スモウマスターvsエイリアンハンター   作:奈田

14 / 18
第十四話 ダブルサマーソルト

 何が何だかわからない。だが現場に到着すれば体は勝手に動いた。会敵の瞬間。ゴールデンレトリバーの脳裏にそれまでの経緯が瞬く。

 

「借金で困ってるなら、資金援助とかそういう話をすれば、戦わなくてもスカウト出来るんじゃないかなぁ」

 

 国亜商事系列の金貸しに借金をしまくっているクズ――慈葉蔵なる武芸者をスカウトしろという命令を受けた。何個か電車を乗り継いだ後の路上にて、書類を片手に独り言ちる戌雄は、指定された場所にとりあえず向かった。本日の早朝のことである。

 

「戦う前に一回社長と相談して……。いや、まずはどんな人か俺が直接会って確かめるべきか。そもそもの話として、武芸者としてどれくらい腕が立つ人かもわからないし」

 

 とち狂った連続殺猫鬼だった礼瑠とは異なり、借金を滞納する程度の素行不良であれば、きちんと事情を説明することで慈葉蔵なる輩を仲間にできるのではなかろうか。連続猫銃殺女のせいで基準が幾らか麻痺している戌雄は、そんな間の抜けた思考を紡ぎながら冬の街を一人でのんびり歩いた。冷えた肉球を息で温めつつ、しばらく徒歩で移動して、書類に記されたパチンコ屋を見つける。件の武芸者はこの店での目撃情報が多いらしい。

 

 このあたりでウロウロしていればそのうち会えるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 というようなノリで到着した場所では――

 

 どかーん。どこーん。ばきー。

 

「あわわわわ。めっちゃ喧嘩してる」

 

 ――凄絶な死合が行われていた。

 

 借金苦の武芸者と薄汚い風体の老武芸者。既に繰り広げられていたこの二人の戦いに纏わる事情を何一つとして戌雄は理解していない。理解していないのに体が動いてしまった。とにもかくにも場所が悪い。一般人も普通にいるパチンコ屋の駐車場だ。武芸的な流れ弾か何かで二次被害が出る可能性は高い。

 

 ひとまず止めて仕切り直しをさせるべきだ。武芸者らしからぬ常識的な判断を決めると同時に、彼の天賦の才能は勝手に完璧な不意打ちを仕掛けている。

 

 再三述べよう。戌雄は事情を理解していないのに体が勝手に反応して横槍を入れてしまったのだ。何たる狂暴な男か。

 

 背後から打ち下ろした奇襲の鉄槌打ち。

 

「あ、ごめんなさい」

 

 思ったより威力が出てしまった老人への制止行動に思わず謝る。

 

「……ぅ」

 

 場違いな中年犬の一撃を上手く逃がし、あえて大袈裟に吹き飛ばされた老人は、ホームレスを思わせる薄汚い恰好の醜悪さに見合わぬ華麗さでアスファルトに転がる。

 

 ゆらり。後転と共に立ち上がったサマーソルト如月はよろめいた。

 

 打撃でふらついたのではない。精神的な要因で世界が揺れていたのだ。戦いの途中で靴が壊れたせいで露出した汚らしい右足が酔漢を思わせて冷たいアスファルト上で踊る。

 

 異様な舞に合わせて右目が回転した。やがて老人の眼が敵を捉える。

 

「……てめェ」

 

 老人と目が合った瞬間。

 

「……ッ!?」

 

 戌雄の心臓が止まりかけた。恐怖で。一流の武芸者は戦慄する。なんだ“これ"は。

 

 狂気だ。武芸的狂気がそこにあった。武芸的狂気が行き着くところまで行き着いた武芸者。戌雄はこれを初めて見た。何十年も前のいつぞや。師匠――佐崎剛蔵と戦っていた謎の武芸者を思い出す。だがあちらの方が遥かにマシだ。武芸的狂気に呑まれた武芸者。救いようのない怪物。彼の目の前にいるのはそういうものだった。

 

 忘れていた。玖忍の言葉で我を取り戻した礼瑠という奇跡に目が眩んで忘れていた。武芸的狂気に呑まれた武芸者と対話はできない。師に教えられたはずの絶対的事実をようやく思い出す。怖気に固まる戌雄のすぐ近く。

