始業までかなり余裕のある通学路。それでもぱたぱたと走っていく人が多いのは、遅刻者ゼロ週間だからなのか、単に元気が有り余っているだけなのか。たぶん後者だ。
「朝倉はともかく、春香までついてくるとは思わなかったわ……」
そんなことを考えていた私を、明日菜さんが半眼で睨んでくる。
「ええんやない? 二人が来んかったら、二度寝したまま遅刻してたかもしれんし」
苦笑しながらも木乃香さんがフォローを入れてくれた。まさにそういう事態を防ぐために押しかけたということは、もちろん秘密だ。
「木乃香達が子供先生を迎えに行くって情報を仕入れたからには、そりゃついていくでしょ。私を誰だと思ってんのよ」
そう言ってけらけらと笑う朝倉さんは、ハンディレコーダーにカメラも装備した完全取材態勢だ。
ここはちょっと計算違いというか私が迂闊だっただけなのだけど、朝倉さんが取材という名目で二人を起こしてくれることに気づいていれば、わざわざ私まで新任教師お迎えグループに加わる必要は無かったと言える。
「朝倉さん、報道部として動くならもうちょっと体力つけた方が良いよ。明日菜さんについていけて無かったし」
「明日菜についていける脚力を身につけるより、木乃香とお揃いのローラーブレード買ってきた方が確実に早いわね」
電車から降りた直後は走っていたのだけど、朝倉さんが真っ先に音を上げたので、現在は早歩き程度のスピードだ。
私にしたところで朝のランニングよりも幾分か速いくらいのペースだったので、学校につく前にへばっていた可能性はゼロと言えないのだけど。明日菜さん足速すぎ。体力ありすぎ。
「で、明日菜達はどこに向かうわけ? 駅で子供先生を待つもんだとばっかり思ってたけど」
「おじいちゃんのとこで顔合わせして、ウチらのクラスまで案内するだけでええみたい」
「ここの駅の人ごみで、ええと、ネギだっけ? そのおでんダネみたいな名前のガキ一人探し出すのなんて無理っぽいしね」
そりゃそうだ、と頷く私と朝倉さん。
あの通学ラッシュの真ん中で「Welcome Negi!」とか書いたプラカードを持っていても、押し流されるのがオチである。
というか、本来なら新任教師の名前はおろか年齢も(下手をすると性別さえ)知らない状態での呼び出しだったわけだから、待ち合わせ場所が学園長室というのも自然な流れだろう。
土曜日に情報を流したときの反応で分かってはいたけれど、明日菜さんのネギ・スプリングフィールドへの心象はあまり良くない。高畑先生が担任から外れてしまうのだから、そこら辺は仕方ないか。
しかし、目的地が学園長室ということになると、ますます私がここにいる理由がなくなってくる。朝倉さんも同じ結論に至ったようだった。
「えー、でもそれだと取材できないじゃん。下手すると顔合わせは予鈴の後になるんじゃない?」
朝倉さんの予想はおそらく正しい。呼ばれていない私と朝倉さんが学園長室に入るわけにはいかないし、学園長室の前でネギの到着を待っていたとしても、予鈴がなってしまう可能性は高い。
そもそも源先生がいる以上、教室への案内だって必要ないはずなのだ。だとすれば木乃香さん達が呼び出された理由は、ネギを二人の部屋に住まわせて欲しいという依頼が占める部分が大きいのだろう。
なんと言っても木乃香さんと明日菜さんの暮らしている部屋だ。それなり以上のセキュリティがこっそり施されていることは想像に難くない。
「朝倉さん、私達に取れる選択肢は二つあるわ。一つは駅に戻ってネギ先生を待ち、誰よりも早く質問攻め。一つは学園長室の前で待ち構えて、木乃香さん達と一緒に教室へ案内するついでに質問攻め。一つは大人しく教室に向かい、朝のホームルームで質問攻め。さあどれがいい?」
順に指を立てて行動指針を示すと、明日菜さんが呆れ顔でため息をついた。
「三つあるじゃないの」
「お約束やなー」
