スモウマスターvsエイリアンハンター   作:奈田

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第二十四話 TS転生

 どすどす。めりめり。セイオーマート新規店舗情報統制室の床が鳴き声を漏らす。オットセイたちの巨重で圧迫されて悲鳴をあげたのだ。

 

「おうおう。とんでもねえ不審者がやって来たらしいな」

 

 既に集まっていた個体に遅れて、巨大なオットセイがやって来る。スモウマスターに扮するエビル千手観音とアン・エイリーの二人を複合モニターがリアルタイムで映していた。その映像を親分級オットセイが見据える。現れたセイオーマートの最高責任オットセイ――オヤブーンは映像を見ながら上質な葉巻の煙を肺に入れた。

 

 すぱー。配下からの連絡を受けた彼は大急ぎでこの場に現れている。彼のフットワークは体重に反し煙のように軽かった。

 

「おうおうおう。襲撃者はとんでもねえ強さをしてやがります。しかし親分と用心棒の先生がいるなら業務に支障はねえかと」

「おう。あんまり俺に寄りかかるんじゃねえ。新規店舗の収益チェックでたまたま来ただけなんだからな」

「おうおうおう! 親分直々の指揮なんて久しぶりでごぜーやすなぁ!」

 

 陣頭指揮を思いがけず執ることになったオヤブーンの貫禄を周囲のオットセイたちは心強く思った。突然のカチコミに運悪く鉢合わせながらも、落ち着き払った対応を見せるあたりオヤブーンのカリスマ性はやはり相当なものだ。

 

「アン先生を呼んだのはてめぇか?」

「へい。小官が独断でお呼びさせて頂きやした」

「いい判断だ。アン先生がいるなら問題ねぇよ」

 

 すぱー。緊急事態にも泰然とした態度を崩さぬオヤブーンは部下を褒めてやる。映像越しに襲撃犯を見据える彼の胸中に混乱はなかった。敵を侮っているわけではない。鉄火場こそが彼らの棲家なのだ。ゆえにリラックスできる。

 

 オットセイという種族が潜り抜けた戦場は数え切れなかった。恨み恨まれ、殺し殺される。終わりなき負の連鎖は彼らにとって日常茶飯事だ。

 

「親分。敵は相当強そうっスが、先生は大丈夫っスかね?」

 

 モニターが映し出す屈強な不審者を見た若頭級オットセイのスルメーが聞く。

 

「言っただろ。問題ねぇ」

 

 酷薄で知られる若頭級オットセイの言葉にもオヤブーンは動じなかった。オヤブーンの胸中にあるのは、混乱や苛立ちではなく、セイオーマートお抱えの用心棒たるアンへの全幅の信頼。

 

「あんだけ強ぇってのに、とんでもなくハードな自主トレーニング(・・・・・・・・)を毎日こなしてんだ。アン先生が負けるわけねぇよ」

 

 日頃の凄まじい訓練内容を知っているオヤブーンは用心棒の先生の勝利を疑わない。戦争と同じだ。事前の支度が物を言う。戦いとは始まった時点で既に終わっているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遠方の空に監視用軍事ドローンが舞う曇天の下で武芸者と武芸者が対峙した。方や巨大なスモウレスラー。一方は地味な顔立ちの女子中学生。

 

「うぅうぅう。しゅっ、集中っ」

 

 一面の曇り空から見下ろされる広大な駐車場で少女――アン・エイリーが口から変な音を漏らす。見るからにタフでパワーのある武芸者(エイリアン)を前にして彼女は極度の集中状態にあった。

 

 彼我の戦力分析――正面での近接戦闘は危険。密着状況は避け、中距離から遠距離を保ち続ける。距離を十分に取ってアサルトチャカの銃撃をコンスタントに入れ続け、隙を見つけて対エイリアン用マチェットでの出血を強いる。天賦の才能に基づいて彼女が選択したのは非常に分かりやすい戦術だ。すなわち機動力を生かしたヒット&アウェイ。

