狂った男がかつていた。
少なくとも現代日本ではないこの世界において、コアラの給料男や犬の工場作業員はいても、エイリアンなる種ないし存在は未だに確認されていない。恒星間航海技術が編み出される兆しは見えないし、銀河の彼方から何者かが飛来してくる予兆も現時点ではなかった。
客観的な事実としてエイリアンは存在しない。だがそんな事実などどうでもよかった。エイリアン無き世界でエイリアンの恐怖に狂った男は、エイリアンに対抗するための手段として武芸をひたすらに研鑽する。
エイリアンに立ち向かおうとした男の武芸は、狂気に導かれるがまま、頓珍漢な行いをする都度に失敗して間違えた。あるいはほんのわずかに改善されてアップデートされる。
やがて時代は下った。狂った男は何故か弟子を取った。その弟子が子供をもうけた。弟子の子供は他人の子を攫って自分の弟子にした。
存在しないエイリアンの駆除に特化した意味不明な武芸体系は、世代を経るごとに最適化されてゆく。狂気に取り憑かれただけの素人の無駄な努力は、取り返しのつかない時間をかけて暴と武へと昇華していった。
幾重もの奇跡の果て。妄執と狂気による夥しい数の犠牲者を出した末に形となった武芸――「対エイリアン白兵戦闘術」は、開祖の始まりからわずか百六十年足らずで、朱に染まった大輪の花を咲かせる。
昼下がりの商店街にぬるい桜の花びらと共にぬるい風が吹いた。
臓物と糞便が入り混じった戦場の臭気が風に乗ってどこへともなく運ばれてゆく。内臓が圧迫されて断末魔の絶叫すらあげることができずに死んだ玖忍の胎から出てきた超一流の武芸者――アン・エイリーは、中学校の制服と思しきジャンパースカートからぼたぼたと血を滴らせながら惨状の地に降り立った。
右手に握るは分厚い対エイリアン用マチェット。左手に携えるは
「下がれぇてめえらあッ! アン先生の邪魔すんじゃねえぞッ!」
「了解です親分!」
オヤブーンの怒声と共に若頭級オットセイのオウルが車椅子を担いで撤退する。下がるオットセイらの前でだらりと脱力した彼女の構えは刀剣とチャカを両手に佩いた変則的な二刀流だった。
改めて明言しよう。玖忍は死んだ。アンに殺された。
ゆえに真っ先に反応したのは距離を取った上でアンと対峙することになった戌雄と慈葉蔵――
「貴様ぁああああああああああああああああああああああああああああっ」
――ではなく礼瑠だった。
玖忍の死亡地点から遥か二キロ以上離れた遠方で女武芸者が絶叫する。愛する主を殺された一流の武芸者は激昂した。怒りと殺意を技量に変換し、超反応速度と卓越した精度でアンチマテリアルチャカを手繰る。激昂してなお礼瑠の武芸者としての才覚は極めて冷静沈着だった。凍てついた殺意と共に引鉄が絞られる。
飛来。音速の三倍超の助走を経て跳弾が緻密に舞った。超大口径のチャカ弾頭は、狙撃地点を巧みに隠蔽して、アンの心臓を穿つ軌道で怨敵の背後を取る。
怒れる礼瑠が放った完璧な不意打ちを――
「……」
――恒星系外生命体じみた理解不能な勘の良さと反応速度と動体視力を駆使する超一流の武芸者がじっと見ていた。礼瑠の狙撃を最初から終わりまですべて知覚していたアンは完璧だったはずの不意打ちにいとも容易く対応する。
「えい」
複数回の跳弾を経て飛来してきたアンチマテリアルチャカ弾頭へと、まるで敏感な生娘を愛撫するように、対エイリアン用マチェットの分厚い腹を優しく添えた。
礼瑠の狙撃を人外の冷静さでアンが捌く。音速の五倍を優に超える速度で少女の身体がゆるやかにゆっくりと旋回した。アンチマテリアルチャカの弾速に合わせた回転により、定められたレールの上をなぞるが如く弾丸の軌道が書き換えられる。アンの意のままに書き換えられたアンチマテリアルチャカ弾頭が向かう先は。
「ぐああッ!」
礼瑠の不意打ちとほぼ同時に攻撃を仕掛けていた戌雄の腹だ。戌雄が悶絶する。超大口径のチャカ弾頭を腹に浴びせられた。内臓が破裂して背骨が深々と損傷する。武芸者は一瞬で戦闘不能となった。致命的な状況。
「みつっみつけた」
しかし致命傷を受けた戌雄よりもなお致命的な状況に陥ったのは、跳弾の軌道から逆算して潜伏場所をアンに捕捉された礼瑠だ。
二キロ以上離れた遠方。
「死っ」
そんな遠方からアンの殺気が迸ってきた。恐るべき殺意に礼瑠は絶対の死を幻視する。一流のスナイパーである彼女は自身が置かれた状況を即座に理解した。
カウンタースナイプ!
