世界に魔法をばらすまで   作:チーズグレープ饅

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何も無くても虚勢を張れ

 初等部に上がったときに与えられた自分の部屋を、私は気に入っていた。ベッドのシーツや机こそお母さんの趣味が反映されてピンク色とお花が乱れ飛んでいるが、本棚だけは私の領域だ。

 テストの平均点の十倍というお小遣い(当然ながら千円をキープしている)をやり繰りして少しずつ揃えた蔵書は中々のものだ。さすがに漢字の多い小説に手を出すのは早いと思われたので漫画が中心だけれど、面白い物語に貴賎は無いという主義の私にとって、それは別に恥ずかしいことではない。というか、小学生の本棚が漫画だらけで何か悪いことがあるだろうか。いやない。

 私はその自室の机に向かって、先日疑問点を書き出したノートを開いている。

「うーん、これは少し怖いかも」

 とにかく書かなければという切羽詰った意識があったせいで、筆致も行間も乱れに乱れている。しかも書かれている内容が普通に考えれば正気を疑うようなものばかりなので、ちょっとSAN値が減りそうな代物になってしまっている。

 焦っていたとはいえ、私は何を考えて「これは全部仕組まれたものだったんだよっ」とか書いたんだろう。受けを狙う余裕とか無かったはずなんだけど。まあいい、いつか清書しよう。

「春香ちゃーん、準備できたー?」

「あ、はーい、今いくー」

 部屋の外からお母さんに呼ばれ、私は声を返す。

 私は立ち上がると、ベッドに放り出してあった鞄にノートと筆箱をしまって、肩にかけた。

 今日はいつもより少しだけおしゃれをしている。今は九月だけど、まだ残暑が厳しいので、薄手の白いワンピースというシンプルな装いだ。この服は私のお気に入りである。

 生まれ変わって何に一番喜んだと言って、とんでもない癖っ毛だった髪が、さらさらのストレートになったことだろう。保育所の頃から嬉々として伸ばしていたおかげで、このワンピースと合わせるとちょっとしたお嬢様のようだ。

 かなり自画自賛っぽいけど、まあいいのだ。実際、今の方が前の私よりかわいい顔をしているのだし。

 で、おしゃれをしている理由は何かというと、今から家族でお出かけするからだ。日帰りではあるが、ちょっとしたレジャー施設を巡ったり、家族三人でご飯を食べたりするという、これまでにも何度かあった、いたって普通の休日の過ごし方である。

 いつもと違うのは、私が麻帆良の外に行きたいとお願いしたことだ。

 麻帆良学園都市は、内部でほとんどのものが完結するように作られている。初等部の遠足や宿泊学習が、学園内の合宿施設などで行われているくらいだ。

 もちろん休日を遊んで過ごすにも十分な施設が揃っているので、わざわざ遠方まで行く必要がない。

 けれど今回、私はあえて遠方へ行くことを望んだ。両親もたまには良いかとあまり疑問に思わず私の提案を容れてくれた。

 目的は単純で、麻帆良にある結界の影響下から外に出るためだ。

 原作を思い出してみれば分かるが、朝倉和美を筆頭に一般生徒へぼろぼろと魔法がばれたのは、修学旅行編が最初である。もちろん、魔法を目撃されたという理由もあるだろうが、それ以上に京都だったから、つまりは認識阻害を行う結界の外だったからということも大きいのでは無いかと私は疑っている。

 もしも麻帆良の中での出来事だったら、朝倉和美は車を吹っ飛ばしたネギをそこまで「不思議と思わず」に、空を飛ぶという決定的な証拠を押さえることも無かったのではないだろうか。

 推測でしか無いが、結界の効果はかなり高いはずだ。なにしろ転生などという飛び切りの非常識から、私は目をそらしてしまっている。

 そして同時に、結界はもう一つ重要な役割を果たしているように思う。

 例えば車を吹っ飛ばしたのが古菲であったなら、朝倉和美はいつものこととして済ませたかもしれない。それは麻帆良では日常風景の一つだからだ。

 同じく武道四天王の一角である桜咲刹那が、映画村の塀を飛び越える脚力を披露しても、彼女達は「凄い」とは思っても「異常」であるとは考えていなかったことなんかが根拠として挙げられる。

 ここから導かれるのは、受け入れてしまえば結界を出ても気にしなくなるという人間の順応性の高さだ。

 麻帆良に長く住む人は、結界が無くとも不思議を不思議と感じなくなるのだと思う。

 初等部の間は遠足までも学園内で済ませているのに、中等部では県外への修学旅行を行うというのも、十分順応しているかを確かめるためではないだろうか。

 そう考えれば、旅行の引率に魔法先生がつくのは、万が一の際にフォローするためだと推測できる。関西呪術協会とのしがらみで、本来ネギ以外の魔法先生を送り出すのはためらわれたはずの原作修学旅行において、瀬流彦先生がわざわざついていったのもそのためと考えれば納得できるのだ。