 

 最適解として導き出された戦術はまったく以て好都合なことに彼女が修めた“武芸”の必勝パターンに他ならない。「対エイリアン白兵戦闘術ver7.02」は中距離での長時間戦闘を得手としていた。

 

「ちょ、長期っ長期戦になるかも」

 

 戦闘が始まる刹那。アンはそう思った。見た目でわかる、わずかな隙が命取りになる超パワータイプのエイリアン。一瞬たりとも気を抜いてはいけない。集中力を持続し続ける必要があった。研ぎ澄ました集中力で機先を制し続ける。そうした立ち回りを徹底することが重要だとアンは思った。

 

「しゅっ集中っ。とにかく、集中しゅるっ」

 

 スモウマスター――に扮したまわし姿のエビル千手観音を注視する。不用意な射撃は反撃の隙を生んだ。相手が動き出す一瞬にカウンターでチャカ弾頭を当てる。そしてイニシアティブを支配するのだ。

 

 アンの視界が異形の世界でやがて塗り潰された。圧倒的な知覚力と演算能力で周囲の環境を完璧に把握し終えたのだ。完璧な把握力のせいで人智を逸して視界が歪む。平々凡々とした顔立ちの特徴に乏しい黒い瞳がエビル千手観音と周囲のすべてを見透かした。駐車場のライン。高級車のナンバープレート。丁寧に塗装された店舗の疑似煉瓦。全部見える。

 

 超一流の武芸者アン・エイリー。彼女の動体視力は尋常な代物ではなかった。セイオーマート上空を舞う蝶々の複眼の数まで軽々と捉える。もはや人外の眼だ。

 

 すべて見切ってやる。極限の鉄火場でアンは本気の集中を発揮した。曇天の下の駐車場に立つ天才は砂粒のひとつひとつさえ理解する。大気を構築する分子の流れさえ見えた。

 

 ゆえに幼い武芸者はあまりにも容易く――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ぇ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――敵の姿を見失う。

 

「油断したな小僧」

 

 交錯のわずかに前。エビル千手観音が敵を嘲笑した。そしてようやく戦いが始まった――刹那に恐るべき異常事態が発生する。

 

 アンが。

 

 超一流の武芸者たるアンが。

 

 あのアン・エイリーが。

 

 あろうことか眼前のエイリアンのターゲットをロストしたのだ。

 

 極限の集中力で敵の姿を完璧に捉え、今まさにアサルトチャカの掃射を浴びせようとしていたアンは、眼前にいたはずの巨大なお相撲さんの姿を……見失った(・・・・)

 

 絶対的な速度差のせいで聞こえるはずもないエビル千手観音の嘲笑は、エイリアン語に自動変換されてそもそも届かない。だからアンは状況を把握できない。

 

 戦闘が始まった開幕のシーンで一体何が起こったのか。アンがエビル千手観音を見失った理由は単純である。

 

 詐術ではなかった。戦闘が幕を開けた初手でエビル千手観音が仕掛けた“何か”に詐術などない。あるのは単純な理屈。あまりにも、あまりにも単純な事実だった。

 

 アンの動体視力ではエビル千手観音が繰り出した“ぶちかまし”を知覚できなかった。相手が速すぎて見えなかった。ただそれだけ。

 

「待ったなしだ」

 

 神の如き速度で機先を制したエビル千手観音は開幕の速攻で敵を仕留めにかかる。この段階に入ってアンはようやく気付いた。

 

 あ。死ぬ。死んじゃう。

 

 背筋が凍った。気づけばジャンパースカートのベルトを掴まれていた。アンは自らの死を確信する。絶対的な速度差のせいで敵の動きが見えない。違う。そうじゃない。

 

 もっと単純な理屈で自分は死ぬ。ようするに力士から素人(よかた)ベルト(まわし)を掴まれるということは――

 

