ここだけピナに憑依転生したのがリィナじゃなくて 作:淵深 真夜
早く良くなりたいな……。良くなって、学校に行って色々な事をたくさん勉強したい……。
わたしはある夜、そう思いながら眠りについて……、目が覚めると自分で体を動かせなくなっていた。目で見るのは変わらずできるし、耳も聞こえる。でも体は動かせないし、自分の言葉で喋ることも出来ない。
わたしが驚いて混乱していると、わたしの体が勝手に動いて喋り出した。部屋の中にあった大きな鏡の前に、熱でフラフラしたまま歩いて行って、そこで自分の姿としばらく見つめたあと部屋を見回して……
「ここはどこ私は誰って誰じゃねーよ私は……マジで誰だこの美少女!?
待って待ってマジで待ってダメでしょ私みたいな残念この上ない女がこんな王道美少女になっちゃ! 正統派清純派ヒロインが一気に黙ってれば美少女の色物枠になっちゃってるじゃん!!」
わたし以上にびっくりして大騒ぎしている人がわたしの体を使っていて、思わずわたしの心はスンっと落ち着いてしまった。
えっと……とりあえず、あなたも落ち着いて欲しいな。
* * *
「……メイドさん、訳わからないこと喋り倒してごめんなさい。そしてピナちゃん、こんなに可愛いのに色物枠にしちゃった挙句、自分のことをちゃん付けで呼ぶ痛い子みたいにしちゃってホントごめん」
結局その人が落ち着いたのは、だいぶ経ってから。
騒いでいるわたしに気付いてメイドさんが「どうかしました?」と心配してくれて、でも「メイドさんだ! メイド服クラシカルで素敵!! でも余計にここはどこでこの子何者!?」と更に混乱しちゃって、色々メイドさんに訊いたり答えてもらってようやく、「ご……ごめんなさい……せ、盛大に寝ぼけていたみたい……」とかなり無理がある言い訳をしながら、とりあえず一人になって、その人はメイドさんとわたしに謝ってくれた。
わたしは相変わらず、わたしの体を動かすことができないまま、わたしの中でわたしの体を使うその人を眺めることしかできなかった。
わたしはわたしの中で「あなたは誰?」と話しかけてみるけど、その人にわたしの声は聞こえてないようで、鏡を見ながらペタペタとわたしの顔を触って言う。
「……にしても、星の乙女って肩書きにこの美少女フェイス。間違いなくピナちゃんだよね?
ピナちゃんに異世界転生ってマジか……。ゲームでは大変楽しませてもらったけど、実際には転生したくないハードモードな世界観かつキャラクターやぞ……」
何故かその人はわたしのことを知っていて、そのことを不思議に思って首を傾げていると、ブワッとわたしの中にわたしじゃない誰かの記憶と感情が流れ込んできた。
優しくていっぱい抱きしめてくれたり、「可愛い」って言ってくれるお父さん。
怒ると怖いけど、機嫌が悪いからとかじゃなくて、心配してるから怒ってくれるお母さん。
意地悪なことばっかり言うけど、本当に辛い時は絶対に助けてくれるお兄ちゃん。
同じ趣味で盛り上がって時々ケンカして、でも最後には仲直りして笑い合う友達。
そんな人達に囲まれて、育てられて、育った記憶。
この人の思い出が、わたしの中に流れ込んでくる。
その思い出の中に、「わたし」もいた。
そしゃげ? っていうよくわからないけど、お母さんが話してくれたお話とか、そういうものと多分同じもの。
そんなお話の中の主人公が「わたし」で、この人は凄くそのお話が……わたしのことが大好きだった。
大好きで、いべんと? とかに参加したり、ふぁんぐっず? ってものを欲しがったけど、まだ子供でお金があんまりなくて、この人の世界は子供は働いたらダメだったから、お金を稼ぐことも出来なくて、たくさん諦めてた。
けど、高校って学校に通うようになったら少しだけ働いても良いみたいで、この人は勉強しながら働いて、友達とも遊んで、それで、それで、高校生になって初めてのおおがたれんきゅう? ってもので、友達と一緒にわたしが主人公のお話のこらぼかふぇ? って所に行く途中で、車っていうその世界の乗り物が凄いスピードで突っ込んできて……。
そこでこの人の記憶は途切れて、気づいたら「わたし」になっていたということがわかった。
全然知らない世界の記憶で、わからない事ばかりだけど、この人はわざとわたしの体を勝手に使ってるんじゃない事だけはよくわかった。
「っていうか、これは異世界転生か? 転生にしてはピナちゃんの記憶全然引き継げてないぞ? 純度100%の残念な私じゃねぇか。
という事は……まさかの憑依? だとしたらピナちゃんどこ!? え? えっ!? せ、せめてこの体の中に残ってて! 1億歩譲っても転生で!! 私が憑依したことで魂消滅だけはしてないでお願い神様!!」
わたしの体でまた一人で大騒ぎしだしたこの人を、わたしは自分の体の中で眺めながら思う。
わからない事ばかりだけど、少しだけわかったことを考える。
わたしの体を使うこの人は、思ったことがそのまんますぐに口に出る人で、違う世界、この人の世界でも変な子って思われていたけど……でも、凄く良い人だってことはわかる。
わたしの中に流れ込むこの人の嘘が一つもない感情は、この人が口に出してた通りだから。
わたしの体を使っていることを本当に悪く思ってて、わたしが今、どうしているかを心から心配してくれているのが伝わるから。
……はやく熱が下がって、元気になって、学校に行けるようになりたかった。
学校に行って、勉強して、友達をいっぱい作って、そして将来はお花屋さんになりたかった。
そんなしたかったことが、もしかしたら全部できなくなって、わたしは一生このままかもしれない。
それは嫌だった。わたしの体を返して欲しいって気持ちはある。
でも…………
「ごめんね、ごめんねピナちゃん……」
鏡に映るわたし……今にも泣きそうな顔で、申し訳なさでいっぱいのその顔に、この人は手を伸ばして慰めるように頭を撫でて謝った。
