スモウマスターvsエイリアンハンター   作:奈田

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第二十二話 断絶と継承

 少なくとも現代日本ではないいつかのどこか。

 

 いつかのどこかの場所の定かならぬ薄暗くカビ臭い一室に老人が入ってきた。部屋のカーテンは閉め切られている。外界との接続を遮る暗幕のせいで季節も時間帯もまるでわからない。この場においてただ一つ確かなことは、部屋に入ってきた老人が武芸者であるということだけだった。

 

 剣呑な老人である。剃刀のように研ぎあげられた暴力と武芸の気配を纏っていた。どれだけの修羅場を潜り抜けたのであろう。老人の片目は潰れ、片腕はもげていた。それでいて部位の欠損を感じさせない圧倒的な力を余人に感じさせる。

 

「ようこそ武芸者さま。うえへへへ」

 

 薄暗い部屋に入ってきた老人に呼応して暗がりから声がした。見るべき者が見ればすぐに武芸者とわかる老人を出迎えたのは大柄な男だ。老人の身長は百七十センチ弱。対して薄暗い一室の隅に潜んでいた男の身の丈は、百九十センチを優に超える。薄暗い一室に潜む男は大きかった。身長だけではない。横幅も大きい。体重が百五十キロを下回ることは絶対にないだろう。それだけの筋肉がついていた。だというのに男の気配は体格に似合わずどこか卑屈だ。

 

 大柄な男から出迎えられてすぐに老人が告げる。

 

「前払いだ」

 

 馴れ合うつもりはないとでも言わんばかりに、大きなバッグを老人が放った。重い落下音が暗い部屋に響く。鍛えられた武芸者ならではの膂力で投げられたバッグに男が縋り付いた。

 

「うへ。うへへへへ。上物ですなぁ。うへへ」

 

 中身を早速確認する。内容物を認めた男は恍惚とした表情を作った。老人が汚れた床に放り投げたバッグの中身は、暴力に纏わる非合法な仕事で得たことがありありと分かる品。あらゆるコミュニティで非合法とされる薬物のパックだ。おそらくはドーピングのための……。

 

「ブツは渡した」

 

 約束の品を差し出した老人は、どこぞにあった適当な椅子を自分で引いて座った。

 

「へへえ。結構なお品で。うへへへ」

「話せ」

「何をですかぁ?」

「貴様が知っていることを全てだ」

「へへえ。承知ですか武芸者さま。では全部。全部話させていただきますよ。うへへへへ」

 

 椅子に腰を下ろした老武芸者から促された大柄な男は、重篤な糖尿病の影響でろくに見えてもいない淀んだ眼を卑屈に輝かせる。過度のドーピングと適正を逸したトレーニングで肥大化した肉を揺らして男は嗤った。

 

「ではどこから話していきましょうかねぇ。うえへ。うへへへ」

 

 少なくとも現代日本ではないこの世界のすべてを嗤う巨大な男は語り始める。

 

 世界最強の武芸者。スモウマスターの末路を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 世紀の一戦と呼ばれた戦いがかつてあった。

 

 スモウマスターvsエビル千手観音。

 

 スモウマスターとは史上最強の力士である。対するエビル千手観音は史上最強のプロレスラーだ。横綱とプロレスチャンプ。すなわちこの両者の一戦は相撲の神とプロレスの神が相打つ戦いに他ならない。世界中の格闘技ファンが垂涎するまさしく世紀の一戦だ。だがこの試合を実現させるためには、天文学的な数の障害をクリアする必要があった。

 

 大相撲の世界は格式を重んじる。いつの時代も横綱は体面としがらみに縛られた。如何に最強で偉大と雖も一プロレスラーに過ぎないエビル千手観音との試合を横綱たるスモウマスターが受けてくれるはずもない。

 

 だからこそ邪悪なるプロレス神――エビル千手観音は、この試合を成立させるためにとんでもない外法を用いた。

 

 スモウマスターの妻を攫い、凌辱の末に殺したのだ。

 

 凄絶な挑発である。真っ当な手続きで試合を組めないというのなら、相手が向かってくるようにすればいい。プロレスを司る邪神はそう考えた。少なくとも現代日本ではないこの世界において、プロレスの神たるエビル千手観音は絶大な権力を有する。後処理をきちんと行えばファック&スレイさえ時に合法となるのだ。

 

 妻を殺された復讐がしたくば暴力と武力を用いるべし。そんな状況にスモウマスターを追い込んだ。しかし追い込まれたのは果たしてどちらの方だったのか……。

 

 挑発されたスモウマスターはすぐに動いた。スモウマスターが反応してくれたおかげで試合はあっさりと成立する。問題は成立した後だ。

 

 まるで事前に各種準備をしていたかのような手際の良さで興行にスモウマスターは割り込んでくる。妻は病で亡くした。公式の場で妻の病死を発表し、表向きの領域では報復措置を行わなかった。一方、裏の領域では相撲の神の力を十全に活用する。一門の弟子を使い捨ての鉄砲玉として用い、エビル千手観音のトレーニングを徹底的に邪魔した。さらには後援会を含めたありとあらゆる手管を用いて試合のルールに干渉する。