「せいッ」

 

 ――死を意味する。

 

 なのでアンは死んだ。

 

 この戦いは長期戦になる。彼女はそう踏んだ。

 

 しかし実際には開幕の一瞬で勝敗は決してしまった。

 

 取り組み時間はわずか〇.〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇二秒。

 

「ぷぎゃっ!?」

 

 絶対に自分が取らねばならなかった機先を制された。その事実を突き付けられてなお後悔も恐怖もない。そんなのろまな感情を覚える前に衝撃が走った。機先を完璧に制されてまるで魔法のように投げられる。駐車場のアスファルトに叩きつけられた少女はスーパーボールのようにバウンドした。

 

「せいッ」

「ぎゅっ!?」

 

 バウンドしたアンはまた投げられる。バウンドした後雲の上まで吹き飛ばされる前にスモウマスターは再びベルト(まわし)を掴んだ。それから一切の時間経過すら超越して〇秒で投げる。絶望的でどうしようもないまでの速度差。投げられた相手が立て直すよりも、崩れた相手を投げ直す方が圧倒的に早い。

 

 これこそがスモウマスターの奥義――

 

「せいッ」

「ぎゅぴっ!?」

 

 ――その名も“ゼロ秒投げ”!!

 

 稚拙な模倣ではなかった。エビル“千手”観音の名は伊達ではない。試合の渦中で見たスモウマスターの武芸を、千の技を支配するプロレスの神は完璧に会得していた。

 

「あばっあわわわ、あばばばっ。ぎゅっ!?」

 

 速すぎた。何もかもが。

 

 すべてが速すぎてアンは状況をまったく理解できない。

 

 凄まじい衝撃と膨大なダメージだけが蓄積してゆく。どうなっているのか。自分はどうしてしまったのか。生きているのか。死んでいるのか。それすら定かならない。

 

 どどどどどどどどどどどどどどどどどど。

 

 曇天の駐車場で恐ろしい音が発生した。アンがバウンドし続ける音だ。衝撃波と残像だけが戦闘が継続中であることを伝える。常人どころか一流の武芸者ですら一切視認できない恐怖映像だ。

 

「せいッ」

「むぎゅっ!?」

「せいッ」

「みゅっ!?」

「せいッ」

「にゅわっ!?」

 

 投げられる。叩きつけられる。バウンドする。掴まれる。投げられる。叩きつけられる。バウンドする。掴まれる。脱出不可能な無間地獄にアンは一瞬で囚われた。

 

 対等な相手同士が戦う際に生じる攻防の類が何も生じていない。これはもはや死合どころか勝負ですらなかった。これは「どどどどどどどどどどどどどどどどどど」という恐ろしい音が鳴るただの断末魔だ。

 

 アンとエビル千手観音。この両者の勝敗はとうに決した。アンはこのまま死ぬまで投げられ続ける。エビル千手観音はアンが死ぬまで投げ続ける。おそらく二秒後くらいには全身の骨と肉が液状化してアンは死んだ。

 

 死する定めのアンを――

 

「アン先生ぇえええッ! 加勢に来たぞぉおおおッ!」

 

 ――歩兵戦闘車両から頭を覗かせるオヤブーンが一喝したのは、戦闘が開始してからちょうど一秒後の出来事だった。

 

 ひゅぅううううう。恐ろしい風切り音。

 

 武芸者同士の死合への無粋な横槍としてロケットランチャカが叩き込まれる。

 

「――む」

 

 エビル千手観音は飛来してきたロケットランチャカ弾頭を張り手で撃ち落とした。

 

「おうおうおう! 戦闘が始まったみてえだな!」

「おうおうおう! アン先生なら大丈夫だろうがダメ押しするぜ!」

「おうおうおう! 勝ち戦にただ乗りだぁ!」

 

 歩兵戦闘車両や戦闘ヘリに搭乗するオットセイたちが凶暴に吠える。後詰の警備保障部門のオットセイが援軍として現れたのだ。これは如何なることか。

 

