スモウマスターvsエイリアンハンター   作:奈田

2 / 3
第二話 国亜商事本社

 大手企業の本社は往々にして見栄えが良い。取引の窓口となる場所なのだから当然だ。

 

 清潔感があるのは大前提として、そこからプラスαでどれだけ内装に金をかけるかは社風次第だ。多岐にわたるバリューチェーンを展開する大企業――“国亜商事”の本社は、体裁と費用対効果を天秤にかけた上で、許容できる範囲の整ったオフィスデザインで来客を出迎える。

 

 あこぎな商売をするサロンじみた絵画を応接室に飾り、金と手間をかけたカフェテリアを用意するような成り上がりのスタートアップ企業と比べれば、国亜商事の本社はよく言えば洗練されており、悪く言えば中庸だった。

 

 ただしこの会社を統べる者の意向か、建物の清掃と消耗品の管理には徹底して力を入れている。派手な豪奢こそないが、規律の行き届いたアピアランスが完成されていた。過剰な優雅さを捨てて得た機能美がそこにはある。

 

 ならばこそ、国亜商事は社員に対しても完璧な秩序を求めた。服装規定は厳しく、だらしない者は容赦なく罰せられる。現代日本ならざるこの世界において大企業の意向とはすなわち王の宣告。社長の言葉は絶対の大鎌となって無能の首を容易く断ち切る。必要とあらば労働規約など無視された。

 

 そんな清潔と秩序で満ちたビルに、一人の来訪者があった。

 

「あぁ。おはようございます。おはようございます。失礼します」

 

 規律正しき大企業の本社エントランスには、まったくもって相応しくない人物が現れた。人間サイズのゴールデン(・・・・・)レトリバー(・・・・・)が、卑屈に頭を下げながら正面ゲートから入ってくる。

 

 そのゴールデンレトリバーは、有り体に言えば冴えない男だった。

 

 使い古した作業服。頭を下げることには慣れ切っているが、適切なマナーを学んだわけでもない所作。肉体労働しかやったことがなく、それしかできぬまま無駄に年を重ねた典型的なブルーワーカー。わかりやすい負け犬と呼んでも構わない中年犬だ。

 

 冬の朝だった。出勤時間帯ということもあり、国亜商事に勤めるエリート給料男たちは、その男を自然と視界に入れてしまう。ツラを見ただけでわかる、学歴も知能指数も違う生き物だ。

 

 常であれば身の穢れとばかりに一瞥もくれず立ち去るだろう。だが階級社会を要領よく生き抜いてきたエリートという人種は、己を律することを知っている。企業のルールに臨機応変に適応した彼ら彼女らが取った行動は――

 

 元気よく挨拶することだった。

 

「おはようございます! 鎌瀬(かませ)さん」

「おはようございます!」

「おはようございます! お疲れ様です!」

 

 高級スーツを完璧に着こなすエリートたちが、雷に打たれたような反応速度で戌雄に一礼する。

 

 小鳥に吠えられた犬のようにびくりと背を震わせてから、戌雄は挨拶に応じた。

 

「ああ。うん。おはようございます」

 

 出世という概念の存在しない工場で長年働いてきた中卒の中年は、あまりにも丁寧な対応に居心地の悪さを覚える。ビクつきながら、作業服姿の男は受付に向かった。

 

「あのぉ。すみません。えーと。俺は戌雄という者なんですけれど」

 

 洗練されたエリートの口からは絶対に発せられないであろう、見るからに要領の悪そうな言葉で、見目麗しい女性社員に戌雄は話しかけた。何という頼りなさか。

 

 戌雄に話しかけられた受付嬢は、一流企業国亜商事の社員らしい完璧な態度で応じる。

 

「はい。鎌瀬(かませ)様ですね。承っております」

「いやあ。すみません。あの。社長に繋いでいただければ……」

「はい。お手数ですが少々お待ちくださいませ」

 

 セクシャルハラスメントで訴えられないように、目鼻立ちの整った受付の女から極力距離を取って会話した。彼は現在四十五歳。この年代の男が女性にとって気持ち悪いとされる生き物であることを、戌雄はちゃんと自覚している。相手が穏やかに対応してくれているからといって距離を詰めれば、助平親父として社会的に抹殺されるに決まっていた。

 

 武芸者ではあるが、人生の大半を肉体労働で過ごしてきた社会的下層民。人間としての自己評価は極めて低い。

 

 実際のところ、戌雄が危惧した通りに、受付嬢の心中は負の感情で満ちていた。

 

 負の感情といっても生理的嫌悪感ではない。国亜商事本社の受付を務めるエリートがそのような下らぬ感情を抱くはずもない。彼女が抱く感情は――

 

 恐怖だ。

 