 

 プロレスの神が有する権力は絶大だった。しかし相撲の神が有する権力もまた絶大。エビル千手観音には驕りがあったのだろう。ショービジネスの世界で生き馬の目を抜いてきた自分が、所詮はアスリートに過ぎないスモウマスターに、権謀術数の領域で負けるわけがない。そんな驕りがあった。

 

 訪れた世紀の一戦。花道を征くエビル千手観音の前に聳えていたのは――

 

 ――見慣れたプロレスリングではなく"土俵"だった。

 

 世界の裏の裏まで知り尽くすエビル千手観音をして化け物としか言いようがないカリスマ性とビジネスセンスで、リングの形状をすら支配してのけたスモウマスターは、文字通り自分の土俵にエビル千手観音を引きずり込んだ。

 

 スモウマスターが勝利するために作らされた興行を目の当たりにし、エビル千手観音はようやく理解する。スモウマスターの武芸的狂気を。自分が嵌められた事実を。

 

 いつから。一体いつからだ。ああ。何たることか。物事の因果。すべては逆だったのだ。スモウマスターこそが実の妻と腹の娘を道具として使い、この一戦を成立させた。

 

 断頭台と化した土俵状のリングに登る刹那。試合カードを仕組んだのは自分ではなくスモウマスターの側だったということをエビル千手観音は悟る。妻と腹の娘を武芸的狂気の贄に焚べ、エビル千手観音を踏み台に自らを世界最強にしようとしたのだろう。

 

 強いだとか弱いだとか。スモウマスターはそんな次元にいなかった。あの怪物こそが世界最強。

 

 自分が絶対に勝つ土俵を事前に作っておく。ビジネスと武芸を両立させた怪物にどうやって勝てというのか。戦う前から負けていた。まるで念入りで丁寧な台本が描かれたプロレスのように、凄絶な死闘の末にエビル千手観音は敗れた。

 

 武芸者として負けた。プロモーターとしてもビジネスマンとしても。勝っているものが何ひとつとしてなかった。それほどの差があった。

 

 何も文句はない。すべてにおいてスモウマスターの方が強かった。それだけの話なのだから。

 

「……何故だ。スモウマスター」

 

 だがエビル千手観音は生き残ってしまった。あろうことか意識のあるまま生き延びてしまった。確かにスモウマスターは世界最強だ。同時にエビル千手観音もまた世界最強だった。

 

 スモウマスターに完膚なきまでの敗北を喫したエビル千手観音は、敗北したというのに生きたままリングの外にいた。プロレスの神とまで謳われた男の肉体は、スモウマスターを以てしても殺しきることができなかったらしい。

 

「俺は何故生きている。どうして殺されなかった」

 

 完敗による死の淵から生還したエビル千手観音は自問する。何故生きているのだ。真剣勝負の結果に文句はない。完璧な興行だった。史上最高の興行の果てに完璧な敗北をした。なのに何故生きている。おかしい。こんなことは許されない。完璧な試合の結末は敗者の死によって彩られなければならないというのに。

 

 羞恥と屈辱による絶望に蝕まれたエビル千手観音は放浪の旅に出た。放浪する過程で武芸的狂気が深まる。狂気とストレスで過食を繰り返し体が肥大した。エビル千手観音は変容してゆく。

 

 精神も。肉体も。狂気も体もどんどん大きくなった。いつしかエビル千手観音の面影は失われる。今の彼はプロレスラーというよりまるで力士のような……。

 

「ああ。そうか。俺がスモウマスターだったのか」

 

 やがて完全に壊れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ばきん。大きな打撃音と衝撃が響く。薄暗い一室の壁に穴が開いた。老武芸者が感情のままに殴りつけた痕跡だ。

 

「……ならばスモウマスターは既に死んでいるというのか!?」

 

 鉄槌打ちで壁を殴りつけた姿勢の老人は激昂する。荒ぶる老武芸者を前に、ドーピングで体を膨らませた男はへらへらと嗤った。

 

「へへぇ。膵臓癌だそうで。エビル千手観音と戦った時点で余命幾ばくもなく……。言っちまえばあの一戦は死ぬ前に相応しい相手と戦うための葬式みたいなもんですわな」

「まだ生きていると聞いた。目撃情報もある」

「そいつは狂ったエビル千手観音ですぜ。うへへへへ。どうやらスモウマスターとの一戦で脳みそをやられちまったようで。今はスモウマスターのコスプレをして彷徨ってるそうな」

「適当なことを言うな。殺すぞ」

「じゃあ蒸留済の確かな情報を。あっしはスモウマスターが死ぬところを見ました。立ったままの見事な最期でしたぜ。うへへへへ。詳細な死因は膵臓癌による播種性血管内凝固症候群だとか何とか」

「……死んだ。……あのクソガキが死んだだと」

「まさか相撲の神様を殺すとはいやはや病とは恐ろしいもんですなぁ。うへへへへ。お互い健康には気をつけましょうや」

「ふざけるな。ふざけるなよ……」

 

