少額でも善行を行う事で金銭まで手に入る。
その事実がもたらすものとは…
「ヤバっ!財布の中に金が入っていない!」
飲み会からの帰り道、電車に乗ろうと駅の改札まで来た時、
琴吹司〈コトブキツカサ)は財布にもうお金が残っていない
事に気が付いた。
このままでは10駅以上も歩いて帰らなければならない。
「これは困ったな」
と呟いた時、遠くから
「献血にご協力願いまーす」
という声が聞こえて来た。
(た、助かった…)
琴吹氏は胸を撫で下ろした。
今よりも少し未来の話。
献血は血液買取センターと名前を変えて活動していた。
何が違うのかと言うと、その名の通り、
血液を買い取ってくれるのだ。
なに、驚く事じゃない。
実は日本に於いても1960年代の半ば頃まで、
血液の買取は普通の行われていた。
当時は「売血」と呼んだ。
しかも、かなり良い金額で買い取っていた様で、
国家公務員の初任給が1万4000円の時代に、
400ml1200円で売れる事もあったと言う。
今で言ったら数万円相当の金額。
もちろん血を売りたいって人が殺到した。
しかし、そこまで高額だと、ズルをしたり、
体調悪いのに無理をしたり、短いサイクルで何度も利用する
人達も多くいて、血の品質が下がってしまって、
1964年に現代の様な無償の献血制度となった。
血を売れる時代の終焉である。
献血になってからは常に
「血が足りない。現場に血液を!」
医療現場から悲鳴の様な声が途絶える事はなかった。
当然である。
今まで高値で取引していたものをタダで寄越せと
言われてホイホイと差し出す奴はいない。
人間は感情の生き物なのだ。
これまでの血液提供者からはそっぽを向かれ、
「売血」による金の亡者的イメージから一般の人からも敬遠される。
献血車に人は集まらず、
枯渇する輸血用血液。
助けられる命をみすみす失わせてしまう現場。
これに危機感を持った献血センターは、
献血スタッフの増員、
記念品やアメニティグッズの充実、
各種コラボによる宣伝など、
お金をジャブジャブ使って集客に努めた。
その額、なんと数百億円!
そのおかげか、献血に人々が少しずつだが戻ってくる。
しかし、ある時、気付いた。
「そんな金あるなら、それをくれよ!代わりに血をやるから!」
結局、金で血を買う方が効率的だと気付くのに
半世紀もかかったのだ。
「売血制度を復活しろー!」
「献血利権を解体し、我々の血を取り戻せ!」
国会議事堂を取り囲む様にデモ行進する群衆。
医療従事者や輸血が出来ずに亡くなった方の遺族、
手術のために大量の輸血が必要な病人、
昔「売血」で稼いでた日雇い労働者などなど、
多種多様な人がそのデモに参加していた。
始めは無視していたマスコミも今では毎日報道で
取り上げる様になった。
政府は考えた。
再び、以前売血によって起きた問題をクリアーにしなければならないと。
理由は分かっている。
報酬が高過ぎたのだ。
だから無理をしてでも、ズルをしてでも売血に来たのだ。
高額にした理由もあった。
当時の一般人には「血を取る」という行為が、
医療知識も今ほど無かったこともあり
あまりにもセンセーショナルにつたわってしまったのだ。
だから、血を集める為に買取価格が上がってしまった。
しかし、今は令和だ。
血を抜かれても魂や寿命が削られる訳ではないことを
誰でも知っているのだ。
現在、献血利用者は年間500万人弱。
その方達から年間約220万リットルもの血を戴いている。
これだけあれば医療は輸血は不足せずに済むという事だ。
一人当たり450ミリリットル。
いくらなら問題が起きないのか…
議員たちは頭を抱えながら血の適正価格を議論するのであった。
「400ミリリットル1000円でーす」
琴吹は金を受け取ると献血車から出てくる。
「ちょっと太陽が黄色く見えるぜ」
帰りの電車賃を手に入れられて、気持ちに余裕ができたのか、
