ようこそ軍神至上主義の教室へ   作:あおいなり

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白き影は組み合わせの温度を見る

 

第9話

 

 

ペーパーシャッフルの試験日が近づくにつれ、Cクラスの空気は少しずつ変わっていった。

 

体育祭前のような熱はない。

 

だが、教室の中には別の緊張感があった。

 

机に向かう者。

プリントを睨む者。

分からない問題を前に固まる者。

分かったふりをして、視線だけ泳がせる者。

 

龍園の命令で始まった勉強会は、数日続いていた。

 

金田は黒板の前で基礎問題を整理し、椎名は国語や暗記分野を静かに補助する。

影は英語や、理解が止まっている生徒の穴埋めに回っていた。

 

「おい金田、これ本当に基礎か?」

 

石崎はプリントを睨みながら、心底嫌そうな顔をしていた。

 

「基礎です」

 

「基礎ってもっと優しいもんじゃねぇのかよ」

 

「優しさと基礎は別です」

 

「冷てぇな……」

 

石崎が机に突っ伏す。

 

小宮が横から苦笑した。

 

「でも前よりは解けてるんじゃないか?」

 

「そうか?」

 

「少なくとも、最初は問題文を読んだ時点で諦めてた」

 

「成長の基準が低すぎるだろ」

 

そう言いながらも、石崎は再び鉛筆を握った。

 

龍園の命令で始まった勉強会。

 

そこにあるのは、Bクラスのような助け合いではない。

 

勝つために必要な穴を塞ぐ。

 

ただ、それだけ。

 

だが、机に向かう時間が増えれば、生徒同士の距離も少しずつ変わる。

 

石崎が金田に質問し、小宮が横から茶々を入れる。

椎名が静かに説明し、西野が呆れながらもプリントを渡す。

アルベルトは黙って問題と向き合い、時折、影の短い英語説明に頷く。

 

歪ではある。

 

けれど、確かにクラスは動いていた。

 

影はその様子を見ながら、小さく思う。

 

龍園は、恐怖で人を動かす。

一之瀬は、信頼で人を動かす。

椎名は、静けさで人の警戒を解く。

 

そしてXは、影から糸を引く。

 

人の動かし方は、ひとつではない。

 

それが、面白かった。

 

 

ペアが決まる日。

 

Cクラスの教室は、朝から落ち着かなかった。

 

ペーパーシャッフルでは、ペアの合計点が基準になる。

 

誰と組むか。

 

それだけで、生徒たちの安心も不安も大きく変わる。

 

「俺、誰と組まされるんだろうな……」

 

石崎は朝からそわそわしていた。

 

小宮が言う。

 

「龍園さんが決めたなら、成績は考えてるだろ」

 

「そこは信用してるけどよ」

 

石崎はちらりと龍園を見る。

 

龍園はいつものように退屈そうに座っていた。

 

だが、その態度は、これから発表される内容を知らない者のものではなかった。

 

やがて、坂上が教室へ入ってきた。

 

「これより、ペーパーシャッフルのペアを発表する」

 

その一言で、教室の空気が張り詰める。

 

石崎は小さく息を呑んだ。

小宮も黙って前を見る。

金田は落ち着いた様子で眼鏡を直していた。

 

龍園は退屈そうに頬杖をついている。

 

まるで、これから読み上げられる内容をすでに知っているかのように。

 

坂上は淡々と名前を読み上げていく。

 

「石崎、金田」

 

石崎が少しだけ顔を上げた。

 

「金田とか……ありがたいっすけど、俺が足引っ張りません?」

 

金田は眼鏡を押し上げる。

 

「その可能性はあります」

 

「そこは否定してくれよ」

 

「ですが、最低限の点を拾えるようにすれば問題ありません」

 

「……頼むわ、金田」

 

「努力してください」

 

「します。マジでします」

 

小さな笑いが教室に起きる。

 

坂上の声は続いた。

 