(……いいよ)
体を返して欲しいのは本当。
でもわたしは、あっさりとこの人を許した。
彼女が悪い訳じゃないことがわかったからというのもあるけど、でもわたしは嫌だと思ったから許して、今の状態でもいいやと思った。
この人が神様に祈るくらい「それだけは嫌だ」と思ったように、わたしも嫌だったから。
わたしの体から追い出されたこの人の魂が、消えてなくなるのが嫌だった。
それぐらいにもう、わたしは彼女の事を好きになってた。
* * *
それから、彼女はわたしの体を使って、わたしはわたしの中で日々を過ごした。
わたしは何も出来ないけれど、彼女が食べたものや勉強したことは全部伝わってきたし、わたしの中にはその人の記憶や知識が図書館の本みたいに沢山あって、わたしは自由にそれを見ることが出来た。
人の秘密を覗き見るみたいで申し訳なかったけど、全然別の世界のことが凄く気になったし、学校の記憶はわたしも一緒に勉強しているみたいで楽しくて、ついつい見てしまう。
それにこの人の家族や友達は、わたしが欲しい、良いなぁって思っていたものそのもので、見ているだけで心がポカポカしてくるから、ずっと見てしまう。
あと、この人は本当に思ったことがそのまんま口からすぐに出る人だったから、きっと秘密もあんまりないんだろうなって思ってしまったから、わたしは彼女の思い出を見て、たくさんの事を知った。
ソシャゲっていうのはお話ではなくて、ゲームってものだということ。
そのゲームの中のわたしは、学校に通って勉強をして、友達を作って王子様とも仲良くなって、けどそれが原因で王子様の婚約者に虐められて、更にそのことが原因で世界が大変なことになったから、学校を卒業したら王子様たちと浄化の旅に出るらしい。
ゲームの中のわたしは、最初の頃はわたしだと思える、気が弱くて世間知らずだけど、どんどん頼りになるしっかりした優しい女の子になっていって、それが信じられないけど嬉しくて、わたしがわたしのまま学校に通えていたらこんな風になれたんだと思ったら、やっぱり体を返して欲しいなと思う。
でも、わたしの中からこの人を見ていると、伝わってくるこの人の気持ちとかを感じていると、やっぱりこのままでもいいやと思う。
彼女はわたしとは全然違う人。
夜に物音がしたら、真っ暗でも全然怖がらずに確かめに行ける人で、お城の中で迷子になったら、全然知らない人でも平気で話しかけて道を聞ける人。
わたしなら怖がったり、恥ずかしくてできない事ができる人だけど、わたしがして欲しくない事は絶対にしない人。
迷惑をかけてしまったメイドさんには、ちゃんと謝ってくれた。
お城に連れてきてくれたおじさんが、娘のマリーちゃんを紹介してくれた時は、わたしだったら恥ずかしがって上手く話せなかったかもしれないけど、彼女は「わぁ! 凄く可愛い! チュートリアル説明キャラとは思えない美人!!」って、やっぱり相手を困らせることを口走っていたけど、それでもマリーちゃんを褒めてくれて、マリーちゃんもそれを嬉しく思ってくれたからか、お友達になってくれた。
そんな人だから、わたしはどんどんこの人が好きになっていった。
体を返して欲しいのではなく、わたしもメイドさんやマリーちゃんみたいにお話をしたいから、ちゃんと別々の体になれたらいいのにと思うようになった。
「明日がいよいよプロローグかつチュートリアルの学園編の始まりか……。
うぅ……気が重い……。ウィルやレミリアのビジュは大好きだから楽しみだけど……レミリア怖いレミリア怖い!!
違うんです私の脳筋戦法的に物理最強ゴリラ王子のウィルを重宝してただけで、そのために好感度上げてただけなんです、恋愛感情じゃなくてゴリゴリの打算なんです、私の好みは見た目も性格も猫っぽいツンデレ系おにーさんって感じだから、ワンコ系同世代のウィルは好きだけどストライクゾーンからは外れてるんです、だから邪魔しませんむしろ応援しますからお願いだからヤンデレの矛先をこっちに向けないでー!!」
学校に入学する前日、彼女は鏡台に座って項垂れて、いつも通り思ってる事そのまま全部口に出して不安がってた。
確かに、ゲームのレミリアさんは怖かったし強かったから、不安がる気持ちはすごくわかるけど……、お願いだから今みたいな事をレミリアさんや王子様の前で口走らないで欲しいな。余計に嫌われそうで心配。
わたしの心配はやっぱり全然伝わらず、彼女は顔を上げて鏡の顔に……わたしに話しかける。
「……入学前に体を返してあげたかったけど、ごめんねピナちゃん。……学校、行きたかっただろうね」
鏡に手を伸ばして、わたしの頭を撫でるように触れながら、あなたは申し訳なさそうな顔でわたしに伝える。
「……体を返した時に私の記憶とかを引き継げたらまだマシなんだろうけど、学園にいる頃ならともかく、浄化の旅の途中で何も知らないピナちゃんに戻る方が危ないから……、私はたぶん、記憶の引き継ぎができる確証がない限り、体を返せない。
体を奪っておきながら、ピナちゃんを危ない目に遭わせるなんてしたくない。
だから……ピナちゃんの青春を奪ってごめん。代わりに、浄化の旅は私が頑張るから。
浄化の旅が終わって、世界が平和になったら絶対、ピナちゃんに体を返すよ。魔法オタク的な攻略キャラが確かいたし、そういう人に協力してもらって、方法を絶対に見つける。
だから……ピナちゃんは平和な世界で好きな人と幸せになってね」
いつも騒がしい人だけど、とても穏やかにわたしに謝って、わたしの代わりに楽しい思い出も出来るだろうけど、きっと辛くて苦しい旅を、星の乙女としての役割を果たすと彼女は言う。
わたしの人生の数年間を奪う代わりに、平和な世界とわたしの幸せな未来をあげると言う。
わたしの声なんて聞こえてない、わたしがここにいることなんて気づいてないのに、どうしてこの人はこんなにもわたしの事を考えて、大事にしてくれるんだろう?
