ここだけピナに憑依転生したのがリィナじゃなくて   作:淵深 真夜

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輝きが蘇る

「……明日、やっとレミリアに会えるんだ」

 

 喜びと不安が入り混じった声音で、彼女は鏡と向き合って呟く。

 声音と同じように、表情も二つの相反した感情が反映されて、曖昧で弱々しい笑みだった。

 

「流石はレミリア……ううん、『エミさんのレミリア』か。私の出番、本当になかったよ。」

 

 その笑みは、「わたし」の顔に見えた。

 わたしの好きな、大好きな、憧れていた元気いっぱいでお日様みたいな笑顔じゃなくて、わたしがお父さんや怖いお客さんに対して浮かべていた笑顔によく似ていたから。

 

「レンゲ様からの守護を賜った、『浄化の乙女』か。ピッタリだ。

 ……ここでお飾り聖女してる私よりもずっとずっと、『救世の聖女』に相応しいよ、レミリア」

 

 この人からあの元気を、明るさを、溌剌さを、今までの日々が奪って行った証の笑み。

 

「……ごめんね、ピナちゃん」

 

 だけどまだ、奪われていないもの、誰にも奪えないもの、わたしが持ち得ないものがまだここにある。

 

「レミリアの方は、9割方計算通り目的を達成して最後の詰めって所だろうね。

 ……優しすぎて悪意に免疫ゼロのエミさんと違ってレミリアなら、あいつに足元を掬われる心配は無粋なんだろうけど、……これがやっぱり懸念材料だな」

 

 視線が鏡から、鏡台の上に置かれた香水瓶に移る。

 あいつに……、あの日からずっと大嘘に決まってる話で彼女を強請っているロマノから渡された、頭が痛くなりそうなほど甘ったるい匂いの香水。

 

『これはあんたが使ってた香水を、魔族仕様にしたもんだ。

 今度はこれを使って魔族をたらしこもうぜ』

 

 ニヤニヤとした気持ち悪い顔で、押し付けるように渡されたもの。

 あいつの中ではまたいつの間にか、彼女がレミリアさんを嫌って貶めたがって、香水を使って嘘をついてウィル王子たちを騙して利用して追放したということになっていた。

 もしかしたら、あの二転三転する脅迫内容すらも、あいつの中では真実になっているのかもしれない。

 

 あいつがわざわざ耳元で何度も何度も伝えてくる、悍ましい陵辱の詳細。話すたびに内容が派手になるだけではなく、場所や状況、タイミングとかが変わって矛盾が生じていたから、聞きたくなんてなかったけど、やっぱりエミさんを襲ったなんて嘘だと確信できたことだけは良かった。

 

 でも、矛盾だらけのめちゃくちゃな内容だけど、乱暴の内容だけはいつもあまりに生々しかった。

 ……だから、エミさんを襲ったって話は絶対に嘘だろうけど、もしかしたら相手が違うだけで内容は本当かもしれない。

 

 それぐらいに、泣いて叫んで抵抗する女の子の描写が、慣れる事なく吐き気を催すほどに生々しい。

 

 そんな話を何度も何度も吹き込まれ、お金を強請られ、「星の乙女の護衛」という肩書きで好き勝手されて、悪評は全部こちらに被されて、香水を使っていた時期に交流がなかった貴族から白い目で見られ、そして香水でおかしくなった人たちがまた、まともだからこそ彼女を非難する人々に攻撃する。

 

 地獄があるというのなら、それはあの世でも地の底でもなく、ここだとわたしは思い続ける日々だった。

 

 鍛錬として女騎士さん達とダンジョンを攻略したり、星の乙女としての仕事をしている時、そして王妃教育という名目で王子様たちやロマノといった男の人たちから離れて、王妃様からレミリアさんの活躍を聞いたりと、心休まる時はもちろんあった。

 

 けれどそこで癒された傷は、何度も何度も抉られて開かれ、回復した精神は擦り減らされて摩耗していくのを、わたしはただ見ていた。

 見るしかできない。

 私はもう、祈るのが怖い。

 

 だって全ての元凶はわたしだ。

 わたしが祈らなければ、店主さんが言ってた通りおまじない程度の効果だったかもしれない。

 可能性の話でしかないけど、その考えが、彼女が私の為に隠してくれていたものが、彼女の懸念通りわたしを縛って動けなくしている。

 

 だから、星の乙女として土地に恵みを与える為や、ロマノや他の奴らが彼女をいやらしい目で見て、その手を伸ばした時以外、わたしは何も祈れない。

 

「……これもレミリアの仕込みなのか、それともあのゲロカス男の思惑か。

 …………どっちでもいいか」

 

 何もできない、謝り続けて後悔し続けるだけしか出来ないわたしと違って彼女は立ち上がり、その香水をわし掴む。

 

 あの日、エミさんがいなくなり、そしてあいつに脅されてからトラウマになって、香水が苦手や嫌いどころか、社交で顰蹙を買ってしまうくらい香水が怖いはずなのに、震える手で瓶を掴んで、自分の体にプシュリと振りかけた。

 

「どっちにしろ、明日で全部決まって終わる」

 

 鏡に映るのはもう、わたしによく似た弱いわたしじゃない。

 わたしが持ちえない、あの日から失えない眼の輝きにふさわしい、壮絶に好戦的な笑みを浮かべて彼女は言った。

 

「まぁ、違いなんてレミリアが全てに勝って地獄に落ちるか……、私と一緒に地獄に落ちるかぐらいだけどな!!」

 

 あまりに痛々しい覚悟を決めた、悪魔になると決心した傷だらけの彼女にも、わたしは祈れない。

 

 だから、信じるしかない。

 

(どうかこの人を助けて……)

 

 信じた人は二人。

 一人はきっと、「エミさんの」だからではなく、彼女自身もそうなりたいと望んでいるはずの人。

 

 もう一人は、名前も知らない。

 知ろうとしない。

 いつかわたしに全てまっさらなまま渡す為、諦めた人。

 例え気づいてもらえなくても、最後に魂だけでも会いに行って、お別れができたらという、あまりに寂しい望みだけを、大事にしていた人。

 それだけは、諦めきれなかった人。

 

 信じてる。信じている。

 あなたもきっと、レミリアさんと一緒にいることを信じてる。

 

 この人を助けてくれると、信じてる。

 

 もう私には、そうやって誰かに縋って頼るだけしかできなかった。

 

* * *

 

 そんな彼女の覚悟をへし折りかけて、わたしも思わず後悔とか罪悪感が吹っ飛ぶものをお出しされて、思わず二人して絶句。

 

「どうだい、ピナ! 君に、『星の乙女』に相応しいドレスだろう!!」

 

 ウィリアルド王子が胸を張って見せてきたのは、今日の魔国との国交樹立記念パーティーで彼女が着る、当日のギリギリまで存在は知らされていたけど見せることなく隠されていたドレス。

 

 そのドレスのあまりの派手さと……その、なんというか……彼女が来る前、学園に入る前のドレスのことなんて何も知らない幼いわたしなら喜んだかもしれないデザインに、わたし達は面食らって言葉を失う。

 

 いやもう、本当に何これ?

 全体的にまん丸に膨らみすぎだし、星の飾りとか背中の羽とか、お花もハートも一つ一つは可愛くてわたしは好きだけど、全部はいらない。

 あと絶対に重い。潰れそう。物理的に。

 

 もうデザインだけで色々と言いたい事ありすぎて、逆に言葉を失う状態なのに、これらの布がシルクなのは当然、裾や花の模様に縁取られているのは真珠、お花やリボンの中央に飾られているのは小さくても鶏卵くらいはありそうな宝石という、王妃教育や社交で理解してしまったそれらの価値と、これらの代金の出所を考えると気を失いそう。

 

 わたし達がそんな状態かつ、ドレスや他の装飾品を用意している侍女さん達が引きに引いているのに、王子様たちは相変わらず自分たちの都合のいいよう、「感激のあまり声も出ない」とでも解釈した。

 

「さぁ、着てみてくれピナ! 