血を抜かれた直後の視界の変化すら楽しく思えた。
しかも、その血は病気や怪我で苦しむ人を救うことができるのだ。
人助けに参加できた様で誇らしくもあった。
下戸の琴吹は、飲み会の際にも酒を飲めないので、
何やら少し損をしている気持ちになるのだが、
今日に限っては、
「下戸のお陰で献血出来た!ラッキー!」
と喜んでいる。
何はともあれ、1000円あれば家まで帰れる。
売血は時に、人知れず売った人をも救うのだ。
人々の中で密かに献血がブームになる。
一回たったの1000円。
しかも、月に一度しか利用は出来ない決まりだ。
しかし、いざという時に少額とは言え現金が手に入ると言うのは
人々に何か値段以上のゆとりを与えてくれた。
1000円あれば、喫茶店でコーヒーが飲める。
ご褒美にお菓子を買い込むのも良いだろう。
献血のたびに鉢植えを買って、ベランダに並べる人もいる。
ネグレクトの親の代わりにパンを弟に買い与えた16歳の少年。
仲間で月一度集まる大義名分に使う者もいた。
献血貯金で毎月通帳に記帳するのが趣味の人もいるらしい。
人それぞれ、その月に一度の権利を有効に使った。
中には、
血の気が多く喧嘩っ早い人が献血で落ち着いたとか、
「電車賃貸して」という寸借詐欺の被害が減ったとか、
世の中に意外な効果をもたらす事もわかった。
月一回、年間なら12回。
月に一度の楽しみを皆がそれぞれのやり方で満喫した。
しかし、感染症や投薬、
それどころかタトゥーや不特定多数との性行為など、
献血をする為には禁止された項目もいくつかある。
これに抵触してしまうと献血が出来なくなってしまう。
献血の値段以上の喜びを知った人達は、
それらの禁止事項を徹底的に避けた。
国内の感染症や望まぬ妊娠による堕胎の件数などが
みるみる下がっていく。
献血が日本人を健康にしていったのであった。
医療補助のコストが下がった事から、
国も献血ブームを全面的にバックアップし出す。
献血手帳とマイナンバーカードを紐付けたり、
任意の地域の医療機関へ献血を送る事が出来る
「ふるさと献血」を立ち上げたり、
学校の指導要領に「献血の必要性」を加えたり、
公務員の採用試験の際、試験管より献血歴をたずねたり、
様々な形で後押しをした。
献血での売血は政府公認となり、
人々はますます献血を楽しむ様になった。
これだけのムーブメントが起きた事で、別の問題が発生する。
髪の毛や、臓器の売買。
過去、もしくは外国では公然と行われているこの行為を
日本ではヘアドネーション、臓器提供と呼び、
無償で行うしかない。
これについても、
「ボランティアの美名のもと、不当に搾取されている!」
と解放運動が勃発したのだ。
流石に臓器売買については、背後に反社組織の影がチラついた
事もあり、すぐに沈静化したが、
そこから派生した
骨髄の提供や母乳バンクについてはそのまま運動は継続され、
髪の毛、
母乳、
骨髄の3つについて正式に有償化が認められる。
有償化と言っても、献血と同じく、少額での買取りだったが、
「少額でも対価を貰える」
という事実は良心のみで提供を求められる行為に
「偽善では?」
と躊躇していた人々の心の壁を見事に粉砕してくれる。
まさに少額のお金が大義名分となったのだ。
人々は、献血の時と同じく、積極的に参加していった。
膨大な提供者登録により、白血病での死亡率は下がり、
母乳が出ない、出にくいと母親が悩む事も無くなり、
安価にカツラが供給された事で、病気では無い人々も
オシャレでカツラを使う様になり、脱毛で悩む人も減った。
人々は気付いた。
ボランティアというのは素晴らしい行為だが、
何かをするのにボランティアしか選択肢がない世の中は、
非常に不健全な世の中だったのだと。
骨髄を提供したお金で買った鯛焼きを琴吹は頬張りながら、
「次は髪の毛でも延ばそうかな?」
とにこやかに呟いた。