世界に魔法をばらすまで   作:チーズグレープ饅

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アブラゼミは見た

 部活動からの帰り道、ジリジリとうるさいアブラゼミの鳴き声を跳ね除けるかのように、あっはっはっはと春日さんは笑いながら歩いている。その斜め後ろを、私は俯き気味でついていく。

「そんなに笑わないでよ、春日さん」

「いや、あまりに見事なこけっぷりだったからさー。思い出すとどうしても……」

 春日さんはそう言いながらもまた、ぶふっと噴出している。

 陸上部で五十メートルのタイムを計測していたとき、ゴール直前で思い切りすっ転んだのである。スピードがのっていたせいで、大車輪と言っても間違いではないような転び方になってしまった。私が漫画のキャラなら「ぷぺらっ」とか奇声を上げていたに違いない。

「うう、まだあちこち痛いしさあ」

「まあまあ、捻挫とかしなくて良かったじゃん」

 ポジティブに慰めてくれるのは嬉しいけど、それならせめて笑いをおさめてからにして欲しい。

 ストレッチをちゃんとやっていたおかげか、それとも転び方が良かったのか、大きな怪我をしなかったのは、春日さんの言うとおり幸運だった。世界観的にギャグキャラ補正がかかりつつあるとかで無いことを祈る。

 しかし、最近あまり転ばなくなってきていたから油断していた。障害走とかの選手になってしまわないよう気をつけよう。さすがにハードルの目前で転んだら大惨事になる。

 うだるような暑さの中、春日さんは肩口まである髪を揺らしながら、元気良く歩いていく。この後は教会に行くそうだから、駅まで一緒に行けるわけではない。

 そう、春日さんというとベリーショートなイメージがあったのだけど、普通に髪が長い。私が春日さんに気づかなかったのは、この髪型の違いが大きい。実のところ、彼女はすぐ隣のクラスにいたのだ。

 子どもの頃からずっと同じ髪型なわけがないと、なんで思いつかなかったのだろう。伸ばすのは時間がかかるけど、切ったり結んだりは簡単にできるのだ。

 事実、私も陸上部に出るときは髪をポニーテールになるよう結っている。大河内アキラと髪型がかぶってしまうので、何か別の結び方を考えたい。

「お?」

 私の二歩ほど前を歩いていた春日さんが、何かに反応して声を上げた。知り合いでも見つけたのか、ぶんぶんと手を振りながら走り出す。

「ちょ、ちょっと」

 慌てて追いかけようと、私も走り出そうとしたのだけど、その時くらりと視界が揺れた。

 貧血起こしてぶっ倒れたときの感覚に近い。あ、やばい、と思ったときには、もう視界が暗転していた。

 

 

 覚醒して最初に気づいたのは、額に乗る冷たい何かの感触だった。次いで、春日さんの声が耳に飛び込んできた。

「ほーらー、大丈夫だったっしょ!」

 ベンチの上に横たえられていたらしい体を起こすと、額から濡らしたハンカチが落ちてきた。青いチェック柄の男物だ。

 私の目が覚めたことに気づいたのか、糸目の男の人に食って掛かっていた春日さんが、こっちに寄ってきた。

「あ、気がついた? どっか痛いとことかない?」

 心配そうに問いかけてくる春日さん。部活で転んだときもそうだった。大丈夫と分かった後は笑い飛ばしていたが、最初は普通に心配してくれた。

 糸目の男の人も一緒に近寄ってきた。黒いズボンに白のカッターシャツという学生服姿で、年齢はたぶん高校生くらいだ。

「びっくりしたよ。美空ちゃんの後ろで急にばったり倒れるんだから。日射病か貧血だと思うけど、大丈夫かい?」

 私に視線の高さを合わせるためか、わざわざしゃがんで聞いてくる男の人。私は恐縮してぺこりと頭を下げた。

「すみません、ご迷惑をおかけしまして。ハンカチまで借りちゃって、ありがとうございます」

 額から落ちた後、膝のあたりにのったままになっていたハンカチを拾い上げた。

「当然のことをしたまでですよ、お嬢さん。それと、そのハンカチは僕のじゃなくて先生のなんだ」

 そう言って、私の後ろを示す男の人。私が寝かされていたベンチの裏にもう一人、白いスーツ姿の眼鏡をかけた男の人が立っていた。ずっといたんだろうか、全然気づかなかった。

「瀬流彦くんがセンセーまで連れてくるしさー、そんな大事なわけないのにー」

 春日さんが嘆息して呟く。なんと、糸目の人は瀬流彦先生だったらしい。そうか、年代的には高校生でもおかしくない。まだ先生じゃなかったのか。

 その瀬流彦さんが、慌てたように春日さんの発言をフォローする。

「それは美空ちゃんに陸上部で転んだばっかりって聞いたから。もしも頭とか打ってたら、時間差で倒れるのは本当に危ないんだよ。保健室まで行くことないって言うから、丁度巡回してた高畑先生に頼ったんじゃないか」