 星の乙女らしく星を散りばめたドレスと、この砕いた金剛石で輝く髪はきっと君によく似合う!!」

「いや、愛らしいピナにはこのハートや花が!」

「何言ってるんだい? 天使のように優しい彼女には羽のモチーフこそが最適だろ」

 

 口々に彼らは彼女に何が似合うかを主張し合い、ギスギスした空気になるのを横目に、彼女は白けたようなため息をついて「着替えるから御退出を」とだけ告げる。

 

 わたしもあのやりとりで色々と理解できて、白けてしまった。

 この子供なら喜びそうだし似合いそうな、可愛い女の子らしいモチーフ全部詰め込んだデザインなのは、あの人たちの主張を全部詰め込んだからだと。

 

 誰も、彼女がどんなドレスが好きかなんて、聞かなかったし知ろうともしない。

 ただただ自分が理想とする、女の子らしい可愛いものを押し付けておいて、彼女からの感激や感謝をねだっているんだ。

 

 そもそも本当に少しでも彼女のことを想っていれば、重要な式典のドレスを試着もさせず、当日まで見せずに隠すなんてありえない。

 彼らはサイズのことを全く考慮してない。

 

 ドレスは何着も贈られてきたから、流石に全くサイズが合ってない訳ではないけれど、それでも仮縫いで着てみて調節をした訳でもないから、妙な余裕が出来てシワになってる所や、逆に変にキツくて動きにくい所もある、あまりにチグハグなドレスに身を包み、物理的に重いのに込められた気持ちはあまりに薄っぺらいアクセサリーで飾られる。

 

 ……王子様たちも、香水の被害者であるのは確かだけど、彼女もわたしも彼らに対する罪悪感は、とっくの昔に枯渇している。

 だって香水による偽りの好意で、彼女を一番に想っているからこその暴走なら、そんなものを植え付けて申し訳ないけれど、彼らの一番は、本命は未だにエミさんであることを彼女は知っている。

 本人達は隠してるつもりだろうけど、バレバレだ。

 

 このドレスのバカみたいな贅沢さは、魔国の恩人として魔王様と賓客として招かれるレミリアさんに対する当てつけと、あまりに愚かな懐柔のつもりなんだろう。

 

 ウィリアルド王子たちは同盟成立の場にいなかったから、未だに魔国や魔族を下に見ている。

 未開の少数民族で、今は物珍しさで持て囃されているけど、すぐに廃れて忘れ去られる程度だと、勝手に思い込んでいる。

 

 そんな貧しい国ではこんな贅沢なドレスは作れないだろう。

 今からでもあの時の罪を認めて謝れば、復縁してやらないこともない。

 復縁したら、お前もこんなドレスが着れるんだぞ。

 

 きっと彼らが言いたいことは、そんな所なんだろう。

 

 彼女に対しても、エミさんやレミリアさんに対しても、魔国に対しても失礼すぎる彼らの思惑は、きっとレミリアさんも察するし、なんならすでに予測している。

 いつしかエミさんを、宝石やドレスで釣れるような人だと思うようになっていた彼らを、レミリアさんはきっと許さない。

 

 その事になんとも思わない、むしろ少し楽しみにしているわたしは聖女失格だ。

 ……この人を救えない時点でそうだけど。

 

 わたしがそんな自虐をしている間に、着せつけはなんとか完了して、彼女はウィリアルド王子にエスコートされて会場に入った。

 

 ……自分の手に触れる彼女の手が震えている事に気付いて、「緊張しているのかい?」と彼は尋ねる。

 その笑みは、わずかだけど確かに面倒くさいという感情が隠しきれず、歪んでる。

 

 彼女の手が震えているのは初めてではない、候補とはいえ婚約者になって、こういう夜会などでエスコートされるようになってからずっと、震えていたことには気付いているのに、彼女の顔色には気づかないんだ。

 

 あいつの、ロマノのせいで、あいつにもう何年も精神的に陵辱され続けて、男の人が怖くて仕方ないのに、本当は今すぐ悲鳴を上げて振り解きたいのを、唇を噛み締めて我慢している事に気づきもしないで、「どうしてこいつはエスコートに慣れないんだろう?」と思って面倒くさがるこの人に、わたしはもう「わたしのせいで」なんて思えない。

 

 もうわたしがこの憧れていたはずの王子様に思うことは、ただ一つだけ。

 

 

 

 さっさとレミリアさんに振られたらいいのに。

 

 

 

* * *

 

 

 

 パーティー会場に入って向けられた視線は、好奇と嘲笑とほんの少しの憐れみ。

 クスクスとドレスをバカにする陰口が聞こえてくるけど、彼女もわたしもそれを恥ずかしがったり、悲しく思うよりもホッと安堵してしまう。

 

 

 王子様たちや、彼ら以外にも彼女を可愛い可愛いと愛でるだけの人たちと違って、それは常識的な反応。

 わたし達は、自分の感想や感性がおかしくないことを再認識できた。

 

 そんなわたし達とは反対に、王子様たちはエミさんを追放してから上手くいかなくなったことをクスクス嗤われて、それが屈辱で仕方ないのか、ウィリアルド王子はエスコートしていた、最低限にしか触れていなかった彼女の手を強く握りしめる。

 

 彼女が、相手がびっくりして、怯えて手を引こうとしたら、更に強く握って歩幅を広げて歩く。

 逃がさないように、逃げないように、彼女が「痛い……」と呟く声も右から左に聞き流して、陰口だけ拾ってズンズン先に進む。

 重すぎるドレスとハイヒールで転びそうになっているのに、その後ろを歩いている三人は、恥ずかしそうに下を向いて顔を隠すだけで、王子様に注意も、彼女を気遣って支えようともしない。

 

 どんどんわたしの心が、レミリアさんによる彼らの破滅を望むぐらい荒んでゆくのを感じながらも、わたしは探す。

 彼女と一緒に、レミリアさんを。

 

 けれど身を隠しているのか、それとも魔王様のパートナーだから、まだ入場もしていないのか、会場にあの美しい人はいない。

 

 そうこうしているうちに、国王陛下と魔王様が入場して、陛下が挨拶を交わして魔国から贈られたお酒で皆が乾杯する。

 

「……おいし」

 

 そのお酒を飲むと、さっきのエスコートで痣になりそうなぐらい握られた手や、ハイヒールなのに早足で歩かされたことで多分出来た靴擦れの痛みが消えて、すごく久しぶりに本来の彼女らしい無邪気な感想を呟いた。

 

「え?」

 

 そのことにわたしが喜ぶ間もなく、隣のウィリアルド王子が困惑の声を上げた。

 彼だけではなく、クロードさんやデイビッドさん、ステファンさんたち全員が目を白黒させて彼女を見ている。

 というか、なんか引いてる。

「うわぁ……」って言いたげな目で見てる

 

 その反応にわたしも彼女も流石に訳が分からず戸惑っていると、壇上で魔王様が言う。

 

「リリン酒はこの日の為に用意させた《特別製》でね。

 何故か、あまりにもささやかな理由で狂おしいほど好意を抱いてしまう呪いに侵された貴国の為に、解呪の効果もつけておいたのだ」

 

 魔王様の発言で、彼らは自分の中にあったものの大半が消えてなくなったこと、それがなんであるか、なんで今まであったのかを理解したのか、怯えたように、後悔するように、……お前のせいでと責め立てるような顔で、彼女からの2、3歩後ずさって距離を置く。

 

 そんな反応を彼女は白けたように一瞥で終わらせ、グラスに残ったお酒をシャンデリアの光にかざして呟く。

 

「これもレミリアの仕込みか、さっすがー!」

 

 誇らしげに彼女は笑って、お酒を飲み干したタイミングで、魔王様は口を開く。

 

「ところで……そこの女は……」

「わ、我が国の伝説の聖女……『星の乙女』の力を持つ少女ですが……?」

 

 視線で彼女を指し、尋ねる魔王様に陛下は答える。

 国王陛下とは香水を使っていた時期に交流はなかったから、効果を受けてないから訳が分からず戸惑っているけど、その困惑を無視して魔王様は、お連れの確か弟さんを連れて壇上から降りてくる。

 

「……クリムト、生きてる。

 レミリア、本当にRTA達成したんだ」

 

 レミリアさんがしてきたこと、してくれたことの成果を目の当たりにして、彼女の心がどんどん軽くなっていくのを感じ取りながら、わたしは(お願いお願いお願い!!)と、祈るのが怖いからただ願い続ける。

 

 どうか、どうか、わたしの体とか名誉だとかはどうでもいいから、

 なんならわたしこそがこの人を不幸に陥れた悪魔として、今すぐに地獄に落ちていいから、

 

 この人が悪魔にならないことだけを願い続ける。

 

 魔王様は静かに彼女に歩み寄り、鳥肌が粟立つような魔力を徐々に広げながら、彼女を見下ろして僅かに眉根を顰めて呟いた。

 

「……いい、『お飾り』に『した』ようだな」

 

 嘲りと同情の言葉に対し、彼女は何も言わない。

 何も言わずに、短いベールで顔が隠れないように、隠すつもりもなく、上を向いて、魔王様の顔を、眼を、真っ直ぐに見据える。

 

 何かを見定めるように。

 何かを見抜くように。

 

 お互いがそんな風に見つめ合う奇妙な空気と時間に、周囲が戸惑い始め、魔王様は改めて口を開く。

 

「ときに、娘よ。

 お前から、我が国の禁輸薬物を求めた者へ、囮に掴ませた香水の香りがするのだが、魔族に対する敵対行動とみていいのか?」

 

 魔王様の発言と、傍のクリムトさんが剣をいつでも引き抜けるように手をかけたことで、周囲がざわめいて、なんの期待もしてなかった王子様達はまた更に彼女からの距離を取る。

 

 ざわめきは一瞬。動けたのも一歩だけ。

 衣擦れの音や呼吸の息遣いさえ聞こえない沈黙が落ちる。

 

