復讐者IFルートのモニカ   作:角が二本

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1-1 "もしも"の話

 

 ────モニカ・エヴァレットという少女の話をしよう。

 

 彼女はリディル王国中央の街ロスメリアで、学者ベネディクト・レインの娘として生を受けた。

 元の名はモニカ・レイン。物心つく前に母を亡くし、父の数学書に囲まれて育った。

 

 同じ年頃の子どもが絵本や外遊びに夢中になる中で、彼女は全ての知的好奇心を数学と、それによって解き明かされる世界に向けた。

 

 数学や生物学、魔術など広い分野で豊富な知識を有する父が手ずから教師となって教育したことは確かに彼女の思考回路を研究者に適した論理的な形に変えたが、それだけでは十にも満たない齢で高等数学を修めたことに説明がつかない。

 

 モニカ・レインは天才であった。

 王国でも最高峰の魔術師養成機関・ミネルヴァの試験を受け、十三歳になる頃に中等科一年に編入。入学から半年後に前人未到の高等技術、"無詠唱魔術"を披露して頭角を表した。

 特待生となって高等科一年に飛び級し、ミネルヴァの最高権威ギディオン・ラザフォードの研究室に所属した彼女は現存するほぼ全ての魔術式を解析・改良し、二十二の新しい魔術式を開発している。

 基礎魔術の術式の約三割に影響を与えているのだ。これだけでも魔法史の教科書に載る程の偉業である。

 この功績から彼女は名うての上級魔術師として<沈黙の魔女>の称号が与えられた。

 

 十五歳になり、史上最年少の七賢人となってからも彼女の躍進は留まることを知らず。

 ウォーガンの山脈では、それ単体で国家を脅かす魔法生物一級危険種・黒竜及び二十以上の翼竜を討伐し、ケルバック伯爵領を滅亡の危機から救った。

 ファルフォリア王国との国交においては突如現れた伝説級の竜種・呪竜を第二王子フェリクス・アーク・リディルと共に討ち取った。

 

 そして、最高審議会。

 共に邪竜を討伐した戦友、英雄王子フェリクスが悪辣なる呪術師ピーター・サムズの呪いにかかり、国家転覆を謀った帝国の魔術師として処刑されかけた時。

 彼女は自らの静謐な在り方を破り、血を別ける黒き聖杯を用いて堂々たる振る舞いで名だたる貴族や現国王にフェリクスの無罪を証明した。

 

 まさに栄光の足跡。

 これが正史における救国の大英雄モニカ・エヴァレットの物語である。

 

 

 

 

 

 ────さて、この経歴のみを知った貴方は「彼女はなるべくして英雄になった」と言うだろうか。

 

 そんなことは無い。

 「なるべくしてなった」と言える程、彼女は運命に愛されてはいなかった。

 

 例えばそう、幼少期。彼女が十歳の誕生日を迎えた時、ある権力者の陰謀によって父ベネディクトは蘇生魔術を研究した生命の冒涜者として、大罪人の濡れ衣を着せられて処刑された。

 その後、自身を引き取った叔父からは罪人の身内として汚名を被った鬱憤晴らしに日常的に暴力を振るわれ、一時期は人の言葉を忘れてしまうまでに追い詰められた。

 父の助手をしていた女学者ヒルダ・エヴァレットに養女として引き取られていなければ、虐待によって衰弱死していたかもしれなかった。

 

 ミネルヴァに入学した当初もそうだ。過去の虐待によって対人恐怖症を患っていたために、座学はともかく衆人環視の魔術実技で詠唱が行えず落第寸前になっていた。

 彼女はここで無詠唱を披露したことで評価を逆転させることになるのだが、学友であったバーニー・ジョーンズの発案で短縮詠唱を習得しようとしなければ、その才能を開花させることもなかっただろう。

 

 偉業のひとつである黒竜退治も、彼女自ら動いたわけでは無い。当時、彼女はその才能に嫉妬したバーニー・ジョーンズに拒絶され、決別しており、山小屋に引き籠っていた。

 邪竜討伐はそんな彼女の現状を見かねた七賢人の同期ルイス・ミラーに連れ出され、受動的に行ったことであった。

 