 

「ハッ、はああッ、ぬぁああああッ! 気合と根性ッ」

 

 折れた左手を右手に捧げ持つ慈葉蔵が手首の筋肉を収縮させた。砕けた骨を肉で押さえつけて無理やり動かす凄絶な武芸。一流の武芸者の間でこの技術技法は“換骨奪胎法”と呼称される。

 

 ぼたぼたぼたり。歯を食い縛り過ぎたせいだろう。止めどない鼻血を出しながらも負傷を修復した慈葉蔵が自らの得物を再び構えた。ラップの芯という最も信を置く意味不明な得物を。

 

 武芸的狂気に呑まれた老人――サマーソルト如月から目を離すことができぬまま戌雄は慈葉蔵に尋ねた。

 

「すみません。あなたは家賃を滞納中の慈葉蔵さんですか?」

「ん? ああ。パチスロで返そうと思ってたんだ。そしたらあの化け物に襲われてよ」

 

 凄い返答が返ってきた。たった一回の応答でここまで人間性の低俗さを示せる人間はそういないだろう。一言聞いただけでわかる。とんでもないろくでなしだ。慈葉蔵なる輩があまりよろしくない人間だったせいで戌雄は混乱する。

 

 非があるのはどちらなのか。確かに目の前の老人は明らかな危険人物だ。されど老人から襲われていたと思しき慈葉蔵もまた人としてクズである。戌雄の混乱はさておき。今は死合の真っ最中。超一流の武芸者が戌雄の迷いを逃すわけもなく――

 

「ああああああッ! クソがぁああッ! 許さんぞクソガキめぇええええええええッ!」

 

 ――敵の隙を突いたサマーソルト如月はさらに大きく吠える。戌雄の一撃により脳が軽く揺れ、記憶の奥底に封じたはずの狂気が剥き出しになってしまったのだ。

 

 サマーソルト如月の圧倒的な狂気に煽られ戌雄の生存本能が鎌首をもたげる。

 

 眼前の“あれ"は危険だ。殺せ。

 

 才能が叫んでいた。が、この期に及んで何をどうすればいいのかについて小市民な戌雄は悩む。

 

 確かにこの老人は危険だ。恐ろしい。とは言え慈葉蔵の方もどうしようもなさそうなろくでなしであるし、ひょっとすると何かあの老人の逆鱗に触れるようなことでも……。

 

「このサマーソルト如月を前によそ見とはいい度胸してるなクソガキ」

「……!?」

 

 死んだ。戌雄はそう思った。意味不明な速度で体ごと飛び込んできたサマーソルト如月が重騎槍を思わせる貫手を繰り出す。文字通り瞬く間の出来事だ。この場が死地であることをのろまに知覚した瞬間に戌雄は自分の死を悟った。急速に接近してきた老人を見て悟らされた。この貫手はかわせない。防げない。即死する。確実に死ぬ。決まりきった事実を泣き叫ぶ彼の才能は、本来であれば期待するべきではない背後からの援護によって押し黙る。戌雄を突き飛ばした慈葉蔵がラップの芯で致死の一撃をかろうじて弾いたのだ。躍り出た慈葉蔵の背後で戌雄は尻餅をつく。

 

「おいなにやってんだバカ野郎!」

「す、すみまっ」

「加勢してきたのはいいけどよぉ! ぼーっとしてんじゃねえよタコ! “これ"は殺さずにどうこうできる相手じゃ――ごぱッ!?」

 

 戌雄と慈葉蔵が位置をスイッチさせた刹那、製造工業で用いる高速回転体じみた三日月蹴りが慈葉蔵の腹に吸い込まれた。

 

 悍ましい威力を宿すサマーソルト如月の蹴りは生命維持に関わるほどに彼の内臓を容易く損傷させる。一瞬で瀕死になった慈葉蔵を見て、戌雄の生存本能と武芸センスがひとりでに躍り出した。

 

「……今っ」

 