 桁外れの魔力が、もう隠す気もなく晒してぶつけてくることで、呼吸も瞬きも出来なくなっている。

 そんな魔力に、一番近くに晒されて、それでも彼女は、立っている。

 

 彼女をこの地獄から逃げ出せない、閉じ込める檻のようなドレスと、鎖のようなハイヒールで、その重みにも足の痛みにも負けず、彼女は背筋を伸ばして相手を、魔王様をまっすぐに見据えて言った。

 

「だとしたら、どうするの?」

 

 怖いに決まってるのに、それでも彼女は覚悟したから。してしまっているから。

 

「私が、魔族に敵対して、彼女のしてきた事を台無しにするとしたら、あなたはどうするの?」

 

 信じている。けれど、不安で仕方がないから、答えを求めて問う。

 

「私が、愛人と共謀してこの国を、王子達を呪ったように!!」

 

 真実を見抜く魔王様の眼を、彼女こそが真実を見定めようと真っ直ぐ射抜くように見て、一世一代の大嘘をついて問う。

 

「あなたも籠絡して彼女からの全てを奪うつもりだったのなら、どうするって言うんだ!?」

 

 けれどそれは、彼女が決めた覚悟から程遠いもの。

 あの日、血化粧で覆い隠したものが、洗い流れるように晒してしまう。

 

 傷だらけのその心のままに、自分の傷の痛みよりも大切な「彼女」が心配で仕方ないから、魔王様に問う。

 お前は本当に、彼女を信じて守ってくれるのか?と。

 

 彼女の叫びに、その言葉の裏にどれほどの覚悟と痛みがあるかを知らない周りは、ざわめき出す。

 

 彼女の星の乙女としての活動や、うろ覚えの前世の知識を周りの人に聞いたり勉強したりして活かしてきたからか、周囲全員が彼女の言葉を信じた訳じゃない。

「まさか」「ありえない」と言って戸惑い、小声だけど魔王様に「何かの間違いじゃ……」と言ってくれる人もいる。

 

 忌々しそうな非難の視線や、「やっぱり……」「俺たちは騙されていたんだ」と被害者ぶるのは、皮肉な事に彼女が何を言っても、「君は悪くない」と望んでいない甘やかしを続けていた人たち。

 

 確かに彼らは香水の被害者だ。

 けれど、魔王様の話を聞いてた?

 

 あの香水は、ゼロから好意を生やすのもじゃない。

 芽生えたものを何倍にもしてしまうものだと魔王様も断言してくれたのに、彼女のことを好きだったのは確かなのに!

 今更、どうしてこの人にそんな眼を向けられるの!?

 

「––あぁ」

 

 わたしの泣き叫びたい気持ちは、魔王様の思わず溢れたと思える声音で消え去った。

 

「こんなにも、苛烈で真っ直ぐで美しい『嘘』は初めてだ」

 

 真実を見抜く目が、柔らかく細められる。

 傍のクリムトさんも剣から手を離し、今にも泣き出しそうな顔で、それでもまるで安心させるように笑いかけてくれる。

 

 今すぐ血飛沫が飛んでもおかしくないと、周りが思っていた予測とは裏腹に、魔王様は、彼女が、レミリアさんが選んだ人は正しく彼女の問いに、「彼女を信じて守って」という懇願に、応えてくれた。

 

「非礼を詫びよう。

 そして、貴女に礼を伝えたい」

 

 魔王様は周りに説明をする気はサラサラなく、戸惑うしか出来ない彼らを無視してその場に、彼女に対して膝をつき、頭を下げた。

 その行動にまた更に周囲は理解できず「どういうことだ」と騒ぎ出し、流石に彼女もわたしもここまでされるとは思っておらず、ポカンと魔王様の下げた頭の角とつむじを眺めていた。

 

「ありがとう。『星の乙女』、ピナ・ブランシュ。

 ……いや、『我が恩人の親友』よ」

 

 下げていた頭を上げ、彼女を見上げながら魔王様は告げる。

 

「貴女が彼女を信じ続けてくれたおかげで……、貴女が『魔族が隠れず、堂々と幸せに生きて行ける世界』を望んでくれたおかげで、俺は彼女と出会い、我が国は救われた。

 貴女がこの地獄に折れず、自身を犠牲に彼女の尊厳を守り抜いたおかげで、彼女はここまでくることができた。

 ……いくら言葉を尽くしても、この感謝の念全てを伝える事はできないだろう」

 

 彼女がしてきたことで、築いたものを。

 彼女が耐え続けた事で、守れたものを。

 それら全てを讃え、感謝して彼は教えてくれた。

 

「だから、これは俺ができる精一杯の、貴女への返礼」

 

 真実を見抜く眼を持つ人が、断言する。

 

「安心して欲しい。 ––––全部、全部嘘だ」

 

 嘘。

 全部、嘘。

 

 その断言を、答えを聞いた瞬間、彼女はその場にペタンと座り込む。

 

 今までこの重さを支えていた、耐えていたものが、張り詰めていたものがぷつりと切れて、足に力が入らず、腰が抜けたように座り込んでしまった。

 

 その様子を魔王様とクリムトさんが、かなり焦って心配して、「大丈夫か!?」と声をかけてくれた。

 そして訳のわからない魔王様の言動についてゆけず、周囲はもはや騒ぐこともできずにポカンとしている。

 

 そんな周囲はもちろん、心配してくれている魔王様達も彼女は眼中に入れる余裕はない。

 ただ、答えを噛み締める。

 

「嘘……全部……嘘……嘘だったんだ……嘘で……良かったんだ…………」

 

 確信していた。確信していると言い聞かせていた。

 それでも、不安で怖くて仕方なかった、消したいのに消すことが出来なかった可能性をやっと……やっと消し去ることが出来て、彼女はボロボロと涙を溢し、泣きながら心からの声をいつものように、昔のように、思ったことをそのままノータイムで口にする。

 

「良かった……良かったよぉ……、無事で……あ、あんな酷い目に……遭ってなくて…………」

 

 子供のように泣きながら、それでも笑って、心からの安堵を口にする彼女に、魔王様とクリムトさんは痛ましげだけど、それでも彼らも少しは安堵してくれたように微笑んだ。

 そして、魔王様が立ち上がったタイミングで、凛とした声が会場に響く。

 

「えぇ、全て……あなたを苦しめた地獄は、あなたを縛りつけた鎖は、真実なんて何もない虚言よ」

 

 いつからいたのか、会場の端の仕切りカーテンの裾から、ミュージカルの舞台袖から現れるように、静かに、厳かに、堂々と彼女は現れる。

 

「だから、これが最後の仕上げ。

 あなたがわたくしを守る為、あなた自ら繋がれ、自身を傷つけ続けた鎖を今、断ち切りましょう」

 

 完璧な淑女。柔らかい微笑み。

 だけどその眼の苛烈な光は、エミさんが持ちえないもの。

 世界を滅ぼすことも厭わない強さと覚悟を持つ、愛に深い人はまっすぐに彼女を見て、手を差し伸ばして告げる。

 

 

 

「ずっと……ずっと待たせてごめんなさい。

『わたくしの親友』!」

 

 

 

 その言葉の意味を、そこに込められたものに気づけないほど、この人は鈍くない。

 むしろとっても察しがいい。

 だからこそあなたはそう言ってくれたということもわかっているから。

 

 だから彼女は、涙を拳で拭って言った。

 

 

 

 

「––うん!

 信じて……待っていたよ、『レミリア』!!」

 

 

 

 

 レミリア『様』ではなく、敬称略で、エミさんと彼女を語っていた時と同じように呼ぶ。

 エミさんではなく、あなたも間違いなく親友だと。

 彼女と同じように。

 

 その答えに、レミリアさんは満面の笑みを浮かべてくれた。

 エミさんによく似た、けれど間違いなく『エミさんのレミリアさん』ではなく、レミリアさん自身の笑顔だった。

 

* * *

 

「レミィ……、『待ってて』は……ピナにだったのか……」

 

 レミリアさんの言葉に、今更になってウィリアルド王子は、彼女が追放される際に残した言葉が誰に向けられていたのか、どういう意味だったのかを知ったらしく、ショックを受けたような顔色で呟いた。

 

 リリン酒で香水の効果がなくなったのに、レミリアさんの「待っていて」は彼女に向けての言葉だと知ってショックなのは、やっぱり香水の効果はあくまで、好感度をあげるだけ。

 視野を狭くしたり、変な思い込みをするような効果はない。そんな効果があるなら、今更ショックは受けない。

 彼女に対する過剰だった好意が、なくなると同時に気づくはずなんだから。

 

 少しは期待したけど、やっぱり同情の余地を自分から無くし続けるウィリアルド王子に、元婚約者にレミリアさんは一瞥もせず、国王陛下に向かってまずは一礼。

 

「国王陛下、お招きいただきありがとう存じます」

 

 まずは招かれたことに礼を言いつつ、それは簡単に終わらせて、彼女は続けて詫びる。

 

「それと、この場に混乱を招くような言動をアンヘル様が取ったことは、わたくしが頼み込んで行ってもらった茶番劇です。

 国交樹立という喜ばしい場に、不躾な真似をした非礼による罰は、わたくしが全てお受け致します」

 

 深々と頭を下げて謝罪の意思を見せてから、レミリアさんは顔を上げ、揺るがない凛とした声音で国王陛下に有無を言わさず告げる。

 

「しかしその罰は、全ての真実を明らかにし、この国の『呪い』を全て解き放ってからにしていただきたい」

「の……呪い?」

 

 状況を当然ながら把握し切れていない陛下が、困惑の声を上げると、それに便乗するように一人の男の人が叫び出す。

 

「の、呪いならもう解けた!

