Fate/coin a term 東京模倣聖杯戦争   作:ひつあつ

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██████・バベル 19

/2014-12-24

 

  三人で、色彩(いろ)を失った街を歩き続ける。目を挙げれば、煌々と輝いていた光はだいぶマシにはなったが、まだ塔(ビル)のほうを見るだけでめまいがする。

 出歩く人もまばらで、すれ違ったとて挨拶をすることは無い。

 こうして三人で歩くことは悪くないと思うのだけれど、あまりにも、間が空きすぎている……!

 なんでそんなに離して歩くのか、なんて聞いてもまともな答えは多分返ってこない。

 よく考えれば、さっきまで敵同士、というか命を狙ってた間柄だった、のだが。でも、いくら人がいなくて見通しがいいからって、50メートル近く離して歩くのは、ちょっと異常じゃないか。

 

 危ないからあまり近づかないように、と学校で言われてきた地下へとマシュの先導で降りていく。入ると、あの光から来るのであろう幻聴、重圧……のようなものはだいぶ軽くなった。意識の溶け合うような、あの気持ち悪い感覚もまるでウソのように消えて、思考は明瞭そのものだ。

 聞いていた話では浮浪者がいる筈なのだが──ネズミの一匹も寄り付かないほどまでに、不快な悪臭が漂っている。おびただしい肉が焦げたような、むせ返るほどに血なまぐさい匂いに支配され、地下道は異界の様相を呈していた。そのうえ錆びついたような、例えば金属硬貨を握りしめた時のような匂いも微かにしている。

 何があったかはあまり考えたくないが……これもきっと聖杯戦争の余波だろう、と考えながらなるべくこの壁にこびり付いた焦げ茶色を見ないことを心がけて歩く。ところどころ電気が切れていたのかそもそも見えないところもあるけど。

 どこに行くのか、とか。これから何をするのか、とか。そんなことを口にできる空気ではまるでなかった。ただ、私たち三人がとうに水分の飛んだ血の池をねちねちと鳴らしながら歩く音だけが反響して重なっている。

 ──微かに、向こうから何かど、と崩れていく音。十数分歩けば鼻は異臭にも大体慣れた、というか慣れざるを得なかった。最初に足を踏み入れた時ほどの不快感は消え失せていて、そんなことよりここが崩れたらどうしようとかいう事ばかり考えている。

 

「第四特異点で魔術協会跡地を歩いた時みたいね」

 

 キャスターの言葉は私じゃなくて、マシュに向けられたもの。二人だけにしかわからない秘密の符牒のように、言葉の切れ端は宙を漂っても、マシュはそれを拾わずに黙殺した。

 粘度のある水音はかなりマシになって、今はただ靴のカツ、カツ、という音だけが時を刻むように虚空へ響いて消えていく。灯りも最初に入ったところよりずっとケバケバしい白の蛍光灯に変えられていて、この時ばかりは文明明るさへの飽くなき探究心と執着に感謝する他なかった。ありがたみはなくなってから気づくとはまさにこのこと、いつもは目に染みて痛い蛍光灯の光に、ここまでの安心を覚えるなんて。

 

「ねぇ、私たち、今どこに向かってるの?」

 

 もうどれだけ歩いたかもわからなくなってきた。流石にトウキョウから出た、ということはないだろうけど。マシュは私の質問に答えずに、淡々と歩き続ける。

 

「……この地の魔術協会です。腐っても魔術師の集まりですから、なんらかの情報はある筈」

 

 カツ、という単調な音がどれだけ続いたか、もう見当もつかなくなってきた辺りで、歩調を緩めることなく無言で歩き続けていたマシュは足を止めた。

 肩口で切り揃えられた紫水晶の髪が揺れる向こうに、見ればなるほど黒く大きな扉があった。こんなに大きな扉ならもっと前から気づいたはず、と思うが。多分──隠蔽(いんぺい)の魔術か何かだ。もう隣に立ってくれることはないだろう先輩が話していたことを思い出す。魔術は隠蔽が基本。

 

「何よ、違ってないじゃない」

 

 どこか非難するような響きを含ませたキャスターの言葉は、明らかにマシュに向けられたものだったが──軋(きし)みながら開く扉の音の前に儚く掻き消えた。

 

      〇*〇*

 

 今まで魔術師というものが何なのか、と聞かれても、私がちゃんと知っている魔術師らしい魔術師は、加藤センパイと、キャスターぐらい。だからだろうか、魔術師というものは非人道的、と聞いても実感は持てなかった。