 無様に尻餅を突いた姿勢から、彼自身思いもよらぬ重心移動の冴えで体勢を立て直す。それから影のように距離を詰めた。繰り出すのはノーモーションの右追い突き。銀行の金庫扉すら拉げさせるであろう完璧な打撃が咄嗟に打てた。

 

「良い攻め手だな。素人にしては」

 

 そしてサマーソルト如月の濁った隻眼が戌雄の動きをじっと見ている。

 

「なッ、え?」

 

 素晴らしい右追い突きでサマーソルト如月のテンプルを捉えたはずの戌雄は膝を突いた。なんだ。何が起きたんだ。ゴールデンレトリバーは混乱する。今何が起こったのかまるでわからなかった。

 

 膝を突くことになった原因は――脳震盪。頭部に打撃がクリーンヒットしたのだ。戌雄のこめかみを穿ったのはいつの間にか放たれていた上段廻し蹴りの爪先。隙らしい隙がほとんどないノーモーションの追い突きに、絶対的かつ圧倒的な反応速度の差で蹴りのカウンターを合わせられた。

 

 この攻防を戌雄は視認すらできていない。仮に知覚できていたとしても無意味だ。数えきれないほど軌道が飛来中に捻じ曲がった怪物の蹴りは、敵の意識と対応を置き去りにして絶対に当たる。

 

「ば、ばけもんがッ」

 

 今しがたの攻防に絶望を覚えながらも、土気色の顔をした慈葉蔵が呼吸を無理やりに整える。ふらつきながら戌雄も何とか立ち上がった。

 

 一瞬で半壊した武芸者たちの一方。

 

 絶技を見せたサマーソルト如月は――

 

「きぇえええええッ! 何故だ!? 何故倒れね!? 当てただろうがッ。首から上が千切れるほど何回も蹴り斬っただろうがぁあああッ!」

 

 ――本日何度目かもわからぬ狂乱を見せる。

 

 戌雄と慈葉蔵が一連の流れで即死しなかった理由は老人が狂っていたおかげだ。追い詰められている理由に関してもこの老人が狂っているせいだった。

 

 強すぎた。

 

 超一流の武芸者『サマーソルト如月』。狂い果てたこの老人はあまりにも強すぎた。

 

「……うぅわふッ。佐崎式剛撃術門下、戌雄。参る」

 

 揺れる視界のなかで戌雄は、ようやく覚悟を決める。

 

 武芸者として敵を殺す覚悟を。

 

 戦う理由だとか。どちらが悪いのだとか。そうした雑事はもはや関係ない。対峙する“これ”を殺さなければこの場から生きて帰れない。最も原始的で純粋な生存競争という理屈がこの場にはあった。

 

「バケモン狩りだぁあああ! 死ねおらぁああッ!」

 

 戌雄に先んじて覚悟をとうに決め切っていた慈葉蔵は、この場を生き延びて自らの武芸をさらに研鑽するべくラップの芯で斬りかかる。

 

 ゆらり。向かってきたラップの芯に正面から応じたサマーソルト如月はしなやかに揺れた。柳の葉を思わせて。

 

 足首を柔らかく活用して斬撃を皮一枚で躱した老武芸者はすぐさま反撃に転じる。

 

「ッ。慈葉蔵さん!」

 

 不本意ながら運命共同体となった慈葉蔵が秒殺されかねない状況に、戌雄の才能が咄嗟の連携を繰り出した。佐崎式剛撃術。重心移動を用いて素早く間合いを詰める。巧みな重心移動から全体重を込めた右の肘打ちを放った。

 

 無視できない攻撃の飛来を察してサマーソルト如月は体を捻る。戌雄の右肩と右腕の境界に貫手を軽く差し込み、それだけで武芸者の全体重が乗った威力を完全に殺した。何という絶技か。この時点で攻守のイニシアチブはすでに入れ替わっている。そして戌雄とサマーソルト如月の隔たりを鑑みれば、行動の権利を渡すことはそのまま死に直結する。

 

「隙ありだっしゃおらぁあああああッ!」

 

 しかしこの場は二対一。戌雄の打撃に対応したという老人の一手損を咎めるべく、気合が入りすぎて言葉が不自由になった慈葉蔵が、間髪入れずにラップの芯による袈裟斬りを構えた。袈裟斬りの気配に呼応してサマーソルト如月の体勢が丁寧に泳ぐ。風に舞う薄い木の葉と化してラップの芯をサマーソルト如月は躱した。