 だからこそ、今日の外出で学園の外に出ることは、意味がある。今なら、転生してしまった自分について、ちゃんと考えることができるかもしれない。

 おとなしく学園内で過ごしていたら、そのうち完全に順応して、転生したという現実から目を逸らし続けて生きるはめになりかねない。

 転生して六年。手遅れかもしれないし、そもそも推測が間違っている可能性もある。

 まあ、駄目なら駄目で、家族の団欒を楽しめばいいか。この方法では駄目だ、という情報が手に入るだけでもそれなりの価値があるわけだし。

 よし、と気合を入れて、私を待っているだろう両親の元へと駆け出した。

 

 

 レンタカーの運転席に収まっているのはお父さん。私とお母さんは後部座席に並んで座り、それぞれシートベルトを締めている。

 私の学校の話や、お母さんが見つけた近所の美味しいお店の話、お父さんは大抵笑って相槌を打つだけだが、それは単純に私とお母さんがお喋り好きだからだ。

 共働きの両親が残業で遅くなったときは違うけれど、それ以外ではほとんど毎日繰り返されてきた、日常の一幕。

 私がそれを享受できたのは、車が走り出してからほんの三十分ほどの間だけだった。

 車は高速道路に乗り、軽快に走っていく。麻帆良の結界だって、もう飛び出てしまっただろう。

 なんだ、結局何も変わらない。

 坂本春香として過ごした六年が手遅れだったのか、それとも推測が間違っていたのか。

「そろそろサービスエリアで休憩にしようか」

 運転席に座っている男の人が、そう言った。私の隣に座っている女の人も、口を開いた。

「そうね、春香ちゃんはまだおトイレ大丈夫?」

 そう言って私を見て微笑む顔は、毎日見慣れたものであるはずなのに、拭いきれない違和感に溢れていた。

 私は声を出すことも出来ずに、身を硬くする。

「……大丈夫? 春香ちゃん、真っ青よ。お父さん、次のサービスエリアに入ってちょうだい」

 心配そうな女の人の声音に、男の人が了解の意を返した。

「ああ、ちょうどすぐそこだ。長距離ドライブなんて初めてだから、酔ったのかもしれないな」

 ほどなくして車はウィンカーを出し、サービスエリアに入った。

 私は体を這い上がってくるような悪寒をこらえるのに必死で、何くれとなく声をかけてくれる二人に対して、ろくに返事もできないでいた。

 ハンドタオルなどを入れた肩掛け鞄を抱えて、車から降りた。私はまっすぐにトイレへと向かう。

 心配そうについてきた女の人に「気分が良くなったら行くから売店あたりにいて欲しい」と言って、私はトイレの個室に入った。

 しばらくの間、外からこちらを伺うような気配があった。真っ青な顔をしているらしい私を一人にして良いものか、考えているのだろう。

「大丈夫、車から降りたらだいぶ楽になったから」

 私は戸の向こうに声をかける。先ほどよりは幾分しっかりした私の声に少し安心したのか、女の人の気配は遠ざかっていった。

 気配が戻ってこないか念のために少しの時間我慢して、それからようやく、私は便器に向かって吐いた。

 

 

 ひととおり朝食を戻しきってしまうと、随分楽になった。口の中に残る酸っぱい唾液を、便器に吐き出す。

 大きな水音と共に吐き戻したものを流してしまうと、気持ちの悪さも一緒に流れてくれたような気がした。

 代わりと言ってはなんだけど、私の腹の中は安易に結界の外へ出てみようなんて考えた数日前の自分を罵ってやりたい気持ちで一杯だった。

 六年間共に暮らしたはずの両親が、全くの他人に見えた。今も、あの二人を両親であると思うのと同時に、それを否定している部分が確かに存在する。

 理性と感情で認識に差があるなんていう話ではなく、私の理性も感情も等しく、両親であると同時に他人であると判断を下しているので、混乱に拍車がかかっているのだ。

 当然だ。だって私には今の両親とは別に、二十七年分の異なる両親と暮らした記憶がある。今まで違和感無く受け入れられていたのが、むしろ不自然だ。

 ああ、そうだ、その不自然を感じさせないのが、麻帆良の結界じゃないか。私は何を今さらなことを考えているのか。

 だが、私に起こった異変がそれだけなら、ここまで動揺はしなかった。

 思い出してしまったのだ。私が、死んだときのことを。

 別にそこまで大それた事件があったわけではない。朝のラッシュ時に、何かの拍子で後ろから押され、今まさに電車が入ってこようとしていたホームに転げ落ちたというだけの話だ。

 不運な事故。そう言ってしまえば終わりの、ただそれだけの記憶。

 しかし、落ちた先で見た迫り来る列車の姿を。耳に響くどころか体を引き裂かんばかりのブレーキ音を。痛みを感じたと思う間もなく意識を刈り取られるまでの長すぎる一瞬を。

 それらを思い出して、平静でいられるわけがなかった。

 私は文字通り、生まれ変わってしまったのだ。完膚なきまでに、以前の私は死んでしまっているのだ。

 今さらながら、涙がこみ上げてきた。

 別に体が痛いわけじゃない。

 前の人生との絶望的な断絶を直視して、もう完全に「今ここに居る私」以外の私がありえないのだと気づいて、二十七年という私の――山崎郁恵の人生を証明するものが自分の記憶以外何も無いんだと分かってしまって……溢れる涙を止めることができなかった。

