第12巻   作:高見南純平

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第512話 

 やがてそれぞれが定位置へ向かう。

 

 モジリフは長い腕でベースを抱え、ロドナルはギターを怪人へ預けてマイクスタンドの前へ立った。ドラマーも席につき、そして空いた場所へ黒衣の存在が入る。その並びは、かつて4人で活動していた頃と同じだった。ギター担当だったアカラヘアの位置。だが怪人は肩へストラップを回すだけでもぎこちなく、指の置き方も定まらない。少し離れた場所ではララクとゼマが見守っていた。

 

「曲は何をチョイスする」 モジリフが尋ねる。

 

「アカラヘアがいた頃の、あー……〈届け〉でいいだろ。最近やってねぇけど」 ロドナルが答える。

 

「俺はいつだって弾ける」

 

 モジリフはドラマーへ視線を向ける。無口な男は静かに頷いた。

 

 そして演奏が始まる。ドラムが一定のリズムを刻み、その後を追うようにベースが重なる。ロックパンクを主軸とする〈オチルレイン〉だが、この曲の入りは穏やかだった。静かな旋律が店内を満たし、少しずつ音の層が厚みを増していく。

 

(っふん、どこで合流するかさえ分かんねぇだろ)

 

 ロドナルは心の中で吐き捨てる。失敗してほしかった。この曲を弾けるのは〈オチルレイン〉のメンバーだけだ。目の前の怪人がアカラヘアではない証明になる。そう思っていた。

 

(……関係者に真実を話す。その一歩のはずが、何故楽器を持つことに。ギター演奏などラーニングはしていないんだ)

 

 怪人自身も困惑していた。音の流れは理解できる。だが弾き方は知らない。何をどうすればいいのか分からないまま、ただその場に立ち尽くしていた。

 

 その様子を見てララクも結論を出しかける。

 

(やはりもうアカラヘアさんは……)

 

 だが次の瞬間だった。

 

「んなっ!」 ロドナルが思わず声を漏らす。

 

「……?」 怪人自身も異変に気付いていた。

 

 動いている。

 

 腕が。

 

 自分の意思とは別に。

 

 金属の指が弦を押さえ、反対の手がピックを走らせる。ぎこちない。技術も荒い。疾走感もない。決して上手い演奏ではなかった。それなのに演奏へ割り込むタイミングだけは完璧だった。

 

 初めて聞くはずの曲。弾いたこともないはずの曲。それなのにベースとドラムが作る流れへ寸分違わず入り込み、楽曲の一部として成立している。

 

 ララクが目を見開く。ゼマも腕を組んだまま固まる。モジリフの指が一瞬だけ止まりそうになり、ロドナルに至っては歌い出すことさえ忘れていた。

 

 ライブハウスにいる全員が同じものを見ている。

 

 ありえない光景を。

 

 ギターを知らないはずの怪人が、かつてアカラヘアが弾いていた曲へ自然に溶け込んでいた。

 

 

 

 

「なんでお前が、コード進行知ってんだよ!」 ロドナルが怒鳴る。

 

「お前の番だぞ、ボーカル」 モジリフがベースを弾きながら告げる。

 

「っあ、っく、わーてるよ」

 

 ロドナルは慌てて前を向く。曲はすでに歌い出しへ差しかかっていた。

 

「期限すぎのパンにぃ、マヨネーズをぶちまける ピザパーティー夢見ながら~」

 

 戸惑いを残したまま歌声が響く。それはオチルレインらしい曲だった。彼らの楽曲はどれも実体験を元にしている。この〈届け〉も例外ではない。まだ売れていなかった頃、自前のバンドハウスなど持てるはずもなく、ライブへ出演する費用を捻出するだけで精いっぱいだった時代。食費を削り、機材代を工面し、明日の保証もないまま音楽へしがみついていた。期限切れ間近の食料を漁りながら、それでも未来を信じていた。そんな日々を歌にした曲だ。

 

 ベースが支え、ドラムが押し出し、そしてギターが重なる。その音を聞きながらロドナルたちの脳裏には自然と昔の光景が蘇っていく。

 

「ろくでもない生活も、いずれ想い出になるだろう~」

 

