ようこそ軍神至上主義の教室へ   作:あおいなり

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白き影は棘の行き先を見る

 

第27話

 

混合合宿、二日目の朝。

 

起床の合図が施設内に響いた時、部屋の空気はまだ重かった。

 

冬休み明けの身体には、合宿所の朝は少し早すぎる。

 

布団から起き上がる音。

 

小さなあくび。

 

寝癖を直す手。

 

誰かが洗面用具を探す音。

 

それらが、薄暗い部屋の中で重なっていく。

 

「……眠い」

 

佐藤が布団の上で呟いた。

 

網倉が髪を整えながら笑う。

 

「昨日あれだけ動いたらね」

 

白波はすでに起きて、生活表を確認していた。

 

代表になったせいか、昨日より少しだけ早く動いている。

 

だが、その表情には緊張も残っていた。

 

「朝の点呼、遅れないようにしないと」

 

森が眠そうに頷く。

 

「うん」

 

神室はすでに身支度を終え、壁にもたれていた。

 

「早く終わらせたい」

 

山村は静かに荷物を整えている。

 

藪はまだ少しぼんやりしていたが、真鍋に声をかけられて慌てて動き出した。

 

影は、窓際で外を見ていた。

 

朝の空は白い。

 

冬の冷たさが、窓ガラス越しにも分かる。

 

昨日、一之瀬と話した言葉が、まだ影の中に残っていた。

 

壊す方ではなく、立てる方。

 

その言葉は簡単ではない。

 

誰かが棘を刺す時。

 

誰かがそれに耐える時。

 

影の中には、どうしても見たいという熱が生まれる。

 

どこまで耐えるのか。

 

どこで折れるのか。

 

どこで反撃するのか。

 

その瞬間に、人の形が最もはっきり見える気がする。

 

けれど一之瀬は、立てる方を選べと言った。

 

壊れる瞬間ではなく、立ち直る瞬間を見る。

 

それもまた、人の形なのだろうか。

 

「上代」

 

真鍋の声がした。

 

「はい」

 

「朝からまた何か考えてる顔してる」

 

「そう見えますか」

 

「見える」

 

真鍋は少しだけ目を細める。

 

「昨日の夜から、なんか変」

 

「いつも変では?」

 

「自覚あったんだ」

 

「よく言われますので」

 

真鍋は呆れたように息を吐いた。

 

「今日は、変なことしないでよ」

 

「変なこととは」

 

「柊先輩を変に煽るとか」

 

影は少しだけ沈黙した。

 

「努力します」

 

「それ、信用できないやつ」

 

「申し訳ありません」

 

「謝るのも信用できない」

 

そう言いながらも、真鍋は影の隣に少しだけ立った。

 

外の白い空を見る。

 

「昨日、一之瀬と話してたんでしょ」

 

「見ていたのですか」

 

「たまたま」

 

「はい。少しお話しました」

 

「何話したの」

 

「笑顔の違いについて」

 

「何それ」

 

「一之瀬さんの笑顔は、人を下に置きません」

 

真鍋はしばらく黙った。

 

そして、小さく言う。

 

「……まあ、分かるかも」

 

影は真鍋を見る。

 

「分かりますか」

 

「一之瀬って、そういう感じじゃん。何か、怒りづらいっていうか」

 

「安心する方ですね」

 

「そう、それ」

 

真鍋は少しだけ視線を落とす。

 

「軽井沢も、ああいう人が近くにいたら……いや、何でもない」

 

影はそれ以上聞かなかった。

 

真鍋の言葉は、途中で止まった。

 

だが、その途中にあるものは見えた気がした。

 

後悔。

 

羨望。

 

そして、少しだけ自分への嫌悪。

 

「真鍋さん」

 

「何」

 

「今日は、白波さんを少し見ていてください」

 

「白波?」

 

「はい」

 

「何で」

 

「柊さんの棘が、そちらへ向く気がします」

 

真鍋の表情がわずかに硬くなる。

 

「……分かった」

 

それだけ言って、真鍋は身支度へ戻った。

 

影は再び窓の外を見る。

 

今日、柊の棘はどこへ向くのか。

 

そして自分は、それを見てどう動くのか。

 

その答えは、まだ決まっていなかった。

 

 

朝食後、二日目の活動が始まった。

 

