世界に魔法をばらすまで   作:チーズグレープ饅

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【番外】 麻帆良学園都市の常識

「良いか、とりあえずジャージに着替えるから誰も来ないか見張ってろ」

「は、はいっ!」

 背後からの声に、ネギは直立不動で返事をした。冷静な指示が、逆に恐ろしい。

 ネギ・スプリングフィールドは魔法使いである。一人前になるための修行として、日本で教師となることを命じらてやってきた、未だ半人前の子供だ。

 つい先ほど、ネギはくしゃみで魔力を暴走させてしまった。その余波のせいで制服を吹き飛ばされた少女は、並外れた自制心で驚きと羞恥から立ち直り、素早く通りから離れると雑木林の中へと避難した。

 慌てて追いかけたネギに、こっちを向くなと言った上での、最初の言葉である。

「体育があったのは不幸中の幸いだな……。女子校エリアに入った後だったのも。ちっ、常識なんか糞食らえだ」

 先ほどまでの優等生然とした敬語はどこかに放り捨てた、男前な千雨の言葉遣いに、ああこっちが素なのかとネギは得心する。刺激的ではあるが、それは炭酸飲料のようなもので、口汚い単語の選択が人を傷つけるためではないことが分かる。

 それに気づいたら、怖さが薄れる代わりに申し訳なさが湧いてきて、ネギは思わず謝罪を口にしてしまった。

「すみません、千雨さん。ご迷惑を……」

 体育のために用意していたというジャージを取り出すためか、荷物を漁っているらしい物音が、ぴたりと止まる。

「なんでお前が謝るんだ?」

「その、僕のせいでこんな事になってしまって」

「制服が吹っ飛んだのはお前のせいなのか?」

 背中に射抜くような視線を感じる。ネギはあわあわと手を振って弁解した。魔法使いだという事がばれたら、オコジョにされて本国に戻らなくてはならない。当然、修行も失敗である。

「違っ……わないんですけど、その、まほ……でもなくて、ええとあの、ごめんなさいっ」

 支離滅裂な言葉に、ネギを睨みつけていたらしい千雨が、大きくため息をついた。背後にあった威圧的な雰囲気から解放されて、ネギも小さくため息をついた。

 追及を諦めてくれたのか、背後からは再び荷物を漁る音がし始めた。次いで、着替えているらしい衣擦れの音が。

「修行、修行ね。で、秘密があるわけだ。ああ、お約束だな、お約束だよ」

 何やらブツブツと呟いていた千雨が、ふとある単語を口にした。

「まほう」

 魔法使いであることがばれたのかと、思わず肩を震わせるネギ。

「麻帆良はですね。非常識が常識っつーかですね。全国レベルのアスリートがごろごろしてるし、忍者がいるし、ロボットもいるし……」

 どうやら、麻帆良の言い間違いだったようだ。ネギは知らず肩に入っていた力を抜く。

「だからもう今さら魔法使いが増えたくらいで驚きませんけどね」

「なっ、なんで知ってるんですかっ!」

「こっち向くなって言っただろう阿呆!」

 秘密であるはずの事実を指摘された驚きに振り向いたネギは、額をスパーンとはたかれそうになった。が、痛みは無い。

 既に着替えを終え、もしもこっちを見たらはたく、という心積もりだったのだろう千雨が、振り抜いたはずの手をしげしげと眺めていた。

「なんか途中で壁みたいなのが……無理やりぐにっと曲がりやがった。疑う余地なく超常現象じゃねえか。はっはー、さらば私の平穏な日常。ああもう、ありえねえ」

 細目になって皮肉気に笑う千雨に、ネギはおそるおそる声をかけた。

「あの、千雨さん。お願いします。秘密にしておいてくれませんか? ばれたことが知られると、大変なことになっちゃうんです」

「あ? あー、分かってる皆まで言うな。魔法使いのルールで普通の人にばれたら記憶消した上で魔法の国に帰らなきゃいけなくって、しかも修行は失敗で女王様になれなくなったりするんだろ? 魔女っこか!」

