第498話
「さあ、戦略開始だ」
その宣言と同時に、ガルアークが研究室へ踏み込んできた。大型戦闘ユニットの重量を受け止めきれず、床板が鈍い破砕音と共に沈み込む。青白い装甲の継ぎ目から魔力光が脈打ち、両眼部の発光レンズが黒衣の怪人へ照準を固定した。その動きには一切の迷いがない。捕獲対象を仕留めるためだけに構築された軌道だった。
対する黒衣の怪人は、研究机へ片足を乗せ、そのまま横滑りするように距離を取る。黒い外套が空気を裂き、散乱していたケーブルを踏み越えながら壁際へ跳躍した。
「隔離生活はごめんだ」
軽い声音だった。だが次の瞬間には、ガルアークの巨大な腕が研究机ごと壁面へ叩き込まれていた。轟音。演算装置が粉砕され、火花が滝のように噴き散る。防音仕様の強化壁に亀裂が走り、クエディーカ少年の写真が衝撃波で引き裂かれて宙を舞った。
「逃がさんよ、プロトアーク!」
プロフェッサー・モドムの声がガルアーク内部スピーカーから響く。誰かが外部操作している気配はない。それなのに肩の捻り、重心移動、追い込み方、その全てが生身の格闘家そのものだった。脳波リンクによって、人の戦闘感覚が機体へ直接流れ込んでいる。
黒衣の怪人は支柱を蹴ってさらに後退する。しかし研究室は狭い。実験卓、魔力モニター、配線束、倒れた機材群。それら全てが回避経路を奪い、ガルアークの圧力が空間ごと押し潰してくる。拳が壁面へ突き刺さるたび、コンクリート片が散弾のように飛び散った。
「ララクくん、そこを退いてもらおう!」
「こんな強引なやり方、容認できるわけないでしょう!」
ララクは即座に踏み込み、拳へ暴風を収束させる。空気が渦を巻き、圧縮された旋風が腕へ絡みついた。
「脱出します! 【トルネードナックル】!」
振り抜かれた拳から暴風が炸裂する。狭い室内で逃げ場を失った風圧が爆発的な推進力となり、ガルアークの巨体へ真正面から叩きつけられた。重装甲の機体が横方向へ押し流され、破壊された扉部分を巻き込みながら廊下側へ吹き飛ぶ。金属外装が壁へ激突し、学院全体へ響くような衝撃音が鳴り渡った。
だが、それでもガルアークは倒れ切らない。片腕を壁へ深く突き刺し、無理矢理姿勢を立て直している。
「素晴らしい出力だララクくん……! やはり君の戦闘データは最高だ!」
モドムの声には怒気より歓喜が滲んでいた。研究者としての熱狂。その異様な執着に、ララクの背筋へ嫌な汗が走る。
その瞬間だった。黒衣の怪人が床を蹴る。外套を翻しながら半壊した研究室を一気に飛び出し、長い渡り廊下へ滑り込んだ。ララクも反射的にその背を追う。背後では、壁へ突き刺さっていたガルアークがコンクリートごと腕を引き抜き、鈍い駆動音を響かせながら姿勢を立て直していた。
「護衛します!」
叫んでも、怪人は一度も振り返らない。ただ逃走だけを優先している。その姿にララクは理解した。
(そうか、真実を話してくれただけで、ボクと協力関係にあるわけではない。なら、勝手にボクが追跡を阻害するしかないか)
渡り廊下の窓の向こうには、夕暮れに染まり始めた学園祭の景色が広がっていた。中庭では屋台の灯りがぽつぽつと点灯し始め、生徒や来客たちが談笑しながら行き交っている。だが、その穏やかな空気を切り裂くように、背後から重金属音が轟いた。
ガルアークの両肩装甲がせり上がる。多重展開したプレートの内側から、円筒状の発射口が幾重にも露出した。内部では赤い照準光が高速点滅し、細長い銀色の弾体が次々と装填されていく。矢尻みたいに鋭角化された先端。羽根状の制御翼。側面には青白い魔力ラインが脈打っていた。
「対人制圧兵装〈スレイプニル・マイクロミサイル〉、発射」
低く響いた宣言と同時に、肩部ユニット内部の魔力炉が眩く明滅する。直後、圧縮されていた推進魔力が一気に解放された。発射口から青白い閃光が連続して弾け、爆ぜるような轟音と共に灼熱の排煙が噴き出す。白煙が渡り廊下へ荒々しく広がり、その中から十数発もの小型ミサイルが牙みたいに飛び出した。
尾を引く青白い魔力光が夕空へ線を刻む。
「きゃああっ!?」
「な、なんだあれ!?」
中庭にいた生徒たちが悲鳴を上げる。屋台の前で立ち止まっていた来客たちも、一斉に空を見上げていた。
だがミサイル群は構わず軌道を変える。獲物へ食らいつく蛇みたいに湾曲しながら、黒衣の怪人へ殺到していった。
「発射機構があったのか!」
「発表会で手を抜いたわけじゃないさ。武力もタダではないからな!」
怪人は止まらない。左腕装甲が駆動音と共に変形し、瞬時に長銃身の砲口へコンバージョンされる。
「〈プラズマバレット〉」
青白い電撃が空間を裂いた。高圧電流が先頭ミサイルへ突き刺さり、誘導機構を焼き切る。制御を失った弾頭が互いに接触し、火花を撒き散らしながら軌道を乱した。
「電気ショックが有効か。【プラズマショット】!」
ララクも即座に模倣する。掌から放たれた雷撃が後続ミサイル群へ突き刺さり、渡り廊下と中庭が一瞬、昼間みたいに白く染まった。
しかし、その瞬間だった。
「ならば、強制着弾だ!」
モドムの声と同時に、全ミサイルが空中で一斉爆破した。
轟炎。衝撃波。爆風が渡り廊下を蹂躙し、窓ガラスを激しく震わせる。中庭のテーブルや看板が吹き飛び、生徒たちの悲鳴が連鎖した。ララクの身体も爆風に呑まれ、床を激しく転がる。制服が裂け、熱風が肌を焼いた。
視界が煙と火花に埋め尽くされる中、それでもララクは顔を上げる。
その先で、黒衣の怪人は爆発すら利用していた。
噴き上がった爆風へ身体を預け、外套を翼みたいに広げながら一気に加速する。夕暮れと夜の境目を裂くように、その黒い姿が学院外周へ駆け抜けていく。
「……速っ」
ララクが息を呑む頃には、黒衣の怪人はすでに薄暗くなり始めた校舎群の向こうへ消えかけていた。