ようこそ軍神至上主義の教室へ   作:あおいなり

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白き影は冬の喧騒に迷う

 

第17話

 

冬休みが始まった。

 

終業式の日に起きた屋上での出来事は、表向きには何もなかったことになっている。

 

誰かが騒ぐこともない。

 

教師が動くこともない。

 

生徒たちはそれぞれの冬休みに入り、校内の空気は少しだけ緩んでいた。

 

だが、何もなかったわけではない。

 

龍園は敗れた。

 

軽井沢は壊れなかった。

 

綾小路は姿を見せた。

 

そして影は、それらすべてを見た。

 

戦のあとには、静けさが残る。

 

だが、今日の静けさは屋上のものとは違っていた。

 

ケヤキモール。

 

冬休みに入ったばかりのそこは、生徒たちで賑わっていた。

 

買い物をする者。

 

フードコートで話す者。

 

ゲームセンターへ向かう者。

 

友人同士で笑い合う者。

 

そこには、勝敗も支配も恐怖もない。

 

少なくとも、表面上は。

 

影は一人、ケヤキモールの中央通路を歩いていた。

 

特に目的はなかった。

 

ただ、人の流れを見ていた。

 

戦場ではない場所で、人がどう動くのか。

 

それが少し気になった。

 

「……お前、冬休みにまで何観察してんだよ」

 

横から声がした。

 

影が振り向くと、時任が呆れた顔で立っていた。

 

「時任さん」

 

「何だよ、その普通に会いましたみたいな反応」

 

「普通にお会いしましたので」

 

「そうだけどよ」

 

時任はため息をついた。

 

「一人か?」

 

「はい」

 

「何してた」

 

「人の流れを見ていました」

 

「怖ぇよ」

 

「そうでしょうか」

 

「そうだろ」

 

時任は周囲を見回す。

 

「冬休みのケヤキモールで、人の流れを見てますって言うやつ、普通いねぇからな」

 

「なるほど」

 

影は少しだけ考える。

 

「では、時任さんは何をしに?」

 

「暇つぶし」

 

「それは、私と同じでは?」

 

「違う。俺は普通に暇つぶし。お前はなんか怖い暇つぶし」

 

「難しいですね」

 

「難しくねぇよ」

 

時任はもう一度ため息をついた。

 

それから、少し気まずそうに目を逸らす。

 

「……暇なら、少し付き合えよ」

 

影は瞬きをした。

 

「それは、いわゆるデートでしょうか?」

 

「違ぇよ!」

 

時任の声が少し大きくなり、近くを通った生徒がちらりとこちらを見る。

 

時任は慌てて声を落とした。

 

「違う。断じて違う。ただの暇つぶしだ」

 

「そうでしたか」

 

「そうだよ」

 

「では、デートではない暇つぶしとしてご一緒します」

 

「その言い方やめろ」

 

影は小さく笑った。

 

時任は顔をしかめる。

 

「ほんと面倒くせぇな、お前」

 

「よく言われます」

 

「だろうな」

 

そう言いながらも、時任は歩き出した。

 

影はその隣を歩く。

 

冬休みのケヤキモール。

 

人の声。

 

店内の音楽。

 

温かい飲み物の匂い。

 

誰かの笑い声。

 

戦ではない時間。

 

影には、それが少し不思議に感じられた。

 

 

最初に向かったのは、カフェだった。

 

時任はホットコーヒーを頼み、影は少し迷った末にホットココアを選んだ。

 

「意外だな」

 

時任が言う。

 

「何がでしょうか」

 

「お前、ココアとか飲むんだな」

 

「甘いものは嫌いではありません」

 

「へぇ」

 

時任は少し面白そうに影を見る。

 

「もっと、何も味しない水とか飲んでそう」

 

「私は修行僧ではありません」

 

「似たようなもんだろ」

 

「心外です」

 

影はココアに口をつける。

 

温かい。

 

甘い。

 

屋上の冷たい空気とは違う。

 

その温度が、少しだけ体の内側に残った。

 

「……温かいですね」

 

「そりゃホットココアだからな」

 

「はい」

 

「何でそんな発見みたいに言うんだよ」

 

