スモウマスターvsエイリアンハンター   作:奈田

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第三話 要塞砲のシャッコー

 バーのカウンター席で男が酒を呑んでいた。

 

 上品な呑み方ではない。飢えと渇きを癒すために無理やり喉を湿らせるような、品のない呑み方だ。

 

 肴で汚れた手を拭うでもなく、強靭な顎で甲殻類をバリバリと噛み砕いた男は、口の中の異物をそのままアルコールで流し込む。

 

「マスター。グラスが空だぞ」

「お客様。その」

「あん?」

「流石に呑み過ぎではありませんか?」

「……何か言ったか?」

「い、いえ。失礼しました」

 

 バーのマスターが今宵八本目のテキーラのボトルを開けた。捕脚でグラスを掴み、急かすようにテーブルを打ち鳴らした男は、魚貝のツマミを流し込むようにまたしても一気呑みする。

 

 ひどい呑み方だ。常人なら急性アルコール中毒で病院に担ぎ込まれかねない量を既に腹に入れている。良識のある人間ならとっくに止めるべき頃合いだ。

 

 だがこの場に男を止めることができる者はいない。心情的にも。物理的にも。

 

 体を極限まで鍛え上げた身長二メートル十六センチのモンハナシャコを静止できる人類など、この世に存在するわけがなかった。

 

 カウンター席の青い光が暴くシルエットからもわかるように、男はもちろん哺乳類ではない。赤と青のド派手な甲殻に黒のトライバルタトゥー。彼は人間サイズの――それも最大級の人間サイズのモンハナシャコであり、元プロボクサーであった。

 

 目端の利く読者であれば、彼の名をご存知だろう。 

 

「うっすい酒だな。全然酔えやしねえ」

 

 元ヘビー級四団体統一世界王者――“要塞砲(フォートレスキャノン)”のシャッコー。

 

 圧倒的なパンチ力と意味不明な耐久力で並み居るチャンピオンを薙ぎ倒した生ける伝説にして、当時最強と謳われた元ボクサーだ。

 

 そう。“元”だ。現役ではない。かつてプロボクサーであったシャッコーはとうにグローブを吊るしている。とある事件を経て、そうせざるを得なくなった。

 

 三年前のこと。紆余曲折の末ボクシング界を追われた彼は裏社会に身を窶し、現在はヤクザ企業の用心棒として未だ衰えることのない剛腕を振るっている。

 

 酒が入った席でのいつぞやの喧嘩。その折に相手を血霧に変えて消滅させたシャッコーの拳の風切り音は、マスターの耳に未だこびりついている。

 

「……水で薄めてなどいませんよ」

 

 絶対的な暴力に怯えたマスターは咄嗟に弁解した。だがそれは悪手だ。

 

 シャッコーの突き出た虹色の目がマスターを捉えた。

 

「知らねえよタコ。小突かれてえか」

 

 流石に殺す気はない。そこまで狂ってはいない。とはいえ口答えしてきた相手が健康な体でいるのも腹が立つ。多少のイラつきを暴力に変換したシャッコーは、マスターの鼻を軽く撫でてやろうとした。

 

 折れない程度に鼻血でも出させてやろうか。そう思った矢先。

 

「……ちっ」

 

 外ポケットに入れておいた甲殻類用スマホが鳴る。電話だ。

 

 ただの電話ではない。酒の席での電話だ。

 

 今度こそ殺そうと思った。酒を呑んでいるときの邪魔者は殺されても文句は言えない。シャッコーは本気でそう思っている。しかし目の前にいない相手を殺すことはできない。

 

 酒の邪魔をされて半ば本気でキレたシャッコーは、マスターへのイラつきを忘れ、通話先の相手を怒声でぶち殺そうとした。

 

「んだてめぇゴラ殺すぞクソがぁあッ!」

『シャッコーさん。仕事の話だ。切らずに聞いてくれ』

 

 電話の相手はシャッコーが所属する組織の連絡役だった。盛大に舌打ちしたシャッコーは苛立ちと殺意を強引に収める。仕事の話に限定してではあるが、かろうじて人を働かせるだけの理性が男の脳の片隅に残っていたらしい。シャッコーの気性を鑑みれば奇跡的なことだ。

