不可攻略の迷宮。自然に形成された洞穴を利用しているため、内部は昼間でも薄暗く、湿った空気が肌へまとわりついていた。天井から伸びる鍾乳石の先端からは水滴が落ち、静かな洞窟内に小さな音を響かせている。
壁面は本来ならば自然の浸食によって不規則な形になるはずだが、ところどころに人の手が加えられた痕跡が残っており、長い年月を経ても消えない違和感を漂わせていた。通路の幅は中型モンスターであるオニコニクテリスが翼を畳めば通れる程度には広く、奥へ進むほど未知の気配が強まっていく。
「質問なんだけど、ここは人工物なのかな?」
ララクは周囲の岩壁を観察しながら尋ねる。自然の洞穴にしては、あまりにも都合よく整えられている場所が多かった。
「もともとは自然にできたほら穴らしいし、モンスターもたくさんすみ着いているよ。なんだけど、絶対に人が作ったっていう証拠があるんだ」
「? どこか整備されているとか?」
「ほぼ当たり~。人が通りやすいように加工されてたり、っあ、ほら灯篭みたいなのがつけられそうなのあるじゃん」
イジネが指差した壁には、一定間隔で小さな窪みが刻まれていた。現在は何も設置されていないが、明かりを置くために作られた形状をしている。かつては迷宮を進む者たちを導く設備が存在していたのだろう。今はララクの【ライトファイヤー】が浮遊する炎となり、薄暗い道を照らしている。揺れる光が岩壁を照らすたび、古代の人々が残した加工跡が浮かび上がった。
「でもあれぐらいだったら、後付けできそうじゃないの?」
「鋭いっすわー、ゼマねえ」
ゼマの指摘に、イジネは嬉しそうに笑う。
「では、他に確証があるんだ」
「そうそう、それがこの迷宮の一番の厄介なところで……!」
説明へ入ろうとした、その瞬間だった。
壁の一部が低く震えた。
岩肌の隙間へ淡い光が走り、複雑な紋様を描いた魔法陣が浮かび上がる。古代の術式なのか、回転するように魔力を集めた直後、そこから濁った色をした何かが放出された。
風に近い。
だが、風ではない。
空気そのものが形を持ったような、不自然な存在だった。触れるという感覚とは少し違う。それでも確かにそこにあり、迷宮の中を這うように流れながら3人へ迫ってくる。
「直感的に、触れると、まずそうだ」
「おー、そうそう、まずいんだよ」
「んじゃ、退散」
ゼマが即座に判断して後ろへ下がろうとする。しかし、その腕をイジネが掴んだ。
狼人の少女は楽しそうに口元を歪める。
「危険を経験するのが、一番の免疫だよ」
「あん? 意味不明をほざくな」
「あえて、うけろと……?」
ララクが意味を考えた一瞬の間に、濁った魔力は3人の身体を包み込んだ。
攻撃を受けた感覚はない。
痛みもない。
しかし次の瞬間、舌へ鋭い刺激が走った。
電撃にも似た痺れ。ただし雷系統の魔法ではない。異物が体内へ入り込んだことを知らせるような、奇妙な感覚だった。
そして、その異物は脳へ届く。
味覚として。
「うげぇ……! 生ごみ!? くそまず系統なんて聞いたことないぞ!」
ゼマが顔を歪める。
腐敗した食材、酸化した油、泥水、焦げた何か。それらを無理やり混ぜ合わせたような味覚が口内を支配する。酸っぱさと苦みが同時に押し寄せ、舌に残る不快な感覚が消えない。
「うっぷすぅ……。苦みと、酸っぱさ……どう料理したらこの味に……」
ララクも口元を押さえる。今まで多くの攻撃を受けてきた。炎に焼かれ、毒に侵され、それでも戦い続けてきた。しかしこれは別だった。肉体を傷つけるのではなく、感覚そのものへ直接干渉している。
「おええええ。し、舌をとって~」
仕掛けを理解していたはずのイジネまで涙目になり、地面へ手をつく。
傷はない。 体力も減っていない。それでも3人の精神だけが確実に削られていた。
「ちょっと! イジネだっけか。 キモさ100%のこのスキルはなんなんだよ」
「部類は、味覚系統」
「味覚……! 触れた相手の感覚を直接変化させるのか。なんとキテレツでおそろしい」
ララクは消えた魔法陣の跡を見つめる。
迷宮の罠と聞けば、矢が飛ぶ、床が落ちる、炎が噴き出す。そういった直接的な危険を想像する。
だが、この場所に仕掛けられていたものは違った。
人を殺すためではなく、人間が本能的に嫌悪する感覚を正確に理解し、それを利用するための仕掛け。
不可攻略。
その名が付けられた理由の一端を、ララクたちは身をもって理解することになった。