 さらに驚きの事実だ。スーツの人は高畑先生なのだそうだ。なんなんだろう、この原作キャラの大判振る舞いは。

 アスファルトの上で気を失ったのに擦り傷とかできていないのだけど、もしかして魔法で治してくれたりしたんだろうか。

 私はベンチから立ち上がって、高畑先生へ向き直る。

「どうもありがとうございました」

 改めて、頭を下げる。ハンカチは……どうしよう、洗って返した方が良いのかな。

 そんな私の逡巡に気づいたのか、高畑先生は小さく笑うと、すっとかがんで私の手からハンカチを取り上げた。

「どういたしまして。ふらつくとか、頭がぼんやりするとかいうことはないかい?」

 瀬流彦さんといい高畑先生といい、魔法使いは紳士たれという不文律でもあるんだろうか。小学生の女の子に対する態度じゃないと思う。

「大丈夫です。お手数おかけしました」

「こういうのも広域指導員の仕事だからね。気にしなくていいよ。それにしても、君は礼儀正しいね」

 高畑先生の言葉に瀬流彦さんが笑いながら同意する。

「本当に。美空ちゃんと同じ年とは思えないよ。爪の垢を煎じて飲ませてもらったらどうかおわっ」

 おお、春日さんの飛び膝蹴りが決まった。ベンチを使っての二段ジャンプとは言え、さすがの跳躍力である。パンツ見えるよ。

 しかし、確かに小学生にしては礼儀正しすぎたかもしれない。いや、倒れたところを介抱してくれたみたいだし、ちゃんとお礼を言うのが間違っていたとは思わないけど。

 えーっと、小学生らしい反応って、どういうことをすれば良いんだろう。

「広域指導員の高畑先生って言うと……デスメガネの人ですか?」

 ちょっとミーハーな雰囲気を出してみる。私の言葉に、高畑先生が少し意外そうな顔をした。

「それは確かに僕のあだ名の一つだけど、よく知ってたね。そういう風に呼ばれるのは高校や大学に行ったときくらいなのに」

 しまった、そうか。基本的に馬鹿騒ぎを鎮圧するときの異名だから、大きな問題が起こらない初等部には浸透していないのも道理だ。あれ、でも確か……。

「報道部の新聞に載ってましたよ?」

 ロングショットではあったけど、ばっちり写真つきで。確か去年の秋ごろだったと思うけど。

「ああ、あの記事か……。報道部の子が嬉々として一部くれたよ。それにしても、新聞なんか読むのかい?」

 高畑先生が苦笑する。春日さんがベンチの上で胸を張った。

「春香は頭いいからね。難しい本とかもすらすら読むし」

「それ美空ちゃんがいばることじゃないよね」

「もー、瀬流彦くんは余計なことばっかり言うなあ。ほら、足は私のほうが速いじゃん」

「それ今は関係ないよね」

 ……なんというか、春日さんと瀬流彦さんはいいコンビだ。原作では全然からみが無かったけど、魔法つながりで結構仲が良かったのかもしれない。

 高畑先生が腕時計に目をやって、声を上げた。

「おっと、もうこんな時間か。僕はそろそろ行くよ。じゃあ、美空君と坂本君、二人とも気をつけて帰るんだよ」

 七月だからまだ日は高いが、教師としては常套句なのだろう。私も春日さんも、素直にわかりましたと返事をした。

「僕も行こうかな。坂本さん、じゃあね。美空ちゃん、院長によろしく」

 高畑先生と瀬流彦さんは、並んで去っていった。

 私は去り際の台詞が気になって、春日さんに問いかける。

「院長によろしく、って?」

「ああ、瀬流彦くんもちょっと前まで同じ施設に居たから。今でもたまに遊びに来るよ」

「へー」

 意外なつながり、でもないのか。どちらも魔法生徒だし、大戦で両親を失った子供を集めた施設という可能性も考えられる。本人の資質もあるのだろうけど、孤児だという春日さんの笑顔に陰はない。きっと良い所なのだろう。

「いっつも私のことからかってくるんだよねー、その分蹴っ飛ばしてるけど」

 くっくっく、と笑う春日さん。

「ふーん」

 気に食わない、みたいな言い回しだけど、その割には瀬流彦さんを見つけたとき、手を振りながら駆け寄っていったよね。結構気に入ってるでしょ。言わないけど。

 倒れたことも忘れて、少し愉快な気分で歩き出した私の背に、春日さんの声がかかる。

「春香、鞄を忘れてるよ」

「おおう。どうりで体が軽いと思ったっ」

 ランドセルは、私が寝かされていたベンチの隅にちょこんと置いてあった。

 このなんでも置き忘れる癖は、どうにかしないとなあ、と思う。気をつけたところで忘れるものは忘れるんだけど。

「春香って頭いいけど、ときどきドジだよね」

 よく転ぶし、と言いながら春日さんはいたずらっぽい笑みを浮かべた。

 うーん、不本意だ。現在の目標は雪広あやかみたいな文武両道な女の子なのになあ。




Arcadia様掲載時とは、春日美空、瀬流彦まわりの設定が若干異なります。

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