第2話
上代影がCクラスへ転校してきた翌日。
その存在は、すでに1年生の間で小さな噂になっていた。
白銀の髪を持つ美少女。
龍園に怯えなかった転校生。
敬語で話すが、どこか普通ではない少女。
噂というものは、真実よりも速く広がる。
特にこの高度育成高等学校では、情報は武器になる。
誰が優秀か。
誰が弱いか。
誰が危険か。
生徒たちは無意識のうちに、他人を評価していた。
そして今、その評価の対象に新しく加わったのが、上代影だった。
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朝のCクラス。
影は自分の席で静かに本を読んでいた。
教室の中はいつも通り騒がしい。
石崎たちは龍園の様子をうかがい、伊吹は誰とも関わらず窓の外を見ている。
龍園は遅れて教室に入ってきた。
「おい、影」
「はい」
影は本を閉じ、顔を上げる。
「昼、ついてこい」
「かしこまりました」
あまりにも自然に返事をしたため、石崎が小さく驚いた顔をする。
龍園の命令に逆らわない。
だが、怯えているわけでもない。
影のその態度は、Cクラスの生徒たちにとって理解しづらかった。
石崎が小声で近づく。
「な、なあ上代」
「はい、石崎さん」
「お前さ……龍園さんのこと怖くねぇの?」
影は少し考えるように首を傾げた。
「怖い、という感情は少し違いますね」
「違う?」
「龍園さんは、強引で、乱暴で、支配的です」
石崎の顔が引きつる。
「お、おい……本人に聞こえたら」
「ですが」
影は微笑んだ。
「とても分かりやすい方です。欲しいものがはっきりしている人間は、見ていて安心します」
「安心……?」
石崎にはまったく意味が分からなかった。
伊吹が横から冷たく言う。
「こいつに普通の会話求めても無駄でしょ」
「ふふ。伊吹さん、おはようございます」
「うるさい」
影は楽しそうに笑った。
Cクラス内で、影はまだ孤立している。
だが、誰も彼女を無視できない。
それが、上代影という少女だった。
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昼休み。
龍園は影を連れて廊下を歩いていた。
石崎、伊吹、数人のCクラス生徒も後ろについている。
「今日は何をなさるのですか?」
影が尋ねる。
龍園は前を向いたまま答えた。
「他のクラスを見る」
「観察、ですね」
「違ぇ。品定めだ」
「ふふ。言い方が違うだけで、似たようなものです」
龍園は鼻で笑った。
「お前は黙って見てろ」
「はい。とても楽しみです」
その言葉に、伊吹は小さくため息をついた。
まず彼らが向かったのは、Bクラスの近くだった。
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Bクラスの前には、柔らかい空気があった。
Cクラスとは違う。
生徒たちの表情は明るく、会話も穏やかで、どこかまとまりがある。
その中心にいるのは、一之瀬帆波だった。
彼女は数人の生徒と話していたが、龍園たちに気づくと自然に視線を向けた。
「龍園くん?」
龍園は軽く手を上げる。
「よう、一之瀬」
「珍しいね。Cクラスの人たちが来るなんて」
一之瀬の視線が、龍園の隣にいる影へ向く。
「その子が噂の転校生?」
影は一歩前に出て、丁寧に頭を下げた。
「はじめまして。上代影と申します」
「私は一之瀬帆波。よろしくね、上代さん」
一之瀬は明るく笑った。
影も笑う。
「はい。よろしくお願いいたします」
一見、穏やかな挨拶だった。
だが、一之瀬はほんの少しだけ違和感を覚えた。
影の笑顔は綺麗だった。
言葉遣いも丁寧で、敵意もない。
けれど、どこか温度が遠い。
人に向けて笑っているのに、人を同じ高さから見ていないような感覚。
一之瀬はそれを言葉にできなかった。
「上代さんは、学校にはもう慣れた?」
「まだ分からないことばかりです。ですが、とても素敵な学校ですね」
「そうかな? 大変なことも多いけど」
「はい。だからこそ素敵です」
影は少しだけ目を細めた。