 ノリ突っ込みつきで往年の魔女っこモノの設定を語る千雨だったが、もちろんネギにそんなことが分かるはずもない。

「す、すごい。ほとんど正解です。あ! もしかして千雨さんも魔法使いだったり……」

「しない! 私はごく常識的な一般人だ!」

 期待に満ちたネギの問いかけを一蹴した千雨が、何かに気づいたような表情をする。

「ほとんど正解ってことは、もしかして記憶消せるのか?」

「は、はい。ちょっと頭がパーになるかもしれませんけど」

「却下」

「あう……」

 こめかみをぴくぴくと引きつらせた千雨が、記憶の消去という選択肢を切り捨てた。

「分かった、誰にも言わないから見逃せ。ってか、お前が迂闊すぎるのも悪いだろ、この状況」

 反論できるはずも無かった。ネギが魔法を暴発させたことがそもそもの原因である。その後も失言を繰り返した上に、魔法障壁の切り忘れと失敗を重ねている。

「すみません。僕がくしゃみなんてしたばっかりに」

 しゅんと落ち込んだネギに、千雨が慌てたような声を出す。

「泣きそうになるな! くしゃみするだけで服が吹き飛ぶとか大惨事だ、くそっ。今後気をつけろ。女子校でも教員とかに男いるんだからな? うちのクラスの奴らに迷惑かけるんじゃねえぞ」

 もちろん私も含めてだ、と宣言する千雨に、ネギはこくこくと首を振ってうなずいた。そうだ、初日からつまずいている場合ではない。自分にはマギステル・マギになるという目的が――そしてあの人を追うという目標があるのだから。

「おーい、誰かいるのか? そろそろ急がないと遅刻するぞー」

 ネギにとっても千雨にとっても聞いたことのある声が、ざくざくと雑木林を進む足音と共に寄ってきた。

「タカミチ! 久しぶり」

「高畑先生」

「おはよう、長谷川君。それから、久しぶりだね、ネギ君。大きくなったなあ」

 笑いながら挨拶する高畑に、おはようございますと千雨も頭を下げた。

「ん、長谷川君はなんでジャージを? 一時間目は体育じゃなかったはずだけど」

 なぜと聞かれれば明らかに自分のせいなので、ネギは慌て出す。高畑もネギと同じく魔法使いなので、千雨に魔法がばれたことを知られると、非常にマズいのである。

「はあ、さっきそこの道で思いっきり転びまして。拍子で制服のボタンが千切れたんです。で、駅から学校まで案内する途中だったネギ先生に、着替え終わるまで人が来ないよう見張ってもらっていたんですよ」

 嘘は言っていないけれど本当のことも言わないという、やたらと高等な状況説明をさらさらと行う千雨の言葉に、ネギはそうそうと頷くことしか出来なかった。

 千雨は高畑が魔法使いであることなど知らないだろうが、そんなこととは関係なく、先ほどの「誰にも言わない」という約束を守ってくれているのだ。

「そりゃあ災難だったね。ネギ君は一度学園長室まで挨拶しに行かないといけないから、僕が案内するよ。長谷川君は教室に急ぎなさい」

 高畑に促された千雨は腕時計を確認して、げっという呻きと共に表情を歪めた。

「じゃあすみませんけど、高畑先生あとはよろしくお願いします。ネギ先生も、また後で」

 言い残すと、千雨は雑木林を走り去った。その背中を見送りながら、ネギは「また後で」ってどういう事だろうと首をかしげる。もちろん、教師になれば会うことはあるだろうが、先ほどの言い方はもっと確信に近いものが感じられた。