そんなわたしの疑問に、彼女の記憶が、思い出が答えてくれる。
ゲームの中のわたしが、それぐらいしてあげたくなるくらいに優しくて、良い子で、大好きだから。
現実にいるのなら、友達になりたいとずっと思ってた憧れの女の子だから。
(……返さなくていいよ)
わたしは彼女の言葉にそう答えるけど、やっぱりわたしの声は聞こえてなくて、「じゃあね、ピナちゃん。おやすみ」と言って、鏡台から離れてベッドの中に入ってしまう。
もうわたしは、本当に体を返して欲しいとは思わない。
あなたがわたしの青春を奪う事を申し訳なく思うように、わたしだってあなたが苦労して、努力して成し遂げた平和を、何もしてないわたしが奪って幸せに過ごすなんてしたくない。
それよりもわたしは、あなたとお話がしたい。
ここにいるって気づいて欲しい。
わたしの声が聞こえたらいいのに。
わたしだって、あなたと友達になりたい。
そんなわたしの声も願いも気づいてもらえないまま、彼女は眠りにつく。
わたしは、どんどんこの人が好きになっていくからこそ増えてゆく寂しさを忘れようと、また彼女の記憶に触れて、思い出に浸る。
わたしも眠れたらいいのに。
そうしたら、せめて夢の中でなら出会えて、お話をして、友達になれたかもしれないのに。
わたしは彼女の思い出に触れながら、彼女と友達になる空想の端でそんな不満を抱いていた。
わたしは、自分のことしか考えてなかった。
気づいてなかった。
この人の思い出や知識、今どう思っているかって心の声や感情の奥に隠された、蓋をされて閉じ込められたものに。
隠し事が下手で、秘密なんてない。
わたしも、誰も彼もそう思っていた。
それはあまりにも酷い思い違いだった。
* * *
「ごめんなさい……ごめんなさい、エミさん。
私のせいだ……。私が本物のピナちゃんじゃないから……、ピナちゃんみたいにズルなんかしない良い子じゃなかったから……」
ベッドに突っ伏してずっと泣いてる彼女に、わたしは何もできない。
ずっとずっと自分を責める、自分が本物のピナ・ブランシュじゃないこと、わたしじゃなかったから、エミさんが婚約者の王子様や幼馴染や義理とはいえ弟にまで裏切られて、酷い誤解をされて、あんな吊し上げみたいな目に遭わされた挙句……いなくなってしまったのだと彼女は言い続けて泣いている。
違う、違うよ!
わたしだって同じような状況なら、店主さんの説明通りなら香水を使うよ!
私だってエミさんと同じことをここで言ってたよ!
確かにズルだったかもしれないけど……、それでも、おまじないくらいならいいよ。いいはずだったよ。ズルともいえないものだったはずだよ。
なのに……なのに……何で、周りの人は皆、あんなにおかしくなったの?
王子様が彼女を嫌いなのは、エミさん……レミリアさんを彼女がゲームのレミリアさんのキャラクターで性格とか王子様との関係を言っちゃったから、婚約者を悪く言われたと思ったからでしょう?
他の3人だって同じでしょう?
わたしやエミさん、それとたぶんわたしと同じ状態だったレミリアさんなら、全部口に出したことはどうかと思うけど、ゲームでは事実なのだから、その印象も警戒も脅えも間違いじゃないし仕方がないと言えるけど、エミさんのレミリアさんしか知らない周りの人達からしたら、エミさんが大事だからこそ許せない言葉や態度だったことはわかる。
そんな凄く失礼なことをやったのに、エミさんと彼女は同じ境遇ということですぐに仲良くなって、親友と言える仲になったのが、信じられないし気に入らないのもわかるよ。
だからこの人と関わろうとはしなかったし、エミさんのフォローも聞き流してたのだって理解できる。
理解できる……、エミさんが大好きだからこその頑なだということはわかってた。
だからこそ彼女もエミさんも、どうしようもなくなって……、香水に頼るしかなくなったのに……。
なのに、どうしてエミさんの言葉を信じないで、あんなに酷い事をしたの!?
エミさんよりこの人を好きになってしまったにしても、なんで本人の「レミリア様から嫌がらせなんかされたことない」を信じないの!?