 つい先ほどのことだ。セイオーマート最高責任オットセイ・オヤブーンは、襲撃者の対応に当たるアンを指して「問題ねぇよ」と確かに言った。

 

 そう。問題ないと判断した上で過剰と思われる援軍を派遣したのだ。

 

 問題ない状況に援軍を送ればより問題ない状況となり安全に対応できる。戦争とビジネスの常だ。絶対に問題ないはずの状況においてこそ問題は発生する。世界最強の戦闘種族たるオットセイ。彼らは武芸者ではなくビジネスマンだった。無勢に対して多勢を仕掛けて楽に勝ちを拾うことに何の忌避感もない。

 

「新手か」

 

 オットセイたちの無作法にエビル千手観音は何を思うか。

 

「このスモウマスターを相手取るならば卑怯とは言うまい」

 

 ただ愉しげに嗤った。彼はプロレスラーだ。タッグマッチはお手の物である。ぽい。ぼろ雑巾となったアンを放り捨てた。

 

「……ぐっ」

 

 べちゃ。スモウマスターはいかなる勝負にも絶対に手を抜かない。スモウマスターを相手取り生き残ってのけたエビル千手観音もまた同様に真剣勝負(シュート)において全力で格下を殺しにかかる。

 

 戦場に風が吹いた。

 

「おうおうお――」

 

 ぱぁああん。

 

 加勢に来たオットセイの怒声が途中で消える。頼りになる用心棒の先生に加勢するという楽な仕事に向かっていた矢先。オットセイの鳴き声の代わりに何かが破裂する音がした。

 

「おうおうッ。何があった!」

 

 歩兵戦闘車両から頭を覗かせていたオヤブーンが振り向く。彼の眼前に飛び込んできたのは恐ろしい光景だ。“ぺしゃんこ”になっている。並みのチャカを無力化する歩兵戦闘車両と新鮮なオットセイの肉で作られた平べったいサンドイッチがそこにあった。

 

 ぶちかましだ。エビル千手観音のぶちかましによって警備保障部門のオットセイたちは縦方向に随分とスリムになってしまっていた。

 

「お、おうおうおう!?」

「おうおう! 敵の攻撃か!?」

「おうおうおう! 戦闘開始だな!」

 

 ばばばばばば。戦闘ヘリがミニチャカの掃射を行う。ミニチャカとは七・六二ミリ口径のガトリング火器である。警備保障部門のオットセイは全員が戦場帰りだ。狼狽えるよりまず先に敵に攻撃する。条件反射だった。

 

「煩いハエだな。叩き落としてやろう」

 

 歩兵戦闘車両を文字通りに潰した後で、上空を舞うよく訓練された戦闘ヘリに意識を向けたエビル千手観音は跳躍する。プロレス技ではない。相撲の技術――変化の応用だ。

 

 あの試合の夜。スモウマスターは空中戦にすら対応してみせた。エビル千手観音は身を以てスモウマスターの華麗な空中技を知っている。相撲の神の完全な模倣たる鋭い空中張り差しの一閃。戦闘ヘリは叩き落された。

 

「おうおうッ。敵しゅッ」

 

 撃ち落とされた戦闘ヘリが直撃。オヤブーンが乗っていた歩兵戦闘車両が吹き飛ぶ。

 

「おうおうおう!」

「おうおうおう!?」

「おうおう! 親分!」

「せいせいッ。ふんぬッ」

「おうお――ぎゃあああッ」

「おうおおおごごごっご」

「おううぉおおおおッ!?」

 

 ばこーん。どかーん。ぐしゃぁあああッ。

 

 蹂躙が始まった。戦闘ヘリは叩き落される。歩兵戦闘車両は踏み潰される。オットセイは鮮度の良いハンバーグになる。

 