 スモウマスターが死んだ。巨大な男は確かな事実を老人に伝えた。そう。エビル千手観音を完膚なきまでに打ち破った世界最強の武芸者スモウマスターは取組の直後に死んでいた。

 

 問答を経て老武芸者は尻を地面につける。座り込んだ。座り込んでしまった。そこからは急激な変化だった。極限まで研ぎ澄まされていた武芸者の肉体が萎んでゆく。

 

 これまでの三十年の全てを捧げ、スモウマスターの首を刈り取るために鍛えてきた極限の武芸が萎えていった。まるで現実の年齢に引き戻されるかのように老武芸者が衰える。

 

「うへへへ。どうやら同業者だったようで」

 

 八十をとうに過ぎた老武芸者を前に大柄な男――スモウマスターの兄弟子は嗤った。

 

 スモウマスターは男の同門同部屋の弟弟子だ。大相撲という武芸の道に進んだ彼とスモウマスターは同じ世界にかつていた。共通点はそれだけだ。神の肉体と神の精神と神の武芸を宿すスモウマスターと男では比べることすらおこがましいだろう。

 

 男は力士としてほどほどに精進し、大きな怪我をすることなく引退した。娘も生まれた。適当な商店街に構えたちゃんこ屋が軌道に乗る。生活に不自由はなかった。

 

 それでも消えない。スモウマスターへの憧れは。スモウマスターを倒したい。世界最強の武芸者に土をつけたい。肺腑の底に宿る思いは。

 

 だから一人娘を残して店を出た。家族を捨てた後はありとあらゆる外法に手を染めて力を得た。闇に堕ち、力を付け……男がもたもたと遊んでいる間に、スモウマスターは世界最強となって死んでしまう。誰も。この世界の誰も。スモウマスターに黒星をつけることはできなかった。

 

「あっしは思うんですよ。スモウマスターの野郎の首を狙うのはいくら何でも家賃が高すぎたってね」

 

 家賃が高い。番付を上げすぎたせいで黒星が嵩むことを意味する相撲用語だ。すっかり萎んでしまった老人に、ドーピングと外科手術で肉体を膨らませた男はこれまでの人生で得た哲学を語る。

 

「もっと手頃な相手を目標にして満足してりゃあ、あっしの人生もちったぁマシになってたんじゃねえのかってね」

 

 何もかもを間違えてしまった己の人生について、スモウマスターの兄弟子は中身のない文言をつらつらと喋った。薄っぺらい言葉を連ねた男の顔には死相が浮かぶ。強さだけを追い求めて寿命を縮める外法の薬物に手を出し続けた影響だ。この男はもうじき死ぬ。

 

 肉体的な寿命が差し迫った男の前に、スモウマスターよりは幾分倒しやすそうな武芸者が現れたのが目の前の現実だ。ドーピングで膨らませた体が萎む前に手頃な相手――老武芸者が現れたのである。そして脈絡のない展開が生じた。

 

「というわけで冥途の土産に殺させていただきます。うえへへへへ」

 

 座り込んだ老人に男が唐突に襲い掛かった。しゅばんッ。流石は元力士か。腰を下ろした状態から敵を弾き壊さんとする攻めには迫力がある。

 

「…………」

 

 ばちん。

 

「あぎゃッ」

 

 老人に襲い掛かった男はもちろん秒殺された。

 

 スモウマスターは世界最強だ。スモウマスターだけが最強だ。同じ武芸を修めただけで最強になれるなら誰も苦労はしない。

 

 座位から放たれた目にもとまらぬ貫手で首をへし折られた。人生を捧げて研鑽した武芸を一蹴された男――陽乃の父親は嗤う。

 

「あ、あはは。やった。あっしは……武芸者として、死、」

 

 嗤ってから満足げに死んだ。武芸の冥府魔道からようやく解放されたのだ。巨漢の骸を見下ろす老人は、たっぷりと時間をかけて立ち上がる。

 

「クソガキめ……。絶対に、絶対に殺してやる……」

 

 老人――サマーソルト如月は薄暗い一室で呟いた。奇跡的なバランスで老いを退けてきた肉体は、砂上の楼閣のように崩れ行く。武芸的狂気に老武芸者は堕ちた。

 

 彼が狂った理由はスモウマスターの死を知ったからではない。スモウマスターと再び戦えば確実に殺される。薄々理解していた事実を今さらになって直視してしまったからだ。

 

 今しがた無意味に死んだ男と自分が何も変わらないという事実。示された事実を認めたくないから武芸的狂気に呑まれた。武芸的狂気に逃げ込んで狂った。

 

「次こそは、俺の“ダブルサマーソルト”で……」

 

 崩壊してゆく肉体と精神を引き摺りながら、何の意味もない死地へと超一流の武芸者は向かう。

 

 この半年後。戌雄・礼瑠・慈葉蔵の三人に殺されてサマーソルト如月は死んだ。

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