午前の内容は、グループごとの課題活動だった。

 

教師から与えられた課題は、施設内の指定された複数地点を時間内に回り、各地点で与えられる小課題をこなしていくというものだった。

 

ただの移動ではない。

 

各地点で、簡単な知識問題、集団での話し合い、作業、報告が求められる。

 

大グループの連携、時間管理、役割分担、報告能力。

 

それらをまとめて見られる活動だった。

 

「時間内に全ての地点を回る必要がある」

 

教師は説明する。

 

「ただし、速さだけを評価するわけではない。各地点での態度、協力、報告も評価対象となる。大グループ全体で行動することを忘れないように」

 

白波は生活表と地図を見ながら、少し緊張した顔をしている。

 

柊がすぐに声をかけた。

 

「白波さん、昨日よりは慣れてきた?」

 

「はい。少しは……」

 

「うん。じゃあ今日は、もっとしっかり声を出していこうね」

 

柔らかい声。

 

だが、白波の肩は少しだけ上がった。

 

「はい」

 

「Bクラスの子って、こういう時に人をまとめるの得意な印象があるから、期待してるね」

 

その言葉に、白波の表情が一瞬固まった。

 

Bクラス。

 

一之瀬のクラス。

 

人をまとめるのが得意。

 

それは褒め言葉にも聞こえる。

 

だが、白波本人への期待ではなく、一之瀬の影を重ねた言葉にも聞こえた。

 

網倉の眉がわずかに動く。

 

佐藤と森も顔を見合わせる。

 

神室は露骨に嫌そうな顔をした。

 

影は、それを見ていた。

 

やはり、今日は白波へ向いた。

 

柊は昨日、白波が代表として少し形を作り始めたことに気づいている。

 

だからこそ、そこを押す。

 

期待の形をした重りを乗せる。

 

「柊さん」

 

水瀬が静かに言った。

 

「期待するのはいいけど、白波さんは一之瀬さんじゃないよ」

 

柊は笑顔のまま振り返る。

 

「もちろん分かっています。ただ、Bクラスの子なら協調性は高いと思って」

 

「それなら、白波さん自身の動きを見てあげる方がいい」

 

水瀬の声は穏やかだった。

 

「昨日もちゃんと成長していたから」

 

白波は少しだけ顔を上げる。

 

柊は一瞬だけ笑顔を止めた。

 

そしてすぐに頷く。

 

「そうですね。白波さん、ごめんね。プレッシャーに聞こえたかな」

 

「い、いえ……」

 

「無理しなくていいからね」

 

まただ。

 

優しい言葉の中に、細い棘。

 

無理しなくていい。

 

それは助言のようでいて、あなたには荷が重いと言っているようにも聞こえる。

 

影の胸の奥で、わずかに熱が跳ねた。

 

柊は、本当に上手く刺す。

 

刺す相手を選び、刺す深さを調整し、刺した後に薬のような言葉を添える。

 

だから相手は怒りづらい。

 

傷ついた自分が悪いのかもしれないと、思ってしまう。

 

「上代」

 

真鍋が小さく言った。

 

「見てるだけ?」

 

影は白波を見た。

 

白波は唇を結び、資料を握り直している。

 

折れてはいない。

 

けれど、少し縮んだ。

 

「今は、見ます」

 

影は答えた。

 

真鍋の顔が険しくなる。

 

「何で」

 

「柊さんが、どこまで踏み込むかを見ています」

 

「またそれ」

 

「はい」

 

真鍋は低い声で言った。

 

「上代、あんた本当に怖い時ある」

 

影は否定しなかった。

 

「はい」

 

その返答に、真鍋は何も言えなくなった。

 

 

課題活動が始まった。

 

最初の地点は講義室だった。

 

大グループごとに、与えられた資料を読んで簡単な設問に答える。

 

内容自体は難しくない。

 

だが、時間制限がある。

 

誰が読むか。

 

誰が意見をまとめるか。

 

誰が回答を書くか。

 

それを早く決める必要があった。

 

柊はすぐに前へ出る。

 

「じゃあ、読む人とまとめる人を分けよっか。一年生の子たちは、まず資料を配ってくれる?」

 

自然に一年生へ作業が振られる。

 

白波が少し動きかける。

 

だが、網倉が先に言った。

 

