第12巻   作:高見南純平

25 / 40
第522話

 「防御手段はあるの、これ」

 

 イジネは舌に残る不快感を耐えながら、壁に浮かぶ魔法陣を指差した。

 

「うん、ま、エアーのようなもんだから、風とか、あとは盾とかで一応防げるけどね。でも、四方八方から、あちこちの壁にこれが仕掛けられてるわけ。そんな罠を設置するの、人しかいないでしょ」

 

 洞窟そのものは自然に形成された空間だった。しかし奥へ進むほど、人の手が加えられた痕跡が増えていく。壁面には一定の間隔で削られた跡があり、足場を整えたような場所も存在していた。そして、その加工された場所の至るところに、侵入者の感覚を狂わせる特殊な魔法陣が隠されている。

 

「だからきっと、この場所を阻むために、迷宮を作った人? まあ、そこを調査する記事にするために、ここに来てるんだけど。このスキルが結構厄介で、なかなか先に進めないんだ」

 

 イジネは記録用の道具を確認しながら説明する。その表情は楽しそうでもあったが、何度も挑戦してきた者だけが持つ疲労も浮かんでいた。

 

「すげえ、もう、あと3回。いや、1回で私は帰るぞ。回復できねえ、攻撃がいっちゃん、嫌だ」

 

 ゼマは頭を抱えながら唸る。傷を治すことなら誰にも負けない自信がある。しかし、これは傷ではない。舌や鼻、耳といった感覚そのものを狂わせる攻撃だ。回復という手段では対応できないことに、戦闘医としての自負が少しだけ傷つけられていた。

 

「面白い、興味深いスキルですか。もしかして、他にも感覚を刺激するスキルがあるんですか」

 

 ララクは壁の魔法陣を観察しながら問いかける。

 

「そうだね。まーだいたい五感だよ五感。アタイも全部は把握できてないし。ま…気持ちの悪い迷宮ってことはわかったところで、先に進みましょう」

 

 再び歩き始めた一行だったが、迷宮の本当の厄介さはここからだった。

 

 通路は複雑に枝分かれし、似たような景色が何度も続く。壁の傷や石の形を記録しなければ、今来た道すら判断できない。さらに進むたびに、別々の魔法陣が反応していく。

 

 ある場所では、舌を刺激する異様な味覚が襲いかかった。腐った食材を無理やり混ぜ合わせたような不快感が口内に広がり、ゼマは顔をしかめる。別の場所では、鼻を刺激する強烈な臭気が発生し、空気を吸うだけで精神力が削られていった。

 

 そして次に発動した魔法陣から放たれたのは、空間そのものを震わせる音だった。

 

「うるせえ! 耳塞いでもうるせえ!」

 

 ゼマは両手で耳を押さえながら叫ぶ。しかし、その音は外側から響いているだけではなかった。鼓膜を震わせるだけではなく、頭の奥へ直接響いてくるような異質な振動だった。

 

「【聴覚保護】」

 

 ララクはすぐにスキルを発動する。

 

 耳の周囲を薄い魔力の膜が覆い、過剰な音だけを遮断していく。完全に無音になるわけではない。必要な音は残しながら、苦痛になるほどの振動だけを抑えるための防御系スキルだった。

 

 しかし、それでも音の勢いは完全には消えない。

 

「ララクくん、サポーター系? 頼れるね~」

 

 イジネは苦しそうにしながらも、どこか興味深そうに周囲を観察する。

 

「うーん、厳しい。【聴覚保護】でギリだな」

 

 ララクは眉を寄せながら分析する。攻撃力や防御力で突破するタイプの迷宮ではない。必要なのは、敵を倒す力ではなく、五感を狂わせる仕掛けへ対応し続ける能力だった。

 

 この迷宮では、歩いているだけで何かを失っていく。

 

 傷はない。魔力も大きく消費していない。それでも、精神だけが少しずつ削られていく。

 

 古代に存在した誰かは、侵入者を殺すためではなく、諦めさせるためにこの場所を作ったのかもしれない。

 

 ララクたちは、その異質な攻略条件を理解しながら、さらに奥へ進んでいった。

 