「さあ、僕らも行こうか、ネギ君。今週は遅刻者ゼロ週間でね。教師にイエローカードは出ないけど、示しがつかないだろう?」

「あ、うん。千雨さんは、大丈夫かな」

 学校へ向けて歩き出しながらも、千雨が間に合うのかどうかネギは不安になってしまう。

 親切にも駅から案内してくれたのに、リュックで潰すわ、制服は脱がすわ、魔法はばれるわと、迷惑をかけた上に遅刻までさせてしまっては、申し訳ないでは済まない。

「あのスピードなら校門はセーフ、教室は予鈴に間に合わず、というところかな。心配かい?」

「駅で困っていたら、学校まで案内してくれたんだ。日本の女性は優しいって、本当だね。タカミチ」

 ネギは分かりにくい形でしか善意を示すことが出来ないらしい少女のことを思い出しながら笑う。

「そうだね。長谷川君は少し口が悪いけれど、とても面倒見の良い子だよ」

 高畑もまたネギにつられたように笑うが、その後ですぐに表情をあらためる。

「ともあれ麻帆良学園へようこそ。これから忙しくなるよ。ネギ先生」

 旧知である高畑に「先生」と呼ばれたことで、ネギは背筋が伸びるような思いをした。

 不安はある。

 先ほどの長谷川千雨のような、ネギよりも年上で、考え方も大人びた少女達を前にして、教師などという大役が果たせるのかと。

 しかしネギはその不安に負けないようにと、先を歩く高畑の背中を追って、足を踏み出した。

 ここでの暮らし全てが、マギステル・マギとなるための修行なのだから。

 

 

 麻帆良学園都市の学園長室は、何故か本校女子中等部の一角にある。

 警備上の問題から女子校エリアが学園都市の中心部に(つまり学園の最重要拠点である世界樹の側に)あること、学園長自身の孫娘が女子中等部に在学中であることなど、理由は幾つか存在する。

 しかし、対外的にもっともらしい理由を一つ挙げるとするなら、女子中等部が使用している校舎が、麻帆良学園創立時からある建物だから、ということになるだろう。改築は何度か重ねているが、当時はまだ共学であった学園の校長室を、今でも使い続けているだけなのである。

 その歴史ある部屋から、九歳の新任教師という前代未聞の人物を送り出し、学園長である近衛近右衛門は一息をついた。

「やれやれ、どうにか一時間目には間に合いそうじゃの。予鈴が鳴っても到着せんから、もしや道に迷ったのではないかと思ったが」

 予鈴が鳴った後では、木乃香達に捜しに行かせる訳にもいかんしの、と近右衛門は長い髭を撫でながら呟く。

 すれ違いになる可能性もあるが、それ以上に他の教師と出会えば急いで教室へ向かうよう指示されることが目に見えている。いちいち事情を説明していては、効率が悪いことこの上ない。

「案内してきてくれて助かったわい」

 近右衛門は隣に立つ高畑に目を向ける。

 なかなか現れないネギに対して「これだからガキは」と苛立ちを募らせていた明日菜の抑え役としても、これ以上はない偶然だった。

「いえ、途中からですよ。校門のすぐ近くまでは、うちのクラスの……ああ、いえ、長谷川君が駅から一緒だったようです」

 つい先週までは担任であったために口をついてしまったが、1-Aは既に高畑の受け持つクラスではない。

「長谷川千雨君か。確かにあの子なら子供が迷子になっとるのを見過ごすことはせんじゃろう。口では悪態をつくじゃろうがな」

 ふぉふぉふぉ、と楽しそうに笑う近右衛門。

 高畑はたまに、この老人は学園の生徒全ての個性を把握しているのではないかと疑いを持つことがある。さすがにそんなことは無いはずだが。

 長谷川千雨のことを知っていたのも、おそらくは孫娘と同じ部活であるとか、クラスであるとか、そういうことが理由であるに違いない。

「それから、その長谷川君ですが、ネギ君の魔法がばれたかもしれません」

「なんと。初日からか」

 近右衛門の反応に、高畑は眉をひそめる。

 ネギの修行の成功だけを見るなら、このことは報告しない方が良い。だが、高畑はそういうことが出来る性格ではなかった。

 ゆえに、近右衛門がネギに対して厳しい判断を下す可能性も考えてはいた。そのときはフォローしよう、とも。しかし、近右衛門の声には驚きと共に、笑いの成分が混じっていた。