「冷たいものを見た後なので」

 

時任の表情が少しだけ変わった。

 

屋上のことを思い出したのだろう。

 

彼はしばらく黙った。

 

それから、小さく言う。

 

「……あの日のことか」

 

「はい」

 

「冬休み初日から思い出す話じゃねぇな」

 

「そうですね」

 

影はカップを両手で持つ。

 

「ですが、思い出さないようにするには、少し濃い出来事でした」

 

時任は何も言わない。

 

時任は屋上にはいなかった。

 

だが、何かがあったことは察しているのだろう。

 

龍園の様子。

 

石崎や伊吹の変化。

 

Cクラスの空気。

 

それだけで十分だった。

 

「龍園はどうなんだ」

 

時任が聞いた。

 

「どう、とは?」

 

「折れてんのかって話」

 

影は少しだけ目を伏せる。

 

倒れていた龍園。

 

終わりだと呟いた龍園。

 

そして、もう一度立った龍園。

 

「折れてはいません」

 

「そうか」

 

時任は少しだけ安心したような、面倒そうな顔をした。

 

「それはそれで厄介だな」

 

「はい」

 

「肯定すんな」

 

影は小さく笑った。

 

時任はコーヒーを飲む。

 

「お前は?」

 

「私ですか?」

 

「ああ。お前も何か変わったんじゃねぇの」

 

影はすぐには答えなかった。

 

変わったのか。

 

自分では分からない。

 

ただ、見たいものは増えた。

 

龍園の敗北。

 

軽井沢の強さ。

 

綾小路の静けさ。

 

そして、今のような戦ではない時間。

 

「まだ、よく分かりません」

 

「出たよ」

 

「何がでしょう」

 

「お前の分かりません」

 

時任は呆れたように言う。

 

「でもまあ、今日は難しい話なしでいいだろ」

 

「はい」

 

「冬休みなんだし」

 

影は少し考えてから頷いた。

 

「では、今日は非戦闘日和ということですね」

 

「その言い方やめろ」

 

 

カフェを出た後、二人は雑貨屋へ入った。

 

店内には、文房具や小物、冬用の手袋やマフラーが並んでいる。

 

時任は特に買うものがあるわけでもなさそうに、適当に棚を見ていた。

 

影は、白い手袋を手に取る。

 

「似合いそうじゃん」

 

時任が何気なく言った。

 

影は手袋を見た後、時任を見る。

 

「時任さんがそう仰るとは意外です」

 

「別に、普通の感想だろ」

 

「褒めていただいたのかと」

 

「……まあ、似合うって言っただけだ」

 

「ありがとうございます」

 

影は丁寧に頭を下げた。

 

時任は少し気まずそうに視線を逸らす。

 

「いちいち丁寧なんだよ」

 

「癖です」

 

「だろうな」

 

しばらく店内を歩く。

 

時任は黒いマフラーを手に取った。

 

影はそれを見る。

 

「時任さんには、それが似合いそうです」

 

「そうか?」

 

「はい。少し不機嫌そうな雰囲気と合っています」

 

「褒めてねぇだろ、それ」

 

「半分は褒めています」

 

「半分って何だよ」

 

影は微笑む。

 

時任は顔をしかめたが、なぜかそのマフラーをしばらく手に持っていた。

 

「買うのですか?」

 

「……買わねぇよ」

 

そう言って戻した。

 

だが、少しだけ名残惜しそうに見えた。

 

影はその様子を見ていた。

 

戦場では、人は強さを見せる。

 

日常では、迷いを見せる。

 

どちらもその人の形なのかもしれない。

 

「何見てんだよ」

 

「いえ」

 

影は首を横に振る。

 

「時任さんは、思ったより普通に迷うのですね」

 

「人を何だと思ってんだ」

 

「興味深い方だと」

 

「全然嬉しくねぇ」

 

 

次に向かったのはゲームセンターだった。

 

明るい音。

 

点滅する光。

 

クレーンゲームの景品。

 

リズムゲームの音。

 

時任は少し顔をしかめる。

 

「うるせぇな」

 

「賑やかですね」

 

「同じ意味だろ」

 