 

「何の用だ。俺ぁ今酒呑んでんだ。酒の邪魔したってこたぁ殺されても文句言えねえぞ」

『あんた頼まれてた仕事すっぽかしたらしいな』

「あん? 何の話だ?」

『とぼけないでくれ。昨日までに“エビ”の運搬を終わらせるように言われてた筈だ』

「……あ? 昨日だと?」

 

 連絡役の話を聞くうちに冷静さを取り戻したシャッコーは、アルコールでほとんど溶けた記憶を何とか振り返る。言われてみれば“エビ”を殺すタイムリミットは昨日だったかもしれない。

 

「あぁ。わりぃ。明日までだと勘違いしてた」

『おいおいおいおい。わりぃで済んだらこっちも商売になんねえんだよ。しっかりしてくれ』

「あー。なんつぅかな。ほら。俺ボクサーだろ?」

『だから何だ。ボクサーだから何だって……』

「試合の日程だの何だのはプロモーターとジムの連中が決めてたからよ。スケジュール管理とか苦手なんだよ」

『は? 苦手って、なんだそりゃ』

「七十五分以上の計画立てるのは得意じゃねえんだ。次は定期的に連絡してくれ」

 

 反省の色のないシャッコーはとんでもないことを言った。あまりにも酷い言い訳に連絡役の男は絶句する。

 

『……』

「お? どうした? 電波悪いのか?」

『ふざけてんじゃねえぞシャッコー!』

「あ?」 

 

 くちゃくちゃとシーフードを咀嚼しつつ、またしてもテキーラで流し込んだシャッコーに向かって、ヤクザとしての凶暴性を奮い立たせて連絡役が怒鳴った。電話越しだからできる芸当だ。酒の入ったシャッコー相手に面と向かってメンチを切れる貫禄の持ち主などそうはいない。

 

 裏社会の一員として、社会の一員としての常識を連絡役は説き始めた。

 

『シャッコーさん。俺はあんたを尊敬してる。腕っぷしに自信のある男はみんなそうだ。あんたに憧れないカマホモ野郎なんていねえよ』

「なんだぁ? サインの強請りか? 俺はツラの良い女にしか名前は売らねえぞ」

『だがよ。あんたの態度はまったく尊敬できねえ。ダメだ。そりゃあダメだぜシャッコーさん』

「はあぁん? 何言ってんだテメェ。説教かぁ」

『ああ。説教だ。あんたの強さに免じて説教で何とか済ませてる』

「ハハッ。“免じて”ってなんだ。バカか。ヤクザのチンピラ風情が」

『そうだ。俺はただのチンピラだ。だが組織で動いてるチンピラだ。俺一人の話じゃねえ。うちの組織は会社で、あんたへの依頼はビジネスなんだ。平気で依頼をすっぽかすあんたはビジネスマンとして最低だ』

「はっ。笑わせんじゃねえよ。何がビジネスだ。ビジネスっつーのはなぁ。もっとデケェ金の動くタイトル戦みてえなやつのことを……」

『話を逸らさないでくれ。ちいとばかし荒っぽいが、俺たちは給料男なんだぞ。金を貰ってるんだ。なら言われたことはちゃんとやらねえといけねえ。幾ら社会経験が浅くてもわかるだろそれくらい』

「さっきからなんだテメェ。偉そうに。誰に口聞いてるかわかってんのか? 俺は世界チャンプだぞ」

『“元”チャンプだろう。シャッコーさん。あんたはもうチャンピオンじゃねえんだ』

「……」

『わかってくれ。いつまでもボクシングやってた頃の気分で仕事されるとこっちも困るんだ』

「うるせえ」

『ボスがあんたのファンだから今回は誤魔化されてくれだが、次は無いと思った方がいい。今後はまともな給料男としてしっかり期限を守――』

「うるせえつってんだろ三下がぁあああああッ!」

 

