スモウマスターvsエイリアンハンター   作:奈田

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第二十五話 スモウマスターvsエイリアンハンター

 じめじめとした初夏の空は、今にも雨を齎しそうな雲に遮られ、夕刻前だというのに光が酷く薄かった。

 

 オットセイの血と脂と歩兵兵器の焦げ付く臭いで満ちた曇天の下。

 

 アン・エイリーの体で自らの武芸者ネームを告げた“何か”は穏やかに微笑む。

 

 ごきごきめきょごきごぎんめりめりめきょっ。

 

 微笑む少女の形をした何かから凄絶な音が鳴った。

 

 戦場における緊急自動回復手段“換骨奪胎法”である。それも凄まじい精度の……。

 

 特殊な呼吸法と精密な筋肉操作の併用によって、“ゼロ秒投げ”連打の致命傷が無傷に等しいほどにまで零落する。

 

 エビル千手観音は知っていた。

 

 超一流の武芸者の――先。

 

 世界最強。この領域に近づいた武芸者は、死なない限り幾らでも立ち上がるようになる。

 

 致命傷が完全に消失し、万全の体勢を整えた“それ”は、対エイリアン用マチェットを右肩に担ぎ、左手に握る特殊環境下対応炸薬式(TKTS)アサルトチャカを横倒しに構えた。

 

 彼が用いるのはアン・エイリーも用いた「対エイリアン白兵戦闘ver7.02」の構えだ。

 

 しかし完成度と威圧感は娘のものとは比べ物にならない。変容の際の行動でガワだけは眼鏡っ子になったアンの口で男――エイリアンハンターが喋り出す。

 

「よく言うだろう。運も実力のうちって」

「それがどうした」

「なら合縁奇縁だって実力のうちだ。武芸者の評価は結局のところ倒した相手の強さで決まる。そのためには強い相手と戦う前に、まずは強い相手と出会わなきゃ話にならない。スモウマスター。きみみたいにね」

「……至言だな」

「世界最強と名高いかの“スモウマスター”と立ち合えるなんて光栄だよ。アンはやはり才能がある。特別な子だ」

 

 アン・エイリー。この娘の性根は本来臆病だった。

 

 おどおどとした性格を無理やり書き換えて戦闘に臨む。臆病で内気な彼女が戦闘中に絶対見せないであろう表情が浮かぶ少女の顔をエビル千手観音はひどく不気味に思った。

 

「私は問うた」

「ん? 何をだい?」

「貴様は“何”だ?」

「あはは。名乗っただろう」

 

 気配。構え。あとは殺意。あらゆるものの差異から眼前の相手が先ほどまでの小娘とはまるで別人であることはとっくにわかっている。最も常識的な思考で現状を鑑みるなら、多重人格の類だと思われた。おそらく間違った推測ではない。だが目の前の少女の形をした異形にはもっと根源的で冒涜的な気持ち悪さがあった。

 

「ボクはこの子の――アンの父親だよ」

 

 隙を窺いながら敵の正体を探るエビル千手観音に対し、別人と化したアン――エイリアンハンターはあっさりとネタバラシを行う。

 

「御覧の通り可愛い可愛いボクの娘……アンは天才だ。きっとこれほどの才能の持ち主は過去にいなかっただろうし、これからも現れないだろう」

「武才か。くだらん要素だ。貴様の体の才覚は否定せんが」

「これから十年くらい真面目にレッスンをこなして適当な実戦を重ねれば、アンは史上最強で世界最強の武芸者に必ずなる。きみもそう思うでしょ?」

「思わん。その娘は私がこの場で殺す。十年後などない」

「うんうん。そう。その通りだ。武芸(エイリアンハント)の道は過酷だ。成長し切る前に事故か何かで死んでしまう天才なんて珍しくもない。でもそれはダメだ。絶対に。アンという特別な子が大人になる前に死ぬようなことがあっちゃいけない」

「何が言いたい?」

「アンは特別なんだ。最強の武芸者になるために生まれてきた。ボクの娘は特別な子で特別な天才。この才能が志半ばで潰れるなんてことは絶対に許されない」

「……そうか。貴様は」

 

 エビル千手観音は敵の正体をようやく悟った。

 

 アン・エイリー。その身体に宿るエイリアンハンターは狂人に向けて武芸的狂気を垂れ流すことをやめない。

 

「本来ならね。アンが立派に成長するまで、付きっ切りでボクが守りながら導くはずだったんだ。でもちょっとした事故のせいでボクは死んでしまって……」

「だから“そう”なったのか」

「ご明察。だから死ぬ前に、アンを徹底的に〝拷問洗脳調教(教育)〟して、ピンチになったらボクが出てくるようにしてあげたのさ」

 

 自らの武芸的狂気を全く恥じ入ることなくエイリアンハンターは嘯いた。

 

 そこまで告げられるまでもなくエビル千手観音はこの生き物の仕組みを見抜いている。

 

 精神が割れて砕けるほどの強い負荷をかけ別の人格を構築する。過去にないわけでもない技術だ。

 

 自分の精神を砕いて想像上のスモウマスターという狂った人格を構築したエビル千手観音という具体例だってこの場にある。

 

 自身の狂気はさておき。

 

「娘の才能に寄生して生きていた頃の自分を再現したのか。醜悪な……!」

 

 娘の身体を乗っ取り疑似的な性転換と若返りを果たした男に、エビル千手観音は苦言を呈した。娘の人格を上書きして偽の人格を植え付ける。エイリアンハンターの行いは常識的に考えれば汚らわしい所業だ。

 

 試合を成立させるために敵の妻子をファック&スレイするほどの汚らわしさだ。

 

「“再現”だって?」

 

 人の事を言う資格がないエビル千手観音の言葉にエイリアンハンターの機嫌は急転直下で悪くなる。

 

「馬鹿なことを言うんじゃない。それはとんでもない侮辱だ」

 