「少し違うと思います」

 

影は周囲を見回す。

 

戦の音とは違う。

 

怒号でも、悲鳴でも、拳が当たる音でもない。

 

人が楽しむための音。

 

それもまた、影には不思議だった。

 

「クレーンゲームでもやるか」

 

時任が言った。

 

「経験はありません」

 

「だろうな」

 

「なぜ分かるのですか?」

 

「何となく」

 

時任は適当な台の前に立つ。

 

中には、白い動物のぬいぐるみが入っていた。

 

「これでいいだろ」

 

「白いですね」

 

「お前っぽいからな」

 

「私は動物ではありません」

 

「分かってるよ」

 

時任はコインを入れて操作する。

 

アームが動き、ぬいぐるみを掴もうとする。

 

だが、少しずれて失敗した。

 

「くそ」

 

「惜しかったですね」

 

「まだ一回目だ」

 

二回目。

 

失敗。

 

三回目。

 

また失敗。

 

時任の表情がだんだん真剣になっていく。

 

「時任さん」

 

「何だよ」

 

「これは、戦ですか?」

 

「違う。ただのクレーンゲームだ」

 

「ですが、目が戦場の方に近いです」

 

「うるせぇ」

 

四回目。

 

アームがぬいぐるみを掴み、少しだけ動かす。

 

だが、落ちない。

 

時任は舌打ちした。

 

「あと少しなんだよ」

 

「応援しましょうか」

 

「いらん」

 

五回目。

 

ぬいぐるみがようやく落ちた。

 

時任は小さく息を吐く。

 

「取れた」

 

「お見事です」

 

影は軽く拍手した。

 

時任は照れくさそうにぬいぐるみを取り出し、影へ差し出した。

 

「ほら」

 

「私に?」

 

「お前っぽいって言っただろ」

 

影は白いぬいぐるみを受け取る。

 

柔らかい。

 

小さい。

 

戦には使えない。

 

けれど、なぜか手放しがたい。

 

「ありがとうございます」

 

影は静かに言った。

 

時任は顔を背ける。

 

「別に。取れただけだ」

 

「大切にします」

 

「重いんだよ」

 

影はぬいぐるみを見つめた。

 

白い動物の丸い目が、こちらを見返している。

 

戦ではない戦利品。

 

それは、少し不思議だった。

 

 

「お、時任じゃん!」

 

明るい声が聞こえた。

 

時任が振り返る。

 

そこにいたのは、Bクラスの柴田だった。

 

その後ろに、一之瀬、神崎、白波、網倉、渡辺がいる。

 

一之瀬が影に気づき、柔らかく笑った。

 

「あれ、上代さん? 時任くんも。二人で遊んでるの?」

 

時任が即答した。

 

「違う」

 

影が頷く。

 

「はい。デートではないそうです」

 

「余計なこと言うな!」

 

柴田が笑う。

 

「何だよ、デートじゃないんだ?」

 

「違うって言ってんだろ」

 

網倉も面白そうに笑った。

 

「時任くん、反応が分かりやすいね」

 

渡辺が横から言う。

 

「否定が早すぎると逆に怪しいぞ」

 

「怪しくねぇよ!」

 

白波は少し戸惑いながらも、楽しそうに笑っている。

 

神崎だけは、少し冷静に影を見ていた。

 

「上代は、Cクラスだったな」

 

「はい」

 

影は軽く頭を下げる。

 

「上代影です」

 

「龍園の近くにいると聞いたことがある」

 

時任が少し顔をしかめる。

 

だが、影は穏やかに頷いた。

 

「近くにいることはあります」

 

「同じ方向を向いているとは限らない、か?」

 

神崎が言う。

 

影は少しだけ目を開いた。

 

「よくお分かりですね」

 

「一之瀬から少し聞いている」

 

一之瀬が慌てて手を振る。

 

「悪い意味じゃないよ? 上代さんって少し不思議だけど、ちゃんと話せる人だなって思って」

 

「ありがとうございます」

 

影は一之瀬を見る。

 

一之瀬帆波。

 

Bクラスの中心にいる少女。

 

龍園とはまるで違う温度で、人を集める人。

 