 だって今の私はどうしようもなく坂本春香で、それ以外の何者でもなくて、だったら山崎郁恵の記憶は一体何なのか。どうして出会ったことも無い人を、いまだ前兆さえない事件を、確かな知識として認識しているのか。

 ついさっきまで疑問に思うことすら出来なかった様々なことが、一気に浮かび上がってきて、パニックを起こしてしまっていた。

 トイレの中まで抱えてきた鞄の中にはあのノートが入っている。本当はどこか落ち着いた場所で記憶の整理と考察を行うつもりだったのだが、そんなことが出来るような精神状態ではなかった。

 私は気を落ち着けるために大きく深呼吸をしようとして、胃液の酸っぱい臭いに閉口した。

 気分的にもう一度トイレの水を流して、私は個室から出た。

 洗面台に手を伸ばすと、センサーが働いて生暖かい水が出てきた。私は水を掬いとって口の中をすすぐ。

 ついでに鞄からハンドタオルを出して、顔も洗った。

 幾分さっぱりした顔を上げて、鏡に映る自分の姿を見て、思った。

『これは誰だ』

 私の髪は頑固な癖っ毛で……いや、物心ついたときからストレートの黒髪だ。まぶただって二重であっている。決して一重まぶただったことなどなかったはずだ。眉毛を整えたこともなかったし、右目の下に泣きぼくろなど存在しなかった。それは山崎郁恵の顔だ。

 毎朝見慣れたはずの顔が、他人のものに思えた。

 鏡に向かって「お前は誰だ」と言い続けると、自分の顔がゲシュタルト崩壊するという都市伝説を思い出してぞっとする。

 今の私はそれに近い。山崎郁恵の顔こそが正しく思えて、坂本春香の顔を受け入れられていない。

 ばっと首を振って、鏡から目をそらす。自分の顔を見続けていたら、本格的にどうにかなってしまいそうだった。

 鞄の中にハンドタオルをしまって、私は鏡から逃げるようにしてトイレを出た。

 

 

 坂本春香の両親は二人とも、私がトイレから出てくるのを待っていたようだった。自動ドアをくぐって飲食コーナーへ入った私にすぐ気がついて、手を振ってきた。

 私は二人の座っているテーブルに歩み寄ると、頭を下げた。

「待たせちゃってごめんなさい。もう大丈夫」

 しかし父親は眉をひそめて私の顔を見る。

「何を言ってるんだ。まだかなり顔色が悪いじゃないか」

 母親もまた、私を安心させるように優しい声で話す。

「無理なんかしなくて良いのよ。とりあえず座りなさい」

 素直にうなずいて椅子に座ると、お父さんが缶ジュースのプルタブをあけて、私に渡してきた。

「それを飲んだら、今日はもう帰ろう。車酔いがひどいみたいなら、高速を下りたらレンタカーを返して電車で帰っても良いし」

「眠ってても良いわよ。お父さんか私がおんぶしてあげるから、ね」

 私は小さくうなずいて、缶に口をつけた。それは私の好きなミルクティーで、二人が私のために選んでくれたもので、いつもと同じ味なのにいつもより優しい甘さで……。ちゃんとトイレで止めてきたはずの涙が、またこぼれてきた。

 慌てたように私を気遣う二人に、首を振る。

 ごめんなさい、ごめんなさい。

 口に出すことはできない謝罪。

 ただの女の子でなくて、ごめんなさい。純粋なかわいい娘でなくて、ごめんなさい。前世の記憶なんていうわけの分からないものに振り回されていて、ごめんなさい。

 もう今朝までの能天気な私に戻れなくて、ごめんなさい。

 京都で魔法の存在を知った朝倉和美は、麻帆良へ戻ってもそのことを認識し続けていた。結界の中で魔法の存在を明かされた早乙女ハルナは、ちゃんとそれを理解していた。

 麻帆良の結界は超常現象に対する認識のハードルを上げるものであって、その閾値を越えてしまえば問題なく認識できるようになる類のものなのだろう。超が使おうとした強制認識魔法の逆である。

 だからたぶん、麻帆良へ戻っても私の認識は戻らない。

 六年一緒に暮らした、この優しい人達を、心の底から親だと思うことは、もうできない。

 車に戻ったあとも私は思い出したように涙をこぼして、いつの間にか泣きつかれて眠っていたらしい。

 目が覚めたら、ベッドの上だった。

 山崎郁恵と私の記憶の混濁は、自室の天井にまで及んでいた。瞬間、頭をよぎったフレーズに受けて笑ってしまい、意外と余裕のある自分に安心した。

 たぶん、明日からはもっと本気になれる。

 私は自分の余裕を確認するかのように、口を開いた。

「知らない天井だ……なんつって」

 空元気でも、元気は元気だ。


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