 武芸的狂気か。不機嫌になったエイリアンハンターは感情の赴くまま目の前の敵を殺そうとした。娘とは比較にならない気持ち悪いほどの精度のアサルトチャカがスモウマスターを再現したエビル千手観音に降りかかる。

 

「……ッ。疾いッ」

 

 アサルトチャカの銃撃は目晦ましだった。チャカ弾頭を囮に凄まじい重さのマチェットが側面から振るわれる。

 

「生きていた頃のボクは!」

 

 アサルトチャカの弾丸を外皮と筋肉の鎧で耐える。チャカを耐えつつ、飛来してきた分厚い刃をエビル千手観音は全力で弾いた。弾いた筈のマチェットが不気味に拉げる。

 

「今のアンなんかより!」

 

 弾いた刃の軌道が捻じ曲がった。捻じ曲がった先に生み出された斬撃を利用してエイリアンハンターがヒット&アウェイ。出血。外皮と肉をわずかに裂かれた。異様な速度。凄まじい武芸の精度だ。圧倒的な速度差で圧殺できた娘とはまるで違う。エイリアンハンターは持続的な速度という一点においてエビル千手観音ないしスモウマスターを凌駕していた。

 

「ずっとずっと! ――」

 

 エイリアンハンター。彼が修めて極めた武芸は中距離での長期間戦闘を得手とする。完成された戦闘教義に基づき、アサルトチャカの掃射で動きを縫い留め、マチェットが素晴らしい速度で流血を強いた。極限の殺意が乗った恐ろしい連続攻撃にさしものエビル千手観音も守勢に回る。プロレスの神をして反撃の糸口が掴めない。それほどの攻め手だ。

 

 守勢に回り体勢がほんの少しブレた。瞬間。わずかな隙を狙って少女の体が美しい上段蹴りを放った。余りにも華麗で完璧な蹴りである。

 

 恐ろしい光景が展開された。

 

 百五十一センチの少女が二百八十センチの巨漢を押しのける。ずざざざー。エビル千手観音の足の裏に擦られて戦闘区画として設けられた広い駐車場が火花を散らせた。

 

「――弱かったよ」

 

 超絶技巧を凝らした猛攻の末、溺愛する娘の才能と武芸センスをエイリアンハンターは誇らしげに自慢する。

 

 自分はアンよりも弱かった。凄いのは自分ではない。この子の才能だ。

 

 自分の愛娘の才能と強さを狂える父はこれでもかと魅せつける。

 

「その矮躯でよくぞここまで」

 

 歯を食い縛り脇と顎を固めて連撃を耐えた巨漢が少女の形をした化け物を見定めた。もちろんエビル千手観音はエイリアンハンターの親ばか発言など聞いちゃいない。最初から理解する気も無かった。

 

 重要なのは敵とどう戦うか。どう殺すか。それだけだ。

 

 エイリアンハンターが宣ったようにアン・エイリーは天才だ。十三歳でここまで動ける人間などいないだろう。

 

 だがアンを天才とするならば……エビル千手観音は神だ。

 

 武芸において全知全能の神だ。

 

 全知全能のエビル千手観音――千の技を支配するプロレス邪神の狂った脳が悍ましい速度で演算を開始する。

 

 エイリアンハンターが修めた武術体系はおそらく対人外用の戦闘技術。それを対人用にコンバートしたもの。巨大な敵を殺傷するべく研鑽された技は、体格で勝る相手に対して優位に働く。今しがたやられたようにアサルトチャカで動きを縫い留め、マチェットで的確に出血を狙う立ち回りは、火力こそ控えめなものの隙がほとんどなかった。出血させることが可能ならば、どんな強敵でも確実に削り殺し得る。

 

「ならばその前提ごと覆すのみ」

 

 自分をスモウマスターだと思い込むエビル千手観音はあくまでも力士としてエイリアンハンターの攻略に乗り出した。

 

 二度目の交錯。突っ張りが炸裂する。

 

「流石に重いね。まともに喰らったら一撃で死んじゃいそうだ」

 

 三メートル弱という身の丈を生かした長い腕から繰り出される重厚な突っ張りを後ろに下がりながらエイリアンハンターが捌いた。

 

 ぎゃりりりッ。人の肉とマチェットがぶつかった際に生じるべきではない金属音に流石のエイリアンハンターも冷や汗をかく。史上最強の力士たるスモウマスターの突っ張り。この完璧な模倣の威力は戦車砲なんてチャチな代物ではなかった。八百キロもの体重の乗った突っ張りは宇宙戦艦の主砲にだって競り勝てるやもしれない。近接戦は絶対に避けるべきだ。

 

「せいせいせいせいあッ!」

「……っ。怖い……なぁっ!」

 

 エビル千手観音とエイリアンハンターは互いに攻めを譲らず壮絶な打ち合いが生じる。

 

 アサルトチャカと分厚いマチェットを装備したエイリアンハンターの射程と素手のエビル千手観音の間合いは奇妙に合致した。遠距離に近い中距離のような近距離での白兵戦。この攻防での主導権をどちらが握るか。

 

 恒星系外生命体じみた気色悪い反応速度と意味不明な勘の良さでスモウマスターの攻撃をエイリアンハンターはすべて捌いた上で的確に射撃を行い、間隙を突いて斬りかかる。

 

 一方のエビル千手観音はタフネスにものを言わせて強引な攻撃を遂行した。エイリアンハンターの正確な攻め手が少しずつエビル千手観音を出血させる。エイリアンハンターは衝撃波による余波で皮膚が少々裂けた。

 

 この間合いでの白兵戦はエイリアンハンターがわずかに優勢か。

 

 優勢となった理由は出血量の多寡ではなく、長期戦になればなるほど有利になるという修めた体系の違いによるものだ。

 

 人間という非力な種族の細腕でエイリアンを狩るために生み出された対エイリアン白兵戦闘術ver7.02は運動量を重視する。エイリアンはいつだって未知の技術を用いた。足を止めれば初見殺しをまともに喰らい為す術なく殺される。多少のパワーを犠牲に無駄な肉を削いでスタミナを高めたアンないしエイリアンハンターの肉体は戦いが長引いてもアジリティを損なわない。

 

 対するエビル千手観音は、この場においては「プロレス」ではなく「相撲」スタイルを用いている。力士の身体の宿痾だ。戦いが長引けばスタミナ不足で動けなくなった。超短期決戦で勝敗を決する競技体系ゆえスモウレスラーは持久力に難がある。

 

 この拮抗は望むところ。一撃離脱を駆使した丁寧な戦いで自らの術中に相手をずるずるとエイリアンハンターは誘い込もうとする。

 

 と思っただろ?