 

 入ってすぐに、埃の匂いと病院じみた神経質な匂いが鼻をつく。中には不親切にも明かりがついてないから、何があるかもよく分からない。ただ、手を動かすことすら躊躇(ためら)われるほどに、危険、というより理解を超えた気配があった。

 確かに、魔術師やら魔法使いがいた場所です、と説明されればなるほどと納得するくらい、ここは実に"そういう"場所だった。というか、"そういう"場所そのものだし。

 

「誰だ……誰の許可を得て、ここにいる」

 

 ……当然、"そういう"所には、"そういう"人がいる。明らかに私たちを敵とみなす声が、人工の光を徹底的に排する闇の向こうから聞こえた。

 

「魔術協会時計塔十二学部天体科君主の名前はマリスビリー・アニムスフィア……これで伝わりますか?」

 

 その一言が、どれくらいの力を持っているのかは分からないけど、マシュのその一言であっさりと部屋にぼんやりとした明かりが灯される。目の前にはただの水晶玉が怪しげな光を抱えて鎮座するだけだった。……本当に、絵本に描かれたような魔術師がいるのだろう。

 

「……少なくとも、浮浪者のたぐいが不幸にも入り込んだわけではないという事はな」

 

 今度は後ろから。余りの突拍子のなさに頭がくらくらする。それでも振り返ると、そこには大きな椅子を従えるようにどっかと構える、小太りの男。

 

「何が起きているか。何が起きようとしているか。もちろんご存知のはずですよね」

 

 マシュの詰問が、止まった空気を震わせる。多分、ものすごい顔をして……。しかし目の前の尊大な男はひるむことも怯えることもなく、煙草を取り出し、流れる様な手つきで火をつけた。

 

「……この地で起こるはずのない聖杯戦争、隠匿されない魔術、あまりにもおかしいサーヴァント。それら全てを我々時計塔が把握してないとでも?」

 

 空中に男の吸った煙が円を描いて吐き出される。しばらくふわふわとあてもなく彷徨(さまよ)い、消えていった。男はそれを見て満足したのか、昼ドラでよく凶器としてご登場する、見るからに重そうな灰皿に煙草を押し付けた。

 ……たった一回吸っただけのはずなのに、随分と短い煙草だ。灰皿には同じように短い煙草が植え付けられている。

 

「外はもう死地だ。出ようとすら思わんな」

 

 その顔には、うっすらと諦観(ていかん)の表情が滲んでいた。どこまでも彩(いろ)を失った外界とは違った哀しさを抱いている。

 

「単に、我々は判断を誤っただけだ。そのような阿呆に時計塔(ロンドン)が手を貸す謂(いわ)れもない。つまり、我々はトウキョウごと見捨てられた。……一応言っておくが、机の上にある書類は私が捨てたもので、た(・)ま(・)た(・)ま(・)ゴミ箱から出てきただけだ。いいな?」

 

 それきり、男は何も言わずに目を瞑(つむ)った。飴色の机に所狭しと置かれたよく分からないモノの数々は、主人が目を開けている間は今すぐにでもこの侵入者に牙を剥(む)かんとばかりに敵意を剥き出しにしている──気がしたが、主人が目を閉じればその物騒な気配諸共(もろとも)消え失せていた。

 机の上を一瞥(いちべつ)すると、確かにこの摩訶不思議(まかふしぎ)の机にはやや不釣り合いな分厚い紙束がある。表紙には一か所だけ不審に焦げた小さくて黒い点。あれは多分──根性焼き。今では滅多(めった)にお目にかかれない風習だ。

 

「なにしているんですか先輩。早く読めって事ですよ」

 

 そう言いながらマシュは書類を手に取り、ぺらぺらと手繰り始める。何が書いてあるのか気になって覗いてみたが──全く、わからない。██は追えても、何を書いているのか全くわからない。書類を見るマシュの表情もどんどん曇ってゆく。

 遂に最後のページまでたどり着いたが、終(つい)ぞ読めるページはなくただの紙束であることだけが解っただけで、それ以外は何も。

 

「……そうですか。これは……彼女の視界を、擬似的に」

 

 こめかみを抑えながらマシュは何か呟いて、紙束を机の上にそっと戻した。

 

「待って、私なら」

 

 黙って見ているだけだったキャスターが背後《うしろ》から手を伸ばして、紙束をガサツに掴む。おそらく、"忘れられない"彼女なら──無くなったはずの██も読めるのだろう。