 全部、その女のせいじゃないか!! そこの平民エセ聖女のせいで、僕たちはおかしくなってたんだ!!」

 

 彼女を指差して喚くその人に、見覚えはある。

 学園にいた頃、私物がなくなって困っていた時に話を聞いてくれて、一応近くを一緒に探してくれた貴族令息だけど、彼は「忘れたのかなくしたのか盗まれたのかもわからない」と彼女は確かに言ったのに、王子達に「レミリア嬢が盗んだ可能性が高い」と報告した。

 

 彼からしたら、彼女がエミさんを庇っているように見えたのかもしれない。

 嘘のつもりなんかない、彼にとっては事実だったのかもしれない。

 

 それでも、勝手に曲解した内容を報告しておいて、それを今度は彼女のせいにして逃げようだなんて許せない!!

 

「おかしくなっていた?

 それは、どうおかしくなっていたんだ?

 平民だと見下していた相手に、笑顔で挨拶してされたことに舞い上がるほどの喜びを感じたことか?

 それとも、次期王妃は無知な平民の方が都合がいいと、レミリア様から鞍替えしてレミリア様の悪評を流すという判断のことか?」

 

 わたしの怒りを代弁するように、怒りを必死で押し殺しているような声音で、彼は現れた。

 大きなトランクを持って、……あの頃とは違って頭巾で耳を隠していない。

 堂々と人とは違う、魔族の証を晒してその人は出てきた。

 

「…………店主……さん?」

 

 まだ座り込んで立てないまま、彼女はポカンとその現れた人を見つめ、呟いた。

 同時に私の中に流れ込む、歓喜。

 

 レミリアさんに会えたこと、あの話がぜんぶ嘘だったのはもちろん嬉しかった。

 けれどそれは、ほぼ確信していたものであり、予測はできていたもの。

 

 この人との再会は、予測なんてしていない。期待だってしたら傷つくだけだった。

 だからただ、可能性に縋っていただけ。

 

 デイビッドさんが頼んでもないのに、店主さんの店を敵発しに行ったらもぬけの殻だったという話を聞いてから、レミリアさんが先回りをして助けてくれた、あの人は無事だと信じることしかできなかった。

 

 そんな人が、この場にいること。

 レミリアさんの隣に堂々と並んで立っていること、彼女から信頼の視線が向けられていること、……そして何より、あの人は怒ってくれたこと。

 

 香水の効果とはいえ、確かに好意を抱きながらも、それ以上に自分のことしか考えず、欲望のままに動いておきながら、その責任を果たそうとせず、更に彼女を傷つける相手に対して店主さんは、怒ってくれた。

 彼女を、レミリアさんと同じように守ろうとしてくれた。

 

 そのことをわたしも、そして彼女も喜び、嬉しくて嬉しくて、あいつによって失い続けたものを取り戻す。

 

「……え? 店主さんの礼服がチャイナ風って最高かよ」

「「うん?」」

 

 待って、いきなり元気になりすぎ。嬉しいのは何よりだけど、ちょっと黙って。

 

 店主さんの無事が確認できたことで色んな緊張の糸が切れたのか、いきなり本来の彼女らしくなりすぎて、思わずわたしは突っ込む。

 幸いながら彼女の悪癖は小声で呟く程度に改善されていたので、ほとんどの人には聞こえなかったみたい。

 でもすぐ近くにいた魔王様兄弟にはばっちり聞こえていて、思いっきり困惑されてしまった。なんか、ごめんなさい。

 

 ただもしかしたらレミリアさんから事前に彼女の悪癖は聞いていたのか、困惑しつつも彼女の発言をスルーして、魔王様は国王陛下に向き直って説明をし始めた。

 

 まず、こうなってしまったきっかけにして元凶と言える、香水について。

 それが魔国のとある調合師が作ったポーションで、彼の魅力の魔力が僅かに移っていたそれが、魅力の香水として商品化されていたことを説明しつつ、それを売るしかないほど魔国は困窮していた事を告げて、魔王様直々に謝罪し、彼に続いてレミリアさんと店主さんが彼女側の事情を軽く話し、その香水を使うように後押ししてしまった事を告白し、二人も謝罪する。

 

「……ですが、この香水の効果はあくまで、その人に好感を抱きやすくするもの。

『星の乙女』の加護により、通常より遥かに強力な効果だったのは確かですが……性格が変わる、他者を嫌うなとどいった副作用などはありません」

 

 けれど、彼女たちはただ自分の非を認めるだけで済ます気はない。

 わたしたちや魔国そのものに全部押し付ける、無責任で卑怯な真似はさせない。

 

 魔王様は国王陛下に、この国を未だリリン酒でも解呪できず、蝕んでいる呪いを解くために、真実を明らかにしたいと告げる。

 過去の水鏡という、過去の出来事を、真実を映し出す魔法で誰が何をして何が起こったかを……あの日の茶番の真実を曝け出す。

 

 もちろん陛下も、自分の息子がレミリアさんにしたことが冤罪で追放だと流石に気づいたらしく、それを明らかにさせない為にどうにか誤魔化そうとするけど、王妃様は凛然と「なりません」と言って阻止。

 

「わたくしたちは、たとえそのようなつもりはなくとも、星の乙女に感情を操られていたと知らされたばかり。

 この場は国交樹立の親善の場。このままでは疑心暗鬼に陥り、お互いに手を取り合う未来を築くなど不可能となります。

 だからこそ、今、この場で、すべての証人に真実を」

 

 王妃様は静かに、それでもはっきりとレミリアさんたちのすることを支持してくれた。

 この方は知っている。信じてくれている。

 彼女がエミさんと親友だったこと、彼女の立場を奪うことなんて望んでいなかったことを知っていて、だからこそ王妃教育という名目でウィリアルド王子から彼女を離して、話を聞こうと何度もしてくれた。

 

 ロマノのせいで何も話せなかったけど、とても厳しくていつもエミさんと比べられたけど……、エミさんと比べるふりをして、エミさんの昔話を話してくれる、エミさんの話をしたら自分のことのように嬉しげに微笑むような人だった。

 

 彼女を責めるような口ぶりで、彼女の名誉を回復させようとしているのがわかった。

 わかってしまったからこそ、わたしも彼女もなくして随分経つ罪悪感が蘇る。

 

 ……ごめんなさい、王妃様。

 あなたの息子を、ウィリアルド王子をわたしたちは王太子から引き摺り下ろします。

 彼女を救う為に、彼を犠牲にします。

 

「王妃陛下、感謝致します」

 

 レミリア様が深々と、明らかに国王陛下に対してより深く頭を下げてから、隣の店主さんが開いた鞄の中から宝石……大きなレミリアさんが精製したであろう魔晶石を受け取って、掲げる。

 

「それでは皆さま、ご覧ください。

 あの学園で、何が起こっていたか。声を枯らすほど叫んでも届かなかった……二人の少女の訴えを!!」

 

* * *

 

「嘘だ嘘だ! こんなの捏造だ!!」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」

「違う! 誤解なの!! 信じて!!」

「俺は悪くない! あいつが香水を使ったから!!」

 

 いくつもいくつも、空中に投影される過去の映像。

 彼女の話を曲解して周りに吹聴する者。

 存在していない嫌がらせの瞬間を見たと主張する者。

 彼女にエミさんが言ってもない悪口を言っていたと吹き込んで、仲違いさせようとする者。

 

 あまりに多くの、幼稚で浅はかな言動のツケを今、支払っている。

 好意の暴走というより、好意を免罪符にして自分の欲求のままに動いた人々が、自分たちは悪くないと主張するけど、この学園の件に関わっていない、そしてまともな人達は皆、あの日のわたしたちと同じ目をしている。

 

 同じ言語で話しているのに、話が通じない恐怖に慄く目。

 香水の効果なんかじゃない。少なくとも、彼女が望んだ効果なんかじゃないことは、次々と映し出される映像で理解できたからこそ、彼らの言動が信じられないのだろう。

 

 何度も何度も、嫌がらせなんかされていないと訴えたのに、それをヘラヘラ笑って聞き流す自分たちを見て、王子様たちは呆然と呟いた。

 

「全部……証言も……証拠も……全て……嘘。

 ……嫉妬で嫌がらせをするレミィなんて、……僕を愛しているからこそ、嫉妬するレミィなんていなかったんだ」

 

 その呟きに、彼女と魔王様は鼻で笑ってから、お互いに目をキョトンと合わせてちょっと苦笑。

 お互い、思ってることが一緒だってわかったんだろうね。

 