恐怖ではなく、安心で人を動かす。

 

その力は、戦とは呼びにくい。

 

けれど、確かに人を動かしている。

 

「上代さん、よかったら一緒に回らない?」

 

一之瀬が言った。

 

時任が露骨に驚く。

 

「いや、俺らCクラスだぞ」

 

「冬休みだし、クラス関係なくない?」

 

一之瀬は当然のように言う。

 

その言葉に、影は少しだけ黙った。

 

龍園なら、決して言わない言葉だった。

 

クラスは戦う単位。

 

敵と味方を分ける線。

 

それがこの学校の基本だ。

 

だが、一之瀬はそれを軽く越える。

 

無警戒というわけではない。

 

それでも、相手を最初から敵とは見ない。

 

「よろしいのですか?」

 

影が尋ねる。

 

「もちろん」

 

一之瀬は笑った。

 

「人数多い方が楽しいし」

 

柴田が頷く。

 

「せっかくだし、みんなで何かやろうぜ」

 

渡辺が言う。

 

「時任、ゲーセン得意そうな顔してるし」

 

「どんな顔だよ」

 

網倉が影の持つぬいぐるみに気づく。

 

「あ、それ可愛い。取ったの?」

 

「時任さんが取ってくださいました」

 

「へぇー」

 

網倉がにやりと笑う。

 

時任は顔をしかめた。

 

「何だよ」

 

「別に?」

 

「絶対何か思ってるだろ」

 

白波が小さく笑う。

 

「でも、似合ってますね」

 

「私にですか?」

 

「はい。白くて、少し不思議な感じが」

 

「それは褒め言葉でしょうか」

 

「たぶん……」

 

白波は少し自信なさそうに笑った。

 

影はぬいぐるみを見下ろす。

 

「ありがとうございます」

 

時任が横で呟く。

 

「お前、今日だけで何回変な褒められ方してんだよ」

 

「数えていません」

 

 

その後、影と時任はBクラスの面々としばらく一緒に回ることになった。

 

柴田と渡辺はゲームセンターで対戦ゲームを始め、時任も半ば巻き込まれた。

 

「時任、やろうぜ」

 

「何で俺まで」

 

「ノリだろ」

 

「Bクラスのノリ怖ぇな」

 

「Cクラスより平和だろ」

 

「それはそうかもしれねぇけど」

 

時任は渋々参加した。

 

結果は、柴田が勝った。

 

「よっしゃ!」

 

柴田が笑う。

 

時任は悔しそうに画面を見る。

 

「もう一回」

 

渡辺が笑う。

 

「乗り気じゃん」

 

「今のは操作確認だ」

 

「負けた時の常套句だな」

 

「うるせぇ」

 

影はその様子を見ていた。

 

時任は、普段より表情が柔らかい。

 

龍園への不満を話す時でもなく、Cクラスの空気に身構えている時でもない。

 

ただ、普通の高校生のように悔しがっている。

 

「時任さんは、楽しそうですね」

 

影が言うと、時任は少しだけ動揺した。

 

「別に普通だろ」

 

「はい。普通に楽しそうです」

 

「普通普通言うな」

 

網倉が笑う。

 

「上代さんって、言い方独特だよね」

 

「よく言われます」

 

「本当に言われてそう」

 

「はい」

 

一之瀬はそのやり取りを見て笑っていた。

 

「上代さん、Cクラスではどんな感じなの?」

 

「どんな感じ、とは?」

 

「うーん。みんなと話すのかなって」

 

影は少し考える。

 

「必要があれば話します」

 

「必要がない時は?」

 

「見ています」

 

柴田が対戦しながら言う。

 

「それ、ちょっと怖いな」

 

「よく言われます」

 

渡辺が笑う。

 

「本人が認めるんだ」

 

神崎は少し離れた位置から、影を見ていた。

 

その目は警戒というより、観察に近い。

 

「上代」

 

「はい」

 

「お前は、龍園とは違うな」

 

時任が一瞬だけ神崎を見る。

 

影は穏やかに答える。

 

「そうでしょうか」

 

「少なくとも、龍園のように人を支配するタイプには見えない」

 

