第515話
ここは古の国レジェレ。
何千年もの昔に建国された最古の民主主義国家であり、現在でもその体制を維持している珍しい国だった。最大の特徴は主要都市が1つしか存在しないこと。ほぼ全ての国民がその都市で暮らしているため、他国で当たり前に使われる地方都市という概念が薄い。
現在、ララクとゼマが歩いているのは都市圏の外側に広がる自然地帯だった。草原や森林の中には石造りの建造物があちこちに顔を覗かせている。それらはかつて栄えた街の残骸。長い歴史の中でモンスターとの戦いに敗れ、放棄された都市群の遺跡だった。風化した柱が傾き、崩れた石壁には蔦が絡みつく。石畳の名残を見つけるたび、ララクの視線は吸い寄せられていた。
「考古学者たちが発見したら、興奮ものですね」
本人は平静を装っているつもりなのだろうが、歩く速度まで僅かに変わっている。
「あんたも鼻息荒いよ」
ゼマは呆れながら笑った。
2人は古代都市の広場跡らしき場所で腰を下ろし、水筒を傾けながら休憩していた。その時、不意に地面へ落ちる影が広がる。快晴の太陽を覆い隠すほどの巨大な何かが上空を横切ったのだ。
「っあ、あれがこの国の名物……何千年と姿を変えていない生きた化石、古代種モンスター!」
ララクは勢いよく顔を上げた。
青空を滑空していたのは巨大な翼獣だった。翼を広げれば数十メートルはありそうな巨体。細長い首と鋭い嘴を持ち、皮膜の翼が陽光を受けて空いっぱいに広がっている。その姿は遺跡群すら小さく見せるほど雄大で、悠久の時代から変わらず空を支配してきたことを感じさせた。
「名前は知ってんの?」
「確か、ケツァルコアトルス」
「ケッツア、コアトゥルス……? 覚えやすいけど、言いにく」
ゼマは苦笑を浮かべる。
その声が聞こえたわけではないだろうが、巨大な翼獣はゆるやかに旋回し、黄金色の瞳を地上へ向けた。一瞬だけこちらを観察した後、再び高度を上げていく。青空へ溶け込むように飛び去るその姿を、ララクはしばらく目で追い続けていた。
歴史が眠る大地の上を、生きた歴史そのものが飛んでいた。
やがて2人は遺跡地帯を抜け、この国唯一の都市を目にした。
「唯一都市・聖。壁が険しく、頑丈そうですね」
ララクが見上げた先には、灰色の城壁が果てしなく続いていた。石と金属を組み合わせた防壁は見上げるほど高く、長い年月を経てもなお威圧感を失っていない。
「さっきみたいな奴が来ても、反撃できるようにとか?」
ゼマが空を指差す。先ほど見た巨大な翼獣ですら、簡単には侵入できない構造に見えた。仮に壁を越えられたとしても、城壁上には見張り台や射撃用の足場が並び、魔法や弓矢による迎撃手段はいくらでも用意されているのだろう。
そして正面には巨大な門が構えていた。だが出入りする者はほとんどいない。商人の馬車が列を作っていても不思議ではない規模の都市であるにもかかわらず、人影はまばらだった。その光景だけで他国との交流が少ないことが察せられる。
門へ近づいた途端、兵士が所持していた斧を持ち上げた。三日月型の刃を備えたクレセントアックス。その切っ先が2人へ向けられる。
「身分を表せ」
「ふぇ~い、事前情報通りだね」
ゼマは冒険者登録証明書を軽く放り投げる。
「大事な個人情報ですよ、ゼマさん」
ララクは苦笑しながら手渡しした。
兵士は写真と本人を何度も見比べながら確認していく。その間に2人も相手を観察していた。重装備であることを除けば特別変わった部分はない。だが兜の隙間から突き出た獣耳と、腰の後ろで揺れる尾が目を引いた。
「犬の耳?」
「狼で間違いないです」
「へ? 区別つくの?」
「レジェレの国民は、ほぼ全員が狼人ですから。その種族だけで建国された単族国家でもあるんです」
「私たちの国とは真逆だ」
ゼマは感心したように尻尾を見る。
パーリアにも犬人や狼人はいるが、あちらは多種族国家だ。特定種族だけで国を形成している例は珍しい。
「犬と狼に違いあるの?」
「昔調べた知識が正しいなら、犬人は武器使用無しの魔法系統のスキルも使えますが、狼人は武器や肉体特化のスキルを獲得しやすかったと思います。純粋な身体能力を強化するパッシブも得やすそうですし、より戦闘特化という印象はありますね」
「へ~、見た目以上にはっきり違うんだ」
獣耳や尾だけなら人間から見分けるのは難しい。だが種族ごとに得意とするスキル傾向は大きく異なる。
人間は最も個体差が激しく、多種多様なスキルを獲得する可能性を持つ。
エルフは遠距離武器や魔法との相性が良い。
魔人は魔法特化。
猫人は軽量武器や風・雷など俊敏性を活かすスキルを得やすい。
狐人は俊敏性に加え、炎など高火力の能力を獲得する例も多い。
犬人は重量武器の適性が高く、水や氷など冷気系の素養にも恵まれる。
そして狼人は武器戦闘と肉体強化に優れる。
もちろん絶対ではない。稀に種族傾向から大きく外れたスキルを得る者もいるし、体格や五感の発達具合にも個人差が存在する。人種という存在はモンスター以上に個体差が大きく、あくまで傾向として語られているだけだった。
そんな説明を聞きながらゼマが兵士を見ると、その狼人は証明書を返却してくる。
「返却しよう。偽装の痕跡はなさそうだ」
狼人の兵士は確認を終え、証明書を差し出した。
「あたりまえよ、新造ほやほやなんだから」
ゼマが受け取りながら鼻を鳴らす。
「ヌーツで仕事に励んだかいがありました」
ララクも証明書をしまう。長期間のクエストや学院での活動が、こうして正式な信用へ変わっていた。
だが兵士は去り際にひと言だけ付け加えた。
「……この国は、外人に厳格だ。心せよ、だな」
忠告と呼ぶには妙に重い口調だった。そこには警告だけでなく、どこか哀れむような色も混じっている。ゼマが怪訝そうな顔をした時には、兵士はすでに持ち場へ戻っていた。
やがて巨大な正門が低い振動音を響かせながら開いていく。厚い金属板が左右へ動き、数千年の歴史を抱えた都市への入口が姿を現した。ララクとゼマは門をくぐり、その先へ足を踏み入れる。
そして2人は思わず周囲を見回した。
そこに広がっていたのは、これまで訪れたどの国とも異なる景色だった。白い石材で統一された建物群が規則正しく並び、巨大な柱やアーチが街路のあちこちに組み込まれている。壁面には古代から続く意匠が刻まれ、通りの彫像や噴水に至るまで統一された美意識で整えられていた。
古い都市であることは一目で分かる。だが老朽化した印象はない。長い年月を経た建築物たちは修繕と保存を繰り返され、むしろ歴史そのものを誇示するかのような威厳を放っている。人々の服装も街並みに調和しており、歩いているだけで巨大な美術館の中へ入り込んだ錯覚を覚えるほどだった。
「うわぁ……」
珍しくゼマが感嘆の声を漏らす。
ララクもまた目を奪われていた。遺跡で見た過去の残骸ではない。ここには今なお生き続ける古代文明があった。
こうして2人は、古の国レジェレの洗礼を受けることになる。
その国が何千年も守り続けてきた様式美と価値観に。