 至極真っ当な説教にぶち切れたシャッコーは、甲殻類用スマートフォンを元プロボクサーの膂力で投擲した。超音速で壁に激突したスマホはソニックブームを発生させ、店内の机や椅子を吹き飛ばしながら壁を粉砕する。

 

「裏社会のゴミカス風情が。この俺がボディーガードやってやってることを感謝しろよ」

 

 飛び散った瓦礫の欠片がマスターの額を掠める。

 

「あばばばばば」

 

 突然の破壊と暴力にバーのマスターは泡を吹いた。

 

「……マスター」

「は、はひぃ」

「財布忘れた。ツケとけ」

「は、はい。またのご来店をお待ちしてましゅっ」

 

 酒の慰めを浴びる気分が薄れたシャッコーは、破壊した店内を顧みることすらなく、脇の椅子にかけておいたコートを羽織る。

 

「くそったれ。俺はチャンピオンだぞ」

 

 無敗のままリングを去った元チャンピオンは、アルコールで下がった知能指数に手を引かれ、ふらふらとした足取りでバーを去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 酒は良い。意識が曖昧になる。曖昧になれば今と過去の垣根も消えて、昔の記憶に浸りやすくなる。

 

 酒が入ったシャッコーが思い出すのはいつだって栄光の時代だ。

 

 ヘビー級の王座。あの座についていた頃は楽しかった。

 

 才能とトレーニング量の暴力で相手を蹂躙するだけで、何でも手に入る。金も。女も。名声も。ありとあらゆるものが望まずとも転がり込んできた。

 

 だが寄ってくるオマケどもに興味はない。大事なのは世界最強の男であるという事実だけだ。

 

 ヘビー級四団体統一世界王者。この称号を超える名誉は存在しない。シャッコーはそう確信している。

 

 力。強さ。頑丈さ。ボクシングIQ。トレーナーたちのタクティクス。

 

 本当に大事なものはそういうものだ。自分が最強であるという事実。ピカピカに輝くその最高の宝さえあれば、他は何もいらない。

 

 だからこそシャッコーにはわからなかった。何故自分がこんなところにいるのか。どうしてチャンピオンベルトが剥奪されてしまったのか。

 

「なんでだ……。俺は何故こんなことに……」

 

 アルコールのおかげで思考が解ける。冬の深夜に一人、町を歩くシャッコーは、気づけば過去に飛んでいた。

 

 忌々しい過去に。

 

 裁判で弁護士が自分を糾弾していた。話を聞く限りでは自分は強姦殺人犯らしい。冗談じゃない。俺は世界最強の男だぞ。世界最強の男がどうしてそんな女々しい真似をしなきゃいけない。

 

 チャンピオンだった頃のシャッコーは、試合の後に女をよく抱いた。

 

 別段好色だったわけではない。勝手に寄ってくるのだ。性欲を発散するためだけの無駄な運動よりも、死力を振り絞ったトレーニングの方がよほど楽しい。とはいえ世界最強の男に抱かれたがる女の気持ちも多少はわかった。無視するのも可哀そうだと思い、寄ってくる女は全員抱くようにした。

 

 高層ビルから飛び降りて死んだ女は、自分が抱いた女の一人だったらしい。

 

 レイプした女を口封じするためにビルから放り投げた。難解な話を散々聞かされた後にそういう結論になった。

 

 何故そうなる。俺はやっちゃいない。そんなダセェことはしてない。いくら叫んでも結論は覆らず、全財産に近い多額の賄賂を勢力のトップに渡すことで、かろうじて死刑台行きは免れた。

 

 だがボクシング界からは追放された。二度と表舞台で試合ができなくなった。

 

 自分を陥れる罠だったのか。それとも死んだ女が厄介事に巻き込まれていて、それに自分も絡めとられたのか。

 

 本当の答えはわからない。何もわからなかった。

 

 地元のジムにいたトレーナーたちはボクシングの天才揃いだった。だがボクシング一筋で生きてきた連中がボクシング以外のことを知るわけもない。プロモーターの連中は何を血迷ったか自分を切り捨て、別のチャンピオンを担ぎ上げた。

 

 気づけばシャッコーは金も職も失っていた。残ったのは負傷も衰えもないチャンピオンの肉体のみ。

 