 何を今更なこと言っているんだ、って。

 レミリアさんことエミさんなら、愛しているから信頼して、だからこそ嫉妬なんてしない。

 あの人を知っていればそれぐらいわかったはずなのに、あなたはそれぐらい人間ができているエミさんよりも、嫉妬で人を傷つける醜い欠点がある方が、コンプレックスを感じず、見下せるから望んだくせに。

 

 嫉妬と解釈して仕方ない行動を確かに取ってはいたけど、それでもあなたがエミさんにしたことは最低以外言いようがないことだと、ようやく自覚したらしい。

 

 だからかレミリアさんも一瞬だけこちらに視線をやり、彼女と魔王様の反応を見て少しだけ笑ってから、表情を引き締める。

 王子様たちに対しては一旦ここで切り上げて、彼女は傍の店長さんと一緒に、「本命」にとりかかる。

 

「わたくしにかけられた、星の乙女の殺人未遂ですが、その時の映像はこちら」

 

 まずは彼女がエミさんから保護という名目で引き離されて、謝りたくても謝れない状況が続き、ようやく纏わりつく人達を振り払ってエミさんに話しかけようと、謝ろうとしていた時の映像。

 運悪く、彼女がエミさんを見つけて追いついたのが学園の大きな中央階段で、エミさんは階段を上がっている最中だった。

 

 同じように駆け上がって呼びかけて、エミさんが気づいて立ち止まって振り返った時、勢いをつけて駆け上がっていたから彼女は、立ち止まったエミさんとぶつかりそうになって、それで階段から足を踏み外した。

 階段から落ちる彼女を、エミさんは悲鳴を上げて手を伸ばし、助けようとした。

 どう見ても、彼女が傷つく事を恐れて、必死で助けようとしている顔だった。

 

 誰がどう見てもただの不幸な事故である証拠を見せつけ、エミさんへの糺弾と追放がいかに不当だったかを証明し、そしてそのままエミさんが自室で泣いている映像となる。

 

「これは、彼女が階段から落ちたその日の夜の映像です。

 わたくしは彼女を助けられず、大怪我を負わせてしまった事、そしてそれを故意にしたとウィリアルド殿下に思われたことがショックで、一晩中謝罪をしながら泣いておりました」

 

 説明しながら、レミリアさんは店主さんから別の魔晶石を受け取って、映像を切り替える。

 そこに映し出された男を見て、彼女は一瞬息を呑み、びくりと肩を震える。

 

 その様子を案じて、クリムトさんが手を伸ばしたけど、彼女に触れなかった。

 何かに気づいたように伸ばした手を彷徨わせ、どうしたらいいか困り果ててオロオロしているのを、魔王様は「何もするな」と言うように手で制して、一歩下がらせた。

 

 どちらも酷く傷ましげな顔、あなた達は何も悪くないのに、罪悪感に苛まれるような顔をしていた。

 そしてレミリアさんも、自分が傷ついたような、酷く悔やむような顔でこちらを見つめる。

 

 店主さんは、無表情。

 だけど、その手からポタポタと雫が落ちるのが見えた。

 血だ。拳を強く握りすぎて、自分の爪が掌に食い込んで血を流している。

 

 わたしだけじゃなく、彼女もその押し殺した怒りに気づいた。

 だから、レミリアさんが彼女を気遣って何かを言いかけたのを遮って、まだ立てないままだけど、それでもはっきりと言った。

 

「レミリア、店主さん。

 私は大丈夫だから、続けて」

 

 その言葉に、レミリアさんは頷いて映像の男、ロマノを見据える。

 店主さんは逆に、無表情が崩れて今にも泣き出しそうな顔になってしまった。

 

 やめて。あなたは何も悪くないの。

 あなたは、あなたの存在がいつも彼女を救ってくれていた。

 だからどうか、無力だなんて自分を責めないで。

 

 彼女にすら伝わらないわたしの声なんて、当然店主さんには届かない。

 

「店主さん……」

 

 彼女の案じる声も、あの人から罪悪感を減らすどころか増やすだけで、もうお互いに何も言えなかった。

 

「わたくし達は、自分たちの浅はかな考えで行った事で起こった悲劇の責任は取ります。なかったことになどさせない。

 ですが、……香水さえなければこれは、起こらなかった悲劇だとは思えません。

 香水がなくとも……、いえ、香水があっても、本来ならこんなにも愚かな結末にはならなかった。

 ……彼が、この、わたくしの護衛の仕事を放棄し、朝まで屋敷に戻らず遊び歩いていた、ロマノ・ドール・マルケロフさえいなければ!!」

 

 レミリアさんが、この国を、自分たちを蝕んだ「呪い」として奴の名前をあげると同時に、バン! と音を立てて扉が開く。

 

「何をしやがる! 離せ! 離しやがれ! 俺を誰だと思ってる!? 俺は星の乙女の……」

 

 唾を飛ばして喚きながら、拘束されて入ってきた男の言葉が途中で止まる。

 魔王様の前で座り込む彼女や、空中に大写しで投影されている、賭け事に興じている自分の姿、そしてそれを映し出している美しい人に気づいて、顔から血の気が一気に下がってゆくのが見えた。

 

「国王陛下、突然見苦しいものを見せて申し訳ありません。

 しかし、この全ての元凶たるこの男が……魔王陛下を利用した星の乙女の殺害計画を立て、失敗すれば逃亡を企んでいるという情報を掴んでいた為、こちらの方で確保・捕縛させていただきました」

 

 言葉を失うロマノを、後ろから拘束して連れてきたのは、学園でほんの少しだけ交流があった、そしてお城でしばらく彼女の護衛をしてくれていた先輩であり、女性近衞騎士だったスフィアさんだった。

 

 スフィアさんには彼女も懐いていて、王宮にいた頃に香水のことを実は正直に話して、それでも彼女は、「君は悪くない。親しくなったきっかけは確かに香水かもしれないが、そんなの関係なく私は君を守りたい、大事な後輩で妹分だと思っている」と言って、精神的にも支えてくれていた。

 

 だけど事情を知ったからこそ、婚約者のデイビッドさんへの愛想が尽きて、レミリアさんの冤罪を晴らそうと訴える声を、彼女の実家は握り潰し、スフィアさんを黙らせる為にデイビッドさんとの結婚を早めようとしたから、彼女はスフィアさんをレミリアさんの元へ送り出した。

 スフィアさんがレミリアさんの元に就きたがっていたのを知っていたからこそ、「私は大丈夫」と笑顔で送り出したんだ。

 

 彼女がその笑顔に騙されてくれないことを、百も承知で。

 それでもスフィアさんは、ここに残っても何もできず自分も囚われるだけだと判断し、彼女も「待っていてくれ」と告げて去って行った。

 

 その約束を、彼女も果たしてくれたんだ……。

 

 わたしはわたしの願い以上に、信じたよりも多くの人達が、香水なんか関係なく味方になってくれて、助けに来てくれたことを泣きながら喜ぶ。

 そして彼女も、スフィアさんとの再会に身を震わせて喜んだ。

 

「スフィアさん……民族調の軍服っぽい礼服カッコいい……。すごくヅカっぽい……」

 

 いやこのタイミングでそこを喜ばないで!

 元気になって元のあなたらしくなってくれて本当に嬉しいけど、今はまだもう少し元気なくしてて!!

 あぁ、もうクリムトさんも「ヅカ?」って、拾わなくていい情報拾って困惑しちゃってる!!

 

 困惑しつつも、クリムトさんと魔王様は彼女の前に立ち、彼女から、そしてロマノから、お互いが見えなくなるよう壁になってくれた。

 あの本当、お気遣いありがとうございます。

 

 わたしが色んな意味で脱力しちゃってる間に、ロマノの方が少しは状況を把握して冷静になったのか、それともわからないことだらけすぎて逆にパニックを起こしたからか、失っていた言葉を取り戻してまた喚き出す。

 

「ち、違っ! 俺は何も、殺人なんて……」

「嬉々として乗っただろうが」

 

 けれど最後まで言わせない。

 真実なんて何一つない言葉なんて、もう吐かせないという意思が見て取れる、冷たい声音でその人は行った。

 

 コツコツと足音を鳴らして、歩み寄る。

 両手から、強く強く握った拳から血を滴り落としながら、店主さんはスフィアさんに拘束されたあいつの前に立ち、言った。

 

「レミリア様と彼女が再会したら、お前が彼女に吹き込んだ嘘は全部露見する。

 だからお前は口封じのために、自分の手を汚さず、魔王陛下を利用して彼女を殺すという俺の口車に、ヘラヘラ笑って乗っただろうが!!」

 

 近くで顔を見たからか、自分の計画を具体的に暴露されたからか、ようやく奴は目の前の魔族が何者かを理解したけど、理解したからこそ盛大に困惑する。

 そしてそれは周りも同じ。

 店主さんが言ったことが事実ならば、彼がここに、レミリアさん側にいることはおかしい。

 