敵はこちらを狙撃しようとしている。状況を察した礼瑠が取ろうとした退避行動と比較にならぬほど遥かに速く、呆れるほどの速度でアンは必殺の武芸を構えた。
左腕を後方に目いっぱい引き絞り、TKTSアサルトチャカをまるで弦楽器のように固定する。十三歳の少女の小さな右手に握る対エイリアン用マチェットは、弓に見立ててアサルトチャカへと宛がった。ジャンパースカートタイプの制服も相まって、まるで女子中学生が演奏コンクールで練習した曲を奏でるような立ち姿になる。
異なる構え。この構えから放たれるのは、超一流の武芸者アン・エイリーの最も美しき技にして彼女が有する最強の超遠距離攻撃手段。
「ふ、ふっとべ」
その名も――『ヴァイオリ「させるかよぉおおおおおーッ!」
瞬きの数万分の一以下の時間で礼瑠を即死させるはずだったアンの武芸は中断される。慈葉蔵だ。礼瑠と戌雄からほんのわずかに遅れて一流のラップの芯使いはアンへと斬りかかった。素晴らしい冴えを見せる慈葉蔵のラップの芯にアンは対エイリアン用マチェットで応じる。
「じゃ、邪魔ぁ」
「ガッ、くがッ」
慈葉蔵の先制により白兵戦が発生した。
生じた一合目。一瞬だけ成立した鍔迫り合いで慈葉蔵の右手首の骨が砕けた。二合目。不規則に泳いだ斬撃で左目を裂き潰された。三合目。ラップの芯が両断された。ここから先は攻防の流れが成立しない。ダンッ! 強烈な踏み込みで右足の甲を踏み抜かれた。足を固定された状態での肘打ちが入る。アバラ骨が粉砕骨折した。慈葉蔵の戦慄。アサルトチャカの銃口が残った右目奥の脳幹を狙っている。かろうじて躱した。額が裂けて噴き出た血で視野が欠損する。同時に鼻の骨が折られた。凄い威力の頭突きだ。アサルトチャカの弾頭を避けるために後ろ重心になっていたせいで、頭突きを浴びた慈葉蔵はトラックと正面衝突したかのように跳ね飛ばされる。
「き、ぎぁ……ッ!?」
一瞬で慈葉蔵はズタボロになった。
アン・エイリーはローティーンの少女だ。今現在十三歳の彼女を女子中学生とするなら慈葉蔵は虫だった。子供と虫けらの差があった。しかしアンから見て虫けらに過ぎない慈葉蔵は、一流の武芸者としての仕事を完璧にこなす。
「逃げっ、距離を……っ」
礼瑠が逃走するだけの時間を稼いだのだ。
「に、にに逃げりゅなぁっ」
如何なる霊感か。この場で最も厄介な遠隔攻撃型エイリアンが移動したことを悟ったアンは慈葉蔵に背を向ける。礼瑠の殺害を彼女は優先した。
「コ、コフーっ。ふーッ」
吹き飛ばされてゴミ捨て場に後頭部から突っ込んだ慈葉蔵が息を整える。
みしみし。めりめり。特殊な呼吸法で筋肉がみしみしと音を立てた。肉が歪んで骨が癒着する。立ち上がった。戦場にて長期間の激戦を経て生き残った本物の武芸者のみが使える絶技“換骨奪胎法”である。一呼吸で負傷を誤魔化した。戦闘力を取り戻した慈葉蔵はアンの後を追う。
「てめぇこそ……逃げてんじゃねえぞッ」
彼我の実力差は理解した。理解した上で逃走ではなく追撃を慈葉蔵は選択する。敵の名は知らなかった。名は知らねど実力は思い知らされた。おそらくは世界最強クラス。紛れもなく超一流の武芸者だ。いつぞや戦った隻眼隻腕の老人を超える猛者。そんな武芸者を相手に死合を舞える好機など今後の人生で望むべくもない。
「ここが俺の死に場所だ!」
覚悟を決めた慈葉蔵は死兵と化した。今ここでラップの芯のすべてを晒さないで何とする。
「ぅううううう。エ、エイリアンが、にげっ逃げちゃうぅうう」
背後から追ってくる慈葉蔵の気配をアンは察した。変な呻き声が勝手に出る。変な音を口の端から溢しながらアンは考えた。少女の脳内で超高速の演算が紡がれる。
つつー。異常な思考の超負荷に耐え切れずに毛細血管の幾つかが千切れて鼻血が垂れた。どこぞの八百屋さんの屋根を蹴ってアンと慈葉蔵は春の商店街を駆け抜ける。
無心でこちらを追いかけてる慈葉蔵とは対照的に、走りながらアンは色んなことを一生懸命考えた。考えて考えて考えて考えて考えた。必死に必死に必死に考える。
だって。
だって星の平和がかかっているのだ。この戦いはエイリアンとの絶滅根絶生存競争なのだ。負ければ星が滅ぶ。人類が絶滅する。少女の肩には星と種と世界の全てというあまりにも重い重圧が圧し掛かっていた。この娘は狂っていた。だから考える。必死に考えて考えて考えて考えて――
「ううううううぅ~っ! パ、パパぁあ~っ。応援っ、応援してぇえ~」
――意味不明で冒涜的な演算をアン・エイリーの脳は弾き出した。
追撃戦の渦中。鼻血をぼたぼたと垂れ流すアンが背後を振り返る。
振り返ったのは一瞬だけだ。振り返る際の遠心力を利用して対エイリアン用マチェットを投擲。
ぶぉおおおおん。絶対に対人用武器のそれではない超重量が飛来する。恐ろしい風切り音が鳴った。覚悟を決めて無心になった慈葉蔵は自らの才能を燃やし尽くすかのような集中力で飛来してきた凶器を完璧に捉える。
「ぬんッ!!」
がきーん!