 野垂れ死ぬしかない身の上だったが、再就職は思いの外簡単だった。

 

 表がダメなら裏に行けばいい。裏社会の連中は暴力が大好きだ。ボクシングのヘビー級チャンプという暴力の頂点たるシャッコーは、勢力のトップたちに好かれた。

 

 裏社会で成り上がるのも面白そうだ。

 

 ボクシング界を去った当初はそう思っていた。だが淡い期待はすぐさま失望に変わる。

 

 弱かった。どいつもこいつも弱かったのだ。当たり前だ。ヤクザのターゲットなんて素人ばかりで、真面目に鍛えている奴などいない。そしてシャッコーは強すぎた。

 

 チャカを持ち出されても勝負論すら起こらない。

 

 鍛え上げた本物の武芸者ではなく、裏社会に流れ着いた負け犬を左のリードジャブ一発で消滅させる日々。プロボクサー時代と比べてあまりにも空疎な日常だ。

 

 最近のシャッコーは退屈で仕方なかった。

 

 今のシャッコーは二十九歳。近年伸びつつあるボクサーの寿命を考えれば全盛期と言っていい。世界最強である自分の全盛期を無駄に溶かしていていいのか。

 

 拾ってくれたヤクザ企業への恩はある。だがよりステップアップできる場所を求めて別の会社にでも高跳びするべきではないか、という考えがシャッコーの頭の隅にあった。

 

「……クソみてえな職場だ。転職でもするかぁ?」

 

 今後についての結論は出なかった。アルコールで頭が回らない。

 

 夜も更けた。今日は泥のように寝て、明日のことは日が昇ってから迎え酒をしながら考えよう。

 

 そんなことをぼんやり考えながら、組織が用意したセーフハウスへとシャッコーは向かった。

 

 そして何者かの声に呼び止められる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シャッコーさんですね」

「……あん?」

 

 バーからの寒々しい帰り道。 

 

「元ヘビー級四団体統一チャンピオンの」

 

 隘路に立つ孤独な街灯がシャッコーに話しかけた何者かを照らした。

 

 雪が落ちてすぐさま溶ける。積もるほどには寒くないが、コートを脱ぐほどの暖かさは欠片もなかった。

 

 冷たい大気のなかで、そのゴールデン(・・・・・)レトリバー(・・・・・)の呼気が異様な熱量をもって夜空に昇る。

 

 シャッコーに話しかけた中肉中背の男は、使い古した作業服を纏い、静かに相手を見据えていた。

 

 国亜商事における警備保障部門の最高責任者――戌雄は、人通りのない夜の街で巨大なモンハナシャコと対峙する。

 

「あ? なんだおっさん」

 

 戌雄の姿を認めたシャッコーは面倒くさそうな顔をした。サインを強請られたと思ったのだ。

 

 レディファーストをモットーとするシャッコーは、女性相手のファンサービスを欠かさない。機嫌は悪かったが、良い女が甘えてくるのなら気前よくサイン入り色紙をプレゼントしてやってもいい。しかし今しがた話しかけてきたような冴えないおっさんにくれてやるほど自分の名前は安くない。

 

 適当に断るか。鼻でも撫でてやって武勇伝を作らせるか。どう対応するかでシャッコーは一瞬悩んだ。

 

「……」

「俺の名前はそこまで安――」

 

 そのシャッコーの姿を飢えた獣が如き洞察力で戌雄がじっと見ていた。

 

 言うまでもないことであるが、対峙する敵のそうした隙を逃がす一流の武芸者は存在しない。

 

 刹那。十万色を識別する凄まじい視力を持つシャッコーの視界から、戌雄が消えた。

 

「――くあッ!?」

 

 相手はボクシングのプロフェッショナル。スタンドでの殴り合いは自殺行為となる。

 

「手加減はできない。今からあなたを殺す」

 

 満員のドームとは対極の無音の場末にて。

 

 観客もファイトマネーも皆無の死闘は、ボクサーの優位性を潰すべく放たれた超低空のタックルにより幕を開けた。

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