「ほら、ここが俺の家」
歩き、逃げ回るうちに随分遠くまで来たようだ。学校から電車で20分はかかると言っていた先輩の家は、5分ほど走れば着く距離にあった。
何の変哲もない、普通のマンション。
「お邪魔しま〜す……」
入って最初に感じたのは薄っすらと漂う煙の臭い。靴箱の上には、花が咲いたように笑う女性の白黒写真、その前には途中で燃え尽きて倒れたお線香が一本あった。──ああ、お母さんにもう一度会いたいって、このことか。
「まだ父さんは帰ってこないから、少しくらいゆっくりしていって」
先輩の暮らす部屋には、まるで生活感がなかった。一人っ子だって聞いていたから、たぶん二人暮らしとはいえ。何か物足りないような、そんなものを感じさせる部屋だ。
コト、とテーブルに二つのコップが置かれる。まるで初めて取り出されたみたいな水垢一つない新品のコップ。何も言わずに私たちは椅子に座った。本音を言うなら今すぐ飲みたいけど、とてもそんな空気じゃない。
「それで、どれから聞けばいいんだ? キャスター」
そう先輩は私の隣にいるキャスターに視線を向けた。表情は変わらない。私にはそれが思案する顔なのか、ただの無表情なのかの見当もつかない。
「真名は、あなたの思う通りよ」
あくまでも、先輩に向けての言葉。私はキャスターの顔を見ていいのかもわからない。もしかしたら嫌かもしれないし。
「じゃあ、ふじまるりつか、でいいんだな?」
「そう。でもあまり立夏の前では呼ばないで、欲しい」
確かに、立夏とか藤丸って呼ばれてもどっちか分からないもんね。それだけじゃない気もするけど。私はコップにやっと手を付けた。あまり音を立てないように啜る。
「ほかに聞きたいことは?」
「……顔、何で同じなんだ」
顔どころか。体つきまで、多分一緒だと思うけど。右手にはうっすらと紅い痕──多分、私と同じ令呪があった。今まで全部コートに隠していたのは、全部見せたくなかったからだろう。でも……なぜ?
「それは私もフジマルリツカだから。そうとしか言いようがない。立夏は聖遺物も何もなしに私を喚んだ。なら一番立夏に近い存在は私。マスターに喚ばれるサーヴァントは自然にマスターに引っ張られる。それなら『藤丸立夏』が喚ぶ英霊は『藤丸立夏』自身に最も近い英霊。妥当でしょう?」
「なんで今まで……隠していた?」
「別に。言う必要もなかったから。私はただ立夏を守って、聖杯を手にできれば、それだけでいいもの」
ふと、自分自身に会ったら死ぬ、殺されるとかいう迷信みたいなのがあったな、と思い出した。でもキャスターはそんな風には見えない。
「ていうかそもそもお前……英霊なのか? なんかこう……スゴイ宝具とか武器とか持ってるようには見えないが……。いつも変な影で攻撃するだけでさ」
確かに。先輩のランサーは大きくてきれいな槍を持ってるし、あのセイバー──バーサーカーも禍々しい剣を持っていた。ライダーも馬を持っていたし、アサシンは……煙草だろうか。それからみたら確かにキャスターは何も持っていないような気もする。
「そうね、私は正式な英霊ではないから。私の宝具は強いて言えばたぶん、私の存在そのものとこの令呪、ね。
あなたたちから見れば大したことない影の攻撃に見えるかもしれないけど、あれは全て英霊。それも一時的に宝具を解放している状態。
かつてすべての剣を内包する
そうしたら私は
でも、それだったら二回もキャスターの影に襲われてなお生きているセシリスフィールは、一体?