 

 躱した先でローキックの速度で迫る戌雄のミドルキックが待ち受ける。野性味溢れる戌雄の打撃を隻腕の左で老武芸者は封じた。同時に慈葉蔵のラップの芯が下段から迫り、サマーソルト如月はそれを掠めるように回避する。

 

「死ね死ね死ねごらぁあああああああ!」

「わふぁああああああああッ!」

 

 戌雄。慈葉蔵。天性の武芸センスで見事な即席の連携を構築した二人は、無呼吸でひたすら攻め続けた。格上の相手を喰らうジャイアントキリングにおいては守りよりも攻めが優先される。

 

 あらゆる武芸に共通する一つの事実があった。仮に実力差があろうとも攻めている間は何とかなる。ただし一度でも守勢の競い合いに入れば地力の差で磨り潰された。だから二人はがむしゃらに攻める。

 

 死合のさなか。

 

「どういうことだ。俺はさっきまで……?」

 

 どこを見ているのか定かならぬサマーソルト如月が呆然と呟いた。老人は今ではなく過去を見ている。眼前の光景を老いた脳は見ていなかった。

 

 眼球が何も見ていないにもかかわらず、巨大な武芸の才と莫大な経験は眼前の猛攻を余さず捉える。

 

 間髪入れぬ攻め手をすべて的確に叩き落としていった。隻腕。右腕が根元から引き千切られたがゆえの片腕だけで戌雄と慈葉蔵の猛ラッシュをサマーソルト如月は受け続ける。防御に徹しながらも左の貫手を構えた。戌雄が警戒を強める。隙あらば一撃必殺の地獄突きが飛んでくるはずだ。サマーソルト如月が防御の構えを解いた瞬間にどちらかが確実に殺される。見えるのは必敗の幻。どちらかが仕留められた後に、一対一に持ち込まれれば確実にもう片方も死ぬ。言葉を交わすゆとりはなかった。戌雄と慈葉蔵は言葉なきままに自分たちが置かれた状況を把握している。出会ったばかりの相手と奏でる命懸けの連携。これが途切れた瞬間に俺たちは死ぬのだ。絶対に攻撃を途絶えさせてはならない。息が上がった。肺が軋む。攻めているのはこちら。されど劣勢なのも間違いなくこちらだった。

 

 ショートフック。刺突。左ストレート。下段斬り。ゼロ距離での膝。首を狙う一文字斬り。裏拳。片手突き。肘打ち。左逆袈裟。息も付かせぬ戌雄と慈葉蔵の連撃を右腕がないサマーソルト如月は片腕だけで捌き続けた。幾ら超一流の武芸者と雖も、完璧に近い連携を見せる一流の武芸者たちの連撃を無傷で防ぎ続けるのは難しいか。

 

 肉と肉がぶつかる。血飛沫が舞う。骨にラップの芯が叩きつけられる。

 

 そして――ああ、何としたことか。

 

 防御と回避に用いられ続けたサマーソルト如月の右手が圧搾されて丸くなってゆくではないか。

 

 斬撃と打撃を左拳だけで防ぎ続けたのだ。度重なる衝撃により重篤な脱臼と複雑骨折が生じてしまう。指が外に拉げた。拉げた指が手の甲側に密着し始める。

 

 ひどい有様だ。読者諸君は目を逸らさないで頂きたい。日常生活ではもう使い物にならないだろう。

 

 神経が集まる指先を破壊される苦痛。精神を掻き毟るこの激痛を完全に無視し続けるサマーソルト如月は、二人の連撃を頑なに左手だけで捌いてゆく。

 

 なぜ痛みを無視できるのか。簡単なことだ。残った隻眼を見ればわかる。

 

 サマーソルト如月の眼は人のものではなかった。戌雄と慈葉蔵の血の匂いに舌なめずりするのは、武の深淵に堕ちたケダモノの眼である。武芸的狂気に由来して分泌される莫大な脳内麻薬は、常人を発狂させる激痛をリラックス状態で聞くクラシック音楽に軽々と変換する。

