『葛城』をやっています。 作:土着
『そもそも
彼らは
それが葛城の
故に彼らは神仏に
四肢に
呑み込んだ
然れど、
己が『獄』すらも内側から喰らい尽くし、
忌むべし。
ただ、より深き
――『
◆
血と線香の匂いが
降りしきる冷たい雨の音だけが響く中、彼女はただ静かに、玄関に立つ俺を見つめていた。
この世の者とは思えぬほどの、
ただそこに息をしているだけで、地を揺るがし、天をも覆い尽くすほどの底知れない絶望的な『力』が、周囲の空間を本人の意思とは関係なくギリギリと軋ませていた。
もう二度とここには戻らない。
そう決意して冷たい雨の中へ足を踏み出そうとした俺は、背後で微動だにしない姉を振り返り、短く息を吐いた。
「……止めないんですね」
「なぜ?」
姉はふわりと微笑んだ。
それは、花が
「だってどこにいても、私にはずっと
だから、ずっと一緒です。
◆
『
最初は単なるアルゴリズムの変化か、不運な機材トラブルが重なっただけだと思おうとしていた。
だが、数字が低迷している真の原因は、もっと不気味で、根本的な部分にあった。
誰もいないはずの空間を認識して、あらぬ方向へ首を曲げるトラッキングソフト。
配信ツールに乗るはずのない、這いずるようなノイズ。
「最近の配信見たくても体調が悪くなる」「後ろに誰かいる?」「後ろの棚の上にデカい芋虫がいない?」
――リスナーの間に広がる不穏な噂と気味の悪さが、確実に視聴者を遠ざけているのだ。
そして何より、屋台骨を支えているエースを筆頭に、所属Vチューバーたちの相次ぐ原因不明の体調不良。
このまま彼女たちが休止すれば、うちのような小さな事務所はあっけなく吹き飛ぶ。
今月の資金繰りすら危うく、会社の倒産がすぐそこまで迫っていた。
Vチューバー事務所の社長という肩書は、一部のファンが思っているほど華やかなものではない。
モニターの向こう側の熱狂とは裏腹に、こちらの現実はひどく冷たく、ここ最近は得体の知れない不安――いや、明確な「恐怖」に満ちていた。
先週、会社の同僚たちと仕事で三重に出張して以来、私自身の背中には濡れた泥でも乗せられているような重圧が抜けず、夜は決まって悪夢を見続けていた。
そして不気味なことに、私が三重から戻った直後から、連動するように彼女たちも一様に「背中が押し潰されそうに重い」
「毎晩、気味の悪い夢を見る」
と不調を訴え始めたのだ。
私が、出張先で何かよからぬ病原菌……いや、それこそ『呪い』のようなものでも拾ってきて、彼女たちに感染してしまったのではないか。
非科学的だと笑い飛ばしたいが、そうとでも思わなければ精神が崩壊してしまいそうなほど、連日の異常事態に追い詰められていた。
まるで、目に見えない悪意が私の首を真綿で絞め続けているような――そんな絶望感が常に付きまとっていた。
◆
晩秋。朝から降り続く冷たい雨のせいで、まだ夕方前だというのに街は薄暗い。
たまらず逃げ込んだ、赤提灯が灯り始めたばかりの古い居酒屋。
店内は焼き鳥の脂の匂いと、雨宿りがてら早めの酒をあおる常連客たちの湿った熱気で満ちていた。
手元のグラスの水滴をぼんやり見つめながら、私は今日何度目か分からない、ひどく重いため息をついた。
「……あんまり、ため息ばかりついてると余計に疲れますよ」
ふと、隣の席から声がした。
見れば、色落ちしたダボダボのパーカーを着た二十代半ばの青年が、気だるげな目でこちらを見つめていた。
少し長めの前髪の奥の視線は、私の顔ではなく、私の背後――肩のあたりをぼんやりと見透かしている。
「何か、あったんですか?」
「いや……最近、どうも肩から背中が重くて。会社の方でも得体の知れないトラブル続きで、正直、どうしたらいいか分からなくて……」
そこまで一気に言葉を紡いでから、ハッとして我に返った。
不審に思うはずの相手だ。
それなのになぜか、彼の発する波の立たない凪いだ声色が、張り詰めていた私の神経を妙に解れさせた。
あるいは、ずっと一人で抱え込んでいた底なしの恐怖を、誰でもいいから聞いてほしかっただけなのかもしれない。
初対面の、しかもこんな得体の知れない青年に向かって、私は無防備にも堰を切ったように弱音をこぼしてしまっていた。
「って、すみません、初対面なのにこんな暗い話を……」