「でも現に、お前はセシリスフィールも殺せてないじゃないか」
私の思ったことを先輩がそっくりそのまま口にする。でもキャスターはあの時、殺しちゃダメとかも言っていたような。
「殺さないだけ。聖杯の器を壊したら聖杯が手に入らないでしょう」
この間とほとんど同じこと言い、腕を組んでキャスターは目を閉じた。こうしてみると、確かに私そっくりだけど。ほかのところで、根本的な何かが違うような気もする。サーヴァントと人間の違いだろうか。
「そういえばキャスター。なんでそこまで立夏に執着するんだ?」
まだ聞き足りない、という風に先輩はキャスターにお構いなしに言葉を投げつける。
ぴくり、とキャスターの閉じた瞼が動いた。ゆっくり、伏し目がちにキャスターの眼が開く。
その眼の中に私は一瞬だけなにか、寂しさを見た。言葉にできない、というよりならないような。言葉になる前のナニカがキャスターの中に横たわっていた。彼女にはそんなものが見えないのか、見ようとしないのかは定かじゃない。ふ、と自嘲気味に笑って口を開いた。
「自分には、幸せになってもらいたいから。ただそれだけ」
「幸せって……」
「そうね、私みたいにならなければそれでいい。私は今の立夏の生活が続いてくれればそれでいい。
たったそれだけ。
バカバカしいと思うかもしれないけど、こうまでしないと……」
そこまで言って最後までは言わないのか。その先は多分、私にそうなってほしくないから言わないのだろうけど。こうでもしないと、死ぬのか。それとももっと恐ろしい、あの白いユメみたいな……。
「立夏は聞きたいこととか、ある?」
相変わらず私にはずっと優しい表情を向けるキャスター。マスターだからだろうとか思っていたけど、本当にただ私だからだったなんて。くらくらする。
「じゃ、じゃあ。あの……紫色の髪の毛の子は……キャスターとどういう関係なの、かな。名前とか、知ってる?」
──部屋の空気が、重くなった。明らかにキャスターの地雷を踏んだ。しかも特大の。でも、出てしまった言葉は今更取り消すこともできない。
『なんで、そんなことをきくの』
キャスターからは口にできない、そんな気配が滲み出ていた。
何回か口を開こうとして、そのたびに言葉を引っ込めて。そのたびに私はやっぱいいよ、と言いたくなる心とその先を聞きたくてたまらない心がせめぎ合っていた。
「彼女……マシュはきっと──かつて私の前に
「それって……」
「そうね、一言でいうならマシュは私の
つまり、キャスターがマスターだったときの最初のサーヴァント。マシュ。話すキャスターの顔がかすかに曇っていた。
「生前の最後の戦いの前の特異点で、マシュは死んだ。座に行くこともなく、ただ今を生きるヒトとして死んだ。あそこで、私の前に立っていたのは……たぶん他の宇宙のマシュ」
「他の宇宙……?」
いきなりスケールが上がりすぎてちょっと頭が追いつかない。
待って。キャスターはこの世全ての英霊と契約したってサラっと言ってたけど。契約を維持するだけでも今の私は割と精いっぱいだし、実際キャスターが傷つくと、私にも若干のフィードバックはある。
「それよりさ、キャスターって全部の英霊と契約した、みたいなこと言ってたけど、それって本当にできるの?」
「ええ。立夏の世界じゃまだカルデアはできてないけど……。私のいた世界では可能だったわ」
カルデア……また聞きなれない単語。カルデアス、ならオルガマリーとマシュが言っていたような。
「カルデア……は初めて聞いたけど、カルデアス、なら聞いたことあるよ。確かマシュの方は異星って呼んでた、気がする」
「そう。やっぱ言わないほうがよかった。今のは忘れて」
キャスターはその後は何も言わなかった。とてもじゃないけど声を出せる空気でもない。先輩も口を真一文字に結んで顔を伏せている。気まずい。やっぱり怒ってるんじゃないか? 私が無遠慮な質問をしたせいで。
「立夏、お願いがあるんだけど……」
次に口を開いたのもまたキャスターだった。さっきとは打って変わって強さとかそんなのはない。まるで、普通の学生のような声色。やっぱり、キャスターも私なんだ、なんて柄にもなく思った。
「コート、新しいの欲しい」
〇*〇*
/log:2014-12-18 00:01
路地裏を、
今日は──確かに紅かった。
月の下。
答えのない迷路を歩いている。
煙に覆いつくされたここには、もう後も先もない。
前には、何も知らないニクばかり。
後ろは、ひどく残酷に。紅く、紅く燃えていた。
──少し、喰い過ぎた。
バリキをキメるよりももっと激しく頭が揺れる。ニクを喰うのは、いい。
どうせここにいるのはいてもいなくても変わらないニクばかりだ。私が食べているのはそのほんの一部。
「どうやら私のマスターに
「うるさい……黙ってて、アーチャー……」
大体喰ってるのは私じゃなくて蟲だし、あんたとの契約を保つためでもあるんだから、と心の中で毒づく。でも、多分──「あんたのためでもあるんだから」──また、口に出ていた。
「そうか。それは光栄だな。ミズ笹桐」