 

「ハッ、はッ、はっ」

 

 戌雄の口が犬のように開いた。口から湯気が噴き出す。佐崎式剛撃術は威力と速度を兼ね備えた完成度の高い白兵近接武芸だ。消費する体力も大きい。消費したスタミナを振り絞り、幾度目かも定かならぬ攻防を経て彼の左フックが敵の顎を狙った。完璧な軌道の拳は案の定防がれる。同時に才能が知らせてきた違和感。

 

「……ッ」

 

 攻撃の着地点に左拳を置かれる(・・・・)感覚があった。

 

 動きが見切られ始めている!

 

 酸素不足で朦朧とし始めた意識の中で戌雄は震えた。今この瞬間から先はいつ即死の反撃が飛んできてもおかしくない。こちらの攻撃に敵が慣れ始めたという極限の戦況に危機感を覚えたのは戌雄と――もう一人。

 

「今だぁあああああああああああ!」

 

 恐怖と焦燥が慈葉蔵の才能を刺激した。武芸者は成長する。生と死が躍る戦いのなかでラップの芯使いは殻を破った。放つのは上段からの唐竹割り!

 

 慈葉蔵の一撃はこれまでの攻防のなかで間違いなく最も洗練されたラップの芯だった。

 

 鮮血が舞う。

 

 おお! ラップの芯がサマーソルト如月の隻腕を二の腕から斬り飛ばした。まさしく勝利の場面と言えよう。

 

「――――――――ぁ」

 

 決着の瞬間を目にした戌雄の背筋に極大の悪寒が取り憑いた。

 

 死ぬ。間違いなく死ぬ。

 

 殺し合いのなかで主観が延長され、長かったのか短かったのかもわからない時の流れの果てに、先鋭化した武芸的な直観が告げてきた。

 

 次に来る攻撃で間違いなく死ぬ。必殺の一撃で殺される。

 

 左腕を斬り飛ばされ、両腕を失った老人を見て戌雄は思った。

 

 超一流の武芸者の左腕の付け根から血が噴き出す。切断面から吐き出された血の粒が冬の冷たい大気に炙られるところが見える。切断された左腕の断面。アスファルト。呼吸の白。この場におけるありとあらゆる情報が走馬灯のように戌雄の脳内を駆け巡った。否。眼前に広がるのは文字通りの死に際の走馬灯だ。

 

 戌雄の巨大な才能は何かを見つけようとしていた。だがわからない。何かを把握しなければいけないのにそれがわからなかった。

 

「距離を……っ」

 

 絶対に飛来してくるであろう次の致命打。その正体を読み切れなかった戌雄はひとまず距離を取る。物理的な距離でこの場を誤魔化そうとした。しかしそれは最悪の一手だった。

 

「ははッ」

 

 戌雄が取った最悪手を見てサマーソルト如月が嗤った。命を拾うために限界を超えて情報を貪る武芸センスは、サマーソルト如月の嘲笑を戌雄に余さず伝える。

 

 左腕を斬り飛ばされた超一流の武芸者が次の瞬間に繰り出すであろう必殺の武芸。正体は未だわからない。わからないが“距離をとる"という行動が致命的な悪手だったことはわかった。

 

 結論から言おう。戌雄はミスをした。この場で注目するべきは血を噴き出す左腕の断面ではなかった。足。ボロボロの靴が壊れたせいで冷たい外気に晒されるサマーソルト如月の右足を見るべきだった。もうどうしようもない。

 

 やがて武芸の深淵がこの場に顕現した。

 

 サマーソルト如月が踏み込む。人外の踏み込みでアスファルトが拉げる。

 

「まッ、待――」

 

 何かを悟ったらしい慈葉蔵が唾を飛ばした。ラップの芯使いを無視してサマーソルト如月は飛翔する。

 

 会心の一撃を放ったせいで、逆にわずかな硬直を呼び込んでしまった慈葉蔵をサマーソルト如月は置き去りにした。超一流の武芸者が狙うのは、左腕を奪った慈葉蔵ではなく、当てやすい位置にわざわざ移動してくれた戌雄である。

 