下段からの上段への斬り上げ。会心の当たりだ。飛来してきた重く分厚いマチェットは慈葉蔵の渾身の居合に弾き飛ばされた。そのまま高々とどこかへと飛んで行く。
「……にっにっ二匹目」
超一流の武芸者の呟きと共に……。
事の脈絡を説明するために一瞬だけ記述は遡った。
対エイリアン用マチェットの投擲と全くの同時。後衛と前衛の身体能力差でかなり近くまで迫っていた礼瑠の方角に血で汚れた白いスニーカーをアンは素早く向け直す。その敵の姿に――慈葉蔵は、最期まで気づくことができなかった。
マチェットを投擲しただけだというのに、もう慈葉蔵を仕留めたとばかりに、背後を完全に無視してアンは駆け出している。これは何としたことであろう。
慈葉蔵に背を向けたアンは――TKTSアサルトチャカを肩に担いでいた。
担ぐという表現は正しくないかもしれない。左腕の肘を上げて脇を開け、まるで孫の手で背中の痒いところを掻こうとするような……。今まさに背中のむずむずするポイントに、ハンドガードのあたりが届こうという角度にアサルトチャカを傾けた。
そして発砲する。一発だけチャカ弾頭を放った。
気色悪い現象が生じる。
飛来する対エイリアン用マチェットを迎撃するべく斬り上げられていた慈葉蔵のラップの芯。その内部を、ラップの芯の筒の中を通って、アンの射撃が慈葉蔵の心臓を打ち抜いた。
一瞬にも満たない一瞬で“
「ごぱ」
予測できるわけもない完璧な不意打ちで心臓が破壊された。一流のラップの芯使いは即死する。戦闘機能を完全に喪失した慈葉蔵は、空になったラップの芯がゴミ箱へ捨てられるように倒れた。
しかしまだ終わらない。終わっていない。慈葉蔵が死んでも世界を守るための戦いは続く。気色悪い必然も続く。ひゅぅうううう。風切り音が春の空に響いた。天を舞う対エイリアン用マチェットが発する音が聞こえた。
対エイリアン用マチェットを弾いたラップの芯の当たりは、慈葉蔵のこれまでの武芸者人生において最高と言っても過言ではない会心の一撃だった。ラップの芯による完璧な一撃で弾き飛ばされた対エイリアン用マチェットがくるくると春の空を渡る。その先は――
「敵……っ。近」
――害獣ジェノサイダー礼瑠の後頭部。超高速で空中を飛来して接近して来る気配に、彼女もまた覚悟を決めた。背後より迫り来るは明確な格上。戦えば確実に殺された。ならば殺される前に殺すのみ。
逃走を一時中断して反転した。太腿のホルスターからサイドアームたる大口径ハンドチャカを素早く抜く。ずばん。恐ろしい速度で飛びかかって来た敵影を撃ち落とした。金属音が響く。何たることであろう。慈葉蔵の生涯最高の一撃は、分厚い対エイリアン用マチェットを百メートル近く弾き飛ばして、礼瑠の命をわずかに脅かしたのだ。
「は?」
デカいマチェットが飛んできた。だから撃ち落とした。敵の姿は見えない。
状況が理解できずに礼瑠は混乱する。瞬く間の空白が生じた。こうした分かりやすい隙を見逃してくれる超一流の武芸者がいるはずもない。
「えい」
「きゃあっ」
礼瑠は咄嗟に振り返った。
そこにはアンがいた。脳が理解を拒む怖気のするほどの気配遮断で礼瑠に忍び寄っていたアンがいた。
礼瑠が状況を把握しきる前に上段前蹴りを繰り出す。振り返ってきた
状況を説明しよう。慈葉蔵に弾き飛ばさせた対エイリアン用マチェットを囮に、礼瑠の背後へと忍び寄っていたのだ。
もちろんアンの行動はこれで終わりではない。まだ続いた。奇跡は続く。万人の理解を拒むほどの都合の良さで、大口径ハンドチャカの弾に弾かれたマチェットの握りが、麗らかな空中をくるくると回った後に、少女の小さな右手へと吸い込まれた。
あどけなさが残る女子中学生の眼からは血の涙が、鼻からは鼻血がぼたぼたと垂れる。超演算による過負荷だ。真性の狂人――アン・エイリーはこの盤面まですべて計算していた。
信じられるだろうか。最初から最後までこの場に辿り着くことを目標に行動していた。慈葉蔵の一撃も。礼瑠の反撃も。すべて予想していた。計算し切っていた。一生懸命考えて考えて考えて考えて考えて考えて思いついた作戦が無事に成功したので、首尾よく回収した対エイリアン用マチェットで礼瑠の腹を掻っ捌く。
「かっ」
腹を裂かれた礼瑠が身を捩る。身を捩ったエイリアンをアンは押さえつけた。