 噂で聞いた。詳細は知らない。彼女のような一般社員が一次ソースの正確な情報に辿り着けるはずもない。ただ飲み会や合コンや更衣室での陰口。そうした場面で耳にしたことがあった。

 

 先月ヘッドハンティングされたばかりの警備保障担当者。武芸者であろう中年犬の、血生臭い噂の数々。

 

 曰く、前任の警備保障担当者を皆殺しにした。

 

 曰く、社長のご子息を殺害した。

 

 曰く、警備保障担当者が皆殺しされ息子まで殺された上で、その圧倒的な狂暴性に惚れ込んだ社長が直接スカウトした。

 

 先月中途採用された警備保障担当者。その名も鎌瀬(かませ)戌雄(いぬお)

 

 沈黙は金だ。噂の真偽を確かめるような危険な真似はできない。ただ客観的な事実として、目の前にいる男がこの会社の“暴力装置”であることは間違いなかった。

 

 眼前の冴えない男がその気になれば、自分の肉体は簡単に血霧となって消え失せるだろう。その確かな事実が彼女を恐怖させる。

 

 もちろん、社会人として長年問題なく過ごしてきた常識人の戌雄が、何の意味もなくこの受付嬢を殺す確率は統計学上無視していいほど低いはずだ。生来、大人しく温和な男である。

 

 が、まずありえない仮定として。唐突に正気を失った戌雄が受付嬢を殺した場合――おそらくこの会社の社長はそれを許容する。

 

 人の殺傷が許される権力と力を持つ者が、今まさに目の前に立っている。若くして本社の受付を任されたエリートは、階級社会のあまりにも理不尽な構造を、優秀な知性のせいで理解してしまう。

 

 今この瞬間の自分の命は、荒ぶるケダモノの気分次第で消えるのだ、と。

 

「長らくお待たせしました。では社長室までご案内致します」

「いやあ。すみません。よろしくお願いします」

 

 内心の恐怖を丁重に包み込み、受付の仕事を全うする。特に問題もなかったので、戌雄は素直に女の指示に従った。

 

 瑕疵などどこにもない。完璧な仕事だった。だがそれは武芸を修めぬ素人を基準にした完璧さだ。

 

 怖がられているな、と戌雄は思った。

 

 一流の観察眼で女の恐怖の機微を武芸者はいとも容易く読み取る。気分を害するわけでもなく、素で同情した。このゴールデンレトリバーは小心者なところがある。小心者同士の軽いシンパシーを覚えながら、完全な善意で彼女の誤解を解いてやろうかと一瞬思った。

 

 しかし自分のような中年男性が自発的に話しかけるのは、セクシャルハラスメントにあたるのではないか。

 

 そう恐怖して、結局何も言えなかった。

 

 誤解を解くことができぬまま、情けない背中で武芸者は主の元へと向かう。社長室の扉の前に至るまで両者は無言で、「無駄に年食ってる癖に気の利いたトークも出来ずにすみません」と戌雄は心の中で受付嬢に謝った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 外は明るかった。冬にしては珍しく明るい陽が差している。

 

 しかしその貴重な光を拒否するかのように、社長室のカーテンは閉め切られていた。

 

 横着なのではない。暗殺対策だ。低コストの布一枚を採用して狙撃を妨害するだけで、暴力と武芸から逃れる隙はいくらでも生まれる。

 

「失礼します。戌雄です」

「よく来てくれた」

 

 (とばり)で遮られた一室にて、片手で資料を確認していた男が、入ってきた戌雄に目を向けた。

 

「はい。部下ですから。呼ばれたらいつだって来ますよ」

 

 戌雄が主を仰ぐ。社長室にいたのは、座っていてもわかるほどに長身の男だった。かなり背が高い。椅子の高さから逆算すれば二メートルほど。少なくとも百九十センチは優に超えているはずだ。

 

 年は戌雄と大差なく見える。だが貫禄が違った。風格のない戌雄とはまるで違う。積み重ねてきた経歴と金が、その男に底知れない凄みを与えていた。

 

 眼鏡越しに冬空よりなお凍てついた光を宿し、国亜商事の支配者は自らの手駒を睥睨する。

 

 国亜商事の代表取締役社長――『国亜(ごくあ)玖忍(くにん)』は、いつものように無駄な前置きに時間を割くことなく口を開いた。

 

「早速だがビジネスの話をする。“オットセイ”についての知識はあるか?」

 

 油断も隙も堕落の気配もない完璧な紳士は、鋭利に研ぎ上げられた印象にそぐわない単語を告げて本題に入る。

 

「オットセイですか? 知っていますよ。そりゃあ。奴らは世界最強の戦闘種族ですから」

 

 一般常識に基づいて戌雄は答えた。

 

 オットセイ。

 

 読者諸君はその名をご存知だろうか。否、知る由はないだろう。少なくとも現代日本ではないこの世界における最強の戦闘種族の名は。

 

