のアスナは格好ええな」
「アスナ君がどうしたって?」
不意に背後から声をかけられて、二人は驚いたように振り向いた。
「おはよう、二人とも。今日は珍しく早いじゃないか」
振り向いた先には、白いスーツに無精ひげといういつもの出で立ちで、高畑が立っていた。明日菜は絶句して口をぱくぱくさせている。顔が真っ赤だ。
「あ、あ……その、お、おはようございます私は用事があるのでお先に失礼します高畑先生また教室でっ!」
息継ぎもなしで言い切った明日菜はものすごい速度で昇降口の方へと走っていった。
取り残される形になった高畑は、ぽりぽりと頬を掻いて、同じく置いて行かれた木乃香を見下ろした。
「あー、すまない。突然声をかけて、驚かせてしまったかな」
「や、そういう訳とは違うんですけど……」
勇気を出すんやなかったんかなあ、と思わないでもなかったが、木乃香は友人のためにとりあえずこの場を誤魔化すことにした。高畑を見上げて、にっこりと笑う。
「女の子には、秘密がいっぱいあるんですえ?」
そうか、秘密なら仕方ないねと、高畑は困ったように苦笑した。