後日のこと。
ララクとゼマの2人は冒険者ギルドを訪れていた。ロドナルからの依頼を受理した場所であり、長い調査の始まりとなった場所でもある。ギルド内は相変わらず静かだった。依頼の電子化が進んだ影響で、広いロビーに他の冒険者の姿は見当たらない。受付カウンターの向こうに座るギルドマスターだけが、こちらを待っていた。
「詳細は諸事情により話せませんが、ロドナルさんは納得してくれたようなので、クエスト成功という事にしていただきたいのですが……」
ララクは慎重に言葉を選びながら報告する。怪人との約束もある。人と機械を危険な領域で結びつける実験の詳細を、軽々しく広めるわけにはいかなかった。もし安全な形へ辿り着ける人物がいるとすれば、それはあの研究者なのだろうと考えている。
「ロドナルが久方ぶりに顔を出したんだ。目が充血していたわりには陽気さが残っていたよ。依頼人が満足したなら、ギルド側はそれ以上問う事はない」
ギルドマスターは肩をすくめる。
「私は、乗り越えているんだ。大人だからな」
彼女もまたアカラヘアと仕事をしたことがある人物だった。真相を正確に推測することは難しいかもしれない。それでも長い年月を生きる中で、別れの答えは思い出の中にしか存在しないことを知っているのだろう。
「それじゃあ報酬だ。長期間クエストの割には最低金額だけれど」
「貴重な経験をさせていただいたので、お金が貰えるだけありがたいです」
「っま、同時で色々こなしたから、意外と金貨ざっくざくだからね~」
ゼマが笑いながら受け取りを促す。報酬金を受け取った時点で依頼は完了のはずだった。だがギルドマスターはそこで話を終わらせなかった。
「ここからは年上のおせっかいだ。君たち、次は古の国に行くつもりだろう?」
「古の……って、あー、この国の隣のやつか」
「よくご存じで」
椅子にもたれながら彼女は続ける。
「陸路ならそのルートしかないからね。だけど他の国と違って、あそこは入国審査が厳重だ。不審人物ではないという確固たる身分証明が必要になる」
「通常の身分証とはまた違うのですか?」
「ああ。どこの国でもいいから、信頼に足る人物という判子を得る必要がある」
「うぇ~、今から国と関わんないといけないの? めんど」
「っふ、だからその役目をギルドが請け負うこともあるんだ」
そう言って彼女は引き出しから2枚のカードを取り出した。
「だから作っておいたよ。君たち2人分の冒険者登録証明書を」
手のひらサイズのカードだった。顔写真付きの身分証明書であり、クエスト受注時に登録した個人情報が整理されている。
「っえ、でも話を聞く限り、取得するのは難しそうでしたけど」
「モドムの件を解決し、長期未解決クエストも完遂した。他にも学院の仕事をこなしたんだろう? 怪しいものではないどころか、活躍を期待できる実績ある人物だと君たちは証明してくれた。ずっとこの国にいて欲しいぐらいさ」
「おーーーー、めっちゃ賞賛されたじゃん。受けとっとこ。こういうの発行手数料とか馬鹿にならない時あるし」
「ああ、ギルド持ちさ」
ゼマは満足そうにカードを受け取り、ララクも両手でそれを受け取った。
「では、ありがとうございます……と思いながら受け取らせてもらいます。次の冒険に役立たせたいと思います」
「まぁ、それでも外国人はあの国では苦労すると思うがな」
ギルドマスターは苦笑する。
こうして2人は冒険者ライセンス・ヌーツ公認版を手に入れた。
長い調査依頼は終わりを迎えたが、旅そのものは終わらない。カードへ視線を落としたララクは、その先に待つ古の国を思い浮かべる。未知の土地、未知の文化、そして未知の冒険。
新たな旅路は、すでに始まろうとしていた。
◇◇◇
いつかの夜のことだった。
昼間に降った雨の名残はまだ街中に残っている。道路は黒く濡れ、街灯やネオンの光を反射して揺らめいていた。そんな都市の景色を、トレンドタワー最上階から見下ろす人物がいた。黒衣を纏った人影。全身を走る紫電のラインが淡く発光し、闇の中で輪郭だけを浮かび上がらせている。
怪人は黙って街を眺めていた。人々が暮らし、笑い、働き、悩みながら明日を生きようとしている。かつて自分を構成していた者たちが守ろうとした世界。そして今、自分が見ている世界。それらは同じはずなのに、どこか遠く感じられた。
「私は目的がない……それは最初から同じこと……。ならば、人類の安寧を願う同志たちの夢を、陰ながら支えるだけ、か」
独り言は夜風にさらわれて消えていく。その時だった。遠方からパトカーのサイレンが聞こえた。1台ではない。複数の警告音が夜の街を駆け抜けていく。何かが起きている。怪人はそちらへ視線を向けたかと思うと、次の瞬間にはトレンドタワーの縁を蹴っていた。
黒い影が夜空へ躍り出る。隣接するビルへ着地した衝撃を膝の屈伸だけで受け流し、そのまま勢いを保ったまま走り続ける。雨で濡れた屋上を滑るように駆け抜け、配管へ片足をかけて方向を変え、手すりを飛び越えながらさらに加速する。眼下では車列のヘッドライトが流れ、看板のネオンが濡れた壁面に色彩を映していた。
次のビルとの間には細い路地が口を開けている。怪人は躊躇なく跳躍した。黒衣が夜風をはらみ、数秒だけ宙を舞う。着地と同時に身体を前転させて衝撃を逃がし、立ち上がる動作すら途中で終えたまま疾走へ繋げる。さらに非常階段の手すりを滑り降り、途中で跳び移った隣の建物の壁を数歩駆け上がると、その反動で高所の通路へ飛び乗った。
その動きは人の限界を遥かに超えていた。だが夜の街を見上げる者がいたとしても、見えるのは一瞬だけ横切る黒い残像だけだろう。
その人物に名はない。けれど人々が語り継ぐ名は、すでに生まれている。
闇に紛れ、誰にも知られず、危機を切り裂く存在。
〈黒衣の怪人〉
その都市伝説は、闇夜の中で静かに広がり続ける事だろう。