「資料配りは私と佐藤さんでやるよ。白波さんは設問の確認して」

 

佐藤もすぐに頷く。

 

「うん、やるやる」

 

白波が少し驚く。

 

「ありがとう」

 

森も小さく手を上げた。

 

「私、回答欄の確認する」

 

真鍋は一瞬迷った後、白波の隣へ立った。

 

「設問、こっちにも見せて」

 

白波が驚いたように真鍋を見る。

 

「うん」

 

影はその様子を見ていた。

 

真鍋が動いた。

 

昨日より少し早く。

 

柊の棘が白波に向く前に、白波の横へ立った。

 

それは大きな行動ではない。

 

しかし、昨日までの真鍋ならしなかったかもしれない。

 

影は小さく目を細める。

 

立たせる方。

 

一之瀬の言葉が、ふと浮かんだ。

 

これがそうなのかもしれない。

 

壊れる瞬間ではなく、誰かが誰かの隣に立つ瞬間。

 

その形も、悪くない。

 

柊は少しだけその動きを見た。

 

だが、すぐに笑顔で言う。

 

「いいね。みんなで協力できてる」

 

褒め言葉。

 

だが、どこか面白くなさそうな響きもある。

 

神室が影の隣に立った。

 

「あんた、何かした?」

 

「何も」

 

「本当に?」

 

「はい。真鍋さんが自分で動きました」

 

神室は真鍋を見る。

 

「へぇ」

 

「良い変化です」

 

「それ、本人に言ったら怒られるよ」

 

「そうでしょうか」

 

「そうでしょ」

 

神室は少しだけ口元を上げた。

 

「でも、柊の顔、ちょっとつまんなそうだった」

 

「はい」

 

「それは少し面白い」

 

「神室さんも悪趣味ですね」

 

「一緒にしないで」

 

影は静かに微笑んだ。

 

 

課題は順調に進んだ。

 

白波は最初こそ緊張していたが、網倉や真鍋の助けもあり、設問を確認しながら意見をまとめていく。

 

山村は小さな声で、資料の中から重要な部分を指摘した。

 

「ここ……たぶん、設問三に関係していると思います」

 

白波がすぐに見る。

 

「あ、本当だ。山村さん、ありがとう」

 

山村は少しだけ顔を赤くする。

 

「いえ……」

 

水瀬はそれを見て、穏やかに頷いた。

 

「いい流れだね。無理に一人でまとめようとしなくていい。気づいた人が声を出せばいい」

 

その言葉に、白波は少し安心したようだった。

 

しかし、柊はすぐに笑顔で付け足す。

 

「そうだね。ただ、代表が迷いすぎると全体も止まるから、白波さんは最後の判断を早くできるようにしようね」

 

白波の手が止まる。

 

また、細い棘。

 

正しい。

 

正しいからこそ、刺さる。

 

真鍋が顔を上げた。

 

「今の判断、そんな遅くなかったと思いますけど」

 

部屋の空気が一瞬止まった。

 

真鍋自身も、自分が言ったことに少し驚いたようだった。

 

柊は笑顔のまま真鍋を見る。

 

「真鍋さんは、そう思ったんだね」

 

「はい」

 

「でも、上級生から見ると、まだ少し迷いが多いかな」

 

「それは、最初だからじゃないですか」

 

真鍋の声には、少し硬さがあった。

 

白波が慌てて言う。

 

「あ、真鍋さん、大丈夫だから」

 

「大丈夫じゃないでしょ」

 

真鍋は小さく言った。

 

「白波、ちゃんとやってるし」

 

白波は言葉を失った。

 

佐藤と森も、少し驚いた顔をしている。

 

藪は不安そうに真鍋を見ていた。

 

影は、真鍋の横顔を見た。

 

昨日まで、自分の罪悪感で佐藤や森と目を合わせづらかった真鍋が、今は白波を庇うように立っている。

 

それは、少し不器用だった。

 

言い方も柔らかくはない。

 

だが、確かに立っていた。

 

影の胸の奥の熱が、少し違う形に変わる。

 

壊れるところではない。

 

立つところ。

 

これも、見ていて悪くない。

 

柊は困ったように笑った。

 

「ごめんね。責めたつもりはなかったんだけど」

 

真鍋が何か言い返そうとする。

 