香水の影響にしても理解できない、おかしすぎる皆の言動にわたしは「どうして? 何で? どうして?」と同じ疑問が堂々巡りして、思考が先に進まない。
「……レミリア。『待ってて』って、私に向けてだよね……。
エミさんは……死んじゃった訳じゃないんだよね?」
答えが出ない疑問で頭がいっぱいのわたしと違って、泣きじゃくりながらも彼女は、あの理不尽しかなかった茶番の結末を、エミさんがいなくなって代わりに目覚めた人を思い出して呟いた。
目覚めたレミリアさんは、言動こそはエミさんが築き上げてきた「完璧な淑女」そのものだったけど、眼が別物だった。
冷たく滾る怒りの光が宿った眼。一目で彼女もわたしも、エミさんじゃない、レミリアさんだと気づけたし、気づかない他の人たちが不思議で仕方ない。
その強く怖い光が、レミリアさんはゲーム通りの容赦ない冷酷な人だと理解させられたけど、同時にゲームでは世界全てに向けられていた、同情するけど理不尽なその怒りが、今は理不尽によって傷つけられた人の為に抱いていることがわかった。
エミさんを絶望させた人たちを許さないと、わたし達と同じ怒りを抱いていたこと、わたしと同じように、エミさんが大好きで大切に想っていたのが伝わる、壮絶な怒りだった。
そしてレミリアさんは……エミさんだけではなく、彼女の親友も……この人の事も大切に想ってくれていた。
『待っていて』
淡く微笑んで最後に伝えてくれたその言葉で、私たちは救われた。
エミさんを大事に想っているからこそ、そしてゲームの苛烈なラスボスのレミリアさんを知っているからこそ、エミさんが死んでいたり消えていたら、それこそレミリアさんはきっとエミさんが鍛え上げた全てを使ってあの場にいた全員を皆殺して、そのまま世界を滅ぼしていた。
笑ってそう伝えてくれる余裕があるという事は、悲しいけどエミさんは絶望で、今までの体を使う人、中から見てるだけの人が逆転したか、もしくはエミさんが体を使えなくなるくらい深い眠りに落ちてしまったか。
どちらにしろ、レミリアさんはエミさんがまだ自分の体の中にいると確信があったから、笑えたし伝えてくれたんだと思う。
「……ありがとう……レミリア……待つよ……待ってるよ……でも、私も何かしたいよ……。一緒に……頑張りたいよ……」
泣きながらもレミリアさんに感謝を告げて、そして何かしたいと言えるこの人は、知っていたけどとても強い人。
本物の「ピナ」でない事に罪悪感を抱いてるけど、わたしよりも彼女の方が絶対に星の乙女に、聖女に相応しい。
だってこの人が泣いているのは、ただ悲しいからでも、それしかする事も出来る事もないからでもなく、ここで泣いて泣いて泣き尽くして、もう泣かないようにする為。
弱音を……エミさんにも店主さんにも吐かなかった弱音を吐き出して、俯かずに前を向いて立ち上がる為。
誰も聞いてくれなくても、同じ言語を使ってるのに話が通じなかったあの人達に、それでも何度でも訴えるため。
「私は嫌がらせなんかされていない」と、何度でも何度でも、信じてもらえるまで訴え続ける為に泣いている。
ウジウジと、もうどうしようもない事で悩んで立ち止まるわたしと違って彼女は、いつだって前向きで、そしてもしかしたらエミさんよりしっかりしている所もあった。
だからこそレミリアさんは、信頼してくれた。
思っていることがすぐに口から全部出るけど、それ以外は察しが良くて、悪意にも敏くて、その悪意に怯えず立ち向かえる人だから、レミリアさんは大丈夫だと信じていた。
「……すみません、星の乙女さま」
「…………なんですか?」
けれど、わたしよりずっとずっと世間を知っている人だったけど、エミさんより悪意を持っている相手でも立ち回れる人だったけど……
「あの、実は……グラウプナー家の者が内密に、星の乙女様に伝えたいことがあるという言付けを預かっております」
「!!」
それでも、彼女は本来ならまだ家族や社会に守られているはずの……、わたしと同い年の子供だった。
親友を失って傷ついている時に、普段の察しの良さや悪意への敏感さなんて、ある訳がなかったことに、わたしは気づけなかった。
何もできないくせに、気づくことすらできなかった。
* * *
後になってから、あんなに「レミリア様から嫌がらせなんかされてない」と訴えても信じてもらえなかったのに、グラウプナー家の人と密会させてもらえる訳がなかったと、わたしも彼女も気づいた。
……本当にエミさんやレミリアさんの味方が、来てくれる訳もなかった。来れる訳がなかった。
……あの、香水で狂った訳じゃない、明確な悪意でエミさんを陥れた奴以外!!