 最初に断言しよう。オットセイは世界最強の戦闘種族だ。この世界において、紛れもなくオットセイこそが種としての最強である。

 

 オットセイという生き物はかつて海に棲んでいた。大昔の彼らは海で魚を狩猟して暮らしていたとされる。生粋の狩猟種族であったオットセイが陸に進出してきたのはいつの頃だったか。文献によって異なるため詳細は定かでない。

 

 神代に近い古の時代、海棲の野生動物として扱われていたオットセイたちはやがて知恵を獲得する。手に入れた知恵と生来の力で地位を得た猛獣たちは、今では巨大企業を組織して大規模な経済活動を行うまでに至った。

 

 この世界のオットセイたちは動物園にいない。水族館にもいない。知恵を持たない動物に接するような下等な扱いを彼らは決して認めない。当然だ。現代日本では絶対にないこの世界におけるオットセイは、愛くるしい愛玩動物などではないのだから。

 

 体高二メートル超。平均体重二トン弱。完全な肉食性。そして極めて好戦的。

 

 軍人や傭兵、ヤクザや用心棒。暴力を生業とする仕事場には必ずオットセイを見つけることができる。チャカ(・・・)の弾丸を容易く弾く外皮。粗食に耐える分厚い脂肪。戦車にすら怯まぬ凶暴性。これらを生まれながらに備えるオットセイは強い。一般常識としてオットセイは強い。種族として最強だ。

 

 しかしオットセイという生き物の最大の強みは、戦闘能力ではない。

 

 世界最強たる彼らの真の恐ろしさとは、種そのものが一丸となって暴力を振るう、強固な組織力にこそあった。

 

「……オットセイと事を構えるのですか?」

「良い問いだ。答えよう。『私はその問いに対して答えない』。これをお前の問いへの回答とする」

「なるほど。承りました」

 

 世界最強の戦闘種族オットセイと敵対する。一流の大企業といえど、それは安易に口にしてはいけない発言だ。情報はどこから漏れるかわからない。建前の上であっても明言は避けるべきだった。

 

 されど戌雄とて武芸者。主たる社長の意を、鍛え上げた洞察力で違わず汲み取ってみせる。

 

「社長。えーと。よろしいですか?」

「要件を言え」

「はい。ちょっと世間話とかしても大丈夫でしょうか?」

「構わん。好きにしろ」

「はい」

 

 洞察が間違っていなかったことを確認した戌雄は、わざとらしくならないように気をつけて喋り出した。

 

「これは仮定の話でしてただの世間話で何の意味もない話なのですが」

「速くしろ馬鹿者」

「今すぐオットセイと戦えば我々が負けます」

「そうか」

 

 国亜商事が有する暴力の総量と、オットセイたちを統率する暗黒巨大企業“セイオーマート”の戦力を鑑み、客観的な事実を武芸者は述べる。

 

「単純な話です。この会社には戦える人材が俺以外にいませんから。流石に単騎でオットセイ軍団に勝つのは無理です」

「お前の前任たちはお前が皆殺しにしただろうが」

「あ、はい。いや、でもあれは不可抗力というか正当防衛というか」

「気にするな。責めてなどいない。ただの賞賛だ」

「はぁ。ありがとうございます……?」

 

 警備保障担当の前任武芸者たちを皆殺しにしてのけた男に、長身の紳士はわずかな笑みを見せた。穏やかな笑顔ではない。肉を喰らう獣に似た暴力性の発露だ。

 

 生来の攻撃性を完璧な精神力で縛り上げる支配者は、手駒が有する暴力の価値を認めた上で、今後の企業方針を語る。

 

「戌雄よ。お前が担当する警備保障部門は人手不足が著しいな」

「はい。俺しかいませんからね」

「実力のある人材をリクルートしたい」

「それは、つまり……?」

 

 社長がデスクに資料を放った。何かを見せたいらしい。おずおずと机に近寄った戌雄はその資料を手に取った。

 

「こ、この人は……ッ!」

「わが社はこの人材のヘッドハンティングを考えている」

「…………」

「見込みがあるなら是非スカウトしたい。無いなら殺せ」

 

 渡された資料を戌雄は凝視する。添付された写真には見覚えがあった。

 

 見間違えるわけがない。何せ実在する伝説なのだから。

 

「……チャンピオン」

 

 身長二メートルを優に超えるモンハナシャコ(・・・・・・・)がそこにはいた。この男の名を知らぬ武芸者はいない。おそらくは世界で最も有名な武芸者の一人だ。

 

 ああ、彼こそはボクシングの神ゴッドフィストに最も近づいた、最強のボクサーの一人。

 

 その名は“要塞砲(フォートレスキャノン)”のシャッコー。

 

 それが国亜商事警備保障担当者たる戌雄の、次のターゲットだった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。