「お前……あの店の店主!? なんで、どうしてお前が……裏切りやがったな!!」

「彼は初めからずっと、『こちら側』よ、ロマノ」

 

 そのおかしさを指摘し、そしてレミリアさんが静かに、冷たく答えた。

 

「あの香水は、罠。

 その罠の獲物は、彼女でもアンヘルでもない。初めから、あなた一人よ」

 

 元の主人からの答えに、あいつは理解が及ばず、「何を言ってるんだ、この女は?」と言いたげな顔で睨みつけた。

 えぇ、あなたにはわからないでしょうね。

 誰かの為に悪役を演ずる人の気持ちも、覚悟も。

 

「レミリアの言う通り、禁輸薬物を求めた者に渡す囮の香水というのは事実だが、それをわざと俺たちはそこの男に渡した。

 こんな男に、レミリアは最後の温情として選択させてやったんだ。

 星の乙女殺人未遂、それも主賓たる俺を利用しての国家反逆罪を負うか、それとも良心でなくても、怖気付くでもいいから計画に乗らないか。

 後者ならせめて内々で済ませるつもりだったが……、これほどの卑劣な男ではこれぐらいしないと、レミリアの親友たる彼女の名誉は回復しないし、こいつによる地獄の日々に耐えたことも、その地獄以上の覚悟も浮かばれない」

 

 魔王様直々に補足してどういうことか説明してやっても、やっぱり根本から認知が歪んでわたしたちと常識が違うからか、あいつは理解できたようには見えない。

 ただ最後の方のセリフで、自分が彼女に何をしたか、それはとうにバレていることだけは察したのか、急に暴れて「違う!」と喚き立てる。

 

 その喚きを無視してスフィアさんは、ロマノを前に倒して膝で背中の中心を押さえつけて動けなくし、ついでに顔を床に押し付けることで黙らせた。

 

「……星の乙女様。

 これから……あなたが奴に脅された時の映像を流し「大丈夫です」

 

 あいつが少しはおとなしくなったタイミングで、クリムトさんは顔だけ振り返ってこれから何をするのかを伝えて切る前に、彼女は即答した。

 

「流してください。

 もう二度と、私のような被害者が出ないように。どれほどの卑劣で最低なことだったかを知らしめてください」

 

 まだ立ち上がれない。それぐらいに傷ついて傷ついて、もう折れる寸前の限界だったのに、それでも彼女はあの覚悟を、今もなくしていない。

 

 嘘だとわかっても見たくない、もう聞きたくない話を鮮明に再現することを、迷いなく求めた。

 

 そんな彼女の意志にクリムトさんはしばし目を白黒させてから、彼も覚悟を決めたような顔をして、レミリアさんと店主さんに視線を向ける。

 

 レミリアさんは、クリムトさんと同じ顔をして頷き、トランクからまた別の魔晶石を取り出す。

 店主さんはあいつを見下ろして睨みつけるのをやめ、あいつから陛下やウィリアルド王子、そして他の来賓たちに向き直り、告げる。

 

「……最初に謝罪した通り、彼女に香水を勧めて売ったのは、私です。

 この香水に関しての罪は、私が背負うべきであり、レミリア様や彼女は……被害者だ。

 例え罪があったとしても、それは学園での出来事が過剰すぎる罰となっているはずだ!!

 だから……だから……頼むからもう、責めるのなら、罰するのならば俺だけにしてくれ。

 もう……もうこれ以上、あの子を苦しめるな! 頼むからあの子をこの地獄から解放してくれ!!」

 

 貴族も相手する商人だからか、敬語とかそういう言葉遣いは完璧だった……、店で「店主さん」として話していた時は掴みどころがない人だったのに、店主さんはもう敬語なんて使っていられず素の口調となって、もはや悲鳴のような声で周囲に訴える。

 

「……今から流す映像は、特に未婚の女性にはショックが強すぎます。退出か、耳を塞いで目を閉じることを勧めます」

 

 その訴えに、レミリアさんは悲しげに目を伏せてから前置きをし、流す。

 

 あの茶番の断罪劇が起こった夜。

 お城の厩舎の裏で行われた、地獄の始まりを。

 

 

 

『いや……いやあああああぁぁぁっっ!!』

 

 

 

 誰にも届かなかった彼女の絶望の悲鳴が、王宮に響き渡った。

 

* * *

 

 一通りの映像が、あの日の再現が終わった頃には、会場は啜り泣きの声で溢れていた。

 レミリアさんが前置きで見ないことを勧めたのに、好奇心で見てしまった同世代の女性だけじゃない。

 女性のほとんどは泣いているか、顔面蒼白で言葉を失っている。

 

 男性も顔色を真っ青にさせて、吐き気に耐えているような人は少なくないし、泣きながら怒っている人もいる。

 きっと、わたしたちぐらいの年の娘さんがいる、お父さんなんだろう。

 

 それぐらい、あいつは指一本彼女に触れていないのに、彼女の心を何度も何度も殺して地獄に落としたことがわかる、生々しくて悍ましい話だった。

 

「……事前に見せた映像でわかるように、彼がわたくしを襲ったという日時、彼は護衛という仕事を放棄し、屋敷にすらいませんでした。

 よって……彼女をここまで傷つけた脅迫内容は全て……嘘です」

 

 レミリアさんだって、自分を話の中、想像の中と言っても、辱められて、陵辱の限りを尽くされて、尊厳を踏み躙られたというのに、それでも彼女は自分よりエミさんと、エミさんと自分の親友に対して怒り、その怒りを何とか堪え、冷静に話そうとしているのが伝わる声音だった。

 

 もうわたしには、レミリアさんが今は「エミさんのレミリアさん」を演じているのかどうかもわからない。

 業火のような苛烈な怒りはエミさんらしくない、レミリアさんのものだけど、エミさんだって親友がこんな目に遭っていたことを知ったら、絶対に許さない。

 

 あの悪意に弱くて、争いを徹底的に好まない人でさえ、こいつが地獄に落ちることを望むし、その為に行動してもおかしくない。

 それほどのことをしたというのに、悍ましいことに本人は相変わらず、そのことを理解できない。

 

 自分が嘘をついていたことも、相手を騙していたことも、明確に相手を傷つけて痛めつける為にした自覚はあるのに、それの何が悪いのかを、この男は本気でわかっていない。

 

 悪事を悪事と認識してないのではなく、他の人が行えば裁かれるべき悪事だと正しく認識できてるし、自分がその被害に遭えば、声高に被害者であることを主張して、相手の罪をより重くさせようとする。

 だけど、自分が行うのは全て例外。

 悪事ではなく、仕方なくやること、許されること、許されないのがおかしい、特別扱いされて当然だと思っていることを、わたしたちは思い知らされた。

 

「いや、違っ! これは捏造だ! 男に捨てられて追放された腹いせにそいつが……」

「この夜会前に証言を撤回、訂正している生徒は、元を辿ればお前から頼まれた、悪い噂を吹き込まれたと証言している!

 また! 星の乙女が鍛錬で入ったダンジョン内で発見した宝飾品や魔物の素材を、お前が換金してそのまま賭け事や娼館に使っていたという調べも上がっている!!

 これらも貴様は捏造だというのか!?」

「そうだ!!」

 

 レミリアさんを「そいつ」呼ばわりで、無茶な否定をするからスフィアさんが腕を締め上げ、映像だけではない悪事の証拠をあげるけど、奴は即答でそれらも嘘だと言い切った。

 

 ここまで往生際が悪いのは、何事でも判断が早いスフィアさんには理解できなかったのか、思わず言葉を失っている隙に奴は、更に好き勝手喚き出す。

 

「あいつが! あのガキが俺に捨てられたくないから金を渡して、俺はそれをもらっただけだ! それが悪いって言うんなら、あいつだってそうだろ!!

 平民の分際で星の乙女だの聖女だの言われていい気になって、国の金を好き勝手使ってあの馬鹿みてぇなドレス着て、その金を俺に貢いでたんなら、あいつだって犯罪者だろ!!」

 

 誰も、あの映像を見たのなら、あの悲痛な悲鳴や懇願を聞いたのなら、信じるわけがない言い分を喚き、周りの人達はもちろんわたしやスフィアさん、店主さんやレミリアさんまで怒りという感情が追いつかず、ポカンとするしかなかった。

 感情がこいつの言っていることの理解に追いついたら追いついたで、頭が沸騰して言いたいことが出てこない。

 

「違う!!」

 

 わたし達は怒りで何も言えなかった。

 あいつの言葉を否定できたのは、怒りを抱いた者じゃない。

 

「ピナは一度たりとも僕や他の者にも、プレゼントの類いをねだったことなんてない!

 いつも僕たちが勝手に! 彼女の意見も聞かないで渡していただけだ!