 次に繰り出されるのは近代武芸において自殺行為に等しい狂気の業――サマーソルト如月の代名詞たるサマーソルトキックだ。

 

 サマーソルトキック。空中で身を翻す隙だらけな足技だ。こんなもの実戦では使い物にならない。

 

 だが時として武芸的狂気は重いリスクを引き換えに武の深淵を宿した。サマーソルト如月の標的となった戌雄は捉える。世界最強のサマーソルトキックを。戌雄風情が知覚することなど許されぬ神速の業を捉えることができた理由は、彼が距離を取っていたからだ。遠い。遠すぎだ。あんな距離からではサマーソルトキックが当たることはない。まさか目測を見誤ったとでもいうのか。死を確信して間延びした世界で、戌雄と彼の才能は混乱することしかできなかった。わからない。あの距離から放たれるサマーソルトキックなら多少ではあるが余裕を持って躱せる。躱せるはずなのに次の瞬間、自分は間違いなく死ぬ。死ぬ原因が未だにわからない。サマーソルト如月が虚空に体を躍らせた。空中で老武芸者が縦回転する。隙が大きかった。これさえ凌げれば確実に倒せる。だが凌げるビジョンがまったく見えない。絶望する戌雄は武芸の終極を仰ぎ見た。

 

 寒空。分厚い雲から血が降ってきた。血の雨だ。慈葉蔵に斬り飛ばされた左腕が空中から落ちてくる。くるくると舞った後に腕が降りてきた。

 

 超一流の武芸者サマーソルト如月は――

 

「ここまで来るのに三十年かかったぞクソガキが」

 

 ――自らの左腕を“キャッチ"した。足の指で。

 

 サマーソルトキックを放つ右足の指で自分の腕をサマーソルト如月は握る。ボロボロの靴を戦闘中にあえて破壊し、指を露出させておいた右足の指で、慈葉蔵に斬り飛ばされた左腕を空中キャッチした。

 

 小汚いホームレスのような恰好。ボロボロの靴。それ自体が武芸の仕込み。

 

 服装。雰囲気。武芸者にとってそれらは十分に得物として活用できる要素だ。

 

 最初から素足ならば足指の活用を疑われる。だから予めホームレスの恰好をしていた。

 

 ボロボロの靴が戦いの途中で壊れたというのであれば、実戦の綾もあり、必殺の技を覆い隠すミスディレクションとなり得る。ゆえに、ああ。これなるは。

 

「“ダブルサマーソルト"」

 

 サマーソルトキックが戌雄に迫った。足指で掴んだ“左腕"のぶんだけリーチが伸びたサマーソルトキックが戌雄を脅かす。距離が離れた状態で繰り出されるサマーソルトキックに左腕のリーチが加算された状態で捉えるのは、戌雄の首だ。

 

「……見事です」

 

 すべてを理解し観念した武芸者が呟き、戌雄の頭部は、首から上が――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――なぁああああッ!?」

 

 死を受け入れた戌雄の前でサマーソルト如月が愕然とする。死合の末に唐突な現象が生じた。人体に向けて使うべきではない兵器が齎す凄絶な音と衝撃が轟く。遥か遠方からの超精度の狙撃だ。

 

 アンチマテリアルチャカ。絶大な威力を秘めたチャカ弾頭がサマーソルト如月の左腕を物理的に消滅させた。必殺の一撃が不発に終わり、老武芸者は致命的で取り返しのつかない隙を晒す。

 

「……っ、……!」

 

 文字通りに降って湧いた好機に戌雄は無様にも反応する。得意とする打ち下ろしの打撃を放った。

 

 必殺の絶技“ダブルサマーソルト"が不発に終わったために、仰け反るような体勢になっていたサマーソルト如月の顔面を中年のゴールデンレトリバーは殊の外的確に捉える。重い衝撃と共に地面に激突したサマーソルト如月は後ろに半回転しながら吹き飛んでいった。

 

「まだ……ッ、まだだ!」

 

 吹き飛ばされた老武芸者は老獪な身のこなしで即座に体勢を整える。ダメージは甚大。しかしこの程度でサマーソルト如月の武芸的狂気の火は消えなかった。

 

 殺す。殺すのだ。あのクソガキに必ず復讐してやる。

 