 

 然しこの程度のことはスモウマスターとて理解しているだろう。有利に戦況を運ぶエイリアンハンターに油断はなかった。

 

 世界最強。

 

 この称号は安くない。世界最強の武芸者と名高いスモウマスターなら長期戦でスタミナを削る戦法くらいは軽く見透かす筈だ。意図を読み切った上で何らかの罠を仕掛けてくる。確実に。

 

 その初見殺しの未知を知恵と技術と悪意で覆すのが対エイリアン白兵戦闘術ver7.02の骨子。罠を狩るための罠。一見有利に見えるこの状況を打破するのに必要なマヌーバーをエイリアンハンターは巧みに構築する。

 

 廻しを狙う前捌きを後ろに転がり込むようなスウェーで躱した。幾度目かもわからぬヒット&アウェイ。TKTSアサルトチャカで縫い留め、致命傷には遠くとも確実な出血を強いる対エイリアン用マチェットで敵の体力を削った。脇腹。腕の付け根。脛の下部。速度でわずかに勝るエイリアンハンターの攻撃は当たる。だが苛烈なプロレストレーニングと武芸的狂気に呑まれてからの過食で膨れた肉体はその程度じゃ怯みもしなかった。怯みはせずともスタミナは削れる。この微有利なシチュエーションこそがエイリアンハントを成す必殺の罠となる。

 

 常人では目視さえ叶わぬ超高速戦闘のさなか。エイリアンハンターの左腕が弓でも引くかのように引き絞られた。ごく自然な所作だ。スモウマスターの攻撃を避けようとした結果としてそうなったとしか言いようのない動きだった。伴って小さな右手に握られる対エイリアン用マチェットがTKTSアサルトチャカの銃口へと添えられる。長期戦は望むところ。そんな有利な状況を活用した超短期決戦狙いの奇襲で、長期戦への何らかの備えを有するに決まっているエイリアンの悪辣な罠を潰す。すなわちエイリアンハンターが繰り出すのは対エイリアン白兵戦闘術ver7.02と銘打たれた武芸が有する最大殺傷火力手段にして最も美しき技――

 

「吹っ飛べ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――その名は『ヴァイオリンショット』!!

 

 ヴァイオリンを弾くかのような構えから打ち出されたアサルトチャカの弾丸。音速を超えて射出された物体を対エイリアン用マチェットで薙ぎ払うことで“再加速”させる。旧時代戦艦の舷側装甲をカステラのように容易くぶち抜く超絶威力の死の矛をエビル千手観音は――

 

「貴様がな」

「なっ!?」

 

 ――下に潜って躱した。

 

 二百八十センチの巨躯が。数字にして百二十九センチというバカバカしいほどの身長差が。まるで平蜘蛛のように沈み込んで主観上の虚無と化す。

 

 スモウマスターは理解していた。

 

 スモウマスターが理解しているのならエビル千手観音も理解していた。長期戦を見据えた何らかの罠。これを潰すために敵は超短期決戦狙いの超高火力武芸を狙ってくる。罠を潰すための罠をさらなる罠で潰す。エビル千手観音はこれを主軸に戦略を最初から組み立てていた。体格差のある大きな相手を得手とするなら、得意手までついでに潰してやる。腰を極限まで下に降ろし、重心はまるで影の如く大地に沈めた。

 

 何たる低さ。

 

 それは小兵力士が巨漢力士を相手取って繰り出す平蜘蛛仕切りの構え。

 

 小さな業師が用いる高度な相撲テクニックを二百八十センチ八百キロの大巨人が行ったのだ。対峙した折の相対的落差は計り知れない。

 

 事実としてエイリアンハンターは真正面にいたはずのエビル千手観音の姿を一瞬とはいえロストした。巨重が大地に沈み込む。地面に近づいた分だけ跳ね上げの破壊力は増した。

 

「どっせいッ」

「ぐあっ!」

 

 蜘蛛のように平たくなった後に巨人が跳ね上がった。

 

 脇を固めてから前腕と肘の連動で相手を覆す。

 

 カチ上げ!

 

 それも立った状態でのカチ上げだ。事前に決めておいた動作を行う立合いでのカチ上げとは異なり、立った状態でのカチ上げは技術的に極めて難しい。胸を仰け反らせることになり体勢を崩しやすいからだ。

 

 だがリスクに見合うだけの威力を持っている。真に恐るべきは“衝撃”ではなく、スモウマスターと同義の巨体が“下から来る”という状況そのもの。

 

 本当に強い武芸者(エイリアン)は大柄であることが多かった。体重。骨格。筋力量の差。これらは容易には覆せない強みだ。最も基本的な前提に抗うべく、対エイリアン白兵戦闘術ver7.02は運動量を重視する。自分から動いて懐に入り、敵の重心を崩し続けて機先を制するのだ。

 

 だからこんな状況を想定していない。自分より大きな相手から懐に入られるなど……。

 

 驚異的な柔軟性と芸術性を兼ね備えた凄絶なバランス感覚によって巨漢力士が小柄な女子中学生を下から攻めるという狂気の攻防は斯くして成立した。

 

「づぁっ」

 

 エイリアンハンターはひっくり返される。後頭部から地面に叩き付けられた。

 

「どっせいどっせいどっせいどっせいッ!」

 