 それをどうしようが彼女の勝手であって、決してピナが国費を私欲で使った訳ではない!!」

 

 ウィリアルド王子が……リリン酒を飲んで、香水の影響が消えてから、彼女を憎らしげに睨むか、レミリアさんに未練たらしい視線を向けるかだったのに、彼は真っ青な顔色で奴の、ロマノの言い分を否定する。

 

 悪いのは自分だと、国費を無駄に使って彼女に浪費家という汚名を着せていたことを認め、彼女が奴に脅されて渡していた金品は、決して国費の横領ではないと主張する。

 

「そ、そうだ! 俺たちはピナに何度もいらないと言われたのに無理やり渡してた!

 無理やり渡されたものを脅し取られたことが罪になるか!!」

「このドレスも、僕たちが勝手に手配したものだ! 彼女は今日、初めてこんなにも贅を尽くしてしまったものを見て絶句していた!」

「ピナは生活必需品くらいしか、国に費用を申請していない! それすらも、鍛錬で訪れたダンジョンでの戦利品でら賄おうとしていた!」

 

 王子様の主張をきっかけに、デイビッドさんやステファンさん、クロードさんも口々に、彼女の浪費癖と思われていたものは、全部自分たちの自己満足で贈っていたことを認め、彼女は例え脅されても国費そのものに手をつけていないと主張する。

 

「ピナ……手が、震えていたのは……緊張ではなく……怖かったんだな……。

 僕が……男が……怖くて仕方なかったんだな……」

 

 真っ青な顔色のまま、自分の両手を見下ろしてウィリアルド王子は呟く。

 今更になって気づいたこと、今まで見向きもしなかったことを、あの映像で、彼女が耐え続けたものを知って、ようやく向き合った。

 

「すまない……すまない……ピナ。

 気づけなくて……話を聞かなくて……、君はちゃんと僕にも、レミィにも謝っていたのに……、香水を使う前から……君が良い子であることは……わかっていたのに……」

 

 香水によって狂ったのでも、惑わされたのでもなく、自分が初めから今までずっと話を聞かなかったから、向き合わなかったから起こったことだとウィリアルド王子は認め、泣きながら彼女に詫びた。

 

 他の人たちも同じように、彼女や香水を責めるのではなく、自分たちの行いを悔やんで泣きながら謝る。

 

 その姿で、言葉で、本当に本当に彼女に対して真摯に、誠実に謝っていることがわかるから、彼らは彼女がゲームで知っている、だからこそ仲良くなりたかった人たちと同一人物であることを思い知る。

 

 それでも、彼女もわたしも、彼らに対して罪悪感はもう抱けない。

 ただただ、幼い意地と浅はかな行動でここまで拗れ、誰も望んでなんかいなかった結末に至るしかなかったことが、ただひたすらに悲しかった。

 

「は? はぁ!? いや、そんなわけ無い! その女は税金を使い込んでる!!」

「それは君の方だろう?」

 

 ここで自分の非を認める彼らが、それともいくらでも贅沢できる立場だったのに、それをしなかった彼女が理解できないのか、信じられないものを見る目で奴はまだ、彼女が横領していたと主張するけど、涼やかな声がそのまま相手にその罪を返す。

 

 王妃様の傍に控えていた第一王子のエルハーシャ様が、ゾッとするくらい美しいからこそ、感情が全く読み取れない笑みで、軽やかに告げる。

 

「星の乙女の評判があまりにも両極端なのと、請求される服飾費の割に、あまりに質素な格好ばかりしているのが気になってね、こちらでも独自に調査させてもらったよ。

 結果……そこのクロード君の言う通り、間違いなく彼女自身が申請しているのは生活必需品と、あとは勉学のための筆記用具や本ぐらい。

 それ以外の服飾品や嗜好品の類いの申請は、全部君や君と同じく元グラウプナー家の使用人……主を裏切って陥れたもの達が、代理として申請して受け取っていたね。

 

 ……ウィリアルド達が貢いでいたものが、彼女の希望によるものなのかどうかの客観的事実までは、流石に調べきれなかったけど……どうやらそれも、彼らの一方的な暴走らしいね」

 

 チラリと彼は、異母弟を、酷く何かを悔やむような眼で見て言った。

 きっとこの人は、弟を心から愛して、期待していたとわかる、慈愛による悔恨の視線だった。

 期待していた、愛していた弟の善性が嘘ではなかったことが、嬉しいからこそ酷く、この結末を悲しんでいる。

 

 だからこそ、この人も奴を許さない。

 

「まったく……国費の横領だけでも首一つだと言うのに、我が国の宝たる星の乙女への脅迫、グラウプナー公爵令嬢に対する名誉毀損、王太子であるウィリアルドを謀った不敬罪、そして何より、魔王陛下を利用して星の乙女を口封じで殺害という、両国への国家反逆罪。

 困ったな、君がヒドラでも首が足りない」

 

 いけしゃあしゃあと、戯けるような口調と仕草で、エルハーシャ様は首を切るジェスチャーで伝える。

 お前はもうどう足掻いても、死以外の道はないと。

 

 直接的ではないけど、はっきりとした死刑宣告に奴はスフィアさんに押さえつけられたまま、発狂したような声を上げる。

 

「う、嘘だ嘘だ嘘だ全部嘘だ!!

 俺が死刑ならこいつは! こいつが言ったから! こいつが殺そうって! 許せないって! こいつが俺を裏切ったから!!」

「俺は、嘘なんかついてない」

 

 顔の穴という穴から汚い液体を吹き出して叫び、スフィアさんに大迷惑をかけながら、せめてもの道連れか、それとも本気で自分ではなく相手が悪いと思ってるからか、奴は自分に囮の香水を渡した相手を……店主さんを責め立てる。

 

 その責任転嫁にしても酷い主張に、店主さんは静かに答えた。

 ゾッとする昏い昏い眼で見下ろし、心の底からの悦びと、臓腑が焼けるような憎悪と、血を吐くような後悔が入り混じった笑顔で、彼は告げる。

 

「俺は最初から言い続けていたはずだ。

 ……俺の最も大切なものを奪った奴を、決して許さないと」

「そ、そうだ! だからお前はあの女を! お前の店が焼かれる羽目になったあいつを!!」

 

 最後まで奴が喚く前に、あいつの前髪を自分の血で塗れた手で鷲掴んで、頭を限界までのけぞらせることで黙らせ、店主さんは言う。

 逃げられないように、目を逸らせないように、理解できなくても教え込む。

 

「俺は––あの子から親友を! 青春を! 自由を! 幸福を! 笑顔を奪って地獄に落とした貴様と俺自身を一生許さない!!」

 

 店主さんは自分の一番大切なものは、自分の店でも財産でもなく、……魔族という同胞や、優しいからこそいつも一番辛い役目を担い続けた敬愛する魔王様でも、瘴気の脅威にもう怯える必要はない平和な故郷でもなく……彼女だと、彼女が幸福に生きるということこそが、何よりも守りたかった、大切なものだと言った。

 

 それが……その確かな「愛」が、あいつには何一つ、一番理解できないものだった。

 

「は? はぁ? はあぁぁぁぁっっ?!?

 ふっっっざけんなあぁぁぁぁっっっ!!!!」

『!!??』

 

 発狂して泣き喚いているんだと思ってた。

 違った。

 あんなに見苦しくて、理性も知性も感じられない言動だったのに、あいつはあれでもまだ発狂してなかった。

 

 真に発狂したのは、今、この瞬間だ。

 

「なに今さら良い子ぶってんだてめー!! 殺す殺す殺す!! ふざけんなゴミカス人間もどきのバケモンが!!」

 

 自分と同類の下衆だと思っていた相手が、最も理解できない清廉な人であると、理解できないからこそ思い知ったことで、奴は本当に狂った。

 

 護衛なんて名前だけで、鍛錬なんて全くしてないから、女性で体格も勝ってるはずのスフィアさんに捕まって、全く逃げ出せなかった。

 だけど、発狂してあらゆるリミッターが外れたからか、押さえつけていたスフィアさんが跳ね除けられて振り払われ、あいつは店主さんに襲いかかった。

 

「!? 店主さん!!」

 

 悲鳴のような声を彼女は上げ、手を伸ばす。

 ハイヒールで痛む足も、重すぎるドレスも、心の痛みで弱りきった体も、その時は関係なく立ち上がれた。

 だけど、彼女は店主さんの元へ辿り着けなかった。

 

「なんで俺がこんな目にあんなクソガキのせいで!! 女なんて股開いて男に尻振る以外の価値ねーだろ!? なんでそんなくそビッチのせいで俺が俺が俺がああぁぁぁっ!!!!」

 

 支離滅裂なのに下品で、下衆で、悍ましい言葉を吐き散らして、店主さんに掴みかかる。

 幸いながらエルハーシャ様の護衛で、デイビッドさんのお兄さんでもあるシルベストさんが、すぐにスフィアさんの代わりに捕らえて拘束してくれたおかげで、店主さんは肩と髪を一瞬掴まれただけで済み、怪我らしい怪我はしていない。

 

 けれど……彼女は……彼女は……

 

「ピナさん!?」

「っっっピナっ!!」

「星の乙女様! 大丈夫ですか!?」

 

 立ち上がったはずの体が崩れ落ちる。

 体が、全身が震える。

 指先は血が止まったかのように冷たくて、力が入らない。

 怖くて怖くて仕方がない。

 