 流石は超一流の武芸者か。ここからでもサマーソルト如月は戌雄に勝てた。仮に一対一の試合ならば、現状の負傷をハンデとしてなおサマーソルト如月の方が戌雄より強い。だがここはルール無用の殺し合いの場だ。

 

「死ねオラぁああああ――ッ!」

 

 裂帛の気合。左腕を切り飛ばした瞬間から追撃を狙い続けてきた慈葉蔵が遅すぎる二の太刀を放つ。ラップの芯を手繰る剣士は老武芸者を背後から胴体を横薙ぎに一刀両断した。

 

 異様な物音が冬の駐車場に響く。腕を斬り飛ばしたときの比ではない大量の鮮血があたりを湿らせた。両断されたサマーソルト如月の上半身が転がる。

 

「……かッ。かふッ。がああッ」

 

 胴体から上だけになったサマーソルト如月は咳き込みながら何かを必死に吐き出した。血ではない。吐き出すのは武芸的狂気だ。怨嗟だ。狂気だ。殺意だ。

 

 未だ衰えぬ武芸的狂気に突き動かされ、残った左腕の肩の肉片に何度か力を籠める。老人は立ち上がれなかった。急激に失われる血圧で意識ごと腕力が失われる。しばしの後。

 

「まだッ。終わりじゃ、俺は、生きて、」

 

 武芸的狂気に呑まれた隻眼を見開いたままサマーソルト如月は息絶えた。名も知らぬ武芸者が死んだことを把握してから、遠くで聞こえた銃声の方角に戌雄は顔を向ける。

 

「さっきのは、礼瑠ちゃんの……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 がこん。

 

 バカバカしい大きさの空薬莢が地面へと落下した。某所のパチンコ屋から二キロほど離れた真冬の廃屋で、やかんを落としたような音が響く。

 

「……とんでもない化け物。一対一じゃ殺されてたわね」

 

 常人の膂力では取り回しが難しい巨大兵器を構える若い女が呟いた。超一流の武芸者『サマーソルト如月』。

 

 かの老人の左腕を消滅させたのはもちろん彼女――束華(たばか)礼瑠(れいる)である。神速の一撃の末端をピンポイントで打ち抜く凄まじい精度の狙撃技術だった。

 

 真に恐るべきは、あの怪物が殺意の影さえ意識することができなかった恐るべき気配遮断能力に他ならない。先の戌雄との死合で彼女は学んだ。潜伏位置を特定されたスナイパーは死ぬ。ならば敵が知覚すらできないうちに初撃で仕留めるのみ。基本中の基本に立ち返った狙撃手の技量は冴え渡っていた。

 

 廃屋の窓から外を覗けば雪が少しだけチラついている。わずかな寒さを覚え、冬場に愛用しているニット帽をもそもそとずらした。被ったものをぎこちなく直す癖も外見も以前の彼女と変わりない。変わらぬのはガワだけだ。ほんの数日前に戌雄と戦ったときと今の彼女は武芸者としてまるで別人と化している。だからこそ先ほどの完璧な不意打ちに成功したのだ。

 

 礼瑠。十八歳。彼女はいまだ未成年。武芸者としては成長途上だ。生死を賭した戦いを生き延びてしまった武芸者は、望む望まぬを問わず否応なしに成長してしまう。狙撃に纏わる天賦の才能を宿す若き武芸者は、戌雄との死合を潜り抜けたことで、新たな高みに昇り詰めた。

 

「ふふ。玖忍さん褒めてくれるかなぁ」

 

 死線を経て名付けの天啓を得る。さらには仕えるべき主までも手に入れた『害獣ジェノサイダー』礼瑠は、今まさに武芸者として黄金期を迎えつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 革靴の音が聞こえた。

 

「無事か。戌雄よ」

 

 薄い雪がチラつき始めたパチンコ屋の駐車場へと長身の紳士がやってくる。

 

「……社長。……危ないですよ。戦闘中だったらどうするんですか」

「問題ない。礼瑠から連絡を受けた。戦闘は終わったとな」

「あぁ。やっぱりさっきの狙撃は……」

 