 戦いではなかった。殺戮だ。警備保障部門の後詰たちは皆殺しにされる。あまりにも一方的すぎる破壊の惨禍は詳細を描写する必要すらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………おう?」

 

 どれほどの時が経ったのか。おそらくは数秒。車両の爆発で外に放り出されたオヤブーンが目を覚ました。長年の従軍経験の賜物であろう。知らずヒレが勝手に動き、偶然にも手元にあった白兵戦用の戦斧を握る。

 

 なんだ。ここはどこだ。何がどうなっている。

 

 今しがた気絶から復帰したセイオーマートの最高責任オットセイは、訳も分からず戦闘態勢を取った。彼はビジネスマンである。同時に歴戦の傭兵だ。ここが鉄火場だとオヤブーンは無意識に察した。

 

「……おうおうおう。なるほどな」

 

 あたりには鉄と肉が焼け爛れる見知った臭気が漂う。激戦区で散々嗅がされた臭いだ。見遣れば配下たちはみんな死んでいたし、ヘリはすべて打ち落とされ、どんな兵器を使われたのか車両は軒並み小さくなっている。オヤブーンは立ち上がった。

 

「おう。悪くねぇ死に場所だ」

 

 意識が朦朧とした。だが漠然とした確信は揺らがない。オットセイは悟った。自分はこの場で死ぬ。だが負け戦で無意味に死ぬわけじゃない。

 

 後ろにはアン先生がいた。セイオーマートの後継としては冷静沈着でクレバーなオウルの野郎もいる。オットセイという種族が生き延びる目はいくらでもあった。何の問題もない。

 

「おうおうおう! 俺ぁセイオーマートの親分! オヤブーン!」

 

 負傷で意識が定かならぬオヤブーンが名乗った。

 

「私はスモウマスター。世界最強の武芸者だ」

 

 オヤブーンの名乗りを受けて狂人もまた偽名を告げた。同時に親分級オットセイの巨体が意外にも俊敏に動き出す。

 

「アン先生の助太刀だぁああッ! ぶっ殺してやらぁあああッ!」

 

 車両が燃える火に炙られながらオヤブーンは駆けた。傭兵上がりのビジネスマンは武芸者に突撃する。ヒレに構えるは若き日に担いだ愛用の戦斧。すべてはビジネスだ。よくわからないがアン先生は体勢を崩しているらしい。なら時間稼ぎに敵の足止めをしてやれ。暗黒巨大企業セイオーマートの最高責任オットセイに相応しいビジネスライクな思考を紡いだ戦闘種族はいつものように企業利益のための暴力を振るった。

 

「顔じゃない。素人(よかた)はすっこんでろ」

 

 素人丸出しでどすどすと走ってきたオヤブーンをエビル千手観音が迎え撃つ。「顔じゃない」とは格が違うといったニュアンスの相撲界の隠語だ。言葉のままにカチ上げが飛ぶ。

 

「おうお――」

 

 ぱぁあああんっ。

 

 一閃。オヤブーンの体は下半身のごく一部だけを残し血霞となって消滅した。断末魔すら満足に言えずに掻き消される。しかし戦いはまだ終わりじゃない。

 

「あ、あぁ。ひぁあ」

 

 オヤブーンが自らの命と引き換えに稼いだ時間でアンが動く。エビル千手観音から放り捨てられた後に、かろうじて生きていたアンはよろよろと歩き出した。

 

 何度も何度も投げられた。あともう一回投げられれば間違いなく死んだ。

 

 それでも彼女はぎりぎりのところでまだ生きていた。精緻な体重移動と微細な身体操作の賜物だ。医学的な定義において死人といっても間違いではない血肉をどうにか起き上がらせた少女は、尺取虫のような遅さでのろのろと移動する。

 

 ボロボロの体を引き摺ってミミズのような速度で逃走した。超一流の武芸者は同年代の女子中学生が徒歩で移動するよりずっと遅い全力疾走で逃げた。

 