「一つ目は却下。アスナも言ってたけど、見つける自信ないし。二つ目も魅力的ではあるんだけど、学園長室前ってのがネックねー。他の先生に見つかったら怒られそうじゃない」
朝倉さんなら扉にコップをあてて中の会話を盗み聞きとかやりそうだしなあ。そういう状態で見つかれば、そりゃ怒られるだろう。
「でも、三つ目だと面白みがねえ。せっかく坂本が仕入れてきてくれたネタなんだし。イギリスから来た子供先生に聞く麻帆良学園都市の第一印象、これを逃さない手はないんだけど……」
半眼になって腕を組み、うむむと唸る朝倉さん。校門まではもう少し距離があるから、ゆっくり考えてもらいたい。
私としては、明日菜さんとネギ・スプリングフィールドの初邂逅が、学園長先生立会いのもとで(つまりは失恋の相とか、いきなり制服を武装解除とか抜きで)行われることが確定したので最低ラインはクリアしている。
仮に朝倉さんが記者魂に負けて二つ目の案を選んだとしても、私は三人とお別れして教室へ向かう予定だ。
もちろん、新任教師が子供だという話はクラス中に十分浸透しているから、黒板消しにロープ、水入りバケツからおもちゃの矢の連鎖なんていう無茶はしないだろう。けれど、だからこそ最初の黒板消しトラップくらいは仕掛けそうな人物に、三人ばかり心当たりがある私だった。
無意識に展開された魔法障壁によって、宙に浮く黒板消し。それに明日菜さんが気づいたのは直前の出来事でネギを怪しんでいたからということもあるのだろうけれど、そういう細かいフラグを丁寧に潰していくことが、大事なのだ。たぶん。
「おっはよー、って、まあ、予想はしてたけど誰もいないか」
始業まではかなり時間があるし、早く来る義務のある本日の日直はエヴァンジェリンさんだ。真面目に早起きして登校してくる訳が無い。まあ、予鈴までには来るだろう。
自分の席にすたすたと近づいて腰を降ろす。
もしかしたら相坂さよが「居ますよー、私が居ますよー」みたいな感じで私の周りを飛び回っているかもしれないけれど、悲しいかな、霊感のれの字も持たない私にはそれを知る術がない。
前世の記憶だなんてオカルトも良いところなのだから、そのあたりの能力が少しくらいあっても良いと思うのだけど、生まれてこの方金縛りにさえあったことがない。
残念だけれど、相坂さよはもうしばらく一人ぼっちだ。
コックリさんでもすればお話できたりしないかな、と思ったりもするのだけど、実行に移したことはない。魔法も幽霊も存在する世界だから、相坂さよ以外の本物が寄って来たりする可能性がゼロじゃないのだ。怖すぎる。
何しろ、放課後にコックリさんをやろう、なんて言おうものなら、占い研の部長にして、稀代の魔法使いとなる資質を持つ木乃香さんがノリノリで参加してくるのが目に見えている。
本物の降霊会になったらどうしてくれるのか。いや、そうなりそうだったら、桜咲さんがさりげなく止めてくれる気もする。
そんな事を考えていたからだろうか。からりと教室の戸を開いて入ってきたのは、桜咲さんだった。
視線を教室内に走らせて、私に目を止めると、軽い目礼。
「おはようございます」
「おはよ、早いね」
「ええ。坂本さんも」
会話終了。
味気ないなあ。や、私が木乃香さんと仲が良いから、わざと距離を置いているってことは分かってるんだけどね。
もしかして桜咲さんが早く来たのって、木乃香さんが早く寮を出たからだったりするのだろうか。んー、あり得る。
さっきまで私達のちょっと後方を、気配とか消して歩いていたのかもしれない。
で、木乃香さん達がちゃんと学園長室に向かったのを見届けてから教室にやって来た、と。時間計算も合うから、たぶんその線だろう。
「そうそう、今日から来るっていう子供先生のこと、何か知ってる?」
席から立ち上がりながらの私の言葉に、桜咲さんは少しだけ思案顔になった。
