学園祭の後、季節が段々と夏めいてきた。太陽が高く上るようになり、日差しが強く、影は濃くなっていく。夏休みも目前に迫ってきた。しかし、それはそのまま学期末試験が近づいてきたということでもある。
部活動も休止期間に入ったし、それなりに真面目な生徒なら放課後は図書館なんかで勉強に勤しむ時期だ。
私はテスト勉強せずともそこそこの点数が取れる下地があるので、どちらかと言うと不真面目組に分類される。前回の中間テストも、図書館探検部の勉強会にお邪魔させてもらったのと、千雨さんのために一夜漬けのヤマ張りを手伝ったくらいだ。
そのヤマが当たった千雨さんの点数が良かったからか、それとも勉強会でテスト対策を教えていた話が広がったのか。中間試験後、何かと授業内容について質問をされることが多くなってはいた。
けれどまさか、こんなことになるなんて思っていなかった。
期末試験開始の一週間前、木曜日の放課後。1-A教室にて、私はちょっとした勉強会に巻き込まれている。
「坂本さん、be動詞って何? 英語? でもbeなんて単語、見たこと無いわよ?」
目の前には、机にかじりついて必死にテスト勉強する神楽坂さんの姿があった。
「isとamとareのことだよ。この三つはbeっていう動詞が変化したものだから」
「なんでそんな面倒くさいことするのよ。playとかはplay動詞なんて言わないじゃない」
ばしんばしんと教科書を叩いて主張する神楽坂さん。
「面倒くさい奴だからわざわざbe動詞なんて呼ばれて区別されてるんじゃないかな」
「ああ、そういうことか。嫌な奴ね、be動詞!」
「そうだねー。でも代わりに『I am Haruka』と『You are Asuna』と『This is a pen』が同じような文章ってことが分かりやすくなるんだよ」
神楽坂さんはげんなりとした顔で私を見てくる。
「それのどこが同じなのよ、どこが」
「isもamもareも、beが変化したって言ったよね。だから三つとも元はこういう文章」
私はノートに『○○ be ××』『○○は××です』と書いた。たぶん今はSVとかSVOとか言わない方が良いと思う。
「あ、なるほど。訳すと同じわけね。って、『a』はどこいったのよ、これ」
「それはペンが何本あるかっていうのが関わってて――」
とまあ、そんな感じで英語を教えている。be動詞とかは完全に四月に習ってた範囲なのだけど、そこからスタートというのは中々潔いものである。中間試験の成績はあまり聞きたくない。
なぜこんな事になったかと言えば、原因は隣の机で近衛さんに教えてもらっている美空さんにある。テスト勉強の進行度が違うので、先生役が二人必要なのだ。
なんでも美空さんと神楽坂さんは、先生ラブ同盟(命名・パルさん)として互助関係を結んでいるらしい。で、夜中に寮の部屋でお茶会をしていた時に、神楽坂さんがこう発言したのが発端だそうだ。
曰く「赤点をとったら補習で高畑先生につきっきりで教えてもらえる」
そこに真っ向から反論したのが美空さんである。つまり、出来の良い教え子と悪い教え子、どっちの方が好感度が高くなるか、だ。神楽坂さんは目から鱗が落ちる思いだったらしい。
概ねそういう理由で、美空さんと神楽坂さんは英語を勉強しているのだ。というか、なんで神楽坂さんは今までそういう思考にたどり着かなかったのだろうか。
ともあれ、小中学校レベルの成績においては、頭の出来や適性よりも、モチベーションの占める割合が圧倒的に多い。実際、ネギを助けるために図書館島地下で勉強したバカレンジャーは、短期間の集中講義でそこそこ以上の点数を取ることに成功している。
この調子で勉強するなら、今回が無理でも次回以降、神楽坂さんは英語で平均点以上を取り続けることが出来るかもしれない。
「坂本さん、そろそろ休憩にせん?」
近衛さんに声をかけられて、時計を見る。勉強会スタートからおおよそ一時間。たしかに頃合いだ。
「あー、そうだね。じゃあ一回休憩しようか」
先生役をやっていた私と近衛さんがそう宣言すると、生徒役の二人がぐでーと机に突っ伏した。集中力切れである。
「ごめんなー。坂本さんまで巻き込んでしもうて」
近衛さんがお茶の用意をしながら苦笑する。一リットル入る魔法瓶の中身は、よく冷やした水出し麦茶らしい。
「教えるのは復習にもなるし、気にしないでよ。それに……ね」
私はちらりと美空さんの方を見る。
美空さんの勉強目的は、自己申告によると奢らせるため。平均が75点を超えたら、夏季限定トロピカルパフェを奢ってくれるよう、瀬流彦先生に約束を取り付けたのだそうだ。それ完全にデートの約束だよね。言わないけど。
「友達の恋路のためだもん、協力するよ」
聞き捨てならない言葉に反応してか、へたばっていた美空さんが勢いよく体を起こす。
「ちょ、ちょっと春香! 何言ってんの、そういうのじゃ無いってば!」
「えー? 神楽坂さんのことだったんだけど、美空さんこそ何を言ってるの?」
慌てている美空さんに、にっこりと笑顔で応える。
「ああ、なんか、坂本さんがパルの奴と仲が良い理由、分かった気がするわ」
呆れたという表情で神楽坂さんが零す。
まあ、朝倉さんに美空さん達の情報を流した負い目もある。これでも一応、口止めはしておいたのだ。瀬流彦先生の熱愛発覚! みたいな記事を打つには、まだ時期が早すぎる。