「う、ううう動くなぁ」
刃が流れる。目にも止まらぬ斬撃が舞った。捻じ曲がった一直線が生じる。腹を裂いた流れで礼瑠の右腕と左腕と右脚を切り飛ばした。もちろん腕と一緒に奪った得物のアンチマテリアルチャカを遠くに蹴り飛ばすことも忘れない。
「よいしょ」
ぐさっ。エイリアンの無力化に成功したので、唯一残った左脚に対エイリアン用マチェットを深々と突き刺し固定してやった。
「ぴっ」
潰れた鳥みたいな音が鳴った。これにて準備は完了である。準備が完了したので狂人は狂った儀式を始めた。ジャンパースカートタイプの制服に付けられた腰のポシェットから何かを取り出す。
「えいえいっ。えいえい」
取り出した何かを捌いた腹に詰め込んだ。
「やめっ。やめてっ。ぎゅ」
礼瑠の口から変な音がまた出る。圧迫によって生じた変な音を無視してエイリアンのお腹に何かをぎゅうぎゅうとアンは詰め込んでいった。何をやっているのか。この狂人は何を始めたのか。
ああ。何たることか。礼瑠のお腹のなかに、アンが頑張って詰め込んでいるのは最新の高性能爆弾だった。
水色のポシェットから取り出した高性能爆弾を頑張って一生懸命詰め込んでいった。急いで全部詰め込んだら中学生用の裁縫セットでこれまた急いで縫合する。
何故こんなことをするのか。答えは簡単で単純だ。
礼瑠のお腹のなかに初期段階のエイリアンの卵があったからそれを親ごと殺すためにアンはこんなことをしていた。
「あ、やめっ。あっあっあっ」
礼瑠は生きていた。まだ死ぬことができずにいた。出血が少ない。捕縛されるついでに右腕と左腕と右脚を斬り飛ばされたというのに思ったより血が出ていない。素晴らしいお裁縫の技量で右腕と左腕と右脚が止血されてしまったのだ。
そのせいでまだ生きていた。礼瑠は死ぬことができない。死ぬより先に作業が終わった。
妊娠していたエイリアンのお腹にたくさん敷き詰めた爆弾が爆発するまでの数秒のうちの数秒を余らせてやることをやったアンは生き残りのエイリアンを駆除するべくこの場をさっさと立ち去る。留め具にしていたマチェットを引き抜いた。腹の中に爆弾を鮨詰めされるという極大の恐怖と苦痛で、死ぬ瞬間の礼瑠は精神の均衡を崩していた。
「ひぁああああああっ」
数秒の後。害獣ジェノサイダーを損壊させるついでに生じた爆風でジャンパースカートの裾がぱたぱたとはためく。
「さっ三匹目。あとっあと一匹」
達成感も喜びも何もない完全に凪いだ音が口からこぼれる。慈葉蔵に続いて礼瑠も仕留めたアンに油断はなかった。
だって油断するとパパから爪を剥がしてもらえるからだ。油断したり集中力が切れたりすると痛覚神経に電気を流されたり■■を■■■されたりする。パパから
春の商店街を狂った少女が駆け抜ける。物心つく前から加えられてきた長年の加虐と虐待と拷問のせいで、哀れな被害者はどうしようもないほど完全に壊れていた。爆風に煽られてどこぞの桜の花びらが舞う。
「こ、ここの星はわたっ私が守りゅんだかりゃぁあっ」
ぽかぽかとした春の昼下がり――商店街の路地を駆けるアンの胸に燃えるのは、邪悪なエイリアンからみんなを守らんとする悲壮な正義感だ。
遠い日のこと。何十年も前の記憶だ。
玄関を出た小径から夕焼けが見える。戌雄の家はそんな家だった。戌雄の両親が暮らしていた家は、夕刻の眺めが綺麗で、金銭的にあまり余裕がなかった。
子供とは残酷である。幼少期の戌雄は家が貧乏という理由で虐められた。
いじめられっ子だった在りし日の戌雄は実に子供らしい理由で武芸に触れた。学校で虐められたくない。強くなっていじめられっ子の座から逃れたい。だから近所にあった寂れた武芸の道場に通うことにした。
佐崎式剛撃術。尊敬できる師の下で学び、昔日の戌雄はどんどん強くなった。師に手を引かれ、子供時代の尊い時が流れる。
ゴールデンレトリバーの少年が強くなるにつれ、自然とイジメはなくなった。戌雄が強くなったからイジメがなくなったわけではない。学年が上がるにつれて特に理由もなく虐められなくなったのだ。
子供は残酷で移り気だ。流行っていた遊びは廃れる。夢中になっていたゲームには飽きる。移り気な年ごろの子供らしくもなく愚直に鍛え続け、ついには虐めから解放された幼き日の戌雄はふと思う。武芸を続ける理由を失った戌雄はごく自然にこう思った。子供の頃の夢の話だ。