その前に水瀬が静かに入った。

 

「今の白波さんの判断は、十分時間内だったよ」

 

柊の笑顔が少しだけ止まる。

 

水瀬は続ける。

 

「改善点を言うなら、最後の判断より、最初の役割分担をもう少し早くすることかな。そこは全員で助けられる」

 

「……そうですね」

 

柊は笑顔を戻した。

 

「私も、そういう意味で言ったつもりです」

 

神室が小さく鼻で笑う。

 

聞こえたかどうかは分からない。

 

だが、柊の目が一瞬だけ神室へ向いた。

 

影はその視線を見た。

 

柊の棘が、少し揺れた。

 

真鍋が反発し、水瀬が支え、神室が笑う。

 

柊はまだ笑っている。

 

だが、その笑顔の内側に、ほんのわずかな苛立ちが生まれた。

 

「上代」

 

真鍋が小声で言った。

 

「今、私……言いすぎた?」

 

影は静かに首を横に振る。

 

「いいえ」

 

「本当に?」

 

「はい。白波さんは、少し立ち直りました」

 

真鍋は白波を見る。

 

白波は真鍋へ、小さく頭を下げた。

 

「ありがとう、真鍋さん」

 

真鍋はすぐに顔を逸らす。

 

「別に」

 

その耳が少し赤いように見えた。

 

影は穏やかに言う。

 

「良い立ち方でした」

 

「やめて。変な褒め方しないで」

 

「申し訳ありません」

 

「でも」

 

真鍋は小さく言った。

 

「悪くはなかったなら、よかった」

 

影は微笑んだ。

 

「はい。悪くありませんでした」

 

 

二つ目の地点へ移動する途中、別の大グループとすれ違った。

 

その中に、堀北鈴音の姿があった。

 

堀北は資料を片手に、周囲を冷静に見ている。

 

彼女の周りには、軽い緊張感があった。

 

一之瀬のような柔らかさではない。

 

白波のような不安でもない。

 

人を集めるというより、乱れを切り分ける目。

 

影が視線を向けると、堀北もこちらに気づいた。

 

一瞬、目が合う。

 

堀北は少しだけ眉を動かし、歩みを止めた。

 

「あなた、龍園くんのクラスの……上代さんだったかしら」

 

影は軽く頭を下げる。

 

「はい。上代影です。現在はDクラスです」

 

「そう」

 

堀北は短く返す。

 

「この合宿では、余計な揉め事を起こさない方がいいわよ」

 

真鍋が少しだけ影を見る。

 

神室も聞き耳を立てている。

 

影は穏やかに答えた。

 

「棘が多い場所ですので、気をつけます」

 

堀北は眉をひそめた。

 

「その言い方は、よく分からないわね」

 

「よく言われます」

 

「でしょうね」

 

堀北は資料を閉じる。

 

「問題があるなら、感情的に動くより、原因を整理するべきよ。誰が、何を、どの目的で行っているのか。それを曖昧にしたまま動くと、余計にこじれる」

 

影は少しだけ目を細めた。

 

「堀北さんは、棘を抜くより切り分ける方なのですね」

 

「また分からない言い方をするのね」

 

「申し訳ありません」

 

「別に謝らなくていいわ」

 

堀北は少しだけ周囲を見た。

 

白波、真鍋、神室、柊、水瀬。

 

それぞれの空気を短く確認する。

 

「あなたのグループ、少し面倒そうね」

 

神室が小さく笑う。

 

「よく分かってるじゃん」

 

堀北は神室へ視線を向ける。

 

「見れば分かるわ」

 

神室は肩をすくめた。

 

影は堀北を見た。

 

堀北は、感情を慰める人ではない。

 

一之瀬のように包むこともしない。

 

水瀬のように静かに場を整えるとも少し違う。

 

問題を分ける。

 

構造を見る。

 

不要な感情を切り落とし、原因を探す。

 

それが堀北鈴音の立ち方なのだろう。

 

「勉強になります」

 

影が言うと、堀北は少しだけ不審そうに目を細めた。

 

「あなた、本当に変わっているわね」

 

「よく言われます」

 

「でしょうね」

 

それだけ言うと、堀北は自分のグループへ戻っていった。

 

真鍋が小さく息を吐く。

 

「今のが堀北?」

 

「はい」

 