 未来の自分たちへ向けて書かれた歌詞。当時は本当にそうなるか分からなかった。ただ願いだけを込めていた。そして、その歌詞を書いていたのはアカラヘアだった。狭い部屋の床に座り込み、紙くずを散らかしながら頭を抱える姿。ギターを膝に乗せてコードを鳴らし、思いついた言葉を何度も消しては書き直していた姿。ロドナルと口論になり、モジリフに仲裁され、それでも翌日には笑っていた姿。

 

 演奏が続くほどに記憶は鮮明になっていく。今この場で鳴っているギターは拙い。リズムも甘い。技術だけ見れば昔の本人には到底及ばない。それなのにフレーズの入り方も、音を抜く癖も、次の展開へ向かう時の微妙な間も、どこか懐かしかった。

 

 失われたはずの時間が、音となってライブハウスの中へ流れ込んでいる。

 

 ロドナルは歌いながら気付く。

 

 自分の声が少し震えていることに。

 

 演奏は続く。

 

 怪人が奏でるギターの音を聞きながら、ロドナルの脳裏には遠い昔の光景が浮かんでいた。アカラヘアは机に向かいながらギターを爪弾いている。紙派だった彼女の周囲にはメモ用紙が散乱し、手には使い込まれたボールペンが握られていた。

 

『もしも~、夢が叶わなくても、交差した道は、もう戻らな~い』

 

 鼻歌混じりに歌詞を書き進める。

 

『夢が違っても、振り返れば、友の記憶が笑いかけてく~』

 

『な~んじゃ、その暗闇まっしぐらな内容は。ロックならさ、もっと気合入れて、夢叶えて億万長者になる、とか書けよ』

 

 横から覗き込んだロドナルが茶化すように言う。

 

『うち思ったんだ。パンクって、自分の心の内を叫ぶ感じじゃん。でもそれってポジティブ感情だけじゃないでしょ。未来への不安とか、さらけだしてこうかなって』

 

『売れねぇ未来を夢見てか?』

 

『それも後悔がない道だって思えれば、今も頑張れそうじゃない? ねぇ、ロドナルも書いてみる? さらけ出すの、うちより上手でしょ?』

 

『詩的センス、ねぇけどな~』

 

 思い返せば、この曲は2人の合作だった。さすがに口にはしなかったが、解散した時や、それぞれの道へ進んだ時のことを考えながら作った曲。それでも当時は不吉な歌ではなかった。未来がどうなろうと、きっと笑って思い返せる日が来る。そんな希望の方が強かった。

 

 だからこそ今、その歌詞が胸を抉る。

 

(……なんだよ、この歌詞……)

 

 ロドナルは歌いながら思う。

 

(なんでぴったしな曲があるんだよ……)

 

 最近この曲を避けていた理由にも気付いてしまう。アカラヘア時代の曲だから。その理由も確かにあった。だが本当は違う。答えが書いてあったからだ。もしアカラヘアと別れる日が来たなら。もしもう会えなくなったなら。その時どう受け止めるべきかが、この曲には残されていた。

 

 そして楽曲はサビへ入る。

 

「届け! 届け! 遥か先の、空気吸っても~ 耳に記憶を呼び覚ます。俺たちのロックで……パンクな夜を……!」

 

 叫ぶように歌い上げた直後だった。ロドナルの膝から力が抜け、そのまま床へ崩れ落ちる。歌声が止まり、ギターが止まり、ベースもドラムも沈黙した。ライブハウスを満たしていた音が消える。

 

「……分かってたんだ」

 

 俯いたまま呟く。

 

「どんな未来になったって、俺たちの曲を聞けば、いやでも思い返せるって……。でも避けたのかもしれねぇ……。認めたくなかったから。あいつが、もう、旅立ったって」

 

 ゆっくりと顔を上げる。その視線の先には怪人がいた。金属の身体。人ではない姿。けれど、さっきまで鳴らしていたギターだけは本物だった。音の癖も、フレーズの選び方も、言葉にできない感覚も、そこには確かにアカラヘアの痕跡が残っている。

 

 怪人の中にアカラヘアは存在する。誰もそれを否定できない。だが同時に、その事実こそが残酷な証明だった。彼女はもう戻らない。かつてロドナルと笑い、喧嘩し、音楽を作った冒険者アカラヘアは存在しない。残されたのは記録と記憶。そして、それらを受け継いだ別の存在だけだった。

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