 何かひとつでもボタンを掛け違えていたなら、<沈黙の魔女>モニカ・エヴァレットは結実しなかった。

 彼女の本質は英雄では無く学者であり、生来の気質は純粋で平凡な少女そのもの。環境次第で何者にもなる可能性があるのだ。

 

 

 

 

 

 ────ここで騙るのはそんなIF(もしも)の少女の物語。<沈黙の魔女(モニカ・エヴァレット)>になれなかった復讐者の足跡である。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 ここはリディル王国中央の街ロストリートに位置する繁華街。魔道具屋や洋裁店、古本屋、小間物屋など多種多様な店が立ち並ぶ大通りである。

 雨が土砂降りになって人通りの少なくなったその道をひとりの男が傘も差さず、ずぶ濡れになりながら走っていた。

 

 男は名をウィリアム・クラークという。中肉中背で黒髪黒眼、特に光る所もない平凡な顔つきをした、どこにでもいる"人攫い"である。

 

 やがて大通りの裏手にある、人一人いない廃酒場に辿り着いた彼は肩に担いでいた布の塊を床に下ろした。

 それはローブでぐるぐる巻きにされた十一歳頃の少女であった。

 全身は痩せこけ、生傷をこしらえている。加えて心を病んでいるのか、常にブツブツと数字を呟き続けていて、その眼は虚空を見上げていた。

 

 人攫い(悪人)はそんな少女の姿にキリキリと眉を吊り上げ、鋭い眼をカッと見開いて叫んだ。

 

「おやびーん! 助けてぇー!!」

 

 大の大人から発せられたとは思えない情けない言葉。それは目の前の九割廃人の少女に向けられたものではない。

 バタバタとカウンターの奥から足音が響く。扉を乱暴に開いて、ひとりの女性がそこから顔を出した。

 

「やっかましいッ! 二日酔いの頭に響くんだよ、デカい声だすんじゃない!」

「す、スンマセン」

 

 虎のような女の形相に大いに怯んだウィリアム。しかしすぐに気を取り直して女に弁明する。

 

「で、でも、ほんと緊急事態で、勘弁してほしいっス。ほら、コイツ見てください!」

「ああん? …………随分とまあ、貧相なガキだねぇ。ソイツがどうかしたのかい?」

 

 どこかこの先の男の発言を察したような雰囲気で半眼になる女。ウィリアムは変わらず虚な少女を抱き込み、眦に涙を溜めて言った。

 

「このガキ、めちゃくちゃ冷たくて軽いんです! 今にも死んじまいそうで……可哀想っス、助けてほしいです!」

 

 またか(・・・)、と女は溜息をついた。

 

「ウィリー………アンタ、自分の職業を言ってみな」

「? "人攫い"ッス!」

「おう、いい返事だ。よく分かってるじゃないか。人を不幸にすんのがアタシらの生業さ。そういう可哀想なガキを保護すんのは表の人間の仕事なんだよ。判ったらソイツをもといた場所に返してきな」

「え、け、けど……周りのヤツら、誰もコイツのこと気にしてなかったッスよ!?」

「────そりゃあ、ソイツが"罪人の娘"だからさ。なあ、そうだろ? モニカ・レイン」

 

 女が少女────モニカを見下ろしてそう言うと、モニカは初めて数字を呟くのをやめて、ピクリと肩を揺らし、反応を示した。

 ウィリアムは目を丸くした。

 

「おやびん、コイツのこと知ってるんですか?」

「ああ、風の噂程度にはね。なんでもロスメリアで禁術研究をして処刑された学者さんの娘なんだと。父親が死んだ後はこの街に住む叔父に引き取られたそうだが……この様子を見るに良い扱いはされてないみたいだね。確かに、元いた場所に戻したってそのまま死んじまうだろう」

 

 だがね、と女は言葉を続ける。裏の世界に堕ちてなお、善性を捨てられない馬鹿な子分に言い聞かせる。

 