 背中に土をつけたエイリアンハンタ―が晒す隙をエビル千手観音は逃がさない。間髪入れぬ突っ張りで押し込んでゆく。

 

 相撲には寝技の技術体系が存在しなかった。当然だ。足の裏以外が地面についた時点で負けなのだ。

 

 プロレスラーならともかく相撲取りは寝技の概念を持たない。力士である限り倒れた相手への攻め手にどうしても欠けた。総合格闘技で力士が苦戦する所以である。

 

 ただし相撲という武芸体系を用いる者が、世界最強の武芸者であった場合は少々事情が異なってくる。

 

「どっせいッ! どっせいッ!」

「ぎゅっ。ぎゅむっ」

 

 押し倒した相手をどうやって追撃するのか。寝技やパウンドで追撃するのではない。押し倒した相手をさらに押すのだ。俵の向こうを超えて惑星の中心部分に向けて押す。

 

 ひたすら押し込む。止まぬ突っ張りの連打。

 

 鉄とニッケル合金で出来た星の真ん中へと押し込まれるエイリアンハンターは都度に変な声を出した。

 

「どっせいッ! どっせいッ! どっせいッ!」

「ぎゅっ。ぐぷっ」

 

 スモウマスター。かの相撲の神の完璧な再現。

 

 スタンド状態の相撲の神がグラウンド側の相手に用いるのは総合格闘技等のパウンドではない。そもそも打撃ですらなかった。

 

 彼が用いるのは“押し”。

 

 近代格闘技が生み出した究極の即死攻撃たるマウントポジションからの鉄槌打ち連打とはかけ離れた異形のパウンドでエイリアンハンターの肉体が徐々に拉げてゆく。

 

 人の肉と骨を素手で紙っぺらが如く“ぺしゃんこ”にできる。それだけの超人的な膂力を持つ者にのみこの戦術は許された。それは文字通りの即死技だ。超人的なタフネスを有する超一流を超えた武芸者であろうとも――

 

「ぎゅっ。がっ、かはっ」

 

 ――ロードローラーに潰されたヨークシャーテリアのように“ぺしゃんこ”にされれば死ぬのだ。

 

「どっせいどっせいどっせいどっせいどっせいッ!」

 

 対エイリアン用マチェットとTKTSアサルトチャカを盾に、エイリアンハンターは体を丸めて猛攻を必死に耐えた。とにかくこのパウンドから脱出する糸口を……。

 

「か、かぐっ。ぎゅぴっ」

 

 抜け出せない。抵抗できない。背中にべっとりと土を付け、後ろに下がることができない体勢では、スモウマスターの突っ張りの連打に抗うことは不可能だった。抵抗どころかもがくことすらできない。動けない。何もできない。

 

「どっせいッどっせいッどっせいどっせいッ!」

 

 死ぬ。遠からず確実に死ぬ。咄嗟にそう思った。

 

 そ、そんなっ。ア、アンが……っ。

 

 アンが殺される。この子が死んでしまう。世界最強の武芸者となる宿命を宿した奇跡の子が死ぬ。ボクの可愛い娘が殺されてしまう……!

 

「どっせいどっせいどっせいどっせいッ!」

 

 ばこんばこんばこんばこん。

 

 人体が“ぺしゃんこ”になってゆく恐ろしい音が曇天の下に響いた。鳴り止まずに響き続けた。

 

「ぎゃ、ぎゃぐっ。アンっ」

 

 断末魔に等しい突っ張りの轟音を聴きながら、瀕死のエイリアンハンターは必死に打開策を探ろうとする。

 

 何か。何か方法はないか。

 

 アンの極めて優秀の脳はこんなときでも明瞭な答えを返してくれた。

 

 無い。

 

 完全な詰みだ。

 

 お前の娘はこれから死ぬ。

 

 訪れる絶対の死を待つことしかできない。

 

「だま、れ。ボクのアンを、ぎゅぷっ、舐め、ぷっ、るな」

 

 星の中心部に押し込まれるエイリアンハンターは諦めなかった。欠片も。

 

 アンは天才なんだ。

 

 ボクの娘の才能を見縊るな。

 

 ボクの娘をバカにするな。

 

 アンなら。ボクのアンならここから幾らでも逆転して見せる。

 

 心の底から娘のすべてを信じるエイリアンハンターは少しずつ“ぺしゃんこ”になりながらも反撃の糸口を探り続けた。

 

 必死に考えた。考えて考えて考えて考えた。考えて考えて考えて考えて考えて。考えてもダメなら成長した。成長して試案して隙を伺い考えて成長して改善して強くなった。一秒ごとに成長する。死に近づく度に成長する。一秒を千分割して、それをまた千分割して、無限に繰り返した区切りごとに、エイリアンハンターは――アン・エイリーは成長した。

 

 死の間際にアンは急成長する。無駄な成長だ。

 

 これから為す術なく死ぬしかないアンの武芸センスは恐ろしい勢いで研鑽されゆく。死にゆく若き天才は血染めの花を死とともに咲かせた。

 

 地面に向けた突っ張りの連打を為す術なく喰らい続けるアンとエイリアンハンターが無意味に成長し続ける一方。

 

「死ぬのか。武芸者よ」

 

 スモウマスターの形をしたエビル千手観音は勝利を確信していた。これから確実に敵を殺せる。自分が勝利する。絶対的かつ客観的な事実を前に、歓喜ではなく別の感情を彼は覚えた。

 

 若き天才武芸者アン・エイリー。十三歳。

 

 これほどまでに年若い女子供を相手にした死合はスモウマスターにとっても初めての経験だ。だから思い出してしまう。狂った脳が勝手に思い出した。意味不明な記憶を狂人は思い出す。

 

 それは武芸的狂気か。それとも怨念か。呪いか。

 

 もしも亡き妻の胎のなかにいた娘が生きていれば、きっとこれくらいの年になっていたのではないか。愛する家族を奪った怨敵――エビル千手観音。奴に殺された愛する妻と娘。死にゆく敵の形が女子中学生だったことで家族の顔を思い出してしまった。

