Episode57「涙とやさしさ」
朝。
奈央は端末を見つめながら、静かに考えていた。
あの夜から。
ずっと、何かがおかしい。
三上は笑っている。
軽口も叩く。
いつも通りを装っている。
けれど。
目の下のクマは消えない。
子供の擦り傷を見た時、ほんの一瞬だけ震えた手。
夜中、誰にも言わず外へ出ていく姿。
黒瀬もまた、以前より一人で考え込む時間が増えていた。
水瀬は明るく振る舞おうとしている。
けれど会話はどこか続かない。
皆、気づいていた。
気づいていながら、何も言えなかった。
このままでは駄目だと、奈央は思った。
昼過ぎ。
奈央はアデルへ声をかけた。
「……アデルさん」
「はい?」
「三上先輩を、少し外へ連れ出してもらえますか」
アデルが目を瞬かせる。
「何かあったんですか?」
「少しだけ、三上先輩抜きで話したくて」
アデルは奈央の表情を見て、少しだけ考えた。
そして静かに頷く。
「……分かりました」
しばらくして。
アデルがリサと一緒に三上へ声をかける。
「三上君、少し相談したい事があるんですけど」
「俺に?」
「はい。少し村の外まで」
三上は少し首を傾げながら立ち上がった。
「まあいいけど」
三人が外へ出ていく。
扉が閉まった。
部屋には、黒瀬、水瀬、奈央だけが残る。
静かな沈黙。
その後。
奈央が小さく口を開いた。
「……三上先輩の事、皆気づいてますよね」
水瀬が静かに頷く。
「うん……」
「最近、夜中に何回か外出てます」
奈央は淡々と言った。
「多分、眠れてないです」
「子供が怪我した時も……」
水瀬の言葉が途中で止まる。
あの時の、三上の手。
一瞬だけ震えていた。
奈央が続ける。
「笑ってくれてますけど」
「無理してるのは、分かります」
長い沈黙。
やがて。
「……どうしたらいいんですかね」
小さく、水瀬が呟く。
「声をかけても、多分三上先輩は“大丈夫”って言いますし……」
奈央も静かに頷く。
「それは、分かります」
「でも、このままにしておくのも……」
その時だった。
「……やっぱり」
黒瀬がぽつりと言う。
「自分が撃つべきだったんだと思います」
部屋の空気が止まった。
水瀬が黒瀬を見る。
「……黒瀬くん」
静かな声だった。
けれど、その奥に感情が滲んでいた。
「それ、本気で言ってますか?」
「はい」
黒瀬は静かに答える。
「撃てた距離にいました」
「なのに、自分は迷った」
「だから三上さんが……」
黒瀬の言葉が止まる。
拳が小さく震えていた。
水瀬が唇を噛む。
「……本当に?」
黒瀬がゆっくり顔を上げる。
水瀬の目は潤んでいた。
「三上先輩が、なんであの時動いたか」
「分かってますか」
黒瀬は答えられなかった。
水瀬の声が震え始める。
「あの時」
「三上先輩だって、怖かったはずなんです」
「なのに」
「私達にやらせたくなかったから」
「だから、自分でやったんです」
涙が落ちる。
水瀬は拭わなかった。
「私達が止まってたから」
「三上先輩が、一人で背負ったんです」
「なのに……」
声が詰まる。
「黒瀬くんまで自分責めたら」
「三上先輩が背負った意味、無くなっちゃうじゃないですか……」
部屋が静まり返る。
水瀬は涙声のまま続けた。
「私は」
水瀬の声は震えていた。
涙で滲みながらも、その目だけは真っ直ぐだった。
「三上先輩が苦しんでるのも嫌です」
「黒瀬くんが、自分を責めてるのも嫌です」
一度、言葉が詰まる。
それでも水瀬は続けた。
「だから」
「もし三上先輩や黒瀬くんを責める人がいるなら」
「私は絶対に許しません」
涙がまた零れる。
「それは誰であってもです」
「黒瀬くんが、自分で自分を責めても」
「三上先輩が、自分の事を責めてても」
「私は、絶対に許しません……」
最後の方は、ほとんど泣き声だった。
それでも水瀬は、真っ直ぐ黒瀬を見ていた。
黒瀬は何も言えなかった。
奈央も静かに俯いている。
その時だった。
黒瀬のサイドエフェクトが反応する。
……近い。
扉の向こうに、人がいる。
黒瀬がゆっくり振り返った。
扉が、静かに開く。
三上だった。
少し困ったような顔で立っている。
「……悪い」
気まずそうに頭を掻く。
「入るタイミング分かんなかった」
少しだけ沈黙。
「途中から、聞こえてた」
水瀬の目にまた涙が溜まる。
「三上先輩……」
三上は少し視線を逸らした。
「あー……その」
「ありがとな、水瀬」
水瀬が首を横に振る。
「何言ってるんですか……」
声が震えていた。
「あの時、私達の代わりに三上先輩が背負ってくれたのに……」
三上は何も言わなかった。
ただ少しだけ、困ったように笑った。
短い沈黙。
その後。
三上がゆっくり黒瀬を見る。
「……黒瀬」
「はい」
「少し二人で散歩でもしないか?」
黒瀬は少し目を開いた。
それから静かに頷く。
二人が部屋を出ていく。
扉が閉まった。
部屋には水瀬と奈央だけが残る。
水瀬はまだ涙を拭っていた。
奈央が隣へ座る。
少しだけ間を置いて、静かに言う。
「……今は、泣いていいと思う」
水瀬は少しだけ奈央を見る。
それからまた俯いた。
「……奈央ちゃん」
「うん」
「私、ずっと怖かった」
「三上先輩が……壊れちゃうんじゃないかって」
奈央は何も言わなかった。
ただ静かに、水瀬の隣に座り続けていた。