「……世界最強」
世界最強の武芸者になりたい。
どこからか悲鳴が聞こえる。
首の奥に広がる根のような部位を通じて、頭の中の苦しい部分に誰かの甲高い声が振動として重く響いた。周囲の喧騒があまりにも煩わしい。
雑然とした響きの億劫さに戌雄は思わず目を覚ました。
「あ、あぁ。何が、どうなって……」
目を覚ますと武芸者としての才能が周囲の状況を勝手に知らせてくる。ここは商店街のメインストリートだ。時節は春の昼時。腹を貫通したアンチマテリアルチャカ弾頭で体が破壊されている。肝臓は破裂済。肺と腸と骨にも相当なダメージ。
負傷に纏わる情報がやかましく絶叫する。あとは目の前で戦闘が始まったことにようやく気付いた商店街の住民たちが騒いでいた。
「おい! 何がどうなってんだ!」
「銃声!?」
「く、玖忍さんが死んでるぞ!」
こちらは無視していい。同様に負傷もある程度無視できた。
「……ふーッ。こふーッ」
慈葉蔵から教えてもらった手法で息を整える。換骨奪胎法だ。特殊な呼吸で筋肉を収縮させて骨と負傷箇所を圧迫ないし疑似的に縫合する。この武芸を会得した武芸者は継続戦闘能力が飛躍的に跳ね上がった。才能を要するこの術を戌雄は三日そこらで物にし、実践たるこの場で完璧に成功させる。
「……動ける。立て……る」
負傷は甚大だった。されど死んでいない。すぐには。見事な換骨奪胎法で負傷を無視した武芸者は立ち上がろうとした。一流の武芸者はこの程度では死なない。
立ち上がるまで流石に時間がかかった。膝が笑う。操作を極めた重心がぐらつく。
「俺は……武芸者だ」
それでも強引に立ち上がった。体勢を立て直すまでの刹那に戌雄の脳内に何かが煌めく。過去の記憶だ。遠い昔の記憶だ。
家から夕焼けを眺めた。
師匠と一緒に武芸を研鑽した。
転校して小学校が変わった。
家に借金取りがやってきた。
また学校が変わった。
通う高校を中退した。
工場で働き始めた。
両親が死んだ。
居酒屋で酒を呑まない晩御飯を取った。
休まず鍛えた。
一人で鍛えた。
三十年間一人で鍛え続けた。
たった一人きりの武芸研鑽の果て――四十五歳の武芸者は主に出会った。
「……玖忍さん」
臨死による走馬灯を経て、慈葉蔵と礼瑠に続いて戌雄も覚悟を決める。
「まだ終わってない、よ」
今この瞬間の戌雄の脳裏に走馬灯が瞬いたのは、腹部の負傷が原因ではなかった。危機感と予感が原因である。
礼瑠を探してどこかへ消えた超一流の武芸者。あの女の子が自分を殺しに来るという予感が走馬灯を想起させた。迫り来る絶対の死を覆す術を過去の記憶から戌雄の才能が自動で掘り起こしてゆく。だから死に際の走馬灯を見た。
「せ、戦闘だ! 俺は避難するぞ! 誰か武芸者の人たち呼んで来い!」
「オットセイどもの攻撃だ! 逃げろ!」
「た、大変だぁ! 慈葉蔵さんが死んでるぅ!」
立ち上がって息を整える戌雄の前で、商店街の住民たちが逃げ惑う。右往左往する住人たちを一顧だにせず彼女は人々とすれ違った。有象無象の虫けらの群れをすり抜けるように“何か”がこちらへやってくる。
やってきたそれは全身を朱に染めた中学生くらいの女の子だった。
「エイリアン。ころっ殺す」
だらりと下げた小さな右手には分厚い山刀。同じく垂らした左腕には小さな手に不釣り合いなアサルトチャカ。チャカと刀剣の変則的な二刀流。
使い手の名はアン・エイリー。
暗黒巨大企業セイオーマートに四千億円強で召喚された超一流の武芸者だ。鼻血と血の涙を垂れ流し、瞬きせずゆっくりと距離を詰めてくる敵に武芸者は応じる。
「ああ。俺は――」
何とか立ち上がって息を整え、佐崎式剛撃術の適度に脱力した構えを取り、名も知らぬ少女と向き合った。
同時に気づく。子供のころの夢を戌雄はやっと思い出した。
――きっと“これ"と戦うために生まれてきたんだ。
世界最強。世界最強が目の前にいる。
こちらに向かってくる少女の形をした何かは、戌雄がこれまで出会ったなかで間違いなく最強の武芸者だった。いつぞやの老人よりも。あるいは師匠よりも強いかもしれない。
世界最強の武芸者だ。世界最強の敵と正面から相対し、武芸者は生まれてきた意味を知った。
「うぉおおおおおーッ!」
知らず叫び声が出た。