「なんか、怖いっていうか、固い人だね」

 

「切れ味のある方でした」

 

「だから言い方」

 

神室が横から言う。

 

「堀北は面倒だけど、柊よりは分かりやすい」

 

影は頷いた。

 

「はい。棘を隠す方ではありませんでした」

 

「それはそう」

 

白波が少しだけ不安そうに言う。

 

「でも、原因を整理するっていうのは……大事かも」

 

水瀬が微笑む。

 

「そうだね。堀北さんの言うことは正しいと思う」

 

柊は笑顔で聞いていた。

 

だが、堀北の言葉が少しだけこのグループに残ったことを、快く思っているようには見えなかった。

 

影はその反応も見ていた。

 

柊は、自分以外の言葉が一年生に影響を与えることを嫌う。

 

水瀬。

 

堀北。

 

一之瀬。

 

誰かが別の形で人を立たせるたびに、柊の棘は少しずつ見えやすくなる。

 

 

午前の課題活動は、何とか時間内に終わった。

 

結果は悪くない。

 

むしろ、最初のぎこちなさを考えれば十分だった。

 

教師からも大きな注意は受けなかった。

 

白波はほっとしたように息を吐く。

 

「よかった……」

 

網倉が笑う。

 

「代表、お疲れ」

 

「まだ午前だけだよ」

 

「午前だけでもお疲れ」

 

佐藤も頷く。

 

「白波さん、頑張ってたよ」

 

森も小さく笑う。

 

「うん」

 

白波は少し照れたように笑った。

 

真鍋はそれを見て、少し迷った後に言った。

 

「……さっきは、ちゃんとできてたと思う」

 

白波が驚く。

 

「え?」

 

「だから、代表」

 

真鍋は視線を逸らす。

 

「そんなに悪くなかった」

 

白波は少しだけ目を丸くした後、嬉しそうに笑った。

 

「ありがとう、真鍋さん」

 

「別に」

 

真鍋はそれだけ言って、影の方へ逃げるように歩いてきた。

 

「言った」

 

「はい」

 

影は頷く。

 

「良い言葉でした」

 

「変な感想いらない」

 

「では、普通に」

 

「普通に?」

 

「真鍋さんは、よく頑張りました」

 

「それも嫌」

 

影は少しだけ困ったように首を傾げる。

 

「難しいですね」

 

「褒め方が下手すぎる」

 

真鍋はそう言いながらも、少しだけ笑っていた。

 

その笑顔は、軽かった。

 

昨日よりも少し。

 

白波の方では、網倉と佐藤が白波を励ましている。

 

森も静かに頷いている。

 

山村はその様子を見て、小さく安心したように微笑んでいた。

 

神室は退屈そうにしながらも、完全に離れようとはしない。

 

水瀬はその全体を見て、穏やかに頷く。

 

柊は、少し離れた場所で笑っていた。

 

だが、その笑顔は昨日よりもわずかに硬い。

 

彼女の棘は、まだ折れていない。

 

だが、行き先は少しずつ見えてきた。

 

影は柊を見た。

 

柊もまた、影を見た。

 

一瞬だけ、目が合う。

 

柊は笑った。

 

「上代さん、今日は大人しかったね」

 

柔らかい声。

 

影は静かに微笑む。

 

「はい。今日は、見ていました」

 

「いつも見てるんじゃない?」

 

「はい」

 

「ふふ。変わった子」

 

「よく言われます」

 

柊の笑顔は崩れない。

 

けれど、影には分かる。

 

柊もまた、影を意識し始めている。

 

それでいい。

 

まだ刺し返す必要はない。

 

まだ、棘の行き先を見る。

 

ただし。

 

影は一之瀬の言葉を思い出す。

 

壊す方ではなく、立てる方。

 

今日、真鍋は白波の隣に立った。

 

白波は少し声を取り戻した。

 

山村は小さな言葉を出した。

 

それを見るのも、悪くなかった。

 

影は静かに思う。

 

柊を折ることだけが、戦ではない。

 

誰かが立つ場所を作ることもまた、戦なのかもしれない。

 

だが、それでも。

 

柊の笑顔が完全に崩れる瞬間を見たいという熱は、まだ消えていなかった。

 

白き影は、その二つの感情を抱えたまま、午後の活動へ向かった。

 

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