 

「私も魔術はからきしだけど……うーん、つまり?」

 

 ペラペラと書類を捲(めく)る手は、マシュのそれよりも軽快だ。しばらくして──「ぜーんぜん、役に立ちそうにもないけど?」と言って紙束を残酷にもゴミ箱に入れてしまった。

 

「……そうですか。先輩は……」

 

 何故、読めたのですか。とマシュの顔は聞いている。

 

「忘却補正。マリスにそこだけ弄られたみたい。忘れたい事だって全部覚えてる。私が生きてきて知ったことは全部、ここに入ったなら出ることはないの」

 

 そう言うキャスターの指が額をトントンと叩いた。

 

      〇*〇*

 

/now:2014-12-24

 

「オルガちゃん、はーやくー」

 

 あれほどまでに溢れかえっていた人間は何処に消えたのか、というくらいに、"光"が現れた後のトウキョウは閑散としていた。その代わり……といえば聞こえがいいが、今のトウキョウには、霊脈でもなんでもない一都市としてはありえないほどの魔力が空気中に満ちて居た。

 今のトウキョウは一般人からすれば地獄も同然。あのセイバーの跋扈(ばっこ)する人外魔境に他ならない。そもそも──ここまでの

 "あれ"達自体には攻撃機能は付いていないのだろうが、"あれ"は居るだけで私達の頭をかき乱す。単なる低威力の魔力放出で、この程度であれば魔術で精神防御を行えるが──自衛手段の持たない一般人にはそんな事はわからない。

 そもそも、人智を超えるものというのは、人前に出てきていいものでもない。──あまり、私が言えたことではないが。

 意識してもいいものではないから、見なかったふりをし続けて道路の真ん中を歩き続ける。

 ただいるだけ。見ているだけ。と思い込んでも脳内への侵入は絶えず行われ、その度に魔術回路(マジックサーキット)が閃(ひらめ)く。

 ちょっと、まずいかも。

 私が魔術回路の自律防御に与えた命令は異物への即時反撃。でも、あのセイバーは日を追うごとに、この世界での異(・)物(・)で(・)は(・)な(・)く(・)な(・)っ(・)て(・)きていた。当然、反撃効率は落ちるし、反撃に失敗すれば私に悪夢を見せてくる。

 

「……んく……」

 

 また、頭痛。頼んでもいないのに、食べ物を口に押し込まれる感覚を何倍にも悪趣味に増幅させたような悪寒が、私を絶え間なく襲う。

 そもそも私の魔術回路だって頭にあるというのに、こんなに高頻度で使っていれば、どんなに質が良いとはいえ少々く(・)る(・)ものがあった。

 

「待っ、て! セシ、リスフィール……」

 

 

 脳内でセイバーの幻霊がなにか囁く(ささや)ごとに、体が動かなくなる。正直言って、もう強くセイバーを意識しないと防御すらままならない。足がもう何度止まりそうになったかもわからなかった。

 

「オルガちゃん大丈夫? つらいの?」

 

 セシリスフィールの心配そうな声も今は遠い。

 脳神経があまりの情報量に耐えきれずに焼き切れてゆく幻想が視える。

 たすけて、とか。イたイ、というかすれた声が、頭の中で響いて初めて自分の声だと気が付いた。

 だがそういうことを考えても、私の意識は数秒後には分解消失の手前までいって、そのつど無理やり再構築をする事の繰り返し。

 いつまで続くかも判らない責め苦は、私の外界への反応を鈍くしていく。

 

「時計塔の支部までもうすぐだから、ね?」

 

 だからもう少し頑張ってよ、という声もくぐもって聞こえた。

 もう、すこし、さキニすすまナイと。ハヤく、星廃(セイハイ)を、てニイれないト。

 ──ナがクソトにいると、氣がクルいそうだ。

 ほんトウは、なンカいもシんでしまっタキがするのに。

 魔術解炉(まじゅつかいろ)は、ワたシがシぬことをユルさナい。

 クズれル、セかいがくずレている。で鱈(たら)めにキりはりされテイる。

 

「く、あっ……」

 