「小宮、椎名」

 

小宮が安堵したように息を吐いた。

 

「椎名か。頼むわ」

 

椎名は静かに微笑む。

 

「はい。一緒に頑張りましょう」

 

「その言い方、安心するな」

 

石崎が羨ましそうに言う。

 

「俺も椎名がよかった」

 

金田が石崎を見る。

 

「石崎氏」

 

「いや、金田も助かる。ほんとに助かる」

 

石崎は慌てて手を振った。

 

坂上はさらに淡々と読み上げていく。

 

真鍋。

藪。

山下。

 

その名前も、他の生徒と同じように発表されていった。

 

影は一瞬だけ視線を向けたが、すぐに外した。

 

今は、触れる段階ではない。

 

坂上の声が続いた。

 

「時任、上代」

 

教室の視線が、影と時任へ向いた。

 

時任は露骨に面倒そうな顔をした。

 

「……俺かよ」

 

影は静かに瞬きをする。

 

「よろしくお願いいたします、時任さん」

 

「その丁寧さ、逆にやりづれぇな」

 

龍園が口元を歪める。

 

「悪くねぇ組み合わせだろ」

 

時任は龍園を見る。

 

「監視役でもつけたつもりか?」

 

「そう思うなら、好きに思っとけ」

 

龍園は低く笑った。

 

影は二人のやり取りを聞きながら、軽く首を傾げた。

 

「私は監視役なのでしょうか?」

 

「知らねぇよ」

 

時任は不機嫌そうに言った。

 

「ただ、お前が龍園に近いのは事実だろ」

 

「近い、ですか」

 

影は少しだけ考える。

 

「距離は近いかもしれません。ですが、向いている方向まで同じとは限りません」

 

時任は一瞬、影を見る。

 

「……余計に分かりづれぇな、お前」

 

「よく言われます」

 

坂上が咳払いをした。

 

「私語は慎め」

 

時任は軽く舌打ちし、影は静かに頭を下げた。

 

ペアは決まった。

 

表向きは、学力のバランスを考えた組み合わせ。

 

だが、その裏には龍園の意図がある。

 

誰を支えるか。

誰を監視するか。

誰を孤立させるか。

 

ペアとは、助け合いの形であると同時に、縛りの形でもある。

 

影は時任の横顔を見ながら、静かにそう思った。

 

 

昼休み。

 

教室の一角で、影と時任は同じプリントを見ていた。

 

ペアが決まった以上、お互いの弱点を多少は把握しておく必要がある。

 

時任は問題を解きながら、ふと口を開いた。

 

「足を引っ張るつもりはねぇよ」

 

「その点は心配しておりません」

 

影は穏やかに答えた。

 

時任は顔をしかめる。

 

「なら何を心配してる」

 

「時任さんが、試験よりも龍園さんへの不満に気を取られることです」

 

時任の鉛筆が止まった。

 

「お前、嫌なとこ突くな」

 

「よく言われます」

 

「だろうな」

 

時任はため息をつき、プリントに視線を戻した。

 

「別に、龍園の邪魔をするつもりはねぇよ。そんなことしても面倒が増えるだけだ」

 

「では、不満はあるけれど従う、ということですか」

 

「簡単に言うな」

 

「違いましたか?」

 

「……間違ってはいねぇけどよ」

 

時任は小さく舌打ちした。

 

「気に入らねぇんだよ。全部、あいつの手の上みたいなのが」

 

影はしばらく黙っていた。

 

それから静かに言う。

 

「手の上にいると気づけるだけ、まだ良いのではないでしょうか」

 

「何?」

 

「気づかないまま踊らされる方が、ずっと危ういと思います」

 

時任は影を見た。

 

「それ、自分にも言ってるのか?」

 

影は少しだけ微笑む。

 

「どうでしょう」

 

「やっぱり分かりづれぇな」

 

「よく言われます」

 

同じ返しに、時任は呆れたように息を吐いた。

 