「人は追い込まれた時ほど、美しく見えますから」
一之瀬の笑顔が、一瞬止まった。
周囲のBクラス生徒も、少しだけ反応する。
龍園は面白そうに口元を歪めた。
一之瀬はすぐに笑顔を戻す。
「上代さんって、少し独特だね」
「よく言われます」
「でも、悪い子ではなさそう」
「ふふ。そう見えるなら嬉しいです」
影は笑った。
一之瀬は思った。
この子は、悪意で動く人間ではないかもしれない。
けれど、善意だけで動く人間でもない。
Bクラスにとって、上代影はまだ判断できない存在だった。
⸻
次に向かったのは、Aクラスの近くだった。
Aクラスの廊下は静かだった。
騒がしさが少ない。
無駄な動きも少ない。
そこには、上位クラスらしい余裕があった。
その中で、坂柳有栖は杖をつきながらゆっくり歩いていた。
彼女は龍園たちに気づくと、薄く微笑む。
「あら。龍園くん。今日は随分と賑やかですね」
「坂柳か」
龍園は不敵に笑う。
「新入りを見せに来てやった」
坂柳の視線が影へ向く。
影もまた、坂柳を見ていた。
しばらく、二人は何も言わなかった。
最初に口を開いたのは坂柳だった。
「あなたが、Cクラスに入った転校生ですね」
「はい。上代影と申します」
影は丁寧に一礼する。
坂柳は楽しそうに目を細めた。
「影さん。素敵なお名前ですね」
「ありがとうございます。私も気に入っております」
「白い見た目なのに、影という名前。少し皮肉が効いています」
「ふふ。光が強いほど、影も濃くなりますので」
坂柳の笑みが深くなった。
「なるほど。あなた、とても面白い方ですね」
「坂柳さんも、とても静かな刃のようです」
周囲の空気がわずかに張り詰めた。
二人の会話は穏やかだった。
声も静かで、表情も柔らかい。
だが、その中身は探り合いだった。
坂柳は影の本質を見ようとしている。
影は坂柳の奥にある強さを測ろうとしている。
龍園は退屈そうに見えて、実際には二人の会話を聞いていた。
坂柳は言う。
「Cクラスはあなたに合っていますか?」
影は少しだけ考えた。
「はい。とても賑やかで、退屈しません」
「龍園くんのそばにいると、特にそうでしょうね」
「ええ。あの方はよく燃えますから」
龍園が眉を上げる。
「おい、誰が燃えるだ」
影は龍園を見て微笑む。
「褒め言葉です」
「褒めてねぇだろ」
坂柳は小さく笑った。
「しばらく、あなたを観察させていただきますね」
「光栄です」
影は穏やかに返す。
「私も、あなたを見るのは楽しそうです」
Aクラスの生徒たちは、そのやり取りを遠巻きに見ていた。
上代影。
彼女は龍園の駒なのか。
それとも、龍園のそばにいる別の何かなのか。
坂柳はまだ結論を出さなかった。
ただ、少なくともこう思った。
この少女は、盤面を乱す。
⸻
最後に、龍園たちはDクラスの近くを通った。
Dクラスの廊下は、他のクラスとは違っていた。
騒がしく、まとまりがない。
須藤の声が遠くまで響き、池と山内がそれに反応して笑っている。
堀北はその輪から少し離れて歩いていた。
櫛田は数人に囲まれながら、柔らかい笑顔を見せている。
影はその様子を黙って見ていた。
「どうだ、Dクラスは」
龍園が聞く。
影は少しだけ首を傾げる。
「不思議ですね」
「何がだ」
「弱そうに見えます。まとまりもなく、感情的で、隙も多い」
影はDクラスの生徒たちを見る。
「ですが、完全に崩れているわけではありません」
「はっ。買いかぶりすぎだ」
龍園は笑う。
「Dクラスは所詮Dクラスだ」
「そうかもしれません」
影は素直に頷いた。
「ですが、欠けているものほど、変化の余地があります」
その時、Dクラスの教室から一人の男子生徒が出てきた。
綾小路清隆。
彼は特に誰とも話さず、静かに廊下を歩いていく。
影は一瞬だけ、その姿を目で追った。
しかし、声はかけない。
近づきもしない。
ただ、見ただけだった。
綾小路も影の視線に気づいたのか、ほんのわずかに目を向けた。
二人の視線が一瞬だけ交わる。
それだけ。
何も起こらない。
綾小路はそのまま歩いていき、影もすぐに視線を外した。
龍園はその様子を見逃さなかった。