「はっ、は、は、はひぃ」

 

 逃げながら背後を振り返る。そこにはエイリアンがいた。怖くて恐ろしい大きなエイリアンがいた。

 

 援軍として現れたオットセイを誇張抜きに一瞬で殲滅したスモウマスターがこちらを追いかけてくる。摺り足で。

 

 戦えば確実に殺された。戦えば間違いなく死ぬ。星が滅んでしまう。

 

 星が滅ぼされるのは困るので冷静沈着にアンは逃げた。この場に至り、完膚なきまでの敗走に徹する少女の心中に、未だ恐怖はなかった。生まれた瞬間から一切の絶え間なく続いてきた虐待と拷問と洗脳のせいでとっくに壊れ果てた少女に、敵に恐怖するなどという機能はもう残っていない。だからこの逃走は怯えによるものではなかった。

 

「た、たすけ、たすけ――」

 

 マニュアルである。

 

 アンの逃走は狂った父親が構築した「対エイリアン白兵戦闘術ver7.02」の戦術教義(ドクトリン)に基づく自動操作だ。

 

 スモウマスターが追ってくる。エイリアンが。星を滅ぼす人類を滅ぼすエイリアンが娘の背に迫って来た。大好きなパパが作ってくれた絶対のマニュアルに従ってアンは逃げる。逃げながら壊れてゆく。

 

「助けて――」

 

 アンの口が半開きに開いた。少女の口から発せられるは彼女の声ではあるがアンの言葉ではない。長期に渡る極度のストレスから起因する精神神経疾患由来の重篤な吃音症。特徴に乏しい少女の唯一の特徴とも言える吃りが……エイリアンハンターのマニュアル操作で塗り潰された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――助けてパパぁああああっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天涯孤独の娘が甲高い声で絶叫する。常におどおどしているアン・エイリーのものとは思えない大声が吐き出された。泣き叫ぶような声で。エイリアンハンターの娘は、とっくに死んでいる父親(エイリアンハンター)に助けを求めた。

 

「ふんッ!」

 

 力士姿の巨大な男が女子中学生の形をした生き物に追いつく。狂った少女を肉体の頸木から解放せんとする狂えるエビル千手観音は、アンの丸っこい頭を叩き潰そうと分厚く太い剛腕を伸ばした。

 

 重い衝撃が曇天の駐車場に轟く。

 

 ガキンッ。

 

「なにッ!?」

 

 敵を背面に置いたままのノールック。背中を掻くような動きで対エイリアン用マチェットが振るわれた。分厚い刀身はエビル千手観音の分厚い掌を強引に弾く。

 

 恐ろしい現象と言えよう。

 

 あのエビル千手観音が。

 

 スモウマスターと互角の死闘を繰り広げたあのプロレスの神が。

 

 少女の振るう刃に押され、わずかではあるが後退したのだ。

 

 ジャンパースカートタイプの制服を着た女子中学生といった風体の少女が振り向く。

 

 振り向いた少女の形をした“何か(・・・・・・・・・)”と対峙するエビル千手観音は目を見開いた。

 

「……“何”だ。貴様は」

 

 思わず誰何する。特徴の乏しい地味な顔をこちらに向ける少女のような“何か”は、姿形こそは先ほどまでと同一だ。

 

 しかし違う。気配が。重心が。身のこなしが。纏う圧力が。何もかもが以前と致命的に異なっている。

 

 生涯を武芸に捧げてひたすらに鍛えた男とレモン風味ヨーグルトフラペチーノをちびちびと啜る女子中学生の差ほどにまるで違った。

 

 まったくの別人――世界最強の武芸者たるスモウマスターとの死合に臨む()は、どこからか眼鏡を取り出して娘の顔にかけ、それから武芸者ネームを名乗る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「初めましてスモウマスター。ボクはエイリアンハンターです」




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第二十五話 スモウマスターvsエイリアンハンター
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