 そこは先ほどまで漂っていた不快な感覚とは異なる匂いが混ざり始めた。湿った岩肌の臭い、長い年月を閉じ込めた洞窟特有の土の香り、そして獣の体温を感じさせる濃い臭気。これは魔法陣によって作られたものではない。ララクは何度もモンスターと対峙してきた経験から、実際にそこに生き物が存在している証だと判断した。

 

「うーん、モンスター、そりゃあダンジョンだからいるわ。よく考えたらさ、こんな問題建築の場所によく住むよな」

 

 ゼマは周囲を見渡しながら呟く。侵入者の感覚を狂わせる罠が張り巡らされた場所。普通ならば生物が寄りつかないような環境だが、ここには長い時間を過ごしてきた生命が存在している。

 

「だって、罠が襲ってくるわけでしょ?」

 

「そう、それも生態が面白いんだよね。ここにいるモンスターは、この罠に適応する力を持っているんだ」

 

 イジネは楽しそうに答える。危険な場所であることよりも、そこに暮らす存在がどのような進化を遂げたのか。その一点に強い興味を抱いていた。

 

「ん? むむむ。見えてきたよ。その輪郭ちゃんが」

 

 暗闇の奥で、大きな影が動いた。

 

 ララクたちの前方、光の届かない場所からゆっくりと姿を現したのは、人間よりも遥かに巨大な体を持つモンスターだった。

 

 低く構えた四肢に、厚みのある胴体。歩くたびに地面へ重い振動が伝わる。ずんぐりむっくりという表現がそのまま当てはまるような体型で、腹部には大きな袋が存在していた。

 

 有袋類。

 

 現代にも存在するコアラやウォンバットに近しい特徴を持ちながら、その姿は遥か昔に生息していた巨大生物を思わせる。

 

「ディプロトドンだね。もう少しちっちゃければ飼育したいんだけどな」

 

 イジネは目を輝かせる。

 

 巨大な体格を持ちながら、どこか穏やかな雰囲気を持つその姿は、敵意を向けているというよりも、迷宮の環境に適応した住人という印象が強かった。

 

「また見たことのないモンスターか」

 

 ララクが観察していると、ゼマが突然顔をしかめる。

 

「うわ、相手の後ろ。さっきのさ、マズオーラが漂ってるんだけど」

 

 ディプロトドンの周囲には、先ほどララクたちを襲った味覚系の魔力と似た気配が残っていた。しかし今回は魔法陣から放たれているわけではない。モンスター自身が、その環境の中で生きている証だった。

 

「こいつ、胃に返していない! なんちゅう気合い!」

 

「いや、ただの気合いではないのでは」

 

 ララクはすぐに考えを巡らせる。

 

 この迷宮の罠に適応した結果ならば、耐性を獲得していても不思議ではない。

 

「適応っていうことなら、ああ、そういうことか。味覚耐性。うーん、いや、苦み耐性。そのようなスキルを持っているのか」

 

「うん、ララ君、そういうことだよ」

 

 イジネは嬉しそうに頷いた。

 

「このディプロトドンは、ま、古代からいる変わらないモンスターなんだけど、でも1万年近くも生きてたらさ、何かしら絶滅の理由があるわけ。んで、えっと、この子は確か、そうそう、食べる植物とかがさ、結構失われたんだって。それで苦肉の策として、苦みの強い植物をたくさん食ってくるようになったわけ。背に腹は変えられないってやつ」

 

 イジネは巨大なモンスターを観察しながら説明を続ける。

 

「そしてどんどん苦みに強くなっていった。ま、他の味もあるんだろうね。そう、だから、この苦みの攻撃にも耐えられるんだよ」

 

 ディプロトドンは、迷宮に仕掛けられた異常な味覚攻撃を受けても動じない。

 

 それは特別な力を与えられたからではない。

 

 長い年月を生き残るため、自分たちの環境に合わせて変化した結果だった。

 

「神秘的だよね、進化は」

 

 イジネの声が洞窟内へ響く。

 

 侵入者を拒むために作られた迷宮。

 

 しかし、その中で暮らす生命たちは、拒絶する力すら利用して生き延びていた。

 

 ララクは改めて、この場所がただの古代遺跡ではなく、長い時間の中で独自の生態系を築き上げた場所なのだと理解した。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。