第524話
焼け焦げたディプロトドンが重たい音を立てて横倒しになっていた。焦げた毛皮から白い煙が細く立ち上り、獣臭と焦げ臭さが入り混じって迷宮内へ広がっていく。巨大な体躯だったはずなのに、今は黒い岩塊のように転がるだけだった。イジネはその死骸へ近づくと、しゃがみ込み、靴の爪先でつんつんと腹を突く。
「もう息してないよ、ララ君。君って、強気オスだったんだね。魅力的だよ、メスとしては。すっごく引かれる」
本人は本気なのか冗談なのか分からない笑顔を向けてくる。
「うーん、戦闘力を評価されることは最近ありますけど、フェロモン的な意味で解釈されるのは初めてですね。ボク、イケてますかね」
「調子に乗んな」
ゼマが後頭部を軽くこづく。ぺしりと乾いた音が響き、ララクは首をすくめた。
「うーん、じゃあ、こいつ結構美味だった気がするから、持ってって、食べますか? お口直しに」
「うん。古代の味、気になる」
「やはりモンスター食は、冒険のつきものですからね」
未知の土地に来たなら、その土地に生きる生物を知るのもまた冒険の一部。苦味攻撃で散々な目に遭った後だけに、せめて味覚だけでも取り返したいところだった。しかし、その穏やかな空気は突然終わりを迎える。
ごごっ、と鈍い振動が足裏から伝わった。迷宮全体が小さく震え、天井の裂け目から砂粒が降り注ぐ。岩壁の隙間に溜まっていた土がぱらぱらと崩れ落ち、地面の奥から何か巨大なものが接近してくる気配が伝わってきた。
「ん?」
「揺れた?」
全員が反射的に周囲を見回した直後だった。轟音と共に地面が内側から膨れ上がり、岩盤そのものが砕け散る。土砂と石片が勢いよく吹き上がり、茶色い煙幕が視界を覆い尽くした。その中心から飛び出してきたのは、丸みを帯びた巨大な甲殻だった。
アルマジロを何十倍にも巨大化させたような巨体。背中を覆う装甲は岩山の表面を削り出したかのように分厚く、前脚の巨大な爪は地層を切り裂くために進化した武器そのものだった。
さらに、その背中には人影があった。
全身を鎧で覆い、顔すら見えない兵士。
その人物は土煙の中から姿を現した瞬間、周囲を見回し、目の前の光景を確認して声を上げる。
「【グランドダイブ】か!」
驚きの混じった声だった。
まるで自分も予想外の場所へ出てきてしまったかのような反応。
イジネがぽかんと口を開ける。
「グリプトドンだ!」
「またドンかよ」
ゼマが呆れたように肩を落とした。
グリプトドンは低い唸り声を漏らしながら前脚を地面へ突き立てる。掘り進んできたばかりなのだろう。甲殻の隙間からは土がぼろぼろと零れ落ちていた。
ララクは兵士とモンスターを交互に見比べる。
地上から地下へ。
しかも迷宮の奥深くへ直接到達している。
偶然迷い込んだのか、それとも何らかの目的があるのか。
だが少なくとも分かることが一つだけあった。
この兵士もまた、この遭遇を想定していなかった。
味覚や聴覚を弄ぶ異様な迷宮。その内部へ突然現れた古代モンスターと正体不明の兵士によって、探索はまた新たな局面へ足を踏み入れようとしていた。
死体の上へ着地することになったのは、アルマジロに近しい古代種モンスター、グリプトドンだった。丸みを帯びた巨大な体躯を覆う甲殻は、岩盤を削り出して作った盾を何枚も重ねたかのような厚みを持ち、歩くだけで重々しい振動が地面を伝わってくる。細長い顔ではなく、どこか牛を思わせる幅広い頭部。その鼻先から白い息が漏れ、黒い瞳が周囲を警戒するように揺れていた。
その背中から飛び降りた人物へ、全員の視線が集まる。赤、黒、白を基調とした装束。長いマントがふわりと揺れ、全身を覆う重厚な鎧が迷宮の光を鈍く反射する。顔は完全に兜で隠されており、狼人特有の耳だけが上部から突き出していた。
「モンスターはわかったけど、なんだあの兵士は」
ゼマが眉をひそめる。
「あ、ロゥガさんじゃん」
イジネが気軽に手を振った。
「任務中?」
兜の人物は周囲を見回し、それから足元の焼け焦げたディプロトドンへ視線を落とす。
「その途中で落ちてきたんだ」
短い返答だった。
「あの、ご知り合いですか?」
ララクが尋ねると、イジネは肩をすくめる。
「そうさ。ほら、うちって七星家系じゃん? だから。まあいいとこの貴族なんよ。あっちも貴族でさ、結構関わりあるんよ」
「貴族……」 イジネを見てララクが小さく呟く。
「何、品がないって? 正解。出してないから」
その間にも、ロゥガと呼ばれた兵士はこちらを見てくる。甲冑同士が擦れる音は静かで、見た目の重装備に反して足取りは驚くほど軽かった。
「イジネくんではないか。それに、耳なし族」
兜の奥から向けられた視線がララクとゼマへ移る。
「耳なしっていうけど、耳あんだけどな」
ゼマが自分の耳を指差して抗議する。
妙な紹介にララクも少し困惑したが、それ以上に気になったのは声だった。少しハスキーさを含んでいるが、確かに女性のものだ。しかし落ち着きと重みがあり、若者特有の軽さは感じられない。年齢は見当もつかなかった。
彼女の名はロゥガ・ロゥ。
この古の国レジェレに仕える兵士であり、どうやらジィファやイジネとも浅くない関係らしかった。
そして当のロゥガは、焼け焦げたディプロトドンと、その周囲に立つ冒険者たちを順番に見渡したあと、小さく息を吐く。
「詳細は不明だが、理解した気になっておこう」
とロゥガ・ロゥは、剣を構える。手に持っているのはロングソードだが、腰や背中に多種多様な剣を携えていた。