 現れた主に対して礼節を尽くすことができず、戌雄は座り込んだ。格上の相手と命のやり取りをしたのだ。疲労でもうまともに動けなかった。雪が舞っているというのに暑くて仕方ない。

 

「よう、おっさん。あー。名前なんつったっけ」

 

 疲労困憊の戌雄の一方で、思ったよりも元気そうな血だらけ傷だらけの慈葉蔵が近寄ってきた。

 

「……戌雄です。流派は佐崎式剛撃術」

 

 息を整えてから慈葉蔵に応じる。死線を抜けた戦友だ。対話を拒否する理由もない。

 

「俺は慈葉蔵。得物はラップの芯」

「変わった……いえ、見事な武器ですね」

 

 熱が籠り過ぎた体を冷却するかのように冷えたアスファルトに腰を下ろす戌雄に倣い慈葉蔵もその場にしゃがみ込んだ。腰に佩いたラップの芯は拉げている。

 

 雰囲気よりも負傷が深いらしい慈葉蔵はため息をついた。

 

「……今回はな。殺されかけて流石に反省した」

「反省、ですか?」

「パチスロで生活費を稼ぐのはダメだ」

「そりゃあそうでしょう。何言ってんですかあなた」

「負ける度にあんな化け物に襲われたんじゃ割に合わねえ」

 

 今しがた戦った超一流の武芸者サマーソルト如月を借金取りか何かだと彼は未だ勘違いしている。勘違いしたクズはそのまま変なことを言い出した。

 

「戌雄、だったか? あんた雇われの武芸者だろ。俺を雇ってくんねえか? パチスロなんて低賃金労働じゃなくてもっとまともな仕事がやりてえんだ」

 

 武芸者たちの会話にビジネスマンが割り込む。

 

「慈葉蔵と言ったか。その話は私にしてくれ」

「あん? なんだてめぇ」

 

 見知らぬ紳士に対し、慈葉蔵は胡乱げな顔を向けた。だがすぐに何かを納得したような顔となる。

 

「あぁ。あんたが社長か。金持ちそうな顔してるな」

 

 ふんふんとラップの芯使いは頷いた。サマーソルト如月を借金取りだと勘違いしたのと同じような勘違いを経て、玖忍のことを戌雄が勤める会社の社長だと彼は思い込んだ。

 

 慈葉蔵。この男の頭は端的に言ってあまりよろしくなく、知能の低さに反比例して勘が鋭い。

 

「おい。社長」

「要件を聞こう。なんだ?」

 

 玖忍にとって都合の良い思考を紡いだ慈葉蔵はおもむろな自己アピールを始めた。

 

「お前んとこの会社に武芸者として雇われてやる。生活費分ありゃあ給料はそこまでいらねえ。だけど休みは多めにくれよな」

「低賃金で構わないという要求は断る。お前には業務時間内での自己研鑽目的の自由時間を与えた上で厚遇を受けてもらう。一流の武芸者を他社に逃がすわけにはいかないからな」

「マジか。月に二十万くらい貰えたりすんのか? すげー」

 

 バカの言葉に国亜商事の支配者は気前よく応じた。

 

 淡い雪が舞う空の下で長身の紳士とアホな天才武芸者は固い握手を交わす。

 

「ふ、ふふふ」

「どうした戌雄。そのような気持ち悪い笑い方はやめろ。品がない」

「社長やめとけ。人の笑い方を馬鹿にするもんじゃねえ。最近だとそういうのはパワハラっていうらしくてローキから会社が潰されたりするらしいぞ」

 

 二人の様子を見て戌雄は思わず笑ってしまった。慈葉蔵という一流の武芸者をここまで容易く傘下に加える。これは物凄いことだ。

 

「良い、主を得ました。師匠」

 

 真冬の大気に晒されて体温が冷えてゆく。なのに胸の奥に灯った火は消える気配がまるでなかった。やはりこの男には武芸者を惹きつけるカリスマ性があるのだ。ようやく主を得た中年の武芸者は満足げに笑った。




◆14話あとがき↓
リアルタイム執筆で11,341字。
休みじゃないのに徹夜して一日で書いた。仕事中眠すぎて死ぬかと思った。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。