「!? なんでお前がここに!?」
お城のメイドさんが預かった言付け通り、こっそり部屋から、城内から抜け出し、お城の敷地内にある厩舎の裏までやってきて、そこにいた人を見て彼女は吐き捨てるように言った。
『……エミさん。可能ならあの人、護衛にしない方がいいと思うよ』
雇っているのはエミさんではなく、父親である事を知っていたから、無理な話だとわかっていても、それでも彼女はエミさんに伝えた。
それぐらい、信用なんてできない人。
エミさんやわたしの体も厭らしい目で舐め回すように見るくせに、護衛なのに欠伸しながらただぼーっと立っているだけの男の人が、ニヤニヤ笑いながらそこにいた。
「酷い事言うな、聖女さま。
せっかく、レミリア様の近況を教えに来たって言うのに」
気持ち悪いニヤけた顔で白々しい言葉を吐くその人に、彼女は舌打ちしてその場から木の枝を拾い、構えて啖呵を切る。
「黙れ裏切り者! いや、お前は自分だけが可愛いクソヤローだから裏切り者ですらねぇな!」
エミさんほどではないけど、エミさんと一緒に鍛えてレベリングをしてたから、彼女はゲームだとチュートリアル終了の現時点ではあり得ないぐらい強く、この護衛失格で最低な人に負ける訳はなかった。
相手もそれがわかっていたからか、数歩後ろに下がって「ま、待て待て!!」と引き攣った顔で怯えた声を上げる。
……怯えていても、顔は引き攣っているのにまだニヤけたままなのが、わたしも彼女も気になった。
気にせず、もっと大声を出して人を呼び寄せたら良かったと、彼女は後悔した。
そうしたら、候補とはいえ王子様の婚約者になってしまった彼女と密会しようとしたこの人の偽りの信用は地に落ちて、証言の信憑性は疑われ、そこからエミさんの名誉は回復できたかもしれない。
彼女はエミさんを想って後悔した。
自分のことなんて考えもしなかった。
「裏切り者扱いは酷いぜ、聖女さま。
せっかく俺が、あんたの望み通りあのいい子ちゃんぶったお嬢様を嵌めてやったのに」
「(……はぁ?)」
思わず、わたしと彼女の声と感情が完全に重なる。
意味がわからなすぎて思わず固まる彼女に、相手は自慢げに語り出して、わたし達は余計に固まるしかなかった。
どうもこの人の中では、エミさんは自分の引き立て役として彼女を側に置いて、彼女はエミさんを引き摺り落として、エミさんの地位を自分のものにしようとしていたが真実らしい。
それだけでもこの人の目と頭、どうなってるの? と思うけど、この人本当に認知がおかしい!!
エミさんのことを顔と体だけが取り柄とか、何の役にも立たないってバカにした口で、頭の良さを鼻にかけてるとか、女のくせに剣も魔法も一級品だなんて宝の持ち腐れだとか、エミさんの実力や功績に嫉妬する。
自分の発言が一瞬で矛盾してるのに、それに何の疑問も抱かず、どうやってエミさんの悪い噂を流したか、彼女がされてもない嫌がらせの証拠を偽造したかを自慢げに語る姿は、気持ち悪くて怖い。
この人と比べたら、あんなに話が通じないと思ってた王子様たちは、かなり論理的だったと彼女もわたしも思ってしまうほど、筋なんかどこにも通ってない論理。
今更だけど、「エミさんが彼女に嫉妬した」は、そう解釈されても仕方がなかった。
エミさんのことを知っていれば、エミさんは王子様たち4人を信頼しているからこそ、流石に婚約者でもない男女を二人きりにはさせなくても、逆に言えば女の子が彼女一人という状況でも、男の人があの4人なら、エミさんは止めないし気にしない。
香水というイレギュラーがない限り。
香水の効果を警戒というより、不安がっていた親友の為にエミさんは、なるべく男性の中に彼女が一人きりにならないように気を付けてくれたし、香水の効果がおかしいと気づいてからは、王子様たちが彼女に近づかないよう、らしくない行動をとっていた。
エミさんをよく知るからこそ、わたし達側の事情を知らなければ確かにこれは、嫉妬が一番筋が通る。
そしてあの人の優しさをよく知るからこそ、「嫌がらせなんかされてない!」と訴える彼女の気持ちもある意味ではわかっていたから、聞く耳を持たなかったのかもしれない。
目の前の元凶が、されてなんかない嫌がらせの証拠を持ってきたから、それまであの人達もエミさんを信じていたからこそ、彼女の言葉は届かなかった。
あの人達はゲームで知っている、あの優しくて勇敢な人たちと決して別人ではない、王子様たちは悪意に塗れた理解できない人たちではないことを、本当に救いようがない嫉妬と驕りで塗り固まった悪意そのもののような人を前にして、理解できてしまった。
「…………もういい」
だからこそ、彼女はもう怒りすら抱かず、むしろ憐れむような声音で言った。
「お前の妄想は、どうでも良い。でも、これだけは、自分だけが可愛いお前には理解できないだろうけど、これだけは知っとけ。
私は、優しくて正しい淑女のレミリア・ローゼ・グラウプナーの親友で、彼女を仇なす奴は許さない」
誰かを愛する事も、信じる事も、敬う事も知らない愚かで憐れな人にそれだけを告げて、彼女は背を向ける。
そこでようやく、あの人は自分の思い込み、彼女が自分と同じようにエミさんを利用しているのに妬んで、陥れたがっている訳じゃなかった事、自分のした事は感謝どころか脅しの材料にすらならない事に気づいたみたい。
にやにやと気持ち悪い余裕ぶった笑みがようやく消えて、「理解できない」と言わんばかりの困惑した顔でまた、彼女に追い縋って手を伸ばす。
その手を、木の枝でバシッと一閃して、もう何も言わず彼女は立ち去ろうとした。
「くっ……いい気になるなよ、クソガキがっ!」
その背に……きっと苦し紛れのとっさに思いついた事を口にしただけの嘘。
わたし以上に彼女は、冷静にそう判断した。わかってる。嘘に決まってる。
「許さない? はっ! もう無駄なんだよ!!