 少しばかりの不可解さを残しながらも、高畑は報告を続ける。

 ネギが来るから外に気をかけていたこと、校門付近で魔法の発動を感知したこと、確認しに行くとジャージ姿の長谷川千雨がいたこと。

「ネギ君はどうも、魔力を持て余しているみたいで、くしゃみをすると武装解除とか暴発させてしまうんですよ」

 様子を見るために足を運んだネギの故郷で、彼の幼馴染の少女が、何度か被害にあっていたことを高畑は思い出す。彼女も心得たもので、三度目の訪英時には咄嗟に防壁を張って回避することを覚えていた。

「ふーむ。千雨君ならそこから何かに感づいてもおかしくはないのう」

 千雨に対して麻帆良の認識阻害結界の効果が薄いということは、初等部の頃から指摘されていた事実である。加えて、彼女の論理的思考があれば、幾つかの不自然な点を重ね合わせて、魔法という超常現象の存在にたどり着く可能性は高い。

 しばし、近右衛門は宙を見つめて、頷いた。

「ま、問題ないかの」

「……良いんですか?」

 話している途中から予想できていた答えではあったが、高畑は問いを返した。

「新田先生、おるじゃろ」

 しかし問いに対する近右衛門の返答は、高畑の想定していたものとは違った。

「新田先生、ですか」

「彼はわしが初めて受け持ったクラスの委員長での。今と変わらず堅物で、不良生徒達からは鬼の委員長と呼ばれとったもんじゃ」

「はあ」

 唐突に始まった昔話に、高畑は間の抜けた返事しかできない。

「その新田委員長が、今ではおぬしと同じ広域指導員として、相変わらず生徒達を震え上がらせとるわけじゃな」

 近右衛門は小さく笑ったようだった。

「しずな君もそうじゃし、移動売店の節子君も、事務の広橋君も、麻帆良の卒業生じゃよ」

 もちろん、おぬしもな、と高畑を含みのある視線で見てくる近右衛門。

「例えば三十年前なら、ネギ君を教師として受け入れることはできんかったじゃろう。が、今ならできる。麻帆良なら子供が教師をしていてもアリだという意識が、根付いておる」

 高畑はようやく、近右衛門が何を言わんとしているのかを理解した。

 もちろん認識阻害の結界の力はある。だが、それの補助を受けた形であっても、麻帆良の非常識度は少しずつ、しかし確実に、上がってきているのだ。

 麻帆良で育った、常識外れを常識とする者が麻帆良に就職する。そうして麻帆良はさらに非常識になる。

 麻帆良を卒業した、常識外れを屁とも思わない者が、麻帆良の外で就職する。世界は少しだけ非常識に優しくなる。

 そうやって、国体レベルのアスリートがいても、忍者がいても、ロボットがいても、誰も不思議に思わない環境を、育て上げてきた。学園祭を一般に開放して、県外から客を呼ぶことの出来る学園都市を、作り上げてきた。

 近右衛門が、白い眉毛に隠された目の奥で、優しく笑った。

「ま、本国には秘密じゃよ」

 度を越えるようだったら注意してやってくれ、という学園長の言葉に、高畑は頷いた。

「ええ、了解しましたよ。学園長」

 高畑の返答にふぉふぉふぉふぉと声を立てて笑った学園長が、ぴたりと真剣な表情になった。

「しかし、ネギ君はちゃんと先生を出来るのかの。さすがにそっちは甘い点をやることは出来んのじゃが」

 煙草を取り出そうと胸ポケットに手をやって、高畑は学園長室が禁煙だったことを思い出した。

 そろそろ、彼の初授業が始まった頃だろうか。

「大丈夫ですよ。ネギ君は頭良いですから」


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