 

 ああ。何たることであろうか。

 

 自らが凌辱した殺した女とその胎にいた赤子を自分の妻子だと狂人は勘違いしていた。エビル千手観音。この男は狂っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして生じる隙とも呼べない隙が生じる。

 

「――――――――っ!!」

 

 エビル千手観音の狂った脳に生じたわずかなバグは、相撲の神が繰り出す完璧な突っ張りの連打に小さな風穴を開けた。最初にアンが敗北した死合時間よりもなお短い隙だ。

 

「――しまっ」

「――いぃいいいいいっ!!」

 

 武芸の神様に愛されて生まれてきた奇跡の子。アン・エイリー。

 

 愛娘を殺すことが絶対に許されないエイリアンハンターは生じた隙を完璧に捉えた。娘への愛が。狂った愛情が。気色悪い執着心が。武芸的狂気の結実たる奇跡を生む。

 

 衝撃でひん曲がったアサルトチャカを発砲。撃てたのは一発だけ。土と突っ張りの間に挟まれて潰れかけた体勢から奇跡的に撃てた一発でわずかに傾いだスモウマスターの蟀谷を的確に打ち抜く。

 

 当たったのはただの奇跡だ。

 

 音速の十倍で飛来する待ち針の先に描かれた高画質曼荼羅の指定ワンドットを射貫くにも等しい狂気の弾丸が何故か当たる。

 

「ぐッ」

 

 ぐらり。もちろんアサルトチャカの弾丸程度でエビル千手観音の強靭な頭蓋骨を突破するには至らない。だが隙を突かれて意識が一瞬揺れた。一瞬にも満たない隙を逃すわけがないエイリアンハンターは絶好の好機に脱出を成功させる。

 

 無様に転がった。転がりながら無理やり態勢を立て直した。

 

 エビル千手観音も同様に意識の揺れを完全消滅させて敵に向き直る。少女の顔にかかった眼鏡のフレームは拉げレンズは割れていた。

 

 スモウマスターと向き合う“彼女(エイリアンハンター)”の顔が歪む。狂った怨嗟に。がきがき。

 

「ふ、ふざけるな……。ふざけるなよスモウマスターっ!」

 

 がきっ。かろん。

 

 異音。極大の殺意に赴くまま食い縛った奥歯が砕けた。

 

「自分が何をしたのか理解しているのか」

 

 怨嗟を吐き戻すかのように、少女の形をした狂人が砕けた歯を吐き捨てる。

 

「今っ、お前はアンを仕留めることができたはずだ……っ」

「……できなかった。私には」

「殺せた筈だ! あの状況から逃れる術をボクは持っていなかったっ!」

「……いや」

「殺せた筈の敵を集中力の欠如で見逃す! なんだそれは……っ」

「……」

「ふざっふざけるなよお前ぇええええっ! 神聖な死合(エイリアンハント)を何だと思ってやがる!? お前はアンの晴れ舞台を台無しにしたんだぞ!?」

 

 娘の命が助かった。この奇跡に狂人は何故か怒り狂う。

 

 エイリアンハンターは武芸的狂気に囚われ生前から狂っていた。エイリアンハンターと同様にエビル千手観音もまた狂っている。初夏の空を覆う曇天から見下ろされる駐車場。この場にいる全員が狂人だ。

 

 ひとしきり感情的に喚き散らしてからエイリアンハンターの上体から力が抜ける。

 

「許せない」

 

 刹那。エイリアンハンターはその場から消滅した。

 

「消え――ッ」

 

 凄まじい加速で消え失せる。

 

 異常な筋力による踏み込みでアンが履く白いスニーカーが引き千切れた。風圧のあまりジャンパースカートの裾の糸がズタボロに裂ける。

 

 ズガンッ。

 

「ここまでひどい侮辱を受けたのは初めてだよ」

 

 驚異的な速度を生かした重い一撃がエビル千手観音に叩き込まれた。

 

「ぐあッ。何たる重さッ」

 

 スモウマスターを完璧に再現した世界最強の武芸者は苦悶の声を溢す。叩き込まれた対エイリアン用マチェットは分厚い右腕で受けた。受けたのに受け切れない。

 

 骨に亀裂が入った。無論痛みに怯んでいる暇などない。腕に受けた衝撃が消えぬうちに次の攻め手が飛んできたからだ。

 

 そこから次の攻撃に繋がる。さらに次の必殺の武芸が来た。武芸が千変万化する。天衣無縫のチャカ弾頭と剣戟が舞う。

 

「理解しているのか」

 

 エイリアンハンターは先ほどまでとは比較にならぬ圧力でスモウマスターを退かせた。

 

「ぬッ!? ぐああッ!?」

「貴様はボクの娘をバカにしたんだぞ」

 

 勝ちが決まった死合を雑念で取りこぼす。そんなこの上ない侮辱で娘をバカにされたエイリアンハンターは怒り狂った。

 

 これは何としたことか。狂った論理で感情的になったことが不可思議なのではない。不可思議なのは、ここに至り凄まじい性能を発揮し始めたエイリアンハンタ―の強さそのものだ。

 

 これまで手加減していたわけではない。

 

 本気を出していなかった、なんてことは絶対になかった。それこそ死合(エイリアンハント)を汚す行為だ。ではこの急激なパワーアップを如何にして説明するか。

 

 簡単なことだ。

 

 エイリアンハンター(アン・エイリー)は……“成長”したのだ。

 

 エイリアンハンターの娘アン・エイリー。彼女は今十三歳だ。学年でいえば中学一年生か二年生である。彼女くらいの年頃の人間という生き物はとんでもない勢いで成長した。よく食べてよく寝る。それだけで成長するのだ。況や「死」を経たならば、雨後の筍が驚くほどの勢いで成長するに決まっていた。

 

 絶対の死地からの生還。

 

 この莫大な経験値を注ぎ込まれたアンの才能は、プロレスの邪神をして背筋に氷の剃刀が疾るほどの大輪の赤い花をあっさりと花開かせた。

 