だが、さっきよりも少しだけ空気は柔らかくなっていた。

 

 

その近くでは、石崎が金田に詰め込まれていた。

 

「石崎氏、ここは昨日も説明しました」

 

「昨日の俺と今日の俺は別人なんだよ」

 

「記憶を引き継いでください」

 

「金田、お前たまにきついよな」

 

金田は眼鏡を押し上げる。

 

「事実を言っているだけです」

 

「それがきついんだよ」

 

小宮が笑いをこらえ、椎名が穏やかに補助する。

 

「石崎くん、一度深呼吸しましょう」

 

「椎名が言うと落ち着くな……」

 

「椎名氏の言葉では落ち着けるのですね」

 

金田が言うと、石崎は真顔で頷いた。

 

「落ち着ける」

 

「そこは否定してください」

 

教室に小さな笑いが広がる。

 

アルベルトは少し離れた席で英語のプリントを見ていた。

 

影は時任との問題を一段落させると、アルベルトの手元を確認しに行った。

 

「May I check?」

 

アルベルトは短く頷く。

 

「Yes」

 

影はプリントを見て、ゆっくりと英語で説明した。

 

「This part is about tense. Past, present, future. You need to check the verb form.」

 

アルベルトは黙って聞いてから、短く答えた。

 

「I see.」

 

石崎が横から顔を上げる。

 

「また英語か」

 

影は日本語に戻す。

 

「時制を確認してください、と話していました」

 

「時制ってなんだっけ」

 

金田が横から言う。

 

「そこは今日の範囲です」

 

「終わった……」

 

「終わらないために今やっているんです」

 

金田の冷静な一言に、石崎は黙ってプリントへ戻った。

 

アルベルトはその様子を見て、わずかに口元を動かした。

 

影はそれを見る。

 

「石崎さんのこと、面白いと思っていらっしゃいますか?」

 

アルベルトは少しだけ考え、短く答える。

 

「Sometimes.」

 

石崎が顔を上げる。

 

「今なんて?」

 

「時々、と」

 

影が訳す。

 

「時々って何だよ。いつもじゃねぇのかよ」

 

「そこに不満があるのですか?」

 

「いや、なんかあるだろ」

 

アルベルトは答えない。

 

ただ、プリントに視線を戻した。

 

石崎は不満そうにしながらも、どこか楽しげだった。

 

影はその様子を見る。

 

石崎とアルベルト。

 

言葉が多い者と、少ない者。

 

それでも、この二人の間には不思議な繋がりがある。

 

会話の量ではなく、時間の積み重ねでできた距離。

 

それは、影にとって少し興味深かった。

 

 

放課後。

 

龍園は教室の後方で、ペア表とは別の紙を眺めていた。

 

影が近づくと、龍園は視線だけを動かした。

 

「Dクラスのペアもだいたい固まった」

 

「早いですね」

 

「向こうに穴があるからな」

 

龍園は笑う。

 

「情報が勝手に流れてくる」

 

影は何も言わなかった。

 

櫛田。

 

その名前は出さない。

 

龍園も、今は口にしない。

 

だが、Dクラスの内側に穴があることは、もう前提になっている。

 

「堀北は案の定、下位を上位で支える形にしてきた」

 

龍園は紙を指で叩く。

 

「悪くねぇ。むしろ普通に考えりゃ正解だ」

 

「ですが、分かっていれば狙える」

 

「ああ」

 

龍園は楽しそうに笑った。

 

「支える側を削れば、支えられる側ごと落ちる」

 

影はDクラスのペア情報を見る。

 

細かい名前までは追わない。

 

重要なのは、形だ。

 

堀北が作った安全策。

 

龍園は、その安全策の継ぎ目を見ている。

 

「問題作成は金田にやらせる。だが、最後の調整は俺が見る」

 

「Dクラス用に、ですか」

 

「当然だろ」

 

龍園は低く言う。

 