「いい加減、その趣味の悪いスキルだか宝具だか知らないけど使うのやめてくれない?」
真名は何となく予想はついている。ホームズ。しかも何かねじ曲がった痕も見える。私みたいなねじれ者が召喚するサーヴァントだからだろうけど。
「すまないな、それは。だがこればかりは
つまり、本音から何まで全部言いたくなるのはどうしようもないってこと? バッカみたい。
「じゃあ聞くけど。なんでアーチャーなの?」
「さぁ。それは私の知るところではないな」
そう、とだけ言った。実のところ、そんなことには興味なんてなかった。
体が重い。ピシ、ピシと歩いた地面がひび割れていく。一匹、また一匹と私の中に還り、ずんとした質量を残す。
鼻には甘く恍惚した血のねばねばとした匂いがまとわりついて脳を蕩けさせる。
でも、もっと、もっと早く。もっとたくさん喰わないと。
もっとたくさんニクを喰って、蟲をおなか一杯にさせて、それで──。
「マスター……そのまま喰い続ける気か? だがそれ以上はやめておいた方がいい。人間はバリキよりもずっと脳にクる麻薬だからな」
「それに、アサシンのお出迎えだ」と続ける。実際煙は濃くなっていてもう前すら見えない。ただ
「「ほう。我々の存在を見抜くか。まぁ最初から隠れるほどのスキルは持っていなくてな」」
一人、一人と煙の向こうから姿を現したのは──アサシン。
先入観なしで聞けば、ただのサラリマンのような声だ。でも、それはもっと根本的に異なる──無生物の音。
「「令呪。サーヴァント。──我らの敵に違いない」」
彼らは笑うこともない。ただ目の前の敵を淡々と狩るためだけに存在していた。ただそうすべきだから、というように肩を小刻みに揺らしていた。はっきり言って、私の蟲より気持ち悪い。
「……アーチャーが言うところによるとあなた達、一般人は手籠めにできても、マスターは一人も始末できてないみたいだけど?」
アーチャーの推理通りだ。なぜそれを、というようにアサシン達にどよめきが走る。
「「その口も開けぬ程……貴様の時間を徹底的に搾取してやる……」」
「ふーん。盗れるものなら盗ってみれば?」
自分に残っている時間がどの人間よりも短いことは知っている。もとより私は死人だ。今の私なんて、蟲が動かしているに過ぎない。ただ宿主を死なせないためだけに、奴らは
「大体私、最後に契約するのはアーチャーって決めてるから」
「「たわけ。貴様の時間を我々が管理したほうがずっと価値がある。貴様一人の時間で何を為せる!?」」
「あんたたちのマスターを殺せる」
私は死んだとしても、このトウキョウでの私の敵、五十嵐龍二を殺せると断言する。その未来、視えているのでしょう? アーチャー。
私からすればアサシンだって喰うのはたやすかった──いや、無理……!?
「「……何だ」」
そこには、蟲たちが喰う肉の一片もなかった。輪郭は存在しているというのに、そこには皮膚も、肉も臓物もなかった。
喰えない。その瞬間、”私”の勝ち筋は消えた。
「──アーチャー」
私が欲しいのは聖杯なんかじゃない。五十嵐龍二の死だ。世界も根源も知ったことじゃない。
なら、こんなところでもたもたする必要なんてない。エイヨウなんて、ニクを喰えばいい。
「宝具、つかっちゃって」
「ああ、任されたとも」
魔力量は効率の悪い捕食方法だったとはいえいつもより多い。今なら吸われても何とかなる。
「今宵は特別だ。特段君たちが暴かれるべき謎もないからな!」
歌うようにアーチャーは宝具の名を言祝ぐ。どんどん私の魔力、生命力が吸われていくのがわかる。皮膚の下では内臓のすぐそばを蟲が稲妻めいて動いている。
「さぁ、君の究極の悪事、その全てをお聞かせ願おうか!
アーチャーの腰部についているレンズの数々は蒼い月光を集め、彼の影だけを濃くしていった。私の魔力と引き換えに、爆発的に私のサーヴァントは力を膨らませる。
「君たちは、触れられる」
その瞬間。莫大な魔力が滝となって世界を浸食したのを私は見た。
アサシンたちのぼんやりとした輪郭がだんだんとはっきりとする。完全に、彼らはそこに在るものになっていた。
行き場を失った蟲たちがここぞとばかりに肉を食む音、目の前のアサシンたちが苦痛の叫びをあげるのを、私はどんな顔で見ていただろうか。
今まで喰ってきたニクよりずっと純粋な魔力で体が満たされる。ああ、気持ちいい。
〇*〇*
/log:error!
アレがやったのは極小の範囲とはいえ、到底許される行為ではないです。
アレは、越権行為です。許されない。許されない。
──しかし、面白い、とも思います。きっと人類はそう思うのでしょう。
それなのに。面白みのない人類が、増えている。近頃は、とてもつまらない。……原因は? 見えているのでしょう。私。
──アサシン。時間泥棒。時間貯蓄銀行を名乗る詐欺集団。
アレらはしょせん魔力の塊。それにしては、行き過ぎた行為です。
セカイの書き換えより、許されない。削除を求めます。削除を許可します。削除しなさい。
──要求を受理しました。
対 象 : Assassin
log end/