いくらあのお嬢様がバカみたいなお人好しでも、お前はもう俺と同じ裏切り者だ!!」
信じられない、あり得ない根拠はいくらでもある。
だってそれが本当だとしたら、レミリアさんがとうに世界を滅ぼしている。
けれど……けれどーーーー
「お前の親友のレミリアは、お前の指示で俺が犯してやったからな!!」
信じたくないからこそ、逃げられなかった。
* * *
わたしは、言葉の意味が理解できなかった。
できなかったけど、それはとてつもなく酷くて悍ましい言葉であることだけはわかった。
「うそ……嘘だ……」
彼女は歩を止めて、振り返ってしまった。
血の気の引いた顔で、信じていない、信じたくないという弱音を、よりにもよって一番見せてはいけない相手に見せてしまった。
その弱さに、傷に、恐れに寄生する忌まわしい、同じ人とは思いたくない、思えない生き物がまたニヤニヤと笑い出す。
全身に虫が這うような鳥肌が立つ、あの言葉と同じくらい悍ましい顔だった。
「嘘じゃねぇさ!
お前が階段から落ちた日! 王子に失望されてウジウジ泣いてたお嬢様を、王子と復縁どころか嫁の貰い手が無くなるように、裸にひん剥いてヒンヒンなかせてやったよ!
お前の指示で! お前がやれって言ったから! 全部お前に言われたから俺はやったんだ!!」
ギラギラとした目で、悪いこと、酷いことをしたのは自分のはずなのに、彼女が指示したなんて嘘だと言うことは自分が一番知っているくせに、そいつは彼女を責め立てた。
お前が悪い。全部お前のせいだ。
そう責め立てるその生き物は、エミさんの訴えを無視して糾弾していた人たちと同じ目だった。
偽証しているのに、嘘だとわかっているのに、なのに自分の正しさを信じて疑わない、意味がわからなくて気持ち悪い目。
「嘘……嘘嘘嘘嘘だっっ!!」
そいつの言うことはおかしな事ばかりで、嘘に決まってる。
わかっているのに、彼女は頭を掻き乱して、狂乱して、否定して拒絶する。
「嘘じゃねぇさ! いやぁ、役得だった! あの女、顔と体は最高だったからな!!」
悍ましいそいつの話を。
ねっとりとしつこく、エミさんに何をしたかを、朗々と自慢するように語り出す。
その内容でようやく、わたしは最初の言葉の意味を理解した。
理解してしまった。
理解すると同時に、わたしの中に今まで一度も流れ込んだことがないものが溢れ出す。
「いや……いやあああああぁぁぁっっ!!」
耳を塞いでも聞こえる、親友の陵辱。
その光景を想像なんてしたくないのに、わたしよりも詳しくて正確な彼女の性に関する知識と、「もしかして……」という不安が、本人の意思を介さず像を結ぶ。
同時に、連鎖して記憶が掘り起こされ、感情が目覚め、傷が開いて血を噴き出す。
通学での電車でお尻を触られたこと。
アルバイト中、卑猥な質問ばかりしてきたお客。
パパ活をしている同世代の、生々しいSNSの内容。
子供らしい興味で浅はかに検索して知ってしまった、陰惨な婦女暴行事件の概要。
彼女の性に関する嫌な思い出、トラウマが次々と連鎖的に蘇り、わたしの中に洪水のようにそれらが流れ込む。
その窒息してしまいそうな、溺れてしまいそうな情報量が、わたしの中のわたしが忘れていたもの、忘れようとしていたものの蓋すら壊してしまう。
…………わたしは、知っていた。
言葉の意味を、理解できていた。
とてつもなく酷くて、悍ましい言葉だと。
知っていた。
だってその言葉は、今、目の前でニヤニヤ嗤いながら、わたしの体をジロジロと舐め回すように見る目で語るその言葉は
(いや……)
わたしの
わたしの、お父さんが
(いや……やめて……)
お父さんが話す
(やめて……やめて……)
お母さんの話だ。
(いやだいやだいやだいやだ)
わたしのお母さんは、おとうさんに、あの男に、何をされていたかを
あの男はわたしを、ニヤニヤしたいやらしい目で見ながら
お母さんに似てきたと言いながら
わたしの体を触るお客と一緒に、話していた。
(いやだいやだいやだいやだいやだいやだ)
初めは本当に、意味がわからなかった。
いつから理解できたかなんて覚えてない。
忘れていた。忘れようとして、記憶に蓋をした。
その蓋が壊れ、嫌な記憶が、当時は全部は理解できてなかったものが、彼女の知識や記憶で理解してしまい、その記憶がわたしの体を弄るように、這い回るような、吐き気を催す悍ましさで纏わりつく。
(いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ!!
誰か助けて!!)