「支配は、あまり得意ではありません」

 

「なら何が得意なんだ」

 

影は少しだけ首を傾げた。

 

「見ること、でしょうか」

 

「それは得意というより癖だな」

 

「そうかもしれません」

 

神崎は少しだけ眉を動かした。

 

「だが、見るだけの人間にも見えない」

 

その言葉に、影は少しだけ目を細めた。

 

一之瀬も神崎を見る。

 

「神崎くん?」

 

「いや」

 

神崎は首を振る。

 

「少し気になっただけだ」

 

影は静かに神崎を見た。

 

Bクラスにも、見ている者がいる。

 

一之瀬の明るさの近くで、冷静に周囲を測る者。

 

それもまた、Bクラスの形なのだろう。

 

 

フードコートへ移動すると、さらに冬休みらしい空気が広がっていた。

 

生徒たちが集まり、食べ物を持って席を探している。

 

柴田と渡辺はたこ焼きを買い、網倉と白波は飲み物を選んでいた。

 

一之瀬はみんなの席を確保し、神崎は静かにその横へ座る。

 

時任は少し居心地悪そうにしていた。

 

「完全にBクラスに混ざってるんだが」

 

「はい」

 

「はいじゃねぇよ」

 

「これもまた、冬休みの戦では?」

 

「違ぇよ。ただの昼飯だ」

 

一之瀬が笑う。

 

「時任くん、上代さんと話してるとずっとツッコミ役だね」

 

「勝手にそうなるんだよ」

 

「相性いいのかも」

 

「よくねぇ」

 

影が言う。

 

「悪くはないと思います」

 

「お前まで乗るな」

 

白波が小さく笑う。

 

網倉も楽しそうに言った。

 

「でも、二人とも面白いよ」

 

時任はため息をつく。

 

「俺は普通に過ごしたかっただけなんだけどな」

 

「普通に過ごしていますよ」

 

影が言う。

 

「普通の定義が壊れる」

 

その言葉に、渡辺が吹き出した。

 

食事をしながら、Bクラスの会話は穏やかに続いた。

 

冬休みに何をするか。

 

宿題をいつ終わらせるか。

 

遊びに行く予定はあるか。

 

他愛もない話ばかりだった。

 

けれど、影にはその他愛なさが新鮮だった。

 

誰かを探るための会話ではない。

 

相手の弱みを見つけるための言葉ではない。

 

ただ、その場を温めるための声。

 

一之瀬は、その中心にいた。

 

誰かが話しすぎれば自然に別の人へ振る。

 

白波が話しづらそうにしていれば、さりげなく助ける。

 

柴田と渡辺がふざければ、笑いながら受け止める。

 

神崎が黙っていても、置き去りにしない。

 

それは支配ではない。

 

命令でもない。

 

けれど、確かに人を動かしている。

 

「一之瀬さん」

 

影が声をかけた。

 

「ん?」

 

「あなたは、人を安心させるのがお上手ですね」

 

一之瀬は目を瞬かせる。

 

「え、そうかな?」

 

「はい」

 

影は頷いた。

 

「龍園さんとは、まるで違う形で人を動かす方です」

 

時任が小さく呟く。

 

「また変な言い方してる」

 

一之瀬は少し困ったように笑った。

 

「人を動かすって言われると、ちょっと大げさかも」

 

「そうでしょうか」

 

「私はただ、みんなで楽しくできたらいいなって思ってるだけだよ」

 

その言葉は、嘘ではないように聞こえた。

 

影は一之瀬を見る。

 

龍園は恐怖で人を動かす。

 

一之瀬は安心で人を動かす。

 

綾小路は、音もなく人を動かす。

 

人の動かし方は、ひとつではない。

 

屋上では、それを痛みの中で見た。

 

今日は、それを温かい場所で見ている。

 

「面白いですね」

 

影が呟く。

 

時任がすぐに言う。

 

「何がだよ」

 

「人の集まり方です」

 

「また観察に戻ってるぞ」

 

「癖です」

 

「知ってる」

 

 

食事を終えた後、しばらく店を回り、夕方近くになって解散することになった。

 

一之瀬は手を振る。

 