その点については朝倉さんも同意見らしく、報道部の方で瀬流彦先生と美空さんのデート記事が出てしまわないよう動いてくれているらしい。
お互い憎からず思っているのは確かなのだから、じっくりゆっくり応援させてもらおうじゃないか。
「知っとる。これは何か悪だくみをしとる顔や」
魔法関係VIPの二人はやや引き気味である。まったく、純粋な友情に対して失礼な。
そんな感じで、おしゃべりを交えながらお茶を飲んだりして休憩。メリハリが大事なのは、仕事も勉強も同じだと思う。
とりあえず、文法とかの基礎知識が終わったら、英単語の暗記法なんかも教えてあげたいところだ。
勉強会が終わったあと、私は本屋に寄るからと言って三人と別れた。
時刻は既に午後五時を回っているけれど、日はまだまだ高い。
夕飯はちゃんと寮で食べる予定なので本屋のはしごをするつもりは無いが、少なくとも目当ての漫画を二冊、小説を一冊買う予定だ。
商店の並ぶ界隈へと歩を進めながら、今日の勉強会を思い出す。
勉強会に参加したのは美空さんの恋路を応援するため、という言葉はもちろん嘘じゃないけれど、実のところもう一つ理由があった。
神楽坂さんのバカレンジャー脱却である。
今回の試験で神楽坂さんの英語の成績が上がっていれば、高畑先生はほぼ確実に「頑張ったね」とか言って褒めるだろう。
そのタイミングで、他の教科の成績も上げれば、もっと褒めてもらえるんじゃない? と誘導すれば、神楽坂さんのバカレンジャー脱却は決して夢ではない。
できることなら、他のバカレンジャー四人の学力も向上させたいと思っている。
あわよくば私は、ネギ・スプリングフィールドの最初の仮契約相手として、神楽坂さんではなく、近衛さんを選んでもらいたいと考えているのだ。
駄目な子ほど可愛い、と言うとちょっと神楽坂さんに悪い気がする。けれど、勉強に恋愛にとネギが親身に神楽坂さんと関わっていたからこそ、最初の仮契約相手が彼女になったのだと思う。
A組の成績が万年最下位でなければ、図書館島地下への探索イベントは起こらない可能性が高い。
神楽坂さんだけでなく、のどかさんや綾瀬さんとの接点も減らすことが出来て、一石で何鳥も得られるのだ。
なぜそんな事をするかと言うと、超さんに指摘された次善の策というものを少しばかり考えたからだ。
超さんの計画が成功すれば良し。しかし、失敗したならば私の記憶にある魔法世界編、つまり完全なる世界による魔法世界消滅計画が動き出す可能性が高い。
けれど、これを遅らせる有力な方法を、私は知っている。完全なる世界に、黄昏の姫巫女――神楽坂さんの事を気づかれなければ良いのだ。それだけで、かなりの時間を稼げるだろう。
京都にてフェイト・アーウェルンクスと接触させない。口で言うのは簡単だが、関西呪術協会襲撃と近衛さん誘拐に神楽坂さんが関わってしまえば、これを避けるのはかなり難しい。初接触は確かお風呂だったはずだけれど、そこを回避してもリョウメンスクナノカミ戦で出会ってしまえば同じだ。
だから、そもそも現場に神楽坂さんが居ない状況を作る必要がある。
そこで私が考えたのが、近衛さんの仮契約前倒しである。
ネギの最初の従者が近衛さんとなり、マクダウェルさんと相対することになれば、その時点で桜咲さんの参戦が望める。護衛対象である近衛さんが闇の福音と事を構えるとなれば、顔色を変えてネギ達へと接触するはずだ。
鳥族とのハーフ云々の問題は解決せずとも、修学旅行前から共闘関係を築けるなら、疑心暗鬼に陥ることはない。誘拐阻止の可能性は飛躍的に上がるだろう。攫われた場合にも、仮契約カードによる念話で、近衛さんから速やかな情報受け渡しを行える。
リョウメンスクナノカミ出現前に天ヶ崎千草を捕縛できれば、ポーズとして協力しているだけのフェイト・アーウェルンクスは、そこで手を引く可能性が高いのだ。もちろん、神楽坂さんとの接触前、という注釈はつくけれど。
それに、問題点もある。
バカレンジャーの学力向上に成功して、ネギによる勉強会を回避できたにも関わらず、修学旅行で関西呪術協会襲撃が起こってしまった場合の話だ。
綾瀬さんが長瀬さんや古さんの実力を認識していないために、助けを求める相手として候補に上がらない可能性が出てきてしまう。
この部分のフォローとしては、私が間に立って、綾瀬さんと長瀬さんや古さんの接点を増やしていくしかないだろう。
いっそのこと、兼部を考えても良いかもしれない。学園祭編のネギパーティ構成人員は、その過半数が(千雨さんも含めて)図書館探検部の所属である。共に行動しつつ、魔法関係の事件に巻き込まれないよう誘導することが出来れば、ネギ陣営の戦力を大きく削ぐことも可能なはずだ。
……それに、やっぱり気になるのだ。図書館島地下の蔵書には、一体どんな本があるのだろうか。
ともあれ、まずは神楽坂さん達の学力向上である。綾瀬さんは、図書館組での勉強会に上手いこと引き込めればなんとかなると思うけど、他三人はどうしたものだろうか。
そんなことをつらつらと考えながら歩いていると、行き着けの本屋さんが見えてきた。
私は目当ての本のタイトルを思い出しながら、自動ドアをくぐった。
この時点の私はまだ、目標の小説が売り切れていて三軒もの本屋さんをはしごすることになるだなんて、思っていなかった。