「いえ、目新しいことは何も。先週、坂本さんが仕入れてきた話は、委員長さん経由のものでしたよね。それよりも詳しくとなると、学園長に聞くしかないのでは」
桜咲さんの側に歩み寄って、うんうんとうなずく。
「だよねえ。まあ、そこに聞くのがまず難しいわけだけど。高畑先生には土曜のホームルームで根堀り葉堀り聞いちゃったし」
流石のあやかさんでも金曜の放課後だけでは詳しいところまで情報を集めることは出来なかったらしく、高畑先生の口からは幾つかの新事実が語られたりした。イギリス出身だけど日本語が通じるから大丈夫、とか。
高畑先生が納得ずくで担任から外れるのだと知った明日菜さんの落ち込みようと言ったら、端から見ていてかわいそうなくらいだったけれど。
「朝倉さんが潜入取材してくれてるから、そっちに期待かな」
いや、むしろ突撃取材と言うべきか。
私と同じように、学園長室の扉に張り付いて聞き耳を立てる朝倉さんを想像したのかどうかは分からないが、桜咲さんも小さく笑ったような気がした。
「おっはよー! って、珍しい組み合わせだね」
元気な声と共に教室に入ってきたのは美空さんだった。
もう今さら「なんでボブカットなの」とは突っ込まないけどさ、たぶん私のせいだろうし。でもその左手に持ってるバケツは何に使うつもりかな?
「おはよう、容赦をどこかに忘れてきた美空さん。バケツはアウトだと思うの」
じと目で睨みつけると、美空さんは思い切り目を逸らした。
「いやいやいや、ほら、こういうのは最初が肝心じゃない。舐められるわけにはいかないっていうか。ね?」
「そうそう。最初が肝心だよねー」
さらにその後ろから現れたのはゴム矢を抱えた風香さんだ。史伽さんも史伽さんで、トラップ用と思われるロープを提げている。来るのが子供だと分かっていても容赦ないね、君ら。
時計を見るといつの間にか結構な時間が経っていたらしく、三人の後ろからも続々とクラスのみんなが登校してくる。
微妙にいつもより集まりが良い気がするけど、このクラスならさもありなん、である。
「もー、泣かせちゃっても知らないからね」
「大丈夫、大丈夫。計画段階ではバケツに水を入れる予定だったけど、我慢するから」
くくくく、と笑い合う陸上部のエースと双子。
うーん、これを止めるのはちょっと難しいかもしれない。いや、無理やり妨害することは不可能じゃないけど、ちょっと避けたい。
私は呆れたように大きくため息をついて、自分の席に戻った。
そして、ポケットから携帯電話を取り出すと、木乃香さん宛てにメールを打つ。
「教室の入り口に歓迎トラップ有り。親睦のために引っかかるつもりなら止めないけど、一応先生に教えて上げて……と」
うん、よし。
この情報を聞けば、ネギ・スプリングフィールドの性格から考えて、黒板消しトラップにわざと引っかかるだろう。もちろん、魔法障壁はオフにして。
その後でちょっとロープで転んで、バケツで目隠しされて、ゴム矢で射抜かれるかもしれないけど、私の目的から見れば誤差の範囲だ。たぶん。
そんなことを考えている私の視線の先で、いたずらトリオは着々と歓迎の準備を整えていった。
クラスの皆も心得たもので、黒板消しが仕掛けられたあとは教室の後ろにある出入り口を通っている。新任教師が来るという日に、トラップが仕掛けられていない訳が無く、そしてちょっと気をつけていれば発見できる黒板消しなんて囮に違いないということが分かっているのだ。訓練されてるなあ。
しかし、それからさらに時間が経過して予鈴が鳴り、私はさすがにおかしいと思い始めた。
遅すぎる。
まさか二度寝して遅刻かと、携帯電話を取り出したタイミングで、教室の前方からばふっと白煙が上がった。
ちょっと周囲に注意を払っていれば分かる程度の黒板消しトラップに引っかかったのは、ジャージ姿の千雨さんだった。