「今日は楽しかったね」

 

「はい」

 

影は丁寧に頭を下げた。

 

「ありがとうございました」

 

柴田が笑う。

 

「また遊ぼうぜ。時任も」

 

「機会があればな」

 

渡辺が言う。

 

「それ、来ないやつの返事だな」

 

「うるせぇ」

 

網倉は影のぬいぐるみを見て言った。

 

「それ、大事にしなよ」

 

「はい」

 

白波も小さく手を振る。

 

「またね、上代さん」

 

「はい。また」

 

神崎は最後に影を見る。

 

「上代」

 

「はい」

 

「一之瀬に妙なことはするなよ」

 

時任が少し驚いたように神崎を見る。

 

影は穏やかに頷いた。

 

「承知いたしました」

 

「本当に分かっているのか」

 

「はい。少なくとも、今日見た一之瀬さんの空気は、壊すには惜しいと思いました」

 

神崎の目が少し細くなる。

 

「その言い方は不穏だな」

 

「失礼いたしました」

 

一之瀬が苦笑する。

 

「神崎くん、そんなに警戒しなくても大丈夫だよ」

 

「一之瀬は警戒しなさすぎる」

 

「そうかな?」

 

「そうだ」

 

そのやり取りを見て、影は少しだけ笑った。

 

Bクラスの形。

 

それは、思っていたよりも柔らかく、そして強いのかもしれない。

 

 

Bクラスの面々と別れた後、影と時任はケヤキモールの出口へ向かって歩いた。

 

外はもう夕方だった。

 

冬の空は薄く、空気は冷たい。

 

だが、屋上の冷たさとは違う。

 

人の声があり、灯りがあり、隣には時任がいる。

 

時任はポケットに手を入れながら言った。

 

「まあ、悪くはなかったな」

 

「はい」

 

影は頷く。

 

「良い非戦闘日和でした」

 

「だからその言い方やめろ」

 

「では、良い休日でした」

 

「最初からそう言え」

 

影は手元の白いぬいぐるみを見る。

 

時任が取ってくれたもの。

 

ただの遊びの中で得たもの。

 

それは戦利品とは少し違う。

 

けれど、確かに今日という日の証だった。

 

「時任さん」

 

「何だよ」

 

「今日はありがとうございました」

 

時任は少しだけ驚いたように影を見る。

 

「急にまともな礼言うな」

 

「いつもまともです」

 

「そうか?」

 

「はい」

 

時任は少しだけ笑った。

 

本当に少しだけ。

 

だが、影はそれを見逃さなかった。

 

「何見てんだよ」

 

「時任さんは、思ったより普通に笑うのですね」

 

「お前ほんと失礼だな」

 

「褒めています」

 

「絶対半分くらい違うだろ」

 

「半分は」

 

「認めるな」

 

二人は出口を出る。

 

冷たい風が頬に当たる。

 

影は空を見上げた。

 

龍園の熱。

 

綾小路の静けさ。

 

軽井沢の痛み。

 

それらはまだ、影の中に残っている。

 

だが、今日見たものは少し違った。

 

一之瀬の笑顔。

 

時任の呆れた声。

 

Bクラスの穏やかな輪。

 

ゲームセンターの音。

 

温かいココア。

 

白いぬいぐるみ。

 

戦ではない時間。

 

それは退屈だと思っていた。

 

けれど、今日のような一日も悪くない。

 

そう思った自分に、影は少しだけ驚いていた。

 

「どうした?」

 

時任が聞く。

 

影は首を横に振る。

 

「いえ」

 

「また何か変なこと考えてただろ」

 

「少しだけ」

 

「やっぱりな」

 

時任は呆れたように息を吐く。

 

影は小さく笑った。

 

冬の喧騒は、まだ遠くに残っている。

 

戦のない日。

 

勝敗のない時間。

 

それもまた、人を形作るものなのかもしれない。

 

白き影は、そう思いながら、時任と並んで冬の道を歩いた。

 

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▼よう実の世界に転生したオリ主が櫛田の中学に転校する話


総合評価:2349/評価:7.21/連載:14話/更新日時:2026年06月07日(日) 19:47 小説情報


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