 顔を上げて瞬きをすれば、視界一杯に広がるセイバーの姿。

 ──オルガマリーはその場に倒れこみ、うずくまって動かなかった。

 確かに彼女には、使命がある。君主(ロード)の娘として、この聖杯戦争を完璧な形で終わらせるということ、父親のために巨万の富を手に入れること。

 でもそれは、世界がきちんと動いているという前提において成り立つものだという事を、人間は往々にして理解しない。

 彼女は諦めそうになる。もうこんなものは無理だと思い込む。それは当然の失意で、強大なものの前では誰しもが心に抱くものだ。

 この崩壊は、誰にも止められない。

 止められなかったからって、誰も彼女を責めることはないし、彼女を責めるヒトだってもういない。

 だから、ここで彼女が足を止めても、わ(・)た(・)し(・)は気にしないよ──

 

「だから、うるさい」

 

 ……今度ははっきりと聞こえるセシリスフィールの声。視界は乱暴に塞がれていてよく見えない。

 耳へ唐突に何かが押し込まれる。それを指だと認識したときには──セイバーの幻覚も何もかも消え失せていた。

 

「何も見ないで、何も聞かないで」

 

 セシリスフィールは大丈夫なのか、と私は問うた。

 

「私は人間じゃないからね、バベルに嫌われちゃったみたい」

 

 ──私。

 何も変わりのないように言っておいて、そのくせこの数日間で一番変わってしまったのは、間違いなくこのホムンクルスだ。

 でも、その違和感でさえ今は造りモノのよう。

 ……さっきから、思考がぐるぐると回って安定しない。そんな事より早く、魔術協会に行って、いって、それで──?

 背後からセシリスフィールに小突かれながら暗闇の中を進んでいく。強制的に視覚と聴覚を一時的に切ってしまったから、暗闇をえんえん歩くようだ。息を吸っても吐いても、濃厚な魔力が私の体内を駆け巡る。最初のうちはこれで何回冠位指定/人理保障天球(アニマ・アニムスフィア)を行使出来るだろうか、なんて考えていたが、ここまで濃度の高い魔力に長く晒されていると──それどころではなくなってくる。そうして少しづつボロボロになっていく私とは反対に、セシリスフィールは健康体そのものだ。人間じゃ、ないから。それは多分、一週間前の彼女なら絶対に言わないセリフだと思う。

 えんえんと。歩いても、歩いても本当に自分が進んでいるのか確証が持てない。ただ、背中を柔らかく押すセシリスフィールの手のひらだけが、私と現実を繋ぎ止めていた。

 

 しばらくして。セシリスフィールの押す力がやっと弱まってから初めて着いたのだと自覚した。俗世と分厚い壁で建て切られた空間は、あの光(セイバー)からの干渉を和らげてくれる。

 監視されるような感覚も、入り込まれるような感覚も綺麗さっぱり消えて、目の前に広がるのは──「あ、あなたたち……って、マシュ!?」

 私を殺す為に来たとしか考えられない少女と、同じように殺害予告をされていたマスターの少女。そして、そっくり同じ顔をした……サーヴァント。多分、キャスター。それ以外に、生きた気配はしない。一応、本来ならばこのようなところは中立地帯扱いとなり、交戦は禁じられている。だが、こんなデタラメな聖杯戦争にもはやルールは無用。

 セシリスフィールの証言(聖杯としての能力)で、三騎のサーヴァントが散ったと解っているはずだから──後に残っているのは、彼女と……あの暴走を続けるセイバーだけだ。──一瞬にして、張り詰めた空気が小さな魔術協会を支配する。

 

「来て、バーサーカー、いえ、セイバー!」

「バーサーカー、でいいわ。マスター。もうブリュンヒルドは居なくなってしまったみたいだけど……召喚された以上、礼節は尽くさないと。ねぇ?」

 

 バーサーカーが魔剣を構える。ギチチ、と彼女の手から血液の滴り落ちる音が聞こえた。奥のキャスターも手を構える。あまりあのサーヴァントが戦うところは見たことがないし、あの学生についてもよく知らない。もし、私達を遥かに上回る能力をあのサーヴァントが持っているなら──大変、まずい。

 

「大丈夫です、先輩。ここは私が説明すべきですから」

 

 静かに、マシュの手がキャスターを止める。

 

「本気? 相手はバーサーカー(クリームヒルト)。いくら話が通じそうだっても彼女の狂化ランクはEX。いくらマスターが大人しくても危険よ」

 

 ……狂化のランクがEX? そんなの私だって知らない。いや、見ようともしなかった、確認しなかった私の落ち度でもあるが──なぜ、あのサーヴァンントが知っているの?