 男が。

 あの悍ましい劣情が。

 怖い。怖い。怖い。怖い。

 

 怖くて、動けない。

 立ち上がれない。

 どこにも行けない。

 

 犯され続けた精神が、もう限界だと悲鳴を上げている。

 

 

 

「黙れぇぇぇぇぇっっっっ!!!!」

 

 

 

 何もかもをかき消す怒声が、……あの悍ましい言葉を塗りつぶす声が響く。

 

「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れぇぇぇっっ!!」

 

 シルベストさんに押さえつけられたあいつに、押さえつけられても、「女なんて男を悦ばせるためだけの存在」と、同じ男の人でもほとんどが嫌悪するような事を喚く生き物に、今度は店主さんが掴みかかる。

 

 両手で首を締め上げ、文字通り根本からあの最低な言葉を止めようとするので、倒れた彼女を気遣いつつも、倒れた理由をわかっているから、触れることもできずに狼狽えていた魔王様とクリムトさんが慌てて、店主さんを二人がかりで捕まえて、引き離す。

 

「黙れ! 黙れ黙れ黙れ!! …………もう、黙ってくれ!!」

 

 それでも店主さんはもがき、抵抗して手を伸ばし……一生許さないと言った相手に泣きながら懇願した。

 

 

 

「これ以上、彼女を怖がらせるな!!」

 

 

 

 ––––あぁ。

 本当に、あなたにとって一番大切なのは、週に一度か二度を半年ほど続けたお客に過ぎない……そうであろうとした、女の子なんだ。

 

 ……ねぇ、知ってる?

 

 この人はね、前世でも、この人が本来生きるべき、生きてきた世界でも変わり者の部類だったけど……それでも、普通の女の子だったの。

 

 レミリアさんやスフィアさんのように、強くなんかないの。

 

 酷い事を言われたりされたりしても、傷つかない子でも、傷ついてもすぐに治る子でもないの。

 

 ただ……人より少し、我慢強いってだけなの。

 

 大切な人のために、大好きな人がいれば、頑張れてしまうだけの……ただそれだけの、普通の女の子なの。

 

 だから……だから––––

 

「店主さん」

「––––!」

 

 だから、立ち上がるの。

 

「もう、いいの」

 

 触れられるの。

 

「もういいの。もう……私は、大丈夫だから」

 

 あなたに、あなたの為なら、あなたのおかげで––

 

「もう私は、なにも怖くないの」

 

 この人は、たくさん泣きながらでも……こんなにも幸せそうに笑えるの。

 

* * *

 

 魔王様とクリムトさんの二人がかりではがいじめにされていた店主さんの手に、彼女はそっと触れる。

 

 その手は、指先は、店主さん自身の血で染まっていた。

 その血の奥、手のひらには今ついたばかりではない、新旧の傷がいくつもいくつもあった。

 

 ……どれほど、今日のように痛みを感じないほどの怒りを、怒りで我を失わないように自分を痛めつけることで抑えてきたんだろう?

 

 店主さんはあいつから脅迫内容や、脅迫された詳しい日時や場所を探るため、あいつと同類のクズを演じ続けた事を、レミリアさんが見せてくれた映像と、あの香水の罠についての説明で知った。

 

 その日々は、彼女のことを言えないぐらい地獄の日々だったはずなのに……、それでもこの人は、ずっと彼女のために、彼女のことで怒っていた。

 最も憎い相手に懇願するほど、彼女にとって「怖いもの」をなくそうとしてくれた。

 

 だから、彼女は立ち上がれた。

 そしてわたしも、あんなに怖かった祈りを、今は迷いなく、恐れなく出来る。

 

 この人の傷を癒す祈りを。

 体だけではなく心だって、跡も残さず癒せるように強く強く祈る。

 

 そんなわたしと彼女の祈りが、淡く優しい光、精霊の祝福となって店主さんの両手の傷を癒す。

 

「……お嬢さん」

 

 相変わらず、線を引いた他人行儀な呼び方。

 ただ一言、それだけ言ってなにも言えなくなる店主さんだけど、レミリアさんはもう大丈夫だと思ったのか、魔王様とクリムトさんに離すよう声をかける。

 

 言われた通り離しても、店主さんはもうロマノに見向きもしない。

 ただひたすらに心配そうに、申し訳なさそうに、彼女を見ている。向き合って、見つめ合う。

 

「もう、いいの」

 

 見つめ合って、彼女はもう一度伝える。

 まだその手は震えている。傷が癒えていないのは、隠せていない。

 

 それでも彼女は、自分から店主さんの手に触れ、握って伝える。

 

「私は大丈夫。

 もう、怖くないよ」

 

 笑って、伝える。

 

「……大丈夫な訳……ないだろ……」

 

 弱々しく、指摘する。

 強がりを見抜いて、強がるな、無理するな、我慢なんてするなと言ってくれた。

 

 自分で言った通り、自分自身を一生許さない人はそう言って……それでも確かに、握り返してくれた。

 

 逃げないように、逃がさないようにではなく。

 守るように、包み込むように優しく握り返してから……やっと、笑ってくれた。

 

 彼女が頭巾を外してしまった日の、盛大に訳わからない事を言って困らせて、最終的に何故か初対面と同じく店主さんを褒めた時のように、笑ってくれた。

 

 だから彼女だって笑う。

 笑って、本当に大丈夫だって伝える。

 

「本当に大丈夫だよ。だから、店主さんはもういいの。

 あとは私がやるから、もういいの」

「え?」

 

 待って。

 

「私があいつを黙らせるから、店主さんはもういいの。

 っていうか、私がやりたい。やる権利はあると思う」

 

 笑顔で彼女は軽やかに言い切った。

 待って。元気になって何よりだけど、お願いだから待って。わたしはそんなに早く切り替えられない。

 

「確かに、この場の誰よりもその権利があるのは貴女だな」

「ちょっ、兄さん!?」

 

 援護しないで魔王様! なんなのこの人、実は天然なの!?

 

「シルベスト殿! 私も拘束手伝いますからこいつを立たせましょう!!

 あと顔を動かないように固定してください! 彼女が綺麗に決めれるように!!」

「何が何だかよくわからないけど,面白そうだからほいきた任せて!!」

 

 スフィアさん!? ノリノリすぎません!?

 しかもあなた、鼻フックすると思ってるでしょ! わたしも思ってるけど!!

 シルベストさんも止めて! なんであなたもノリノリなの!?

 

 と思ったら、あなたのせいですかエルハーシャ様!!

 ニッコニコで親指立ててゴーサイン出さないで!

 頼みの綱の王妃様も、扇子で顔を隠して見えない、見てないフリしないで!!

 

 レミリアさんはオロオロしながら控えめに、「な、何をする気なの?」と戸惑った声を出してるけど、止める気ゼロだよね!?

 絶対内心、「わたくしもやりたい!!」って思ってるよね!?

 

「あー……うん、ど、どうぞ?」

 

 店主さーん! 諦めないで! 止めて!

 いや、正直わたしもいい気味としか思わないから別に良いんだけど……

 

 そんな風にわたしも諦めかけた時、私の中に彼女のとある記憶が流れ込む。

 

 それは、彼女が前世のお兄さんとよく感想を言い合っていた、大好きな少年漫画の断片的なシーン。

 

 Easy revenge(気楽に復讐を)

 

 最強の大会

 

 ………………待って!!

 

 待って待って待って本当に待って!!

 誰か止めて! スフィアさんレミリアさん店主さん! この人、やる気なの鼻フックじゃない!!

 

 わたしの必死の訴えは当然、誰にも届かず彼女はドレスの裾を捲り上げ、ずんずんとロマノに近づき、まだ咳き込んでいるあいつに……

 

「女の子になぁれ♡」

『え?』

 

 満面の笑顔とやけにわざとらしく作った可愛い声でまずは言って、言った本人以外の全員を困惑させてから

 

「オラァっ!!!!」

 

 思いっきり、足を振り上げる。

 奴の足と足の間に。

 股間を全力で蹴り上げた。

 

* * *

 

 蹴り上げて突き刺さったハイヒールが嫌だったのか、彼女は脱ぎ捨てると同時に言葉を吐き捨てた。

 

「地獄に落ちろ! 脳みそ海綿体!!」

 

 カニみたいに泡を口から吹いて、白目剥いて失神しているロマノに。

 

 周りの人はその光景に全員ポカン顔。

 

 レミリアさんさえも流石に予想してなかったのか、目をまんまるくして固まってる。

 でもよく見たら、口角が少し上がってる。

 

 レミリアさん出てる出てる!

 エミさんのレミリアさんじゃなくて、素のレミリアさんが出てる!!

 

「……鼻フックじゃなかったんだな」

 

 スフィアさんはまだ混乱しているのか、気にするところそこ? なことを言い出して、その発言に彼女はキョトンとした顔で即答。

 

「え?

 だってこいつ、イケメンじゃないじゃん」

 

 ……うん。

 もういいよ、それで。

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