何の意味もなく叫んでから、四十五歳の若き武芸者は、アンに向けて真っすぐに駆ける。ふらつく足が勝手に動いた。
全身の血潮が躍った。体が軽い。
負傷の影響どころか全能感すらある。あらゆるものに邪魔されて何十年も止まっていた武芸者としての人生がやっと再開した。そんな感じがした。俺はここにいるぞ。武芸者として生きているのだ。戌雄の才能が高らかに彼の存在を絶叫する。絶叫しながら駆けた。
戌雄。この男は天才だ。本物の天才だ。
幼少の時分に師から引き離されるも独学で鍛え続け、後の人生でも親の境遇と仕事に邪魔をされ続けながら、これほどまでの力を手に入れる。戌雄と同じことができる者が世界にどれほどいようか。並みの武芸者であれば間違いなく途中で潰れていた。世界最強の武芸者との立ち合いに高揚する才能は、生まれながらにして備わっていた天賦の血肉を宿す体は、迷いが何もかも消えたことで実現可能な性能を遍く花開かせた。
そう。戌雄は天才だ。才能あふれる本物の武芸者なのだ。
「わぉおおおおおおおおんッ!」
天から賜った才能に導かれ、死に追われる走馬灯の果て。戌雄の才能が結実する。
交錯の刹那。やがて天才武芸者は一つの“武芸"に辿り着いた。環境に潰されることなく才能を研ぎ続けてきた獣は、迫り来る死を回避するため、アン・エイリーに届き得る唯一の牙を剥いた。
男がその技を見たのはたった一度だけ。それだけで十分だ。繰り出さんとする技の射程範囲にアンが入った瞬間に、超一流の武芸者サマーソルト如月の絶技を再現してのける。
何の警戒心もなく間合いに入ってきた相手を、一対の牙が確実に葬ろうとした。読者諸君は覚えておられるだろうか。ああ。これこそは――サマーソルト如月の必殺技“ダブルサマーソルト"!!
死に瀕したことで覚醒した戌雄が繰り出す武芸を。
「……」
アン・エイリーが見ている。じっと見ていた。恒星間航行技術を有する外宇宙のエイリアンが他惑星の微生物を顕微鏡で覗くような眼でじっと見ている。
技の射程に入る前からアンは全てを読み切っていた。重心移動。発汗。皮膚の震え。そうしたものがとても分かりやすく親切に戌雄の牙の構造を全部教えてくれた。
戌雄は天才である。才能を輝きで例えるならば、常人の才を蠟燭の火とした場合、彼の才能は誇張抜きに太陽のそれに等しい。
そしてアン・エイリーもまた天才だった。ならばこそ結末は何一つとして偶然のないただの事象でしかない。
「えい」
ジャンパースカートが持ち上がり、青緑色のダサい体操着のラインが露出した。
「わふッ!?」
高い段差を昇るように上げた右足で下手くそなサマーソルトキックを踏み潰す。大振りの攻撃の機先を潰された戌雄は、子供が土手でダンボールのそりを滑るような姿勢になってしまう。体勢を崩した間抜けなエイリアンに向け、アサルトチャカの弾頭を、ばばばばばばばば、と適当に浴びせた。
武芸者にチャカなど効かない。強固な肉と強靭な骨と健康な皮膚が弾丸を簡単に弾くからだ。オットセイと商店街勢力の間で生じた昨日の戦いを思い出して欲しい。ロケットランチャカ部に所属していた高校生のロケランチャカ弾頭を一流の武芸者と比べれば強さで数段劣るはずの親分級オットセイは無傷で耐えて見せた。
幼稚園児の女の子が好きな男子に放つ照れ隠しパンチと、プロボクサーが敵の命ごと刈り取る覚悟で放つクロスカウンター右ストレートは同じではない。
急所を撃ち抜く正確性。敵の隙を狙うタイミング隠密能力。根本的な殺意。これらの複合で武芸の殺傷力は決まった。火器の場合でも変わらない。意味不明な精度で肉と皮と骨の隙を泳いだ上に必殺の怨嗟を込めることで、アンのアサルトチャカは戌雄の命を確実に奪った。
どこにも矛盾などない。奇跡は起こらなかった。
「か、かふッ」
「エイっエイリアンっ。しねっしねっ死ねっ」
ばばばばばばばば。
戌雄がアン・エイリーに勝てる可能性はゼロだった。文字通りのゼロパーセントだ。どれだけの奇跡を積み重ねても絶対に負けた。仮にアンが新型ウイルスに罹患して四十二度の高熱を出していたとしても確実に負けた。
戌雄とアンを比べた際の総括としてアンの方が強かったという表現はもはや適切ではない。戌雄がアンに勝っているものは何一つとしてなかったのだから。
経験で負けていた。技術で負けていた。筋力で負けていた。体重でも負けていた。唯一特記に値する天賦の才能ですら負けていた。