 そうと言われても、バーサーカーの表情は変わらない。むしろ平時なら「だから何?」と言い出してしまいそうな笑みを浮かべている。

 

「そう、貴女? ど(・)の(・)私(・)を(・)知(・)っ(・)て(・)い(・)る(・)の(・)?(・)」

 

 淑女(しゅくじょ)然とした、いつも通りの嫋(たお)やかな口調。しかし、そんな素振りを見せていても、バーサーカーの闘気が緩むことはない。それとは反対をなすように、向こうのキャスターは全くと言って良いほどに感情も、魔力の揺らぎすらない。

 

「今のあなたと同じ、夫(ジークフリート)が死んだ後のあなた。召喚された状況が特殊だったから、あなたはその後、彼に会えたみたいだけれど」

「そう。言っておきますけど、あの大馬鹿者にもう一度会いたい、とかなんて私はこれっぽっちも思っていませんから。ただ、そういう機会があった、というだけです。それだけ、でしょう」

 

 バーサーカーの表情が、緩んだり緊張したりと交互に行き来する。……なぜか、悔しくてたまらない。目の前のまともに顔すら合わせたことのないサーヴァントに、ここまで私のサーヴァントの情報を握られているなんて、そんなのマスターとしても、魔術師としても恥ずべきことだ。

 

「……無駄話はやめてください先輩。今はそんな場合じゃ無いんですから」

「そう、ならいいけど」

 

 マシュの手が、さりげなく彼女たちを押さえていた。

 一歩、マシュがこちらへと踏み出す。恐怖の方がまさって咄嗟(とっさ)に身構えるが、今の彼女は最初に現れた時とは違った。私に対する殺気も、怒りもない……と感じる。

 

「オルガマリー・アニムスフィア。あなたはこの世界が、宇宙が存続する価値があると思いますか? この世界ならば、何千、何万年も続いて、次の世代を担う霊長との世代交代まで行える──そう、思いますか? しょ──あなたには、それを選ぶ権利があります」

 

 言っていることのスケールが、あまりにも大きすぎて、突拍子もないことばかり。

 世界が続いていいかどうかを選ぶ権利が、私にあるの?

 でも、マシュが嘘をついているとも思えなかった。ただ、彼女の言葉は、私が生きている中で向けられてきたどんな感情、武器よりも──鋭くて、冷たく、そして、私の胸を刺す。

 もしかしたら、私の最も聞かれたくなかった言葉、かもしれない。

 ……お父様は、人類を愛していると言った。そのための冠位指定(グランドオーダー)で、そのための聖杯戦争。何事も表だけがあればよくて、中身なんていらない。ただ、そうあることに美しさを、感動を覚えているって──。

 まだ、私には人類の美しさも何も知らない。むしろ、汚いところ、醜いところしか知らなかった。ただ、死にたくない、消えたくない一心で、今を生きている。それなのに、唐突に世界、そして宇宙が続いていく権利があるかどうかを選ぶことを、この手に委ねられている。

 時計塔の魔術師なら、あのにっくきキリシュタリアなら。きっとここで迷わず続くべきだ、と答えられるのだろうってこともわかっている。お父様だってきっとそうだ。

 でも、私は? こんな世界に、本当に続いて欲しいと思っている?

 

「続くことを願わないなら、何もしないで大丈夫です。でも、続く方を願うなら──どうか、私たちと協力して、くれませんか」

 

 ──その時のマシュの顔が、あまりにも、必死だったからだろうか。あの、実験室で怯えた子犬のような痛々しい表情を必死に飲み込んでいたマシュが、目の前の必死に訴えかける彼女の顔と重なる。それに、私は何かずっと深いものを、切実なものを見た。

 私は、彼女に殺されそうになった理由だって、彼女がなんのためにいるのかだって知らない。でも、その顔だけは、もう一度見たくない、と思ってしまった。

 自然と、令呪のついていない方の手を伸ばして、マシュの指に触れた。

 

「……良いでしょう。協力してあげる。ああ、ライダーのマスター……セシリスフィールのことは気にしなくていいわ。そもそも、二人で一組、みたいなものだし。バーサーカー。もういいわ、下がって頂戴。ごめんなさいね、あまり戦わせてあげられなくて」

「良いわよ、マスター。大体、戦う事なんておぞましくて、醜いものですから……」

 

「ふーん、協力、で良いんだ? 聖杯、本当にくれるかどうかなんてひとっことも言ってないのに?」

「……何が言いたいのかしら?」

「ええっ? あたしなら、なにが起きてるかもわかってるってこと! もちろん、聖杯を手に入れる方法だって!」

 