「いえいえ気にしないでください、興味があったので」
「興味、ですか?」
「ええ。あなたの背中にべったり張り付いている、その気味の悪いモノに」
冗談かと思ったが、彼の目は全く笑っていなかった。
「俺、『
「……やっている? 葛城というお名前ではなく?」
会話が微妙に噛み合っていない。
質問の答えもさることながら、まるで『役職』か『家業』でも名乗るような、その異質な言い回しの方に私は強い違和感を覚えた。
その妙な言葉の端を捉えて私が首を傾げると、彼は私の顔ではなく、再び私の背後をじっと見据えた。
その瞬間、背中の重圧が、ギリッ、とさらに深く食い込んだ気がした。
葛城と名乗ったこの青年は、値踏みするような、ひどく冷たい目をしている。
ただ、その視線は私にではなく、私の後ろの『何もない空間』に向けられていた。
「……名前を聞いても逃げないどころか怒ってる」
「はい? 怒るって、何がですか? さっきから、なぜ私の後ろの何を――」
「あ、振り向かないでくださいね、少しだけこっち向いたままでお願いします」
思わず後ろを振り返ろうとした私を、彼が片手で軽く制した。
気だるげな口調だが、その目は全く笑っていない。私はピタリと動きを止めた。
「まあ、ちょっとしつこい汚れみたいなものです。俺が今、落としますから」
言うなり、彼は懐から古びたシガーケースを取り出す。
その時、ダボついたパーカーの袖がずり下がり――私は思わず息を呑んだ。
彼の手首から前腕にかけて、びっしりと黒と赤の
ファッションタトゥーなどという生易しいものではない。
和彫りのような、あるいは呪術的な文字のようなどぎつい墨。
オカルトめいた異様さよりも先に、その凄まじい墨の量に現実的な危険信号が脳をよぎった。
(……反社?)
一気に血の気が引いた。席を立って逃げ出そうと脳が警鐘を鳴らしているのに、底知れない威圧感に縛られたように体が動かない。
「すみません、吸ってもいいですか?」
「えっ? あ、はい。構いませんが……そのタバコ、不思議な模様ですね」
恐怖で声が上ずった。手巻きだろうか。
葛城はそれを指に挟み、私の顔の前でゆっくりと回してみせた。
巻紙には、どこかの寺の
刺青と同じ、禍々しい赤だ。
「仕事道具です」
葛城はそれを口にくわえると、ポケットから革の小袋を取り出し、中から黒い小石と、指先ほどの薄い鉄片を取り出した。
――カチッ、カチィッ。
金属が打ち合わさる鋭い音が鳴る。
散らされた火花が空中で美しく爆ぜ、タバコの先端に吸い込まれるように着火した。
途端に、独特な草の香りが漂う。
ヨモギの青臭さとお香の甘さが混じったような香り。
周囲の焼き鳥の匂いが、その煙の香りによって一瞬で塗り潰される。
葛城はじっとこちらを見つめたまま短く息を吐き出したその瞬間――ふわりと、その煙が私の顔にかかった。
「うわっ……ゲホッ、何を……?」
目に染みるような刺激に思わずのけぞり、顔の前で手で払おうとした。
だが、煙を吸い込んだ瞬間、ふっと視界のピントが狂ったようにぐらりと揺れた。
店の照明がやけに暗く感じられ、まるで一瞬にして別の空間に放り出されたような不気味な感覚。
(なんだ……?)
困惑して瞬きを繰り返した時、足元の暗がりに『何か』がいることに気づいた。
靴のつま先のすぐ先。影が、あり得ない形に
視線を落とした私は、息を呑んで硬直した。
黒々とした長い脚。
掌よりもはるかに大きい、見たこともないほど巨大な蜘蛛が、私の足にへばりつくようにしてジッとこちらを見上げていたのだ。
「うわあ!?」
思わず立ち上がりその蜘蛛を叩き落とそうとすると、
「あ、その蜘蛛は傷つけないで」
「え?」
葛城が静かに言う。蜘蛛はジッと動かない。
すると……今度はテーブルの脚の奥、暗がりから『べちゃり』と濡れた音がした。
じゅるり、じゅるりと這い出してきたのは、丸太のように太く、どす黒い体液を透けさせた巨大な芋虫だった。腐った泥のような悪臭が鼻を突く。
だが、そのおぞましい巨体は、私の足元でジッと動かない蜘蛛の姿を認めた途端、ビクリと痙攣するように震え上がった。
まるで絶対的な天敵に怯えるように、じり、じりと不格好に後ずさっていく。
(冗談だろう……一体何が?)