「絶対に許さない。許すものか」

 

 エイリアンに情けをかけて貰ったおかげで娘が成長した。受け入れがたい無様な事実にエイリアンハンターは血の涙を流す。激昂の涙だ。

 

「お前を殺した後に『スモウマスターは品格のないクソ野郎だった』ってSNS上で言い触らしてやる」

 

 急成長した娘の肉体を完璧に手繰るエイリアンハンターは近接戦闘を以てスモウマスターを追い詰める。

 

 ひん曲がったアサルトチャカはもう使用できなかった。死地から脱出する折に撃てたのは奇跡だ。対エイリアンマチェットの刃のみで果敢に攻める。“ぺしゃんこ”にされかかる前と比して次元の違う戦闘力がこの攻めを可能にした。

 

 至近距離での白兵戦が生じる。交錯の渦中。激昂したエイリアンハンターと相対するエビル千手観音も唐突に激昂した。

 

「スモウマスターを……舐めるなぁッ!」

 

 このスモウマスターを相手に白兵戦を挑むだと? 何と愚かな。

 

 敵の姿に妄想上の妻子の顔を見るという意味不明な狂気は一瞬で消え失せ、プロレスの神の邪悪な頭脳が冷静さを取り戻す。冷静になったエビル千手観音は沈着にブチ切れた。

 

 急成長したエイリアンハンターが選択した白兵戦という無謀な戦法に、スモウマスターと世紀の一戦を演じたプライドが刺激されたのだ。

 

「死ねクソ野郎っ! 速攻で殺し切るぅうううっ!」

「俺はプロレス(相撲)の神ッ。近接戦で敵うと思うなぁああッ!」

 

 もはや目視の不可能な速度で駆け巡る剣戟の嵐。常軌を逸したエイリアンハンターの猛攻をスモウマスターから奪い取った卓越した前捌きで悉く撃ち落とす。文字通りの片手落ちだ。エビル千手観音は敵の不利を嗤う。

 

 パウンドの突っ張り連打で役立たずとなったTKTSアサルトチャカ。メインウェポンの一つが壊れてしまっていた。チャカの弾幕で敵を縫い留めてから分厚い刃を用いたヒット&アウェイで出血を狙う戦法を対エイリアン白兵戦闘術ver7.02は基本とする。TKTSアサルトチャカの中遠距離牽制力を失った不利は、恐ろしい成長を見せたアンの才能を以てしても無視できなかった。

 

 アン・エイリーは確かに恐ろしいほどの成長を見せた。

 

 それでもなお純粋な白兵戦闘力はエビル千手観音が明確に上だ。

 

 圧倒的な体格差。パワー差。覚醒した筈のエイリアンハンターが徐々に押されてゆく。

 

「へし折れろッ!」

 

 莫大な轟音と衝撃。駐車場のアスファルトに放射状の巨大な蜘蛛の巣が生じた。

 

「ぁあっ!」

 

 宇宙戦艦の主砲が如き威力の突っ張りと張り手を真正面から弾く。衝撃の影響でアンの右肘が砂糖細工のように複雑骨折した。体が泳ぐ。不完全な体勢での次撃対応。娘の才能に任せてエイリアンハンターは対応した。発砲が不可能な程にひん曲がったアサルトチャカを鈍器として叩きつける。不用意な応手だ。ここでスモウマスターは下から掬うような張り手を繰り出す。TKTSアサルトチャカが遥か上空に弾き飛ばされた。

 

「まだっ。まだだッ!」

「当然だッ! スモウマスターの攻めはまだ止まらないッ!」

 

 娘の急成長によって近接戦闘が成立してしまったせいでエイリアンハンターは不利な状況へと逆に陥ってしまう。中遠距離牽制用のアサルトチャカによるバラ撒きができないのがとにかく痛かった。ハンデをエビル千手観音が容赦なく狙う。攻撃はまだまだ止まらない。

 

「ぐっ。どうする……っ!」

 

 対エイリアン用マチェットだけでは対応が間に合わなかった。スモウマスターの驚異的な白兵戦力は上体だけで対処できない。強烈過ぎる組み狙いの指先と突っ張りを凌ぐために後方に転がりながら空中に膝を飛ばした。膝蹴りの慣性を使って後ろに下がる。膝蹴りは脇腹にクリーンヒット。体重差のせいでダメージが何も入らない。膝蹴りの反動を使って開けた距離は即座に詰められた。スモウマスターの二の矢三の矢が次々に放たれる。猛攻を弾き返された末にエイリアンハンターは後手に回り始めた。

 

 対エイリアン白兵戦闘術ver7.02は運動量を重視する。機先を制し続けることの叶わぬエイリアンハントに勝機はないのだ。即座の判断。

 

「っ。くぁ、アン! きみならどうする!?」

 

 なればこそエイリアンハンターは狂気の一手で起死回生を狙った。

 

 しかし。ああ。何としたのであろう。

 

 気でも違えたのか。

 

 かろうじて成立していた近接戦闘が破綻しかけた戦況を冷静に鑑み、手だけではなく足技も必要だと判断した上で、あろうことかエイリアンハンターは謎の技を繰り出してしまう。

 

「ッ?」

 

 サマーソルトキックなどという非合理極まる珍奇な技をアン・エイリーの才能はこの場で選択してしまった。

 

「は、はぁっ。アン! ボクを助けてくれっ!」

 

 サマーソルトキック。華麗な魅せ技だ。明らかに選択ミスであろう隙だらけな大技を豪快に用いる敵の姿を見たスモウマスターは何を思考するか。少なくとも敵を侮るような無様を晒すことはないだろう。エビル千手観音はスモウマスターだ。隙の大きな技の到来はもちろん好機と判断した。好機と判断しつつも侮りはない。内なるスモウマスターに従うエビル千手観音は回り込むように距離を取った。

 

 変化!