わたしと彼女の傷が、痛みが混ざり合い、ぐちゃぐちゃに掻き乱されて、溺れ死にそうで、焼け死にそうで、苦しくて苦しくてもがいて足掻いて叫んで手を伸ばして触れた。
『ピナちゃんに、…………といいな』
それは、わたしが知らなかったもの。
『ピナちゃんに、私の…………伝わらないといいな』
彼女がわたしに隠していたもの。
この人がわたしに絶対に渡さなかったもの。
傷が開き、血が吹き出して
わたしと同じように蓋が壊れて
溢れ出して、流れ込み、わたしが触れたもの。
『ピナちゃんに、私の辛い記憶や感情が伝わらないといいな』
わたしが、あまりにも大事に、大切に守られていた証だった。
※
この人はわたしがここにいることなんて気づいてない。
わたしの声なんて聞こえてない。
それでも、わたしがまだ体の中にいるかもと考えて、そうだとしたら自分の考えとか、思い出とか、感情が全部伝わってしまうかもと思って。
『ピナちゃんに、私の辛い記憶や感情が伝わらないといいな』
その「もしかして」の為だけに、この人はずっとずっと蓋をして隠していた。
(……ごめんなさい)
『帰りたい……帰りたいよぉ……。お父さん……お母さん……お兄ちゃん……会いたい……会いたいよ…………』
家に帰りたい。家族に会いたいって泣きたい気持ちも。
(ごめんなさいごめんなさい……)
『ひまりんといろはちゃんは無事なの? 私と一緒に巻き込まれてなんか……死んじゃってなんかないよね?』
一緒に出掛けていた友達の安否を不安がる気持ちも。
(ごめんなさいごめんなさいごめんなさい)
『石を砕いてコンテニューなんて、やっぱりないよね……。
ここで死んじゃったら、今度こそ終わりなんだろうな……』
ゲームと違って自分が戦うというプレッシャーと、やり直しなんか効かない現実という死への恐怖も。
(ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい)
『うるさい! この世界の常識なんか知るか! 貴族の常識なんかもっともっと知るか!!
私はただのオタクな女子高生なんだよ!』
この世界での生きづらさも。
(ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい)
『私は星の乙女じゃない。聖女じゃない。
不満もあるし、人を妬みも憎みもするし、罪を憎んで人を憎まずなんて無理な普通の人間だ!』
星の乙女に寄せられる期待への重さも。
(何も知らなくて、知ろうともしなくてごめんなさい)
いくら謝っても謝り足りないぐらい、彼女は抱え込んで渡してはくれなかったものを知った。
わたしを守る為、ただ一人で傷付き続けた傷が溢れ出し、わたしはそれらに手を伸ばして掻き集める。
今更、わたしも背負おうと足掻く。
『ピナちゃんは……どんな人が好みなんだろう?』
ベッドの上で、彼女は呟いていた。
恋占いの辞典をペラペラと、手慰みに捲りながら。
『ゲームストーリー的には、ウィルかアンヘルあたりとくっつくのが正史っぽいよね』
覚えてる。
知ってる。
でも知らない。
『……少なくとも、攻略キャラどころか立ち絵もなかった店主さんは、好みじゃないんだろうな』
どんな気持ちで、彼女がそう言ったのかを、わたしは知らなかった。
わたしは呑気に、『わたしの好みを考えるより、店主さんの名前くらい聞いたらいいのに』と思っていた。
知らなかった。
どんな気持ちで彼女は、店主さんの名前を聞かない、知ろうとしないって決めたかなんて。
『この体はピナちゃんのなんだから、私が恋なんかしちゃダメだ』
あの店で初めに買った、お遊びの恋占い辞典を、お遊びでも使えない決め事。
誕生日も名前も知らない、知ろうとしない、いつかわたしに真っさらなまま渡す為、諦めた想いなんて知らなかった。
(やめて……もうやめて……)
どれほどわたしは、大切にされているかを知った。
どれほどわたしは、この人に甘えていたかを知った。
この人がわたしから体を奪ったんじゃない。
わたしがこの人から何もかもを、帰りたい家も家族も、大事な友達も、生きやすい世界も、普通の女の子としての人生も……大好きな人の名前を知るというささやかな願いすらわたしが奪い続けてきたんだ!
そのことが申し訳なさすぎて、その献身があまりにも大きすぎて受け止めきれず、わたしは泣きながら希う。
諦めないで。
わたしの体ならあげるから、どうか諦めないで。
その恋を諦めるのをやめて。
……けれど、わたしの声なんて届かない。
わたしの声も、願いも、祈りも、どこにも届かず、穢される。
(!? やめてやめてやめてやめてやめて!!)
彼女と店主さんの、他愛無いやりとりが
思い出が
あの男の言葉によって、
傷ついて泣きじゃくる彼女を見て興奮している、欲情している奴の視線によって、
察しのいい彼女は、奴の頭の中で自分がどんな目に遭わされているかを察してしまって、
染まるように、焼き焦げるように、腐食するように
優しい、愛しい、大切な大切な思い出が
彼女の大事な人が
初めての、最初の恋が
名前も知らないまま、塗り潰されて、消えてゆく。
「お願い……もうやめて……何でもするから……もう……もう……」
穢らわしい劣情による魂の陵辱によって
(やめてええぇぇぇぇぇぇっっっっっ!!)
* * *
「––ごめんね、ピナちゃん」
ひび割れた鏡台の前で、彼女はわたしに詫びる。
何もできなかったわたしに。
何もしなかったわたしに。
もしかしたら、一応程度にはわたしの祈りは届いていたのかもしれない。
泣きじゃくって「何でもする」と言ってしまった彼女に、あの男は舌なめずりをして手を伸ばしたのに、触れる前に急にその手を引っ込めた。
「泣き顔は不細工だな。萎えた」と言っていたのは嘘ではないかもしれないけど、今になって思うとわたしがあんな父親の元にいて、今まで殴られるくらいで済んでいたのも、わたしの星の乙女としての力か何かで、男の人のそういう欲望がなるべく向かないようにしていたのかもしれない。
けれど、本当にこんなのは今更。
わたしが彼女のために、何かしてあげれたとは思えない。
「星の乙女」は、彼女の何もかもを奪って傷つけているだけだ。
『店主さんが嘘をついたとは思えないし、つく意味もない。だとしたらこの香水の効果がおかしいんじゃなくて……私が使ったから?