「またあいつか」
「どなたのことでしょう?」
影は何事もなかったように答える。
龍園は笑う。
「とぼけんな。昨日も見てただろ」
「そうでしたか?」
「お前が興味を持つってことは、何かあるんだろ」
影は口元に指を当てた。
「まだ、分かりません」
「分からねぇ?」
「はい。ただ……」
影は綾小路が消えた廊下の先を見る。
「何もないように見える場所ほど、深く沈んでいることがあります」
龍園の目が細くなる。
「意味深なことばっか言いやがって」
「申し訳ありません。癖です」
影は明るく笑った。
この時点で、影は綾小路に深く踏み込まなかった。
まだ早い。
彼女はそう判断していた。
戦場では、最初に刃を抜いた者が勝つとは限らない。
見極める時間もまた、戦いの一部だからだ。
⸻
放課後。
Cクラスの教室に戻った影は、自分の席で小さなノートを開いた。
そこには、今日見た各クラスの印象が短く書かれていた。
Bクラス。
一之瀬帆波。
善性が強い。集団の中心。
ただし、優しさが弱点になり得る。
Aクラス。
坂柳有栖。
静かな支配者。観察力が高い。
笑顔の奥に刃。
Dクラス。
不安定。未完成。欠陥多数。
ただし、違和感あり。
影はそこでペンを止めた。
少し考えてから、最後に一行を書き足す。
綾小路清隆。
保留。
書いた文字を見て、影は小さく笑った。
「保留、ですか」
自分で書いた言葉がおかしかったのか、楽しそうに目を細める。
そこへ、伊吹が近づいてきた。
「何書いてんの?」
影はノートを閉じる。
「日記のようなものです」
「嘘でしょ」
「ふふ。伊吹さんは鋭いですね」
「その笑い方、やっぱムカつく」
「申し訳ありません」
影は本当に申し訳なさそうには見えなかった。
伊吹は机に軽く手を置く。
「今日、他のクラス見てどう思った?」
「そうですね」
影は少しだけ考える。
「Bクラスは温かく、Aクラスは冷たく、Dクラスは歪んでいます」
「Cクラスは?」
伊吹が聞いた。
影はにこりと笑う。
「燃えています」
「……意味分かんない」
「でも、嫌いではありません」
影は教室を見渡した。
龍園の支配。
伊吹の反発。
石崎たちの恐怖。
生徒たちの諦めと不満。
そのすべてが混ざり合っている。
Cクラスは綺麗ではない。
正しくもない。
優しくもない。
だが、熱がある。
影にとって、それは退屈しない場所だった。
「このクラスは、とても人間らしいです」
伊吹は少しだけ黙った。
「褒めてるの?」
「はい」
「全然そう聞こえない」
影は笑った。
⸻
その頃、龍園は教室の後方から影を見ていた。
石崎が小声で尋ねる。
「龍園さん、あいつどうするんすか?」
「使う」
龍園は即答した。
「でも、なんか危なくないっすか?」
「危ねぇから使う価値があるんだろ」
龍園は笑う。
「影はただの駒じゃねぇ。勝手に動く駒だ」
「それ、大丈夫なんすか?」
「大丈夫じゃねぇから面白ぇんだよ」
龍園の視線は鋭かった。
上代影は従順ではない。
だが、反抗的でもない。
恐怖で支配するには向いていない。
だが、戦場に放り込めば勝手に何かを見つけてくる。
龍園はそれを理解し始めていた。
「あいつが何を見るか、しばらく泳がせる」
龍園は低く笑う。
「その先に何があるか、見てやるよ」
⸻
その日の夜。
学生寮の自室で、影は窓の外を眺めていた。
校舎の明かりが、夜の中に浮かんでいる。
この学校には、多くの光がある。
優しさという光。
才能という光。
支配という光。
隠された力という光。
そして光がある場所には、必ず影が生まれる。
上代影は静かに目を閉じた。
一之瀬の温かさ。
坂柳の冷たさ。
龍園の熱。
伊吹の怒り。
Dクラスの歪さ。
そして、ほんの一瞬だけ視線が交わった、あの少年。
まだ名前を呼ぶには早い。
まだ近づくには早い。
だから今は、ただ観察する。
「楽しくなりそうですね」
影は小さく笑った。
その笑顔は、祈るように穏やかで。
同時に、戦場を前にした者のように歪んでいた。
白き影は、まだ動き出したばかり。
盤面の上で、彼女がどこへ向かうのか。
それを知る者は、まだ誰もいない。