弱い武芸者が強い武芸者に負けて死んだ。
「ころころっ殺した。ほか、他は……? か、隠れてるエイリアンは……?」
ありふれた必然だけがあった。
決着がついてから数十秒ほどの時が流れる。遠くで聞こえた銃声や爆発音に怯えて逃げ惑う住民たちは状況を理解できていなかった。
オットセイたちも大半は彼我の勝敗を把握していない。
支給品として貰った高性能スマホをぎこちなくぺたぺたと触るアンがタッチパネル操作にもたついているせいで、報告と連絡が遅れている旨などセイオーマートの面々は知る由もなかった。最終的に変なところを触ってしまったアンはセイオーマートのコールセンター経由で戦闘の結果を報告する。
「親分。アン先生から連絡です」
「おう」
若頭級オットセイのオウルからオヤブーンはスマホを受け取った。今しがた行われた完璧な戦いとは打って変わってひどく要領悪い報告をアンが行う。
『あ、あの、そのっその……』
「おう。アン先生。飾り文句はいらねえですぜ」
『あ、あ、あっ、お、お、お』
「おうおう。勝ったか負けたかだけひとまず教えてくだせえ」
『おわっ、終わりました』
「お見事でごぜえやす。アン先生」
『こ、ころっ殺しました。ぜっ全部殺しっ殺しまっしましたぁ。ぜ、全部駆除しましたぁ。エイリっアっエイリアンどもは一匹残らず殺しっ殺し尽くしましたぁっ』
「おうおうおう。流石です。ご苦労様でごぜえやした」
連絡が終わった。
用心棒の先生から報告を受けたオヤブーンは、眼鏡をかけたオットセイこと若頭のオウルにスマホを渡す。スマホを渡された若頭級オットセイのオウルは慇懃に一礼した。
ごきッ。ごききッ。砕けた首の骨をオヤブーンが気持ちよく鳴らす。何たる自然治癒力であろう。親分級オットセイの負傷はほぼ完治していた。ありとあらゆる戦闘力を取り戻したセイオーマートの統率者は吠える。
「おうおうおうおうおうおうおう!」
恐ろしい威嚇音。心の弱い女子中学生であれば心停止してもおかしくない。圧倒的で絶対的な暴力を想起させる恐ろしい咆哮。
「おうおうおうおうおうおうおう!」
「おうおうおうおうおうおうおう!」
「おうおうおうおうおうおうおう!」
「おうおうおうおうおうおうおう!」
「おうおうおうおうおうおうおう!」
親分の咆哮に呼応して他のオットセイたちも吠える。聞いた者の心を折る暴力的な怒声が商店街に響き渡った。商店街の住民たちの心がへし折れた上で、十分な注目が集まったことをオヤブーンは確認する。
舞台を整えた後に死刑の執行を宣言した。
「ハイウェイ工事を妨害する蛆虫ども! てめぇらが雇った用心棒は、俺たちが雇った用心棒の先生が皆殺しにした! てめぇらも今から皆殺しにする! セイオーマートに盾突いたことをあの世で後悔しやがれッ!」
暴力が始まる。交渉とビジネスの段階は終わった。ここから先にあるのは暴力だ。暴力だけだ。暴力を背景に置いた恐喝まがいの交渉をオットセイたちはまず行う。ビジネスライクな戦争屋の常として戦力が減ることを彼らは恐れた。パブリックイメージに反して直接的な戦闘をオットセイは極力避けようとする。おうおうおうと吠えるだけで相手が折れるならそれに越したことはないのだ。
しかし交渉相手が抵抗の意思を捨てなかった場合には、一切の情け容赦がない完膚なきまでの究極的暴力が地上に現れる……。
ごごごごごご。
どこに隠れ潜んでいたのか。ここに来る道路脇の土手あたりに控えていたインテリジェンスロードローラーたちがやってきた。インテリジェンスソードなる代物がある。意志を持つ剣だ。流暢に喋ったりする。
インテリジェンスソードのロードローラー版がインテリジェンスロードローラーだ。この世界のロードローラーには人権がある。この世界は少なくとも現代日本ではなかった。
「うっす。気合い入れて工事させてもらうっす」
「うっす。自分、障害物を圧し潰すことしかできないっす。不器用なんで」
「うっす。たくさん頂いてる給料分は働かせてもらうっす」
ばきばきごきばきぐしゃ。ロードローラーの編隊が商店街を踏み潰してゆく。
「ひぃいいいッ!?」
「この商店街はもう終わりだー!」
「逃げろぉおおお! 踏みつぶされるぞぉおおお!」