あまりの現実離れした光景に私の脳は処理を放棄し、パニックのあまり無意識にスマホで助けを呼ぼうとしていた。
「あ、少し待っててください」
異常な行動に出た私を制し、葛城が宙を見つめた。
「……そちらに電話が来ますけど、相手が何を言っても絶対に同意しないでください。聞き流せばいいです」
「えっ?」
直後、握りしめていたスマホが震え出した。
ビクッとして画面を見ると、そこに表示されていたのは見知らぬ番号ではなく――『妻』の文字だった。
(妻から……?)
出ない方がいい。頭では分かっている。だが、もし家族の身に何か起きていたら? 謎の危機感。
彼の忠告と父親としての責任の間でほんの数秒葛藤し、私はたまらず通話ボタンを押してしまった。
「……もしもし」
『――もし。パパ?』
耳に飛び込んできたのは、愛娘の声だった。
だが、なにか不自然だ。
ひどいノイズ――ザザッという機械音ではなく、べちゃり、じゅるりという、なにかを啜るような水音が通話の奥で絶え間なく鳴り響いている。
「
恐る恐る問いかけると、娘の声は唐突に、感情の抜け落ちた平坦なトーンに変わった。
『パパ、ここあけて。パパ、なかに入れて。パパ、あけて』
「は……?」
壊れたレコードのような無機質な反復。背筋に氷をねじ込まれたような悪寒が走る。
すると次の瞬間、息継ぎすらなく、声が乱暴に切り替わった。
『もし。あなた!? お願い、今すぐそこまで来てるの! この子が怖がってて……お願い、そこに入れて! いいわよね!?』
今度は切羽詰まった妻の声だ。
『ねえ!? 開けてってば! いいでしょ!? あなた!!』
悲痛な叫び声と、その後ろで響くべちゃり、じゅるりという異様な音。
(なんだこれは)
これは現実なのか。それともこの男が何かを仕掛けているのか。
私はパニックに陥り、すがるような、あるいは問い詰めるような視線で葛城を凝視した。
「な、なんですかこれ……、どうなってるんですか!?」
震える声で叫びそうになった私から、横から伸びてきた手がスッとスマホを取り上げた。
彼は画面を一瞥すらせず、面倒くさそうに赤い通話終了のアイコンをタップする。
「い、今のは一体なにが……」
「『もし』」
「……?」
「よほどの昔でもなければ『もしもし』くらい言えるはずなんです。ということつまり、タチが悪い」
ピキ、ピキィッ……!
電話を切られ、正体を見破られたことに
私はたまらず周囲を見渡した。
だが、店員も他の客も、平然とテレビを眺め、酒を飲んで笑っている。
窓のヒビにも、足元で蠢く悪臭を放つ巨大な芋虫にも全く気づいていない。
私と目の前の男以外、誰一人としてこの異常事態が見えていない。
まるで自分たちだけがこの空間から切り離されてしまったかのような錯覚に陥り、息の仕方を忘れたように喉がひゅっと鳴る。
手元のグラスを握る指先から、急速に血の気が引いていくのがわかった。
ドンッッ!!!!
不意に背中に強烈な衝撃が走った。
葛城に思いっきり背中を平手で叩かれたと知ったのは、数秒経ってからだ。
やけに背中が熱く悶える。
焼けた鉄板でも押し付けられたような熱さに
美しく赤く光る火の粉が空中でジュッと消えるのを見た。
「あ、ごめんなさい。一言いえばよかったですね」
あまりの痛みに怒りが湧くが――体の調子を確認していると、私は目を見開いた。
まるで詰まっていた汚れが一気に体の外に流れ出たかのように、脳に酸素が巡り始めたような感覚。
心身ともに久しぶりに味わう、異常なほどの清々しさ。
ずっと体中にへばりついていたあの重圧が、嘘のように完全に消え去っていた。
ふと視線を落すと、靴にへばりついていた蜘蛛も、巨大な芋虫も、最初から幻だったかのように跡形もなく消え失せている。
「とりあえず、一息ついたみたいだし俺は行きますね。お仕事、頑張って」
葛城は立ち上がると、ひどく喉が渇いているのか、私のテーブルにあった手付かずの酒のグラスを手に取った。
「すみません。ちょっとこのお酒もらいますね」
「あ、あぁ……いいけど……」
あまりの急展開に現実感が追いつかず、私は間の抜けた返事をすることしかできなかった。
葛城はグラスを煽り、ぐいっと一息に飲み干すと、「ごちそうさまでした」と軽く頭を下げる。
その喉仏が上下に動く、ひどく日常的で生々しい様を見て――ようやく私の脳が急速に回転し始めた。
――行かせてはいけない。
あれが幻覚だなどと笑い飛ばすことはもうできない局面にきている。
何年振りかもわからないこの圧倒的な体の軽さが、彼の『力』の絶対的な証明だ。
だとすれば、私の会社で起きている相次ぐ機材トラブルや、タレントたちの原因不明の体調不良……あの一連の不気味な現象も、すべて『これ』と同種の出来事なのではないか?