 少し温度が上がってきた気がするこの小さな隠れ家が──一瞬にして氷点下に叩き落とされる。

 

「今、何と言ったの? そもそも──あなた、本当にアインツベルンの人形!?」

「ライダー」

「あいっす!」

 

 言葉よりも早く、キャスターが私の後ろにいるセシリスフィールに掴みかかった。だが、それすらも予想通り、というようにライダーが軽くいなす。

 

「そうだよ、あたしは──アインツベルンの人形。でも私(・)はどうかしら? ライダー、私、今から良いことをするよ?」

「離れて、オルガマリー! こいつ……!」

 

 突然、キャスターが私を突き飛ばす。それが私を守るためのことだと知っていても、どうしても胸に一抹の悲しさがよぎる。私は、彼女のことを全く知らないのに。

 セシリスフィールの外見は、何も変わっていない。本当になんにも変わっていないのだ。ちょっと癇癪(かんしゃく)持ちなところも、いつもどこか自分が死ぬわけない、と言うような飄々(ひょうひょう)とした態度も。

 

「アレの正体はビースト。じんるいあく? ってやつの前段階。ただ聖杯の形を真似して遊んでるだけのヤツ。っでも、もうたぶん倒せないんじゃないかな?」

 

 でも、そんなことはどうでも良いんだ、と彼女は続ける。

 

「あの名探偵サンが言うことにはね、今のおそとはあったことならなんでも叶うんだって!」

 

 声も、口調も、あの子と変わりはない。それでも──何かが、決定的に違かった。私は、この気配を知っている。セシリスフィールという少女ですらない、彼女を。

 

「見せてもらったんだ、いまのバベルはかみさまの一個手前。気分がいいから、私がなんだったか、本当はこうだったとか。なんでも見せてあげるんだって」

「黙りなさい、あなたアインツベルンでもないでしょう? なんのために今そんなことを言うの」

「黙らないよ! わかる? わからないよねぇマシュ!」

 

 キャスターの操るよくわからない影の前で、怯むことなく彼女は吠え続ける。暗い室内に、ライダーの剣が閃く。ただ、ぞぶり、とカタチの定まらない何かを切り落とす音だけが、彼女の声を彩っていた。

 

「無垢で純粋で、マリスビリー様からしたら最高傑作! いいなぁ、私も、マリスビリー様のお役に立ちたかったのに! でも今はどう? 立派に、アインツベルンの人形、できてたでしょう? オルガちゃんはもういらないこ。マリスビリー様の命令を、ちゃんとこなせないからね!」

 

 にこり、とただ筋肉の下手な運動を彼女は私にまるで笑みだと言わんばかりに見せつける。

 それは、あまりにも醜くて──思わず、目を逸らしてしまった。

 マリスビリー様。ああ、よく考えれば、聖杯戦争の御三家であるはずのアインツベルン家が、アニムスフィアに聖杯を渡すためにホムンクルスを寄越すわけなどなかったのだ。

 なんて、思い違い。やっぱり、お父様は、最初から私のことなんて信じていなかった。

 そして何より、それをセシリスフィールの口から聞くのが、一番辛かったかもしれない。でも、ここで涙を流すのはなんだか負けた気がするから、必死に飲み込む。

 

「そうですね、私は、貴女が味方かどうか、誰だかもしりません」

 きっと、知ることもないでしょう、とマシュは続けながら。争いなんてまるでないかのように慢心しきったセシリスフィールの元へと進んでいく。狭いはずの部屋なのに、私にはいくらまばたきをしても、進んでいないように見えた。

「ですが、今はもう敵です。貴女もまた、アニムスフィアの生んだ、醜いもの。ガワばかりで、中身を与えられなかった。過去の私。さようなら、そして、おやすみなさい」

 

 最初に私の前に現れた時と同じ、切っ先のない剣が、マシュの手の中にある。魔力で出来てているのか、虚空から糸を編むように現れた。

 大きく振りかざし、刺す──その一連の流れは、あまりにも手馴れていて、残酷だった。

 

「うっ!」

 きっと、その瞬間は、あまりにも酷(むご)いから。私は思わず目を閉じてしまった。

 

「え?」

 

 ──その声が、誰のモノか。きっとそこにいた誰もが、覚えていない。




アインツベルンとアニムスフィアって文字数同じなんですよね(はなほじ)
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