迫り来るロードローラーに商店街の住民たちは逃げ惑った。今は亡き狂人の残滓か。それとも町内会長としての正義感か。
「やめろぉお! ワシのッ! ワシらの商店街を潰さないでくれぇ!」
商店街の町内会長の老ヨークシャーテリアこと八木がロードローラーの前に立ち塞がる。
「ぎゅっ」
立ち塞がって死んだ。
「うっす。何か踏んだかもしれないっす」
インテリジェンスロードローラーに踏み潰され、“ぺしゃんこ”になって死んだ。商店街の店舗やテナントが八木の骸と一緒に次から次へと破壊される。建物に付随して相当数の住民たちも命ごと破壊された。だがロードローラーに潰されて死んだ者たちは幸運である。
「おうおうおう! タモは持ったな!」
「おうおうおう! 書き入れ時だぜ!」
「おうおうおう! 手当たり次第に人肉加工工場送りだ!」
タモや麻酔チャカを持ったオットセイたちが破壊に乗じて商店街の住民たちを一斉に捕獲し始めた。戦争の倣いである。こうした残酷な光景は勝敗が決まった後の鉄火場でよく見ることができた。
すべてはビジネス。生きたままオットセイに捕らえられた者たちは鮮度良好なまま人肉加工工場へと送られる。人肉加工工場で生きたまま人肉に加工されるのだ。オットセイとの交戦した折に死ねずに捕まってしまった場合は、このように長く苦しんだ上で死ぬことになる。
「あ、ああっ。お父さんっ。お父さんのちゃんこ屋が……」
人肉加工工場送りも最悪の死に方ではなかった。いつぞや戌雄と玖忍が訪れた美味しいちゃんこ屋の代理店長兼看板娘――陽乃が、破壊された店の前でへたり込んでしまった。
勝ち戦にテンションの上がったオットセイに殺される者。インテリジェンスロードローラーから潰される者。捕獲されて人肉加工工場送りにされる者。苦しみの形は様々だ。暴力と死に満ちたこの世界では別段珍しくもない地獄絵図が地上に描かれる。
ふわり。
「あ、あ、あ、あのっ」
「おう。アン先生。お早い到着でございやすな」
超一流の武芸者による脚力と体捌きの併用によって、完全な無音でどこからかアンがふわりと降り立った。オヤブーンにおどおどと話しかける少女は、目の前で繰り広げられる地獄絵図に何を思うのか。
「お、お、おっ親分さん」
「へい。アン先生。何でございやしょう」
「え、エイリアンとちょっ長期間行動を共にした人は、え、えーと、エ、エイリアンに寄生っ寄生されてる可能性がありまっあります」
「と仰いますと?」
「だ、だから、えーと。あの、その、事後っ事後処理で“消毒”するのはとっても良いことっ良いことなんですけど、えーと」
「おうおう。後腐れがないやり方でごぜぇやすな」
「あの、えーと、で、でも見たっ見た感じ結構な人を取り逃っ取り逃しちゃってて……」
「まあ生き残る連中は多少出るやもしれやせん」
「だ、だからっ。みなっ皆殺しにするべきですっ。ぜ、ぜ、ぜぜぜ全部っ全部ころっ殺し殺してしまいましょうっ! ぜんいんっ。ばっ爆撃っ爆撃とかで!」
狂った武芸者は最悪のことを宣った。
「猛々しいご意見ありがとうございやす」
「は、はひぃっ。エイリアンの協力っ協力者は駆除っ駆除っ駆除対象です!」
「ごもっともです。……しかし」
「は、はひ?」
「世の中には予算ってものがあるんでさぁ」
「お、お金ですかぁ?」
「へい。ご理解くだせえ」
「う、うぅう。わたしっ、私はアマっアマチュアなので、あんまりっあんまり偉そうな口出し……口出しは出来ませんけど、でもっでもっでもっ、次からはちゃんとみんなっ皆殺しに駆除っ駆除っ駆除してこ、こ、こ、こここ殺し尽くしたい……」
「おうおうおう! 流石ですなアン先生。あんたは最高のビジネスパートナーだ。お互い末永く稼いでいきましょうや」
暴力性という一点において少女とオットセイは共通のビジョンを持っていた。
オヤブーンという理想的な主を得たアン・エイリーは、今まさに飛躍の時を迎える。
順風満帆な若き武芸者の傍らで暴力と殺戮の宴はまだ始まったばかりだ。ロードローラーに逃げ惑う者たちやオットセイから捕獲された者たちは、自らの境遇に必死で他者を顧みる余裕などまるでない。だから誰も気に留めなかった。
無言のまま横たわる戌雄の骸を。
暴と武が渦巻く冥府魔道に身を投じた末。何の意味もなく死んだ武芸者の死に顔は――
俺は、武芸者として生きたぞ。
――どこか満足気だった。