「ペーパーシャッフルは、ただ点を取る試験じゃねぇ。相手に点を取らせない試験だ」

 

影は頷く。

 

「紙の上の狩りですね」

 

「気に入ったのか、その言い方」

 

「はい」

 

影は微笑む。

 

「体育祭より静かで、見えにくい分、面白いです」

 

「ククッ。お前も大概だな」

 

龍園は笑った。

 

少し離れた場所で、時任がその会話を聞いていた。

 

「お前、本当にどっち側なんだろうな」

 

影が振り返る。

 

「どちら側、とは?」

 

「龍園側なのか、それとも違うのかって話だ」

 

龍園は面白そうに黙っている。

 

影は少しだけ考えた。

 

「少なくとも、私はCクラスの生徒です」

 

「答えになってねぇ」

 

「そうでしょうか」

 

「そうだろ」

 

時任は呆れたように言う。

 

影は静かに微笑んだ。

 

「では、まだ決めていない、ということで」

 

時任は眉をひそめる。

 

「それ、余計に信用できねぇな」

 

「正直に申し上げたつもりですが」

 

「正直ならいいってもんじゃねぇ」

 

龍園が喉の奥で笑った。

 

「いいじゃねぇか。影は影で使える」

 

「私は道具ですか?」

 

影が尋ねる。

 

龍園は迷わず答えた。

 

「使えるならな」

 

「なるほど」

 

影は微笑む。

 

「では、使われ方には気をつけなければなりませんね」

 

時任は小さく呟いた。

 

「ほんと、分かりづれぇ」

 

 

数日が過ぎた。

 

試験前日。

 

Cクラスの教室は、いつもより静かだった。

 

龍園は全員を見渡す。

 

「明日が本番だ」

 

誰も茶化さなかった。

 

石崎でさえ、真剣な顔をしている。

 

「余計なことは考えるな。取れる点を取れ。落とすな。俺の邪魔をするな」

 

ひどく龍園らしい激励だった。

 

それでも、Cクラスの生徒たちは頷いた。

 

恐怖でも、利害でも、諦めでも。

 

このクラスは、龍園の下で動いている。

 

龍園は続ける。

 

「こっちはこっちで点を取る。向こうには点を取らせねぇ」

 

彼の口元が歪む。

 

「DクラスのXが本物なら、ここで何かしてくる」

 

教室の空気が少し変わる。

 

X。

 

その名前は、すでにCクラス内で不気味な響きを持ち始めていた。

 

誰も顔を知らない。

 

だが、龍園が存在を疑っている。

 

それだけで、十分だった。

 

影は静かにその言葉を聞いていた。

 

Xが動くのか。

 

それとも動かないのか。

 

そもそも、動いたことすら見せないのか。

 

それはまだ分からない。

 

その時、龍園の端末が小さく震えた。

 

龍園は画面を見た。

 

一瞬だけ。

 

本当に一瞬だけ、彼の笑みが変わった。

 

勝利を確信した笑みではない。

 

獲物の気配を嗅ぎつけた者の笑み。

 

「龍園さん?」

 

石崎が声をかける。

 

龍園は端末を閉じ、立ち上がった。

 

「少し外す」

 

「明日試験っすよ?」

 

「だからだ」

 

龍園はそれだけ言うと、教室を出ていった。

 

影はその背中を見送る。

 

追わない。

 

追えば、見えるものもある。

 

だが、追わないからこそ見えるものもある。

 

龍園は、誰かに会いに行った。

 

あるいは、誰かから届いた糸を辿りに行った。

 

それが誰なのか、影にはまだ分からない。

 

だが、一つだけ分かる。

 

紙の上の試験は、まだ始まっていない。

 

けれど、盤面の外では、すでに駒が動いている。

 

白き影は、静かに目を細めた。

 

明日、試験が始まる。

 

そしてその前に、もう一つの戦いが始まっていた。

 

 

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