 

 卑怯と侮るなかれ。変化やはたきも相撲の重要なテクニックだ。史上最強の力士スモウマスター。必要とあれば彼は引き技も躊躇いなく使った。かの男の武芸を根こそぎ簒奪したエビル“千手”観音は、スモウマスターと化して敵から距離を取る。

 

 回り込むように距離を一旦取った後に、全体重を乗せたぶちかましを狙った。

 

 そして物語は収束する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少なくとも現代日本ではないいつかのどこか。

 

 どこぞの路地裏で初老の武芸者が倒れていた。

 

 満身創痍である。右腕は千切れていた。左目は潰れている。内臓も相当に痛めているのか呼吸音もおかしかった。

 

 ずたぼろの状態で倒れ伏した老人を若い武芸者が見下ろす。

 

「興覚めだ」

 

 立ち上がることのできなくなった初老の武芸者に男が吐き捨てた。

 

 巨大な男である。身長は二メートル五十センチを優に超えた。体重も三百キロは下らないだろう。だが顔立ちにどこか幼さがあった。巨大な男――否、巨大な“少年”は敗者たる初老の武芸者を退屈そうに睥睨する。

 

「プロ入り前に一戦交えてみたが……ウォーミングアップにもならねえ。所詮は素人(よかた)か」

 

 初老の武芸者を一方的に叩きのめした少年は、用が済んだとばかりにこの場を立ち去ろうとした。

 

「待て。待ちやがれ」

 

 去り行く少年を満身創痍の武芸者が呼び止めた。

 

「あん? 何を待つんだ? てめえの百回忌法要か?」

「このサマーソルト如月はまだ生きてるぞ」

「死んでるよ。おっさん」

「俺はまだッ。まだ戦えるッ!」

「無理だろ。目玉と腕もがれたんだ。武芸者としちゃもう死んでる」

「……許さん。絶対に許さん。殺すッ。絶対に殺してやる」

「はぁ」

「この俺のサマーソルトキックでお前をぶち殺してやる……ッ」

 

 一度立ち止まった少年は踵を返す。もう呼び止めることはできなかった。

 

「くっだらねえ遺言だ。武芸者も案外つまんねえ連中ばっかだな」

 

 今しがた仕留めた敵に止めを刺すことすらせずに、巨大な少年は新たな戦場へと赴こうとする。絶対の勝者たる少年を敗れた初老の男は俯せに仰いだ。

 

「待て。逃げるな。待てッ!」

 

 残った右眼で生涯の怨敵の背中を武芸者は睨みつける。完膚なきまでに敗北した武芸者は血を吐くように叫んだ。

 

「せめて名乗りやがれ……ッ!」

 

 初老に差しかかった超一流の武芸者の言葉に、学ラン姿の巨大な少年はやはり退屈そうな顔で振り返った。

 

 その瞬間――

 

「ああ。そうか。そうだな」

 

 ――訪れた天啓は武芸の神の悪意か。祝福か。

 

 戌雄・礼瑠・慈葉蔵の三人から殺されることになる武芸者は、世界最強を宿命づけられた若き武芸者とかつて対峙した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺はスモウマスター。世界最強の武芸者だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今から三十年以上も前の出来事である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 武芸的狂気に呑まれた超一流の武芸者サマーソルト如月。

 

 天賦の才能を持つ戌雄は彼の技を見ていた。

 

 桜が舞う春の季節。戌雄が模倣した技の本質をアン・エイリーの才能は見ていた。

 

 世界最強によって狂った男の狂気の結実は、天才から天才へと継承される。

 

 数瞬前。攻防の妙でTKTSアサルトチャカは弾き飛ばされた。

 

 上空に跳ね上げられた得物を背面の足指でアンはキャッチする。彼女が履いていた白いスニーカーはすでに壊れていた。パウンドによる突っ張り連打。あの死地から生還した直後のことだ。凄まじい踏み込みでアンの右足は素足になっていた。靴という装甲が剥がれ、剥き出しになった親指と人差し指の間で銃口が咥えられる。

 

 少なくとも現代日本ではないいつかのどこか。

 

 誰も知らない路地裏で戦った十五歳のスモウマスターと五十五歳のサマーソルト如月。あの日。あの場所で交わされた死合の結末は――

 

「しぃいいいいっ!!」

「がッ!?」

 

 ――たった一合の交錯。

 

 時と人を超えスモウマスターへ向けて放たれたのは、サマーソルト如月の必殺技にして代名詞。

 

 その名も“ダブルサマーソルト”!!

 

 アサルトチャカの分だけ射程が伸びたサマーソルトキックは、頑丈なストック部分でエビル千手観音の顎を綺麗に打ち抜いた。木片が砕ける。脳震盪でぐらぐらと揺れた。果てにありえない光景が生じる。

 

 あのスモウマスターが。

 

 最強の力士が。

 

 世界最強の武芸者が。

 

「――あ」

 

 膝を突いた。

 

「アン! 今だぁ!」

 

 エイリアンハンターが叫ぶ。ここが勝負時だった。この刹那を逃せば勝機はない。

 

 アサルトチャカが使用できない以上、アンが得手とする中距離戦はできない。

 

 どうする。ならどうすればいいっ。アン!?