「"良い扱い"できないのはアタシ達も同じさ。アンタ、その子に犯罪の手伝いをさせたいのかい? アタシに子どもを預けるってのはそう言うことだよ。……そもそもその子は使い物にならないだろうけどね」

「……仕事とかお金とかはコイツの分まで自分が何とかするッス。だから────」

「アンタ、今月のノルマは満たしたのかい」

「うっ」

 

 バツの悪そうな顔で目線を背けるウィリアムに、女はそら見たことかと言わんばかりに鼻を鳴らす。

 "人攫い"、"盗人"、"詐欺師"……その前は"用心棒"だったか。この男は何をやらせてもてんでうまくいかなかった。

 この馬鹿は根っこの部分が綺麗なのだ。そもそも悪どいことをする裏家業には向いていない。

 現状、この男は穀潰しでしかなかった。女にはそんな男のお願いを聞いてやる義理は────

 

「それでも………それでも、俺はコイツを助けたいんです! お願いします。手を貸してください。何でもするッスから!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん? 今「何でも」って言ったかい?」

 

 女はあっさりと手のひらを返した。急激に真顔になり、食いつくようにそう言う女にウィリアムは呆気に取られる。

 

「え? 言いましたけど………?」

「ふーん。ならアンタ。アタシがガキを拾ってやったらどんなに嫌な命令でも従うんだね? 尊厳も人権も犠牲にできると?」

 

 ドスのきいた低音の声で詰め寄る女。

 ウィリアムは女の尋常ではない態度に嫌な予感をひしひしと感じつつも、それで子どもひとり救われるならばと割り切った。

 

「そ、そうッス。男に二言はありません! コイツがそれで生きられるなら、俺はおやひんに、腕だって脚だって……心臓だってくれてやりますよ!」

「……心臓なんか獲りゃしないよ。悪魔かい、アタシは」

「似たようなもんだと思うッス!」

「アァッ?」

「スンマセン!」

 

 まあ、心臓はともかく言質は取った。

 女はこの後の、ウィリアムを使っての『お楽しみ』に思いを馳せ────ニンマリといやらしい笑みを浮かべた。

 ウィリアムは震え上がった。

 

「さて」

 

 そうして女はようやく痩せっぽっちの少女を見た。少女は相変わらず自分の世界へと旅立っていた。反応を見せたのは名前を呼んだあの一瞬だけだ。

 

 女もウィリアムも、自分自身にすら関心を向けていない。今にも死にそうな状態だというのに、「助けて」と言いもしない。

 自分で生きようとしていないのだ。

 

(……そんな子に何をしてあげたって、無駄だと思うけどねぇ)

 

 冷めた本心を胸に隠す。

 どの道、ウィリアムとの取引は完了している。個人的な感情とは別にして"少女を保護する"という仕事はこなさなければならない。

 

「アタシは<糸繰りの魔女>モイラ。裏社会の何でも屋、エボニー商会の会長さ。

 今日からアンタの主人になるから、よく覚えとくんだね」

 

 返事はない。少女は、数字を呟き続けている。

 

「………はあ。ウィリー、ラヴィニアを呼びな。この子を湯浴みさせるよ。汚れたままウチに上げたくはないからね」

「風呂っすか? それなら態々ラヴィニアにやらせなくても、俺が入れてやりますよ?」

「デリカシーがないね、アンタは。一応その子は女の子でしょうが。男が裸を見るのはマナー違反だよ」

「あ、確かにそうッスね。ごめんな、えっと、モニカ?」

 

 返事はない。少女は、数字を呟き続けている。

 

「あれ、さっきは反応したのに………」

「そう簡単に治りゃしないさ。精神の傷は肉体のそれよりも治療が難しいからね。ほら、それより早くラヴィニアを呼んできな。上で帳簿つけてるだろうから」

「はいッス。おーい、ラヴィニアー!」

 

 

 

 

 

「はいはーい! 呼ばれて飛び出てラヴィニアちゃんでーす。マスター様から仰せつかってあなたのお世話をすることになりました。

 よろしくね、モニカちゃん!」

 

 ────返事は、ない。少女は、数字を呟き続けている。(人間を忌み嫌っている)

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