もしそうなら、解決できるのは目の前にいるこの男しかいない。
どんな対価を払ってでも、彼を雇わなければ会社が潰れる。
「え、あ、待ってください! 連絡先を――!」
私は慌てて席を立ち、すがりつくように手を伸ばした。
名刺だけでも、報酬ならいくらでも積む、せめて何でもいいから繋がりを。必死の思いで声を張り上げたが、
「星の巡りがよければ、また会いますよ」
振り返ることなく、葛城は気だるげに言い残す。
その背中を追って店外へ飛び出そうとした瞬間、すれ違おうとした店員とぶつかりそうになり、私は思わず足を止めた。
「あ、すみません……っ!」
慌てて店外に視線を戻すが、ほんの数秒目を離した隙に、彼の姿は雨の降る夜の雑踏へ嘘のように溶けて消えていた。
周囲の客のざわめきが、再び私の鼓膜にまとわりついてくる。
たった一本だけ垂らされた蜘蛛の糸が、ふつりと途切れてしまったような絶望感が、足元から這い上がってきた。
◆
――そして、次の日。
私は取引先へ向かう途中の駅のホームで、思わず足を止めた。
喧騒が渦巻く朝の駅。行き交うスーツ姿の波からポツンと浮き上がるように、ベンチに座り缶コーヒーを飲んでいるパーカー姿の男がいた。
「……嘘でしょう」
間違いない、昨日の青年――『葛城』だ。
私が駆け寄ろうとしたその時、彼のほうもこちらに気づいた。
お互いに目を丸くして驚いたが、葛城の顔には、昨日のような
さっと険しい影が落ち、彼は舌打ちをするように短く息を吐いた。
「……良くないな」
「えっ? いや、奇遇ですね! まさかこんなに早くお会いできるなんて……」
彼は立ち上がり、私、そして周囲の乗客たちを警戒するように睨みつけた。
その気だるげな瞳に、明らかな焦燥と戸惑いが混じっている。
彼の視線は私の顔から外れ――私の背後から全身にへばりつく『何か』を、値踏みするようにじっと見定めていた。
葛城は忌々しげに短く舌打ちをし、ボソリと呟いた。
「……昨日綺麗に落としたのに、まだ憑いてくるか。異常な執着心だな」
誰に言うともなく呟いた後、永遠にも感じられる沈黙を経て、葛城はふっと視線を落とし、不思議そうに首を傾げた。
「……社長さん、体調、悪くないですか?」
「えっ? いや……大丈夫、ですが。昨日あなたに背中を叩いてもらってから、むしろ絶好調というか……」
「なんでだ?」
「へ? な、なんでって」
葛城は眉間に皺を寄せ、あからさまに
そして何かを察したように「あぁ……」と低く唸り、ポンと手を打った。
「本命、じゃないのか」
「本命じゃない……?」
「ええ。……さて、どうしたものか」
葛城は面倒くさそうに頭を掻き、ふうっと息を吐いた。
「……よければお仕事のこと、詳しく聞かせてくれませんか?」
その言葉に、私はハッとした。
会社で相次ぐ機材トラブルや、タレントたちの原因不明の体調不良。
すべてが一本の線で繋がった気がした。
「私……Vチューバー事務所の代表をやってるんです。タレントの配信の管理から機材のセッティング、メンタルケアまで全部」
「……ぶいちゅーばー?」
先ほどまであんなに鋭かった葛城の目が、パチクリと丸くなった。
「はい。簡単に言うと、ネット上でCGのアバターを使って、生配信で視聴者とやり取りをする仕事で……今のうちの会社の売り上げは、一人のエースの女の子が支えてくれていて」
「はいしん……アバター……? ちょっと待って、全然わからないんで……とりあえず、場所変えましょうか」
葛城は深い溜め息をつくと、飲みかけの缶コーヒーをゴミ箱に放り投げた。
「あ、はい……! よろしくお願いします」
私は慌ててスーツの胸ポケットから名刺入れを取り出し、一枚抜き出して両手で彼に差し出した。
「申し遅れました。私、株式会社ステラリンクの代表を務めております、
葛城は差し出された名刺を気だるげな目で一瞥すると、片手でひょいと受け取り、そのままパーカーのポケットに無造作に突っ込んだ。
「……名前は、
葛城
彼はそう名乗ると、私の背後の見えない空間に一度だけ冷たい視線を投げ、駅の改札口へと歩き出した。
「行きましょうか、藤沢社長。その『ぶいちゅーばー』ってやつ、教えてください」
・主人公の姉
数人の術者と共に儀式さえ行えば、対象が日本のどこにいようとも、並の怪異であれば家から一歩も動くことなく祓えます。