星の乙女としてのバフ効果が、香水にも自動で発動してる?』
彼女がわたしに渡さなかった、隠していたものの一つ。
わたしが知ったら、わたしが責任を感じるかもしれないと蓋をした憶測。
わたしもそうとしか思えない。
だってわたしは、彼女が香水を使うときに願った。祈った。
(誤解が解けて、たくさん友達ができますように。
王子様たちと仲良くなれますように)
この祈りが、おまじない程度に過ぎなかったものが「星の乙女」によってあんな効果になったとしたら、わたしは祈ったのではなく呪ったも同然だ。
なのに、この人はわたしを責めなかった。
自分ばかりを責めて、わたしに謝り続ける。
「ごめんね……。世界を救うどころじゃないかもしれない」
よりにもよって最低最悪の元凶に弱みを握られたのが悔しくて、自分の迂闊さや無力さが情けなくて、部屋に戻ってから「ちくしょう! ちくしょう!!」と周りに八つ当たりしていたのが少しだけ落ち着いて、いつものように鏡に向かって、わたしに対して話しかける。
もうわたしは、本当は落ち着いてないことを理解できてしまう。
相変わらずこの人は、わたしに哀しいとか辛いとか苦しいって感情のほとんどを渡してはくれない。
少しは流れ込むけど、それは隠しきれなくて漏れ出たものだったことを、今更理解した。
あの漏れ出たものだけを真実だと思って、スッキリしたのなら良かっただなんて、もう思えない。
「……あいつの話は絶対に全部嘘だ。
本当だとしたら、きっともっと前にエミさんは絶望して消えて、レミリアが出てくる。
仮にエミさんが耐えて耐えて耐えて、あの茶番がトドメになったとしても、やっぱりレミリアが出たのなら、あんな穏便には終わらない。
私があいつに指示したを信じているのなら、尚更。
絶対にレミリアは、あの場で私を殺して世界を滅ぼす。
……だから、嘘だ。全部全部、嘘なんだ」
これは本当に思っていること。あいつの話と違って、嘘なんか一つもない彼女が信じていること。
けれども蓋をして隠して、わたしには渡してくれない不安を、わたしはもう知っている。
エミさんは、あんな護衛必要ない、むしろ邪魔なくらいに強いけど、本来はこの人と同じくらい戦いなんて無縁な世界で生きてきて、この人以上に争いを好まない人だった。
そんなあの人が、親友が階段から落ちて大怪我をしたというだけで不安なのに、それをわざと、それも殺す気でやったと思われて、責められたことでどれほど傷ついたか。
その傷心のさなかに、信頼も信用もしてなかったとはいえ、まさか護衛が主を襲うなんて裏切り、あの人が予測できるわけがない。
あの悪意に全然慣れてなくて、直面したらフリーズしてしまうエミさんなら……最悪の事態があり得てしまう。
それでも、あの人は絶対に自分の親友を疑わない。
彼女と同じように信じ抜く。
彼女からの指示だなんて言葉は信じないで、むしろ最低な責任転嫁の大嘘に使われていると憤ってくれる。
そして、隠し通す。
この人がわたしにしてきたように、彼女が傷つかないように、自分の傷を隠し通す。
きっとレミリアさんも、エミさんの想いを尊重して、彼女を守る。
だからこそ、あの話が真実だとしても、あの茶番の終わりは成立してしまう。
嘘だと切り捨てきれない可能性が、彼女の心をズタズタに切り裂き続ける。
「……でも、嘘でもあの話は、貴族令嬢のレミリアには致命傷。
彼女がどんな方法であいつらに復讐して、エミさんの名誉を回復させるつもりかはわからないけど、どんな手段であれレミリアが純潔ではない、穢されたと噂が立てば……エミさんの名誉の回復はほぼ不可能だ」
八つ当たりでその辺のものを投げつけ、割れた鏡の表面を撫でる。
ひび割れた鏡面で指先が傷つき、鏡に赤い線を描くけど、彼女は気にも留めない。
体の痛みなんか感じないほどに、心を軋ませながら、彼女はわたしに語りかける。
「だから……ごめんね、ピナちゃん」
鏡に映るのは、わたしの顔でわたしではない表情。
「私は、レミリアを信じてる。
彼女は『エミさんのレミリア』を守り抜く。あの人が望んだ、『レミリアが世界一幸せな女の子になる』世界を作り上げる」
泣いて泣いて泣き尽くして、わたしだったらもう立ってられない、何もかも折れて諦めて絶望の底に沈むしかないほどの絶望を味わって、そしてこれからもあいつに利用されて辱められる地獄の日々が続くことを知りながら……
「けれどそれが……あいつの言葉、あいつの嘘で傷つき、穢されるというのなら……」
それ以上の地獄の最奥に、自ら突き進んで落ちる覚悟を決めた、壮絶な眼をしていた。
「私は……あなたの名誉を地に落とす」
鏡の自分に彼女は指先の血で、唇に紅を掃く。
「私は親友を貶めて辱めた、最低最悪の毒婦に……希代の悪魔になって、彼女の汚名も嘲笑も卑怯者どもの自己正当による誹謗中傷全部受け持ってあいつと地獄に落ちる!!」
毒々しい赤が弧を描いて、鏡面の彼女が毒婦らしく、悪魔のように淫靡に歪んだ笑みを浮かべる。
今にも泣き出しそうな、弱くて傷だらけな普通の女の子を、その血化粧が覆い隠してしまった。
(誰か……この人を助けて……)
わたしの祈りは、届かない。