 

 ぐちゃり。

 

「あ、あぁ、アンっ。きみは……っ」

 

 奇跡か。才能か。狂気か。

 

 気づけば右肘の関節が勝手に外れていた。肉が裂けて筋繊維が断裂する。エイリアンハンターは何もしていない。

 

 アンだ。アン・エイリーの才能だ。

 

 花開いたアンの才能が武芸的狂気を勝手に引き起こす。間合いが伸びた。激しい痛みを伴ってエイリアンハンターのリーチが伸びる。負傷でズタズタになった腕がスモウマスターの間合いを超えて対エイリアン白兵戦闘術ver7.02の間合いを生み出す。

 

 アンから手を引かれるようにしてエイリアンハンターは最適なマニュアルを選択した。

 

 負傷で千切れかけて伸びた腕を――まるでエイリアンの悍ましい触手のように振るったのである。対エイリアン白兵戦闘術ver7.02が得意とする中距離戦闘がここに成立した。

 

「見てるか! 見てるかアン!」

 

 アンの父親が娘の名を呼ぶ。

 

「ぐぁあああッ」

 

 重篤な脳震盪と脳挫傷で身動きが取れずにいるスモウマスターを解けた腕の先に握る刃で無心に斬り刻んだ。人体が意図すべきではない動きで酸素が消費される。消耗著しい武芸者は酸欠と負傷で蕩ける意識を全身全霊で操作した。体は才能の通りに動くが当然ながら意識は朧げになる。曖昧に歪む狂った世界でエイリアンハンターは見た。

 

 空の向こう。武芸の深淵の深淵。冒涜的な輝きを放つ星々の彼方。その果ての果てで大人になったアンの姿が見えた。

 

「ボクたちはきっとどこまでだって行ける!」

 

 今まさに世界最強へと羽搏き始めた父娘の眼前。やはりというべきか。エビル千手観音もエイリアンハンターと同じく見てはいけない世界を視界に捉え出す。

 

「……ッ。スモウ、マスターッ」

 

 重篤な脳震盪で揺れる世界のなかでエビル千手観音は一方的に攻撃を受け続けた。まるでエイリアンの触手攻撃だ。射程の範囲外から曲がりくねった刃が延々と振るわれる。脳が損傷し足がろくに動かない状況では対応ができなかった。左右の足が前に出てくれないせいで突っ張りも張り手も届かない。ひとまず防御に徹した。ガードの上から斬り刻まれる。鍛え上げた両腕が一瞬で襤褸雑巾と化した。出血がひどい。脳の損傷も酷かった。

 

 物理的に腐り落ちてゆくプロレスの神の脳内で、やがて黒々とした気配が鎌首を擡げ始める。ダメージの酷い脳が想起するのは生涯で唯一の記憶だ。

 

 それは忘れ得ぬ敗北の記憶。

 

 ついぞ負けを知らぬまま死んだ世界最強の武芸者スモウマスター。あの男と繰り広げた凄絶な死闘においてエビル千手観音はあらゆる要素で負けていた。才能で負けていた。体格で負けていた。技術で負けていた。狂気で負けていた。ビジネスマンとしての手腕ですら負けていた。

 

 だが一つだけ明確に優っているものがあった。

 

 経験である。スモウマスターに無く、エビル千手観音に有るもの。それは拭い難い敗北の記憶だ。敗北の恐怖だ。敗北の絶望だ。敗北に塗れた深淵の底で仰ぐ勝利への狂気だ。

 

「貴様……ッ」

 

 土壇場。膨れ上がった武芸的狂気がさらなる狂気を即興で生み出す。

 

「この俺に敗北を刻むために敵を生かしたかッ!?」

 

 スモウマスターに敗れた男が手にしたのは敗北で得た血と汗の結晶。

 

「あははっ。流石はボクの――」

 

 邪悪なるプロレス神の狂気など知る由もないエイリアンハンターは伸びた右腕をエイリアンの触手が如く手繰る。防戦に徹するエビル千手観音を中距離から一方的に攻撃した。相手の攻撃が届かない間合いから触手の刃で気持ち良く攻撃し続ける。

 

 ばしぃいッ。なのに何故か仰け反った。

 

「――()っ!?」

 

 当たる筈のない攻撃が当たった。エビル千手観音の攻撃が。

 

 なんだ。何をされた。

 

 エイリアンハンターはのろまに気づく。乾坤一擲に放たれた武芸の正体。

 

 汗だ。血と汗が凝固した塩の結晶。長い闘いを経て致死量に達した凶器を張り手に乗せて投擲された。

 

 一方でこの絶技を用いたエビル千手観音もまたその代償を支払う。

 

「おがッ」

 

 塩まきの折。蟀谷(こめかみ)へとクロスカウンターのように入った対エイリアン用マチェットの大質量がエビル千手観音の意識を奪ったのだ。

 

 ダブルノックダウン!

 

 この局面に至り両者は平行して体勢を崩した。

 

 唐突に飛来してきた飛び道具で頬を砕かれたエイリアンハンターは大急ぎで体勢を立て直す。だが遅かった。遅すぎる。

 

 違う。エイリアンハンターが遅いのではない。エビル千手観音の追撃が速すぎる!

 

「俺を、舐め過ぎだ。スモウ、マスター」

 

 スリーカウント。どんな重傷を負っても二秒で立ち上がるプロレスラーと一般人では生きる時の流れが違った。

 

 背筋が凍る。自らが不用意にも陥った状況を理解できないエイリアンハンタ―ではない。

 

「そんな、バカな」

 

 アンの父がマチェットを握り直したときにはすでに組まれていた。まるで入念なブックが組まれていたようにエイリアンハンターのジャンパースカートのベルトが掴まれていた。

 

 あのスモウマスターと“がっぷり四つ”に組まされた。

 

 どうしようもなかった。勝つか負けるか。生きるか死ぬか。もうそういう段階の話ではない。相撲の神に素人(よかた)がまわしを取られたのだ。それはもう“終わり”だ。

 

 勝てる。勝てる筈だった。

 

 ボクとアンなら世界最強にだって勝てる。武芸の深淵の彼方で絶対の勝利の確信だって見た。なのに。あぁ。掴んだ勝機が指の間から零れてゆく。

 

 そしてエイリアンハンターはエビル千手観音がかつて見たものと同じ光景を見た。視界が回る。死へと向けて。死にゆくエイリアンハンターにエビル千手観音は文字通りの必殺技を放つ。

 

 あの日と同じだ。揺れる視界。ずたずたの体。

 

 ここまで痛めつけられた両腕に力など入らない。されど何の問題も無かった。

 

 何故ならば、その技は力ではなく体捌きで投げる。

 

「どすこぉおおおおいッ!」

 

 それはエビル千手観音を葬った伝説の決まり手――“仏壇返し”。

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